サブスタンスのレビュー・感想・評価
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主演女優賞、獲って欲しかった…
(今回はそれを読んだところで一切意味は解らないと思いますが、作品的な性質から判断して一応「ネタバレあり」としておきます。そもそも自分の表現が正しいのかも判断が難しいところですが、、、)
アカデミー賞授賞式から2か月以上が経ち、更に急遽「先行上映」が決まって明日から公開となる「某作品」に気を取られ、正直浮ついた心理状態で挑んだ本作。いやぁ、、ナメてましたね。。凄かった。「衝撃的」と言う表現が決して大袈裟ではないほど、観終わってしばらくは脳を支配されたような感覚に囚われます。ただし、身体の損壊や大量の血液など「ゴア表現」が苦手な方にはかなり負担になる描写が多く、ご覧になる際にはかなり注意が必要。その点は何卒ご留意ください。
それにしても、、カンヌで評価を受けるのは解りますが、本作がアカデミー賞「作品賞」候補に並ぶのもやはり、近年の「多様性重視」が考慮されつつあるレギュレーションの変更が大きく影響しているのでしょうか。ただそれなら、是非にもデミ・ムーアに「主演女優賞」獲らせてあげてよアカデミー会員の皆さん、、もう終わったことだけどさ。。勿論、『ANORA アノーラ』のマイキー・マディソンは素晴らしかった。だけど、本作のエリザベス(リジー)を演じるデミ・ムーアを見てしまうと、その他とは比べようのない「怪演」にもはや虜の私。更には「分身」であるスーを演じるマーガレット・クアリーとの相乗効果も相まって、どんどんと変わっていく容姿と、それでも抗えない欲望にもがき苦しむエリザベスを正に「体を張って」演じたデミ・ムーアは圧巻です。そして、阿鼻叫喚の最終形態から、ハリウッド・ウォーク・オブ・フェームに納まり安らかな表情で「レガシー」となっていくエリザベス。勿論、受賞した「メイクアップ&ヘアスタイリング賞」の効果・影響も大きかったとは思いますが、とは言え、こんなの「他に誰が演じられるだ!」と思える唯一無二なデミの存在感に、もうただただ圧倒された142分。本当に素晴らしかったです。
そして、一見C級ホラーのような展開も、独特なカメラワークと編集、そして重低音で煽ってくるBGMでトントン拍子に進むストーリーは、特に説明的なことがされなくても充分に解りやすく、それでいてしっかり「人間の真理」を大胆に皮肉っていて可笑しくも刺さります。また、エリザベスに対してだけでなく、彼女(達)を消費する側に対する「壮絶な見返り・報い」もまた公平性を感じます。あれを浴びてしまった皆さま、明日も健康でありますように。
その見た目だけなら「ゲテモノ」に分類され兼ねませんが、観て味わえば、普遍的なテーマに対してユニークなアプローチで見事に表現された傑作。作品賞ノミネートが頷ける納得の作品です。あゝ観る前の浮ついた私よ、気持ちは解るがしっかり心してかかりなさい。
「ヘルタースケルター」かと思ったら「ザ・フライ」だった
若さと美しさを追い求めた女性が身を滅ぼすという話自体に目新しさはないが、年取った体と若い体の2つの体があって、1つの人格が、それらを1週間ごとに乗り換えなければならないという設定は斬新だと思う。
まるで昆虫が羽化するみたいに、年取った体の背中が割れて、そこから若い体が出てくるといった突拍子もないシーンも面白いのだが、出てきたのが若返ったデミ・ムーアではなく、彼女とはまったく別の顔立ちの女性であるところには、少なからず違和感を覚えてしまった。
ただ、こうしないと、若返った主人公に周囲の人間が疑念を抱いてしまい、物語が成り立たなくなってしまうので、これは、これで致し方ないのだろう。それに、顔が違う方が、年取った体の時と若い体の時とで、人格が別々になっていくという流れに説得力が生まれるので、逆に、この方が効果的だったのかもしれない。
特に、年取った主人公が若い主人公を妬み、若い主人公が年取った主人公を疎ましく思いながら、互いに相手に対する憎しみを募らせ、取っ組み合いの喧嘩(殺し合い)に至る過程からは、「人格は容姿によって決まる(のかもしれない)」という作品のテーマを垣間見ることができて興味深い。
エゴが暴走した挙げ句に生み出されるモンスターのグチャグチャ感は楽しいし、大晦日の特別番組での、血しぶき満載の阿鼻叫喚ぶりにも、突き抜けたような面白さがある。
その一方で、いくらデミ・ムーアの写真を顔に貼り付けているからといって、見るからにモンスター然とした主人公がステージに立てるのは不自然(「夢オチ」かと思ったら、そうでもなかった)だし、何よりも、あれでは、スーがエリザベスの変身した姿だったということが、劇中の登場人物に分からないのではないか?
ここは、スーが特別番組のステージに立った後、観客の目の前でモンスターに変身し、しかも、モンスターの正体がエリザベスだったとバレるという筋立てにした方が良かったのではないかと思えてならない。
それから、デニス・クエイド演じる下品で傲慢なプロデューサーには、もっと明確な形で鉄槌を下してもらいたかったと、少し残念に思ってしまった。
教訓のないイソップ物語
チョット前だったら渋谷の隅っこでレイトショーでやる様な映画が全国のシネコンでかかる事に時代の流れを感じます。
寓話的というか、マンガみたいな話というか、「笑ゥせぇるすまん」。作りもマンガ的なので多少物語が荒っぽくてもそれほど気になりません。
甘い誘いから提示される“約束"は当然全て破られるので安心して見ていられます。
以前よりSNS等の加工しまくったセルフショットを見るにつけ、「ありもしない美を自慢してどうすんだか?」と思っていたので、かなり共感できました。
「人間やっぱり内面の美しさが〜」だのと説教臭い事を言わない潔さには好感がもてます。
一方でスーに入れ替わった途端テレビCMの様なシズル感満載のカットになったり、プロデューサーの名前がハーベイだったり、各方面に喧嘩を売っていて唯のエログロナンセンスにはなっていません。
話運びのテンポも良く2時間超も長くは感じなかったので、「スーちゃん可愛いのに話し方がオバさん臭いのよね」とか
「スーちゃん普段着がちょっと古くて逆に新しいよね」とか
「スーちゃんカラオケで知らない曲ばっかり歌うね」みたいなシーンが欲しかった。
見慣れない撮影スタジオのロゴで始まったので、ラストの過剰な血しぶきも悪ノリ的に「結局コレがやりたかった」という様な悪趣味も許されたのでしょう。この監督さんが名前が売れて大手スタジオで撮る様になった時に牙が抜かれない事を願います。
【余談】
1月以上前にインスタだかyoutubeだかのオススメみたいな動画で最後のモンスター化した造形が出てきて、かなりデカ目のネタバレされてしまっていました。予告編でも隠してくれていたのでアレは知らないまま観たかった。
なので、オチは何となく分かってしまっていたので観るのをどうしようか悩んだのですが、十分楽しめました。
さすがの怪演
久々にホラー映画で楽しめた、すんごい面白さ。
TVプロデューサーらによる美醜や若さにこだわるルッキズムな俗物たちの醜さと、承認欲求モンスターの主人公が正真正銘のモンスターになっていくぶっ飛んだ内容。
怖いというより笑えました。
日本の漫画読みにとっては、行き過ぎた欲望の分のしっぺ返しをくらうのは『5年3組魔法組』と『笑うセールスマン』の組み合わせってとこか。
もしくは日野日出志テイストに近いと言ったら分かりやすいかも。
宣伝文句の「阿鼻叫喚」は間違っていなかった。
それにしても、女優お二人の全裸はまったくいやらしく見えず、恐ろしさを増すための素材として上手い撮り方をしていました。
若いマーガレット・クアリーより、むしろ60過ぎたデミ・ムーアの美貌と怪演ぶりがすごくて魅力的でした。
50代に見えるんだものなぁ。
超問題作。昨今の洋画が不満で、刺激が欲しい人に。
目や身体のパーツの超接写と激しい画面の切り替えで観客を不安にさせる。今どきレオタード姿の接写は大丈夫なのか。それよりも主演二人の自宅シーンでは着衣がすごく少ない。しかし日本映倫でのR15+理由は「刺激の強い肉体損壊および大量の流血描写がみられ、…」であり、裸体については記載がない。なおスー役のバストは人工のものです。
テレビ視聴率は絶頂でも年齢で切り捨てられる。
手に入れた若さと人気は何があっても手放したくない。たとえ禁断の事でも。
美貌が失った事は認めない。事実美しい。それが写真であっても。
今までにないストーリー展開で驚きのひと言です。
ただ広げた風呂敷がしっかりと畳めたのか。
H.R.ギーガーで大丈夫なのか。
減点はしないけど。
脱皮 → 分身 → ???
圧倒的なデミ・ムーアの熱演!快作にして怪作!!
《前夜祭上映》にて鑑賞。
【イントロダクション】
デミ・ムーア主演。50歳を迎えた元トップ女優が、容姿の衰えによる仕事の減少から再起を図ろうと、ある再生医療に手を出し、やがて予想だにしない事態へと発展していくホラー。
監督・脚本・編集・製作は、フランス人女性監督で『REVENGE リベンジ』(2017)のコラリー・ファルジャ。
第77回カンヌ国際映画祭、脚本賞受賞。第97回アカデミー賞、メイクアップ&ヘアスタイリング賞受賞。
【ストーリー】
50歳の誕生日を迎えたエリザベス・スパークリング(デミ・ムーア)は、かつてはオスカー女優にも輝き、人々の憧れの的として一時代を築いたトップ女優。しかし、加齢により次第に仕事は減少し、自身の名前を刻んだ星形プレートに多くの観光客が訪れていたのも、今は過去の話。容姿の衰えから、唯一の看板番組であるエクササイズ番組のプロデューサー、ハーヴェイ(デニス・クエイド)から直々に番組からの降板を言い渡されてしまう。
失意の中、エリザベスは運転中に自身の広告パネルが剥がされている現場を目撃し、不注意から衝突事故を起こして病院に搬送されてしまう。奇跡的にも軽傷で済んだ彼女は、その日の内に退院を言い渡される。すると、看護師は彼女に「私はこれで人生が変わった」と記したメモ用紙とUSBをコートのポケットに忍ばせて渡す。
帰り道、エリザベスはかつての級友と再会する。彼は「今でも君は世界一キレイなままだね」と賞賛し、連絡先を渡す。
帰宅したエリザベスは、USBを再生する。それは“サブスタンス(物質)”という再生医療についての広告映像だった。それは、「1回の注射で細胞分裂により若く美しい分身を作り出し、母体と分身で1週間ずつ交互に生活する」というものだった。はじめはUSBをゴミ箱に捨てたエリザベスだったが、自身の容姿の衰えに対する心理的不安を払拭出来ず、USBに書かれた番号に電話を掛ける。
後日、エリザベスの元にカードキーが送付される。指定された場所に赴くと、そこは一見廃棄と思しき寂れたビルだった。カードキーで中に入り、廊下の先にある部屋に入ると、そこはロッカーが並ぶ真っ白な部屋だった。カードキーの番号に対応したロッカーを開けると、そこにはサブスタンスの操作キットが段ボールに納められていた。
エリザベスは箱を持ち帰り、説明書通りに注射を打つ。すると、細胞分裂が始まり、まるで脱皮するかのごとくエリザベスの背中を突き破り、若く美しいもう一人の自分、スー(マーガレット・クアリー)が現れる。
スーはエリザベスの経験と若く美しい完璧な肉体を併せ持ち、彼女が降ろされたエクササイズ番組の後任を難なく射止め、瞬く間にスターダムにのし上がっていく。しかし、やがてスーは説明書にあった注意書きを無視して活動を続けようとするようになる…。
【感想】
3章仕立てで展開される本作は、良い意味で「懐かしさ」に溢れ、そして普遍的なテーマを持つ作品だったと思う。
コラリー・ファルジャ監督自身が「あえて繊細に描かなかった」と語るように、本作で女性が晒される男社会からのエイジズムやルッキズムは非常に短絡的で暴力的、また画一的だ。しかし、だからこそ、この問題は女性だけでなく男性にも響く作りだと言える。エリザベスが執着した「若さ」と「美しさ」という女性的苦悩は、男性ならば「収入」や「地位」に置き換えて捉えてみれば理解しやすいかもしれない。また、どちらの場合にも共通するのは「見栄」という点だ。
本作で描かれている破滅は、エリザベスの見栄が招いたものと言えるだろう。周囲からの評価や衰えに対する劣等感も、言ってしまえば周囲に対して見栄を張る姿勢が根底にあるからだ。勿論、その地盤を形勢したものこそが男社会なのだが、少なくともエリザベスは、若い頃はその事で成功を収め、評価される快感を享受していたのは確かである。そして、自分の価値判断を他者に委ね、美しさだけを寄る辺に生きてきた姿勢が破滅へと繋がったのだ。
番組の締めで「自分を大切に」と視聴者に投げかけていた彼女自身が、最も自分を大切に出来ていなかったからこそ招いた破滅なのだ。
「1人の人間が“理想”を手にし、欲を掻いた先で重い“代償”を支払わされる」という展開は、世界中で古くから脈々と受け継がれてきた寓話であり、普遍的な教訓だ。
また、本作と最も類似性のある作品は、ロバート・ゼメキス監督による『永遠に美しく…』(1992)だろう。あちらも人気のピークを過ぎた女性達が若さを求めて暴走していく物語だが、本作よりコメディチックで全体的なトーンは明るい。本作は、言うなればそのダークな強化版と言える。
エリザベスを取り巻く男社会の滑稽さが良い。ハーヴェイは、エイジズムとルッキズムの権化として描かれる。レストランで海老を頬張り、皿周りにソースを飛び散らせながら貪り食う彼の“品のなさ”がまた良い。エリザベスは、そんな彼から降板を言い渡され、グラスに浮かぶ蠅の姿を見つめる。その蝿は直前までハーヴェイの首に止まっていたもので、彼は所詮蠅にたかられるような人間なのだ。だが、エリザベスはそんな彼と、彼のような人間が好奇と性的な目を向けてくる男社会の呪縛から逃れられない。
画作りに関しては、巨匠スタンリー・キューブリック監督の影響も色濃く反映されている。エリザベスの自宅の白いタイル張りのバスルームや、サブスタンスのキットを受け取る真っ白なロッカールーム、何より、分身を誕生させる瞬間のトリップ画面は『2001年宇宙の旅』(1968)のそれと酷似している。また、TVスタジオのオレンジ色の廊下は『シャイニング』(1980)を彷彿とさせる。
左右対称を意識し、カメラを遠くに設置して登場人物を長い廊下の奥から捉えるショットも実にキューブリック的。
脚本の伏線、取捨選択バランスも素晴らしい。特に、サブスタンスの製造元についてや、どういったメカニズムで分身を生み出すかという点については、フィクションとして大胆な嘘をつき、細かいディティールを省いている。また、ホラー映画の1ジャンルながら、ジャンプスケアに頼らない点も評価したい。
音楽のラファティによる『The Substance』が最高。予告編から作中の広告ムービー、作中のあらゆる出来事、エンドロールに至るまで、度々作品を彩るこの不穏さを漂わせる象徴的なテーマソングも評価したい。
【第1章:エリザベスを演じたデミ・ムーアの圧巻の演技!】
何と言っても、デミ・ムーア演じるエリザベスの孤独感と劣等感、焦燥の果てに狂気に呑み込まれていく過程の演技は圧巻。
それは、演じる彼女自身が、エリザベスと同じく若かりし頃に世界中から絶賛され持て囃され、「ハリウッドで最もギャラの高い女優」として一世を風靡したからに他ならないだろう。しかし、その裏では度重なる結婚と離婚、加齢による仕事の減少に至るまで、エリザベスと同じく苦労も重ねてきた。
ともすれば自虐ネタにもなりかねない程、2人の共通点は多い。しかし、シリアスさが時にギャグとして映って思わず笑みが溢れる瞬間こそあれ、全編に渡ってエリザベスを演じるデミ・ムーアの姿は説得力に満ち、圧倒的な没入感を与えてくれる。
【第2章:スーが得る「完璧な美女」という評価に見る、“完璧”という幻想】
本作を製作する上で一番重要だと感じた点は、「誰がスーを演じるか?」という点だ。そして、マーガレット・クアリーのキャスティングは完璧な回答だったのではないかと思う。何故なら、既に若手女優として順調にキャリアを積み上げている彼女だが、その美貌に対する作中の評価に関しても、フィクションならではの盛大な嘘がつかれているからだ。
まず断っておくが、マーガレット・クアリーは間違いなくトップクラスの美女であり、この先の指摘は重箱の隅をつつくようなものである。しかし、それを指摘しなければ、その先の理論に発展していかないので行う。
彼女は、特に口元のアップカットで顕著だが、前歯がすきっ歯である。また、満面の笑みを浮かべる際には歯茎が見えるガミースマイルタイプなのだ。美醜の価値基準は人それぞれだろうが、こうした特徴は少なくとも好ましく思われてきたものではない。
しかし、作中では誰もそれを意に介さず、「完璧だ」と褒め称え、皆が彼女を好きになる。それもまた、フィクションならではの嘘だと言える。
本作は、「あなたはあなた1人しか居ないのだから、自分を大切に」というメッセージを分かりやすく伝えてくれるが、もう一つ、それと同じくらい大切な「完璧とは幻想であり、完璧な人間など居ない」というメッセージが隠されている。人は自分より優れていると感じた人の中に、安易に「完璧さ」という幻想を見出してしまう。
作中で、エリザベスはかつての級友を飲みに誘い、時間ギリギリまでメイクに追われ、遂には約束をすっぽかしてしまう。首の皺、肌のハリ、肌艶、リップの乗り具合に至るまで、どんなに鏡の前で試行錯誤しようとも、エリザベスの脳裏にはスーの姿がチラついて決して満足出来ない。あのシーンでティッシュで口紅を拭い、怒りに満ちた表情を浮かべる姿は、間違いなく本作の白眉だ。
ここで重要なのは、間違いなくエリザベスはファッションからメイクに至るまで、あの時点で彼女の出来るベストは尽くしているという点だ。しかし、エリザベスは若く美しいスーと比較して、劣等感を払拭出来ず、彼に会う事なく終わってしまう。
これは、そもそも比較対象からして間違っている。50歳の女性が、20代女性の若さや美しさと張り合ったところで無理があるはずで、現実ならば滑稽に映るはずだ。だが、スーがエリザベスから生まれた「より優れたもう1人の自分」だからこそ、彼女はそこにライバル意識を燃やし、目を向けずにはいられないのだろう。スーは若かりし頃の自分との比較になるのだ。
【第3章:モンストロ・エリザスーが魅せる地獄絵図】
《かわいいが暴走して、阿鼻叫喚》
日本における本作のキャッチコピーは、まさに本作の本質を端的に、的確に表している。
本作のジャンルは、正しくは「ボディ・ホラー」であり、クライマックスで誕生する“モンストロ・エリザスー”のビジュアルはインパクト抜群。また、エリザベスとスー両者の特徴を併せ持ちつつ、両者の肥大化した内面のエゴにそのまま肉付けして形を与えたかのような膨張・増殖しまくった歪なボディは、ジョン・カーペンター監督の名作『遊星からの物体X』(1982)のクリーチャーを彷彿とさせる抜群のデザイン。
エリザスーの姿を目の当たりにし、彼女を「化け物!」と責め立てる観客や、混乱して立ち尽くすパフォーマーらに容赦なく血を浴びせかける姿は、スティーヴン・キング原作の『キャリー』(1976)のクライマックスと重なる(あちらとは違い、本作はヒロインが浴びせる側だが)。
出来る限り実物に拘った特殊メイクとクリーチャー造形、実に13万リットル超の血糊、それによって描かれるラストの地獄絵図は、まさに阿鼻叫喚。
現代において、これほどまでに手作り感と情熱が迸る悪趣味で痛快なホラー描写が見られるのかと、心底感動した。
このやり過ぎとまで言える過剰なクライマックスが、私の本作に対する評価を更に引き上げた。人によってはこの第3章で賛否が明確に分かれると思うが、私はコラリー・ファルジャ監督の思い切りの良さに盛大な拍手を贈りたい。
【総評】
「ありのままの自分を愛する」事の難しさを描いた本作。「若さ」という身体的な長所は、どうしても時の経過と共に衰えていく。反対に、「知識」や「経験」は年齢を重ねていくほどに蓄積され、その価値は一朝一夕で失われるようなものではない。「若さ」の喪失をどう受け入れ、「知識」や「経験」を重ねて自分を磨けるか。誰もが迎える「老い」という現象を前に、どう折り合いを付けて新しい生き方を構築して自分を愛せるか。
本作は、女性陣の圧巻の演技、グロテスクながら痛快さに満ちたエンターテインメントとして、そんな問いを我々に投げかけているのだろう。
物凄い映画を観た。
期待値を色んな意味で超えてくる物凄い映画だった。
バランスを尊重しろ
美への醜いまでの執着
強欲は身を滅ぼす
まるで世にも奇妙な物語にでもありそうなテーマがど真ん中にありながら、この映画の伝えたいことは果たしてそんなことではない気がする。
ラストのステージで客席とステージにぶち撒けた血飛沫は観ててあっぱれだった。
予想し得る最悪の展開をゆうに上回る、1秒先でも目が離せない、常にサスペンションの効いた映画でした。
まさかの
ジョン・メリック
他にも昔ホラーにハマっていた頃に見ていたもののオマージュたくさんで楽しかった
エレファントマンのジョゼフさんは病気だからこれに使うのはどうだろうと思ったけど
老いを受け入れられないのも病気だよなあと
終盤のこれでもかってくらいのグロに吹いた
美の依存症
最悪(褒め言葉)な話を最高の演出で
スプラッターなのにスタイリッシュ、という点では「サスペリア」直系ホラー。例の正気を疑うほど真っ赤な長廊下とか、まんまではある。デミ・ムーアが文字通り身体を張り過ぎた熱演なのだが、それが却って(正しい意味での)役不足になっている感もあり。終盤の分身との対決シーンなど、老婆の特殊メイクをデミ・ムーアの女優力が貫通していて、「すべてを若い分身に奪われた哀れな存在」にはちょっと見えない。あやうく素手ゴロで勝ってしまうないかと思うようなパワフルさと貫禄である。最後のハチャメチャ血みどろな怪物オンステージは概ね期待どおりだったのだが、カタルシスの面ではもう一段ハメを外しても良かったと思う。クソみたいなプロデューサーもスポンサーも皆殺しにして、今までの脆弱な美の基準と決別、最強こそがもっとも美しい!と覚醒して摩天楼を疾駆するモンストロ・エリザの雄姿が見たかった…。真面目な話、美を消費してる側にその牙が届かないならテーマ的に片手落ちではないか。
前半4.0後半3.0
「やっぱ年相応がいいんだよ」って
終演後、外にでたときに前で話してた60代くらいの女性客2人の会話に、深く頷いてしまった。
元が美しかった、その美しさを自分の存在価値だと思っているから、それが失われた時に絶望するのかな、と。
(胸や尻が垂れたり、背中の老いや腹の表現がすごく…つら…)
そういやヌード多かったけど、まったくエロティシズムを感じなかった。
前半は、母体と複製の両方を行ったり来たり、同じ人物のはずなのに相手を疎ましく感じるように…ってというところまでは老いることがテーマの近未来SF的な?と思って観ていたんだけど、後半の2人(1人?)が決裂したあとからがもう血みどろ&ぐろぐろモンスター化でえっえっなにこれ?え?状態になりました。血出しすぎじゃん…?薬品で分裂しまくってるから減らないのか?
後半はむしろ吹っ切れすぎてて笑えてしまった。
笑えると言えば、老化し始めたばかりのころにひざ痛に苦しんでたリズが、ボロボロ婆さんになった後の動き素早すぎないかw
ハリウッド・ウォーク・オブ・フェームっていうんですね、あの星型の。
冒頭の、星型の上でくるくる回るのとか、最後のほうで伏線になっててよかった。(っていうかつらいけど。)
最後、車とかでグシャってされるのかとハラハラしてた…。
美の代償。
番組撮影終わりに女子トイレ故障で入った男子トイレ、そこへ後から入ってきた番組プロデューサーの電話のやり取りを聞き番組降板の危機を感じる50歳の誕生日当日の元人気女優エリザベスの話。
降板危機を感じながらのドライブ中の事故、搬送先の若手医師から…、自宅に戻りUSBメモリを開き知る“サブスタンス(活性剤)”を使用してみることになるが…。
人気落ち仕事減るで頼ってしまう違法薬品サブスタンス、…を使用し背中から分身スーを産み出し。分身を産み出し終わりでなく互いのメンテと決まった期間で入れ替わりと設定が面白い、用法用量を守りあくまでも2人で1人と決まりがある中で見せていくわけだけど。
自我が芽生え始めるスーの期間オーバーの代償で、エリザベスの劣化してく肌、狂い始めた2人の関係性にイヤな気持ち悪さを感じながらも巡ってきた司会、えっ?その姿で会場行く?が、怖さからちょっと笑いへ変わってしまって、「失望させませんから」と言うプロデューサー的な彼からのフリ、…挙句の腕から吹き出る血で血祭り騒ぎには何か笑っちゃった。
ラストの頭部が自分の名が刻まれるフロアに戻ってく姿は何か上手いなって思った。
デミ・ムーアのキャリアに必要なのコレ?
エクストリーム‼️ に大失敗かなと思った。途中まで良かっただけにね。適役と言えば適役だったけど何でオファー受けたんかなデミ・ムーア。2025マイワーストになる予感しかしない。
【追記】※長文酷評です
観たい人はだいたい観終えた頃合いか感想が出揃ったようなので個人的に総括。とにかく感覚がありきたりで古い。女性監督自身が明言してるテーマ、女性が若さや美しさを失うことで社会で透明になっていく辛苦、今更?またショービズ界で若い白人女性に多大なアドバンテージを肯定する文脈もあえてだとしてもコンテンポラリーではない。設定の説明が済んだ時点でテーマも結末もおおよそ予想出来てしまう安い脚本、使用上の諸々のタブーは判りやす過ぎて完全に熱湯風呂の絶対に押すなよ!だw 映画好きにアピールするオマージュもキューブリックに一蹴されそう。ツァラトゥストラの使い方なんて最低、滑稽ですらない。ボディホラーはジョン・カーペンターやクローネンバーグ(オマージュ多数)を知らない世代には新鮮なのか?物体Xもヴィデオドロームもザ・フライも40年程前なのに演出面でほぼ進化が見られないばかりか衝撃は見劣りしている。VFXの問題では無い。そもそもボディホラーは人体の怪物的変化のビジュアルショック自体が本懐だ。ジェンダーというテーマを表現するための過剰演出に用いたのだとしたらオールドファンに言わせれば主従が逆だ。ホラー大作は本職にしか出来やしない。そして何よりなんの余韻もない作品だった。エンドロールでやっと終わったかと。主演2人は途中まで良かった。DIYとぶっ飛ばしキックと死体蹴りは印象に残ってる😆 公開前にGEEKS RULEのTシャツ販売が告知されてて買おうかなと思ってたけど映画観てやめた。絶対着ないから。
愛されたい
昨年のカンヌ、米国アカデミー賞でも話題になった本作がいよいよ日本公開。
上映時間長いな〜とは思ってたものの、こんなにドギツくシツコくやってるとは思わなかった。途中からかなり笑ってたんだけど、ラスト30分くらいは「まだやるのか!」と笑いが止まらなかった…ww
冒頭から演出はかなり濃いめ濃いめなんだけど、それだけじゃなくデミ・ムーアの熱演とマーガレット・クアリーの完璧な美しさに息を呑む。それはもうやむを得ないンだけども、それじゃ駄目なのよ。ルッキズム、エイジズムへの渇望とその行き着く先、そしてそれのみで女性をジャッジする男性のギルティを裁く映画なんだから。
そしてその底流にあるのは、「愛されたい」という本能的な想い。誰もが誰かに「愛されたい」と思っている、がそれを得るためには相手の欲望に応えざるを得ない、という矛盾。ありのままで愛されたい、というのは身勝手なのか…?そういう問いだと思う。
サブスタンスのもたらす効果も奇想天外なものだったけど、ラストもヤバい。クローネンバーグ、リンチ、毒毒モンスター、キャリーから物体Xまで(最後はT2だよね…)、オマージュしまくってるのでは…?
ここまでやったんだからデミ・ムーアにアカデミー主演女優賞あげたかったけど、じゃあ「毒毒モンスター」に賞あげたか?って問題かも…
観る前に知っておいてほしいのは、これは誰がなんと言おうと、B級映画であり、ホラー・スプラッターです。気をつけて…
すっかりババァになったデミ・ムーアさんの熱演にして怪演。ルッキズムを笑い飛ばすボディホラー!オマージュてんこ盛りの闇鍋的佳作!
いやまぁデミ・ムーアもすっかりいい歳になりました。そんな彼女が選んだのがまさかのボディホラー。ボディホラーとは、身体の変形、損傷、奇形などを通して身体に対する恐怖や不安、アイデンティティの喪失などを描くホラー映画のサブジャンルの事(AIに聞いたw)
しかしこれがまぁホントよく出来きてる映画でした。
80年代を象徴するようなTVシーン・エロテックホラーの体裁をベースに、クローネンバーグやジョン・カーペンター、キューブリックの珠玉作品へのオマージュがオンパレードだもの。ラスト、公録スタジオ血糊の阿鼻叫喚なんかはこれ「キャリー」のオマージュかな?w 詳しくは実際に観て感じて欲しいぞ。
そしてデミ・ムーアがこの怪作への出演に踏み切ったのも、ルッキズムに対する問題提起を感じたからだろうか?? ババァになった裸体を惜しげも無く晒し体当たりの演技はとても好感が持てた。スーを演じるマーガレット・クアリーのナイスバディと美人っぷりも楽しめるが、エリザベスを蹴り殺す鬼女っぷりにも感心しきりだ。とにかくB級映画の体裁はあるものの、とんでもない佳作に仕上がっている。
…まぁ前の席にいたなんの予備知識もない風の初老夫婦は困惑の表情で席を立っていたけどw とにかくホラーが好きな映画ファンなら必ずハマるお勧め映画でございます。
彼女が選択した夢の断末魔は怪物だった。
サブスタンスThe Substance
若く美しく皆んなから愛され有名で快活で自在を謳歌する代償は、祖母のように枯れて朽ちて行く。
そんな断りに抗うと、自然の摂理に反した贖罪としてピカソのハンカチを持つ女の如く、ゾンビンのごとく最後には、カラヴァッジョのメドゥーサの頭と化す。
スーはエリザベスそのものであり、残りの半生の期待であり夢なのだ。
そんな執着の権化は正に怪物で妖怪でしかない。よくぞ此処まで書き殴れたものだ。それは女性監督だからだろうか。
凄い才能だと思う、これからもますます尖ってほしいものだ。
余りにも多くの比喩示唆が含まれていて、一夜では消化できなかった。
(^_^)
サブスタンスThe Substance
バイオレンス映画「REVENGE リベンジ」などを手がけてきたフランスの女性監督コラリー・ファルジャが、「ゴースト ニューヨークの幻」などで1990年代にスター女優として活躍したデミ・ムーアを主演に迎え、若さと美しさに執着した元人気女優の姿を描いた異色のホラーエンタテインメント。
50歳の誕生日を迎えた元人気女優のエリザベスは、容姿の衰えによって仕事が減っていくことを気に病み、若さと美しさと完璧な自分が得られるという、「サブスタンス」という違法薬品に手を出すことに。薬品を注射するやいなやエリザベスの背が破け、「スー」という若い自分が現れる。若さと美貌に加え、これまでのエリザベスの経験を持つスーは、いわばエリザベスの上位互換とも言える存在で、たちまちスターダムを駆け上がっていく。エリザベスとスーには、「1週間ごとに入れ替わらなければならない」という絶対的なルールがあったが、スーが次第にルールを破りはじめ……。
2024年・第77回カンヌ国際映画祭コンペティション部門で脚本賞を受賞。第75回アカデミー賞では作品賞のほか計5部門にノミネートされ、メイクアップ&ヘアスタイリング賞を受賞。エリザベス役を怪演したデミ・ムーアはキャリア初となるゴールデングローブ賞の主演女優賞(ミュージカル/コメディ部門)にノミネート&受賞を果たし、アカデミー賞でも主演女優賞にノミネートされた。共演は「哀れなるものたち」「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド」などの話題作で活躍するマーガレット・クアリー。
サブスタンス
The Substance
2024/イギリス・フランス合作
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