「プロパガンダか、問題提起か? これがトランプの実像なのか?」アプレンティス ドナルド・トランプの創り方 ノンタさんの映画レビュー(感想・評価)
プロパガンダか、問題提起か? これがトランプの実像なのか?
日本橋の映画館は公開3日目でほぼ満席。最前列での鑑賞となった。アメリカ新大統領、そしてこの映画への関心の高さを感じる。
鑑賞前の懸念は、多くの報道やメディアで知識人たちが強調するトランプの「悪魔性」を一方的に強調するものではないかということだった。多くの問題を抱える毀誉褒貶の激しい人物であるのは周知のことだが、2回の民意の支持を受けた人物である。そこには、多様な価値観の渦巻くアメリカの複雑な人々の意思が反映されている。
単純に断罪する視点で描くのは、彼に託された民意を矮小化するものになりかねない。そんな映画だとイヤだなと思ったのだ。
イラン出身のアリ・アッバシ監督のこれまでの作品は未見だが、調べてみると、単純な善悪の二元論でわかりやすく描く監督ではなく、「人間の複雑性」や「真実と言われるものの曖昧さ」を描いてきたという評価のようだ。期待を高めつつ、座席に座った。
冒頭で、弾劾され辞任したリチャード・ニクソン元大統領の記者会見を引用し、明快にテーマが提示される。
「もし、大統領が悪魔なのであれば、国民はそれを知る権利がある」
そして若き日のトランプの物語が始まる。
序盤では、権力とお金にしか興味がない若き日の彼の姿が描かれる。デート相手の女性が彼の軽薄さに嫌悪感を抱き、トイレに向かう姿が象徴的だ。
記録映画と見紛うほどトランプ本人にそっくりな主演俳優の演技がリアルで、エピソードも戯画化されつつリアリティ抜群だ。
物語は、資産家2世としての初々しい野心を持った若者のトランプが、悪魔的な能力を持つ弁護士ロイ・コーンに気に入られるところから進む。コーンはトランプに勝利の方程式である「3つの原則」を叩き込む。
1. 攻撃は最大の防御である
2. 決して謝罪するな
3. 現実を作り出せ
トランプはこの行動原則を武器に、欲しいものを次々と手に入れる。障害となる人物を社会的にも経済的にも「抹殺」することにためらいはない。
映画で描かれるトランプの実像は、徹底的に醜悪だ。恩師も、父母も、兄妹も、妻や子供すらも愛せない人物として描かれる。そして、自らの醜さを覆い隠すために整形手術を受ける場面では、その醜悪さがさらに強調される。
彼にとって「愛」や「絆」は重要ではなく、「3つの原則」のみが彼の人格を形作っているという印象が残る。
また、映画では政治家になる前の彼のルーツが描かれるが、何らかの社会課題認識や志に基づく政治的野心の原点は描かれない。本当に何もない空虚な人物ならば描きようがないのかもしれないが、これまで「人間の複雑性」をテーマにしてきたという監督の作風とは異なるのではないか。紋切り型に善悪の二元論で描く、ピカレスクエンタテイメント作品と私には見えた。
ラスト近く、伝記作家と思われる人物とのインタビューシーンで、トランプには語るべきルーツも思想もなく、彼の中にあるのは『3つの原則』だけの空虚な人物であることが重ねて描かれ、映画の締めくくりとなっている。
最後まで飽きさせない、強烈に面白い映画であった。
しかし、アメリカの複雑な民意を反映して選ばれた人物としてのトランプには一切触れられない。もちろん、政治家になる前の彼のルーツを描く映画だから、触れようもないのかもしれない。現代アメリカの複雑な現実に触れることなくストーリーが終わる点は物足りなさを感じるが、それこそが監督の狙いでもあったのだろう。
冒頭で投げかけられた問い――「もし大統領が悪魔ならば、国民はそれを知る権利がある」――は、映画全体を通じて、その悪魔性が補強される。
一方で、この映画には監督自身が「自らにも繰り返し問いかけた」作家的な深い問いではなく、観客を啓蒙しようとする意図が感じられた。まるで、「愚かな大衆の1人であるあなたにも、これでわかったでしょう?」と言われているような気さえした。
この映画を見たトランプ支持者はどう感じるのだろう? 本作は対話を生まず、分断を加速するのではないか?
とても面白く、よくできたプロパガンダ映画だ。これが観賞後の率直な感想である。私は何かを見落としているのだろうか?