「今まさに起こりえる現実 ジャーナリズムの重要性が今こそ問われるとき」シビル・ウォー アメリカ最後の日 レントさんの映画レビュー(感想・評価)
今まさに起こりえる現実 ジャーナリズムの重要性が今こそ問われるとき
報道カメラマンのリーは言う。紛争地域で写真を撮り続けたのは祖国に警告するためだと、こうはならないでくれと。内戦が勃発しすべてが無駄に終わった時、彼女は報道の意義を見失う。
内戦を招いた元凶である大統領のインタビューを取るために首都へ向かう途中でリーたちは国内の惨状を目にする。拷問を行う者、ただ通りすがりの人間を狙撃する者、虐殺した大量の遺体を埋めようとする者、それらの光景は過去そして現在も世界中の紛争地域いたるところで繰り広げられた光景だった。異なるのはそれらの光景が自分たちの国で行われていたことだった。報道カメラマンは皮肉にもパスポートなしで紛争地域に足を踏み入れることができた。
それら惨状を目の当たりにして、また自分たちの命が危機にさらされリーの心は絶望感に苛まれていく。逆にリーが若き日の自分と重ね合わせていたジェシーは生死の境を体験して肝が座っていく。
目的地のワシントンD.C.にたどり着いたとき、その激しい戦闘の中でかつて戦場カメラマンとして名をはせた彼女の姿はもはやどこにもなく、ただその場にうずくまりおびえるだけだった。逆に修羅場を潜り抜けてきたことで成長したジェシーはひるむことなくカメラを向け続ける。
ホワイトハウスに潜伏する大統領にまであと一歩と迫った時、リーはジェシーをかばい銃弾に倒れる。ジェシーは倒れたそのリーの姿に動じることなくそのまま撮影に向かう。まるでリーの魂がジェシーに乗り移ったかのように。
リーの役目は終わった。彼女の意思はジェシーに引き継がれたのだ。リーの撮り続けた写真をもってしてもこの祖国の内戦を止めることはできなかった。これからは自分に代わり写真を撮り続けろ、このような悲劇が繰り返されないためにも。そんなリーの意思がジェシーに引き継がれたかのようだった。
最近のアメリカの世論調査では内戦が起きる可能性があると答えた人は実に4割にも上るという。近年国内では連邦議会襲撃事件をはじめミシガン州知事誘拐暗殺未遂事件などSNS上での陰謀論に端を発したテロ事件が頻発している。これらの元凶はトランプ元大統領であったり、Qアノンのような陰謀論者であったりと様々だ。事件を起こしたのもトランプの熱狂的な支持者たちだ。
いまやSNS上では偽情報やデマが飛び交っており、それらの情報をただ無防備に信じ込む人々が多いことには驚かされる。確かに何が正しい情報なのか、その情報の出どころはなんなのか、いまや生成AIによる偽画像までが出回る中で何を信じたらいいのか。如何にして誤情報に惑わされないようにすべきなのか。
ただ一つだけ言えるのはこのような誤情報やデマは巧妙に人間の心の隙を突いてくるということだ。とかくこのような誤情報やデマを信じる人間は元々バイアスがかかった人間が多い。楽をしてお金を儲けたいと考える人間がたやすく詐欺に引っかかるように例えば差別主義者ならば有色人種にとり不利な情報ならば信じやすかったりする。そういう先入観や偏見を持つ者にほど誤情報やデマは何の抵抗もなく伝播しやすい。それらの情報は自分たちにとって都合がいいからだ。
現在のアメリカは白人の割合が減少しており、彼ら白人至上主義者たちは危機感を抱いている。もともと自分たちの国だったはずがいまや移民などの有色人種に乗っ取られようとしているという危機感を。だからこそ彼らは移民排斥を唱えるトランプを支持する。議会襲撃事件を起こした人間はほとんどが白人で比較的裕福な層の人間たちだった。彼らの意識の根底には人種差別意識が根強い。
ただ過激思想は今や極右に限らない。不当な政治を排除するためなら暴力も許されるという考えがそれを許さないという意見よりも多いことがトランプ暗殺未遂事件で明らかになった。もはや過激思想は右派左派関係がない。そんな過激派たちや一般人によるテロ事件が頻発する中では先の世論調査の結果も頷ける。そして不満を抱く彼らにSNSでの誤情報がさらに油を注いでいる。それはまるで心の隙を突いて人間を惑わす悪魔のようだ。
こんな時代だからこそジャーナリズムの重要性が問われている。人々の心を惑わせる偽情報を一蹴するだけの正しい情報、信頼できる報道機関による信頼できる情報が。
リーやジェシーたちは自分の命も顧みず真実を伝えようとした。それは今この世界各地で起きている現状を世界に知ってもらいたいという強い思いからだ。彼女らは自分の親たちのように見て見ぬふりをできない。同じ国で起きている内戦を他人事のようにそ知らぬふりをする街の人々はまさに世界中で起きてる紛争に無関心を装う人々の姿そのものだ。
リーたちジャーナリストは偽情報を拡散して人々を混乱に陥れる者たちとは真逆であり、リーたちが発信する情報こそ世界中の人々に真実を伝え、世界中の人たちの架け橋となるものだ。無関心な人々の目を向けさせようとするその努力は徒労に終わるかもしれない。それでも彼らは情報を伝え続ける。
そんな彼らに受け取る側も真摯に向き合う必要がある。自分たちの聞き心地のいい真否不明の情報に飛びつくのではなく、何が正しく何が正しくないのか真実を見極める目を養うことで彼らの発する情報がはじめて生きてくる。それが情報を受け取る側の義務だ。
本作での内戦の理由は大統領の独裁が直接の原因とされているが、今現在起きるかもしれないとされている第二次南北戦争は差別がその根源にあると言われている。かつての第一次南北戦争も奴隷制廃止に抗う南部とそれを支持する北部との戦いであり、やはり差別が根底にあった。
映画「福田村事件」の原作者はこのSNS上に飛び交うデマ情報に翻弄される人々の姿を見て、再び過去の惨劇が起きるかもしれないという危機感から本を執筆したという。
イギリスでも先日デマ情報によりイスラム教徒へのヘイトクライムが起きたばかりだ。これはけしてアメリカだけでの問題ではない。「過去を忘れる者は再び同じ過ちを繰り返す」、その言葉通り過去を忘れる者たちによって歴史は繰り返されてしまうのだろうか。
リーは紛争地帯で写真を撮り続け祖国に警鐘を鳴らしたが、リーの願いが叶うことはなかった。本作の監督は警鐘を鳴らすために本作を撮影したという。果たして監督の願いはかなうのだろうか。
コメントありがとうございました。ジャーナリストには記録し後世に伝える役割があることには疑いなく同意ですし、制作者がそれを尊重しているとも思います。ジェシーが斃れたリーを置いていったのは当然で、あの状況で現場の記録を残せるのは彼女のカメラしかないからです。
その上で(あくまで個人的な解釈です)、ジェシーは道行きで精神的・肉体的にもタフになり、撮影技術も学びましたが、学ばなかったのは「権力との距離」です。ジャーナリズムに、一枚の写真に力があるからこそ、権力者はそれを利用しようとする。エンベッドならなおさら、軍は最初から自らに有利な写真・記事を出稿させる目的で帯同を許すのです。ジャーナリストはそれを意識して権力との関係を律する必要がある。最後の「記念写真」を見る限り、ジェシーは(WF支持者だったのでなければ)そのことに無自覚でした。リーならあの撮影は断るでしょう。
単なる経験の足りなさゆえかもしれませんが、私はむしろ、伝統的なジャーナリストの倫理感・行動規範が滅びつつあり、代わって何やら明確ではないが異質な考え方が台頭してきている、そのことをリーとジェシーに仮託したのかと思いました。それはジャーナリズム批判というより、社会の変容への警告かもしれません。長文すいません。
また、命の危険に晒される最前線においてまで、善良な市民のような言動を求めようとも思いません。
終盤に現場で生きる実感を得たジェシーの頼もしさとかすかな怖さがあるとレビューに書いたのですが、それは彼女が真に戦場カメラマンになったことの証でもあると思いました。
長文失礼しました。
他の方のレビューはジェシーに対して批判的なものが多いんですが、私はそこまで不快には思いませんでした。
いかなる状況においてもカメラを構える報道カメラマンは一般人の目には時に非常識に映るのかも知れませんが、彼らが撮ることでしか私たちが知り得ない真実はあると思います(その撮り方に意図が込められることを踏まえても)。
コメントありがとうございます。
読み返すと確かにジェシーを悪く書き過ぎていました。
私も映像の意図(純真な女の子がリーに憧れて、
彼女を教師として成長して行く姿そして冷徹になって行く)
乗せられたかも知れません。
でもリーが、身を挺して庇った姿を映してるリーには
違和感んがあります。
リーは若い頃、そこまで冷徹だったかは、分かりませんが。
戦場で平常心を保つことは難しいですものね。
もう少し考えてみます。
編集で手を入れるかも知れません。
ご指摘ありがとうございます。