雨の中の慾情のレビュー・感想・評価
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相変わらずいい表情するねー
のっけからぶっ飛ばしてくるわ(突き刺してできた穴…)
まさにエログロナンセンス全く月並みでない作品やね。
多分ほとんど理解できてないんやろうな~そう観てる方も何がわかっていてわかってないのかが曖昧、その辺が着地点なんやろうな。すべてをわかろうとするなんて、人間の傲慢ですね(^^;
2024年の日本映画のベストワン候補となる傑作
「何か」が足りない
A274 ガッチャーン、吹っ飛ぶ女 おお!ゴンズ様新記録!
2024年公開
一歩引いていても成田凌カッコええわ
中村映里子ってこんなに艶やかやった?
森田剛、俳優ぽかったよね。
竹中直人胡散臭くていいねえ。
出演者に演技オーラが光っているので
話の筋がぐちゃぐちゃなのは気にならず。
普通に考えると大東亜戦争遠方の国で
現地娼婦と仲良くなり日本に帰ろう
という矢先に負傷。
夢の中でも貧乏生活。
が繰り返される。
夢の中ならもう少し華やかな夢を見たいが。
観衆にえ?いったいどういうこと?
わからんやろ、それが狙いよ
と監督が思っているなら巨匠気どりは
やめてほしいけどね。
60点
初鑑賞 2024年12月13日 イオンシネマ桂川
配給 カルチュア・パブリッシャーズ
つげ義春漫画と映画の根本性の見事な止揚
つげ義春は現実とも夢ともつかない混沌世界を描いた作品を数多く執筆した。『ねじ式』や『ヨシボーの犯罪』、『コマツ岬の生活』、あるいは本作の原作『雨の中の慾情』もそれに当たる。
これらすべてに共通しているのは、現実と夢の間に、あるいは正気と狂気の間に決して境界線を引かないことだ。すべてはシームレスに繋がっている。さっきまで目医者を探していたはずの男は気がつけば機関車に乗っている。犯罪の証拠隠滅に街を奔走していた青年は山中に雰囲気のよい旅館を発見して小躍りする。
原因と結果が論理を媒介することなく結びついている彼の漫画世界は、ある意味で統合失調症的とも形容しうる危うさはあるものの、我々の論理的な思考体系に揺さぶりをかけてくれる。その揺さぶられる快感こそがつげ義春漫画の妙味だ。
以上を踏まえた上で本作についてチョロチョロ書いてみたい。
物語はとある村を舞台に、義男(成田凌)、福子(中村映里子)、伊守(森田剛)の3人の人間関係を描き出していく。義男は福子に想いを寄せるが、友人の伊守が福子とくっついてしまう。福子の媚態を目の当たりにしながらそれをものにできない不能感が逆説的に福子のコケティッシュさに拍車をかける、という官能物語がしばらく続く。
しかし中盤以降、それまでの世界に変調が訪れる。さっきまでラフなシャツ姿で漫画を描いていた義男は、気がつけば軍服を纏って戦争地帯を逃げ回っている。どうやら本作の舞台となる世界は「村」と「戦場」に大別できそうだ。しかしそのどちらが「現実」であり「夢」であるのかはなかなか明らかにされない。
というのも、それぞれの世界が互いに断絶しているわけではないからだ。互いが互いを参照し合い、どちらにも決定的な優位性は与えられない。このあたりはつげ義春っぽいなと思った。ワンショットの中で「村」「戦場」が切り替わるシーンはことさら強烈だった。
村の外れで轢き逃げされたはずの女を見かけ「大丈夫だったんですね」と声をかける義男、唐突に悲鳴を上げる女、カメラが右側にパンすると、逃げ惑う群衆とそれを追う日本兵たちが迫ってくる。さながらテオ・アンゲロプロスやエミール・クストリッツァのような叙事詩的ショットだった。
とはいえ2つの世界の混線ぶりの中に、次第に一筋の最も妥当な「現実」の可能性が浮上する。それは、義男は戦場で少女に射殺され、福子は娼婦のまま義男に再会することができないというものだ。つまり「戦場」が「現実」であり、「村」は「夢」であるということ。
原作であれば何もかもが宙ぶらりんのまま完結しているところだが、そこに敢えて明確な(それでいて内容を著しく毀損することのない)境界線を引くというオチのつけ方に、監督・片山慎三の作家性を見た。片山の代表作『岬の兄妹』が雄弁に語るように、彼の視線は常に突飛な空想の底を走る揺るぎなくどうしようもない現実を眼差している。
正直つげ義春作品なんだから宙ぶらりんのまま終幕してもらった方が原作ファンとしては嬉しかったのだが、それでは映画である意味がない。「現実」と「夢」に明確な境界線を引くという本作の結末は、本作が一個の映画として屹立するための必然性だったのだろうと思う。
思えば石井輝男『ねじ式』は一言一句原作通りに原作を再現しているにもかかわらず決定的に退屈な作品だった。やはり「この世界のどこかに実在しているもの」を撮って繋げるという映画芸術の性質上、現実をまったく無視することはできない。無理やりしようとすれば、それは嘘臭さとして表出してしまう。
本作は「つげ義春っぽさ」を最終的には放棄しているにもかかわらず、つげ義春の映画作品を観たという圧倒的な読後感が味わえる。それは、つげ義春漫画の性質と映画の根本性が見事に止揚された結果だと言える。年末に思わぬ傑作が観られてよかった。
思いがけない傑作
予告編のほうがよかった?
愛と幻想のねじ式
つげ義春が1981年に描いた短編エロ漫画のタイトルなのだが冒頭に繰り広げられるシュールコミカルなシーケンスがその漫画を執筆中の成田凌(義男=つげ義春)の妄想というだけででこれが原作というよりつげ義春的漫画家そのものを描いた愛と幻想のねじ式である。片山慎三監督と撮影の池田直矢のタッグは相変わらず強力で移動撮影が圧倒的に上手く、今回の台湾ロケが「つげ風ワールド」を見事に再現していて角を曲がると一気に戦場へと連れて行ってくれるダイナミズムがたまらない。クリストファー・ノーラン的な時系列行きつ戻りつの中に夢想の過去が混ざって来るので決してややこしくはないのだがややもすると真面目に筋を追う気持ちを失わせる危険な映画である。しかし132分は長すぎでうんざりの一歩手前。戦場との行ってこいをあと一回カットしてくれれば良かったのに。
夢のマトリョーシカ
成田凌推しの方は見るべし!
雨の中の欲情
楽しい作品だが、
「パラサイト」のポン・ジュノ監督に師事していた片山監督らしく、暴力描写や性描写、すなわち人間描写に妥協がないところが好きだ。かつ、色んなテクニックを駆使した撮影・演出でしっかりエンターテイメントになっているところが片山作品の特徴かなと思います。
本作はとてもトリッキーな作りになっていて、これは脚本一体どうなっていたんだと思いましたが、やはりシナハンや現場でオリジナル展開をどんどん足していったようで正直シナリオとしてはまとまりのない作品だったかと思う笑
色んな作風や演出、アイディアがてんこ盛り。
ただし、そこは成田さんをはじめとする役者陣が大奮闘しているのでそれなりに観れてしまう。
死の直前に観る走馬灯のようでもあり、全てが夢でもあるというつくりは面白いし、雨や水道の水が夢の中ではとめどなく流れ出ているのも、欲情に歯止めが効かなくなった主人公の観る夢ということで筋が通っている気もするが、やはりそれに対する戦争パートが欲情を奪われた世界線(こっちが現実)という位置付けになっているように感じるので急にテーマの相性の悪さを感じた。夢と現実が上手く対比になっていなくチグハグな印象を受ける。戦争パート自体の映像はよかっただけ(片山監督による戦争映画が観たくなるほど)に、もったいなく感じた。
前半のあのバス停の映像の力、構図の力がすごかったので、やはり最後もあのバス停をベースに夢と現実の決着を描いて欲しかった。
「さがす」の西成区や本作の台湾の街並みなど古き良き日本の姿というか、一見バラックのような無秩序な街並みに美しさを見出してるところに、つげ義春漫画と片山監督作品との共通点を感じた。
個人的には中盤の西の国で嘘みたいな宮殿で暮らす森田剛演じる伊守の楽しそうな姿が印象に残っている笑
全く中身の無い意味不明の作品
旧態依然の映画ファンには最高
夢のリアリティ
⭐︎3.2 / 5.0
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