「プロセッシング」シビル・ウォー アメリカ最後の日 うそつきかもめさんの映画レビュー(感想・評価)
プロセッシング
「キルスティン老けたな」と思ったら、どうやら役作りだったらしく、見ているうちにだんだんそのワケが分かってきた。まあ、それはのちほど。
昨今は大谷人気でメジャーリーグの中継を見る人もずいぶん増えたようで、「102マイル早え!」と思ったら、NHKのアナウンサーが「163.2キロです」とか要らん変換を咬ませてくる。マイルを㎞に変換する意味があるのか?などと、やや辛口に受け止めていた。この映画でも、ワシントンDCまであと○○㎞など、マイル表記の字幕のすぐ下に日本語の字幕が入る。なんか気になる字幕だと思ったら、なんと松浦美奈さんだった。
どうも、私はこのベテラン翻訳家さんとの相性が良く、確か『女神の見えざる手』も松浦さんだったと記憶している。
アメリカの分断に立ち向かう女性を主人公にした、見ごたえのある映画だった。まさか彼女が映画を選んでいるのではないだろうが、こういう社会を切り取ったような作品は松浦さんに任せておくに限る。
象徴的なのが、映画中盤に差し掛かるシークエンスで、リー記者が仲間の軽はずみな行動で命を落としかねない窮地に陥ることになり、見殺しにするか、助けるかの二択を迫られる。やがて痛みを伴う結果に気持ちが沈んでいる時に、何気なく「プロセッシング」と呟くセリフがあった。聞き間違いかとも思ったが、間違いないだろう。
字幕では、「心の処理中」と出ていたのだ。
これが実に意味の深い、的確で素晴らしい字幕だった。
この映画の最大の特徴は、起承転結になっていないことだ。「起」と「承」がない。
無理やり一本の映画にしたいなら、新米カメラマンのジェシーを主人公にして、ワシントンを目指す一行に強引に割り込んでやがてスクープをものにする成長を描くことで足りたはずだ。だがそうなっていない。
なぜ内戦状態になったのか。どうすればこの混沌(ケイオス)を解消できるのか。その問題提起と、解決策をこの映画は見せていない。まさに今の政局を映し出したかのように、冷徹にありのままを見つめているだけなのだ。
つまりプロセスが欠けている映画なのだ。意図的に、ここまでの過程を省略してある。Written and Directed というクレジットだったので、あえて撮ったけど残さなかった監督の意匠だと思う。
現実世界もそうだろうと思うのだ。「どうしてこんな世の中になった?」なんて、いちいち順序立てて今の流れを振り返ったりしないだろう。そこに落とし穴がある。
仲間を失うような窮地をくぐり抜けて、「心の処理中」と言って今の状況を必死に吞み込もうとするベテラン記者は、我々の分身でもあるのだ。その「プロセッシング」を「心の処理中」と訳した見事な腕前。思わずうなった。
期日前投票に行ったついで、久しぶりに劇場に足を運んだら、何でもやたらと高くなっている。馴染みのラーメン屋さんも味が変わっていた。そして買い物もしたかったが、欲しいものは売っていなかった。全部つながっているのだ。世の中がこうなったのは、自分のせいでもある。でも、いちいち立ち止まっていられない。
まろで映画に「前に進め」と言われているかのような気がした。
リー記者がドレスを試着するシークエンス。「笑ったらかわいい」と言ってシャッターを切るジェシー。このやり取りも印象的だった。女性らしくあること、日常に笑うことなど忘れ去っていたひとに、失った感情を取り戻させようとする少女。この交流が仲間としての絆を強くする。
内戦状態の国内で、どこ吹く風とのんきに店番をしているレディ。彼女がこうしていられるのも、遠くの屋上から狙撃兵が目を光らせているからなのだ。存在に気付いたリーは何気なくタバコをもらう仕草で、中指を立てている、ように見せている。
でもその直後に汚くののしり合う展開があり、実際に中指も4文字言葉も飛び交うのだけど。その隠喩にも妙に感心した。
均質にまじりあった世界は過ごしやすく、退屈なほどなのだが、ほんのひとつ扉を開けた世界に、分断と混乱は隣り合わせているのだ。それを見せてくれた映画だった。お見事。
2024.10.22