「ホラー映画よりも「ホラー」している映画。」ガール・ウィズ・ニードル チャキオさんの映画レビュー(感想・評価)
ホラー映画よりも「ホラー」している映画。
そのポスターの雰囲気、そのタイトルを見て、自己判断でホラー映画かと思って鑑賞したが、それは違ったようだ。無論、目を背けたくなるようなホラー的シーンもあるのだが、むしろ、人間の持つ本質・本能・エゴなどを、戦争を通して表現した、非常に気分が重たくなる、考えさせられる映画だった。
全編モノクロで構成されていることもあって、戦時中の疲弊し陰鬱とした、主人公カロリーネの日常生活や苦悩などが、いやがうえにも強調されフォーカスされる。特に、西欧人特有のホリが深くて立体的な顔立ちや表情は、白黒描写による光の陰陽でさらに際立って見える。
主人公の女性カロリーネは、戦地に赴いている音信不通の夫を待つことができずに、自分の雇い主と情交して、子を宿すことになるのだが、結婚ができないとなると、一転、公衆浴場で巨大な針(ニードル)を使い、自らの陰部にそれを何回も抜き差しして堕胎を試みる。
個人的にこの場面は、劇中で、一番グロいシーンで結構キツイ。そして、自分の胎児にそのようなことをするものなのか、結局のところ、相手の男性と恋に落ちたというよりも、結婚(妊娠)することで今後の自分の生活をとり、打算的に情交したのでは思えてしまう。戦争・貧困・寡婦など彼女に同情できる理由は多々あれど、人間はここまでしてしまうものなのか、変貌してしまうのかと考えると、ただただ恐ろしい、ホラーです。
結局、カロリーネの堕胎は未遂に終わるのだが、劇中後半からのほぼほぼ主人公である女性ダウマと公衆浴場で知り合うことになる。ダウマは、出産しても育てることができないカロリーネのような女性たちから、その子供と手数料をもらって、表向きは菓子屋で、モグリの養子縁組の斡旋業を行っていた。ダウマは、子供を引き取る際に、帰っていくその女性たちに声をかける。「あなたは正しいことをした。」その言葉に、女性たちの「心の負い目」は、浄化され癒されていく。しかし、ダウマ自身が正しいことをしたかといえば、その真逆で、預かった子供たちを殺害して下水道に死体を遺棄していた、という見事な連続殺人鬼っぷり。ダウマは、裁判で死刑判決(←記憶が曖昧です。)を受け、聴衆から罵声を浴びせられる。その罵声に対して、ダウマは叫ぶ。「あんたらのためにしたんじゃないか。」と。
日本の伝統工芸品の「こけし」は、「子消し」ともいい、その昔、貧困ゆえの口減らしのために、自らの子を堕胎して、その魂を弔うために作られたもの、という説があるが、ダウマが投げかけた言葉、「あなたは正しいことをした。」は、ある意味、「こけし」のように母親たちの心の慰めになっていたのだろう。もし、そうであるならば、一方的にダウマを責めることは簡単で分かりやすいが、理にかなっていないし不公正であるよにも思う。
いずれにしても、戦時中という特殊な状況下では、善・悪や正義・不正義の判断が平時以上にとても困難である。善人だった人も、善人のように見えた人も、理性が次第に削ぎ落され、本質・本能・エゴがあらわになってしまう。だから、戦争はすべきではない、けしかけるべきでもない、とは思うが、そのこと以上に、戦争によって人間は変わってしまうという事実がとても悲しい。私もそうなってしまうのか、ただただ、不安でしかない。
しかし、そのような戦争下でも、そうはならなかった、この映画の救いといえるような存在が一人、劇中にいたのだ。
主人公カロリーネの「夫」だ。彼は、音信不通でカロリーネからは死んだと思われていたが、ある時、長い沈黙を破って、カロリーネのもとに戻ってくる。一時は、彼の安否を気にしていたが、雇い主の子を身ごもり結婚を考えていたカロリーネは、冷たく彼を追い払ってしまう。そんな彼は、気丈にも不貞腐らず、サーカス団員の一員となって、その日その日を力強く生き抜いていて、後に、彼のもとへ戻ってくるカロリーネを温かく受け入れたのだ。
なぜ彼が、当初、音信不通だったのか。なぜ彼が、サーカスで生活の糧を得ていたのかは、映画を見てほしいが、まさに「ボーイ・ウィズ・マスク」。私も彼のように人間のやさしさを持って振舞えるだろうか。ただただ、不安でしかない。
カロリーネは23歳の設定(ダウマの手帳)であの奮闘ぶり。エクソシストやキャリーみたいに次の役が来ない女優になりそう。という余計な心配をしました。ホラーなら、やはり、医者の実験材料としての嬰児殺しを想像しますね。
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