「光の戦士」ANORA アノーラ つとみさんの映画レビュー(感想・評価)
光の戦士
“シンデレラ・ストーリーのその後”というキャッチコピーがついているが、ラブストーリーでもなければサクセスストーリーでもない。
「ANORA/アノーラ」は最初から最後まで権利の物語であり、個人というものがいかに蔑ろにされているのかというテーマを痛々しく表現する映画だ。
ストリッパーのアノーラが御曹司のイヴァンに気に入られ、衝動的に結婚…というあらすじは確かにあっているのだが、事は単純な若い2人のラブストーリーとは様相を異にする。
むしろアノーラにもイヴァンにも純粋な恋愛感情は皆無なところが面白い。
周りの大人、主にイヴァンのお目付け役であるトロスは2人の結婚を「グリーンカード目的」「金」などと、自分の理解できる範疇で語りたがり、ボーッとしていると観ている側もその表面的な理解に踊らされそうになるが、本当の2人の結婚理由とはモラトリアムと契約である。
イヴァンはロシアに戻って親の仕事をさせられるのが嫌で、抵抗する為にアメリカ人になろうとした。
大人になりたくない、いつまでも子どもでいたい。渡米して親元を離れたことも、享楽的に過ごす毎日も、アノーラとの結婚や逃げ出して泥酔したことと同じく、決められた人生からの逃亡なのだ。
一方のアノーラは、全てにおいて自分で人生を決めるキャラクターである。イヴァンの契約彼女になる取引も、社会保険・失業保険・医療保険を保障してくれる職場であれば断ったかもしれない。
自分が最も高く売れる時、という見極めに従って、最も高く買ってくれる相手に売った。それは大人として責任ある決断であり、彼女が守りたいものとは契約の正当性なのだ。
アノーラにとって最もショックだったことは、愛が無かったことでも金を失うことでもなく、2人の成人が合意の上で合法的に行った結婚という契約を軽んじられていることだ。
いつの間にかアノーラがイヴァンとの間に愛情を感じている、と思った人が多いみたいだが、アノーラは愛なんか感じていない。裁判所で「愛し合っている」と述べるのは、一応結婚とはそういうものと認識されているからであり、結婚の合法性を主張するための抗弁である。
思い出して欲しい。2人の結婚後イヴァンがゲームに興じる傍らで、イヴァンに寄り添うアノーラの退屈で不安そうな表情を。あれが愛する相手と一緒に過ごす表情だろうか。
この映画で興味深いのは、イヴァンの現状を確かめに来た2人組の片割れ、イゴールの存在だ。登場人物の中で1番まともで1番優しく、イゴールだけは他の人物のことを「1人の人間」として扱う。
アノーラにスカーフを差し出したり、鼻を折ったガルニクの為に薬を取りに行ったり、常に相手のことを気遣う姿勢を見せる。
「家はおばあちゃんの家で、薬もおばあちゃんのものだ」「薬は売らない。商売じゃない」という発言も、イゴールの自身に対する責任感と他者に対する尊敬を感じさせる。
イゴールはアノーラのことを「クレイジーだ」と評するが、クレイジーなくらいじゃないとアノーラはアノーラ自身と彼女の権利を守れない。
襲われる、と思ったら全力で抵抗し、合法的な権利を侵害される、と思えば全面的に闘う。
「アノーラじゃなくてアニー」と呼ばせるアノーラは、闘う為の鎧として「アニー」という人格に「アノーラ」という本当の自分を守らせているのだ。
しかしイゴールはこうも言う。
「アノーラの方が良い」と。
最後の最後まで弱音を吐かず、涙も見せず、事態を切り開く為に闘い続けたアノーラを、1人の人間として見続け、接し続けたイゴールの偽らざる本心なのだと思う。
イゴールという名前は「戦士」という意味だ、良い名前だ、とイゴールは言うが、まさしくイゴールは戦士なのだと思う。
暴力を利用して事を成すという意味ではない。主義や信念の為に活躍する、の方が近い。イゴールの信念はきちんと他人と向き合うことであり、力も金も同情も関係なく、自分が正しいと思うことを行う事だ。
戦士イゴールはアノーラの助けになりたい、と思い彼女がその思いを受け取ってくれるまで静かに待っている。アノーラが助けを求めないなら、それは彼女の決断であり、求められないのに助けようとする行為は相手のことを軽んじている行動だからだ。
イゴールとNYに戻ったアノーラは「アニー」のやり方でイゴールと接しようとする。イゴールを突き放し、言いたい放題罵ったり、一転して性的なコミュニケーションを取ろうとしたり。
でもそれは「アニー」の枠を出ないし、アノーラの本当の心を表現しない接し方だ。
根負けなのか、それとも限界だったのかはわからないが、アノーラは最後の最後にやっと本当に自分自身をさらけ出して、ずっと見せなかった涙を見せ、イゴールの腕の中で泣きじゃくる。
アノーラの涙が枯れるまで、イゴールはアノーラを抱いていてくれるだろう。
闘う女の物語は少し前まで勝利のエンドで女性たちを元気づけるものだったが、今求められているのは傷つきながら手にする勝利ではなく、負けても傷ついても「素の自分」を受け入れてくれる相手や世界ではないだろうか。
アノーラの涙を拭うように、動き続けるワイパーの音がとても印象的だ。