サブスタンスのレビュー・感想・評価
全592件中、501~520件目を表示
まさに阿鼻叫喚だが、やるせなさも
女性に若さや美しさを求める価値観を露悪的にコミカルにグロテスクにぶつけてくるホラーで、とても面白かったです。
ビビッドなビジュアルに不穏感を煽る音響や、容赦ない肉体変容描写など、映像的にも見応えがありました。
主人公二人、体当たり演技はもちろんのこと、台詞がなくとも表情や仕草で伝える演技も素晴らしかったと思います。
「かわいいが暴走して、阿鼻叫喚」というコピーを見た時は、今時「阿鼻叫喚」って、久し振りにこの四字熟語見た、などと思っていましたが、クライマックスはまさに阿鼻叫喚と呼ぶに相応しい狂いっぷりで度肝を抜かれました。
シニカルなコミカルさもありますが、やはり価値観に囚われた主人公の末路はやるせないです。
旧友に会おうとするくだりは本当に痛々しいですし、主人公同士で争うのも、自己嫌悪、自己否定、自傷行為ということになると思いますし。
若く美しくなければ価値がない愛されない、という価値観の呪いに心の底から苛まれているのだろうと。
女性に若さや美しさを求める男性の方はこれでもかというくらい能天気で醜悪で、クライマックスはそんな価値観を育んでいる男性や世間に対して痛みをぶちまけてやるという怒りもあるように感じました。
作品は日本でいう昭和の時代の話のように見えますが、こういう価値観は今でも根強く続いていますし、SNSの流行もあり、ショービジネスの世界に限らず一般人や子供にまで広く強く刷り込まれるようになっていると考えると、気が滅入ります。
ついでに、シネコンではこの作品の宣伝用の大きなパネルが飾ってあったりしましたが、ドラえもんのパネルの横に並べてあったりして、子供向け作品と並んでいるのは何だかシュールな感じで笑いました。
近年で最狂
複雑な至福
至高のサスペンススリラー
何が悲しくて
こんなものを見ているんだろうと思った。言いたいことはわかったから、最後まで脚本を書かないなら、映画にしないでほしい。
どれだけぶっ飛んでいてもいいけど、もっと主人公の内面に寄り添ってほしい。この人だって、ルッキズムだけに重きを置いているわけじゃないでしょう。人生、それだけじゃないはず。昔の知り合いが現れたとき、かすかな光が差していたのに。
中盤まではそれなりにしっかり作っていると思うし、この先どうなるのかという興味で観ていた。デミ・ムーアの貫禄も悪くないし、マーガレット・クアリーも冷たい美しさではなく愛嬌があってよかった。
どうやって終わりにするかわからなくなって、ホラーエンターテインメントにしてしまった感じすらする。
ホラーエンターテインメントと言えば聞こえはいいけど、これで喜んでいる人たちが大勢いるから成立しているのだと思うと、帰り道が少し怖かった。
前半は★★★★、後半は…
終盤はスプラッター それもB級
作品のアイデアと中盤までのストーリー展開はとても面白く魅力的だった
ただ後半(特に最終盤)が間延びし過ぎて何処まで続くのだろうと呆れてしまった
監督の言わんとしていることは解るのだがそれにしてももう少し何とかして欲しかった
サブスタンスのルールも終盤は破綻してるし
これってデミ・ムーアの力で終盤の脚本を改変出来なかったのだろうか?
っていうか出演してもらいたくなかった
せっかくのデミ・ムーア、マーガレット・クアリーの全身全霊の熱演が終盤で全て台無し
コアな映画ファン以外はおすすめしません
ポップで残酷。存在価値を追い求めた欲望の果て
コラリーファルジャの圧倒的なセンスが爆発している
頭一発目から一気に持っていく画作り、ハイコントラストな色彩感覚、大胆なアングルショット…
どれをとっても1シーン1シーンの画面構成に隙が無くキマりまくっている
でありながらも技術だけに収まらない暴力的とも言っていい攻撃性を備えたストーリー
年齢という呪縛、美への渇望、女性としての価値
ポップな画とは裏腹に容赦なくくだされる老いへの断罪
それらが最後にもたらす悲劇的とも喜劇的とも言える激烈なラスト
ここまで作品全体から溢れんばかりのパワーを感じたのは久々
局所でボディブローのように打ち込まれる痛烈なシーンの数々が徐々に作品を全体を包み込みやがて爆発するように終盤へ流れ込んでいく
そこからのモンストロスな展開とスプラッター顔負けの血しぶきの嵐をぶつけられ見ているこっち側の身体が熱くなる
ただそれは単純に見た目の派手さ だけではなく、その根底にある愛への飢えが強く感じられるから
映像演出と感情の機微。両側から頭を揺さぶってくる
老いたかつての女優を演じるのがデミムーア というのもどこか彼女自身と重なる部分がありだからこそマーガレットクアリーとの対比がより深みを持って描写できたのではないかと感じる
全体に説得力をもたらすような2人の存在が最終的にはサブスタンスという作品を見事にまとめ上げた
尖ったセンスと時世を突く表現技法、圧倒的なプロットや映像演出、そしてそれに深みを与えた演者の力 全てが高い次元でまとまった傑作!
果てしなく強欲
観た劇場は、かなり席うまってて期待値の高さは今年のアカデミー賞受賞作だからでしょうか。
かなりの衝撃作、ほんと後半は阿鼻叫喚だし、ちょっと事前に忠告しておいてほしいレベルにバイオレンスでスプラッターな内容。
デミ・ムーアよくこのオファー受けたなというような役どころ。いま63歳で49歳の役だけど、その年齢には見えないほどナイスボディ。そしてマーガレット・クアリーもスゴい脱ぎっぷりと体当たり演技、これはたしかにセクシー&バイオレンスでR15指定。
観終わった男性と女性では感想が異なりそうな予感もしたり。自分の目線では、己の強欲の果ての自業自得だけど、話の最後は、これはこれでハッピーエンドなのか?!と思った。
強欲その1、若い頃から49歳まで大成功している生活
強欲その2、他人からチヤホヤされることをやめられない
強欲その3、いまの自分の快楽のためなら、他人(自分の未来)なんてどうでもいい
そりゃそもそも、そんな危ない薬に手を出す人が、バランスや平穏なんて無理という分かりやすさ
サブスタンスを推奨した男性も半身に侵蝕されてたから、レストランで色々なものを落とすほど衰えてたのかな。
作品に登場する男性が底抜けにバカに描かれて、登場する女性は、果てしなく強欲に描かれてた。人間の黒くて闇な部分を思いきって清々しいまでに真っ黒く表現してる。
未知との遭遇
最高に悪趣味
嫉妬と自尊心
ここ最近忙しくて映画館にもなかなか行けず…レビューもしてないのが溜まっている😔はよ書かな…
この映画、公開前から個人的に大注目しておりめっちゃ楽しみにしてました!
まああらすじからして、薬を手に入れて最初はウハウハ。ルール破ってえらいこっちゃ!やろ。まあよくある設定やなって思いながら観ていたが、そのえらいこっちゃの描写がとにかくえげつない。そこまでやるなんて喪黒福造すらそこまでひどいことせーへん😔食事のシーンもやけに生々しくいちいちぐろい。
後半、ほとんど画面直視できず。チベットスナギツネのような目で観ていた…
そしてデミムーア。この役は今のデミムーアやからできたんやろうなあ。女優としてのこの作品にかける覚悟を感じた。やっぱりアカデミーとってほしかったよ…。
お局なんて言葉があるけれど、私の職場にもお局はおり、きまって集団で若い女性の悪口をいい、若い男にこびる。若い頃はお局さんたちもちやほやされていたんやろう。同じ女性としてなぜ同性を敵対視することしか頭にないのか?なんとも虚しい気持ちになったことをふと思い出す。嫉妬は理性を超越する。やから職場いじめはなくならない。嫉妬という感情は自尊心の低さと連動している。他人軸じゃなく、今の自分のことを愛せていたらエリザベスもきっと穏やかな人生をおくれたんやろうな。
帰り道、トイレの鏡で思わず自分の顔をみる。いつも通りの自分の顔で安心。それにしても疲れる映画やった。
使用上の注意
単に若返るんじゃなくて母体と分身に分裂、分身の安定剤は母体から精製されるため
1週間ごとに活動体を入れ替える必要があるって設定大好き!
案の定、イケイケ分身体スーが使用上の用法を破り始めた事から入れ替え生活は破綻をしていく・・・
説明書が結構テキトーに書かれてた割にエリザベスが注射うって分身作成→入れ替え→安定化迄してるの流石メディカル大国(?)の国民様だと勝手に感銘を受けてしまった(笑)
最期のモンストロエリザベスーの血塗れシャワーは
近年稀に見るスプラッター(つっても本人の血ですが)描写でした。
結論:面白かったけど、、よくデミムーアが出演したなってw
自分を愛せない悲劇
これはルッキズム批判やアンチエイジング批判に留まるような映画じゃない。もちろん女VS女の物語でもない。「自己愛とは何か」その問いをシンプルかつ大胆にホラーへと昇華させた、類まれなる映画だ。
グロくて怖いし、グロさもバリエーション豊かなので万人には勧められない。「サブスタンス」観ながらハンバーガー食べられるくらいの図太さが必要。
主人公・エリザベスが求めているのは、「皆に愛される自分」である。若さも美しさも副次的なものでしかない。
その「愛されたい」に対して、エリザベス自身は自分をうまく愛せないでいる。それはサブスタンスによって若く美しい「スー」を手に入れてからも解決せず、むしろ悪化しているように見える。
スーでいる間は、望んだ通りにチヤホヤされているものの、エリザベスに戻れば同じ人間から悪態をつかれる。その経験のせいでエリザベスは引きこもってテレビを見るだけの1週間を過ごし、部屋は荒れ、暴飲暴食で自分を慰めながら同時に傷つけていく。
7日間は長い。嫌いな自分と向き合うだけの1週間ともなればなおさら。逆に、スーである1週間は短すぎて、エリザベスである時間の怠惰さを「無駄」に感じてしまう。忙し過ぎて自由に過ごせない歯がゆさが、孤独な時間を耐える自分を切り捨てようとする恐ろしさ。
ちょっとくらい、無駄な時間を有意義に使ったって良いじゃないか、とばかりにスーは7日間のリミットを超えてしまうが、代償となったのはエリザベスの肉体だった。これをきっかけに、スーとエリザベスがバランスを取り戻せれば良かったのだが、むしろエリザベスの自己否定は更に拗れる。
お世辞かもしれないが「君は今でも世界一可愛い女の子だ」と言ってくれたフレッドが、エリザベスがエリザベス自身として愛される最後のチャンスだった。
会う約束をとりつけ、いざ出掛けるという時に目に飛び込んでくるスーの看板。あれは「完璧な自分」だ。もっと完璧にならなきゃいけない。完璧じゃなかったら、きっとフレッドは愛してくれない。
その感覚はもはや呪いだ。
なぜ「もっと、もっと完璧に」と際限なく求めてしまうのか。唇に潤いを足し、萎んた胸元は隠し、チークを濃いめに…どんなに繕っていっても、50歳のエリザベスがスーの持っている美しさを再現するのは無理だ。大体、フレッドだって求めてないのに。
もし、フレッドに会いに行っていたら、エリザベス自身を受け入れてくれる存在に心が安らいだはずである。スーのように多数に絶賛されなくても良いじゃないか。自分を愛してくれる存在は、自分自身を愛するきっかけになるはずだった。
結局、エリザベスは自分を愛せず、完璧な自分であるスーへも憎悪を募らせ、そんな醜さの権化であるエリザベスの存在は、スーによって搾取される。
醜い自分など、外に出るべきではないから。
私が本当に恐ろしかったのは、モンスターと化す前のスーによるエリザベスへの過剰な暴力である。
自分自身への攻撃は他人への攻撃より苛烈だ。愛される自分、その存在を脅かし、足を引っ張り、闇が深くなるくらいなら光を消してしまおうとする自分を息絶えてもなお蹴り続けて、それでもやっぱりこれは自分だと思ったのか。
それでもやっぱり、光を浴びてもう一度輝きたいと願うエリザベスの執着は、当然スーも同じ。
サブスタンスを終わりにする為の投薬のせいなのか、本体であるエリザベスの肉体が再生不可能だからなのか、スーの肉体も崩壊し、スーは禁断の2回目のサブスタンスに全てを賭け、そして彼女はモンスターとなった。
正直、あれをモンスターと言っていいのかわからない。エリザベスよりもスーよりも、純粋にこれが自分自身なのだと自覚している分、「モンストロ・エリザ・スー」は自己を肯定しているように感じたからだ。
知ってはいたけれど、想像以上にホラーだった。ホラーテイストはあっても、もっと途中で自分を肯定するような方向に向かうんじゃないかと思っていたから、崩壊するまで主人公を追い込んでいくテイストに驚愕した。
多分デミ・ムーアのファンと思しきおじいちゃんを見かけたのだが、彼がどう思ってこの映画を観ているのか、そもそもこのホラー展開についていけているのか、ふとそんな事を鑑賞中に考えて不安になったくらい、容赦がない。
が、私個人としては色んなシーンが面白く、特に序盤にこの後の展開を示唆する様々な仕掛けが施してあるのが良い。
序盤は映像的にもかなり攻めていて、カメラの近さや咀嚼音・呼吸音の近さが、エリザベスと観客を接近させるように仕向けられているところも興味深い。
誰だって、自分自身に嫌いなところはある。その日の体調や気分によって、良いパフォーマンスが出来るかどうかもわからない。
「より良い自分になれ」という命題は、もちろん悪いことじゃない。が、「ダメな自分」とどう向き合うか、を教えてくれる人はあまりいない。
ダメである自分も、また自分なのだ。ダメな自分を切り離して、良いところだけの自分しか見せないようにしたとしても、結局自分自身はダメで嫌いな自分からは逃げられない。
ダメな自分の時間とは、より良い自分を生み出す為に必要不可欠なインターバル。それが「バランス」なのだということを忘れないようにしたい。
愛と承認を求め、自分の鏡像に殺された女優
本編に繰り返し登場する鏡。
鏡に写った自分自身の姿をありのままに受け入れるか、それとも歪曲して受け入れるか。どのように認知するかは本人次第だ。そして、その認知が歪んでいるとき、その原因は本人だけでなく社会全体にあると思う。
摂食障害を患ったある知人の女性は、ミスコンの優勝経験もある美しいひとだった。彼女はある時期から食事を摂らなくなり、毎日のようにジムに通って激しい運動を行い、病的に痩せていった。彼女は骨のような姿になっても鏡を見て「頬にこんなに肉がついている」「もっと痩せなければ」とため息をつき、周囲の人々がいまの状態がいかに危険であるかを説いてもまったく効果はなかった。病室で面会した彼女に「いまの私はきれい?」とすがるような目で問われたことをいまでも忘れられないでいる。鏡が「ありのまま」を写しても、本人が「ありのまま」を認知できるとは限らない。
本作品の主人公エリザベスは、かつてオスカーを獲得し一世を風靡した人気女優だったが、50歳を超えてその知名度は下がるばかり。依頼される仕事も演技ではなく、エアロビ番組のインストラクター。その番組も年齢を理由に降板させられてしまう。一般人の私から見て、エリザベスは美しい女性だと思う。重ねた年齢は感じさせるが、鍛えられた身体も、手入れされた容姿も並外れている。街中でばったり再会した同級生から見ても同様だろう。しかし、芸能界という世界、そして芸能界で生きる彼女たちを消費する私たち、そしてエリザベス本人もそれでは満足できない。より若く、より美しい女性であること常に求める。
エリザベスはただ完璧を求めている訳ではないと思う。根底にあるのは「みんなに愛されたい」「認められたい」という果てしない欲求。ありのままの自分、50歳を超えて容姿が衰えはじめた自分は、芸能界で必要されない。芸能界だけではなく、日常生活でも必要とされない(周囲の男たちのエリザベスとスーに対する態度の明らかな違い)。そして、鏡に写った自分自身、老いた姿を受け入れられない。追い詰められたエリザベスは怪しげな再生医療サブスタンスに手をだし、欲望のまま破滅へと突き進んでいく。それはエリザベス個人の欲望の帰結でもあるし、そのように仕向けた私たち(社会全体、芸能界、芸能界を仕切る権力者、芸能界を消費する我々)の責任であり呪いだと思う。
私は誰かに呪いをかける前に、呪いをかけらていたと思う。私の見た目はエリザベスと違って不細工である。こどもの頃から「器量がよくないのだから、せめて笑顔でいなさい」「女の子なのだから常に笑っていなさい」と繰り返し言われて育った。なにも面白くないのに、笑顔を強要されるのはとても疲れる。絶対的な権力者である社長の前で、へつらうような、ぎこちない笑顔を無理やり浮かべるスーを見て息苦しさを感じた。こうした呪いは幼い頃からの刷り込みだけでなく、大人になってからも大量に付きまとってくる。そういうものをめちゃくちゃ研ぎ澄まされたナイフで眼前に突きつけてくる映画だ。老いたエリザベスが、若い自分自身に鏡に叩きつけられて殺されるシーンなんか極致だと思う。
それと、スーが担当するエアロビ番組の構成は、エアロビの皮を被ったアダルトビデオみたいで気味が悪かった。執拗に身体の線を辿るカメラ、尻や胸のアップ、スーがしゃべるのは最後にほんの少しだけ。スーの人格はどうでもよくて、若くて美人でエロい女の子がセクシーに身体をくねらせていればオールオーケーという馬鹿みたいだけどよくある番組。製作に携わるのは男性ばかり。「鼻の代わりに胸がついてればな」という採用担当者の最低な台詞。極端な気もするが、いまの芸能界の縮図なのだろうと思った。
映像はすべてテンポがよく、無駄がなく洗練されていて、スリリング。特に、星形プレートの使い方が面白くて強く印象に残った。ハリウッドウォークオブフェームにエリザベスの星形プレートが設置されるシーンから映画は始まり、プレート単体でエリザベスが世間から忘れられていく様、しかし彼女自身は過去の栄光にどうしようもなくすがり付いている様を淡々と容赦なく表現し、映画は終わる。
最後に。モンスターエリザベスの血を掛けられる観客の中に、私もいるのだろうと思いながら見た。私たち観客の眼差しが彼女をつくりあげ、結果として死に追いやったのだと。
ちゃんと阿鼻叫喚(笑)
正直終盤までは
面白いけど思った方向の話じゃないし
「永遠に美しく…」と「ナッティプロフェッサー」を足しような感じだし
それほど阿鼻叫喚じゃないし
まぁ星3か2.5くらいかなぁとか思ってたけど
終盤の怒涛の展開がマジ最高(笑)
ちゃんと阿鼻叫喚だったわ
細々突っ込みたい所もあったけど
ラストの展開でそんなもんどうでもよくなったよ(笑)
小道具や特殊メイクやデザインや演出の節々に
80年代ホラーへのリスペクトを感じたのは私だけだろうか?
なにげにアクションシーンも迫力あってよかったな
蹴りでふっ飛ぶシーンとか
ジャッキー映画みたいだった
個人的には
出来ればあの終盤の展開を中盤に持って来て
ラストはもっと周囲も巻き込んだ地獄絵図を繰り広げてくれたら満点だった
まいった!
全592件中、501~520件目を表示