サブスタンスのレビュー・感想・評価
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ショービズもルッキズムもミートゥーも、みんなまとめてグッチャグチャw
一度脚光を浴びてしまったスターは、その密の味が忘れられないのでしょう。引退後にドラッグに手を出した元スター野球選手もいました。ホームランを打った時に出る脳内麻薬物質を外から投与したのでしょうか。
本作の主人公はHollywood Walk of Fameにプレートが埋め込まれている元映画女優です。スタイルは保っているものの、顔に出る年齢はごまかせていません。今はテレビのエアロビ番組が唯一の仕事のようですが、降ろされてしまいます。彼女は若さと美しさを失うとともに、仕事、名声、脚光、賛辞、称賛、全てを失ってしまいます。
豪勢でおしゃれなマンションの部屋は、彼女の心の空虚さと孤独を際立たせます。そんな彼女に秘密の招待状が届きます。秘薬「サブスタンス」を使えば、もう一人の自分が分身として現れ、若さと美しさを取り戻せます。でも本体と分身は同時に活動することはできず、1週間毎の活動になります。初老の女性なら、この招待を断ることは難しいでしょう。彼女もそうです。
分裂したふたつの自己は身体も意識も別々です。本体は徐々に分身の方へ若さを吸い取られていきます。でも止められません。なんとか止めようと思っても、年老いた本体は若い分身に勝ち目はありません。お互いに憎しみをたぎらせ、ついに自分vs自分の戦いが勃発します。
分身狙いでカマかけてくる隣人のバカ男を「FUCK OFF!」と蹴散らす本体に爆笑。できれば分身が連れ込んだイケメンマッチョも本体と遭遇させてしょんべん漏らさせて欲しかった!
ショービズ界が求めているのは視聴者に受ける「若くて美しい女性」です。一方、若く美しい女性の方も、「ルッキズム」を利用しのし上がろうとします。彼女にルッキズムを批判することはできません。でも、馬鹿男や金持ちの年寄が寄ってくるし、若さを失った時には彼女になんにも残りません。商品価値を失ったら見捨てられるだけです。なんとも残酷でいやらしい世界です。
そんなショービズ界や男たちをみんなまとめてグッチャグッチャの血まみれにするエンディングがなんとも痛快でした。監督の怒りが迸りまくる過剰演出が最高です。
それにもまして、デミ・ムーア(62)の女優魂には心を打たれました。全てをさらけ出す鬼気迫る演技、さすがです。顔だけになっても根性で這い進む姿に思わず声援を送りたくなりました。女性監督と女性俳優が織りなす物語はおどろおどろしい女性の情念を見事に可視化したグッチョングッチョンのSFホラー。スタイリッシュで切れのある演出にクローネンバーグ「The Fly」オマージュシーンも挟まれて楽しい一作でした。長い長い廊下や高い高いシャワールームも超クローズアップの多用も光や炎を使ったトリップ効果のあるシーンも気味悪いテーマ音楽もクライマックスの「2001年宇宙の旅(ツァラトゥストラはかく語りき)」も、センス最悪(褒めてる)で楽しい!
年を取るという哀しさ、バカ男共への怒り、過剰シーンとエロシーンの楽しさ、モンスターの気色悪さ、クライマックスのバカバカしさ。観てるこっちの感情までグチャグチャになってしまうところが、普通のホラーとは一線を画すところです。
50歳になると止まる。何が?
デミ・ムーアが50代後半で
撮影に挑んだ今作。
デミ・ムーアアカデミー賞取れなかったのは残念でしたが、
それもまた変わらないハリウッドを象徴している気がしてある意味デミ・ムーアの勝利な気がしてます。
ルッキズムやエイジズムをテーマに
特殊メイクを最大限に使ったボディホラー映画に仕上がっています。
最後は見ている我々を巻き込んだ
最高で最悪な結末を迎えますが、
ここで使われる“血”の使い方が本当に最高です。
冒頭におぢプロデューサーに言われる
50歳で止まる、何が?のラストシーンの伏線回収だなと思うといい意味で吐き気がしました…笑
エリザベス、スー共に
周りから求められる声にぶちギレた時
映像は気持ち悪いのに爽快で秘めてた自分の声を代表してくれているような気がして、(エイジズム的な意味合いが含まれないのが良い)
人によっては大小あれど女性なら一度は味わった経験がある嫌な感覚や嫌な気持ちを解放してくれるように感じました。
エリザベスとスーのやり合いのシーンが
大好きで若者VSおばあちゃんの構図って最高ですよね笑
女って本気を出すとこんなに怖いんだと
改めて自分を俯瞰できる機会にもなった気がしました…
でもやっぱりグロい、汚いシーンは
多いので、半分くらいの段階で他の方のレビューにもあった退場したくなる気持ちには確かになりましたが、
それを越えれば口が閉じなくなるくらい呆気にとられるフェーズに入るので、
是非最後まで見ることをおすすめします。
きっと救済映画になる人も多いはずです。
自分の年齢から来る容姿や精神的な衰えを感じた時に定期的に見たくなる映画かな(グロいシーンは飛ばすかも)と思います。
ありがとうサブスタンス!
ありがとうデミ・ムーア!
映画館で映画を観るっていうのは、本来こういうことなのかも知れない
面白そうだけど事前知識でどんな映画か想像できたし、なんとなく観に行くのを後回しにしていた。
しかし周囲の評判があまりにも良いので、ようやく観に行ってみた。
ブラックで露悪的な因果応報の展開は予想通りだったし、藤子不二雄A作品を彷彿とさせるものがあった。
普通だったら「はいはい、なるほどね。やっぱりね」となるところだけど、この映画はそうはならなかった。観終わった直後の感想は「凄い!」ただそのひとこと。
頭の中がふわふわして、映画館を出てもしばらく映画の中に心が取り残された状態だった。こんな状態になる映画は本当に久しぶり。予想通りの展開なのに、だ。
昨今は映画を"情報"だけで理解したつもりになってしまうことがある。
10分程度で内容をまとめてしまうファスト映画なんてものもある。
ストーリーや上なぞりのテーマならそれで分かるかも知れない。冒頭に書いたように自分も観る前に分かったつもりでいた(さすがにファスト映画は観てないけど)。
でもこの映画は予想通りの展開だろうがなんだろうが、そんなことはお構いなしに作品のテーマやらなんやら色んなものを、俳優の演技、衣装、セット、色彩、音響、編集などなど、映画の中のすべてのものに変換して、目から耳から流し込んできた。
これはもう情報なんかで得られるものではない。体験だ。
映画館で映画を観るっていうのは、本来こういうことなのかも知れない。
でも、実際のところそれを実感させてくれる映画というのはそうはない。
それだけ「サブスタンス」は凄かったし、傑作だった。
そして逆説的(?)かも知れないけれど、老いに対するネガティブなイメージが薄らいで、自然と受け入れられる気持ちになれた。
もう二度と見ませんし、二度と思いません。
こわい。こわい。夢に見そうなくらいこわかった。
スプラッター的なこわさもある。物体X的なこわさももある。
なにより人間のあくなき欲望が生んだことに対するこわさがいちばんこわい。
登場人物が不幸な結末に終わるホラー映画の場合、
「自業自得やん」とか、「因果応報やん」とか、「欲をだすからやん」と思うことが多い。
でもこの映画はならなかった。
老化。誰にでもやってくる老化。
私自身が感じる老化は体力の衰え=それまでできたことができなくなることだ。
エリザベスの場合は、「美しさ」の衰えだ。
だれもが若い時を取り戻したいと思う。
時に悪魔に魂を売り渡してもいいとまで願う。
老化とは「生きる」人間にとって罪悪だと思っている。
エリザベスの存在を忘れたかったスーの気持ちもわかるし、
スーを憎み許したエリザベスの気持ちもわかる。
だれも悪くない。
悪くないと思うから
余計に彼女たちの気持ちと自分の気持ちがシンクロする。
映画のストーリーと自分の気持ちが進んでいく。
そして最期。
だから、若さを取り戻す夢をぶち壊すこの映画はこわいのだ。
ただ、一気に老化してしまったが、若い歓びを分身を通し疑似体験した(と想像した)
エリザベスは幸福だったのかもしれない。
スーは最期の舞台には立てたから、幸福だったのかもしれない。
自分の中で揺れている。
追記>
映画としても面白いと感じるところが多かった。
例えば・・・
序盤は、説明的ともいえる映像での淡々とした展開。
対比するように
終盤は、理屈に合わない「これでもか」とくるコテコテの展開。
(いつどう終わるん、まだやるの、もう楽にしたって…と思いながら見ていた)
また、コミカルな部分もある。
(物体X的なのもそうだけど、舞台で血がドバドバシーンは映画「キャリー」というより
映画「ダウンタウン物語」の子どもたちの総出のパイ投げを思い出したw)
物体X的な変貌もそれが舞台に立つことも想像できなかった。
そして最期のエリザベスのほほえみ。
あと、エンドロールに流れる音。
この映画をもう一度見ようとは思わない。
ただ心に残り続けるだろうね。
あと、デミームーア。あなたはすごい女優だわ。
中止の工程は覆せない
こないだ鑑賞してきました🎬
エリザベスを演じたデミ・ムーアの演技は秀逸ですね🙂
あるシーンでの鏡を見ながらの心理描写は特筆もの。
50歳になり、仕事がなくなっていくことに苛立ちを募らせている状況ならば、あの薬品を使いたくなるのもわかる気はします😔
エリザベスの分身、スーにはマーガレット・クアリー🙂
「哀れなるものたち」
「憐れみの3章」
でおなじみの彼女ですが、妖しい美しさは健在ですな🤔
あどけなさと強かさが同居したような瞳で見つめられれば、大体の男はイチコロでしょう😀
R指定だけあり、グロテスクなシーンに慣れてる私でも
「うおっ」
となるシーンがありました😰
失った若さを渇望する人間の心理には、妙な納得感が。
しかしながら、内容はハードなので観る人を選ぶでしょう。
デミ・ムーアとマーガレット・クアリーの演技は甲乙つけがたいですが、個人的には役が憑依したような魂の叫びを感じられるムーアに軍配が上がります🫡
アカデミー主演女優賞、取っても不思議じゃなかったですね❗
また、私には故デビッド・リンチ監督の
「エレファント・マン」
を意識したと感じられるシーンがありました🤔
鑑賞後はしばらく胸がつかえた気分になりますが、コアな映画ファンには是非みてもらいたい1本です👍
2回観ました
公開翌日に視聴し、衝撃的すぎて今日もう一度見てきました
グロテスクなシーンは前知識で覚悟して観れたけどそれでも目を逸らしたくなる……耐性ゼロの身ですががんばって全部目に焼き付けました
今回はエンドロール中にエリザベスのことを考えながらひっそりと泣きました
USB映像の冒頭で「"より"良い自分を夢見たことは?」って既に今の自分を肯定していること前提にしているのが皮肉
分身が母体の付けっぱなしにしたテレビと座ったあとがあるソファにうんざりする姿は、完璧主義でストイックな面を感じさせる
必死だったんだろうな
そんな彼女だったからこそサブスタンスは魅力的で仕方がなかったんだろうな
豪華な部屋がもの寂しさを際立たせる……
気軽な気持ちで人にオススメすることが出来ないけれど
多くの人に知って欲しいと思う
そんな矛盾をかかえた映画でした
『現代のモンスターパニック映画』
現代のハリウッドだから生み出せた、『モンスターパニック映画』。
スターという人種が生まれたその瞬間から、この世界に脈々と継がれる“若さへの羨望、美への執着”(=ルッキズム)を、往年の名作映画のオマージュを交えながら、徹底的に悪趣味に描いた怪作。
主役の女優が道を外し、身も心も怪物へと変貌していく様は、目を覆いたくなるほどに悲劇的で哀しい。
そんな度し難い怪物の生みの親である我々オーディエンスを文字通り『血祭り』にあげるラストシーンには、醜悪である一方で、ある種の快感すら覚えた。
デミ・ムーアの体当たりというか、それ以上の演技が凄かった
予告編が面白そうだったので軽い気持ちで行ってみました。
若さや美への妄執に捉われて比喩ではなく自分を喪っていく女性をデミ・ムーアがもう怪演ってレベルで演じてくれました。
デミ・ムーア演じる主人公は若さを求めて怪しい薬で分身を作り、二つの体を行き来する生活を始めるのですが、若く美しい分身(マーガレット・クアリー)としての生活に依存して、リアルの自分を拒絶するようになっていき…。
これでもかという位に若さへのコンプレックスを露わにし、若い自分でいる時間を伸ばす為に薬の用法を守らず、副作用で本当の自分は実年齢以上に老いてゆき、終いにはもう人と呼べない存在になってしまう。女優さんがこういう役をやる事自体が凄いなと思わされましたが、どんどん老いていく姿と狂気を特殊メイクで演じるデミ・ムーアの迫力がもう。
悲劇的な結末に向かうサスペンス的な映画として楽しんでいましたが、終盤はこれでもかという位に暴力的であったりグロテスクであったりのホラー的要素が強くなります。個人的には胸焼けするぐらいのやり過ぎ感がありましたが、今年観た中では”アノーラ”と並んで面白かったです。
私だったらマイキー・マディソンよりデミ・ムーアにアカデミー賞あげたいですね。
あとマーガレット・クアリーが本当に可愛くて魅力的でした。
デミ・ムーアの迫真演技だけど…
最後はグタクダになってしまった。
バイオハザードじゃん(笑)。
ひょっとして監督は最後を一番撮りたかったのかな?最後は好きではなかったがデミ・ムーアが気合いを入れて演じていたことに星をつけた。ヌードを出すことはもちろんだけど、醜さをここまで出すかね。今後デミ・ムーアの映画を観たくなった。
なんて私得な映画なのかと思った
楽しみにしている映画は基本的に事前情報をできるだけ入れないで観に行くので
マーガレット・クアリーのファンの私は彼女を観る為にワクワクで映画館に足を運んだのだが、マーガレット演じるスーはそれはもうぴちぴちで可愛い上にプロ根性を感じるパンプアップダンスのシーンも凄いのだが
(デミのエアロビもすごい)、
いわゆる「ザ・セクシーでジューシーな可愛い若い女性」とゆう、もっとも男性に都合の良い、類型的すぎてもはや没個性ですらある女の子を演じる彼女がある意味新鮮。
ブラピを誘惑する風変わりなヒッピー少女、2番目に作られた出来損ないのお人形、教祖に担がれそうな姉とその双子の妹、プレイガールなレズビアンなど個性溢れるキャラクターを演じてきたマーガレット・クアリーからするともはや引きの演技に見える。
(終盤に見せ場はあるが)
この映画の主役はあくまでデミ・ムーアでマーガレット・クアリーが型にはまった女性像を演じれば演じるほど、光り輝くほど、デミ・ムーアに強い影を伴う強烈な姿が浮かび上がる様で、マーガレット・クアリーが遠慮しているとかではなく監督と主演2人で肩を組んで支え合っている様な絶妙なバランスの上でなりたつ力強さを感じる映画だった。
エリザベスとスーは本来1つの魂を共有しているはずなのに、時間を奪い合い、罵り合い、攻撃し合ってやがて崩壊に向かっていくが、これが女の嫉妬と単純に読み解くのは勿体なく思う。
エリザベスが自分を大事に出来ない人間になってしまったこと、今でも美しいのに自分自身が美しくないとジャッジしてしまっていること。そして何が彼女を追い詰めてしまったのか、それは社会の歪みや自分達は選ぶ側でありジャッジしていいと思っている男達の目線だったりする訳でそのあたりは、映画のグロテスクな接写飲食シーンなどに表現されているので、映画鑑賞中にアピール笑いしているおじさんとかもそのあたりの男性が持つ加害性を分かっていると信じたい。
そしてエリザベスとスーは母と娘のメタファーとも受け取れる。エリザベスのエネルギーを吸って体内から生まれたスーはエリザベスの体液を奪うほど活発的になり、エリザベスはどんどん老いが加速していく。
時間を守れとキレるエリザベスは母親の様だし、スーはエリザベスを疎ましく思いより暗い場所に閉じ込めようとする。サブスタンスシステムの終了する踏ん切りがつかずスーを助けようとしたのは、若さや美貌への執着ではなく母娘の様な絆ゆえだったのではと思うと切ない。
この映画のすごいところはこれだけ社会的メッセージや女性の人生の苦しみや悲しみが描かれているのに、徹頭徹尾ボディーホラーとゆうジャンル映画として出来ているところで。ほんとうにイカれた次元まで観る人を連れていきあまりにもな見た目で馬鹿馬鹿しさすら感じるとんでもないモンスターが映画の最後に怒りの祝砲を上げるように登場する。
私は観ながらもうクローネンバーグじゃん…と思いましたよ。スキャナーズで人を爆発させ、ビデオドロームでもなんか腕が爆発してたとても好きな時期のクローネンバーグを思い出しながら観て、ははは、馬鹿だなぁ
すげぇな〜と思いながら
最後の執着で叫んでんのか笑ってんのか分からない顔の部分だけで、這いずり出すエリザベスの執着の様なものに思わず笑いながら、彼女が最後まで求め続けたものを想像して泣いてしまう。私などには想像もつかない。輝かしい賞賛を愛を受け取ったことがある彼女が、サブスタンスに出会うまでどれほどの悔しさを感じてそして我慢していたのか。こんなことになってしまったけど、これだけ暴れられたのだから良かったのではないかとも思う。
グロシーンより心をえぐると一部で言われている昔の同級生とのデートの準備をしている鏡シーンも、私からすると綺麗だし、早く出かけて!大丈夫だよ!とか思って観てたけど、スーパースターだった自分が冴えない元同級生(ここには、女性側からの男性をジャッジする目線が含まれる訳だが)を心の支えにしようとしていること、泥水に浸った紙切れを必死に探して、彼だけは自分を求めてくれることに喜びを感じてしまっている自分のプライドとの葛藤があるのだと思うと本当に辛い。
ほんとに面白い映画だったけど
この映画の最大の弱点は日本の映画ファンの中でここまでの、ジャンル映画リテラシーを合わせもつ女性映画ファンがどれだけいるのか問題で、自分で言うのもなんだが私はそこそこ映画も観てきたし昔は苦手だったホラジャンルも映画文脈を伴った変遷や細分化されたジャンルの違いが分かるようになったからこそこの映画のとてつもねぇモンスター性に大喜びしてるんだけど
田舎の香川県では、映画館はある程度の年齢以上の男性ばかりだし、配給も売り方に困ったのは分かるが
映画の公式の度重なる、男性中心的な広告戦略、広告人選、ダサいキャッチコピー、ヌードシーンの性的商品を肯定するような動き、デミ・ムーアを嘲笑する様なキャリアの紹介などほんとうにほんとうに、
日本の社会にはこの映画を需要するには早かったんでは?みたいな残念極まりない公式、映画の出来の良さを配給が足を引っ張るにも程がある状況に怒りが止まらない。サブスタンスのホラー世界で私達は生きている事を再確認し現実世界はサブスタンスの4DXだよと男性達に言いたくなってしまう。
すごく長々と書いてしまったが、
ジャンル映画なんて、楽しく観てたらそれでオッケーなのは事実で、
ズレたアピール笑いをするのも自由、それに対してウザいと思うのも自由ではある。
でもホラー映画は昔から社会問題を取り扱うことができるジャンルでもあったわけで、コラリー・ファルジャー監督が“女性らしさのある繊細な感受性”など吹き飛ばす気合いの入ったゴア描写や特殊メイクでパワー溢れるジャンル映画の名作を作ってくれたことがとても爽快。
インパクトのある「脳裏に焼き付く」映画
現在62歳のデミ・ムーアが、50歳のエリザベス役を演じています。エクササイズウェアに身を包んでいるときには素晴らしいスタイルですが、シャワーを浴びているのを見ると年齢相応におなかが出ていたり、たるんでいるところがはっきりわかり、ここまで晒す女優魂には驚嘆しましたし、アカデミー賞の主演女優賞にノミネートされたのもわかります。また、分身であるスー役のマーガレット・クアリーは非の打ちどころのないプロポーションで、見た目の差は歴然としています。
カンヌ映画祭で脚本賞、アカデミー賞はメイクアップ&ヘアスタイリング賞を受賞していますが、レヴューア的にはいまいちでした。
サブスタンスは、映画の中で何度も出てくる「一体である」に表される「本体」という訳がぴったりと来る気がしますが、「同一性と変化」という、「テセウスのパラドクス」に表される、哲学的にもとても深い概念を取り扱っている映画です。ところが、分身が生成される方法については、発想の新規性を感じますが、「同一性と変化」に対する切込みは弱く、「本体」が持つある程度の記憶を含む様々な部分を共有しているはずなのに、どこまでが共有されているのかがはっきりしないので、なぜここまで互いに暴走するのかが、明確には理解できません。
最後の15分くらいは、これでもかというくらいのグロのオンパレードで、レヴューアー的には全く受け入れられず、これも評点が低い理由です。
とにかく、いろいろな意味で、インパクトのある「脳裏に焼き付く」映画でした。
前半は良かったけど、、、
前半は、主人公の美への執着が加速していく様をみごとに表現していた一方、後半は一転してスプラッター映画のような感じになりなんだかなあという感想。
少しグロく気持ち悪く見てられないという前半の緊張感は、とてもバランスが良くさすがアカデミー賞に多数ノミネートされてるだけあるなという感じであったが、後半はその範疇を遥かに飛び越え、最後の観客に血を撒き散らすシーンや顔だけで地面を這うシーンなどは笑ってしまうほどであった。
とはいえ、総評としてはこの映画は良い分類に入るだろう。度々出てくる接写が素晴らしく、気持ち悪いがどこか美しさも感じる興味深いものであった。そして何より、男という生き物の悪い部分が存分に表現されている作品であった。
若さは"最強"やね
デミ・ムーアだからこそなのかな?
観ている途中で『誰でもいいのでは?』って疑問符が付くことがあったけど、過去の輝きを知っている世代が観るからこそ生まれる感情があるのね。
楽しい!久しぶりに流れてくる映像で純粋に笑えたわ。
90年代の安っすいB級ホラーを彷彿させてくれてちょっとしたストレス解消になったわ。
たしかに素晴らしい演技だけどアカデミー主演女優は⋯⋯ないな。
ゴールデングローブ賞のコメディ部門の主演女優取ったからええやん。
ショートカットマニアとしてはろくろ回しているデミも好きなんだけど⋯⋯マーガレット・クアリー⋯⋯勝ちやな。うん。
遊星からの物体X?
この映画についてはあまりに多くの情報が溢れていて、何を書いても今さら感が拭えないのだが、確かに噂に違わぬショッキングな映画でした。
デミ・ムーア演じる若かりし頃スターダムに上り詰めながら、老いとともに凋落する人気と衰える美貌に苦悩する主人公スパークルが、危険なドラッグ「サブスタンス」に手を出したところ、別の若い自分スー(マーガレット・クアリー)が現れ、自分の身代わりに新たなスターとして戦列にデビューするものの、彼女との二重生活を送る中で、お互いの存在に亀裂が生じ、やがてドラッグの恐ろしい副作用から醜悪なモンスターに変身してしまう…。
コラリー・ファルジャによるこの映画は、フェミニズム映画の系譜として「哀れなる者たち」「バービー」や最近のディズニー作品にも連なる女性の美醜を巡る存在論的な作品でありまた、愚劣なプロデューサーハーヴェイ(デニス・クエイド)に象徴される、男性からの搾取についての映画でもある。
とはいえ、個人的にはそうしたフェミニズム的側面よりも、全編に流れるスラップスティックな面白さや、女性監督にも関わらず(かもしくはだからかも)、必要以上にセクシュアルに描かれるスーのダンスシーンのヤバい程のエロさに驚きと笑いを感じた。
全体には、キューブリックが撮った「遊星からの物体X」のような作品であり、想像以上にB級特撮映画への愛と執着が感じられる作品で、二日前に観た「ガール・ウィズ・ニードル」と同じく、デビッド・リンチ的な可笑しみにも満ち、ブラックな笑いに包まれる映画でした。
それにしても、老いゆく女優を演じるデミ・ムーアはもちろんの事、その若い鏡像であり、おじさん達のアイドル足るスーを演じるマーガレット・クアリーのスタイルと確かな演技には驚いた。
今日的でありながら、どこか懐かしさを感じるのが最近の映画の傾向かもしれません。
ホラー映画。
事前情報は劇場予告とアカデミー賞で偶然見たパロディムービーのみ。80年代なエアロではなくエアロビ番組で現代?とは思いつつ旬を過ぎた女優には厳しいハリウッドや一般社会を痛烈に批判!
実年齢派デミ・ムーアが62歳、まさに体を張り鬼気迫る演技!
身体もわざと弛ませたのか、それでも60歳過ぎと思えない風貌、
女性ばかりが社会から若さと美しさを基準にされる理不尽さ年相応なら、デニス・クエイドが実に男性社会の象徴みたいでイヤな奴に画かれているけど71歳。
140分だけどスピーディで体感は90分ぐらい。
様々なホラー映画へのオマージュ満載でクライマックスはキャリーかはきだめの悪魔!
ラストは間違いなく監督は溶解人間を見ているはず!
もしデートムービーでお互いホラー映画嫌いで観に行ってしまったらご愁傷さまだけど、ブライアン・ユズナリスペクトならばカタルシスに悲哀の混じった作品なので大傑作!
しかし、若返ったら自分を見放した奴らに復讐とかまた違う人生を歩もうとはしないのかな…。
※あっ、そっちのジャンル?(いい意味で)
まず、当方ホラー、オカルト、スプラッター
大丈夫です。
それを踏まえてこの映画を申し上げると。
エンディングまで見たら
【リアルな昭和のウルトラ怪獣映画】でした。
内容は違いますがほぼ、ほぼ、悲しき怪獣映画、
ジャミラが頭から離れなかった。
始まりから途中までレビューしないか
レビューしても1〜2で評価しようと思ってました。
実際主人公の葛藤もわからなくはないけど、
あんな手間暇かけてじゃつりあわない。
物理的、精神的に辻褄あわなくて
あくまで個人的には微妙な
イメージだったんですが。
クリーチャー映画、
スプラッター怪獣映画なら話は別です。
多少辻褄あわなかろうが、
造形や最後の状況に至る流れがあれば
もりあがる。
この最後なら、全然アリです。
そもそもこれは新たな生き物を生み出す
実験だったのかなとか想像しちゃいます。
ラストで印象も全く違う。
精神の怪物を実際の怪物へと実体化したように
見える。最後は笑っちゃうと同時に
物悲しさも残り、これデミムーアさんの
演技の賜物です。
お願いだからデミムーアさんに今からでも
アカデミーをあげてほしい。
エンドクレジット終わるまでしっかり
見て、
『いや面白い怪獣映画だった。
特殊メイク最高だしクリーチャー的に良かったなー』と少し笑顔で立ち上がったら
10人くらいいらしたお客様が全員いない。
余韻ひたり、1人で笑顔だった私。
よい映画体験でした。
※追加
日にちがたって思い返すと
主人公の本質は幼馴染の彼が言っていた。
『君はちっとも変わっていない
今も昔も世界で一番可愛い女の子だ。』
だったんじゃないかな、と。
最後の星空を見ながら
『皆大好きだよ』といわれつづける
事を夢見てた可愛い女の子。
そう思うと今更心にきて、評価0.5アップ
しました。
最悪が最悪に塗り替わり続ける
上映中の映画館から逃げ出したいと思ったのは人生で初めてかも知れない。ラスト数十分の悍ましい映像の連続には耐えるのに必死だった。
凄まじいエネルギーで不条理で最悪な結末に向かって展開を塗り替え続ける凄い映画だった。
「美」とは言葉に出来ないものである。ビジュアルというものは視覚的情報であり文字にすると必ずズレたり欠損が生じる。美に拘り続けた一人の女性が誰にも相談したり言葉に出来ないまま、最悪にひたすら突き進み続ける様子は観ていて惹き付けられるものがあった。
あのイケてない中年男とディナーに行けていれば、という救いはありつつも、結局自分の理想に心を折られる様は痛々しくも目を逸らす事が出来なかった。
最初はR-15+という制限はどうなんだ? と思いながら観始めたがコレはちょっとR-18でもいいんじゃなかろうか。大きい映画館で上映していたので油断していたが、完全に小規模シアターでかかっているカルト映画だ。
何で女は男の10倍も美しさと若さを意識させられるんだよ、おかしいだろ、バカヤローという主張。
僕はホラーは絶対見ないのだけど、たまたま聞いたラジオで(4/29㈫のTBSラジオ)で、町山智宏さんが「サブスタンス」を紹介してて、この映画に込められた監督のメッセージも含めた解説を聞き、面白そうだと思って見ることにした。
監督はこの映画で、外見至上主義が今もまかり通ってることを非難する。この映画の中心テーマである。
エリザベス・スパークル(デミー・ムーア)が、若さと美しさに固執し破滅する姿を描くことによって、美しさ、若さを、最上のものとして女性に強いるのって変だろということだ。
逆に、エリザベスを若くないからと言って降板させた男性TVディレクターとその取り巻きオヤジ連中は、女性には若さと美しさを要求し、エリザベスが若さと美しさが無くなったと言って登用しなくなるのに、自分たちは年を取っても、美しくなくてもそのまま居続ける。
鑑賞前に監督のインタビュー記事(ギズモード·ジャパンとVogue Japan)をネットで読んでおいたので、監督がこの映画で描きたかった社会問題がよく分かった。
ここから監督インタビュー記事の受け売りをグダグダ書こうと思ったけど、めんどくさいのでヤメタ (^^)。
そういうわけで、1番グッと来たところを書く。
指が1本老化したエリザベスが、先日,町で久しぶりに会った幼なじみの男性に会いに行こうとする場面が心に沁みた。
なんか本筋とは余り関係ない部分だ。
この男性は、以前エリザベスと町で会ったとき、彼女のことを今も昔と変わらず美しいと言った人物である。 彼もエリザベスの外見を重視している事に変わりはないのだが、とにかく今のエリザベスを肯定してくれる。
心がちょっと弱くなったときに、1人でも自分を認め理解してくれる人がいると勇気をもらえるというパターンである。
この場面は、無くても物語の展開に支障ないし、外見至上主義を批判したい気持ちも伝わる。ただ、わしゃあ、このパターンに弱いので、グッと来て印象に残っただけである。
しかし、エリザベスは、化粧をし、身なりを整えたのに、彼に会うのをやめてしまう。 今の自分を認めてくれた彼に会うにも関わらず、より若く、美しく見せようとする外見至上主義の自分に嫌気が差したのかもしれない。
結局、このあとエリザベスは、破滅の道を歩んでしまう。何てこったい ( ´△`)
ほいから、アカデミー主演女優賞を26才のマイキー ・マディソンが取り、62歳のデミー・ムーアが逃してる。
皮肉を込めて、「さすがハリウッド、ハンパねえ」 (^^)。
デミー・ムーアに取ってほしかったな。
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