動物界のレビュー・感想・評価
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みんな狼チャイルド
気色悪さのセンスに脱帽
何かの動物に変化してしまう奇病という
単純だけど誰もやらなかった設定。
うまいなあと思いました。
映像も演技も、すごく丁寧な仕事で
ヒューマンドラマが描けています。
キワモノ設定がキワモノ映画になっていないのがすごい。
フランス映画全体をくくるのはどうかと思いますが
フランスっぽい、アートな洒落た感じもありますね。
本来は差別などのしっかりしたテーマはあるのでしょうが
予告編で感じた脳裏から離れない気色の悪さは
唯一無二だと思います。
原題をGoogle翻訳すると、まんま「動物界」ですが
もう少しキワモノ感のうすい邦題をつけた方が
よかったような気がします。
「動物界」だと昔のビデオスルーのB級映画の匂いがします。
本作観て、似たような気色悪さを思い出したのですが
同じフランス映画の「スプライス」。
気色悪さと後味の悪さを求める方には
こちらもオススメ。
それ行けバンパイヤ
突然の発病の様に、ある日突然に人体が動物化してっちゃう話。
鳥とか犬、猿からタコ、カメレオンまで。
哺乳類だか、鳥類だか、両生類やら軟体生物。
発病しないと何の生物になるのか不明な世界なんだけど、オオカミ人間やら、ゴリラ人間、様々な動物人間が居そう。
そこに恐怖し、発病しちゃった人間に差別隔離を行おうとする人間社会なんだけどX-MENとか炎炎の消防隊みたい。
ラスト近く、あれほど嫌っていた添加物モリモリのスナックフードをハンドル片手に手掴みでバリバリ!法や社会ルールを無視してまでも愛しか選べないオヤジのカッコよさよ!
は?人間と動物、どっちがケダモノなんだ!?
もしも手塚治虫がコレ見たら「僕にも描けるよ」って言うんだろな。
てか、あんたが描いて来た物語ってこんなんばっかだよ。w
だから今も好きなんだよ。
この作品は何処へ向かいたいのか、、
表面的な多様性の重要性は置いといて、結局監督はこの作品で何を伝えたかったのかよくわかりませんでした。
作品の薄暗い雰囲気やBGMなど欧州のアクが強めな映画の印象です。
謎の奇病で人間が動物化していきます。
母親が動物化し、それに嫌悪していた息子が動物化していきます。母親は猿に息子は狼系統と種族は別々でした。
何故分ける必要があったのかは描かれていませんでしたのでよくわかりません。
お父さんは息子の動物化に受け入れようとしていますが、食べ方を指摘したりなど時折、人間目線で注意してる矛盾に気づいていないシーンはよかったです。
最終的に息子を森へ逃すシーンは、アニメ あらいぐまラスカルを思い出しました。
なのでこの映画は実写版ラスカルです。
パンデミックを経験した私たちにならわかる、『もののけ姫』など(宮崎駿)ジブリ映画のように人間と他の動物を含む自然の共生共存・調和を、美しく壮大に描いたSFドラマ
予告でも使われている冒頭シーンから引き込まれ、題材(アイデア・プロット)などギミック頼みになることなく、ゴリゴリのCG・VFX祭になることもなく、根幹にある家族ドラマ(思春期の戸惑いから親子の絆へと)が胸を打つ。そして、最後の切なくもなんとも言えぬ解放感(カタルシス)たるや…!
主演はフランス映画界を語るうえで欠かせない人気俳優ロマン・デュリスだけど、物語的な主人公・視点人物となる息子エミール(髪型もあって少しミック・ジャガーに見えたり)の身に降りかかる葛藤もまた、成長という普遍的なもの。彼の演技に特殊メイクも良かった。
ポスト(/with)・コロナという時代、環境も生態も破壊されていく今日おける予測不可能性。人種や移民だけでなく原因不明・治療法のない病気などで、ある日突然いつ誰が迫害されてもおかしくない世の中で、そうしたあらゆるメタファーのように動物になっていく人々。そう、これは決して単なるフィクションではない(映画とはそういうものだが)。
猫を炎に投げ入れてはそれを見て楽しむとかいうイカれた過去の風習に象徴される人間の不寛容・狭量さ。高く燃え上がる火柱というビジュアルも、視覚的にKKKの十字架を燃やすという行為を想起させた。
最悪だな。世も末だな。
ラナ!ママ!
(考察を含むのでネタバレ扱い)異文化排除/理解をテーマにした映画。今週おすすめだが…。
今年404本目(合計1,495本目/今月(2024年11月度)10本目)。
※ (前期)今年237本目(合計1,329本目/今月(2024年6月度)37本目)。
今週、一番解釈が割れそうな作品かなというところです。
早速個々見ていきます。映画のストーリーほかについては他の方が書かれているのでばっさりカットします。
おそらくこの映画は問題提起型の映画で、「異文化排除/理解」をテーマにした映画です。この点は海外(アメリカ、フランスほか)ではすでに公開されており、そうした論点であろうというのが各海外の評価サイトでもだいたい言われているところです。
ストーリーの軸「それ自体」である「動物化する人間」の排除、理解論については、ストーリー全体(排除論)や主人公のエミールの対応(理解論)からもわかりますし、ストーリー上特に「出す必要があるの?」というところのADHDという設定の女の子についても(この子がADHDかどうかはストーリー上何ら関係しない)、極論、車いすの子でも何でもよいのですが、そうした「わかりやすい障害」ではなく、あえて精神疾患を扱ったものだと思いますし、この受容も広い意味では「異文化排除/理解論」に繋がります。
ただ、もう一つの筋(後述)については難易度が結構高く、そこを理解するには結構厳しいのではないかといったところです。この点、日本とのかかわりも含めて記述します。
採点に関しては以下まで考慮しています。
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(減点0.3/以下の理解にたどり着くのが容易ではない)
この「異文化に対する排除/理解論」は一見すると2軸(ストーリー自体と、ADHDの女の子)だけに見えますが、実はもう1つ混ざっており、この理解はかなりの前提知識を要求するのが厳しいかなといったところです。
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(減点なし/参考/フランスの公用語政策と地方方言の排除問題と「異文化排除論」)
映画のストーリーとして主人公たちは南仏に行く設定で、映画内で登場する看板などからスペイン語の混合が見られるのでスペインとの国境あたりかという推測はできますが、映画内で明確に「ガスコーニュ語で書いた抗議用のTシャツを作ったから」というお話が出ます。この話は一度出るだけです。そしてそのTシャツ(ガスコーニュ語)はアップで映りますが、何が書いてあるかは翻訳されていません(字幕も出てこない)。
この「ガスコーニュ語」というのは、上位に「オック語」を含む(大阪方便に対して関西弁があるのと類似する)、フランスの地方方言です。スペインとの国境沿いにあたる地域になりますので、スペイン語の干渉を受けた地方方言にあたります。
日本も含めおよそどの国にも公用語があり、またよほどの小国(モナコ公国等)以外では方言というものもあり、それに対する国の対応も異なります。それらの存在を知った上で一応の標準語に合わせて実態を踏まえて地方方言を許容する立場(日本はここ)、一応の標準語を定めて代表的な地方方言を整理する立場(中国など)がありますが、フランスはこの点について、先進国では極端なまでに厳しい立場です。フランスは国の地理性質上、他国語との混合方言が発生しやすい(ドイツ、イタリア、スペインが主だが、英語との混合言語もあり多種多様になる。また、ドイツ/英語とイタリア/スペインでは言語の種類も違うのでさらに複雑な問題になる)性質があります。
つまり、フランスにおいてはパリで話される標準語を明確に共通言語として制定し、それ以外の言語の「撲滅」を明確に行っていた時期があります。フランスは政府と大統領の2元制を取りますが、1970~90年代がまさにそれであり、各地の地方方言を全部排除する(テレビの内容にまで干渉したり、初等教育や幼稚園・保育園(←日本相当)にまで介入するなど)ような政策を2元制のもと、政府と大統領と協力して作り上げた過去があり、現在があります。現在でも一部の(道路標識などの)看板が政府によって黒塗りされるなどの実態があります。ここには少数言語とされるガスコーニュ語(上位にあたるオック語(に始まる多くの地方言語)が対象であり、その下位言語にあたるガスコーニュ語も対象になった)も含まれており、中には言語として話し手・読み手がほとんどいなくなった言語も存在します。
※ こうしたことは「フランスの言語政策」の問題で、ある程度外国事情にアンテナをはっていればわかります。
映画の中でちらっと一度だけ出てきて「翻訳もされない」、ガスコーニュ語(オック語の一種)の話もちょうどそれにあたるものであり、この映画は実際のフランス国内におけるそうした問題(方言排除問題しかり、性差別しかり多種多様で色々)を問題提起しているのでは、というのが多くの海外のレビューにあり、またそのことはある程度調べればわかります。
ただこのことはおよそもって一般知識とは言い難いし(ある程度知っている人はいる、程度か…)、この理解まで求めるのはちょっと無理ではなかろうか、というところです。
(減点なし/参考/日本とのかかわり)
日本では、外国語として言語を学習するにあたって書籍で学習するとしても、書籍として商用ですから「売れる売れない」ということはある程度意識されます。そのうえで日本においてこれら「外国語方言」に触れる機会があるのは、中国語(北京語→広東語ほか/ビジネスとの関係)、ブラジルポルトガル語(←愛知等に在住する当事者に接するために必要。イベリアポルトガル語(ポルトガルで話されるポルトガル語のこと)との比較。かなり異なる言語)の実質2パターンになるかな、といったところです。
(※) ただ、書籍化や、例えばNHKテレビ・ラジオ他で扱われないだけで、教育内容と日本の実態がずれている例としては、「韓国語」があります。書籍やテレビラジオの語学講座のそれは基本的に「ソウル標準語」ですが、いわゆるコリアタウンは、その成り立ち上、韓国南部の方言がベースになっているため、語彙にかなりの差があります(例えば「チヂミ」一つとっても「ソウルでは」通じない(実際には外国人観光客に配慮しているケースも多々見られる。実際には南部方言の扱い))
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(減点なし(?)/参考(考察不可能)/「「エミール」なんていう名前を付ける親をみてみたい」の趣旨の発言)
南仏に移動して学校(高校)に転入学して自己紹介のシーンで登場しますね。
この点、主人公(であろう)エミールは明らかに男の子であり、女の子に「見える」ような顔つきではありません。また、キリスト教文化が強い国(フランス含む)では、毎日、日ごとに(365通り、ということ)、「今日の聖人」というのが決まっており、それを参考に名づけをするのが一般的に行われており、この点は何を指しているか不明です(この点はかなり海外の評価サイトでも「趣旨がわからない」とされている部分)。
※ 「エミール」に対して女児名は「エミリア」など対応表のようなものがあり(「シャルル」に対しては「シャルロット」など)、この点での誤解も生じえないので、何を指しているか不明な部分です(この点はよく調べてもわからず。なお、フランスにもいわゆる「子供の名前ランキング」みたいなものはありますが、「エミール」は288位(全体母数不明。なお、女児名「エミリア」は2位/海外フランスの2022年データより)。
75点ぐらい。動物へ変異する奇病
人類に対する他動物からの復讐か?
良質な童話
エミール
アニマライズのリアリティラインが絶妙。コスプレでもなく猫化人間でもなく恐怖を感じさせるデザインが良い。
音"声"の演出も素晴らしい。
南フランスの湿地帯の映像も綺麗。後半のエミールがたどり着いた先のワンショット映像もさりげなくすごいことをやっている。
ラストは細田守監督作「おおかみこどもの雨と雪」を思い出した。
コロナパンデミック化に考えられた作品ということで、人と人との分断、都心から離れ自然へ回帰するような展開に納得した。
冒頭のフィクスへ抱いた恐怖が分断そのもので、後半自然とそれが紐解かれていく展開も良い。
ルソーの著書「エミール」にちなんだ子供の自由を願う思想が詰まっている。(カエルと言われた子供が実は〇〇〇〇〇でやはり生き残る。)
ただ全体的に少し単調だったのと、本作は特別に何か回答を提示しているわけではないのでここはもう少し具体的に踏み込んで欲しかったところ。ただし!ラストのポテチを頬張り息子を送り出すロマン・デュリスは最高。(ここ最近の脱加工食品キャンペーンをひっくり返してくれるチャームポイントも好きだ。)
ただのパニック映画ではない
人間がいきなり動物になる奇病が流行っている世界の話。新種の生き物が現れたことによるパニックスリラーかと思いきや、家族愛の話やった。エミール役とお父さんが熱演。
徐々に自分を抑えられなくなるエミールに対し父がした行動が…あのお父さんはとても人格者やと思う。
元が人間だとしても、危害を加える可能性があるとわかった瞬間排除する対象になってしまうのがやりきれない。
コロナの時も思ったが、こういった予期せぬ事態が起きた時に人間の根っこの部分が現れるなと。疑心暗鬼になる人、不安を煽る人、客観的な人、他人に救いの手を差し伸べる人、色々な人がいるけれど自分は冷静でありたいなと鑑賞しながら考えていた(実際難しいけど😅)
お父さんと息子が泣きあうシーンが切なくて…最後の余韻も含めて好きな映画でした!上映館が少ないのが残念。
わんちゃんも名演技でした🐶
鳥人間の悲哀
水島努監督の推薦コメントで作品を知り鑑賞。
獣化していく様、差別、迫害され狩られるのが哀しい。
得体のしれなさは多様性の受容の大きな壁だろうと改めて感じた。
手塚治虫さんのきりひと讃歌や火の鳥太陽編を思い起こした。
鳥人間フィクスとエミール、飛翔までは妙にシュールで可笑しみもあるけど、交流もその後も哀しい。
親父さんや彼女も、エミールも幸せでいてほしい。
半信半疑、からの?
劇場で数回トレーラーを(何気なく)観ていて気になっていた本作。ただ、正直なところ「半信半疑」ではあったものの、第49回セザール賞最多12部門ノミネートおよび第76回カンヌ国際映画祭「ある視点」部門オープニング作品選出、という実績を信じて劇場鑑賞を決めました。公開初日11時25分からの回、ヒューマントラストシネマ有楽町はそれなりの客入りです。
と言うことで、観終わっての感想は「思いのほか良かった」ですし、終わりはちょっと泣きそうになりました。
この手のギミックとテーマは決して新しいわけではありません。ストーリーも実にシンプルで解りやすく、共感を煽るような押しつけがましさもないため、素直に受け入れられます。また、物語中「新生物」と呼ばれる変異体についても、序盤こそ恐怖を感じさせる演出が数シーンありますが、それも一辺倒ではなく、エミール(ポール・キルシェ)の変化と成長に伴って、「出会い、コミュニケーション、信頼関係、友情・愛情」という展開に、自ずと「共生」を願う自然な流れで共感できます。ポール・キルシェ、素晴らしい演技です。『Winter Boy』、私、これ配信待ちにしてしまってまだ未見なんだよな。。今後が楽しみな俳優ですね。
そして、何といってもエミールの父・フランソワ(ロマン・デュリス)の絶対的な家族愛の強さですね。家族の不幸に落胆するどころか、諦めずに家族の幸せを強く願う姿が観ていて実に尊い。全力で妻の名前を呼び、息子が笑っている姿を見ながらこれ以上なく幸せそうなフランソワに涙が誘われます。ロマン・デュリス、今作も最高のアクトです。
その他にも、ジュリア役のアデル・エグザルコプロスを始め、ビリー・ブランやトム・メルシエら、助演も皆さん印象に残る演技で鉄壁の布陣。
いやはや、鑑賞前の不安はどこ吹く風。爽やかな秋の午後を歩きつつ、エミールの未来に希望を抱きながら余韻に浸りました。良作です。
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