「狂気の証拠」シビル・ウォー アメリカ最後の日 U-3153さんの映画レビュー(感想・評価)
狂気の証拠
ラストに現像される1枚の写真。
死体を囲み誇らしげな笑みを浮かべる複数の兵士の写真。彼等は“英雄”なのか“殺戮者”なのか。
戦場カメラマンが記録するのは事象のみで、その判断は見るものに委ねられる。
強烈だった。
戦場の描写もそうだけど、戦禍を生産していく兵士達の心理とか。それらを第三者的な視点で追う戦場カメラマンの目線とか。
否応なしに巻き込まれる。
巻き込まれるが、戦争自体をどうこうできる事はない。ただ、記録し留めていく。
どんな理不尽も、どんな信念も。
戦場でのみ是とされる行為も。
シビルウォーは「内乱」と訳されるらしい。
一国が分断され、その国内で起こる戦争。
この世てで1番崇高で、1番関心を惹かれない戦争かもしれない。
作品中ではなんの利害があるのかまでは明かされない。作品が描くのは“戦時下”で、どちらに正義があるのか、何が原因だったのかも明かされはしない。ただ、内部から瓦解していく国の現状が描かれる。起こってしまった戦争の内情を描いていく。
前半、ソリッドな描写はあるものの、最前線以外は案外のどかだった。BGMにカントリーソングなんかが流れてたような気もする。
戦場にカメラマンになりたいと言う少女が道行に加わったり、同業者を出し抜いて大統領のインタビューを敢行するとか。なんだか拍子抜けを感じてた。
が、中盤以降はさすがはA24…。
人の狂気が克明に描かれていく。
牧場の一角で、無数の死体を埋めている兵士とか…生殺与奪の権限を1人1人が持つのだと思うと、そこに正気なんかが入り込む余地などない。
戦禍に介入する戦場カメラマンの宿命かとも思うが、よくそんな状況で続けられるなと身震いする。
が、前出の少女は覚醒する。
死地に立ち、命の在処を自覚する。戦場カメラマンの資質を発していく。
最前線にシーンが移ってからは息つく暇がない。
まさに命が消し飛んでいく。
フィクションではあるが、フィクションを意識しなかったのは元々あった戦場カメラマンという第三者的な視点が序盤からあったからだろうと思う。
ファインダー越しの視点が、普段目にするモニター越しの視点とダブっていく。作品に絡めとられていく瞬間をハッキリと感じる。
少女は最早、戦禍に取り憑かれてるかのようにシャッターを切っていく。
あと一歩、もう一歩、前へ。
死の境界線を更新していく。
危なっかしいが、そのテンションはよく分かる。
誰も踏み込めない領域の先頭に立つ快感。
そこに立ち続けるにたる命の輪郭。
その結果が、ラストの写真だ。
そのラストに至る直前に、少女と共にしていたベテランのカメラマンは銃弾に倒れる。
宿命とも思える。
その死体を放置し歩みを止めない彼女は、もう一人前の戦場カメラマンだった。
このベテランのカメラマンが担うところは興味深くて…ずーっと沈痛な表情をしている。戦場カメラマンを生業とするくらいだから数多の戦場を渡り歩いてきたのだろうし、有名なのだから成果もあげたのだろう。が、嫌そうなのだ。まぁ戦場なので楽しいはずもないのだけれど。
その彼女は最前線で怖気付いてる。直前の同僚の死が影響したわけでもないだろうと思う。覚醒しシャッターを切りまくる少女とは対照的にカメラを構えようともしない。正直、役立たずどころかお荷物なのだ。
こんな状態の女性がどうやって戦場カメラマンとしてやっていけるのだろう?
そう思ってたとこに突っ込んでくる大統領専用車。
その車に大統領が乗っていないと直感が働いた時、彼女の目の色が変わる。
カメラマンの嗅覚とでもいうのだろうか?少女の資質が覚醒し始めたのだとしたら、彼女は本能が覚醒したかのようだった。
迷う事なくホワイトハウス内に踏み込んでいく。
銃撃戦が始まっても乱射される銃撃の間隙を縫ってシャッターチャンスを拾いまくる。ベテランの勘というか、予測というか戦火を掻い潜ってきた経歴に嘘はないようだった。
そんな彼女が撃たれたのは、彼女の真似をしたのか、少女の勇足であったのか、少女が廊下を横切ろうとした時で、射手は彼女からは見えなかったはずなのに、躊躇なく彼女を庇おうとして撃たれる。
戦場カメラマンの性能というか本能を余すことなく伝えたエピソードだったように思う。
ラストの写真が語るものは何なのか。
銃弾に倒れたカメラマンは、自分達が記録する写真は「母国への警告だ」と言ってた。
理性で戦争が阻止できるなら、戦争なんさ起こりやしないんだろうな。
その顛末が、本作品だと思われる。
共感ありがとうございました。
U-3153さんのレビューもとても共感するものがあります。大きく成長したジェシーと撃たれてしまったリーの対比が実に見事でしたね。僕はジェシーが成長すると共に人間性を失っていくのに対して、リーは逆に人間性を取り戻していったように見えました。それは本来「良いこと」のはずなんですが戦場においては「命取り」になる、という事なのでしょう。数々の修羅場を潜り抜けてきたはずのリーも年齢を重ね、人の痛みに自然と心が揺れるようになり、若い子の心配をしてしまう親心だったり、さらには恩師の死も目の当たりにしてすっかり「普通の人」になってしまった。その象徴が途中の洋服屋さんでドレスを着てはにかむシーンであったり、ホワイトハウスの突撃ですっかり怖気づいてしまう様子だったのではないかと思いました。つまりリーは戦場カメラマンとしての「引き際」を間違えたのだろうと強く感じました。
>フィクションではあるが、フィクションを意識しなかったのは元々あった戦場カメラマンという第三者的な視点が序盤からあったからだろうと思う。
まさにそれ!と思いました。だから何とも言えない不思議なリアリティを感じる事が出来たのだと僕も思います。