サブスタンスのレビュー・感想・評価
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評論家ではないので 素直な感想
ストーリーは良かったのに 後半になるにつれて
???ギョギョギョ!!
誰もが歳は取りたくない所に もし若い身体が手に入ったら!それは嬉しいが、記憶も何も分身には受継がれないとタダの他人?笑
何か共通するのがあれば もっと楽しめたかな?
まぁ それなりに前半から中盤までどうなる?どうする?って入り込めてたけど 後半のクライマックスになるに連れて……なんだ!失笑だった
個人的に コレってちゃんと処方の仕方は守りましょう!って映画になっちゃた!笑
あと 前半は汚い映像だらけで 対比に女性の身体で美を表したかったのかな?
すべて想像の範疇を越えてくるエグさ
制作者の本意は?
初老に差し掛かってTV番組を下ろされた嘗ての人気女優が、若返りの為に怪しげな薬に手を出しピチピチの20代に生まれ変わるお話です。物語は、とんでもなくエグい方向に展開していきます。
あの様に始まった以上ああ終わらざるを得ないのだろうし、監督はそれを描きたかったのでしょうが、物語が折角積み上げて来たテーマや批評性が笑えないコメディホラー的終盤で全て吹き飛んでしまいました。それでもやっぱりああ撮りたかったんだろうなぁ。物語の破綻こそが狙いだったのかも知れません。難しいなぁ。
でも、どこか気になるのは、本作を観た人の中に「げに恐ろしきは女の妄執」と感じる人も居るのではと思えた点です。そう観られる事は制作者の本意ではないと思うんだけどなぁ。
胃がずっと痛かった
これはハリウッドで精神を乱された女の復讐譚だ
内側から壊されて行き、最後には身を亡ぼす
他人の為にそうなるなんて馬鹿らしくなった最後の逆襲
素晴らしかった。
ずっとずっとずっとずっと中止して元に戻って欲しかった
そうやって一抜けした方が楽になるんだ
ウォークオブフェイムできらりと光った彼女の心
解き放たれることは出来ただろうか
最後には彼女だけがルッキズムから解放された?
(何だかこの解釈もそもそも囚われているようで嫌だ)
やっぱりあの最後にちゃんと自己受容と解放を
分かりやすく描いて欲しかったんだ……
復讐も大事だけどね、
(最後のイヤリングシーンはよかった)
北風と太陽で言えば、
北風のような映画だった。
わたしは太陽の方が好きで、
ボディ・ポジティブを描くような作品の方がすきだ
キーワード「身体を大切に」
美醜と老若がもたらす光と影
当年取って62歳の『デミ・ムーア』の実年齢を勘案すると
笑うに笑えない。
アップになったときの顔の皺、
落ち窪んで小さくなっていく目、
脂肪で膨らんだ腹囲や垂れつつある臀部。
出世作〔ゴースト/ニューヨークの幻(1990年)〕の
28歳の時と比べれば隔世の感があり。
衰えつつある自身の身体をセルフパロディー化し
スクリーンに晒すのは、かなりの覚悟の上だろうと推察。
本作は、彼女の女優魂を
とことん堪能する一本。
とりわけショウビズの世界では
若さがもてはやされるのは古今東西で共通。
過去の栄光を忘れられない往年の大女優の妄念が起こした悲劇は
〔サンセット大通り(1950年)〕でもあるが、
現代的な設定に{ホラー}の要素も加味すれば
このような秀作が生まれるとの見本のような一本。
若返りの見返りに、なにがしかが要求されるのは、
それが悪魔との取引でも通例。
所謂、等価交換だ。
今回は肉体が単純に若くなるのではなく、
自分の身体から若い個体が生み出されるのがミソ。
両方の体を一週間おきに休ませ、
且つその間は栄養分の補給をしながら
母体から吸い取った液体を新たな個体に注入しなければならぬシバリがある。
このルーチンを怠ったり、
一週間の期限を勝手に延長した時のリバウンドは
見るもおぞましい肉体の変化に現れる。
が、この魔法の帰結は、最初から予見されるもの。
DNAは共通でも、外見も含め別の個人。
記憶も引き継がれなければ、
若い方が享楽に耽るのは当然だろう。
欲望の為に、母体をないがしろにするのを厭わない。
老いた方は若さに嫉妬する。
それでも
『エリザベス(デミ・ムーア)』は分身の『スー(マーガレット・クアリー )』を止めることができない。
彼女の成功は自身の成功であり希望の源。
輝くような若さも、自分の若さなのだから。
その躊躇が生む更なる悲劇は
観客の想像の上を行くグロテスクでセンセーショナル。
思わず目を背けたくなるほどの醜悪さは、
欲望が体現したものに思える。
監督の『コラリー・ファルジャ』は
やはり女性で当年48歳。
『デミ・ムーア』の心情も理解できる年齢同志のタッグが生んだ力作。
若さをもてはやす世間に対しての
痛烈なアンチテーゼ。
とは言え、最後のシークエンスは
かなりのやり過ぎ感が満載。
一瞬『大林宣彦』が憑依しメガホンを取ったのかと思った。
老いに悩む女性につけ入る媚薬の恐怖・・・
面白かった〜!予想以上に楽しませてもらいました。大好きなデビッド・クローネンバーグ監督を彷彿させる人体変異のホラーですね。
何より、2人の女性が惜しげなく綺麗な肢体を見せつけてくれるのが良い。ホンっとスケベオヤジは大喜びでした。
エリザベスは、かっての人気女優。老いから人気の下降を苦にしている。そんな時、手に入れた妖しい薬により若い分身のスーを創り出す。ルールにより、1週間ごと交代で生活するエリザベスとスーだったが、自我に芽生えたスーは、自分の時間を長引かせていく・・・
先ずは、エリザベス役のデミ・ムーア。あの「ゴースト」で可愛らしい女性を演じた彼女が、劣化した女優を魅せつけてくれる。それもオールヌードで、弛んだお尻をさらけ出す。(シェイプアップの番組をやってるんだから、もうちょっと綺麗さを保てるんじゃないかと思うけど、まぁストーリーの展開上、仕方ないか)
そして、それとの対比として、マーガレット・クアリー演じるスーが完璧に綺麗な美ボディを拝ませてくれる。
この2人がそれぞれの身体を交互に動かしていくんだけど、抜け殻?となった体が裸のまま放置されているのも、何とも言えない。
【ネタバレ】
一週間ごとというルールの中で、若々しく美しいスーは、スターダムにのし上がっていく。その反面、エリザベスは周囲から孤立し、寂しい時間を過ごさなければならない。自暴自棄になり、荒れた生活を送るようになる。
輝かしい毎日を送るスーは、交代の度に荒れ果てていく部屋に怒りを覚え、自分の時間を延ばそうとする。
しかし、その反動でエリザベスの肉体は急激に老化していくのだった。
このあたりの展開はゾゾゾッてきましたね。母体であるエリザベスがどんどん衰えていく中で、スーの美貌は保つことはできるのか?
やっぱり無理だよね。命の源?が枯れて来たためもう一度母体に戻らなければならない。
ところが、エリザベスが意識を取り戻すと、驚愕的な老体に変貌していたため、怒りが頂点に達し、スーの抹殺を試みるんだけど・・・
若く美しい彼女に自分の夢を託すのか?いざって時に躊躇してスーを蘇生させてしまう。ところが、今度は目覚めたスーが、殺されかけたことで怒りに我を忘れ、エリザベスを殺してしまった。
最大のイベントのメインとなるスーだったが、本番直前に人体が崩壊を始める・・・
もう〜、ここからはお笑いのホラーでしたね。
何気に伏線となっていた、一回しか使ってはいけない薬の再投与。崩壊した人体の再生は、グロさ満点。オマケに会場は血飛沫シャワーで真っ赤っ赤!そこまでやるかってくらいの人体破壊は、まさに物語の破壊にも通ずるようなシッチャカメッチャカ!
この監督さん、すげぇ〜って思ったら女性だったんですね、なおビックリ。フランス出身ということで、あの開けっぴろげな身体の見せ方は納得でしたが。
そしてもう一つ、あの「REVENGEリベンジ」の監督だったんですね。どおりで、ド派手なバイオレンスと出血大サービスなわけだ!
や!共感なし。
楳図かずお的怪奇映画
頑張ってはいるけど。
凄まじい映画でした…!
お皿に割った卵の黄身に注射をすると、プクプクと怪しげに動き出した黄身が、二つに分裂する。何やら気色悪い。Hollywood Walk of FameにElizabeth Sparkle と型どられ、誇らしく輝くも、それも束の間。種々な人々に踏みつけられ、ハンバーガーソースで汚され、年月と共にひび割れていく。ストーリーの全てを暗示するよく練られた導入だ。
そこに、実年齢62歳のデミ・ムーアが信じがたい綺麗な笑顔とプロポーションで、fitness danceを披露する。明るさにホッとするも、続く、ハーヴェイの海老をしゃぶり食う唇の大写しに、再び気色悪さに身をすくめる。お払い箱になったエリザベスの肌に張りが無い事も見て取れる。
“若さと美しさよ、もう一度!”とSubstanceを注射したElizabeth。そこから、グロい血まみれのシーンが始まる。一方、Elizabethの背を割いて生まれた分身Sueの、輝かんばかりの完璧bodyとcharmingな笑顔は見ていても心地良い。その対比の構成が実に素晴らしい。監督の手腕だとしか言いようが無い。
Climaxに向かうにつれては、おぞましいシーンが、これでもかこれでもかと果てしなく高まり続く。あまりの凄まじさに『何と、これは怪奇ホラーか!?』と、私は息をするのも苦しかった。
デミ・ムーア執念の女優魂に圧倒される、凄い映画でした。
採点できない...
痛そうなのと気持ち悪いのと、
ルッキズム大爆発のオッサンが胸くそ悪いのとで、とても疲れたよ⋯
まぁ、最初から上手くいくわけないと思いながら観ていましたが、
この後半のスプラッターのごとく血肉まみれの惨劇に思考が停止しました⋯。
なんだか、良かったか悪かったかの感想も、
吹き出す血といっしょに飛ばされてしまったようで、
「なんかすごかった⋯」しか残っていないです⋯。
この役を引き受けたデミ・ムーアが、いろんな意味でつよっ!!
1962年生まれ
かなりグロいシーンが多いので、そういうのが苦手な方は、安易に見ないことをお勧めします。
同じ時期に日本で公開の「ミッションインポッシブル」のトム・クルーズと、本作主演のデミ・ムーアは、同じ1962年生まれ。片や歳を感じさせないアクションで、未だにカッコいいイメージで主演を続けているトムに対し、ここのところ脇役が多く、今回もある意味キワモノに身体を張って挑戦しているデミ。女性だと年齢を重ねると共に、単に年齢を理由にメインではなくなるという彼女の状況がそのまま映画のテーマになっています。そんな彼女が演じているから説得力があり、第一線に固執する執念も鬼気迫っていますね。
人間の強欲の愚かさを見せつけていて、ゲゲゲの鬼太郎に出てきそうな話なので、ねずみ男的なキャラがいて、強欲さをコミカルに描けていたら、もう少しすんなりと見られたかもしれません。
交代時の連絡手段必須
オープニング、卵の黄身が二つに!卵高いからなぁ〜食べられたらいいなぁ。
そして本題入っていくわけですが、流れ的には想定の範囲内。同じ人間が二つに分かれてるのだから、意識が同じはずなのだが、やはり若いと傲慢になるのね。いつまでも美しくありたいは分かるけどさー老いに抗うではなく相応にライフスタイルチェンジして楽しめばいいのに、忘れられないのね、過去の栄光。
そして、注射液が残った時点で伏線が見え見え、やはりそうなりましたか。
がここから、ここからですよ。大晦日のステージが凄い!笑ったわ🤣🤣🤣BGMもサイコーやないですか。観客席はてんやわんや🤣🤣🤣まぢやめて〜おかしー🤣🤣🤣B級ホラー並に血の放水、ひぃー🤣🤣🤣コメディなの?テレビ局の廊下がシャイニングっぽいなぁと思って見ていたら、血の洪水ならぬ血の放水🤣🤣🤣最後は人面アメーバ?なんかどこかで見たことあるような化け物が溶けて清掃入って終了🤣🤣🤣
前盤ドキドキ、中盤ひぃー、後盤大爆笑
お互い交代時の意思疎通が図れていれば違ったんだろうなー
ありのままの君が好きなんだ
スプラッター色の強いホラー映画で、「キャリー」を連想させて、かなりインパクトがありました。
老いとどう向きあっていくかは、誰もが抱える悩みですね。誰もが外見を良く見せようと取り繕いますが、「ありのままの姿でいいんだよ」というメッセージ性を感じました。
終盤、スーが怪物のような姿に変わった時にエリザベスのポスターの顔の部分を破って、それで顔を隠しながら、大晦日の舞台に向かう行動は無理があると思いながらも妙に笑えます。
アメリカらしいジョークの効いたテンポの良いホラー映画でした。
追記 アメリカではなくて、イギリス・フランスの合作なんですね。
藤子・F・不二雄なSF設定x露悪的グロテスクホラー
予告映像で、飛ばし気味のハイセンスな映像・美術・効果音、そしてデミ・ムーアの存在感で、大いに期待しまくりで鑑賞。
全盛期の美貌から明らかに衰えてスターダムの座から陥落した主人公(デミ・ムーア)が、究極の若返り薬・サブスタンスを自分に投薬し、ある意味、全盛期の美貌を取り戻して、もう一度スターに返り咲こうと奔走していく物語。
藤子・F・不二雄なSF設定を彷彿とさせる、細胞分裂でもうひとりの自分を生み出す「サブスタンス」だが、その演出は露悪的で結構グロいので、これらの演出を笑って楽しめる人向きですね。
前半1時間はエロティックホラーな雰囲気と、細部に渡ってセンスを感じられる映像で、のめり込んで観られたものの、後半1時間は悪ふざけのグロ描写がくどいし、内容も蛇足気味だしで辟易してしまった。
終盤の「サブスタンス」再投薬による肉体崩壊の描写だが、あそこまで見せる必要はあったのかしら? どうしても作り物として見えてしまうので一気に興ざめしてしまった。まー実際のところこの終盤はパロディ要素なんだろうけどね。
しかしデミ・ムーア、体当たりすぎる役柄でした。なんならお見事。
薬は用法・用量を守って正しくお使い下さい。
タイトルなし(ネタバレ)
見た目ばかりに囚われた結果、自分を見失って暴走に歯止めがかからないまま、この世のものとは思えないと言うより、もはや滑稽な姿を大勢の人前に晒さなければならなくなったスー(エリザベス)。いくら仕事で見た目の美しさが必要だとしても「ルール」を守ると言う基本的内面が伴っていないと、例え肌の張りが無くなった自分でも守る事は出来ないと言う警鐘に感じました。
キャリーの血
観る者に不快感や混乱を与えるかもしれない。
だが、
その不快感や混乱の中にこそ、
現代の閉塞感を打ち破るヒントが隠されている。
これは、単なる映画ではなく、
時代を映し出す鏡であり、
我々がどこまで「不都合な真実」を、
受け入れられるかを試す、
極めて挑発的なアート作品だ。
どういうことか?
具体的に触れていこう。
スラップスティック・スプラッター、
コメディ・ホラー、
サスペンス・パロディ、
どのジャンルでも括れない、
一見相容れない要素を融合させている。
もはやジャンルという安易な枠に収まりきらない、
しかし、
そのカオスの中にも明確な意図が見え隠れする。
オープニングでコメディを宣言し、
エンディングでその笑いを念押しするように提示する手腕は、
観客に「これはコメディ(パルプフィクション)である」という、
ある種の強制力をもって提示しているかのようだ。
だが、その「笑い」をどう受け止めるかは、
育ちも環境も思考法も異なる観客一人ひとりに委ねられている。
(真に観客の心を揺さぶる感動は、
監督の意図やプロデューサーの狙いによって直接生まれるものではない。むしろ、それは観客一人ひとりの心とスクリーンが織りなす、
まるで運命の赤い糸で結ばれたかのような、
個人的な「響き合い」からこそ生まれるby森繁久彌)
この突き放し方が、本作の魅力の一つと言えるだろう。
A24が一番、地団駄を踏んでいるのではないだろうか。
A24のように抽象に逃げず、
雰囲気でごまかさないで、
エグすぎる、
具体で真っ向勝負しているからだ。
デ・パルマ、キューブリック、リンチ、
ストッカード・チャニング主演「二つの顔を持つ女」
そしてヒッチコックの「めまい」の音楽といった、
大量の引用は、単なるオマージュの域を超え、
もはやパロディと呼んでも差し支えない分量だろう。
これらの引用は、過去の傑作への敬意と同時に、
それを現代のカオスの文脈で再構築し、
シニカル成分たっぷりに仕上げるという意図は、
本作の持つ独自のユーモアと批評性を際立たせている。
しかも、そのパロディ引用が、
決して安易なオマージュに終わらないのは、
高技術な見せ方に隙がないからだ。
例えば、
卵の寄り、口元のヨリ、
脊椎注射のヨリ、
チェーンソーのように振り下ろすハンドミキサー、
スクリーンいっぱいに埋め尽くされる、
その精緻さ、滑稽さ、シニカルさ、
パロディを、
端的に見せる徹底した計算が見て取れる。
そして何より、
本作が放つ最大のメッセージは、
現代社会にはびこる、
「さまざまなイズム、コンプライアンス、作品の鑑賞スタイル等々」といった、
行き過ぎた規制、意味のない自主規制、
〈安全地帯〉から発せられる言説等々への強烈なカウンターだろう。
ハーベイ(ワインスタインに象徴されるような映画界)のような目の前の敵はもちろん、
安全な場所から声を上げる人々に対しても、
本作はまるで「キャリー」のクライマックスで浴びせられる血のように、
生々しく、そして容赦ない「真実」をあらゆるシーン、
(もちろんあのシーンも)で浴びせかける。
その様は、まさに痛快の一言に尽きる。
不謹慎だと眉をひそめる者もいるだろうが、
その不快感こそが、
現代社会が忘れかけている〈インクルーシブ〉や
〈ダイバーシティ〉という本当の意味、
を大胆かつ衝撃的な方法で胸ぐらに突きつける、
作り手からの挑戦状なのかもしれない。
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