「これが「アメリカの最後」でもいいのか?!」シビル・ウォー アメリカ最後の日 TRINITY:The Righthanded DeVilさんの映画レビュー(感想・評価)
これが「アメリカの最後」でもいいのか?!
米国で発生した架空の内戦をジャーナリストの視点から描いた問題作。
政治的な主張の違いから深刻な対立が激化する現代のアメリカ。そんな状況に着想を得て本作が作られたことは容易に想像できるが、一方で現実の政治的対立を反映しないよう、慎重な配慮がなされていることにも注目。
そのひとつが設定上のリアリティの欠如。
3期目の任期に突入した合衆国大統領は、FBIを解体した以外にどんな施策を行ったか、作品上まったく示されない。
従って、いかなる理由で19もの州が連邦離脱に至ったのかも、WF(西部勢力)との間で内戦にまで発展したのかも最後まで不明のまま。
そんな中、唯一具体的といっていいのが、WFを構成しているのがテキサスとカリフォルニアの二州だという点。
政治的に保守的な地盤のテキサス州と、リベラルな政治風土のカリフォルニア州が連合して政府に反旗を翻すことなど有り得ないのは、合衆国憲法で大統領の任期が二期までに制限されていることと同じく、アメリカ人にとって常識。
当然、これらの非現実的な設定が恣意的なものであることも明白。
さらなる対立を煽るような政治的題材を引用して、公開後に暴動を誘発することを危惧しているからで、それが杞憂ですまされない可能性があることは、2020年に起きた連邦議会占拠事件が証明している。
NYでの暴動を取材後、メディアに沈黙を続ける大統領から独占インタビューを取るべくワシントンDC入りを計画するベテランジャーナリスト3人。
その中のひとり女性カメラマンのリーに憧れ、フォト・ジャーナリストを志す若いジェシーがさらに加わった一行は自動車で首都を目指す。
作品は一貫してジャーナリストの主観で綴られ、民間人の犠牲を声高に非難したり、兵士との心の交流などの戦争映画にありがちな、お涙頂戴の場面や感動的な演出を排除することで、製作者が観る側にも画面から目を背けず中立な立場で鑑賞するよう求めていることが伝わってくる。
戦争がなぜいけないのか─。
殺人の肯定もだが、戦争が人間を簡単に狂わせるからだと自分は思う。
一行は首都までの道中、幾度も戦闘に遭遇し、戦争の狂気を目の当たりにする。
拷問した捕虜との記念撮影をリーらに求める若い兵士、相手が誰かも分からぬままライフルを乱射する狙撃兵、ホワイトハウスで交渉中の報道官を文字通りの問答無用で射殺するWFの突撃兵。
そして、極めつけは顔見知りのジャーナリストと合流後の一行を待ち受ける所属不明の武装グループ。
一行に「どんな種類のアメリカ人なんだ」と訊問し、異質と判断すれば即座に射殺する彼らの正体は明確には示されないが、おそらくは内戦に便乗して人間狩りを繰り返す差別的な自警団。
これらのエピソードは戦時下での実際の出来事をモチーフに「再現」され、非現実的な設定とは裏腹に、リアルな戦争の狂気と恐怖を観る者に突きつける。
ジェシーを演じたのは、『エイリアン・ロムルス』でヒロインの少女を熱演したケイリー・スピーニー。
撮影時の実年齢が25歳で設定上は23歳だが、メンバー中とりわけ若い彼女の見た目の印象はもっと若く10代にもみえる。
自警団に捕らわれて自らも殺されそうになった挙げ句、合流した報道仲間と一行の知恵袋的存在だったサミーの命を奪われ、激しく動揺したジェシーはその後の行動に変化が生じる。
それまでは若さゆえか、拙さや戸惑いが目立ったが、首都制圧を目指す現地のWFに合流後、飛び交う銃弾をものともせず、率先して被写体にカメラを向ける。
つらい経験を越えて報道カメラマンとしてひと皮剥けた姿にもみえる一方、自暴自棄にも映る彼女の行動をリーたちは心配する。
クライマックスの首都攻防戦のシーンは圧巻の一言。
火力にものを言わせ、殲滅作戦で政府軍を圧倒していくWFは脱出を図る大統領の車列にも、容赦なく砲弾を浴びせる。
そんな中、リーは長年の経験から大統領がホワイトハウスにとどまっていると判断、ジョエルやジェシーとともに邸内へ進入し、WFの突撃兵も追随する。
数度の銃撃戦ののち、突撃隊はついに大統領執務室に肉薄し、世紀の一瞬を逃すまいとジェシーは不用意にも一歩前へ。シークレットサービスの照準に捉えられた彼女の命を救ったのは、みずから盾となったリーだった。
自身の憧れで道中の庇護者だった彼女が代わりに銃弾を浴びて斃れるのを目の当たりにしながらも、ジェシーはスクープを優先して執務室へと向かう。
その姿をジャーナリストとしての成長と捉えるべきか、人間性の喪失と感じるべきなのか─。
作品中の大統領をトランプ前大統領に比定する人も多いと思うが、本作の大統領は出番も極めて少なく、ほぼ無個性で名前すら判らぬまま。
最後でジョエルに促されて命乞いするが、WFの兵士に躊躇なく「処刑」される。
このシーンを観て溜飲を下げる人もいれば、やり過ぎと感じる人も多い筈。
だが、内紛や内戦下で敗者が正式な手続きなしで処刑されるケースはルーマニアのチャウシェスクやリビアのカダフィらの例にあるとおり、珍しいことではない。
製作側は鑑賞者の中にこれらの例を想起する人がいることを期待し、同時に「アメリカの最後も同じでいいのか」と問い掛けているのかもしれない。
映画はジェシーが撮影したと思しき、処刑された大統領を取り囲む誇らしげな突撃兵の写真にエンドロールが重なる映像で終了する。
このラストに強い違和感や嫌悪を感じた人は、やはり「戦争はいけない」と分かっているからだと思う。
作品の最後で一人前の戦場カメラマンとして、スクープをものにしたジェシー。
彼女の将来を待ち受けるのは、ピュリッツァー賞などの名誉や富か。
それとも目標だったリーや、26歳で戦地に散ったゲルダ・タローと同じ末路なのか。
そんなことは、世界中で戦争が続く限り誰にも分からない。