サブスタンスのレビュー・感想・評価
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髄液もらいます
なるべくシネコンの前の方で没入感に浸りたい作品。
監督は短編映画 リアリティ・プラスのコラリーファルジャだった。
設定がユニーク。この女性監督はなかなかのクセモノです。
ルッキズムを直接批判するようなことはしないが、リアリティプラスの延長線上にあるテーマ。自己愛が暴走する。自己嫌悪からヤケ食いする。これが1週間おきに続く。
Elizabeth と Sue が 別人格の母娘にみえてくる。
時間(7日間)で交代しなきゃいけないのに、
もうちょっと夜遊びしていたい娘とだらしのない母親みたい。
母さんの安定液(髄液)をいただくわよ。
我慢して頂戴ね。髄液を抜かれ続ける母体はつらい。
Sue は昨年観たドライブアウェイ・ドールズのマーガレット・クアリー。
こんなに素敵だとは思いませんでした。
ドライブアウェイ・ドールズではわざとイモねぇちゃんを演じていたのでしょうか?
ホントのお母さんは女優のアンディ・マクダウェル。
1994年のバッド・ガールズに出てました。
アクション(親子喧嘩)もなかなかハードでした。
96回アカデミー賞受賞作品鑑賞もこれで一区切り。
一番面白かったです。
メイクアップ&ヘアメイク賞受賞だけに終わったのは コラリーファルジャ監督とデミ·ムーアにしてみれば、ちょっと納得いかないかもしれませんね。脚本賞はあげたい。
ただ、ホラー耐性の無い人には最後はちょっと長くてキツいです。
B級ホラー映画監督からしたら、デミ·ムーアを主演に潤沢な予算とCG技術でこんなの作られたら、たまったもんじゃありません。
エリザベス·スパークル。
あの特殊メイク技術のバケモノの最後はタコ🐙みたいだったので、イザベル・アジャーニのポゼッションを思い出しました。
入場プレゼントのシールにはサブスタンス接種証明書と書いてありましたが、ワクチンじゃないでしょうよ💢投与したら最後。Terminationは観てのお楽しみ。
薬のコマーシャルで最後に決まって流れる文句。
使用法、用量を守って······正しく······ができれば世話はないのよ。
衝撃のボディホラー、ルッキズム、ジェンダーバイアス、エイジズム(年齢差別)に対する批判 。後半がとにかく強烈!壮絶!「かわいいが暴走して阿鼻叫喚!」コピーに偽りなし!
オスカー女優エリザベスは、50歳を契機にプロデューサーからレギュラー番組鋼板を言い渡される。
彼女は、再び脚光を浴びるために、若さと美しさを再生する「サブスタンス」という医療プログラムにより、もう一つの体を手に入れ、スーと名乗り、その若さと美貌から自身の後番組のオーディションに合格。
エリザベスは、新生スター・スーとして華々しいデビューを飾り、再びスターダムにのし上がろうとしたが、「サブスタンス」には厳格なルールが存在していた。
エリザベスの番組が、女性の若さと美貌を売りにしているエクササイズ番組が象徴的。
予告でも流れてた音楽が象徴的、印象的でした。
悪趣味プロデュサーの食事、コップの溺死するハエ、食べられるエビ・チキンなどが、スクリーンにドアップで映しだされ、実に生々しい。
「若さ」「美貌」「女」を求める、下劣なプロデューサーと幹部連中の中年野郎どもの、気色悪い低俗ぶり。
エリザベスの肉体異変が始まる中盤以降、徐々にエスカレートしていくくだりが、本当に怖い!
どんどん崩壊していき、この辺でラストかな、と思っても全然止まらない怖さ。
「もう止めて!その辺にしておいて!」と思いながら観てると、ついに行くところまで行ってしまう。
「キャリー」だったのが「物体X」になってしまって、特殊メイクし放題、まさにB級ホラーのノリ。
とにかく強烈!壮絶!「かわいいが暴走して阿鼻叫喚!」のコピーに偽りなし!
まあ、いくら何でも、1人分(2人分?)の血液はそんなに多くないでしょうけれど。
主演2人は体を張った演技で、脱ぎっぷりもよく、また特殊メイクでモンスターの一部も演じていて圧巻!
特にデミー・ムーアもよくこの役をやりましたよね。
この内容で、アカデミー作品賞他ノミネートというから時代も変わりました。
想像を超える凄さでした。
ハイカロリーのぶっ飛び映画
とにかく熱量の凄まじいホラーでありシニカルコメディでもある。
「笑ゥせぇるすまん」的な心理的な追い詰めが、フィジカルに暴走を開始する。
まだ来るか、まだいくのか。
このテのジャンルムービーとしては上映時間も長い作品だけど、ラストまでテンションを更新し続けていく。
クライマックスなんて、ホラーというよりはお祭り。
ワッショイワッショイ。
クレナイだー。
まあ何しろ、この話が立体的に見えるのはやはりデミ・ムーアの存在。
彼女でなければただの「とんでもホラー」だったかも。
ルッキズムやエイジズム、性的搾取がまさに自らの社会的立場と直結する「芸能界」で生きていく人々にとって、今の社会がどういう場所なのか。
大スターになり、その後一線を退いていた彼女だからこそ、今の彼女の存在はまさに主人公エリザベス・スパークル。
当然作品を観た人にはデミ・ムーア自身と重ねられることを知って演じているだろうから、その覚悟は計り知れない。
体型の変化も、新たな自分「スー」との比較で「老い」として「悪」であるかの様に描かれる気分は、(外見を重視する仕事ではない)我々には分からなくてもやはり良いものではないだろうし。
ま、それも役者という仕事の特殊性ではあるけど。
こういう、性的なハラスメントを女性主人公でテーマにすると、どうしても出てくる男性が総じてステレオタイプなバカとして描かれる。
ただ、この話は普遍的な内容を含むんだから、もう少し男性にはバリエーションがあっても良かったな。
唯一の善良っぽい幼馴染みの男性も、結局なんかどんくさい感じだし。
でも、やはり女性は男性からこういう被害を受けてるってのも事実だからな。
私には合わなかった。。とにかく過激。
エログロスプラッタ 話が全くオチてない……
だらだら長文です、すいません。
タイトルの通り、エロやグロテスクな表現が先行して、折角のテーマやストーリーが置き去りになっている感がある作品。
人間の業を描いて心理的に強い圧をかけてくるスリラーに近い内容かと思いきや、単なるスプラッター映画。
率直なところ、下品というしかありません。
エロ要素についてはエリザベスとスーの若さの比較のために若い肉体、裸体を押し出すことは演出として理解できるのですが、あまりにも過剰。
エクササイズ番組のシーンは必要以上に多く、スーが最初に約束を破ってしまう理由が男を連れ込んだからタイムリミットに間に合わなかったため、というのはあまりにも弱い。
別人格として生まれつつあった若者の、一度なら問題ないよね、という軽薄な思考を説明するためだとしても動機がエロというのがちょっと受け入れがたかったです。
人の背中を突き破って新しい人間が生まれてくる、というあらすじからを聞いて(グロな成分、表現があるな……)ということも事前に感じ取り、覚悟していたつもりでした。
ただ、あまりにも過剰じゃないでしょうか。
スーが複数回規則を破った後、エリザベスがゴラムのような見た目になりますが、あそこまで老化した見た目にする必要はあったのでしょうか。
そのあと体はもう思うように動かないのかと思いきや、かなりアグレッシブでパワフルな行動をとっていたので内心で(ハァ!?どうなってんだよ、老化は!!)と思わざるを得なかったです。
終盤にかけてはもはやコメントする必要もありません。
全編通して、で薬の規則違反の副作用を説明する際に 見ていて生理的に気持ちが悪い という表現しか見られなかったのが不満です。
過激な映像の割には 極端に醜くなる とか 抜けるはずのない歯が抜け落ちる などどこかで見たことのある表現で奇抜さはなく、本当にこうした描写が必要だったのか疑問です。
グロと並行してスプラッターの表現、演出も過剰です。
背中からスーが出るシーンから嫌な予感はしていましたが、チキンがへそから出るシーンもラストのシーンも、あんなに血を飛ばすことないでしょう。
ラストシーンでモンスター化したスーを見て、事態を飲み来めない観客が「モンスターだ!」と叫びますが、もう違う視点から見ている観客の私も叫びたくなるほど突飛な展開でした。
最終的には死をもってストーリーが終わるわけですが、この死が語るものがはっきり見えてこない。
折角
・人間、特に女性が持つ美への変わらない憧れ
・老いへの恐怖、嫌悪感
・人への強すぎる憧れと、その反動の羨望から来る自暴自棄
・誘惑に惹きつけられる心、はねのけきれない弱さ
・栄光、名誉の廃れやすさ、移ろいやすさ
・女性の権利と男性側の傲慢
・社会の力関係の強弱が他人の人間性や尊厳を破壊している現実
こうした普遍的で攻めやすいテーマがあったのに、映像面での演出があまりにも過剰すぎて全てのテーマが投げ出されてしまった感があります。
過剰な映像の背景に何か示唆があれば納得のしようもあるのですが、全くそれらが感じられず悪趣味、露悪的な意図からやってるとしか思えません。
映像のホラーのお約束、定石を踏襲しただけかもしれませんが…
制作側が最初に決めたホラーというジャンルに縛られたのか、(ホラー映画だし内容で適当でええやろ これがホラー映画っぽいし適当でいいわ)という思いで作ったのかはわかりかねるところですが、作り手の作品に対する誠意や真剣さを感じることができない本当にダメダメな映画でした。
映画com上では高評価のこの作品ですが、google検索上の評価では☆1が多数。
いずれこの評価に落ち着くだろうなあ、と今から思ってます。
【追記】
物語途中のカフェにいた男性が登場した際 (ああ、この人の受け取りケースを破壊したり、薬品を受け取った後に強奪するんだな・・・) と思ったのですが、こうしたシーンは描かれず。
また鑑賞後に思ったことですが、エリザベスは電話を通じて誰だかわからない薬品の管理者を接触することはしても、実際に顔を見知っている最初のクリニックの助手や男性にコンタクトを取ろうとしないなども粗と言えば粗だなあ、と感じました。
私の黄色い赤い靴
赤い血を撒き散らしながら「これがあなたたちの観たいものでしょ?」と言わんばかりにくるくると回るモンストロ・エリザべシューは、まるで赤い靴を履いた踊り子のようである。足を切るまでやめられない、どころか、首を(物理的に)ぶった切られてもやめられない。女性が生きること=男性の欲望の対象となること、となりがちな社会への痛烈な批判であることはもちろんだが、スーに憧れる女の子にも血をぶっかけることで、そのような社会との決別の意志(「世代間連鎖をさせない」)を示しているところが好きだった。あと、“俺の中で俺と 俺とが戦う”状態で殴り合う場面は笑ってしまった。/たまたま直近で見た『ナチュラルウーマン』、以前見た『MEN』も思い出しつつ、でも比喩表現としてみれば、比較的普遍的な話ではあるよね、と。
エロも吹き飛ぶ怖さを体感せよ!
諸行無常
老化して足が曲がらないはずの主人公が階段を駆け下りるあたりから辻褄なんかまったく無視でめちゃくちゃになっていったが、凄い迫力のままラストまで一気にすすみ圧巻でした。
生まれつき美しい人達が整形依存になったり、才能に恵まれたクリエイターが薬物依存になる理由がわかり考えさせられる作品だった。
同一と言われても脳の共有がないと子孫を残すことと変わりがないんだな。
映像、音楽全て刺激的!
ジャンル映画であることの歓びに溢れた作品
本作「サブスタンス」のコラリー・ファルジャ監督はフランス出身の女性監督だ。
同じくフランス出身の「RAW 〜少女のめざめ」、「TITAN/チタン」のジュリア・デクルーノ監督と2人の女性監督が
ジョン・カーペンター監督やデヴィッド・クローネンバーグ監督らが切り拓いたジャンル映画を背負って立つ今の時代のジャンル映画界の双璧となっているのが面白い!
第一幕、第二幕はルッキズムを扱った社会風刺映画の様相で進むが、第三幕でモンスターパニック映画へ急激シフト!!本作は「ヘルタースケルター」でもなければ「パーフェクトブルー」でもなく、「遊星からの物体X」や「ザ ・フライ」のDNAを持ったSF、オカルト、モンスター、ホラー何でも来いの"ジャンル映画"であったのだ!
何かわからないけど取り敢えずルールは守ってくれ!止めとけ!という思いを登場人物はことごとく裏切り、想像を絶する事態になっていく。ルールはいたってシンプル。サブスタンスのキットが、まるでAPPLE製品かのようにデザインされ尽くしたミニマルなパッケージになっているのは極めて今風だ。ルールを破るとペナルティがある。そして破り続けるととんでもないことが起こる。なんてシンプルな映画だろう。
"女性"という身包みを全て失い、最期は自分という仮面と思い出のみが残る。それも次の日には綺麗さっぱり洗い流されて忘れ去られる。強烈な映画だった。
スーを演じたマーガレット・クアリーさんは人工の乳房を装着しパーフェクトボディを表現。まさに求めれるものを身に纏った理想系。美と完璧さを追い求めるとどうなってしまうのか。彼女はまた同じ過ちをおかし、それがモンスターを生み出す引き金となってしまう。
ラストはよくぞここまでやり切った!の一言!
私が観た劇場では2人退場しましたが、まさに狂気!「遊星からの物体X」と「ザ ・フライ」を掛け合わせたかのようなモンスターが血吹雪をあげる。
コラリー・ファルジャ監督も妥協は一切せずに内なるモンスターを解き放ったと語った通り、CGIなしの生身の物体として強烈なビジュアルを放っている。デミ・ムーアもよくぞこの役を引き受け、挑んだと思う。彼女が演じたことによる説得力がこの作品には不可欠だっただろう。
今年暫定一位の力作!!
次作も非常な楽しみだ。
想像以上に阿鼻叫喚だった🤣
奇跡の50代エリザベス
あんな性欲モンスターみたいなジジイに
クソミソ言われてプライドズタボロ
重力に抗えないヒップラインとか
深くなる皺とか、見ていて切なく苦しくなっちゃう。
特に、エリザベスが自分を必要としてくれていると
元クラスメイトをデートに誘って
いざおめかしして出かけようとするところは
とにかく切ない。
スーの美しさと比較してしまい、メイクを何度も
直し、チークを乗せ、口紅変え、あぁますます
おばちゃんメイクになって、もう出かけられない。
エリザベス/スー
2人は1人、同じ人間なのに、個々の顕示欲と
承認欲求と嫉妬は最早別個体になり、
血みどろキャットファイトはエグいが、
そこまではめちゃくちゃ見応えあったのに
最後の「モンストロ・エリザベス」出現に失笑🤣
あれはやり過ぎ、あれがなければほぼ満点に
近い評価になったのになぁ。
恐るべしコラリー・ファルジャ監督!
そもそも最初から綺麗だろ
そもそも主人公は最初から年齢の割には充分綺麗過ぎだろ!しかも結構高そうな部屋に住んでて!あんなしょうもないエアロビ番組に固執する必要ないだろ!と観客に思わせてるのはいいことだと思う。
なぜなら今作は「(客観的に成功しているように見えようと)自分が自分を愛せないこと」「果てしない欲望の果て」こそが主題だから。
男とディナーに行く約束してメイクや服をあれでもないこれでもないと変えて結局行かない場面はこの監督だからできたんじゃないか。男の監督だとあの場面を入れたとしてももっと短くすると思う。
え、年齢考えたら充分綺麗でしょ!来てくれた〜って喜ぶ男いくらでもいるでしょ!行かないんだ…と観客に思わせる為のこの展開は今作のハイライトの一つだと思う。
心理サスペンスかと思ったら予想以上にちゃんとしたホラーだった。しかもちゃんと積み重ねてやるタイプの。
序盤から結構気持ち悪いカットが多く意図的に緊張感と気持ち悪さを積み重ねている。
口や目元などパーツのアップが多く、この映画がそういった顔、身体に関する内容であることを序盤からこれでもかと示す。
「顔の全てのパーツがあるべき場所にある」的な審査員男のセリフをふりにすることでモンスターになった際の全てのパーツの異常さを際立たせる。
気に入らなかった候補者に対しての「鼻のところにオッパイがあったらいいのにな」という審査員の言葉すら伏線になっておりモンスターになり鼻らしき場所から乳房を落とすというグロカットを入れる。
最初のカットが目玉焼きに注射を打ったら目玉が2つになり、これから主人公のエリザベス・スパークルに起こることを暗示させている。
背中から分身が出てくるという絵面がまず面白いし、母体も分身も割と雑な保管方法なのも面白かった。
冒頭にわざわざエリザベスの名前が入ったスターのプレートが作られもてはやされやがて忘れさられる過程を固定ポジションで見せている。これにより主人公がどんな人物でどんな人生を歩んできたのか観客に理解させて。しかもわざわざケチャップとともにフードを落とした人のカットまで入れて「血と肉が落ちる」暗示までしている。
さらにはラストでモンスター化した体が朽ち果て、最後のひと頑張りで顔だけモンスターになったエリザベスがはってわざわざスターに重なり最後を迎えるというカットまで用意する徹底ぶり。主人公はずっと輝くスターでありたかったと。
ラストのモンスターになってからが意外と長くこれが142分の上映時間になった原因の一つだとは思う。まあ監督としてはこのラストこそがやりたい展開だったのだろう。
新宿の観客はノリがいいからモンスターがポスターを顔につける場面やアクセサリーを顔とも言いにくい顔につける場所でもちょいちょい笑いが起きていた。さすがコメディかホラーを観るなら新宿か池袋という傾向は間違いなかった。
個人的にはもう20分短くして120分以内におさめて欲しかったけれど、監督が表現したいことを全て入れる為にはあの時間が必要だったのだろう。
あんなしょうもないエアロビ番組をあんなにオシャレに演出することができるってかなりのセンスで、個人的にはラストまでずっとスタイリッシュな感じの映画でいて欲しかった。あんなにグロくB級ホラーにする必要あるのかとは思った。
でもあれだけステージの上で血しぶき飛ばしまくって、観客の女の子にまで血しぶきぶっかけてオシャレな廊下も輝かしい自分のポスターも血しぶきで汚して。
何もかも台無しにして悲しい最後をむかえるからこそ、心に残る映画になったのだと思う。
サスペンスと思ってたらホラー
PVから惚れた作品
映画館でPVを見てから絶対鑑賞したいと思っていて今日見てきました。
ホラーなのは知ってたけどまさかグロありだとは…
とにかくエロ!エロ!おっぱい!ケツ!な映画
これは気まずくなりますわよ…
話の流れも面白いし起承転結しっかりしてて見てて楽しかったけど最後の血しぶきブッシャーは笑ってしまった笑
あれが無ければ☆5なんだけどなぁ…
その後のラストは強引ではあるけどメッセージ性しっかりしてて良かったと思う
あと劇中BGMの低音カッコよすぎる
調べたらSpotifyにあったから是非とも聞いてみてください
退屈はしませんでした、、ギャグですね。
前、中盤までは絵作りもよく、ストーリーも面白かったですが、後半、ストーリーを展開させるために無理に使用上の注意を破って、どんどん破綻し、見終わった後「なんだったの、コレ?」と思いました。
ギャグ映画だとしたらツッコむのは野暮ですが、「アナタは1人」というけど、記憶は共有されているのだろうか?また、別人格なのだろうか?考えると矛盾だらけ。分身にリスクは無いんだからルールを守っていれば問題なかったのに、わざわざ交代のタイミングで男を連れ込むってなあ。とんでもない薬なのに説明少な過ぎじゃ?その割に回想シーン説明し過ぎ。婆さん力が強く動きが素早過ぎ。すごいセレブが住むマンションの隣人があんなチー牛みたいなやつ?隠し扉1人で作れる??これ以外も色々あるけど、、、
最後のモンスターパートは蛇足でしたねぇ。デミがオスカー取れなかったの理解しました。
サブスタンス
最高にシニカル
エンタメ業界は洋の東西を問わずルッキズム、パワハラ、モラハラが当たり前。特にエイジングは女性に対して容赦ない。男性俳優は活躍できるのに。
そこにデミ・ムーアがプロデューサー兼主演で臨んだ今作。まあ、いろいろてんこ盛りでずっと恐怖と罪悪感に苛まれながら観ていました。
老兵は死なず、ただ去りゆくのみ、とは行かず過去の栄光に縋りたい。特に強烈なスポットライトを浴びていたひとにとっては。それは麻薬の様なものなのかも。
新たな刺激を我々は享受し、消費している現実を揶揄し、エリザベスとスーは崩壊に向かっていく様はもうやめてくれ、懇願するも、ここまで露悪的じゃないと、わからないだろうと、突きつけられて心はぐしゃぐしゃになりました。
デミ・ムーアはステキなのはもちろん、マーガレット・クアリーの魅力が爆発してたのが、ストーリーに痛々しさを余剰させてるのが凄味を増している。
映画としての演出、音響も妙味が効いているので、ぜひ劇場で
ボディ・ホラーの体裁で『サンセット大通り』を語り直した、バッド・テイストの大傑作!
ヤバい、くっそ面白かった!!!
ごめん、『アノーラ』も『教皇裁判』も
面白かったけど、俺こっちのほうが断然好きだわ。
極私的アカデミー賞進呈!!
でも、こんな映画にアカデミー賞出したら
世の中もうおしまいって気もするな(笑)。
でも、よりによって、このテーマの映画で
あれだけ身体張って頑張ったのに、
デミ・ムーアって『アノーラ』の
マイキー・マディソンに主演女優賞で
負けたんだ(笑) それはなんていうか……
現実がフィクションを上書きしてくっていうか……
とにかく、可哀そうに。笑うしかない。
あのとき、ちゃんと「悔しそうな顔をして見せた」
デミ・ムーアはああやって「エリザベスの生」を
まっとうしてみせたわけだよね。
凄まじき役者根性!
僕は心からこの映画を愉しんだけど、
まあ人を選ぶ映画であることは確かでしょう。
個人的に、
●初期のピーター・ジャクソン
●初期のサム・ライミ
●初期のデイヴィッド・クローネンバーグ
あたりがジャストミートな人は、
もう文句なしに愉しめると思う。
あとは、悪ノリしてるタランティーノとか、
悪ノリしてるブライアン・デ・パルマとか、
悪ノリしてるニコラス・ウィンディング・レフンとか、
そういう「ふざけてるけど、お腹にずっしり来るひどい映画」が好きな人は、ぜひ寄ってらっしゃい見てらっしゃい。残念ながら、観客やモチーフをおちょくってかかるような映画は苦手という人は、たぶんこの映画のお客さんではないので避けたほうがよろしいかと。
題材は、ある意味わかりやすい。
「ドッペルゲンガー」モチーフで、
「ドリアン・グレイの肖像」を元ネタに、
「女性の加齢」をテーマに扱った、
悪意と創意に満ちた悪趣味炸裂のやり過ぎ映画。
でも、決してテイストは苦くない。
むしろ、愛と優しさすら感じさせる。
「やり過ぎる」ことで、テーマの「真のえげつなさ」に直面させないで、笑わせてくれる「優しさ」とでもいうんですか?
ちなみに、監督本人の宣言文を読むと、本人にとってはきわめてフェミニズム的な意図を詰め込んだ、頗るつきに「政治的」な映画であることも理解できる。
とにかく、コラリー・ファルジャ監督のセンスが良い。
そして、アイディアが抜群に豊富だ。
出だしだけでも、彼女の発想力にはびっくりさせられるばかりだ。
●割った生卵の卵黄に、くだんの「サブスタンス」を注射したら、黄身がふたつに分離する象徴的なアヴァン。これは、のちの「瞳が分離する」という奇怪なヴィジュアルイメージと相似形を成す。「分離」という現象を端的に表した面白いヴィジュアルだ。
●真上から捉えたショットは、そのまま「ウォーク・オブ・フェイム」の「スター」の設置と変遷を描くアヴァンへとつながる。観客にヒロインの名前をまず覚えさせ、彼女が「スター」設置に遇されるほどの映画スターであったことを理解させ、その栄光が時間とともに失われていくことが物語の「前提」になることを、このアヴァンだけでわからせてくるのだ。
しかも、真上からの俯瞰ショットとそこを行きかう人々、時々訪れる雨という流れは、とある有名な映画のタイトルバックを容易に想起させる。そう、『シェルブールの雨傘』だ。あれもまた、女性の若さと加齢の悲哀を扱った映画だったとはいえまいか。
ついでにいうと、落とされるハンバーガーの描写で、この映画の本質が「バッド・テイスト」と「破壊」と「グロテスク」であることも観客は理解できる。
●ちなみにここで描かれる「ハリウッド」は仮想のハリウッドだ。
ハリウッドとして提示されるヤシの並木道は、実はカンヌ国際映画祭の舞台らしい。
要するに、これはフランスから見たハリウッドの「戯画」であり、「寓話」なのだ。
●場面変わって、TV局の廊下。いろとりどりのカラリングと真っすぐ続くシンメトリーは、われわれに『ネオン・デーモン』(2016)や『ファントム・オブ・パラダイス』(1974)を想起させる。そしてエアロビのレオタードで踊りまくるデミ・ムーアと、彼女がポーズを決めたげっすいポスターの数々!! これ、デミ・ムーアのフィルモグラフィ上最大の汚点であり転機でもある『素顔のままで』(1996)(原作はカール・ハイアセンの『ストリップティーズ』)のセルフ・パロディじゃん!! ここで観客は気づかされる。少なくとも監督はデミ・ムーアに容赦する気など一切ないことを。いや、デミ・ムーア自身のキャリアを徹底的に茶化し倒し、おちょくり倒すつもりであることを。さらには、デミ・ムーアにもそれを受けて立つ覚悟があることを!
●徹底的に強調されるデミ・ムーアの顔のアップと、微細に表面を覆う皺としみ。本当に加齢の描写がひたすら容赦ない。さらには、このあときわめて重要な役割を果たす「背中」の部分が、むき出しになった服によってクローズ・アップされる。
●外に出かけるデミ・ムーアの「背中」を、比較的近くから追いかけ続けるカメラワークは、『ブラック・スワン』(2010)でナタリー・ポートマンを追ったダーレン・アロノフスキー監督のカメラや、『TAR』(2022)でケイト・ブランシェットを追ったトッド・フィールズ監督のカメラを思わせる。女性を主人公とするサイコ・スリラーの近年の定型を、「背中」を強調しながらうまく用いているといえる。
●いきなり事故るデミ・ムーアの描写には、デイヴィッド・クローネンバーグの『クラッシュ』(1996)やアリ・アスターの『ボーはおそれている』(2023)の影が見える。一応、このあとの展開には深入りしないが、ここまで観ただけでも、コラリー・ファルジャ監督のホラー/バッド・テイスト系映画への深い造詣と、ほとばしるアイディア力は間違いなく本物だと確信できるはずだ。
― ― ― ―
本作は、ジャンルとしては典型的な「ボディ・ホラー」といってよい。
グロテスクな身体変容によって、精神やアイデンティティまでが揺るがされる様子を描き、「肉体性」の破壊とメタモルフォーズをメインに扱う作品群。
いわゆる、クローネンバーグ監督の一連の作品群とその継承者を指す呼び名であり、最近の収穫だと、ジュリア・デュクルノー監督の『TITAN/チタン』(2021)やアレックス・ガーランド監督の『MEN 同じ顔の男たち』(2022)(『サブスタンス』には、本作の終盤を思い切り想起させるシーンと造形が用意されている)、トマ・カイエ監督の『動物界』(2023)などが挙げられるだろう。
内面の精神的な苦しみを解決するために、外科的な手段が活用されることで、「女性にとっての若さと老い」というテーマが具体的身体性をもって血肉化し、視覚的な「現象」として提示されるという意味では、まさにクローネンバーグの『ザ・ブルード 怒りのメタファー』(1979)や『ビデオドローム』(1982)の後継たる作品といえるし、「二人の自分」というテーマでは、同じくクローネンバーグの『戦慄の絆』(1988)の影響をも感じさせる。
「若さと老い」をテーマとしたホラーとしては、ロバート・ゼメキスの『永遠に美しく』(1992)がなんといっても想起される。ブラック・ユーモア&人体破壊を交えた作りや、主演女優をおちょくり倒す作り(こちらはメリル・ストリープ)、ラスト近くの似た展開など、明らかに本作にも影響を与えているはずだ。他にも、シャマランの『オールド』や『ベンジャミン・バトン』『コクーン』など、老いと若返りをテーマにした映画は昔から数多い。
ドッペルゲンガー系の映画にも、『複製された男』(2013)や『アス』(2019)のほか、結構な数の前例があるはずだ。「エゴ」について常に考える習性の強い欧米人は、ポーの『ウィリアム・ウィルソン』(1839)の昔から、「もう一人の自分」との生き残りをかけた闘争というテーマに、深い関心をもってきた。
さらには「若い女と熟年女の対決」を描く映画も含めれば、本作の前例にはいろいろと事欠かない。
要するに、『サブスタンス』には、多数の霊感源となった作品がある。
だが、数多の先例とは一線を画す形で、製作者たちが特別に念頭に置いているのではないかと思われる名作が、この映画には存在する。
それが、ビリー・ワイルダー監督の『サンセット大通り』(1950)だ。
ここで、『サンセット大通り』の具体的な内容については敢えて触れない。
ただ、両者にはいくつのも印象的な共通点が見いだせると思う。
●映画の内容自体が、主演女優(『サンセット大通り』ではグロリア・スワンソン)の歩んできた半生とパブリックイメージを、そのままネタにしたものであるということ。
●主役の役柄が、往年の名女優で、今では加齢に従って落ちぶれてしまっている点。
●正規の手段ではない特殊な手法を用いて、ヒロインが復権を図ろうとする点。
●「仮想」の夢の世界を構築している第三者(『サンセット大通り』では執事)が手を引いた瞬間に、かりそめの楽園が崩壊するという物語構造の一致。
●ラストシーンの驚くべき一致。
つまるところ、本作は「クローネンバーグの皮をかぶった『サンセット大通り』の再話」なのだ。
これはたぶん僕だけの感想ではないし、書いてからパンフを読んでみたら、案の定、解説の斉藤宏昭氏も同じようなことを述べていたので(笑)、結構当たっていると思う。
― ― ― ―
その他、寸感を列挙しておく。
●猛烈に意地の悪い対比、という意味でいえば、デミ・ムーアとマーガレット・クアリーのバストトップの対比(ずず黒い&長い&広い Vs. ピンク&小さい&狭い)も強烈だった。そういえば、なんとなく「分身」マーガレット・クアリーの顔立ちが、『エマニュエル』(1984)のミア・ニグレンを思わせるのは単なる空似だろうか。
あれは、とうの立ってきたシルヴィア・クリステル(といってもまだ32歳)を、全身整形手術で「20歳の処女=ミア・ニグレン」に生まれ変わらせて、ブラジルで新たな性の遍歴を始めさせるという、今考えると『サブスタンス』とまんま同じ構造を持った恐るべき物語だった……。
●デミ・ムーアは、たしかに素っ裸に剥かれたあげく、あとからはラヴクラフト・クラスの特殊メイクまでさせられて、まさに「体当たり」は「体当たり」なんだけど、なんとなくこの人、『G.I.ジェーン』(1997)や『素顔のままで』とか観ても、若干マゾっ気があるというか、強烈な自己破壊願望がうかがわれるんだよなあ。
●デニス・クエイドが、くっそ楽しそう(笑)。
ちなみにクエイドは元ヤク中だったり、双子の子供が薬害に見舞われて訴訟を起こしてたりと、さりげにデミ・ムーアとは別の意味で、けっこうこの映画にコミットするにふさわしい実人生を歩んでいたりもする。
TV局一味は、ちょっと『未来世紀ブラジル』の幹部連中を思わせるかも。
●ひたすら股間を追い続ける品性下劣なカメラワーク、徹底的におっぱいをさらしていく卑猥なスタイル(とくに終盤のラインガール)、きったない食事シーン(とくにチキンと海老)など、とても本場ハリウッドでは撮れないような内容ばかりで、こういうとき清濁併せのむスタイルのヨーロッパ映画産業はホント強いなあ、と。
●終盤の展開については敢えて具体的に言及しないが、クローネンバーグ・テイストの度が過ぎた結果として、ほとんどフランク・ヘネンロッターに近接していて爆笑。しかも『バスケットケース2』(1990)→『バスケットケース』(1982)みたいなwww
あと、大晦日のやりたい放題のアレは、間違いなく『キャリー』(1976)へのオマージュですよね。バカみたいなやり過ぎのロック・サウンドは、ちょっとアルジェント臭もしたけど。
たぶん、この監督ほどの技量と演出力があれば、もっとこの映画を「それらしい」きれいな終わらせ方をすることだって、いくらでも出来たと思うんだよね。それを敢えてメチャクチャにして、やれるところまでバカをやり尽くして、ああやってペーソスを漂わせながら終わってる。これはこれで立派な「見識」なのではないかと。
デミ・ムーアの演技は見応えあり、でもホラー
テーマは老い、美、スターとしての輝き
デミ・ムーアのまさに体当たりな演技は見応えあり
特殊メイクもすごい
生タマゴのスタートから SFなのかとも。そこから色使いなど、精神的な病んでる感じにも。
最後の血を噴き出してホラーからモンスターになってしまう部分が要らなかったかも。そこがなければ☆4つ
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