「壊れ行く家族、壊れ行く国家」聖なるイチジクの種 レントさんの映画レビュー(感想・評価)
壊れ行く家族、壊れ行く国家
79年に起きたイラン革命により西洋文化を排除し厳格なイスラム国家となったイランは国民にイスラムの教えを徹底した。その象徴的なものが女性の髪を覆うヒジャブの着用だ。
すべての女性がヒジャブを着用することでイスラム支配が及んでいることを視覚的にアピールできる、すなわちヒジャブは国民すべてがイスラム支配を受け入れていることを内外にアピールできる便利な代物なのだ。だから政府は道徳警察を動員してまでヒジャブ着用を徹底した。その中で起きた不幸な事件、ヒジャブを正しく着用しなかったとして連行された女性が死亡する事件が起きたのだ。
今までも女性たちによるヒジャブ反対デモは小規模ながら起きてきたが、今回ばかりは国を揺るがすほどの大規模デモにまで発展する、不満を抱いていた女性だけではなく経済制裁で苦しむ国民をも巻き込んで。
79年の革命によって誕生した政権は皮肉にもその革命以来の大規模反政府運動に対して強権的に応じる。多くの拘束した市民をろくな審理もせずに見せしめに処刑した。またデモ制圧のために子供を含む多くの死傷者も出した。
あれから現在に至り革新派の大統領が就任しヒジャブ着用は以前ほど厳しく取り締まれることはなくなったが、いまだイランが政教一致の抑圧的神権政治であることに変わりはない。
もはやイランではZ世代を中心にイスラム教離れが進んでいる。留学に訪れた国々では厳格な宗教の教えなどなくてもその国の国民が幸せに暮らしている姿を目の当たりにしてイスラムへの懐疑心が生まれている。また何よりも若い世代は家父長制やら男尊女卑を内容とするコーランに拒否感を抱く。もはや西洋化は止められない、西洋化は自由平等を意味するからだ。イスラムによる強権的支配は長くは続かないだろう。
政府の公職に就くイマンの家庭は典型的なイランの家父長制の家庭だ。敬虔なムスリムである父親のイマン、夫である彼を支える妻は娘たちに父を敬うよう常に言い聞かせる。かつて日本のどこにでも見られた家庭の姿がそこにはあった。日本も戦前からの家父長制の名残が戦後しばらく続いた。
家長であるイマン自身が家父長制のイスラムの教えに縛られていることを象徴するシーンがある。浴室で妻が彼の整髪を行う、綺麗に整えられる彼の髭はムスリムの証でありイマンがイスラムの戒律に縛られていることを暗示している。そしてそれが彼を破滅へと導いていく。
イマンの昇進を機に家庭にも変化が訪れる。イマンは予審判事に昇格したとたん審理もまともに行われていない死刑執行の書類に署名を命じられる。出世と自分の信念とのはざまで苦悩するが、彼が昇格したのがまさに反政府デモが激化した時期であり政府による見せしめの処刑が次から次へとおこなわれた時期でもあった。彼は悩む暇もなく署名を強いられ罪悪感に苛まれるが次第にその感覚は麻痺して行った。
そんな最中、護身用に支給された拳銃が家から消えてしまう。どこかに置き忘れたのかどんなに探しても見つからない。出世どころではない実刑にあたる致命的ミスである。最初でこそ家族を疑うことを嫌った彼だが次第にその疑いの目を家族に向け始める。
彼には少なくとも二度の選択の機会があった。信念を曲げてでも死刑の署名をするかそれとも出世をあきらめるか、家族を信じて拳銃をなくしたことを報告して出世をあきらめるか。
拳銃が見つからずすべてを失うと恐れた彼に対して妻が言う、私たち家族がいるではないかと。このとき彼は家族を選ぶべきだった。しかし彼は出世を選んだ。出世はすなわち政府への服従を意味した。
拳銃を隠し持っていたのは次女だった。もしイマンが家族を選び家族の声に耳を傾けていたらこのようなことにはならなかっただろう。
護身用に渡された拳銃は力による抑圧、国家権力を象徴するものだ。それをイマンはうかつにも家庭に持ち込んでしまった。家庭に国家を持ち帰ってしまったのだ。
反政府デモに対して国家は言葉ではなく力で押さえ込もうとした、多くの市民を虐殺した。これが独裁国家の姿だ。その象徴である拳銃をイマンは家庭内に持ち込んだのだ。次女の行動は国家に対する抗議行動と同視できる。家庭に拳銃はいらない、私たち家族との会話を大切にしてほしいという彼女のサインだった。イマンが家族を思い何よりも家族を優先していたならその次女のサインに気づけたはずだった。しかし彼は家族よりも出世を選んだ、家族との会話よりも国家に従うことを選んだのだ。本来家族を幸せにするための出世の道、目的と手段が逆転していたのだ。
多くの死刑判決に加担したイマンも国家の犠牲者である。彼の篤い信仰心を利用して従わせようという国家体制の下では彼はがんじがらめにされて機密扱いの自分の仕事について娘たちに話すこともできない。自分のつらい立場を理解してもらうこともできないのだ。国家にどっぷり浸かってしまった彼を娘たちは国家と同じだと感じる。そんな父に昔の彼に戻ってほしいという思いから次女は拳銃を隠したとも考えられる。家族間の対話をも奪い家族を崩壊させた国家体制がなんとも罪深い。
家族を信じられなくなったイマンの暴走はもはや止められない。国家が市民を拷問するように彼は家族を監禁し拳銃の在りかを聞き出そうとする。
逃げ出した次女が姉や母を救出し追ってきた父に銃を向ける。暴発した弾丸が父の足元の床を打ち抜き父は生き埋めとなる。
そこは何千年もの歴史を持つイランの古の遺跡だった。古き戒律に縛られた父親が遺跡に埋もれて死に、未来を担うであろう娘たちと母親が生き残った。まさに古き宗教的戒律、家父長制からの解放を象徴する結末だった。
古き宗教的戒律に縛られた家庭は崩壊し女性たちは自由の身となった。古きイスラムの教えに縛り付けられている国民もいずれは解放される時が来るだろう。
聖なるイチジクの種、それは発芽すると根を他の木の根に絡みつかせて締め上げながら成長するという。国が力により国民を押さえつけるという考えに縛られたらその考えは国を覆いつくすだろう。国は独裁国家となりやがては崩壊する。家長がその権威により家族を縛り付けようという考えにとらわれてしまえばいずれ家庭は崩壊するように。
これは素晴らしいレビューだとは思いますが、オヤジなりの家族のために身を粉にしていて、本来持ち合わせていない女性のような細やかな感性をみせただけで、オヤジは理解がないだけというのはあんまりだ。そういう感性がない男性には分かる領域のところで伝えるべきだ。
盗みを働き、嘘もついてオヤジを出し抜こうとする女性の男性をバカにした態度だ。
はじめからオヤジの家族を守りたいという思いを踏みにじるような嘘をつかなければ、オヤジをこんな狂ったバイオレンスマンにさせることはなかった。
そうさせるまでオヤジをコケにした次女の罪は重い。
身内を怒らせて、殺してるだからね。
私はセリフの翻訳を気にしてばかりの、意地の悪い、非常にもったいない見方をしているのですが、ご指摘の通り、この作品は隠喩にあふれた作品ですので、終盤の舞台がテヘランという都会でなく、古代の遺跡であることや、娘が銃を盗んだ動機を語らなかったことにも意味があると思います。レントさんのコメント読んでいて、目から鱗が落ちる思いでした。ありがとうございます。
イランという国については、レビューに書かれている通り、イスラム革命後はイスラム国家となり、イスラム的価値観で国家運営をしていることから、近年では若者層がイスラムに対する嫌悪感を持つようになり、無神論者も増えたそうです。
イスラム革命前のシャーの時代には、これとは逆に、思いっきり西洋化に舵を切っており、公の場ではヘジャーブを禁止する政策を行い、イスラムの伝統を守りたい一般大衆からは政府に対する不満が高まったとか。
そのような点を踏まえると、個人的には宗教が問題というよりは、ひとつの価値観のみを是として、他の価値観を全く認めない全体主義的な考えた方が問題なのかなと思っています。
イチジクの種が現政権を枯死させた場合、新たにできる政権がまた別の全体主義的な国家でないことを願います。
🔺正山小種さん、速い!ありがとうございます。
レントさん、そのようなことでございます。早とちりですみませんでした!でも一番目のエピソードは映像だけで充分に怖さが伝わってくると思います!
talismanさんのレビューに「悪は存在せず」をyoutubeで見たと書いた者です。
私がyoutubeで見た動画は、日本語や英語の字幕がなく、ペルシア語の字幕が自動生成されるだけのものですので、ペルシア語が分からないと意味のない動画です。誤解を生むようなコメントをして申し訳ありません。
コメントありがとうございます。宗教と男性上位はもれなくついてきますね。宗教と対立したり協同する世俗権力も男中心世界だからでしょうか。権力欲、嫉妬、承認欲求が殊更強いというハンコが男性にペタッと押されているみたいで気の毒にも思います