雨の中の慾情のレビュー・感想・評価
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滅茶苦茶な展開ですが俯瞰でそれらを味わっていただければ
昔の邦画のようなタイトル「雨の中の慾情」が画面一杯に出、のっけからタイトルそのまんまの土砂降りのなかでの欲情をモノクロで描き出す。日活ロマンポルノの雰囲気を湛え、雷が鳴ってるから金具は危ないと言って、女を次々と裸にしてゆく。何故か訳もなく女はそれに従い全裸になってグチャグチャの田圃を全裸男と走り回り、男が前のめりに倒れた跡には奇妙な「穴」が田圃に残っているなんて、笑ってしまう。でバックから・・って、ドロドロのベタベタのオンパレードが始まる。
欲情でなく慾情って、調べたらほぼ同じ意味なんですが、ある対象物を欲しがるこころだけでなく、何かをかなり強く欲する心理状態だとか。要するに貪欲に求める意思が強いってわけ、何をって、ほぼ性愛をでしょうね。ですから雨の中でも土砂降りの最中でも、そして戦争の最中でも「慾」しいのが本作です。「愛のコリーダ」のようですね。
巷、有名なつげ義春の原作を基にですが、正直彼の漫画は読んでいません、私。その独特の不条理はこれまでの映画化作品で知り得たのみ。「無能の人」「ゲンセンカン主人」などで論理より感性優先の空気感だけは把握しているつもり。ですが、本作程に「義男」ワールドを拡張し自由にイメージが展開する映像化作品は初めてです。当然に訳が分かりませんが、ストーリーなんてどうでもよろしい。陽の当たる安アパートの棟から左にカメラがパンしたら、怪しきピンクのライトが灯いた戦時中の慰安婦の館になるなんて、クレイジーですが凄いじゃないですか。古典的映画のカール・テオドア・ドライヤーや「第七の封」や「沈黙」の頃のイングマール・ベルイマンすら思い出させる、理解の追いつかない不安が快感に転ずる心地よさを味わってしまいました。
アングルの名画「グランド・オダリスク」よろしく大きな尻を向けた全裸の女がベッドに横たわる。台湾人である福子である。映画は義男の妄想の中で活きる日本人の福子に義男自身が振り回されるお話。義男は咄嗟に鉛筆でデッサン画を仕上げる、本作の全てはこの画に収斂する。福子が主人との関係を問われ「尻の穴を舐め合う仲」と答える程に激しい性愛の世界。時は、あの青いクルマの雰囲気から1970年代か? しかし日中戦争の生々しさが唐突に侵入してくる。義男の劣情を刺激する男が2人登場する、伊守と尾弥次である。ほとんど受け身の義男を振り回すのが彼等の役割で、逆に言えば義男のイノセントを際立たせもする。
そんな男を成田凌が演ずる。痩せて華奢な成田にこの性愛が務まるのか?がポイントでしょうが、この被虐のスタンスがぴったし成田にはまっているではありませか。かねてこのモデルあがりでお調子者の都会っ子風情の役者が実は天才肌のパフォーマーって判ってから、そのギャップを面白がってましたがね。周防正行監督作「カツベン!」あたりからそう思ってまして、「窮鼠はチーズの夢を見る」での彼は演技を超えてその存在感だけで魅せてましたね。そんな成田だからこそ、この漠とした映像を通してイメージが繋がるのです。もし、鈴木亮平とかでしたらまるで違った作品になってしまうでしょう。暖簾に腕押しって言葉がありますね、鈴木亮平だったら真正面から受けてしまうが、成田凌はサラリとかわす、そんな違いが本作には必要でした。
そして全編台湾ロケの効果が凄い、戦闘シーンの激しさだけでなく、海岸線の浮遊感、豪華お城の威圧感、なにより広東語を交えたややこしさが、アジアを制圧した旧日本軍のカオスを呼び起こす。片言の日本語に含まれる疎外感が孤立を深めてゆく。
ただ、冒頭土砂降りの全裸の男女が滝で体を洗うロングショットですらボカシを入れなきゃならないの? ハリウッドの名優ウィレム・デフォーですら、エマ・ストーンはもちろん正面からの全裸を晒す時代ですのに。それを見せたいわけではサラサラなく、激しいFシーンとてあくまでも演技なんですから。却ってボカシは厭らしさが募ります。
地続きの記憶、夢。人間の思念をそのまま映像化するとこのようになる。
大変面白かった。
まず、つげ義春さんについての個人的な思い出から。1990年代のはじめ頃、私はあるメーカーで広告宣伝の制作をしていた。新聞広告で挿絵として漫画を一コマ使う企画があり最初は楳図かずおさんの絵を使ったところ、新聞社に掲載を拒否されてしまった。そこで代わりに代理店が見つけてきたのがつげさんだった。つげさんは、当時、体を壊しており漫画はもう描けないということだったが一コマだけの仕事なので無理を言って引き受けてもらった。ギャラも悪くなかったせいかつげさんにも喜んてもらい「無能の人」の単行本にサインをいただいた。つげさんのサインはかなり珍しいと後で聞いた覚えがある。
つげ義春の作品は昭和30年代終わりから50年代初めぐらいまでにほとんどが描かれており、つげにとっての「現代」というのはそのあたり昭和の中期を指す。この映画が台湾ロケを行ったのはもちろんその昭和感が欲しかったから。結果としてはむしろ戦前な感じ、無国籍感が漂う不思議な印象の作品となった。でもCGで作られた三丁目なんちゃらよりはるかに良い。
台湾ロケはこの映画に太平洋戦争時の兵士と、従軍慰安婦のプロットが組み込まれる契機となったらしい。
つげは1937年生まれなので従軍経験はない。師匠にあたる水木しげるの経験や作品が色濃く影響していることは確かだが(兵士である義男は片腕を失う)ここは台湾をはじめとするアジアの土地の記憶が流入していると思われる。
主人公たちが「北」から「南」へ行くところは現代朝鮮のようだし、森田剛演ずる伊守が南で住む宮殿は満洲国を反映しているようだ。なかなか複雑な構造なのである。
だからそれら土地や戦争の記憶と、「現代」に生きる漫画家義男(言うまでもなくつげ義春の分身)の記憶が二重写しになりながら映画は進む。ここには前後関係はない。そして上下関係もない。プロレビューの筆者が「戦争で死にゆく兵士が見た夢」と断じていたが私はその解釈は採らない。人間の記憶は、社会の記憶とも混ざり合いながら、夢も現実も含めて地続きとなったものだから。この映画はその様相をリアルに見せているのである。
主体は義男であるところは間違いがなく、これは義男がミューズである福子を追い求める話でもある。なんともロマンティックである。そこはつげ義春らしくないといえばそうだけど。
癖が強いのじゃ!
これから貴方を埋める穴を掘ります‼️❓きゃー‼️❓
【つげ義春の同名漫画を冒頭に描き、その後幾つかの短編を絡ませて制作したエロティックラブストーリーが、次々に場面転換するシュールな作品。嗚呼、クラクラするよ・・。】
ー 非常に、クラクラする作品である。
今作は、つげ義春の幾つかの短編・・「夏の思い出」「隣の女」「池袋百点会」(私が分かったのは、これ位です・・。)を絡ませて描いているようである。ー
■売れない漫画家の義男(成田凌)は、大屋(竹中直人)から引っ越しを頼まれる。自称小説家の伊守(森田剛)と三人で向かった家で、喫茶ランボオの義男が想いを寄せる福子(中村映里子)と会う。
後日、伊守と福子が義男の家に乗り込んできて、夜イキナリSEXを始める・・。
◆感想<Caution!内容に触れています。>
・冒頭の”雨の中の慾情”シーンから始まり、その後、どうすんのかなあと思っていたら、次々に繰り返される場面転換により、ハッキリ言って何が何だか分からない。
・イキナリ、戦争シーンが出てきたり、伊守が小説のネタを探しに居なくなったと思ったら、隣町の大富豪の入り婿だったり、嗚呼、クラクラするよ。
・そして、随所で汗っかきの福子と義男はセックスするのである。多分、義男の妄想であろう。義男が福子の事が好きなのは序盤に描かれるし、漫画でもそういう短編があるよね。
<つげ義春の漫画独特のシュールレアリズムを取り込んだ幻想耽美な世界観は、ナカナカであるが、かなーり難解であり、且つ、つげ義春の漫画が好きでないと、結構キツインジャないかなあ、と思った作品。
けれども、お客さんは私の居住区としては中入り位の3割の入りであったし、途中退出人も居なかったな。皆さん、出演者の誰かのファンか、つげ義春のファンかな。
あの、繰り返される戦争のシーンや、子供のつむじから注射で液を取り出すシーンや、それを海から来た二人の外国人が買うシーンなんかは、「ねじ式」を代表とするシュールな世界観は出せていたんじゃないかな。じゃーね。>
台湾好きには良い映画
予告もよく見ないで出演者ど台湾の話ということで鑑賞しました。
台湾なのか満州なのかは分かりませんでしたが、アジアの町の雰囲気が味わえて良い。主役の3人も良いのでファンは見ると良い。
現実と夢の中?が分かりにくく、いったりきたりするので混乱します。途中から、「そういう事か」となるところはとても見ていて気持ちが良い。
ただ、やっぱり分かりにくいかな。
文学作品と思えば分かりやすいのかな。
旧日本軍の表現が怖い。
台湾の話なので台湾の人から見るとそうなのかと嫌になる。ただ、見終わってみると、日本人原作の日本人監督とのこと。なんか複雑。
ファンタジーというか、夢の中物語というかんじもするけど、切ないラブストーリーにも思える。
独特な雰囲気の複雑な映画でした。
90分くらいが良かったかな
日中戦争。。夢 幻覚 妄想。。。
台湾ロケ大成功過ぎ…
一炊の夢の如し
『つげ義春』の短編〔雨の中の慾情〕と、
それ以外の幾つもの作品を取り込んで一本の映画に仕立てている。
基本『義男(成田凌)』と『福子(中村映里子)』の物語りも、
そこに友人で作家志望の『伊守(森田剛)』と
松葉杖をつく大家の『尾弥次(竹中直人)』が絡む。
『義男』は夢から覚めると、
見た記憶を基に売れない漫画を描く。
『尾弥次』はそんな彼にトラック運転のアルバイトをさせ、
『福子』と出会ったのも、行った先の家でのこと。
『伊守』は『福子』と懇ろになるが、
商売に失敗し、彼女を捨て街を出て行ってしまう。
彼らが住むのは、検問所で南北に分断された国。
「南」は富む一方、「北」は貧民が住む。
『尾弥次』はそこで子供を集めて脅かし、脳髄を吸い取る怪しげな商売をしているが、
その関係で「南」とも行き来でき、
三人は『伊守』を探すため、「南」の地を訪れる。
と、ここまでは、寓話的ではあるものの一貫性のある流れ。
が、以降は語り口が激変する。
今と未来と過去、夢と現を垣根無く往還し、
何が現実で何が妄想なのかも判然としない。
原作を複数取り込んだことが要因ではなく、
入れ子構造を意図的に狙ったよう。
ある時には『義男』は『福子』と子供を持ち、
幸せな家庭を築いている。
が、庭で遊んでいるハズの子供を探して振り返れば、
そこに片腕を失くした軍人の姿を見る。
次の瞬間『義男』は、片腕・片足を失くし、
股間をも傷つけられた傷病兵として
病院のベットに横たわる。
舞台はどうやら、第二次大戦中の
中国東北部の戦場に転移したよう。
そこでは『伊守』は『義男』を気遣う戦友。
『福子』は慰安所で働いている。
こうした時空の激しい変転を受け入れられるかが、
本作の評価のキモだろう。
頭で理解しようとすれば追いつかず、
あくまでも監督の仕掛けた激流に身をまかせるのが吉のよう。
目覚めてのち描かれる漫画は複数あり、
冒頭エピソードの文法からすれば、
直前の挿話は全て夢の中の出来事となる。
いや、本当にそうだろうか?
『義男』の語る物語りとして観て来たものの、
最後の場面を観た後では、それすらも懐疑的になる。
監督の『片山慎三』のフィルモグラフィーを確認すれば、
助監督時代の作品を含め過半を観ている計算。
しかし本作、過去作のいずれとも異なる作風で
「R15+」のレイティングを纏い、
『大林宣彦』があの世から舞い戻って来たのかと思った。
何を見せられているのか…。映画の日としてはさすがに。
今年423本目(合計1,514本目/今月(2024年12月度)1本目)。
※ (前期)今年237本目(合計1,329本目/今月(2024年6月度)37本目)。
映画の日といえばどなたでも(特別上映等除き)1000円という特別な日ですが(もっとも私は重度身障なので常に1000円で見られる)、さすがにハズレくじを引いたなというところです。
舞台は架空の日本、大正時代から戦中が想定されています(旧体字や「右から読む字」などの存在)。それらと「子供への薬物投与」「中国(台湾?実はエンディングロールは台湾協力なので台湾出兵か?)出兵」、そして「R15とは思えないアダルトシーン」というこれまた脈略がまるでないので困ったところです。
特にアダルトシーンに関してはモロに本番行為な上にモザイクもかかるという、R15でいいのレベルの内容だったりします。この点、「他の論点」がなければ実質的に「成人映画館」の扱いでありそれらを専門にする映画館もありますが(大阪でも東京でも、地方都市でも色々)、この映画は上記のように「いろいろな話題を扱いつつ」もそれらが時間差で色々出てくる(時間軸が複数存在する?)という関係で「他の見所」が探しにくく、実質的に「これは成人映画館の放映ですか?」みたいな状態になっているのアレかな(行為自体は5回以上、モザイクも3回以上出てくる)というところです。
かつ、原作小説・ドラマ等がないようで(ただ、台湾の方が多く出演されているので日台合作オリジナル映画?)、その観点からもみにくい一方、台湾(あるいは中国)出兵を想定させるシーンもあり、特に台湾に関しては「戦中の日本の扱い、賠償」と「映画などでの交流」は「別扱い」という立場を強くとりますが、そうすると「日本の出兵を描く映画、あるいは、台湾側からみた日本の侵略の在り方」という観点でも見るのは無理で(ほかにワクチンネタやら、雑誌作成ネタ等が出てくる)、結局「何を見せられているのだろう」という点に大半尽きる気がします。
あまりにストーリーがあっちこっち飛ぶので(最初の「行為」は最初の3分くらいで出てきて、ここから架空の国やら出兵やら出てくる)、「チョイスした映画がこれでいいのか」とこのようなサイト(評価サイト等)を確認されるためにスマホを使われている方も一定数いらっしゃいましたが、もう仕方なしという印象です(正直、成人映画館が移転してきたのかというくらいにヘンテコ)。
採点に関しては以下まで考慮しています。
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(減点0.8/人によってかなりの不愉快さを覚える)
ここは個人差もあろうかと思いますが、ほぼ限りなく「成人映画館でやるべきでは」というレベルにきついので(しかもR15で通った理由も謎。16歳や17歳がこれ見ていいんでしょうか…)、さすがに何らか配慮が欲しかったです(少なくとも当該シーンが等も出て、しかもモザイクがバンバンかかるのって、2021年ごろ(私がここでレビューをかきはじめたころ)の「DAUナターシャ」レベルにヘンテコです)。
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期待度○観賞後の満足度◎ もろ「ザ・昭和」の題名(つげ義春作品だから当然だか)だけれども、『海の沈黙』や『正体』で消化不良となった眼にはこれぞ「ザ・映画」。
①キーワード:“眠らないよ、眠ったら起きちゃうもの。”
②成田凌もだんだん大人の役者になってきたね。
③「夢」の中ではそれが「夢」だとは思っていなくてそれがリアルだと思っているよね。すんごく離れている町なのにちょった歩いていて其処に着いたり、突然目の前に川が出現してデカイ魚が泳いでいてもいつの間にかそれが普通と思ったり(しかも知らぬ間に足浸けてる)、知らぬ間に知らぬ筈の町に来てもいつの間にか何度も来ている町で向こうの角の先に何かあるか何故か分かっていたりこの道がどこに続くか分かっていたり、学生時代の友達が会社にいて同僚として一緒に働いても全く自然に思っていたり、好きだった人を突然思いもしないところで見かけたり、前に「夢」の中で訪ねたところをいつの間にか再訪していたり(道とか店とか事務所とかどこで電車を乗り換えたらよいかも日常生活みたいに知っている)、“あっ、今のは「夢」だった”。と起きたつもりが実はまだ別の「夢」の中だったり、何故かこれは「夢」だと分かっていてしかもこの先嫌なことが起こるのが何故か分かるので“起きなきゃ!”と必死の思いでその「夢」から覚めたり=起きたり、まだまだ数えきれなくあるけれど、まあ今ポーッと思い出せる自分「夢」の残像はこんなところです。
④そんな「夢」のあわいを次々と移り行く映像で綴っていく映画。現実は漫画家になりたかった兵隊の自分と戦地(?)で知り合った現地の女とのかりそめの情事だろうけれど、そんなことどうでもよいように思える不思議な映画体験である。
⑤でもボカシはそろそろ止めてほしいよな。
どれが夢やら現(うつつ)やら
今日は調子悪いだけ
つげ義春ワールド
長え😅
日台合作なのね…
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