「こわいお話、分断は容易に起こりうる」シビル・ウォー アメリカ最後の日 pekeさんの映画レビュー(感想・評価)
こわいお話、分断は容易に起こりうる
こわいお話。
ここに描かれているのは、国家が分断して人々が殺し合うという最悪の状態。
興味深いテーマなので鑑賞したけれど、感想としてはイマイチな映画でした。
爆撃音や銃撃音などはすごい迫力で体感できましたが、肝心のストーリーはどうか?
局所的な描写が続き、全体の対立の構図が見えない。そういうところに違和感のようなものを覚えました。
どういえばいいのか、表面的というか、内戦をモチーフにエンターテインメントとしてデザインしただけの映画というか……。
ショッキングな描写やドンパチに力を入れているけれど、もっと奥深い表現を目指してほしかった。
いってしまえば、深みや厚みが感じられない作品ということになるでしょうか。
だいいち内戦そのものよりも、人々の生死をメシの種にするジャーナリスト、戦場カメラマンという因果な職業のほうに焦点が合ってしまっていて、なんだか期待していた展開とずいぶんちがいました。
さて、ここからは少々脱線して「分断」ということについて書きたいと思います。
昨今のアメリカにおける分断の状況を、我々はどこか他人ごと、対岸の火事のように見ているのではないでしょうか。僕もそうでした。
しかし、ある出来事でそれは決して他人ごとではないと肌身に感じて思わせられたのです。
それは僕が住んでいるH県の知事選挙でのことです。
当初、失職したS藤元知事の街頭演説では、せいぜい十数名の市民が遠巻きに見ている程度でした。
それが選挙の前日になると、元知事を取り巻く人々は何百人という数に膨れあがっていた。
僕は実際にそれらの光景を目にしましたが、その巻き返しの背景を知って、「民衆はかくも簡単に扇動されるものなのか」と驚愕すると同時に、「分断はかくも容易に起こりうるのだな」と、恐ろしい気持ちになりました。
善か悪か、正か否か、0か100か……。そういう二極分化的な考えや、熟考せずに早急に結論を出そうとする姿勢は要注意である。
あまりにも多くの人々が、「〇〇らしい、〇〇だそうだ」という、SNSを中心に流布した真偽定まらぬ不確かな情報に踊らされてしまったのではないか。
そして、“熱狂”というものには十分に注意しなければいけないなとも思ったのです。
戦争でもスポーツの応援でもなんでもそうですが、熱狂という冷静さを失った状態は怖い。気をつけなければならない。自戒の念を込めて、そう思いました。
また、あるテレビのコメンテーターがおっしゃっていた言葉が何度も脳裏によみがえってきました。
「ひとは正義を振りかざすときに、もっとも攻撃的になる」
気をつけないといけないなぁ。
この映画もまったくの他人ごとではないかもしれませんよ。