「ナミビア砂漠でつかまえて。 確かにあのライブカメラは面白い( ͡° ͜ʖ ͡°)」ナミビアの砂漠 たなかなかなかさんの映画レビュー(感想・評価)
ナミビア砂漠でつかまえて。 確かにあのライブカメラは面白い( ͡° ͜ʖ ͡°)
深い憤りを覚えながら日々を生きる女性、カナの日常を描いたヒューマンドラマ。
監督/脚本は『21世紀の女の子』やテレビドラマ『今夜すきやきだよ』の山中瑤子。
主人公、カナを演じるのは『ちょっと思い出しただけ』『ルックバック』の河合優実。
カナの恋人、ハヤシを演じるのは『おっさんずラブ』シリーズやドラマ『サンクチュアリ -聖域-』の金子大地。
精神科医、東高明を演じるのは『愛がなんだ』『浅草キッド』の中島歩。
第77回カンヌ国際映画祭で国際映画批評家連盟賞を受賞するなど、国内外で高い評価を受けた話題作。監督の山中遥子は当時27歳。この若さで長編映画の監督を務め、しかもそれが世界的な名声を獲得してしまうんだからこれはもう大したものである👏
カナを演じる河合優実は、高校時代に山中監督のデビュー作『あみこ』(2017)を鑑賞し衝撃を受け、監督に「将来女優になるので、その時は私を起用してください!」という熱烈なファンレターを手渡ししたのだそう。今回の山中監督と河合のタッグは、その時の縁に由来している。
本作は最初から最後まで河合優実の姿をカメラで捉え続ける。ほとんど彼女の一人舞台であると言えよう。カナは河合に当て書きされたキャラクターであるため、その存在感やリアルさは尋常ではない。彼女の演技力も相俟って、本当にカナという激烈な女性の生態を覗き見ている様な気分になってくる、とにかく不思議な手触りのする作品である。
河合優実と金子大地は『サマーフィルムにのって』(2020)で共演済み。この時はほんわかした高校生を演じていたのに…。『サマーフィルム』は大好きな映画なので、なんだか観てはいけないものを観てしまった気分。
女たらしを演じさせたら、金子大地の右に出るものなし。松居大悟監督のロマンポルノ『手』(2022)でも人当たりの良いクズ男を演じていたが、今回もまぁ憎たらしいいけずを熱演。ハヤシと『手』のクズ男は同一人物なんだと思いながらこの2作を連続鑑賞すると、カナが抱える怒りの解像度がよりはっきりとする事だろう。毎回毎回、羨ましい役どころばっかり…。けしからんぞ!
描かれるのは、東京で暮らす21歳のリアルな空気感。「日本は、少子化と貧困で終わっていくので、今後の目標は生存です」とは強烈なパンチラインだが、これは今の若者なら誰もが共感するのではないだろうか。
若い監督がほぼ同世代の心の声を代弁しているだけあり、時代の切り取り方が上手い。邦画界ではこの前年、ヴィム・ヴェンダース監督による「足るを知る」映画『PERFECT DAYS』(2023)が国際的に評価されたが、本作と比べるとこちらはいかにも爺むさい。全く異なる日本感を打ち出したこの2作を比較すれば、若者世代とシニア世代の隔絶を理解する事が出来るだろう。
映画を支配するのは圧倒的な「怒」の感覚。若い女性の怒りという点ではエメラルド・フェネル監督の『プロミシング・ヤング・ウーマン』(2020)を想起したりもしたが、『プロミシング』が女性への性暴力をはじめとした社会問題に対して怒りを爆発させていたのに対し、本作で描かれているのはカナの抱える個人的な怒り。若さと精神的ストレスでコントロール不全となった彼女の感情の暴走こそがこの映画の推進力になっており、ウーマン・リヴやフェミニズムといった社会性は希薄である。つまりこれは何に対しても苛立ちを抑えきれない、漫画家・荒木飛呂彦の言うところの「怒の季節」を扱った作品であり、ジェンダーではなくメンタルヘルスがテーマとなっていると言えるだろう。
女性映画だと敬遠している男性もいると思うが、この映画は男女の別の無い広汎的な事柄を活写した作品であるので、一度は鑑賞してみる事をお勧めする。
ハヤシと同棲を始めたカナは鼻ピアスをつけ始める。これは彼女のパンクな一面を表現するのと同時に家畜の鼻輪をも想起させる、今後のストーリー展開を示唆する重要なアイテムであるが、それ以前に金原ひとみの「蛇にピアス」(2003)を思い出させた。偶然かな?と思っていたのだが、どうやら山中監督は金原のファンであるらしく、彼女の作品が本作に影響を与えた事を公言している。そう考えると、この鼻ピはあまりにもストレート過ぎる…😓
その他にも、文学からの影響を感じさせる点は多く、例えば元カレのホンダが北海道に出張している間にお腹の子を堕すというのは村上春樹の「ねじまき鳥クロニクル」(1994-1995)にその通りの展開があったし、カナの精神的乱調はサリンジャーの「ライ麦畑でつかまえて」(1951)にルーツがある様な気がしてならない。
また、女性主人公の主観的物語である上に山中監督自身の心境を反映しているのであろう潔癖なクリエイター論が吐露されている点など、太宰治の書く女性告白体小説、特に「きりぎりす」(1940)のスピリットを強く感じる。「メンヘラの暴走」、乱暴な言い方になるが本作はそう言わざるを得ない内容であり、確かに他ではあまり見ないタイプの映画ではあるのだが、文学の世界では太宰が80年も前にすでにやり尽くしている訳で、そこに革新性は別に感じなかった。
〈この世では、きっと、あなたが正しくて、私こそ間違っているのだろうとも思いますが、私には、どこが、どんなに間違っているのか、どうしても、わかりません〉という「きりぎりす」の最後の一文は、本作の全てを表している。やっぱ太宰はええなぁ…。
20代でこれだけの大作を監督したという点は確かに凄い。時代の切り取り方やリアルなキャラクター造形も賞賛に値する。ただ、面白いかと言われると…。全体的にダラっとしていてメリハリがなく、だからと言ってそこに面白みを見出せるほどのユニークさはない。
カナがハヤシにエコー写真を突きつけ、「これ何なんだよっ!!」とブチ切れるシーンは「おっ!やったれやったれ」とアガったりしたのだが、そこが映画のピーク。その後もダラダラダラダラと物語は続く。もういいだろそこで終わりで…。
社会に蔓延る「本音と建前」を許容する事が出来ないカナの愚直さには、『ダークナイト』(2008)のジョーカーっぽさを感じたりもしたので、最終的に銀行強盗したりビル爆破したりしてくれればあげぽよ〜だったのに。いやそういう映画ではないのはわかってるんだけど。こんだけ文学のかほりをさせているんだから、やっぱ最後は檸檬型爆弾で丸善ブッ飛ばすくらいの飛躍を見せて欲しいよね。
90分程の短尺であればあるいは好きになれたのかもしれないが、いくら何でもこの内容で137分というのは冗長過ぎる。無駄に長いというのは昨今の映画の悪癖だが、本作も御多分に洩れずといったところでしょうか。
批評家筋には評判が良いようだが、一般観客にはあまりウケていない本作。正直、自分もこれがそんなに絶賛される程の映画とは思えない。これから先もメディアは山中監督を時代の寵児として持て囃すのだろうが、あまりにもチヤホヤし過ぎると太宰の「水仙」(1942)みたいな事になっちゃいますよ。
※本作の鑑賞によって得た1番の収穫は、ナミブ砂漠のライブカメラ配信というものがあるのを知れた事。水飲み場にやって来る野生動物をただ眺めるだけなのだが、これは確かに面白い!ついつい観てしまう不思議な魔力がありんすね🦒

