雨の中の慾情のレビュー・感想・評価
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相変わらずいい表情するねー
のっけからぶっ飛ばしてくるわ(突き刺してできた穴…)
まさにエログロナンセンス全く月並みでない作品やね。
多分ほとんど理解できてないんやろうな~そう観てる方も何がわかっていてわかってないのかが曖昧、その辺が着地点なんやろうな。すべてをわかろうとするなんて、人間の傲慢ですね(^^;
2024年の日本映画のベストワン候補となる傑作
「何か」が足りない
タイトルなし(ネタバレ)
土砂降りの雨、バス停。
激しい雷雨。
佇む女(中村映里子)。
通りかかった男(成田凌)は、「雷に打たれないためには金物(かなもの)を取ること」と忠告し、ふたりはやがて全裸近くになる。
慾情した男は泥田のなかで女を襲う・・・
それは、夢だった。
夢を見ていたのは、売れない漫画家・津部義男。
隻腕隻脚の大家(竹中直人)から頼まれた引っ越しの手伝いで、義男は夢の女と出逢う。
女は福子という名の未亡人で、いつしか義男の友人で小説家の伊守(森田剛)と懇ろになっていた・・・
といったロマンス含みの幻想譚。
元となったつげ義春の短編のいくつかは読んでいて、前半かなりの尺で描かれる「南町百点」は、ほぼ漫画どおり。
交通事故に遭った女性の下着をずり下すエピソードも漫画に近い。
これらのエピソードがあるので、かなりの可笑しさが加味されているが、全体的なモチーフは「胡蝶の夢」か。
エピローグのみ第三者視点で時制の現在地がわかるわけだが、考察することにあまり意味がないと思わせる作品。
考察は他に譲ることとする。
全編台湾でロケしたことで美術や台詞に幻惑・幻想めいた雰囲気が漂い、もうそれだけで観客を選ぶだろうと思う。
つまり、つまらないと感じるひとには、とことんツマラナイ。
面白いと感じるひとには、とことんオモシロい。
それにしても、いつから、つげ義春が「難解」で「要解釈」な作家(漫画家)になったのかしらん。
『ねじ式』の影響大だけど、ま、それはそれ。
A274 ガッチャーン、吹っ飛ぶ女 おお!ゴンズ様新記録!
2024年公開
一歩引いていても成田凌カッコええわ
中村映里子ってこんなに艶やかやった?
森田剛、俳優ぽかったよね。
竹中直人胡散臭くていいねえ。
出演者に演技オーラが光っているので
話の筋がぐちゃぐちゃなのは気にならず。
普通に考えると大東亜戦争遠方の国で
現地娼婦と仲良くなり日本に帰ろう
という矢先に負傷。
夢の中でも貧乏生活。
が繰り返される。
夢の中ならもう少し華やかな夢を見たいが。
観衆にえ?いったいどういうこと?
わからんやろ、それが狙いよ
と監督が思っているなら巨匠気どりは
やめてほしいけどね。
60点
初鑑賞 2024年12月13日 イオンシネマ桂川
配給 カルチュア・パブリッシャーズ
つげ義春漫画と映画の根本性の見事な止揚
つげ義春は現実とも夢ともつかない混沌世界を描いた作品を数多く執筆した。『ねじ式』や『ヨシボーの犯罪』、『コマツ岬の生活』、あるいは本作の原作『雨の中の慾情』もそれに当たる。
これらすべてに共通しているのは、現実と夢の間に、あるいは正気と狂気の間に決して境界線を引かないことだ。すべてはシームレスに繋がっている。さっきまで目医者を探していたはずの男は気がつけば機関車に乗っている。犯罪の証拠隠滅に街を奔走していた青年は山中に雰囲気のよい旅館を発見して小躍りする。
原因と結果が論理を媒介することなく結びついている彼の漫画世界は、ある意味で統合失調症的とも形容しうる危うさはあるものの、我々の論理的な思考体系に揺さぶりをかけてくれる。その揺さぶられる快感こそがつげ義春漫画の妙味だ。
以上を踏まえた上で本作についてチョロチョロ書いてみたい。
物語はとある村を舞台に、義男(成田凌)、福子(中村映里子)、伊守(森田剛)の3人の人間関係を描き出していく。義男は福子に想いを寄せるが、友人の伊守が福子とくっついてしまう。福子の媚態を目の当たりにしながらそれをものにできない不能感が逆説的に福子のコケティッシュさに拍車をかける、という官能物語がしばらく続く。
しかし中盤以降、それまでの世界に変調が訪れる。さっきまでラフなシャツ姿で漫画を描いていた義男は、気がつけば軍服を纏って戦争地帯を逃げ回っている。どうやら本作の舞台となる世界は「村」と「戦場」に大別できそうだ。しかしそのどちらが「現実」であり「夢」であるのかはなかなか明らかにされない。
というのも、それぞれの世界が互いに断絶しているわけではないからだ。互いが互いを参照し合い、どちらにも決定的な優位性は与えられない。このあたりはつげ義春っぽいなと思った。ワンショットの中で「村」「戦場」が切り替わるシーンはことさら強烈だった。
村の外れで轢き逃げされたはずの女を見かけ「大丈夫だったんですね」と声をかける義男、唐突に悲鳴を上げる女、カメラが右側にパンすると、逃げ惑う群衆とそれを追う日本兵たちが迫ってくる。さながらテオ・アンゲロプロスやエミール・クストリッツァのような叙事詩的ショットだった。
とはいえ2つの世界の混線ぶりの中に、次第に一筋の最も妥当な「現実」の可能性が浮上する。それは、義男は戦場で少女に射殺され、福子は娼婦のまま義男に再会することができないというものだ。つまり「戦場」が「現実」であり、「村」は「夢」であるということ。
原作であれば何もかもが宙ぶらりんのまま完結しているところだが、そこに敢えて明確な(それでいて内容を著しく毀損することのない)境界線を引くというオチのつけ方に、監督・片山慎三の作家性を見た。片山の代表作『岬の兄妹』が雄弁に語るように、彼の視線は常に突飛な空想の底を走る揺るぎなくどうしようもない現実を眼差している。
正直つげ義春作品なんだから宙ぶらりんのまま終幕してもらった方が原作ファンとしては嬉しかったのだが、それでは映画である意味がない。「現実」と「夢」に明確な境界線を引くという本作の結末は、本作が一個の映画として屹立するための必然性だったのだろうと思う。
思えば石井輝男『ねじ式』は一言一句原作通りに原作を再現しているにもかかわらず決定的に退屈な作品だった。やはり「この世界のどこかに実在しているもの」を撮って繋げるという映画芸術の性質上、現実をまったく無視することはできない。無理やりしようとすれば、それは嘘臭さとして表出してしまう。
本作は「つげ義春っぽさ」を最終的には放棄しているにもかかわらず、つげ義春の映画作品を観たという圧倒的な読後感が味わえる。それは、つげ義春漫画の性質と映画の根本性が見事に止揚された結果だと言える。年末に思わぬ傑作が観られてよかった。
思いがけない傑作
予告編のほうがよかった?
愛と幻想のねじ式
つげ義春が1981年に描いた短編エロ漫画のタイトルなのだが冒頭に繰り広げられるシュールコミカルなシーケンスがその漫画を執筆中の成田凌(義男=つげ義春)の妄想というだけででこれが原作というよりつげ義春的漫画家そのものを描いた愛と幻想のねじ式である。片山慎三監督と撮影の池田直矢のタッグは相変わらず強力で移動撮影が圧倒的に上手く、今回の台湾ロケが「つげ風ワールド」を見事に再現していて角を曲がると一気に戦場へと連れて行ってくれるダイナミズムがたまらない。クリストファー・ノーラン的な時系列行きつ戻りつの中に夢想の過去が混ざって来るので決してややこしくはないのだがややもすると真面目に筋を追う気持ちを失わせる危険な映画である。しかし132分は長すぎでうんざりの一歩手前。戦場との行ってこいをあと一回カットしてくれれば良かったのに。
夢のマトリョーシカ
どこからが
夢で、どこまでが妄想か、もう少しカットして良かったと思う。
カラミにためらいが無くてイイネ、光る汗。
ヒヒの交合、田んぼに出来る深い穴、バッタ目線、ワンバウンド轢死と小ネタも良いんですが、ちょっとダレてしまった感。
成田凌くん、いい顔するねぇー、太宰治か眠狂四郎なんかどう?
よかった
戦後すぐに漫画家を志しているのだけど、まだ手塚治虫が活躍するのと同時期くらいで違和感がある。日本のどこかで半分中国に支配されているような世界でもあり、ファンタジーとして受け止めるべきだ。しかしその割に商店の広告をとって出版活動をしようとしてそれが詐欺で騒動になるなど、生々しい。
面白かったけど、ただちょっと長い。
成田凌推しの方は見るべし!
この映画の意味とは?
(完全ネタバレなので必ず鑑賞後にお読み下さい!)
結論から言うと、今作を面白く観ました。
この映画『雨の中の慾情』は、映画の冒頭から、主人公・義男(成田凌さん)がバス停で雨宿りをしている女(夢子(中西柚貴さん))を、雷が来るからと金属の付いた服を脱がせ、最後は逃げる女を追いかけて田んぼの中で下着をはぎ取り犯してしまう、白黒映像から始まります。
女は行為の後、主人公・義男と虹が出ている中で和やかな雰囲気を出しているのですが、観客の1人としては、この時代錯誤の冒頭からの描写は何なのだ?‥とあっけに取らされました。
その後、映画の最終番になって、この映画は、日中戦争の戦闘での大きな負傷を負った主人公・義男が見ていた、戦争の中の現実の出来事を材料にした、夢(または悪夢)を描いていたことが明らかになります。
つまり、映画の冒頭の主人公・義男が女を雨の中で犯す場面は、日本兵だった主人公・義男が(あるいは他の日本兵が)日中戦争下で中国人の女性を犯した現実のメタファーだったと解釈することが出来ると思われます。
この映画は、映画の終盤で明かされる、日中戦争の日本兵である主人公・義男が負傷の中での見た夢(悪夢)の世界であり、根底に兵士の現実と戦争の愚かさへの眼差しが入り混じり流れていて、欲望の肯定と否定が入り混じって描かれていると思われました。
離婚しカフェで働く福子(中村映里子さん)は日本軍の中国現地の慰安婦であり、自称小説家の伊守(森田剛さん)は主人公・義男と同じ部隊の先輩日本兵であり、大家の尾弥次(竹中直人さん)は731部隊の人体実験のイメージをもまとった軍医であり、街中で主人公・義男を糾弾する靴屋(松浦祐也さん)は義男と同じ部隊の戦闘前に興奮している日本兵であり、片言の日本語をしゃべる少女は義男が戦地で出会った現地のゲリラ兵であるといった、夢と戦争の現実が交錯する映画になっていたと思われます。
ところで、このような日中戦争などの当時の日本軍の蛮行が題材になった表現によくあるのが、日本人の監督や制作側が正義の側に立ってその蛮行を糾弾する表現内容に陥ることです。
もちろん、当時の日本軍が日中戦争や東南アジアなどの戦闘で現地の民衆に行った蛮行は、同じ日本人として私も沈痛な重い反省の感情を持つ他ないと、いつも痛感させられます。
しかしながら同時に、正義の側に立って当時の日本軍や日本兵の蛮行を糾弾している日本人の監督や制作者に対しては、その自分たち自身は己を棚に上げて(自己への問い掛けでなく)他者を糾弾している姿勢には、その欺瞞性と合わせて、【とはいえ、あなた達も同じように糾弾されなければならない同じ日本人なんだよ】と、大きな疑問を持っては来ました。
ただ、この映画『雨の中の慾情』は、根底の基調に日中戦争での日本軍の蛮行への否定の感情を感じさせながら、決して日本人として己自身を棚に上げない姿勢を、あくまで夢と現実を行き来する中で現実からは遊離しない主人公・義男を通して、描いていたと感じました。
その意味で、人間の矛盾から目を逸らさない描写の姿勢と内容から、今作を沈痛を感じながらも面白く観ました。
ただ、であるので採点としては3.5点以上つけられるはずの作品だと思われたのですが、この映画が主人公・義男による戦闘での負傷の中での夢(悪夢)の描写であると分かってから、さすがにそこからさらに夢と現実の行き来の反復がいくらなんでも長すぎるとは思われました。
それで-0.5点と、僭越ながら今回の点数となりました。
しかしながら、台湾での撮影もあってか、描かれている世界は当時の空気感がリアリティを持って表現されていて、表現の分厚さも含めて、好みはあるでしょうが、内容ある作品になっていたと、僭越ながら思われました。
雨の中の欲情
内容が難解?ただ、ラブストーリーであることだけは分かる...
この作品のように、内容が難解な映画は、たまに観たりするのだが、今回は、人物、環境、時間軸、短い時間の中で、全てが目まぐるしく変化し、申し訳ないことに、自分は、全てを理解することができなかった。
ただ、最後の方に、『ラブストーリーなんだろうな...』ということしか理解できなかった....
あと、冒頭の雨宿りの中の出来事の伏線回収がしっかりあったことは、良かった。
それ以外は、よく分からなかったが、夢と現実を行き来する感じのラブストーリー、個人的には、新しい映画の形を見た気がする。
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