グランドツアーのレビュー・感想・評価
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つるつる亭は閉店したかも
アジア各国の風景を映しながら、平均的欧州人が東洋の文化や習俗を如何に誤解しているかを描き、それが何か問題か?と居直っているようにみえる。調子はずれの俗謡やど下手バンドやカラオケ親父に対比させてオペラやヒット曲を並べるに至っては明らかに見下している。
どうでもいい事だが、上海麻雀ではランダムに牌を捨てるので、フリテン無しなのかな?
ドタバタのち虚無感
シュールなロマコメ
結婚を約束した男女の数奇な運命を寓話的なタッチで描いたロマンス映画。
時代設定は1918年のはずだが、途中で携帯電話が出てきて驚かされた。その後も近代的な都市や乗り物が映し出され、時間の概念が覆される。
また、劇中には主人公エドワードが見る奇妙な夢の描写が反復され、どこまでが現実でどこまでが彼の夢なのか曖昧になっていく。
更に、中国で彼はまったくの別人に入れ替わり、不条理を通り越してストーリーの秩序その物が崩壊してしまう。
こうした理不尽な描写が続くので、難解というイメージを持つ人が結構いるのではないだろうか。かくいう自分も、これはシュールなアート映画という割り切りの上で鑑賞した。
ただ、意味不明なシーンが多いからといって決してつまらないとは思わなかった。西洋人エドワードから見たエキゾチックなアジアのイメージは、ちょっと歪曲された描写もあるが、そこも含めて”不思議”を体験する”観光映画”として十分に楽しめる。
印象に残ったのは、「マイ・ウェイ」をカラオケで熱唱して号泣するおじさん、バイクでごった返すサイゴンの街並みといったシーンである。これらはメインのドラマに直接関係してこないのだが、その生々しさにドキュメンタリーのような面白さが感じられた。
中盤では大阪駅地下のうどん屋も登場してくる。おそらくここもドキュメンタリーなのだろうが、「ブレードランナー」の1シーンが想起されニヤリとさせられた。
尚、グランドツアーというのは、20世紀初頭に欧米人の間で流行った極東へ向かうアジアの旅から生まれた言葉ということである。当時は欧州列強による植民地時代で、アジア諸国を訪れるツアーは新鮮なイベントとして人々に受け入れられていたのだろう。そうした意味を知ると、ここで描かれるエドワードの旅がカオス的なのも、ある程度確信犯的にやっているということが分かる。
何と言っても白眉は、美しい自然の佇まいを切り取った各所の映像である。撮影監督はアピチャッポン・ウィーラセタクンやルカ・グァダニーノの作品などで知られるサヨムプー・ムックディプローが務めている。
本作は基本的にモノクロ映像が続くが、時折カラー映像も出てくる。その切り替えについては余り法則性が感じられなかったが、ともかくモノクロで捉えた森の風景が美しい。ウィーラセタクンの「ブンミおじさんの森」に通じるような幽玄的な妖しさと言えばいいだろうか。どこかマジックリアリズム的な雰囲気に魅了された。
一方、プロットはこれといった複雑な要素はなく、かなりシンプルにまとめられている。
前半はエドワードの視点で描かれるロードムービーになっていて、次にどんな出会いと事件が起こるか?興味深く追いかけていくことが出来た。
後半から一転、語り部はエドワードを追いかけるモリーの方に切り替わる。途中でサンダースという富豪が現れてメロドラマ風な展開に突入するが、正直このあたりからこの映画は少し停滞してしまった…という印象を持った。個人的には前半のエドワードの旅の方が面白く観れた。
ラストは幻想的で綺麗にまとめられていると思った。ただ、メタフィクション的な演出は余計であろう。これは無かった方が断然にスマートで良かったと思う。
20世紀初めころ, 大英帝国だった頃. アジアに赴任した公務員. ...
20世紀初めころ, 大英帝国だった頃. アジアに赴任した公務員.
婚約したものの, 間際に怖気づいたのか, 相手の女性が到着する前に, アジアの他国に逃げだして.
女性の側は, 結婚する気満々で追い回し. 執拗で執念深く.
ラングーン→シンガポール→バンコク→サイゴン→マニラ→大阪→上海→重慶→成都?
題目の通り, 大規模な旅路でした.
各地それぞれの景色や慣習の絵面が美しい反面,
どうせ旅するなら, 温和に気楽に出かけたいですね.
スケール感やエキゾチックは,私的には好きなのですが
欲を言うなら, 劇中の会話をアジア各地の言語にしてほしかった (ポルトガル語は無いでしょう) とか
街の景色も, その時代らしくしてほしかった (道頓堀沿いのドンキ等ネオン街とか, 上海タワーや高層ビル群とか, 街の少年が胸にスポンサー企業ロゴのついたどこかのチームのユニフォームのレプリカとか...)
そういう消化不良な感じも否めない鑑賞になりました.
支離滅裂
世界は美しいもので溢れている
ベースは西洋人からみた東洋の異国情緒の描写だが、
その取り上げる視点、表現方法がとてもユニークで面白い。
カラオケを熱唱するおじさんとか、
街中をたくさんのバイクが交差して走る様子とか、
普段それだけを観ていても何とも思わないのに、
組み合わせる音楽の効果もあって、
なんだか特別な美しいものを観ているようで
時折感動してしまうのが不思議。
日本パートの違和感も、逆に日本人にはなかなか思いつかない表現で、
新たな価値が付与されるようで面白い。
異国で婚約者を追いかける女、逃げる男という物語設定は、
それ自身で何かを主張、語るためのものではなく、
美しいと感じる様々な事物を魅せるための土台でしかないんだろうなと思った。
人生は必ずしも不可逆的に一直線に進むモノではなく、
観覧車のように同じところに戻ってきてしまったり、輪廻転生を繰り返すもの、
そんな東洋的な思想も肯定的な通奏低音として流れているようで
不思議と幽玄さや深みも感じる映画でした。
オーディエンスを意識してもらいたい
好きなことをして、あれこれやってもいい年齢になったのだろうと思います。出品したり監督賞をもらうと案外売れるものだと聞いてます。
逃げて追求する、西洋と東洋、夢もまた現実、劇中劇、過去と現在、人の生涯はうたかたなのでしょう。何でも突っ込み、監督はそれなりに創り上げた気分でしょう。
そもそも酷い口コミを知ったうえで観たので、理解しようとか何かを得ようとか思わず漂ってみました。深くもなくアバンギャルドも驚きもありません。役柄がイギリス人同士で、ロンドンに帰れと言いながら英語さえ使っていない雑な仕上がりは安いテレビドラマ、陳腐なハリウッド映画かもしれません。
とりあえず西洋文明が急速に発達した現代で、東洋の私たちも、そうした時代を生きてはいるけれど、男と女が簡単には理解し合えないように、ほかの文化を簡単には理解できないものだということは当然のことと、受けとめてほしいものです。新書を1冊買いたかったです。
虚無僧がつるつる庵で腹ごしらえ
まあちょっと長すぎるけどね。面白いことは面白い。
すいません。全然関係ないけどまず思い出したのは「兼高かおる世界の旅」でございます。(突拍子ないのでいつものレビューに比べて低姿勢です)
もう若い人は知らないかもだけど1990年に終わるまで30年以上続いたTBSのTV番組で毎回、兼高さんがどこか外国に行って好き放題をする。その映像を兼高さんと芥川隆行さん(名ナレーターです)が掛け合いで解説するという趣向です。余談の余談だが私は、兼高さんが水着になっていてそれを芥川さんが「ほーほー、まだいけますね」といっているセクハラ回を観たことがある。
この映画は、ミゲル・ゴメス監督の談によると、アジア各国へのグランドツアー、男を女が追いかけるといく粗い企画だけあって、そのまま先にアジアロケを敢行したらしい。ちょうどコロナ禍とかぶったこともあって本チャンの脚本は遅れに遅れ、後で辻褄合わせしたという通常の映画制作では考えられない成り立ちとなっている。だからマニラでなんの関係もないオッサンがマイウェイを絶唱しているというわけのわからんシーンが入っていたりする。そもそもモリーはフィリピンと日本には行かないのだから、エドワードのそのシーンもいらない道理となるよね。でも監督はどうしてもその映像を使いたかった(虚無僧とかも)のでこんなことになっている。ほかにもナレーション(兼高かおると同様、男女の掛け合い)が全く映像とマッチしていなかったりする。
すごいよね。理屈でいえばモンタージュっていうことになる、映画が映画たる基本理論に忠実ってことになるのだろうがこれほど好き放題の作品はあまりないよね。できれば、エドワード編とモリー編に分かれているところ交互にするとかしてもらえれば尺を短くできたと思うが多分それでは好きな画を全部はめ込めなかったのだろう。
あと、音楽の趣味もすごい。最後に流れるのがホビー・ダーリンの「Beyond the Sea」だよ。今どきここまで子供っぽい選曲をする映画監督もあまりいないんじゃない。
夢にしても
2025年劇場鑑賞290本目。
エンドロール後映像無し。
エンドロール中なんかどこかの言葉ずっと流れてましたけど字幕ないから分かりません。
モノクロ映画だと思っていたらカラーだったのであれ?と思ったらビルマかどこかの少年だか青年が見ている夢の話ということで、エドワードというイギリス人になって7年ぶりの再会で顔を忘れた婚約者から世界中を逃げ回る、というナレーションと共にモノクロになるので、人によっては夢って色ついてないらしいのでそういうことかと思って観ていました。
夢だからエドワードが途中で中国人のおじいさんに変身して、ルールを知らない麻雀をやって負けて大爆笑なんてシーンがあっても不思議じゃないんですが、ナレーションで爆笑って言ってるのに画面のおじいさんは全く笑っていないんです。多分世界中で適当に映像を撮って、後からナレーションつけて1本の映画になるように無理やりやったんじゃないかと思います。そのうち夢だからモノクロというルールも自分で破って、カラーのシーンも出てくるのですが、映画のためじゃないロケハン用の映像とかも使い始めたのかな。
まぁこんな支離滅裂な映画でも、日本のシーンが出てくると、めちゃくちゃ過ぎてそれはそれで面白かったです。この映画、世界中を回るので、その国ごとにそこの国の言語でナレーションが入るのは凝ってます。日本は監督の言ってること全然分かんないからどうやるのが正解か分かってない西島秀俊が戸惑いながらやってるみたいなナレーションでした。実際は誰か分からないのですが。
夢だから適当でいいんですけど、現代日本(エドワードの時代が1910年代くらいだから現代日本が出てくる時点でおかしいんですが)で自衛隊じゃなくて軍人がいたり、虚無僧が托鉢じゃなくて物乞いをしたり、虚無僧の中身の名がタケオだったり。もっとこう虚無僧みたいな感じの名前あるだろ!
人の夢の話ほど興味ないと言いますが、それを地で行く映画でした。
素敵なカット多数。しかしう〜ん、という感じ
ミゲルゴメスのカンヌ出品作
随分昔に場面者写真を見た時から絶対見たいと思っていたのだけど、まあ「クイア」とか「フィツカラルド」とか「夢の涯までも」みたいなのにはならないよな。
世界の果てまで逃げて&追って、という魅力的なフリがあって、線路で遠い遠い場所に遠ざかっていく絵が出てくるだけでちょっと魅力的。しかもそれが森の中でひっくり返ってるので更に魅力的。
しかしそこからはアート系なのでそのモチーフを元に現代映画が展開される。物語でグイグイといくわけではないので行った国々の景色、間(のようなもの)はしっかり体感できる。土地土地のサウンドもとてもいい。
居心地はいい。野生のパンダ、って、こういう中に収まってるのをはじめてみたな。言ってみたら目も眩むような幻想の中の風景が繋がれて、幻を体験している気にはなる。アジアの好きなところ、過去も現在も、ざっとまとまってる感じ。というコンセプトではそれは体験できるのだけど、そうですかーで終わってしまうんだよな。
見事❗️アジアを旅した気分
凄い映画だった。外交官だが、結婚のプレッシャーでアジアへ逃亡したエドワードとエドワードと結婚したいためにどこまでも追いかけるモーリー。恋の逃避行、旅してまで男を追いかける女。脱帽。アジアを旅した気分だった。エドワードがまさか日本の大阪に逃亡するとは思わなかった。何故かドン・キホーテが出てきてびっくり。作品は見事。エドワード、モーリーはどうなったか。結末を知りたかった。
いや〜わからん。わからんすぎて面白かった?!
寝てしまいました
監督の自己満足
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