「異常心理恋愛サスペンスの体裁を取った、王道のファム・ファタル映画&本格ミステリー映画。」夏目アラタの結婚 じゃいさんの映画レビュー(感想・評価)
異常心理恋愛サスペンスの体裁を取った、王道のファム・ファタル映画&本格ミステリー映画。
意外にちゃんと「本格ミステリー」やってて、感心した。
まあ、映画がすごいってより、原作がすごいんだろうけど。
単なる異常心理サスペンス物かと思って観に行ったので、「バツ印」とか「歯並び」といった単なる「こけおどし」と思っていた要素に、ちゃんとミステリー上の意味と伏線があって、かなり驚かされた。
原作未読。堤義彦映画も、久方ぶりである。
パンフも売り切れていて買えなかったので、監督がどういう意図で本作の映画化を目指し、どれくらい原作に準拠していて、そこにどんな独自の創意を加えたかはまったくわからない。とはいえ基本的に、映画はとても面白く観られた。
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冒頭は、小菅の東京拘置所の鳥瞰撮影で幕を開ける。
印象的な放射形のX字の形状。まさにフーコーが『監獄の誕生』で紹介した「パノプティコン」である。そうか、今さら気づいたけど、日本は「未決囚」を思い切り全方位監視システムのなかで威嚇・抑圧しているんだな(笑)。
で、そのX(エックス)字と呼応するように、
多くの×(バツ)の映像が積み重ねられる。
金網のバツ。
踏切のバツ。
標識のバツ。
いずれも、「否定」「停止」「封鎖」「禁止」「懲罰」を意味するマイナスの「バツ」だ。
要するに、このイメージ映像のラッシュには、東京拘置所に拘留されるヒロインの人生と現状が象徴され、集約されているのだ。
そのなかには、青いハンドタオルに描かれたバツの模様も交じる。
その本当の「意味」が明らかになるのは、ラストを待たなければならない。
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本編が始まる。
出だしは、女性版の『羊たちの沈黙』、あるいは『ハンニバル』といったところ。
連続バラバラ殺人事件の容疑者である「品川ピエロ」のところに、児相職員の夏目アラタが面会に訪れる。担当する被害児童が犯人と「文通」していて、犯人から直接会わないかという連絡が来たという。夏目は、少年の「品川ピエロに埋められた父親の首を探してほしい」という要請に従って、少年の代わりに拘置所に赴いたのだ。
実際にあった「品川ピエロ」は、ガチャガチャでボロボロの歯をしている以外は、逮捕時の太った姿とは似ても似つかない、少女のように華奢で美しい女性だった。
「品川ピエロ」は、どうやらひと目で文通の相手が目の前の男ではないことに感づいたらしい。さっそく見透かしたように、恫喝したり、出ていく素振りを見せたりして、揺さぶりをかけてくる未決囚。
そこで夏目アラタが放った乾坤一擲の逆転の一手、それは「結婚しようぜ」という意想外の要請だった……。
映画は、大半のシーンを拘置所の面会室で費やし、「品川ピエロ」品川真珠と夏目アラタの心理的攻防を描き出していく。
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本作の本質は、一言でいえば何になるだろうか。
僕は、「ファム・ファタル」ものだと思う。
いわゆる「運命の女」に出逢ってしまったことで、男が身を持ち崩していく「ノワール」の典型的な型を、真正面から踏襲した作品。ね、そうでしょう?
衝撃的なファースト・インパクト。相手への度を越した関心。
いつしか魅了され、操られ、犯罪行為に加担していく過程。
いろいろとクセのある設定で糊塗されているせいで一見気づきにくいが、「ファム・ファタル」ものとしては、本当に「王道」といっていい作りではないか。
それに何より……、夏目アラタ自身が作中で、品川真珠のことを「彼女は運命の女です」ってはっきり言っているのだ。
その意味で、本作は『マノン・レスコー』や『カルメン』『椿姫』といった小説/オペラ群、あるいは『ギルダ』『郵便配達は二度ベルを鳴らす』『白いドレスの女』『黒蜥蜴』といったノワール/映画群の衣鉢を継ぐ、正統的なファム・ファタル映画だと言っていいと思う。
ちょうど本作が、三谷幸喜が別の観点から「ファム・ファタル」テーマに挑んでいる『スオミの話をしよう』と同じ時期に封切られたというのは、実に興味深い。
堤義彦や三谷幸喜のような60代の優秀な表現者にとって、昨今の女性性に対する考察の深まりや、女性の社会的地位の観直しといった「女性観の変容」は、今まで信じてきた「魅力的な女性像」を揺るがす、思いのほか動揺を誘う事態なのかもしれない。彼らにとっては「昭和的なヒロイン像」を一度振り捨てて、「魅力的な女とは何か」を「再定義」する内的要請が高まっているのではないか。
作劇上、後半に入ると僕たちはそれなりに品川真珠という女性に、一定のシンパシーを抱くように仕向けられる。
しかし、間違えてはいけないのだが、
品川真珠という女は、決してまともな女ではない。
たとえ、ヒロインとして輝きながら君臨したとしても、
こいつは正真正銘のろくでなしである。
この話が「まともでない女」と「まともでない男」が、奇妙な引力のもと惹かれ合って、虚々実々の駆け引きの末に思いがけない関係性を構築していく物語だということは、ゆめゆめ忘れてはならない。
彼女の生まれ育ちがいかに劣悪だろうと、彼女がしでかしたことは決して免罪されないし、彼女が一般の人間とは全く異なる道徳観のもとで動いていることは、夏目アラタだってよくわかっている。彼女が夏目アラタに心を開いたのが、彼女を単なる〇〇〇だと呼んだからだ、ということをスルーしてはならない。
品川真珠は〇〇〇だ。
そんな真珠をアラタは愛している。
これは、ファム・ファタルの物語であると同時に、
骨の髄までの「悪の物語」でもある。
なぜ、品川真珠は品川ピエロなのか。
それは、彼女が「JOKER」だからなのだ。
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もう一つ最初にも言った通り、本作には意外なほどに本格ミステリー味が充溢している。
これは、根っからの本格好きの僕としては、思いがけないご褒美であった。
とくに、幼少時・逮捕時の品川真珠が「太っている」とか「歯並びが悪い」といった、表面上は「ヒロインの異形性・怪物性」を強調するための「ルッキズム的な記号」と思われていたものが、実は「事件の真相」と深く結びついているギミックだったというのは、ちょっと予期していなかった分、かなり驚かされた。
これ、歌野晶午とか乾くるみとかの某作を想起させるような、壮大なネタふりを仕掛けてきてるんだよね。それがうまくいっているかどうかはさておくとしても(歯の〇〇〇〇〇は、いじろうがいじるまいが年齢に応じて勝手に起きる自然現象なので、こんなことには基本的にならないんじゃないか?? あと田中ビネーって、これだけ聡明で勘の良い女性が受けたとして、〇〇が〇〇〇〇ってだけの理由で、あんな結果に本当になるものなのか??)この仕掛けを、法廷闘争の勝負手として活用するのみならず(そもそも品川真珠って、最初からあの事実を伏せ札として用意していて、いざとなったらこの展開になるように狙ってたわけで)、司法手続き上の「数分間の空白」を活用した、盲点を突くようなトリッキーな展開まで用意してある。
さらに本作では、二人が面会室で出会った最初から、とある五感の一つを強調するようなシーンが端々に挿入されるのだが、これもまた、終盤に向けての壮大な伏線だったりする。えええ、これ、岩清水弘が早乙女愛の〇〇〇〇残る〇〇〇〇にすがるがごとく、みたいなネタだったのかよ(笑)。
明らかに、原作者のなかには、本格ミステリーマインドがあって、行き当たりばったりで連載しているわけではなく、最初から綿密な青写真を描いたうえで、伏線をいくつも用意して、読者をあっと言わせることに全力を費やしている。僕はこういう作品が大好きだ。
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映画化としては、どうしても12巻もある原作を切り詰めている分、若干足ばやな印象はあるし、キャラクターの掘り下げが足りない部分もある気がする。
とはいえ、まずは、面会室で対峙する二人の「表情」をうまく撮るのが一番大事だという信念のもと、徹底的に「照明」にこだわって撮影し切ったのは、実に的を射た演出だったように思う。
冒頭の、逆光で顔が真っ黒に淀むなか、黒々とした目で見返して来る真珠。
下からの煽りの光線を浴びて、狂気じみた面貌へと一変する真珠。
そんな真珠に対峙して、ときどき射貫くような言葉で相手を制するアラタ。
二人の丁々発止のやり取り、千変万化する関係性、発言毎に顔立ちを一変させる様子を、堤義彦は「演技」と「ライティング」でフィルムに刻印する。
あとは、カット割りと、リズムと、音響で。
原作に出て来る印象的なシーンの再現性は、かなり高い気がする。
そして、今回の一番の殊勲賞は、照明さんだといってもいい。
演技の面でいうと、僕は黒島結菜と柳楽優弥が世の中で絶賛されているほどに巧いとは思わなかった。
魂の演技ではあるが、無骨で、地声をコントロール出来ていない、生っぽい演技だった。
でも、それが結果的には巧く嚙み合っていた気がする。
真珠もアラタも、生まれとしてはバリバリの虐待児童で、社会とうまく折り合えず、生きづらさを抱えている存在だ。そういう「世慣れなさ」「偽装しきれない非社会性」を、抑揚と音程の微妙に取れていない滑舌の二人の「未熟」な演技は、期せずして上手く体現できていたのではないか。
この二人の「こなれなさ」と比べて、対照的に「めちゃくちゃこなれていた」のが、中川大志の弁護士役だ。この人こんなに小器用でコントロールの利いた演技できるんだ、って感心するくらい、ちゃんとした演技をしている。どう表情筋を動かして、どう目線を動かしたらいいか。どういうテンポでどうしゃべったら音楽的に聞こえるか。そのあたりを中川大志はきちんと踏まえて、「いかにも演技臭い演技」をやりこなしている。中川くんの演技と主演二人の演技には、「俳優集めたアニメ映画で一人だけプロ声優が交じっている」くらいの差がある。きっとこれって、NHKの「LIFE!」あたりで鍛えられたんだろうなあ(笑)。
でも劇中で、この「こなれた演技」で出来た弁護士は、「こなれない演技」で出来た真珠とアラタからは、徹頭徹尾「信用されない」。
弁護士の真珠を助けたいという想いに偽りはないが、真珠にとってはどこまでも「うまく利用できる」存在でしかないし、アラタから見れば「こいつはいつか真珠に殺される」存在でしかない。
ここでは、「演技の質のギャップ」が、そのまま世慣れない主演二人と世慣れた弁護士の「あり方のギャップ」として、うまくスライドされているのだ。
ただ、堤義彦の悪いところは、他の「脇」にもやりたいようにやらせてる部分で、少なくとも佐藤二朗の傍聴マニアは明らかにやりすぎである(笑)。昔の東映ピンキーで山城新伍がすべてを根こそぎ持っていってたような悪目立ちぶりを、こういうメイン二人を立たせるべき本格ミステリー映画でやっちゃうのは、正直どうかと思う。
児相のメンツを志らくと丸山礼で固めるのも、少し「コント臭」が強すぎるし、市村正親の裁判官も、あんなに目立つ必要はないような。
あと、最初に出て来た文通少年は良い演技だったけど、彼『ぼくのお日さま』のスケート少年だったのね! ぜんぜん観ていて気付かなかったよ。
物語の展開としては、とくに被害者3人に関する終盤の説明が、あまりに十把一絡げなうえに真珠にとって都合が良すぎる点や、結局「なぜ犯人はこんな事件を起こしてあんな後処理をしたのか」の動機の部分が、最後まで観てもよくわからない点など、あまりうまくいっていない面も多い。
終盤で明らかになる「真相」が、うまく前半とフィットしていない印象もある。アラタに「最初から彼女は心のままに行動していたんだ!」とか言われても、明らかにあの女はめちゃくちゃ「駆け引き」しまくってただろう!って思わざるを得ないし(笑)。
あと、面会室のガラスをぶち破るシーンとか、終盤での結婚式のシーンとかは(原作もああいうモンタージュなのかもしれないが)明らかにうまくいっていない。とくに後者のチープでダッサいテレビ的演出にはサブいぼが出るかと思った。
とはいえ、総じて面白い映画だったのは間違いない。
ぜひ原作のほうも最後まで読んでみたいと思います。