グランドツアーのレビュー・感想・評価
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まあちょっと長すぎるけどね。面白いことは面白い。
すいません。全然関係ないけどまず思い出したのは「兼高かおる世界の旅」でございます。(突拍子ないのでいつものレビューに比べて低姿勢です)
もう若い人は知らないかもだけど1990年に終わるまで30年以上続いたTBSのTV番組で毎回、兼高さんがどこか外国に行って好き放題をする。その映像を兼高さんと芥川隆行さん(名ナレーターです)が掛け合いで解説するという趣向です。余談の余談だが私は、兼高さんが水着になっていてそれを芥川さんが「ほーほー、まだいけますね」といっているセクハラ回を観たことがある。
この映画は、ミゲル・ゴメス監督の談によると、アジア各国へのグランドツアー、男を女が追いかけるといく粗い企画だけあって、そのまま先にアジアロケを敢行したらしい。ちょうどコロナ禍とかぶったこともあって本チャンの脚本は遅れに遅れ、後で辻褄合わせしたという通常の映画制作では考えられない成り立ちとなっている。だからマニラでなんの関係もないオッサンがマイウェイを絶唱しているというわけのわからんシーンが入っていたりする。そもそもモリーはフィリピンと日本には行かないのだから、エドワードのそのシーンもいらない道理となるよね。でも監督はどうしてもその映像を使いたかった(虚無僧とかも)のでこんなことになっている。ほかにもナレーション(兼高かおると同様、男女の掛け合い)が全く映像とマッチしていなかったりする。
すごいよね。理屈でいえばモンタージュっていうことになる、映画が映画たる基本理論に忠実ってことになるのだろうがこれほど好き放題の作品はあまりないよね。できれば、エドワード編とモリー編に分かれているところ交互にするとかしてもらえれば尺を短くできたと思うが多分それでは好きな画を全部はめ込めなかったのだろう。
あと、音楽の趣味もすごい。最後に流れるのがホビー・ダーリンの「Beyond the Sea」だよ。今どきここまで子供っぽい選曲をする映画監督もあまりいないんじゃない。
夢にしても
2025年劇場鑑賞290本目。
エンドロール後映像無し。
エンドロール中なんかどこかの言葉ずっと流れてましたけど字幕ないから分かりません。
モノクロ映画だと思っていたらカラーだったのであれ?と思ったらビルマかどこかの少年だか青年が見ている夢の話ということで、エドワードというイギリス人になって7年ぶりの再会で顔を忘れた婚約者から世界中を逃げ回る、というナレーションと共にモノクロになるので、人によっては夢って色ついてないらしいのでそういうことかと思って観ていました。
夢だからエドワードが途中で中国人のおじいさんに変身して、ルールを知らない麻雀をやって負けて大爆笑なんてシーンがあっても不思議じゃないんですが、ナレーションで爆笑って言ってるのに画面のおじいさんは全く笑っていないんです。多分世界中で適当に映像を撮って、後からナレーションつけて1本の映画になるように無理やりやったんじゃないかと思います。そのうち夢だからモノクロというルールも自分で破って、カラーのシーンも出てくるのですが、映画のためじゃないロケハン用の映像とかも使い始めたのかな。
まぁこんな支離滅裂な映画でも、日本のシーンが出てくると、めちゃくちゃ過ぎてそれはそれで面白かったです。この映画、世界中を回るので、その国ごとにそこの国の言語でナレーションが入るのは凝ってます。日本は監督の言ってること全然分かんないからどうやるのが正解か分かってない西島秀俊が戸惑いながらやってるみたいなナレーションでした。実際は誰か分からないのですが。
夢だから適当でいいんですけど、現代日本(エドワードの時代が1910年代くらいだから現代日本が出てくる時点でおかしいんですが)で自衛隊じゃなくて軍人がいたり、虚無僧が托鉢じゃなくて物乞いをしたり、虚無僧の中身の名がタケオだったり。もっとこう虚無僧みたいな感じの名前あるだろ!
人の夢の話ほど興味ないと言いますが、それを地で行く映画でした。
素敵なカット多数。しかしう〜ん、という感じ
ミゲルゴメスのカンヌ出品作
随分昔に場面者写真を見た時から絶対見たいと思っていたのだけど、まあ「クイア」とか「フィツカラルド」とか「夢の涯までも」みたいなのにはならないよな。
世界の果てまで逃げて&追って、という魅力的なフリがあって、線路で遠い遠い場所に遠ざかっていく絵が出てくるだけでちょっと魅力的。しかもそれが森の中でひっくり返ってるので更に魅力的。
しかしそこからはアート系なのでそのモチーフを元に現代映画が展開される。物語でグイグイといくわけではないので行った国々の景色、間(のようなもの)はしっかり体感できる。土地土地のサウンドもとてもいい。
居心地はいい。野生のパンダ、って、こういう中に収まってるのをはじめてみたな。言ってみたら目も眩むような幻想の中の風景が繋がれて、幻を体験している気にはなる。アジアの好きなところ、過去も現在も、ざっとまとまってる感じ。というコンセプトではそれは体験できるのだけど、そうですかーで終わってしまうんだよな。
見事❗️アジアを旅した気分
凄い映画だった。外交官だが、結婚のプレッシャーでアジアへ逃亡したエドワードとエドワードと結婚したいためにどこまでも追いかけるモーリー。恋の逃避行、旅してまで男を追いかける女。脱帽。アジアを旅した気分だった。エドワードがまさか日本の大阪に逃亡するとは思わなかった。何故かドン・キホーテが出てきてびっくり。作品は見事。エドワード、モーリーはどうなったか。結末を知りたかった。
いや〜わからん。わからんすぎて面白かった?!
寝てしまいました
退屈な2時間だった
時代設定が1918年からスタートしているのだが、映像の中で走っている車が時代にあっていないし、カラオケで「マイ・ウェイ」を熱唱しているおっちゃんが出てきたり(←カラオケなんかないし、しかもナイキの帽子をかぶっているし…)、日本のシーンではドンキホーテが出てきたりして、私には、まったく理解不能の作品だった。
エドワードが、タイムスリップしているかと思ってしまった。またエドワードの婚約者のモリーの笑い方が、下品というか…
2024年のカンヌのコンペティションで監督賞を受賞した作品のようだが、選考基準はどのような要件になっているのだろうか?私は我慢して最後まで鑑賞しましたが、途中退場者が数人いたのも共感できました😭。
監督の自己満足
アジア旅行は楽しめたが・・・
東南アジアから日本を含む東アジア各国を股に掛けたロードムービーという話だったので、結構期待していた作品でした。内容的には、第1次世界大戦終盤にビルマに駐在していたイギリス人・エドワード(ゴンサロ・ワディントン)の下に、イギリスから婚約者であるモリー(クリスタ・アルファイアチ)が来るという話を聞き、マリッジブルーになったのか思い立ってビルマを逃げたし、そんなエドワードをモリーが追いかけるというお話でした。ビルマを起点に、シンガポール→タイ→ベトナム→日本→中国を転々と逃げるエドワードに対して、モリーもその後を執拗に追いかけて行きましたが、結局追い付くことは出来ず、2人は悲運の最期を迎えることになりました。
婚約者同士の追いかけっこなので、それほど切迫したストーリーではありませんでしたが、アジア各地の映像、特に地方地方の映像は中々見応えがありました。また疑似的な旅行を楽しめるのではないかという期待も一定程度満たされました。注目の日本パートでは、何故か虚無僧が登場するなど、いわゆる外国映画の中のニッポン的な様相でしたが、それもまあご愛敬という感じでした。ただ100年余り前の舞台と、現代の映像を交互に映し出した”実験”は、今ひとつ奏功していなかった感があり、その点残念でした。白黒映像にすることでそれらしい雰囲気を醸し出そうとしていたように思われますが、ちょっと安直に感じられました。
そんな訳で、本作の評価は★3.2とします。
長江の自然な流れに逆らってまで婚約者を追い続けるモリーは頑迷な西洋のメタファーか? 独特な世界観で描く West meets East の物語
いきなり個人的な趣味の話で恐縮ですが、私は映画を観る前、観た後に地図が見たくなるような作品が好きです。地名が題名に入っている作品は「いったいどこ?」と地図で場所を予習してから、その作品を観ますし、劇中で登場人物がA地点からB地点に移動したりしますと、鑑賞後に地図上で定規で距離を測って「ははーん、彼らの動いた距離は東京-大阪間ぐらいか」とあたりをつけたりもします。
さて、本作は挙式直前に結婚に怖気づいたエドワード(演: ゴンサロ•ワディントン)が婚約者のモリー(演: クリスタ•アルファイアチ)から逃げるために、ビルマのラングーン(今のミャンマーのヤンゴン)→シンガポール→タイのバンコク→ベトナムのサイゴン→フィリピンのマニラ→大阪→上海→重慶と移動しまくる物語でスケール感たっぷりです。と、書いたのですが、時代背景が第一次世界大戦直後の1918年ですから、ジェット機がばんばん飛んでるわけでなし、ダイナミックな移動シーンなどはありません。けっこうショボくて、エドワードはタイで列車の脱線事故に巻き込まれたりもします。また、1918年の物語の現在を描いているときはモノクロ画面なのですが、時折り、カラーでその土地それぞれの2020年頃の街の様子がドキュメンタリー風に挿入されます。マニラのおじさんがカラオケで感無量で歌う「マイウェイ」はおじさんの涙もあり絶品です。大阪ではドンキのネオンサインや道頓堀川の両岸の様子が映し出されます。大阪でエドワードがうどんを食べてる(そういえば『ブレードランナー』でハリソン•フォードが21世紀のLAで天ぷらうどんを食ってたなと思い出しました)と、そこに虚無僧が現れるというシュールな展開もあります。
追いかけるモリーのほうはマニラと大阪はスキップしたみたいで、サイゴンから上海へと追いかけてきます。彼女に言い寄る男もいたのですが、彼女は永遠の愛を信じるがごとく信念を持ってエドワードを追いかけます。
でもまあ、ふたりとも中国の内陸で力尽きてしまうんですよね。逃げていたエドワードに関してははっきりとは示されませんが、追うモリーのほうは彼女の死が描かれます。彼女はこのまま進めば危険だという地元民の忠告を振り切って長江の流れに逆らって上流へと進んだことで致命的な事故に遭います。
鴨長明の方丈記の冒頭の「ゆく河の流れは絶えずして、しかも本の水にあらず」という有名な一節は東洋的無常観を説いているわけですが、永遠の愛とか信念にこだわったモリーが長江での事故が原因で命を落とすというのはなんだか象徴的ではあります。大袈裟に言うと、西洋的合理主義が東洋的無常観に屈してしまったとも言えるわけで。西洋では自然は征服する、あるいは制御する対象になったりもしますが、東洋では自然には逆らわないほうがよいとする考え方が主流だと思います。
7年間も会ってなくていきなり結婚式というのは、そこに「婚約」という「契約」があるからいいだろ、とする考え方みたいで、それよりは、愛は移ろいやすいものだから、確かめあっていかなければならない、いきなりは無理のほうが妥当な感じもします。このふたりの背景はよくわからないのですが、エドワードは結婚に怖気づいてるのではなく、モリーその人に怖気づいてる気もします。このモリーの「愛の押し売り感」がちょっと穿った見方をすれば、西洋の東洋に対する考え方、我々は遅れた君たちを指導しているのだという「帝国主義的押し売り感」に通じるのではないかと思います。
と、なんだか牽強付会で怪しげな展開になってきたのでここらで失礼したくなったのですが、最後に文豪ラドヤード•キップリングが19世紀に書いた詩の話をー
彼には「東は東、西は西」で始まる「東と西のバラード」という有名な詩があります。東洋の文化と西洋の文化は根本的に異なっているので永遠に交わることはないといった文脈で引用されることが多いのですが、実はこの詩には続きがあって「東もなければ西もない、国境も、種族も、素性もない」世界についても書かれています。で、こんな風になるための条件が詩の中に詠みこまれています。興味のある方は検索されてみてはいかがでしょうか。
資金さえ集まれば、どう使おうが僕の勝手だよ!ついでに賞までくれてサンキュ。
婚約する前に別れるべき。
ニルヴァーナ
1918年ビルマ北部の町ラングーンで暮らす婚約して7年の英国人公務員が結婚に怖気づき逃亡する話。
ロンドンからやって来る婚約者を迎えて結婚する予定だったが、正装して花束も持ってと言う状況から、そこらにいた人たちに花を配りシンガポール行きの船に飛び乗って巻き起こって行くストーリー。
現代の遊園地や人形劇らしきものの映像に、エドワードのドラマが挟まれる感じで始まって、あちこちを転々として行くけれど、途中から出来事はナレーションで説明されるばかりで、映像も殆どが現代の世相と人形劇の様子ばかり。
途中日本にも来たけれど、虚無僧や坊さんが話しているのはポルトガル語?
モブは日本語喋っていだけれど…。
後半は追いかけるモリーパートで、エドワードパートよりもドラマをみせてくれたし、電報のからくりも示されたりしたけれど、やはり現代の映像も多いし…。
エドワードパートはユニークでコミカルさもあったけれど、モリーパートではそういう要素は汚い笑い方ぐらい?
終盤は重さも入って来て、なかなか面白かったけれど、エドワードの方は中途半端だったし、現代パートを散々見せられてきた意味も感じられず…。
話し自体は嫌いじゃないけれど、間延びが凄いし、もっとしっかり映像でドラマをみせて欲しかった。
字幕がついていない部分の内容が全部わかったらまた違うのかも…。
今年度ワーストを争える作品
難解な「リアル・ペイン」。ヨーロッパのアジア諸国に対する歴史観を知る旅。
19世紀以降本格化したヨーロッパによるアジア諸国への植民地支配。日本の第二次世界大戦参戦の目論見は様々あれど、東南アジアの人々にとってはヨーロッパからの独立のきっかけになったことは確か。でも、第二次世界大戦はアジアを植民地支配していた側がアメリカを抱き込み、日本が敗戦国になったのはご存知の通り。
アメリカにもフィリピンという植民地があったので、無関係ではなかったものの、結果的にアメリカが日本に制裁を下すという結果になった。
こういう歴史の流れの中で、ヨーロッパの人々が日本やアジア諸国の国々に、どういう感情を抱いているのかということが、少し気になっていた。
この映画は、1918年のイギリス人のカップルがアジアに新婚旅行に行くという形をとりながら、当時のアジアの文化、生活レベルか、現代の都市まで映し、現代に繋がる歴史を振り返る。
平たく言えば、アジア諸国を植民地化したヨーロッパからみた、現代に至る歴史観の総括のような映画だった。
登場人物たちも、いきなりカンツォーネを歌い出す人はイタリアの孤立を示しているように、ヨーロッパの国そのものを象徴するかのように機能する。
日本だけがヨーロッパの植民地にならなかったことに対する畏敬の念があることが合掌造りの村での禅問答から伝わる。日本の知性が侵略を阻んだのだと。
実際、ザビエルのキリスト伝来から日本への侵略を画策してたと思えば、キリシタン弾圧、鎖国など、日本の政策の先見性が理解できる。
中国に対してもアヘンなどを持ち込み、国家の機能不全からの侵略を画策したが、パンダの存在、宗教感の違いなどから大国への理解度不足から、侵略に失敗したことが描かれる。
逃げた婚約者を追いかける女のメタファーだけが、いまひとつ理解できなかったが、ベトナムでウェスタンシャツを着た男(アメリカ)とうっとりダンスするシーンから、文字通り抱き込んだつもりが抱き込まれたといいたいのかと思った。
特徴的な女の笑い声も、明らかにおかしなタイミングで発しており、ブーイングにも聞こえたから、侵略の歴史に対する自戒の念を感じさせた。
エンティングロールの最後は日本の尺八で締められ、日本は他のアジア諸国と比べて特別な国だというメッセージが伝わった。
全28件中、1~20件目を表示
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