「ちょっと心が疲れているかも、と言うときに観ると号泣してしまうかもしれません」僕らは人生で一回だけ魔法が使える Dr.Hawkさんの映画レビュー(感想・評価)
ちょっと心が疲れているかも、と言うときに観ると号泣してしまうかもしれません
2025.2.24 イオンシネマ京都桂川
2025年の日本映画(110分、G)
原作は鈴木おさむの朗読劇『僕らは人生で一回だけ魔法を使える』
ある秘密のある村で育った幼馴染4人を描いた青春映画
監督は木村真人
脚本は鈴木おさむ
物語の舞台は、日本のどこかにある自然豊かな村(ロケ地は千葉県南房総市)
その村には、18歳になった男は「人生で一回だけ魔法が使える」という秘密があり、18歳を迎える年に村の重鎮・テツ爺(笹野高史)から教えられることになっていた
その村で今年18歳を迎えた男子は、ピアニストになりたいアキト(八木勇征、幼少期:髙木波瑠)、サッカー選手を断念したナツキ(櫻井海音、幼少期:中村龍太郎)、病気がちなハルヒ(井上祐貴、幼少期:白鳥廉)、手先が器用な工作部員・ユキオ(椿泰我、幼少期:松野晃士)の4人だけだった
その魔法は「命にまつわることには使えない」という禁忌があり、それを行うと村に不幸が訪れる、という
また、魔法を使った者は、すぐに魔法の書という本にそれを記す必要があり、この伝統はかなり古くから続いていたことがわかる
物語は、4人で話し合いながら「何に使うかを考える」というシークエンスがあり、自分のために使いたいナツキは、自分の人生をリセットしたいと考えていた
それは、彼の父・カズオ(阿部亮平)がくも膜下出血によって仕事ができなくなり、サッカー選手になる夢を諦めざるを得なくなっていたからだった
だが、ハルヒは誰かが幸せになるために使ったほうが良いと考えていて、半ばケンカのようになってしまうのである
禁忌としての「命にまつわるものには使えない」というものがあって、それによってハルヒが使える魔法は限られていた
自分が生き残ることで村に不幸が訪れることは耐え難いことで、それならば誰かを幸せにする方が良いと考えていた
それが彼の決断であり、多くの村人たちがこれまでに同じような願いをしてきたことがわかる
唯一、自然を壊すことになったダム事業も、地元の建設会社の社長であるユキオの父・エイジ(カンニング竹山)が「他人に無茶苦茶にされるぐらいなら自分たちでやる」という覚悟があったものだった
なので、それが他の町で良からぬ噂になっていても、村人はそれを理解しているので強く生きていける
映画は、涙腺崩壊系の作品で、彼らの健気で純粋な想いには心が洗われる感じがした
「魔法を使って後悔しない」という先にあるのは、自分にまつわることには使わないというところに通じていて、アキトはそれが感覚的にわかっていたのだと思う
魔法を使ってズルをしたところで、未来永劫その魔法が続くとは限らないし、仮に世界的なピアニストになって認められたとしても虚しさが募ることは目に見えていた
自分の実力でどこまで行けるかを見届けるためには、その道でもがくしかなく、それを他人がどうこう言う資格はないと思う
だが、外因的なもので夢を諦めざるを得ないナツキとしては、その環境が与えられているだけで自分の人生は詰んでいると考えてしまうのである
映画のラストには、魔法を使ったものだけが読むことができる魔法の書が登場し、そこにはこれまでに同じような魔法を使った人々の言葉が掲載されていた
アキトは犯人探しをしないキャラだが、誰かしらはナツキの父が書き込んだ禁忌というものを見たのかもしれない
だが、アキトの言うように、不幸とは思い込みのようなもので、それが本当に魔法によって起こったのかは立証できない
それでも、禁忌を犯したことは本人だけは知っている(この場合は妻もかもしれない)ので、それを背負って一生生きていくことも辛いように思う
ある種のテツ爺による言葉の縛りの類だと思うものの、それを確かめることもできないので、起こったことをどのように捉えるかで、村民の心意気と言うものも試されているのかな、と感じた
いずれにせよ、ハートフルな作品で、ところどころ涙腺を刺激するシーンは多かったと思う
設定上、18歳になった男子のみと言うものがあったが、ここを深掘りする人がいてもおかしくないのかなと思う
また、ハルヒの父が魔法を使ったのが18〜20歳の時だとして、その時点でハルヒを身籠っていると言うことになるので、随分と早いゴールインだったんだなあ、とか余計なことを考えてしまった
基本的に、利己と利他の物語なのだが、もし魔法が使えても、自分のために使うと不幸になるように思える
それは、魔法と言う特権がもたらす恩恵に満足できる人はいないからであり、とても些細だけど、価値があると思える瞬間的なものに魔法を使う方が良いと思う
この答えに村民のほとんどが辿り着くと言うのはファンタジーなのだが、やはりこれもテツ爺における思想誘導のように思えるのは心が荒んでいるからなのかもしれません