「姿を変えても過去は変えられない」エミリア・ペレス kozukaさんの映画レビュー(感想・評価)
姿を変えても過去は変えられない
フランスを代表する名匠のジャック・オーディアール監督が作った野心的で奇想天外なサスペンスミュージカル。いや、ジャンルを規定できない作品だ。
元は歌劇(オペラ)にする予定だったものを新しさを求め、ミュージカルに仕立て上げたという。
弁護士のリタ(ゾーイ・サルダナ)は麻薬カルテルのリーダー、マニタス(カルラ・ソフィア・ガスコン)から多額の報酬と引き換えに秘密裏に女性への転換手術を行う依頼を受ける。本心を隠して生きてきたが、残された人生で願いを叶え女性として生きたいという。
リタは性適合手術の手配から残された家族の居場所など全て秘密裏に行うことを全うする。
それから時が経ち、イギリスで成功を手にしていたリタの前にエミリア・ペレスという女性になったマニタスが現れる。
マニタスはメキシコでもう一度家族と暮らすための依頼をしに来たのだ。
マニタスは女性に生まれかわり、過去の悪行を償うための慈善活動にのめり込み、リタもその活動に協力する。
エミリア、弁護士のリタ、マニタスの妻ジェシー、エミリアの彼女になるエピファニアの4人の女性の視点で進む展開は細やかで演技も素晴らしい。結果カンヌ国際映画祭では演じた4人が同時に女優賞を獲得している。エミリア役のガスコンに至っては史上初のトランスジェンダー女優としての受賞となった。
ところで、なぜクライムサスペンスとしては似つかわしくないミュージカルの手法を取ったのか。映画におけるミュージカルシーンはどうしても唐突である。舞台劇のミュージカルは舞台装置の中で歌い踊るので違和感はない。一方映画ではリアリティを追求した場面の中で突然歌い踊るのでリアルから離れ、ある意味滑稽でもある。
エミリアは女性に姿を変え慈善活動に精を出すが、彼女が過去に犯した犯罪は消えるものではない。過去の凶暴さが出てしまうこともある。そうした姿はある意味滑稽でもある。
オーディアール監督はジャンルというものを超え、サスペンスにミュージカルの要素までぶちこみカオスのような映画を作った。それは比喩的にはコメディも包含したある人物の数奇な人生を表現したかったのではないか。
さて、カルラ・ソフィア・ガスコンの件だ。
ご存知のように、過去のSNSで差別的な書き込みをしていることが発覚し、大批判を浴びている。
アカデミー賞でも非英語作品で過去最多の12部門13ノミネートを果たしたが、受賞したのは助演女優賞(ゾーイ・サルダナ)と主題歌賞の2部門のみ。ガスコンも主演女優賞にノミネートされたが落選した。もちろん賞はエミリアではなく個人のガスコンが対象なので、個人の不適切な投稿が原因ではずされたことは当然である。映画同様、過去の過ちは変えられないというという事を地で行く皮肉な結果になってしまったのだ。
ただ、出演者の不祥事で作品そのものの評価が落とされるのはどう考えてもおかしい。昨今リスク回避傾向が強まり、主催者や製作者が過敏な対策をとるような気がしてならない。
この映画のガスコンの演技は素晴らしかったし、プライベートで不適切があったとしてもその評価は変わらない。ましてや作品の評価が変わるようなことがあってはならない。
傑作とまではいわないが、意欲的な作品でジャック・オーディアール監督の代表作にもなる作品だと思う。外野に惑わされることなく自分の目で鑑賞して欲しい。
出演者の不祥事で作品そのものの評価が落とされるのはおかしい、に同感です。私はその不祥事(SNSの投稿?)について映画を見てからぼんやり知ったのですが、だから何?そんなに皆、ソーシャル・メディアに首ったけなんだろうかと気分が落ち込みました。