「「プリンセスチュチュ」ヴァンパイア爆誕!(笑) 恐怖と笑いの絶妙なるマリアージュを堪能。」アビゲイル じゃいさんの映画レビュー(感想・評価)
「プリンセスチュチュ」ヴァンパイア爆誕!(笑) 恐怖と笑いの絶妙なるマリアージュを堪能。
バレエの技で相手と戦うって、猛烈なデジャヴがあるんだけど……
って、あの大傑作アニメ『プリンセスチュチュ』じゃないか!!!(笑)
あと、「筋肉バカ」のピーターとして登場したケビン・デュランドが、影武者レベルでイーロン・マスクに似ていて、びっくりした(最初イーロンがでてるのかと……ww)
あれ、たぶん私生活で100回は間違われてると思うよ。
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ふつうに面白かったです!
出来の良いマニアが、愛する旧作の要素をバランスよく按分して作った、お化け屋敷ホラーの良作。
何よりも、「ホラー」は「コメディ」と紙一重、表裏一体であることをきちんと踏まえて作られた作品である点がうれしい。
さすがは、『スクリーム』のリメイクを卒なくこなしたコンビだけのことはある。
とにかく、恐怖と笑いはそもそも親和性が高いし、やりすぎた恐怖は容易に笑いへと転化する。ここのロジックをしっかり理解したうえで、面白がってやりたい放題やらかしているのが、実に楽しそうでよろしい。
やっていることは、結局のところ『エイリアン(79)』と同様の「閉所で怪物が無双するホラー」の再生産なのだが、そこに「恐るべき子供」としての女ヴァンパイアをバレリーナの格好で導入し、さらには「狩るもの」と「狩られるもの」が逆転する「猫とネズミのゲーム」の要素を加味することで、ある種の「模様替え」にうまく成功している。
ヴァンパイア・ホラーといいながら、実質的には絵に描いたような「お化け屋敷ホラー」としての展開に終始し、かつ、ゴチック館での殺人劇という古式ゆかしいマナーハウス・マーダーケースの型を踏襲している(作中ではアガサ・クリスティーへの言及がある)点もオールド・ファンの心をくすぐってくる。
それに、なにはともあれ、チュチュを着てバレエを踊りまくりながら襲ってくる子供のヴァンパイアという存在には、相当のヴィジュアル・インパクトがある(笑)。
「大人の想像以上に踊れて演技のできる子供に依存する」カルチャーは、昨今では『ビリー・エリオット(05~)』の大成功によってミュージカル・シーンに定着している印象があるが、まさに今回の子役アリーシャ・ウィアーは、ブロードウェイの『マチルダ・ザ・ミュージカル』(22)から引っ張られている。実際に観た印象で言えば、アビゲイルはほぼ「主役」として全編で気高く君臨しており、実にいい子役を見つけたものだと感心する。
対する犯罪者集団にも、どこか人間味と愛嬌のあるキャラが揃っていて、観ていてそこそこの愛着が湧くし、その分、ひとりまたひとりと屠られていく展開には釘付けにさせられる。ヒロイン役のメリッサ・バレラは、監督コンビの過去作、リブート版『スクリーム(22)』と『スクリーム6(23)』でも主演をはっており、スクリーム・クイーンとしての貫禄十分だ。
終盤の展開のひとひねりにも、観客に先を読ませない創意と工夫を感じさせる。
ここで「父親の不在と子供の葛藤」という要素をぶち込んで来るあたりに、『スター・ウォーズ』の国アメリカの「業」のようなものを感じる(いつも最後は「父親との関係性」の話に落ちつく)のは穿ち過ぎだろうか。
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以下、元ネタなどについて、箇条書きにて。
●まずは監督コンビ自身が言及しているとおり、クライム・サスペンスが中盤でヴァンパイア・ホラーに「浸食」されていくおバカ展開については、ロバート・ロドリゲス監督・クエンティン・タランティーノ脚本の『フロム・ダスク・ティル・ドーン(96)』の組みたてが、間違いなく祖型になっている。
●冒頭で、謎のリーダーが本名のわからないメンバーを集めて、それぞれに綽名をつける流れは、タランティーノの『レザボア・ドッグス(92)』への明快なオマージュだ。
今回はシナトラ軍団=「ラットパック」と同じ、フランク(・シナトラ)、ピーター(・ローフォード)、サミー(・デイヴィスJr)、ディーン(・マーチン)、ジョーイ(・ビショップ)の名が振り当てられている。字幕だけ見ていると、リックルズだけが仲間外れの綽名をつけられたようにも思えるが(しわくちゃ顔だっけ?)、ドン・リックルズも実在するシナトラの親友のコメディアンから取られた名前だ。
ちなみにシナトラ自身、思い切りマフィアの息のかかった人間だったが(『ゴッドファーザー』にはシナトラをモデルとする歌手が登場する)、ここではラットパックのメンバーが出演した強盗映画『オーシャンと十一人の仲間(60)』も、当然念頭に置かれているはずだ。
●メンバーのなかにひとり裏切者が隠れ込んでいる、という中盤以降のネタも、おそらくなら『レザボア・ドッグス』を踏襲したアイディアではないか。
●大人の侵入者がハイテク屋敷で子供にコテンパンにしてやられる展開というのは、もちろん『ホーム・アローン(90)』を祖型としたものだ。ここに『エクソシスト(73)』とか『エスター(09)』とかの要素が加わって、さらにスウェーデンの吸血鬼映画『ぼくのネリ(08)』およびそのアメリカ版リメイク『モールス(10)』の影響も色濃く盛り込まれている(少女としての外見、大人と子供の組み合わせ、首謀者に見えて下僕、実は何百年も生きている、他)。
●ヴァンパイア映画としては、チャイコフスキー「白鳥の湖」の使用が、ベラ・ルゴシ版の『魔人ドラキュラ(31)』への目配せになっている。なお、『ブラック・スワン(10)』もしくはバレエ内の黒鳥を意識した演出でもあるかと思ったが(『プリンセスチュチュ』における「るうちゃん」みたいなやつ)、そちらはあまり気づかなかった。むしろダンス・アクション演出としては『M3GAN/ミーガン(23)』あたりを意識している印象もある。
あと、吸血鬼の歯の生え方とか、死んだら派手に爆散する様子とかは、たぶん『フライトナイト(85)』を念頭に置いて作ってるんじゃないかとも思いながら観ていたが(あれもホラーとコメディを融合させた楽しい吸血鬼映画だった)、あとでパンフを見たら脚本家のお気に入り映画としてモロに『フライトナイト』の名前が挙げられていた。
●話としては、表に見えている誘拐事件と、裏で展開している真相との「ギャップ」や「ロジック」自体は、基本的に良く出来ていると思う。
でも、大富豪の令嬢を誘拐しようとさんざん下調べしたうえ、「現地まで行って」「ハッキングまでして」侵入しているのに、誘拐する少女の父親が誰か、実行犯の誰も気づいていないというのは、さすがにあり得ないでしょう(笑)。あんな大きな家が誰の家か、調べたハッカーにわからないはずないし。
あと、いくら寄せ集めの実行犯集団とはいえ、誘拐当日の夜から全員で飲んだくれて、誘拐した少女を部屋に置き去りにしたまま誰も見張りすらつけていないなんてことはやらないと思うけど。全員バカなんだからしょうがないって話なんだろうけど、あのへんはちょっと作り手の都合が優先されている気がしたなあ。
それに、「誘拐場所」が少女の住む大邸宅ってのはわかるけど、指定された「監禁場所」まで古色蒼然たる大邸宅ってのは、明らかに不自然だろう(笑)。そんなゴチック屋敷に人質を匿う犯人グループとか、聞いたことないし。逆にいえば、実行犯はもう少し自分の置かれている状況を疑うべきなんだよね。あの「壁画」を発見するシーン(ちょっとダリオ・アルジェントの『紅い深淵 プロフォンド・ロッソ(75)』を想起させる)より前から、「おかしなこと」はいくらでも起こってるんだから……。
●ダリオ・アルジェントつながりでいえば、中盤に地下室で発見される「例のプール」は、明らかにアルジェントの『フェノミナ(84)』を意識したものだろう。そういえば、あれの犯人も……。あと、いちいちアビゲイルが「狩り」の前に「白鳥の湖」のレコードをかける演出も、『プロフォンド・ロッソ』のテープレコーダーっぽくて良い感じ。
●意外と監督コンビは本格ミステリーにも関心があるようで、悪党連中が最初の夜に「相手の素性当て」をするあたりでは、いかにもホームズものの冒頭を思わせるような推理(しかも結構面白い)が展開されるし、終盤ではアガサ・クリスティーの『そして誰もいなくなった』が自己言及的にギミックとして引用される。
どの「弱点」がヴァンパイア退治に通用するかを順番に実地で検討していく中盤戦もミステリーチックだし、終盤の「どんでん返し」も容易に想像はつくが、いちおう様になっている。基本的にミステリー・マインドに富んだ監督コンビ&脚本家で、非常に好感がもてる。
●バレエ吸血鬼とラットパックの面々のバトルシーンは、怖がらせるというよりは明快に笑わせにかかっていて、観ていて純粋に楽しい。
とくに階段を活用した上下動アクションでは、なかなかに手の込んだコレオグラフィが組まれていて、見ごたえがある。
でもこの吸血鬼って、血の祝祭のヒロインとして、わざわざもう一回チュチュを着直してから、一階まで下りて来たってことだよね(笑)。実にほほえましい。
●吸血鬼の弱点って話でいうと、わざわざ「狩り場」として設えられたマナーハウスに、シェイドが開閉可能な天窓が放置されていて、日中に開けると直射日光が降り注ぐような場所が残っているわけがないので、あのあたりはかなりご都合主義のような。
あと、ヒロインに杭が突き立てられた瞬間、ヴァンパイアをそこに前から押し付けて、サンドイッチ状に退治するってのを絶対にやると思ったけど、やりませんでした(笑)。
●最終盤で血まみれになったアビゲイルちゃんって、真ん中分けといい、長い顔といい、歯並びといい、なんとなく『キャリー(76)』のシシー・スペイセクに印象がよく似ている。
吸血鬼に変貌したフランクが盛大に血を吹くギャグっぽい描写は、『処女の生血(74)』のパロディかな?
●別に間近で観たから単にそう思うだけなのだが、「バレエ経験のない子役がポアントまで出来るようになった」ってエピソードが『ぼくのお日さま』の少年のフィギュアの上達ぶりとかぶり、「がちゃっ歯でヒロインの異常性を視覚的に表現する」やり方が『夏目アラタの結婚』とかぶり(ラストの共闘展開もちょっと似てる)、犯罪者集団が閉じ込められて標的に逆襲される『ドント・ブリーズ』的展開が『エイリアン:ロムルス』とかぶって、複数の映画がグラデでつながっていくのって面白いな、と。
●極端な下町なまりで話す、頭のねじのゆるんだ社会病質者のドライヴァー役で出ていたアンガス・クラウドは、2023年に25歳の若さで逝去されたとのこと。死因はオーヴァードーズといわれていて、これが遺作となったらしい。役とかぶる部分があっていたたまれない。ご冥福をお祈りいたします。