教皇選挙のレビュー・感想・評価
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知らない世界が覗けた感じ
どこまで事実に迫っているかはわかりませんが、少しは似かよっている部分もあると思いながら興味深く見ていました。しかし、登場人物の区別がつかず名前も覚えれず、前半眠くなりました。でも、背景や部屋の明暗の美しさにみとれて、又音楽も素晴らしく、最後は大満足でした。でも、ラストはピンときません。今どきといえば今どき…安易なラストで少しがっかり。
終盤には声が出てしまいそうになるほどの驚きも待ち受けています。(本当にびっくりします)
国際長編映画賞ほか4部門を受賞した「西部戦線異状なし」のエドワード・ベルガー監督が、ローマ教皇選挙の舞台裏と内幕に迫ったミステリー。第95回アカデミー賞において作品賞含む8部門にノミネートされ、ピーター・ストローハンが脚色賞を受賞しています。
●ストーリー
全世界14億人以上の信徒を誇るキリスト教最大の教派・カトリック教会。その最高指導者で、バチカン市国の元首であるローマ教皇が心臓発作のため突如として急死します。バチカンでは「神の代理人」とされる教皇の座(使徒座)空位が生じてから20日を過ぎないうちに次の教皇を80歳未満の枢機卿の中から選挙で選出する規定があります。悲しみに暮れる暇もなく、首席枢機卿のローレンス(レイフ・ファインズ)が新教皇を決める教皇選挙「コンクラーベ」を仕切ることになります。
ローレンスは全世界の教区から100人を超える候補者となる枢機卿を招集。彼らは宿泊施設でもある「聖マルタの家」に集まります。世俗の権力、マスコミの影響、テロ攻撃などから防御するため戒厳令が敷かれ、教皇選挙中は外部と接触できないよう隔離状態になったのです。
こうしてシスティーナ礼拝堂の閉ざされた扉の向こうで極秘の投票がスタートします。そのなかで、教会内部ではくせ者が暗躍し、各枢機卿の投票の行方は混沌としていました。
100人以上の枢機卿がコンクラーヴェが行われるシスティーナ礼拝堂に集まる中、有力候補者として、この4人が浮上します。
・アメリカ出身でバチカン教区所属、リベラル派最先鋒のベリーニ枢機卿(スタンリー・トゥッチ)
・カナダ・モントリオール教区所属、穏健保守派で野心家のトランブレ枢機卿(ジョン・リスゴー)
・ナイジェリア教区所属、初のアフリカ系教皇の座を狙うアデイエミ枢機卿(ルシアン・ムサマティ)
・イタリア・ベネチア教区所属、極右の保守派にして伝統主義者のテデスコ枢機卿(セルジオ・カステリット)
以上の名が取り沙汰される中、メキシコ出身で昨年に前教皇によって新たに任命されたばかりのアフガニスタン・カブール教区のベニテス枢機卿(カルロス・ディエス)が開始直前に到着します。
リベラル派か保守派か、初のアフリカ系か紛争地から来た男か。性的スキャンダルや買収があらわとなり、枢機卿団の票が割れていく水面下では陰謀や差別、スキャンダルの数々が蠢めいていたのです。
亡き教皇の方針を引き継ぐ教会改革派の先鋒でローレンスと親しいベリーニは、最有力候補で保守派テデスコの当選を阻もうと懸命でした。しかし投票ごとに流れが変わり、トランブレや初のアフリカ系教皇の座をうかがうアデイエミが浮上、伏兵ベニテスも票を伸ばします。
候補者のスキャンダルが暴かれたり疑念をささやく噂が噴出するなかで、公正な選挙管理を全うしたいローレンスは、それらに苦悩を深めつつもコンクラーヴェを執行していきます。けれども彼はバチカンを震撼させるある秘密を知ることとなり、新教皇選出を目前とする中、厳戒態勢が敷かれたバチカンを揺るがす大事件が勃発します。
●解説
選挙会場は、天井にミケランジェロ「最後の審判」を飾るシスティーナ礼拝堂。映像は伝統的儀式を無言で映し出すだけ。3分の2の票数を得た枢機卿が教皇になるまで、コンクラーベと呼ばれる選挙は続きます。ネL拝堂の煙突から白い煙が上がれば決定の合図。黒煙だと未決定。そこに至るまでの激論、陰謀が主題です。ラテン語が共通言語であったのは昔の事。今は種々な言葉が飛ぴ交います。同じ言葉だから味方とは限りません。リベラルと保守に分裂するピラミッド型階級社会は男の戦場です。女であるシスター・アグネス(イサベラ・ロッセリーニ)には、何の権限もないが、目と耳は持っていて、選挙に帰趨に関わる重要な証言を行います。
外からはうかがい知れないその内幕を描いていますが、リアリズムで教会や宗教を真剣に考えるというより、未知の世界を舞台とした娯楽ミステリーといえるでしょう。聖職者らしからぬ、欲と野望にまみれた俗物たちの、権謀術策渦巻くドラマです。
激しく足を引っ張り合う教皇選びの展開は、宗教ものというより選挙映画。いかにも人間くさい争いと荘厳な宗教施設の取り合わせは「ダ・ヴィンチ・コード」などに通じますが、美学的な完成度でははるかに上回ります。
保守とリベラルが対立する様を見ながら、バチカンを世界の縮図のように感じる観客も多いのではないでしょうか。次から次へと問題が発生し「ローレンス枢機卿、お疲れさまです」と言いたくなりました。終盤には声が出てしまいそうになるほどの驚きも待ち受けています。(本当にびっくりします)
信仰の揺らぎに悩みつつ、教会の未来も案ずるローレンスをファインズが好演してドラマの芯となり、結果は最後の最後まで分かのません。映像の見事さもあいまって、思わず引き込まれることでしょう。
ただ、ここまでリアルな映像ならと、現代における信仰とかカトリック教会の存在意義とか、あるいは男性支配社会といったテーマの掘り下げも期待したくなりますが、こちらはドラマを推進する燃料程度。神様が見たらがっかりするかもしれませんが、俗物たるこちらはたっぷり楽しめます(^^ゞ
ところで、病気療養中の現ローマ教皇フランシスコはアルゼンチン生まれで、教皇としては初の南米出身者。現教皇の病状が報道される最中、投げ掛けられたテーマは深いと思います。
作中、一歩引いた立場から争いを見つめ、終盤でスポットライトが当たるペニテスもメキシコ人という設定です。最後に枢機卿たちの目を覚ます彼の言葉は、教会のみならず世界中の人々が進むべき道を照らしているようでした。
「皆さまは、戦争の悲惨さについて語られる。だが戦争を体験してはおられない」。戦火が収まらないかの地で、布教を続けてきた彼ならではの発言でした。
●感想
エドワード・ベルガー監督の演出力、撮影、美術、衣装などのスタッフの精緻な仕事が素晴らしかったです。コンクラーベの舞台の荘厳さ、厳粛さが伝わってきました。
枢機卿団の宿舎と食堂、投票会場のシスティーナ礼拝堂に舞台を限定した映像世界には異様な閉塞感が漂っています。少数の登場人物たちが密談を交わすシーンのクローズアップ、緋色の法衣を視覚的に際立たせたロングショット。あらゆる場面が計算し尽くされ、思わぬスキャンダルや陰謀の発覚によって選挙戦の行方が二転三転する脚本は、サスペンス映画のお手本のよう。まれに見る完成度の高さではないかと感じました。最後の瞬間までスリリングなミステリーを撮った監督の手腕に拍手。
特に選挙会場のシスティーナ礼拝堂に居並ぶ枢機卿の深紅の法衣が印象的です。「本物はもっと明るい赤だが少し安っぽい。映画では深紅にすることで権威を示すと同時に、着る者を押し潰すような重さを出した」と エドワード監督は述べています。
●親鸞信奉者として、ひと言
神の御心を祈り求める言葉を唱える教皇選挙で、人間のエゴや権力への執着に人間の弱さを露呈する展開。枢機卿たちは善人の手本のような人たちでしょう。けれども本作ではその心の中にある凡人さが暴かれるのです。まさに「悪人正機説」を絵にしたような展開でした。
ローレンスは、この凡人さに警鐘を鳴らします。コンクラーべの挨拶として、スピーチに立ち、突然用意した原稿を投げ捨て、私心を語り始めたのです。
ローレンスが警戒することとして、権力者が「確信」を持つことであるとしました。「確信」を持つことことで、多様な考え方が排斥されて、不寛容になることを警戒したのです。前教皇は、この「寛容」さとても大切にしていたのです。ローレンスはその意志をついで、スピーチで次の教皇になるべき人物は、「疑惑」を持てと語ったのです。権力者が自らの不見識に「疑惑」を持たず、「確信」を持って発言すれば、自ずと多様な考え方を否定する不寛容に陥ります。このことをローレンスは、聖書からパウロの発言を頼りに、居並ぶ枢機卿に教示したのでした。
これは信仰者に「信仰とは何か」との問いかけているようで動揺させられます。そして予想を超える結末は、現代への神仏の御心の現れとして作品が提示するクリスチャン及びあらゆる信仰を持つ者への本質的な問いかけともいえるでしょう。真摯な問い掛けとして受け止めるべき作品といえます。
ローレンスの語る自らの信仰への疑念の言葉は、不安な今の時代に、私たち、ひとり、ひとりの、胸を敲くのではないでしょうか?
ポリティカルなフィクションなんだ。
昨今の流行だと、実話映画化っぽく見えるけれど、これは完全なフィクション。そもそもコンクラーベの裏側なんて、そうそうわかるわけないじゃん。なので、映画はVFXを多用して、あたかも観客がのぞき見できるように、世界を作り上げている。これがもう本当に面白くて。映画なんてどうせ嘘なんだから、どれだけうまく嘘ついてくれるかが肝心なのだ。
この映画は最後まで面白さが途切れないので、見事にハメられたわけで。
香ばしいベテランじじい(ばばあ)らの素晴らしいアンサンブルに感服。
本当に上質なミステリー
想像していた通りの展開。だが最後の落ちはいただけない。あざとらしい。
緊迫感ある作品
同時代的バチカンの、その先。
フランシスコ教皇がカトリック界隈に起こしたさざなみ。その現実の背景を踏襲した、本作品。ベールに包まれたコンクラーベの覗き見趣味的な好奇心や、枢機卿同士の票の読み合いを通じた神に仕えるものの人間臭さに、相応のエンタメ性がある。特にローレンス枢機卿が疑惑をもとに有力候補を潰すにも関わらず、盲点を突いて、いとも容易くガラスの天井を打ち破る痛快さは必見。
多様性を受け入れるべきという強いメッセージを感じる映画
教皇選挙の裏側がこんなに揉めるとは思わなかった。陰謀、権力欲の発露、多様性の否定。人々を救済するはず存在である聖なる宗教のトップのあり方は、救済からは程遠い汚さだ。同時に、綺麗事だけでは済まないリアルな人間の世界が、この汚さに表現されている。
終盤では、自身も複雑な秘密を抱える枢機卿が持論を語る。世の中敵も味方も無い。戦うべき敵は自分の心にあると。そんな彼が教皇に選出されたことが、世の中の問題を受け止めた上で、それでも宗教は忍耐強く多様な人々を受け入れるべきという、強いメッセージを感じる映画だった。それはドロドロとした教皇選挙を浄化するようなメッセージだった。
舞台が教皇選挙だから絵面は地味なのに、どの世界でも変わらない人間の良い面悪い面をリアリティ高く描いていたり、枢機卿同士の駆け引きなどもあって面白い映画だった。
教皇はこのひとで良いと思う
十字架に架けられたのは一体誰なのか?Who was truly crucified?
宗教の役割とは?
信仰とは?
その中心で一体何が起こっているのか?
宗教上のリーダーを決めるとはいえ、
そのやりとりはどこまでも政治的だ。
周知の候補がいて、
出る出ないのやりとりがあり、
いろんな事が起こり、
ラストへ向かって行く。
この作品の中で、
宗教者としての矜持なのか、
その宗教界での慣例なのか、
宗教とは?が問われる場面がクライマックスになる。
途中から、
これはイエスが十字架にかけられた
ローマ総督ピラトの時代なのか?
本当に現代を舞台にしているのか?
よく分からなくなった。
慣習や教義に疑義を唱える、
それに抗うゆえに、
その者は十字架にかけられる。
この映画で十字架に架けられたのは
一体誰なんだろう?
とその疑問が頭の中をぐるぐるしている。
What is the role of religion?
What is faith?
What exactly is happening at its very core?
Even though the purpose is to select a religious leader,
the entire process is deeply political.
There are well-known candidates,
debates over who will run or withdraw,
various events unfold,
and the story heads toward its climax.
In this film, there’s a climactic moment where the question “What is religion?” is raised—
whether it’s a matter of religious pride
or merely tradition within the faith.
At some point, I began to wonder:
Is this set in the time of Pontius Pilate,
when Jesus was crucified by the Roman governor?
Or is it really set in the present day?
It became increasingly unclear.
Those who question tradition or doctrine,
those who resist it,
are the ones who end up being crucified.
So, who was crucified in this film?
That question keeps swirling in my mind.
教皇も人の子
枢機卿も人の子なわけで、たしかに、こんな選挙を仕切るのは大変ですよね。でも、ルールを犯してまで背景を追求するのが良かったのか否か。「世界で最も有名な人物」を決める方法の真摯さを見せつけられながら、仕切ることを教皇から求められたことの重圧も想像に余りありました。
総理大臣もこうした形式で決められたら良いですよね。
分かりやすく「首席」の立場の人が継げば良いのでは、と何度も感じながら静観しましたが、一連の決め方には納得せざるを得ないものを感じましたし、展開は隙のないミステリーに仕上げられていました。その意味でも、「疑念」は大事な要素でしたね。
顛末は想像を超えたものがありましたが、ある意味、爽快さを感じさせられました。
ドロドロした人の動きと対象的に、背景・景色や衣装のキレイさが見事でした。
加えて、「クイズショウ」でもみられたレイフ・ファインズの困惑した表情、表現が目を見張りましたし、変わらぬカッコ良さに羨ましさを覚えました。
やや細かい知識が要求されるがおすすめ枠か(補足入れてます)
今年96本目(合計1,638本目/今月(2025年3月度)30本目)。
日本ではダジャレ用語としての「根比べ」なんていいますが、実態(この点後述)は映画のように投票の繰り返しで、その中でいろいろな駆け引きがあるものです(もっとも、この作品それ自体は架空のお話ですが、歴史上、この投票は何度も行われている点は事実なので、その点においては「やや」ドキュメンタリー映画という観点「も」存在はする)。
その選挙をするために各国から大司教がやってきて投票を繰り返す…のですが、いろいろな国からきているため、出てくる言語が結構多く(イタリア語、フランス語、スペイン語のほか、当然、教会ラテン語まで登場する)、なかなかマニアックだなぁ…といったところです。ただ、ストーリー「それ自体」は架空のものとしても、なかなかマニアックな知識が要求されたり、さすが良い作品だなといったところです。
当然、このような作品であるため特殊な専門用語も多く(ただし、補助字幕は一切出ない)、中には関係者(?)の方しかわからないのでは…といったマニアックな語も出ます(一応、日本は漢字文化圏なので、漢字から推定可能)、字幕の補助として聞いている字幕も、単語が極端にマニアックで(英検1級でも足りないか。極端にハイレベルな用語が登場するなど。ただ、分野偏りのようで、大半はわかるレベル)、日本では補助字幕など工夫があればよかったかな、といったところです。
採点上、以下はちょっと気になったので書いておきます。
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(減点0.3/「イタリアは40年以上代表を出していないんだぞ」の発言)
more than 40 years ですが、more than は「その値を含まず、その値より大きい」しか意味しないので、これだと「40年と1秒以上」にしかなりません(40年ちょうどを含まない)。ただ、この誤訳は結構どの映画でも見られるため減点幅は通常0.2の固定幅の扱いのところ、この映画の趣旨的に解釈が変わってしまう恐れのある誤訳であり、減点幅をあげています。
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(減点なし/参考/教会法(カノン法)とこの映画、および日本などとのかかわり)
ヨーロッパではイエスキリストの時代から法律という概念はなくても、実質的に民法商法といった概念は「概念としては」存在しましたが、近現代になって法の考えが確立していったとき、教会に対して、信者に対して適用される法、あるいは教会内部でのみ有効な法という概念が確立しました。これを教会法(カノン法)といいます。映画内でも字幕でちらっと出てきます。
映画の中で延々と投票を繰り返しているシーンも実はこのカノン法由来のもので、通常の選挙であれば、こういった場合、決選投票(上位2人か3人。2人が通常多い)として「他には投票できない」というルールが一般的ですが、「現在でも有効な」、映画内でもとられる投票制度は「決選投票は通常用いず、議論を経て3日たっても決着しない場合(2/3以上の有効投票がない場合)、一度休息を経て(この「休息」は教会的な意味だが、実質的には数日空ける、程度の意味)、その後の数回の投票でもさらに決まらない場合にはじめて決戦投票が用いられる制度となっています(現在の教会法(カノン法)。日本でも行われうるため日本の教会のサイトにはたいていこのことは掲載されています)。
日本では、明治維新のときにフランス・ドイツの考え方を取り入れた帝国憲法時代の初代民法(旧民法)が定まりましたが、江戸時代に弾圧されていた経緯もあり、カノン法という考え方が積極的に取り入れられることはなく、第二次世界大戦後は政教分離の原則も定まったため、日本には「表立って」教会法(カノン法)という概念は存在しません。ただし、日本においても教会内部で「のみ」有効な法(「法」というより、マナーといったほうが良いか)は日本版カノン法として定まっており、教会内部でのもめごとは、日本では「単なるマナー違反にとどまる限り」、教会内部の「管区裁判所」(東京、大阪、長崎)に設置されているところで審議されます(日本においては、日本国憲法上の「裁判所」との区別のため、和解制度のような動きになっている)(この管区裁判所の制度もカノン法によるもの)。ただし、それに不服があるものは必ず「通常の」地方裁判所等に接続ができる仕組みになっています。これは日本国憲法との兼ね合いです。
※ このあたり、なぜかよく書けるのは、日本では「信教の自由」と「裁判制度」の兼ね合いで憲法判例の学習上出てくるところであるためです(なので、法律系資格持ちは信者ではなくてもある程度このあたりの制度は知っている)。
【迷ったら観て!】ドロドロエンタメサスペンス
ミステリの中に潜むメタファー。ぜひ公式の用語解説も。
不気味に鳴る弦楽器の音が印象的な本作。
ミステリとして楽しめるだけでなく、多くのメタファーが潜んでいて、鑑賞後に「あれはこういう意味だろうか」と思考を巡らせたり、公式の用語解説を読んで「そういうことだったのか」と驚いたりと、じっくりと楽しめる作品だった。鑑賞後はぜひ公式HPに掲載されている用語解説(ネタバレあり版)を読んでみてください。
また、シーンの一つ一つの映像としてとても美しかった。特に後半の光の使い方が好きだ。冒頭に映されたタバコの吸殻も、教会の腐敗を示すようで印象的だった。(まったく別の意図のメタファーかもしれないが)
あれこれと考えながら鑑賞できる作品だったので、2時間ほぼ薄暗い室内シーンだったが飽きずに鑑賞できた。
激しく二転三転するようなストーリーではないが、じっくりと考えを巡らせながら観たい人には楽しい映画ではないだろうか。
全501件中、261~280件目を表示
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