メガロポリスのレビュー・感想・評価
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心象や概念を映像化したような不思議な作品
天才建築家のカエサルは自身の発明した新型のコンクリートと独創的なアイディアでアメリカの都市「ニューローマ」(ニューヨークを古代ローマに見立てた架空の都市)に人々が未来を語れるメガロポリスの建設の夢をふくらませるが、市長のキケロと意見が対立。
そんな中市長の娘のジュリアはカエサルに興味を持ち、彼の創造を支える建築事務所スタッフに応募する――
巨匠フランシス・フォード・コッポラが40年の歳月と186億円の私財を投げ打って撮影した大作。
自費で完成させただけあってスポンサーの意向など気にせず監督が真に撮りたかった映画となっている。
カエサルの心象やイマジネーションは具現化し映像化される。
また法秩序の乱れは天秤を持つ女神テミス像(西洋の裁判所に司法の象徴として飾られている像)が崩壊する映像として描かれる。
「ニューローマ」もニューヨークという大都市の光と闇を描く架空の都市として登場し、社会問題や権力者への風刺が盛り込まれている。
エンターテインメント映画と言うよりは監督が撮りたかった物を映像化したやや哲学的な作品。
よかったです
『雨の中の女』からずっと注目してきた監督です。『レインメーカー』の後に『胡蝶の夢』『テトロ過去を殺した男』『ヴァージニア』と私にとって分かりにくい作品がありましたが、『メガロポリス』は、ロビンフッドまで出てくるのでローマやシーザーもとりあえずのものとして見ていると、その三作品よりもわかりやすく感動的ですらありました。
時間をコントロールしたいというのは予期せぬまでに不穏になってしまったこの時代を憂う監督自身の願望のように思えます。その願望の象徴が古代のローマやロビンフッドであるように思いました。
監督はきちんとインタビューに答えるなど
まだまだお元気であり、まるで認知症かアルツハイマーにでもなったかのようなレビューは的はずれになるしかないと思います。
まだコッポラ監督はコチラ側にいます。
「ゴッドファーザー」(72年)「地獄の黙示録」(79年)を監督した映画界の巨匠が40年の構想を経て目ン玉飛び出るような額の自腹を切り作り上げた一大叙事詩―。もうその触れ込みからして既に満貫、役満、三倍満と役が積みあがったようなヤバい臭いしかしないこの映画。
スタンリー・キューブリックも大島渚も黒澤明もみんなみんな巨匠たちはそのキャリアの終盤で「こんなもの見せられて私たちにどうしろと?」と問いたくなるような映画を撮ってよこすものですが、いよいよ今回はフランシス・フォード・コッポラの番か…って感じですよね。
まぁコッポラはこれまでもチョイチョイ「何これ?」というような映画を撮っていたような気もしますが…それはともかく、白い布の一点の染みのごとく、巨匠の輝かしいフィルモグラフィの中に異様な存在感を醸しだす作品が混じる事は、得も言われぬ甘美な背徳感があるものです。
監督の熱心なファンでさえも褒め称えはするものの、その作品の存在には口を濁し積極的には語らない―そんな作品。見て見ぬ振りを決めてみても重い足枷のように頭の隅にまとわりつく―そんな作品。繰り返し観たいか?と問われれば首を横に振りはするものの、どうしようもなく完璧ではいられない人間の不完全さを具現化したようなそんな作品には、その存在自体に奇妙な魅力があるものです。
普段なら初めて観る映画には「面白いといいなぁ…」と不安交じりの期待を抱くところですが、このテの作品 を鑑賞する前にはバチバチに覚悟を決めて「どれだけこの映画についていけるだろうか?」と固唾を呑むのです―。
まるでプロレス技か玩具販促アニメのタイトルのような名前のアダム・ドライバー。彼が演じる主人公が発見?開発?した新建築材の“メガロン”とはどのような物なのか?そのメガロンがあればこそ実現可能だというアダム・ドライバーが目指すユートピアとはどのような物なのか?ここら辺が物語の根幹のようなのですが、その肝心なところが一番よく分かりません。またこの映画で“時を止める”という事がどういう意味を持っているのかもよく分かりません。そのかわりローレンス・フィッシュバーンは30年前から時が止まったように見た目が変わらないという事だけはハッキリ分かります。
映画に限らず創作物を鑑賞する際にはよく「行間を読め」と言われる事がありますが、このテの作品 が大抵そうであるように、本作もその行間が途方もなくスカスカなのです。もう行間の幅が広いどころかページが丸々飛んでいるんじゃぁないか?と思うほど行間を読もうにも、その為に必要な取っ掛かりが無い(または小さい)のです。
物語とそこへ内包させた意図をどのように伝えるかは映画の面白さに直結する重要な部分です。個人的には観たい作品を選んで身支度を整えて上映時間に合わせて劇場へ行くという行為は結構能動的な行為なのですが、映画鑑賞というのうは基本的にはとても受動的な行為です。しかしそんな受動的な行為において物語やそこへ内包された意図を汲み取るというのは観客に与えられた僅かな能動的行為であり、例え間違った解釈をしていたとしても意味を汲み取れたと思った時、観客は快感を得るのです。その結果、共感や好感は抱けませんでした…という感想になる事もありますし、視覚や聴覚に訴える事に特化して物語などおざなりでも面白い映画というのも確かに存在するのですが、ともかく基本的に観客とは映画が何を言わんとしているのか理解しようとするものです。だからといって観客の無理解や誤解を恐れるあまりに一から十まで何もかも言葉で説明するのは不自然だし無粋です。しまいには「ここまで言わないと君ら理解できないもんね!」と作り手側が観る者をバカにしているというふうに受け取られて反感を抱くこともあるでしょう。
きっと巨匠たちだって駆け出しの頃は自身の才能を認めさせるためにも、どうやって物語を観客に伝えるか苦心したはずなのです。出資者やプロデューサーから映画の内容についてとやかく言われながらも、やり過ぎると陳腐化し、やらな過ぎると見向きもされない中、自分のやりたい事や表現したい事をいかに面白く魅力的に観客に受け取ってもらえるかに心血を注いできたはずなのです。しかし成功して揺るぎない地位や名声を手にしてしまうと自身の作品が観客にどう伝わるのか?というところに余り執着しなくなるようなのです。やっぱり観客にどう伝わるのかを気にしながら作品を作るというのはかなりの労力を伴うのでしょうから、きっと面倒くさくなってしまうのでしょうね……。
ところが巨匠が手掛ける、観る者に理解される事を放棄したような このテの作品 としては、本作は割と気軽に鑑賞できる印象を受けます。先ず尺の圧倒的な短さ。このテの作品 で138分というのは短いですよね。いやここはダラダラ180分超えてこいよ!と思うのですが、この程度なら朝飯前です。そして内容についても、物語の基本構造が栄華を誇った帝国の末期、為政者たちは民を見ず、贅の限りを尽くして堕落し、利己の為に醜い権力争いに明け暮れる。そんな今にも崩れ去ろうとしている国の現状を嘆き未来を憂う主人公がやがて救世主となり民草を理想郷へ導く―。という歴史エンターテイメントの鉄板カタルシス展開ですので、割とあぁーこれ系ねって感じでついていけます。そしてアダム・ドライバーが演じる主人公が映画の最後に巨匠のメッセージをたぶんほぼそのまま、声高らかに演説しますので、細かいところはともかく何を言わんとする映画なのかは割と分かってしまう(ような気がする)のです。
貧富も出自も人種も関係ない!俺たちはみんな宇宙船地球号のクルーだろ?家族じゃないか!!共に学び、尊重しあって偉大な奇跡である人類として誇りを持とうよ! Power To The People!! Imagine all the people!!っていうね、全くそのとおりだよね、なメッセージを放っている訳なのです。
なのでコッポラ監督の視点、意識はまだ我々常人と同じ次元に留まって同じ世界を視て、同じように憂いているのだなと、何となく分かるのです。巨匠の このテの作品 にありがちな「コイツは何をどう視て何について語っているんだ?」という魂と意識があらぬ方向の高次元に至ってしまったと感じさせるほどの物は本作にはありません。なので観る者に理解される事を放棄したようなこのテの作品としては少々物足りない出来だと思うのです。そしてなまじっかメッセージが明瞭なために鑑賞直後は「しょーがねーなぁ…」と苦笑いくらいの感覚でいたのですが、時間が経ってくるとなんだか段々腹が立ってくる映画なのです。
人類が互いに尊重しあい未来へ歩むというのは確かに理想です。ですが実際には移民や難民にまつわる事、社会保障制度にまつわる事、LGBTQにまつわる事、性差、歴史、文化、宗教、民族などなど、ありとあらゆる問題について、社会規模で一定の層を尊重・救済しようとすると、その一方で別の一定の層の権利が侵害または制限される(もしくはそう感じさせられる)状態となり、そのために新たな衝突が発生してしまうという事はよくある事ではないですか。人類はもうずっとその問題を解決できずにいるのです。
私は映画で社会問題をテーマにする際は問題提起をするだけで十分で何も答えまで提示しなくてよいと思っているのですが、本作はその“メッセージだけ”がなまじっか明瞭なために、ありとあらゆるところで食い違い、対立する人類の現実を無視して理想的なスローガンだけを掲げて「巨匠が世界に送るメッセージ」とか言って悦に入っているだけなのでは?それも1960年代ならまだいいのでしょうが、それからもう60年も経った今においても尚これでは、監督は本当にこの問題を憂いて我々と共有し、解決する未来を模索しているのだろうか?と、何だか疑問が湧いてきてしまうのです……。
まぁそれはともかく、気づいてみれば このテの作品 を撮るに値する“格”を持った巨匠が映画界にあと何人残っているというのでしょうか?ダニー・ボイル?デビッド・フィンチャー?小さ過ぎる!デビッド・クローネンバーグの様に元々訳の分からないものを撮り続けている人はレギュレーション違反ですので数えられません……。ちゃんと普通に見ても面白い娯楽性と芸術性のバランスの良い作品を残してきた人が対象となると思っているのですが、そしたら(デ・パルマやスコセッシを横目でチラチラけん制しつつも)後はもう スピルバーグくらいしかいないのではないでしょうか?いずれにしても我々映画ファンがこの偉大なる肩透かしを喰らう経験を得る機会はもう指折り数える程しか残っていない気がするのです。
そしてその貴重な機会の一つだと思われた本作ですが、どうやらフランシス・フォード・コッポラ監督はまだコチラ側にいる人なのだという事が確認でき、少し安心しつつも、何だか残念な気持ちになってしまうのです。ですので御年86歳を迎えたコッポラ監督ですが是非これかもっともっと芸術家の魂が浮世を離れ高次元へ至ったことを我々凡人に見せつけるような作品を撮って欲しいと今も切に願っております。どうかこれからもご健在で!!
本作の直前に見た映画とほぼ同じ感想に……
映画としてのルックは素晴らしいし、役者陣もみな好演。描かれているメッセージも濃厚で最後まで退屈することなく、しっかり鑑賞しました。
じゃあ、好きかと聞かれたらNoです。
知り合いに勧めるか?と聞かれてもNo。
すごく面白かったというわけではない。
上映中はそこそこ楽しんだけど、お話そのものには首を傾げるシーンも多く、極端な説明の省略によって、具体的な感想がほとんど出てこない、という稀有な作品です。
文字にしてみると直前に見た「ルノワール」と完全に同じになります。全然違う映画なのに。
これが遺作になるのだろうね
甘いレビューばかりの中ですら、★の数が証明する駄作である。日本で封切りから1週間で公開規模が縮小されるのも当然だ。
巨匠・コッポラの監督作という知識しかないまま劇場へ。どの映画もそうだが、基本的に事前情報は入れないようにして見ている。
どこかの新聞の批評の見出しに「映像詩」というのがあったように記憶するが、そういう言い方で逃げるしかないレベル。
物語自体も浅いし、ずいぶんカネをかけて撮ったんだろうけど、誰が責任とるのか? と他人ごとながら心配になった。日本はもちろん、本国でも惨敗らしい。
ゴッドファーザー、地獄の黙示録で終わっておけばよかった監督ということである。
上映スクリーンが限られているためか、都内のシネコンの客入りはそこそこ多かったが、来週あたりで打ち切りじゃないの。
理解しようとしてはいけない
しょせん全てを理解するなど不可能なのだから
岡本太郎を全て分かったと言える人などいないように
ここ何十年かのハリウッド映画の主流は続編が多いと思ってはいたのです
ネズミの会社が宇宙のお話を手放さないのが良い例でとにかく金のなる木は飽きられるまでやり尽くすような作品が多いのも確かですが
観る側からしたらそんな事はどうでも良いのです
面白ければ人は集まるから
「映画はこうあるべきだ」とか「そんなの映画じゃ無い!」とか言ったって自由なのが映画で結局なんでもありなのだから
日本のアニメでも何十年経っても白いロボットの戦いは終わりなく続いてるし小ちゃな探偵もずっと人気がある
見たい人が見たいものを見て作る人はもっと作ればみんなハッピー❣️ それでいいじゃないか
この難しい作品もこだわりがある人が自腹で作ってんだから誰にも文句は言わせないし言うべきじゃない
嫌なら見なきゃいいんだから
私なんか寝ちったもん、2回も
『2001年宇宙の旅』もどうしても最後の方で寝ちゃうのね
だけどもまた見たくなるし見て良かったと思ってる
この作品も同じで何度か見てだんだん少しづつ分からなかったことが見えてくる、そんな感覚は嫌いじゃないんです
まず映画館で観ることが出来てよかった
黒澤作品のように何度でも映画館でリバイバルしてほしいものです
そしてきっとまた寝てしまうのだ
メガロン
最早、過去の人
コッポラの新作は傑作だった‼︎
これはまさかのフランシス・フォード・コッポラの新作。遺作になるのではと思わずにはいられないコッポラの新作。
傑作と言える作品であることに安堵した。
今年のベストの一本だと言えることに安堵した。
1980年代から40年をかけて構想したというSF叙事詩。アメリカをローマ帝国に見立て、ニューヨークの如き大都市ニューローマを舞台に、アダム・ドライバー演じる天才建築家カエサルが理想の新都市メガロポリスを開発せんとする。
ここにあるのは希望。
未来に対する希望を謳うコッポラもまた良し。
大好きだった。
女性陣のお二人、ナタリー・エマニュエルとオーブリー・プラザも最高に魅力的だった。
そしてジョン・ヴォイトとダスティン・ホフマンの真夜中のカーボーイコンビの共演にはやはりグッとくる。
"僕の考えた最強の映画"
映画少年の考えた"僕の考えた最強の映画"だった。少年だから、採算なんて考えてない。やりたいことをやりまくってる。愛、政治、家族、謀略。人間には未来があって、希望に満ちてるということ。僕らが生まれたときには失われていた大事なことをこの映画は強く訴えてくれた。震えたし、感動した。同世代の人に観てほしい。
これをIMAX-GT劇場で観れたことを私は誇りに思う。
コッポラ監督は本当に映画史に残すべき作品を残した。
ただし、個人的には同調できない側面もあった。映画には関係ないのだが、この物語に通底する、"問題を提起するのは優れた我々の使命だ。他の多くの優れていない人たちが実際にどう行動するか決めたらよろしい"。という態度は気に食わない。傲慢であり、怠惰だ。そこが気に食わないことはこの作品の評価には何の関係もないのだが。
試写会のワインも美味しかった。
コッポラさんは歳を老うごとに哲学者より
アダムドライバーさんの演技が凄い。彼のマクベスなら映画で観たいと思いました。終盤の選挙演説はちょっと
感動しました。
ストーリーは政権争い、最後は愛、調和で赤ちゃんが出てきて未来という感じ。
観る側の知識や思考を意識されて製作されてるのかなと感じます。ギリシャ神話の神様の像が印象的です。
いろいろ考えさせられるのもあります。
ワイスピのナタリーエマニュエルさんが素敵です。
悪役ですがトランスフォーマーのシャイアラブーフさんも出ていてそれがまた凄い!(マキシーンのミアゴスさんの夫)
ジョンヴォイドさんとかダスティーホフマスさんとか
タリアシャイアさん(ロッキーのエイドリアン)とか
シニア凄い!
凄いお年寄りパワーあります!
「時よ、止まれ!」とは「創造を、しよう!」ではないか、コッポラ渾身の作品に込められた想い
あくまでも「傑作」を凌駕する質!です。
コッポラの愛、寛容、宿命、、、そして死さえをも込めた入魂の作品です!
決して難解ではありません。
理解しようとするから、そうなるのであって、「映画」を感じようとすると自然にすんなりと「物語」さえもが、すっと「心」に入ってきます。
この作品に感動して、エンディング後に秘めやかに「拍手」してしまいました。
コッポラの表現する「時」とは、
「創造」に打ち込むと「時が消える」ということではないか?と感じました。
「時よ、止まれ」とは、
「創作を、しよう」という意味ではないか、と穿った見方をしてしまいます。
コッポラのメッセージ、
「すべての人々に、長い命を、教育を、正義を」それらを享受するのは当然のことなんだよ、と。
僕は、そのように受け取りました。
先週、IMAX で「地獄の黙示録 ファイナル・カット」を観ましたが、、、
少なくとも僕は「メガロポリス」は「地獄の黙示録」以上のクオリティであり、「ゴッドファーザー1.2.」の次に好きです。
コッポラに感謝の念しかありません。
ただ作品の時間が2時間少ししかないのが残念!です。もっと長く「メガロポリス」の世界にいたかった、、、です。
改めてクリント・イーストウッドの偉大さを想う
構想から40年を経て86歳のコッポラが1億2000万ドルという私財を投げうって撮った壮大なるインディペンデント映画、美術スタッフが次々と解雇され「毎日毎日列車事故が起きているのを見ているようだった」という現場スタッフのコメントを読んでしまったらもう観たくてしょうがなくなってしまったのだからキネ旬の罪は重い。昨年9月に公開して全世界での興行収入がわずか1400万ドルと大コケした事実を承知で観に行ったのがやはりバカであった。「ジャンル映画へのアンチテーゼ」「時間を止められるのが芸術家」とかなんとかもっともらしいことを言っていたのでゴダール系の難しさを覚悟していったのだがそれすらも裏切られ、明らかに娯楽作を志向するとても分かりやすいドラマで適役のシャイア・ラブーフもすごく良いのだがそもそも構成(脚本)がなっておらず、決して芸術的でもなんでもなくて演出・編集が下手なことが原因で面白くならなかった失敗作なのだ。いいかげん老害を巨匠という紋切り型の枕詞で覆い隠すのはやめていただきたい。良いカットが多いので予告編を見るとすごく面白そうなのだがこれは詐欺、本編を見てもそのまんまでなにより主人公の「時を止められる能力」に期待させながら、それを全く使わない構成にがっかり。唯一、ポスターにもなっている設計士のアダム・ドライバーがT定規をライトセーバーのように振りかざすカットだけが良かった。
結果的には面白かったけど…
最後まで観たら結果としては面白かったけど
最後まで観るのがダルい(笑)
起伏が無さ過ぎる
監督がエンタメとか商業的な事をあまり考慮せず
やりたい事やった結果なんだろうな
愛憎劇か
権力闘争か
新技術を巡る陰謀と最愛の人の死の真相か
そのどれかをもっとメインに持って来たらもう少しわかりやすく万人受けする感じになったと思うんだけど
全部入れてる上に
こっちの教養を試してるかのような
わかるようでわからないセリフの数々
特に序盤は結構つらかった
要素をてんこ盛りにした結果薄まった各ドラマというか描写ももっとちゃんとして欲しかった
結局メガロンってなんやねん!
そもそも劇中でどれだけの年数過ぎてるのかもわからん
子供出来て産まれてるから一年は経ってんだよな?
映像はスタイリッシュなんだけど
珍しく私の鼻にはつかなかったな
こてんぱんに、こっぽらった
いやはや、こてんぱんに
こっぽらった!!
「こっぽら」とは
自腹で無茶することだって。
さすが『アウトサイダー』
こっぽらでゴージャスなイメージの洪水に
脳も心も溢れてしまう
まさに、映画館的大画面で体感すべき
豪華ケンラン作品
神妙に考えるのではなく、
皮膚感覚で感じるように味わう映画
考えるな、
感じろっ てか
時よ止まれ、
いや、淀みなく流れろっ てか
追伸、ここで、
コッポラInstagramのコメントを紹介します。
「『メガロポリス』がこれほど多くの重要なカテゴリーでラジー賞を受賞したこと、そして私自身が最低監督賞、最低脚本賞、最低作品賞にノミネートされたことを誇りに思います。今の映画界では、流行に逆らう勇気を持つ者はごくわずかだから!」
さらに続けて、
「今の荒廃した世界では、芸術が点数化されています。若き才能が無限に存在するにもかかわらずリスクを恐れるあまり50年後には誰も覚えていないような映画ばかり作ってしまう。そんなこの業界の腰抜けルールに従わないことを選びました」
ひゃっほぉ〜
追伸2、
アップリンク吉祥寺でもまだ上映してますねぇ
ある意味、海賊・浅井隆さん、
お客さん入らなくても
ふんばって上映するんだろうなぁ ^_^
追伸3、
東京地区での最後の上映館は
アップリンク吉祥寺に。
いつまでやるのかっ
さすが、アップリンク!
追伸4(2025年7月25日)
とうとう東京での上映が全て終了しました。
現在、関東では千葉県柏市の
キネマ旬報シアターのみとなります。
追伸5(2025.7.28)
全国での上映はほぼ終了。
唯一、宮崎県の宮崎キネマ館で上映中。
宮崎のみなさん、これが最後のチャンスですっ
追伸6(2025.8.5)
おっと宮崎県は終了し、
佐賀県のシアター・シエマ等で現在上映中
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