グランドツアーのレビュー・感想・評価
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過去と現在を地続きとして見せる壮大な追いかけっこ
エドワード編とモリー編の構成なのには意表をつかれた。
だからこそ
それぞれの主観が見れて大きく深く入り込めた。
しかし7年も婚約したままというのが、
もはや結婚したいとは思えないってことじゃないのか?
と思うが、逃げるエドワードも追うモリーも
それぞれ壮絶な旅になっている。
この設定が秀逸と思った。
西洋から見たアジアもヘンテコではあるが、
これはこれでまあ面白い。日本の虚無僧とか、
坊主がポルトガルを喋ったりとか。笑える。
カラーとモノクロの見せ方も、1918年と現代を
それぞれ表しているのかなと思った。
まあわかりづらいっちゃ、わかりづらい。
それにしてもモリーの「ブーっ」という笑い方は
耳につくし、唾が食べ物に入ってそうで、
気になってしょうがない(笑)
ラストで死んだモリーが、
実は映画の撮影でした的に目を開くシーンは、
過去と現在がつながっているように見えたし、
どういうこと?と考えさせられるオチだと思った。
ところどころ意識を失ったため、
完璧には把握していないが、斬新な作品だと思う。
この映画を日本人にわかれと言われても。
グランドツアーと言えば、イギリスの裕福な貴族の子弟が学業の終了時に行った国外旅行とだけ覚えていた。日本の卒業旅行の起源か。映画の前半では、大英帝国の公務員エドワードが、優柔不断のまま7年越しの婚約者から逃げるために、アジアの各地を旅し、後半ではその婚約者モリーが、その後を追いかける冒険譚。
エドワードは、任地に近いビルマ(ミャンマー)のラングーンを出発点に、シンガポール、タイのバンコク、ベトナムのサイゴン、フィリピン、日本、中国の奥地へと逃げる。モリーは彼のあとを追って、サイゴンから中国へと移っていた。当時の情景は、主にセットで撮影されモノクロで、挿入される現在の情景はカラーで出てくるが、モノクロの背景にもスマホやオートバイなど現在の情景が映り込んでいる。この映画は、時間と空間を越えていた。会話には、監督の母国語であるポルトガル語が用いられているが、欧州の言葉(フランス語や英語)はそのまま出てきて、かつ現地ではビルマ語を始め、それぞれの土地の言葉が縦横に使われる。つまり多言語のパレード。しかし、字幕では全く区別がなく、しかもしばしば翻訳なし。
欧州では、この映画は2024年カンヌの監督賞をはじめ、極めて評判がよいが、日本ではさっぱり、なぜだろう。舞台は1918年、第一次世界大戦の終結の年。この戦争で英国は多くの俊秀を喪い、大英帝国は事実上滅びた。この映画の出演者の運命もそれを反映しているが、欧州の観衆には自明だろう。
彼らには東洋への憧れがある。現在、欧州ではプーチンによるウクライナ侵攻、イスラエルのガザをはじめとした周囲への攻撃は止む気配がなく、英国のブレグジットやフランスでの超保守の台頭など、油断のならない情勢が続いている。
この映画で最も印象的だったのは、長江の河口に近い上海に上陸して川を遡り、激流で橋をかけることができなかった重慶、さらに成都を経てチベットをうかがう中国での情景だが、最も強い違和感を持って語られていたのが日本文化であったことも忘れてはならない。それだけ、関心が高いのだろう。しかし、映画を見ていた私たちにわかれと言われても。
退屈な2時間だった
時代設定が1918年からスタートしているのだが、映像の中で走っている車が時代にあっていないし、カラオケで「マイ・ウェイ」を熱唱しているおっちゃんが出てきたり(←カラオケなんかないし、しかもナイキの帽子をかぶっているし…)、日本のシーンではドンキホーテが出てきたりして、私には、まったく理解不能の作品だった。
エドワードが、タイムスリップしているかと思ってしまった。またエドワードの婚約者のモリーの笑い方が、下品というか…
2024年のカンヌのコンペティションで監督賞を受賞した作品のようだが、選考基準はどのような要件になっているのだろうか?私は我慢して最後まで鑑賞しましたが、途中退場者が数人いたのも共感できました😭。
長江の自然な流れに逆らってまで婚約者を追い続けるモリーは頑迷な西洋のメタファーか? 独特な世界観で描く West meets East の物語
いきなり個人的な趣味の話で恐縮ですが、私は映画を観る前、観た後に地図が見たくなるような作品が好きです。地名が題名に入っている作品は「いったいどこ?」と地図で場所を予習してから、その作品を観ますし、劇中で登場人物がA地点からB地点に移動したりしますと、鑑賞後に地図上で定規で距離を測って「ははーん、彼らの動いた距離は東京-大阪間ぐらいか」とあたりをつけたりもします。
さて、本作は挙式直前に結婚に怖気づいたエドワード(演: ゴンサロ•ワディントン)が婚約者のモリー(演: クリスタ•アルファイアチ)から逃げるために、ビルマのラングーン(今のミャンマーのヤンゴン)→シンガポール→タイのバンコク→ベトナムのサイゴン→フィリピンのマニラ→大阪→上海→重慶と移動しまくる物語でスケール感たっぷりです。と、書いたのですが、時代背景が第一次世界大戦直後の1918年ですから、ジェット機がばんばん飛んでるわけでなし、ダイナミックな移動シーンなどはありません。けっこうショボくて、エドワードはタイで列車の脱線事故に巻き込まれたりもします。また、1918年の物語の現在を描いているときはモノクロ画面なのですが、時折り、カラーでその土地それぞれの2020年頃の街の様子がドキュメンタリー風に挿入されます。マニラのおじさんがカラオケで感無量で歌う「マイウェイ」はおじさんの涙もあり絶品です。大阪ではドンキのネオンサインや道頓堀川の両岸の様子が映し出されます。大阪でエドワードがうどんを食べてる(そういえば『ブレードランナー』でハリソン•フォードが21世紀のLAで天ぷらうどんを食ってたなと思い出しました)と、そこに虚無僧が現れるというシュールな展開もあります。
追いかけるモリーのほうはマニラと大阪はスキップしたみたいで、サイゴンから上海へと追いかけてきます。彼女に言い寄る男もいたのですが、彼女は永遠の愛を信じるがごとく信念を持ってエドワードを追いかけます。
でもまあ、ふたりとも中国の内陸で力尽きてしまうんですよね。逃げていたエドワードに関してははっきりとは示されませんが、追うモリーのほうは彼女の死が描かれます。彼女はこのまま進めば危険だという地元民の忠告を振り切って長江の流れに逆らって上流へと進んだことで致命的な事故に遭います。
鴨長明の方丈記の冒頭の「ゆく河の流れは絶えずして、しかも本の水にあらず」という有名な一節は東洋的無常観を説いているわけですが、永遠の愛とか信念にこだわったモリーが長江での事故が原因で命を落とすというのはなんだか象徴的ではあります。大袈裟に言うと、西洋的合理主義が東洋的無常観に屈してしまったとも言えるわけで。西洋では自然は征服する、あるいは制御する対象になったりもしますが、東洋では自然には逆らわないほうがよいとする考え方が主流だと思います。
7年間も会ってなくていきなり結婚式というのは、そこに「婚約」という「契約」があるからいいだろ、とする考え方みたいで、それよりは、愛は移ろいやすいものだから、確かめあっていかなければならない、いきなりは無理のほうが妥当な感じもします。このふたりの背景はよくわからないのですが、エドワードは結婚に怖気づいてるのではなく、モリーその人に怖気づいてる気もします。このモリーの「愛の押し売り感」がちょっと穿った見方をすれば、西洋の東洋に対する考え方、我々は遅れた君たちを指導しているのだという「帝国主義的押し売り感」に通じるのではないかと思います。
と、なんだか牽強付会で怪しげな展開になってきたのでここらで失礼したくなったのですが、最後に文豪ラドヤード•キップリングが19世紀に書いた詩の話をー
彼には「東は東、西は西」で始まる「東と西のバラード」という有名な詩があります。東洋の文化と西洋の文化は根本的に異なっているので永遠に交わることはないといった文脈で引用されることが多いのですが、実はこの詩には続きがあって「東もなければ西もない、国境も、種族も、素性もない」世界についても書かれています。で、こんな風になるための条件が詩の中に詠みこまれています。興味のある方は検索されてみてはいかがでしょうか。
難解な「リアル・ペイン」。ヨーロッパのアジア諸国に対する歴史観を知る旅。
19世紀以降本格化したヨーロッパによるアジア諸国への植民地支配。日本の第二次世界大戦参戦の目論見は様々あれど、東南アジアの人々にとってはヨーロッパからの独立のきっかけになったことは確か。でも、第二次世界大戦はアジアを植民地支配していた側がアメリカを抱き込み、日本が敗戦国になったのはご存知の通り。
アメリカにもフィリピンという植民地があったので、無関係ではなかったものの、結果的にアメリカが日本に制裁を下すという結果になった。
こういう歴史の流れの中で、ヨーロッパの人々が日本やアジア諸国の国々に、どういう感情を抱いているのかということが、少し気になっていた。
この映画は、1918年のイギリス人のカップルがアジアに新婚旅行に行くという形をとりながら、当時のアジアの文化、生活レベルか、現代の都市まで映し、現代に繋がる歴史を振り返る。
平たく言えば、アジア諸国を植民地化したヨーロッパからみた、現代に至る歴史観の総括のような映画だった。
登場人物たちも、いきなりカンツォーネを歌い出す人はイタリアの孤立を示しているように、ヨーロッパの国そのものを象徴するかのように機能する。
日本だけがヨーロッパの植民地にならなかったことに対する畏敬の念があることが合掌造りの村での禅問答から伝わる。日本の知性が侵略を阻んだのだと。
実際、ザビエルのキリスト伝来から日本への侵略を画策してたと思えば、キリシタン弾圧、鎖国など、日本の政策の先見性が理解できる。
中国に対してもアヘンなどを持ち込み、国家の機能不全からの侵略を画策したが、パンダの存在、宗教感の違いなどから大国への理解度不足から、侵略に失敗したことが描かれる。
逃げた婚約者を追いかける女のメタファーだけが、いまひとつ理解できなかったが、ベトナムでウェスタンシャツを着た男(アメリカ)とうっとりダンスするシーンから、文字通り抱き込んだつもりが抱き込まれたといいたいのかと思った。
特徴的な女の笑い声も、明らかにおかしなタイミングで発しており、ブーイングにも聞こえたから、侵略の歴史に対する自戒の念を感じさせた。
エンティングロールの最後は日本の尺八で締められ、日本は他のアジア諸国と比べて特別な国だというメッセージが伝わった。
良くも、悪くも、私の期待を裏切ってくれた🤣
今作のMVPは、
名曲マイ・ウェイを熱唱して感極まって泣いたフィリピン🇵🇭のオッチャンです、個人的に。
マイ・ウェイあるあるですね🤣世界共通だったとは!
結婚に自信が無いのか?許嫁を幸せにする自信が無いのか?婚約者を置いてアジア各国を逃亡する男と、
そんな彼の足跡を追いかけ続ける女性の物語なんですけど…
逃げる婚約者♂・ロバートの旅路はね、結構哲学的で何処か寂しさを滲ませながらも、未来に対しての前向きさや希望が有って大変ヨロシイ!
問題は…
追う婚約者♀・モリーの旅路…
ちょっ、おまっ…そんなのありかよ!って感じでさ😰
私的には…なんだかんだ云ってもモリーがロバートに追い付いて、結ばれるにしろ、お互い別の道に進むにしろ、ちゃんとケジメや決着をつけるのかなって思ってたんに。
ありゃないよ…😢
私も案外、ハッピーエンド体質ちゅうか🙇♂️
それに、モリーとロバートのキャラ造形にかなりの格差を感じる😅
本来…7年も婚約者を待たせて、挙句、婚約破棄をするでもなく、まるで自分探しの旅に勝手に旅立ったロバートこそ、責められて当然の筈なのに、
雨に濡れた子犬みたいな…か弱さや可憐さを漂わせて、なんだかんだで周りが彼を助けてまう…そして、悪っぽさの欠片も無い好青年に見えるから、あんま嫌われない感じになってる。
逆にモリーは、笑い声が殆ど放屁音な時点で好かれないし、ロバートへの執着心が段々と度が過ぎて来て、周りの協力在ってこそ旅が続けられているのに、徐々に自分本位な身勝手さを発揮して、
ぶっちゃけ逃げたロバート、正解やんってなったのが、
本当にイヤ😭
なので三ツ星でも高いくらい。
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