「長江の自然な流れに逆らってまで婚約者を追い続けるモリーは頑迷な西洋のメタファーか? 独特な世界観で描く West meets East の物語」グランドツアー Freddie3vさんの映画レビュー(感想・評価)
長江の自然な流れに逆らってまで婚約者を追い続けるモリーは頑迷な西洋のメタファーか? 独特な世界観で描く West meets East の物語
いきなり個人的な趣味の話で恐縮ですが、私は映画を観る前、観た後に地図が見たくなるような作品が好きです。地名が題名に入っている作品は「いったいどこ?」と地図で場所を予習してから、その作品を観ますし、劇中で登場人物がA地点からB地点に移動したりしますと、鑑賞後に地図上で定規で距離を測って「ははーん、彼らの動いた距離は東京-大阪間ぐらいか」とあたりをつけたりもします。
さて、本作は挙式直前に結婚に怖気づいたエドワード(演: ゴンサロ•ワディントン)が婚約者のモリー(演: クリスタ•アルファイアチ)から逃げるために、ビルマのラングーン(今のミャンマーのヤンゴン)→シンガポール→タイのバンコク→ベトナムのサイゴン→フィリピンのマニラ→大阪→上海→重慶と移動しまくる物語でスケール感たっぷりです。と、書いたのですが、時代背景が第一次世界大戦直後の1918年ですから、ジェット機がばんばん飛んでるわけでなし、ダイナミックな移動シーンなどはありません。けっこうショボくて、エドワードはタイで列車の脱線事故に巻き込まれたりもします。また、1918年の物語の現在を描いているときはモノクロ画面なのですが、時折り、カラーでその土地それぞれの2020年頃の街の様子がドキュメンタリー風に挿入されます。マニラのおじさんがカラオケで感無量で歌う「マイウェイ」はおじさんの涙もあり絶品です。大阪ではドンキのネオンサインや道頓堀川の両岸の様子が映し出されます。大阪でエドワードがうどんを食べてる(そういえば『ブレードランナー』でハリソン•フォードが21世紀のLAで天ぷらうどんを食ってたなと思い出しました)と、そこに虚無僧が現れるというシュールな展開もあります。
追いかけるモリーのほうはマニラと大阪はスキップしたみたいで、サイゴンから上海へと追いかけてきます。彼女に言い寄る男もいたのですが、彼女は永遠の愛を信じるがごとく信念を持ってエドワードを追いかけます。
でもまあ、ふたりとも中国の内陸で力尽きてしまうんですよね。逃げていたエドワードに関してははっきりとは示されませんが、追うモリーのほうは彼女の死が描かれます。彼女はこのまま進めば危険だという地元民の忠告を振り切って長江の流れに逆らって上流へと進んだことで致命的な事故に遭います。
鴨長明の方丈記の冒頭の「ゆく河の流れは絶えずして、しかも本の水にあらず」という有名な一節は東洋的無常観を説いているわけですが、永遠の愛とか信念にこだわったモリーが長江での事故が原因で命を落とすというのはなんだか象徴的ではあります。大袈裟に言うと、西洋的合理主義が東洋的無常観に屈してしまったとも言えるわけで。西洋では自然は征服する、あるいは制御する対象になったりもしますが、東洋では自然には逆らわないほうがよいとする考え方が主流だと思います。
7年間も会ってなくていきなり結婚式というのは、そこに「婚約」という「契約」があるからいいだろ、とする考え方みたいで、それよりは、愛は移ろいやすいものだから、確かめあっていかなければならない、いきなりは無理のほうが妥当な感じもします。このふたりの背景はよくわからないのですが、エドワードは結婚に怖気づいてるのではなく、モリーその人に怖気づいてる気もします。このモリーの「愛の押し売り感」がちょっと穿った見方をすれば、西洋の東洋に対する考え方、我々は遅れた君たちを指導しているのだという「帝国主義的押し売り感」に通じるのではないかと思います。
と、なんだか牽強付会で怪しげな展開になってきたのでここらで失礼したくなったのですが、最後に文豪ラドヤード•キップリングが19世紀に書いた詩の話をー
彼には「東は東、西は西」で始まる「東と西のバラード」という有名な詩があります。東洋の文化と西洋の文化は根本的に異なっているので永遠に交わることはないといった文脈で引用されることが多いのですが、実はこの詩には続きがあって「東もなければ西もない、国境も、種族も、素性もない」世界についても書かれています。で、こんな風になるための条件が詩の中に詠みこまれています。興味のある方は検索されてみてはいかがでしょうか。
Freddieさん、すごい!映画を見てから地図を見たくなる、とてもよくわかります。私はそれでも面倒くさくて見ないのですが(例えば、モンタナってどこ?)!キップリングの詩、素敵。西東詩集を書いたゲーテという詩人もドイツにいました・・・
欧州以外は文明など無く、蕃族の住処、辺境に過ぎないという上から目線が不快。未だにこんな視点で映画を撮ってる監督が鬼才と呼ばれるとは……“ぶー”しかないですね。
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