雨の中の慾情のレビュー・感想・評価
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最初のエロがピーク
2024年劇場鑑賞319本目。
土砂降りの雨の中、バス停で雨宿りしていると雷に異常に怖がる女性。「金属製の物外さないと危ないですよ」と男性。そのボタンも、そのブラも、と言われるがままに裸になっていく女性。なんで胸隠さないん?バス停にも金属が使われていたのでバス停から離れる事になるパンツ1枚の男女。田んぼでお尻突き出して転ぶ女性。いやもうこれはムラムラせずにいられないでしょ!って何のAV?(笑)
その後もボカシ入りのエロシーンが何度か出てきますが一番エロかったのはやっぱり冒頭のシーンですね。
エロのピークが最初だったので、後はいつの時代か、国も日本とは単純に言い切れない不思議な世界観で、後に色々展開があって筋は通るのですが、その種明かしが早いというか、いつ終わってもいい状態が三十分くらい(時計見たわけじゃないので体感ですが)続くので蛇足でした。
奇妙な映画体験がクセになりそう
主演と監督、原作者くらいだけ知ってる状態で鑑賞
中盤以降の展開は最初こそ戸惑いましたが、各世界観のディテールを見るとなんとなく整理できるため、自分の解釈があっているのなら、現実パートはごく一部。大半が夢や妄想のようなものとしても、そこで描かれているものはところどころで「現実パート」とも薄くリンクしているため、作品トータルとして見せたいものは伝わってきます。
戦中期の占領地のものと思われる日常描写や戦争描写も、台湾で撮影することでより味わい深いものになり、全体の幻想的なイメージをより高めてるのでしょう。
変な映画といえば変な映画ですが、提示された世界観はかなり好きで、機会があればまた見てみたい作品です。
役者の無駄使い
つげ物とは大分異なる
人間の営みの喜劇性
愛の映画でありながら、それに絡めて戦争を美化したり、悲劇一辺倒に描いていないのが新鮮で素晴らしかったです。
どんなに厳しい追い詰められた極限状態にあっても、
慾情に揺さぶられてしまう滑稽さ(喜劇)が同居しているのは、
リアルな人間像だと感じました。
美しい配色の画面、
切れ目なく舞台転換するカット、
時間軸も含めて夢と現実が頻繁に交錯する構成、
そしてなにより、たくさん出てくる戯画的、幻想的な表現が
映画の世界観と適合して、強く心を揺さぶられました。
ラブシーンも変な艶っぽさは少なく、
ときに戯画的で、本能にしたがう動物的な大らかな表現が印象的です。
全体に癖の強めな、少し不快感さもある濃厚な表現の中、
夢に溺れそうな状態で観ていましたが、
成田凌さんの一服の清涼剤のような爽やかさに悲しみ(雨)や純愛が現実であってほしいと強く思わされました。
映画表現の潜在力をまざまざと見せつけられた時間でした。
無理に何かをわかろうとする必要はない
つげ義春は60年代後半から70年代にかけ当時支持されていたので「ねじ式」「紅い花」「ゲンセンカン主人」等を貪るように読んでいた。その単行本やGAROは私の本棚からはとっくの昔に消えていた。「雨の中の慾情」は80年代の作品だと思うが記憶の片隅にあるのできっと読んでいたと思う。つげ作品=シュールリアリズムと位置付けられていたので、何処までが夢でどこまでが現実かがわからない作品も確かに多い。
この「雨の中の慾情」もつげ義春の夢をそのまま描いた作品であり、映画でもそのように描かれているが、それ以外は片山慎三監督の脚本で壮大な夢と現つの世界が繰り広げられる。
最初、日本にこんなところはないなぁと無国籍な街並み観ていたが、台湾でのオールロケと知ると納得した。確かに台湾には何処か懐かしい日本がある。
前半はのほほんとした雰囲気の異世界かと思いきや後半はいきなり戦火にまみれる泥々のシーンがインサートされ、と思ったら濡場の連続に、、。全部が夢なのか?戦争とラストシーンだけは現実なのか?訳はわからないが、解釈は観客に委ねているのだと思う。
商業映画としては無理がある作品だが、普通にシネコンで公開できて良かったと思います。
若い片山慎三監督。ポン・ジュノ監督の下であの「母なる証明」の助監督をした経験もあるとのこと。次回作も期待しています、。
台湾の風景と、つげ義春は相性が良い感じ
昔、台北に行ったときに、目医者の看板にずきゅんと心を射貫かれて、ネジ式っ!と興奮したことを思い出しました。
本作の台湾の街並み、田園風景全てよく、夢の中の雰囲気にはピッタリだと思いました。
私はつげ義春と同郷の葛飾出身。
今の葛飾は全く違いますが、子どもの頃(5歳以下)に見た景色は、マンガその物でした。
メッキ工場の廃液とか、ドブ川にガンガン流れているような、そんな景色。
あのニオイは今も思い出せます。
なので、この映画の中の台湾の街並みは、子どもの頃の葛飾に近いような気持ちにもなりました。(当時の立石の飲み屋街はお店にトイレがなくて、ヨシオが歩いていた商店街の路地のような薄暗い共同トイレだった記憶があります)
あと、テンションが上がったポイントとしては、ヨシオが入院していた病院の階段!
「ゴールデンカムイ」のドラマ版で、第七師団を率いる鶴見中尉がいた階段じゃないですか!
「ゴールデンカムイ」の時は、階段の踊り場の床が結構、汚れていて、ロケの時に汚しを入れたのかなと思っていましたが、「雨の中の欲情」でも同じような汚れ具合だったので、そういう場所なのね、と理解しました。
あの階段はどこなんだろう?行ってみたいなぁ。
台湾のロケ地巡りもしてみたい。
福子の乳首と、ブラのホックがちゃんと留まっていない感じは、女の私もエロさを感じました。
つげ
ホラーは嫌いだけどグロは好きです💜
エログロはもっと好き😂
原作未読(▶漫画らしいので今度サクッと読んでみたい)
どなた様かのレビューで拝見した「箱男より難解」の言葉にあたしごときの頭で理解なぞできるはずもない!と半ば諦めつつ鑑賞してみたけど、頭でなく心で感じたら好きな作品だったー☺
「さがす」で感じた胸糞感は本作では感じられず、片山監督は毎度胸糞を盛り込んでくるわけではないのだと少々残念。でもエロとグロはしっかり。全体的な世界観はヘンテコな世界。(最近ヘンテコ世界の映画やたら多くない??)
残念だったのは福子を演じてた女優さんが佇まいこそ色気満載だったのに、濡れ場になるとモザイクの有無に関係なく途端に嘘くさくなってた点。
いや、違うか。
森田剛との絡みでは嘘くささを感じなかったから、あれはムッツリ男子「義男(≒つげ義春)」の経験の少なさからくる拙い妄想の中での福子だからあり得ない嘘くささがあったのかな。だとしたら凄い女優さんだー。
あのモザイクも妄想ありきの義男さんにはリアルが細部まで分からないから妄想上でもモザイクで誤魔化してたように思えて個人的にはとってもよかった🎶
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と、上述の通り作品自体はヘンテコで好き、エロは見せ方は好きでもさほどエロくない、と思っていた私ですが、お隣りに座っていらしたオヤジさんは様子が違うようで……
福子の肌色が見えるたびに身を乗り出して全力で前のめりになって食い入るようにガン見。そして濡れ場に入っていくとサワサワとお洋服の上から洋服の上から“ご自身”を触っていらっしゃる……
こーゆー映画でこーゆー下世話なおっさんによく遭遇しますが、本気でやめていただきたい。なんなら「この女、隣にいて邪魔だな」くらいな感じで周りのことなど気にせず振り切ってサワサワ。マジでキモい…。以前、別の映画で遭遇した“ご自身”直触りおじさんに比べれば幾分かマシか……とは到底思えず、ピンク劇場と違うんだから何を勘違いしてるのかちゃんと座って大人しく見てもらいたいもんです💀
おかげで気分は最悪で帰るはめになった月曜日😭😭😭😭😭
エブエブ現象再来
天然色版つげ義春世界!
アンチ・ロマンの極北
プロローグからして猿の交尾のシーンが挿入されていたのをはじめ、序盤から観客を幻惑させる物語でした。物語がスタートして最初のシーンも、主人公・義男(成田凌)がバス停らしき場所で女と出会い、雷雨の中で徐々に服を脱いでいき、やがて2人が田んぼの真ん中でセックスを初めるんだから、訳が分かりません。
そんな謎めいた雰囲気で始まった本作、初めは昭和中盤頃の日本の何処かのお話かと思って観ていたものの、一部の登場人物の言葉遣いが日本語のネイティブスピーカーのそれではないらしいことが分かり、また場所についても、”北町”とか”南町”という話は出て来るけれども、具体的な所在も不明なまま。そのため、度々セックスシーンが出て来るものの、その不安定なシチュエーションのせいであまり”慾情”を掻き立てられることはないままに物語は進んで行きました。
そしてそんな不安定な状況は、この物語の大半が、主人公・義男(成田凌)の夢だったことが分かり、ようやく氷解するに至りました。結果夢オチだったんだなと了解し、間もなくエンディングかなと思っていたところ、実際はその後も夢と現実を行き来するシーンが延々と続くことに。夢オチで終わるならまあ何となく許容出来たのですが、さらにしばらく物語が続いたせいで、正直飽きてしまいました。
無理矢理まとめればアンチ・ロマンの極北にある作品ということになり、理解する努力は不要なのかも知れませんが、最後まで”?マーク”が頭の中に浮かんだ作品でした。
そんな訳で、本作の評価は★3.0とします。
胡蝶の夢
理解不能あるいは理解するものではない?
夢の中へ~♪
つげ義春の短編漫画(未読)を「岬の兄妹」、「さがす」の片山慎三が実写映像化した作品。ただし、原作は映画の冒頭のみで、あとは他のつげ作品からの引用とオリジナルで構成されているということである。
その冒頭、いきなり異様な雰囲気に引き込まれた。土砂降りの停留場で義男がバスを待っていた女を犯すのだが、シュールで煽情的な光景が凄まじい。実はこれは義男の夢だったというオチが付くのだが、しかしこうした泥臭く劣情的な演出は片山監督の得意とする所であり、その資質が初っ端から発揮されていてる。
以降は義男と伊守、福子の愛憎劇が展開される。義男は福子に中々告白できず、そうこうしているうちに彼女は伊守の恋人になってしまう。やがて3人は共同生活をすることになるのだが、このシチュエーションも中々スリリングで面白く観れた。
そして、ここでも少し不思議なことが起こる。義男が夜の町で、冒頭の夢の中で犯した女に出くわすのだ。ここも彼の夢なのかと思いきや、さにあらず。現実だったということが分かり、いよいよ現実と夢の境目が分からなくなっていく。
極めつけは、義男の大家がやってる裏稼業が判明するシーンである。ここから一気に物語は現実離れした方向へと加速していく。
このように現実と思って観ていたらそれは夢だったという仕掛けが幾重にも張り巡らされていて、観ている最中は混乱させられっぱなしだった。夢から夢へと数珠つなぎで展開されていく構成は、クリストファー・ノーラン監督の「インセプション」のように理路整然としているわけでもなく、何か法則性が決まっているわけでもない。
そもそも夢なんてものは理解しようとしても出来ない代物なので、観てるこちらも一々理由を考えても仕方がないことなのかもしれない。個人的にはラストだけが現実であり、それ以外は全て義男が見た夢の世界と解釈したが、このラストすら現実であるという保証はどこにもない。
そんなわけで、夢の中であれば何が起こっても不思議がないわけで、次に何が飛び出してくるか分からない面白さがこの映画にはあるように思う。まるで”ビックリ箱”を開けるような、そんな感覚で面白く観ることが出来た。
特に印象に残ったのは2点。義男が昼と夜の時間軸を地続きで往来するシーン、殺戮と混沌に溢れた戦場シーンである。この二つは実に大胆な映像で驚かされた。撮影が見事だと思う。
聞けば撮影は主に台湾で行われたということであるが、これが映画に独特の雰囲気を持ち込んでいるのかもしれない。戦後間もない頃の日本に近いが、どこか異国情緒の香りも漂わせ、不思議な世界観が構築されている。おそらく日本でセットを組んでも、この独特の世界観は創り出せなかっただろう。物語はほぼ町の中で展開されるが、個人的には海のロケーションも大変神秘的で印象に残った。
その海には怪しい二人組の白人たちが登場してくる。こうしたユーモアも本作は随所に散りばめられている。片山監督は基本的にシリアスな作家だと思うが、これまでにも時折ブラックでシュールなユーモアを絡めながら、作品のトーンを自在に操ってきた。今作でも幾つかそうしたユーモアが配されている。
ただ、これが片山監督の手癖だと知りつつも、今回に関してはシリアス一辺倒で押し切って欲しかった…という思いにもなった。かつてのATG作品のようなジメッとした隠滅さで攻めれば、更に見応えのある作品になっていたかもしれない。あくまで個人的嗜好であるが、そんなことも考えてしまった。
キャスト陣では、福子を演じた中村映里子の体当たりの演技が実にアッパレだった。
また、伊守を演じた森田剛もアクの強さを出しながら抜群の存在感を見せつけている。
更に、大家役で竹中直人が出演している。つげ義春原作繋がりで言えば「無能の人」を連想したりもした。
この絵、お客さんが描いてくれたのよ
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