「神にでもなろうとしている人達」私たちが光と想うすべて アントニオ3世さんの映画レビュー(感想・評価)
神にでもなろうとしている人達
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商業大都市ムンバイの病院で看護師として働くプラバ、彼女の同僚で年下のルームメート、アヌがこの映画の主人公。
プラバには結婚式以来、長い間会っていないドイツの工場で働いている夫がいる。1年以上電話の連絡さえもしてこない夫を待ちつつ、同じ病院の食堂で働くパルヴァティ、彼女は高層ビル建設のために何十年も住んでる住居の立ち退きを迫られているが、プラバはそんなパルヴァティに何かと世話をする優しい女性だ。
アヌには周囲に隠して交際している男性がいる。彼はムスリムでヒンドゥー教が主要な宗教であるインドでは異教扱い、風当たりが強い様だ。アヌは自由でいられる場所が何処かないものかと思い悩んでいる。
彼女達を抑圧しているものは慣習、規律、宗教観でそれは親、お金持ち、国家でもある。
しかし劇中で彼らの姿は出て来ない。
パルヴァティが言う、「神にでもなろうとしている人間達」。日常、時間、意志を奪い続けている見えない力と見えない姿。
何だか眉間にしわの寄る話続きの様だか微笑ましい場面や笑えるシーンもある。
まさか外国映画で「写真で一言」が観れるとはね。反則でしょ。
高層ビルによる深く長い影、モンスーンによる大雨と暗い空。人口密度の高さによる熱気と圧迫感。そんな暗闇の中、彼女達のまなざしの先には様々に美しく差す光。
僕が生きている間に人口やGDPによる変化ではなく、規制や制約に収まらない本当の変化がインドで起こったら、真っ先にこの映画が思い浮かぶだろう。
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