動物界のレビュー・感想・評価
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ストーリーが面白い!
人間がさまざまな動物に変異してしまう奇病が発生した
近未来が舞台のアニマライズ・スリラーとのことでしたが、
私には家族愛や人との繋がり、
このような理解が追いつかない事柄が発生したときの立ち居振る舞いなど、
人としての在り方を描いたヒューマンな作品に感じました。
母親を父子で探すシーンや、
ラストの父の決断はグッと胸に来るものがあり、
自然と涙がこぼれました。
動物に変化していく人間の造形も、ストーリーも、
両方が素晴らしかったです!!
新鮮で鮮烈
フランス語で字幕というのは物心ついてから一回もない。恐らく初めての体験だ。
いきなり、ドキュメントのように近未来が始まる。
ついていけない人も多いのではないか。まぁ、そんな人ははなから見ないとは思うが。
でも、違和感あるよね。
慣れるまで少し時間がかかった。
父親役と子役と母親役、三人のドキュメンタリーだ。
父親の愛はぶれない。
例え、母親や子が動物に変わろうとも。
なんという深い愛情だろう。
子と鳥になった人との交流も見ていて清々しかった。
タイトルが動物界なのだから、人間と動物が共存することになるのであろう。
終わり方はこれしかないような気がした。
果たして動物たちは生き延びられただろうか。
前途多難な子供に幸せあれ。
ホラーとは呼べないホラー
一つ間違うと”ゲテモノ”になりそうなテーマと内容だが、むしろ、質の高い近未来ものの映画になっているのではないか。近未来物の佳作というところでは、内容は全く異なるが、ソイレントグリーンを思い出してしまった。それは兎も角、二時間以上のやや長めの映画を、グロテスクな内容と表現にもかかわらず、なぜに飽きさせず見られたのか。一つは、人が動物(映画では、”新生物”と呼ばれているが)になる病気のメカニズムの説明は一切なく、それが、ややもするとこの手の映画が、信じがたい事象を観客に信じこませ様とするあまりに、こじつけの理屈で”臭いもの”になるところを、逆に回避していること。一つは、新生物を、単純に人間の敵と位置付けず、さりとて、同情すべき弱者とも、ヒーローとも描かず、運命として受け入れる存在として描くことで、Real感を出していること、そのほかの要素もあるが、決定的なのは、主演の二人(ロマン・デュラスとポール・キレシュ)の演じる親子が、まさしく名演であること。
説明には、ホラー映画とあるが、決して、ホラーではない。SFもしくはヒューマン映画と呼んで差し支えあるまい。
パパのママを愛する姿勢にキュン
父親の決断に涙
シビル・ウォー、ジョーカー~としんどい良作が続き、「動物界」こちらもずっしりくる良作(バイオホラーではない)。
動物に変異する奇病が流行るが、その時人は…、というもので、隔離や偏見、それによる分断を描く。
だんだん獣に変化する息子を持つ、父親フランソワの決断は涙なしには見ることはできない。
「生きろ」という台詞はもののけ姫以降、邦画では使い捨てのように唱えられてきて半ば陳腐になった感があるのですが、今回は久々に琴線に触れました。
それまで、フランソワが執拗に妻を捜していたのは生存確認でもあるけれど、いわば自分が寂しいからでもあるんですよね。家族が変化して、自分の元にいるよりありのままの姿で生きいてもらうことが、家族にとって幸せなんだとようやく決断する。
たとえその先に、野生において厳しい適者生存のサバイバル生活が待っていようと、自分で選択することの自由を考えると、無理矢理姿をねじ曲げられ、囲われて生活するよりいいわけです。
しかしフランソワが今後、身をもがれるような孤独に耐えることを考えると、やはり同情してしまうわけです。鑑賞後に自分だったら、どうするだろうか?と自問自答させられます。
それにしても人間はなぜ、つかずはなれず共存する、という手段をとれないのだろうか?理解できない存在を憎む必要はない、はず。
平たくいえば愛の物語なのですが、添加物の危険性や改造された森林の脆弱さなど、フランソワの台詞をかいつまんでいくと、愛のレイヤーの下に、人間への天罰という黙示録のようなレイヤーが隠されていると受け取れなくもない。
立ちこめる黒雲や大雨などはメタファーなのかも。
自分の居場所
「ぼくのお日さま」「ロボット・ドリームズ」と言ったように、2024年下半期はミニシアター系の映画が度々話題になるから映画好きとしてはすごく嬉しい。本作も全国上映館20館足らずにも関わらず、話題沸騰で絶賛の嵐。フランスでスマッシュヒットしたらしく、完全にノーマークだったけどこれは行かなければと、慌てて鑑賞。
タイトル、概要を読んだ限り、ゾンビ映画のようなモンスターパニック映画かと思っていたけど、正反対と言えるほど印象が違った。とても他人事には感じられない、リアリティ溢れる恐ろしく苦しい人間ドラマ。これはすごい。不覚にもめちゃくちゃ食らってしまった...。
言わば"見える化"した感染症が猛威を振るってる世界の話であるため、つい最近まで我々の日常を奪ったCOVIT-19のことを想像せざるを得ない。パンデミックが齎す世の中の変化。いまとなっては馬鹿らしい話だけど、あの当時は感染者を人間としてではなく、まるでケダモノかのように社会から遠ざけ隔離し、本作の動物変異の奇病に侵された人々と同等の扱いを行っていた。
だから本作は何もただの創作物では無く、人間の心理描写を動物という形で具現化したノンフィクションスリラーと言える。見た目がキモイ。我々人間様と同じ世界に住んでいい生き物では無い。そんな理由で現実世界との遮断を図る。だが、ここで終わらないのがこの映画の魅力。
一度悪い印象を与えてしまうと、名誉を挽回するのは難しい。人間は未知なるものに対する警戒心が一際強く、たとえ小さなミスだとしても危害を加えてしまったり、悪影響を与えてしまったのなら、そのもの全てが悪いものだというレッテルを貼る。そして、獲物を見つけたかのように過度に攻撃を始める。
「デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション」ではそのような人間の自己中心的な考えと傲慢で悪どい所業が醜く描かれており、あそこまではないものの、本作もかなり被る部分がある。また、「もののけ姫」の〈自然界と人間界の共存〉というメッセージもまたこの映画の根幹にあり、狙いを定めた標的は絶対に逃がさないという、人間の恐ろしさがストーリーに込められていた。
このように、幾度となく描かれてきた普遍的なテーマをベースに置きながら、世界中の様々な映画を通して辿り着いたと思われる、この映画ならではの独創的な物語が全編繰り広げられており、その先に監督が込めた怒りとも捉えられる強いメッセージが、もうズタズタになるほど心に響いてしまった。
人間が動物に進化してしまうSFクリーチャーものとしての面白さももちろんあって、「エイリアン ロムルス」に次ぐ造形美に惚れ込んでしまった。というか、全身の体毛が濃くなったり、乳歯がポロポロと取れたり、爪が鋭くなったりと、進化過程があまりにリアルで震えたよね....。いつ起きてもおかしくない。そんな説得力があった。
面白いとか感動するとか、そんなことすら言いたくない。ダラダラと書いてしまったけど、少しでも興味を持った人は是非とも鑑賞して頂きたい。いまの世界の状況と相まって、色んな感想が湧き上がってくるし、自身の感じたことを話したくなるに違いない。
人間から動物に進化してしまう病が流行っている遠くない未来。人間と"動物人"は果たして共存することが出来るのか。そして、病は終着を迎えるのか。2024年ベストはもう変動することがないと思っていたが、ここに来て衝撃作を目の当たりにしてしまった。。。
どうぶつの森
シンプルな展開と高い描写技術
半獣半人の描写は絶妙で、適度に怖く、適度に可愛く見える。ストーリーはシンプルではあるものの、そのお陰で描写のインパクトをよりストレートに感じることができる。
友達作りが上手い主人公とやや押し付けがましいものの家族を愛する父親、理由なく人を襲わず食料をくれた主人公に礼を言う鳥人をはじめ、世紀末的な設定ではあるものの、主要キャラクターには好人物が多い。
奇病の流行による対立やパニック系のストーリーを期待して観に行くと期待外れとなるかもしれないが、個人的には楽しめた。
エモーショナル
隔離と侵攻の現代に希望を描いた近未来SFパンデミック
過去のSFパンデミックでは
主にディストピアを描いてきたが
本作では近未来のフランスが舞台だ。
夜よりも日中のシーンが多く
暗闇でテーマを曖昧にせず
観客に明確なメッセージを伝えよう
という覚悟を感じさせる。
異質な存在に対して隔離と攻撃の選択肢しか
持ち合わせていない作中の街の人々は
パレスチナ侵攻や数々の虐殺が同時に進行する
現代に生きる我々、虐げられていない者であり、
虐げられる存在にとっての希望は何かを問いかける。
虐げられる存在とそうでない存在。
作中では親子の絆そして青い恋だけが
その隔たりを超える。
変貌する肉体は成長のメタファーとしても扱われ
子が親の元から巣立つという成長物語の側面も
併せ持つ多重構造となっている。
斬新な世界観のエンタメ作品でありながら
痛烈なメッセージを突き刺す名作。
せつなくて泣けた
今年一番泣いた家族ドラマ
困難の中で生きる人たちを描き始めたフランス映画の一作
ハリウッド映画のようなわかりやすい三幕構成ではなく、描きたい主題を突き詰めて映像化した一作。
「ACIDE」や「またヴィンセントは襲われる」と似た質感で、起こっている問題の機序は説明せず、全体的な解決作を描くこともなく、主人公たちが巻き込まれた災難の中でいかに生きるかを描き切っています。
本作においては、多様化する社会とそこで起きる差別の問題に気候変動問題を絡めて動物化する奇病に振り回される人々や社会を描いています。
ハッキリとした答えが出せない問題が増えているからこそ、このような作品を作り続けているフランス映画界に注目しています。
毒も喰らう、栄養も喰らう。
人生初、ポテチをむさぼる父親の姿で泣く。
宣伝映像もポスターもまるでパニックホラーかの様に煽るが、何のことはない「人間界」を描いた映画。
コミニケーションは取れているが、何かが変わっていく歳頃の息子に、親の平常運転が通じなくなっていく様は一般的な訳あり親子の姿そのものに見えたし、
疫病患者差別にも、人種差別にも、いじめ問題にも見えた。無駄にホッコリするフィクスの成長物語が挟まるのも良かった。
近い人の変化にこそ気づき辛いもの。「その時」に抱きしめてあげられる人になりたい。
24-130
悪くない。十分楽しめた。ただ…、ちょっと惜しい感じの映画。
基本観ると決めた映画については、なるべく予備情報を入れないようにするので、今回はボディスナッチャー的に人間がどんどん動物に変わっていくようなドロドロ近未来SFを想像していた。そこは予想が外れたけれど、それはそれでよし。
夫婦、親子の愛情を軸にしつつも「愛は地球を救う」的なベタなアメリカ映画みたいな押しつけがましいくどさは無く、自然に感情移入できるちゃんとしたシナリオです。
動物化した人間たちのCGも中々だし、上記家族愛の他にも、太古より耐えることなく続いてきた人間様の動物虐殺、また同じ人間である障碍者や宗教的異端者に対する迫害の黒歴史に対するクリティカルなメッセージがしっかりとあって、被迫害者に対する理解を示そうとする人間もバランスよく登場させるなど、娯楽作品とはいえやっぱりヨーロッパの映画はちゃんと人間が描けている。
色んな意味で、何と言うか、「いい映画」だと思った。
ただ、母国セザール賞で多くのノミネーションを得ながらも、主要部門では受賞できなかったのが、この映画の出来を正しく評価していると言っていいのかな。
「惜しい!」と言ったところか。
ただ、十分元は取れました。
映画とは関係ないけれど、少ない観客の中で、上映開始から終わりまでずっと袋の音やらガサガサ音を立てて飲み食いしている輩がすぐ後方に居て参った…。
あいつは何の動物に変化しつつあるんだろう。
フランスから現れたクローネンバーグの継承者!!濃密なフレンチ臭漂う掘り出し物の快作。
おおお、面白いじゃないか!
SF要素、CG要素、SFX要素は最小限に抑えて、
ちゃんと「フランス家庭映画」してるし、
ちゃんと「フランス思春期映画」してる。
しかも、テーマはデイヴィッド・クローネンバーグを継承している!
「異形へと肉体的に変容していく人間の社会的疎外と孤独、アウトサイダーの苦悩を描く哀しみ色のホラー/サスペンス」。
これはまさにクローネンバーグが、『シーバース』『ラビッド』『ザ・ブルード』『ヴィデオドローム』『デッドゾーン』『ザ・フライ』『裸のランチ』などの、俗に「ボディ・ホラー」と呼ばれる諸作品を通じて、繰り返し思索してきたテーマに他ならない。
うーむ、こんなところにクローネンバーグの正統なる後継者がいたなんて。
観に来てよかった!
人間が動物化する世界を描いたフランス映画というから、やっすいCGを多用した劣化版の『アバター』とか『ジュマンジ』みたいな、アメリカ映画のチープな模倣(たとえば日本でいえば映画版『進撃の巨人』のような)になっていたらどうしよう、と危惧しながら足を運んだのだが、しっかり「フランス映画の得意なジャンルと描写」を踏まえた上で、「動物化」のモチーフから引き出し得るテーマを網羅した佳品に仕上がっていて感心した。
①フランス映画としての『動物界』
とにかく、SF要素を除けば、驚くほどに「ふだんよく観るフランスの家族映画/青春映画」のテイストをまっすぐ引き継いでるんだよね、この映画。そこがすごく良い。
ちょっとがさつだけど漢気のあるお父さんと、
内気だけど思春期性の高い少年の組み合わせ。
両親の間に、何らかの難しい問題がある設定。
(通例は離婚の危機があったり、愛人がいたりする場合が多いが、今回はべた惚れしてる恋女房が病で人格を喪いつつあるというパターン)
やたらと暑苦しいボディタッチと親愛の表現。
親の季節労働と田舎への転出、少年の転校。
うーん、めっちゃフランス映画だ。
あと、フランス家族映画の半分くらいは、親の運転する車に子供が乗っているオープニングで、そのあと、子供がさっそうと自転車で学校に行くシーンが出てくるものなのだが、『動物界』もそこはちゃんと外さない。フランスでは、トリュフォーの『あこがれ』以来、自転車は少年少女の思春期性を示す重要なアイコンなのだ。
学校でのカーストの在り方や、親の労働の様子、子供のバイト、森での水遊び、キャンプ生活、性の目覚め、犯罪への加担、逃亡と解放……本当に、フランス映画が「得意」としている生活感や思春期性の描写を、期待通りに丹念にこなしていく。
かなりぶっとんだネタのSF映画なのに、しっかりと地に足のついたフランスらしい家庭映画を観ている充実感がある。ジャック・ドワイヨンとか、クロード・ミレールみたいな監督が、SF撮ってみたらこんなふうになりそうな(笑)。
そもそも、鳥人間が空を飛べて「自由だ!!!」とか、ラストの解放感(ただし濃厚に破滅の香りが漂っている)とか、結局、トリュフォーの『大人は判ってくれない』で主人公が少年院を脱走して海に至るラストと、やってることはまあまあ一緒だものね。あるいは、とってもアメリカン・ニュー・シネマ的ともいえるのか。
②クローネンバーグの後継者として
クローネンバーグにとって、精神の変容は肉体の変容を意味し、肉体の変容は社会からの逸脱を意味した。彼の映画における主人公は、内的変化の結果、だれしもが一目見てわかる身体的な異形化を起こし、社会から疎外され、ひとり孤独のなかで滅びの道を歩んでいく。
「動物化」という意味では、まさに『ザ・フライ』(『蝿男の恐怖』のリメイク)が同じモチーフだが、腋に生えた吸血触手で相手の血を吸わずにはいられなくなる『ラビッド』や、相手への怒りがそのまま受胎につながって、マザーエイリアンのようにぼこぼこ怒りの侏儒を産み落とし続ける『ザ・ブルード』など、「身体変容」の恐怖は他作でも顕著なクローネンバーグの特徴である。
本作の監督であるトマ・カイエは、まさにこのテーマを引き継ぎ、自作にて展開しているわけだ。
本作における「身体変容」は、世界同時多発的な「病」として設定されており、当然ながらコロナを彷彿させるところがある(ちょうどコロナの時期に脚本の執筆と撮影準備が進められたという)。中高年で発症しているお母さんのラナ(冒頭ではナマケモノだと思い込んでいたが、終盤で巨大化して登場して、なんだこの動物?ってなったが、パンフによれば熊らしい)や、同じくオッサンである鳥人間のフィクスのような人間もいれば、子供なのに発症しているカメレオン娘のようなケースもある。
ただ、主人公の少年エミールの物語としては、身体変容は思春期特有の性の目覚めであったり、性徴の発現であったりの「性的成熟」とパラレルな現象として象徴的に描かれているように思う。
あと、「動物界」というタイトルと、一斉動物化というSF的設定で見えづらくなっているが、ことエミール少年だけに限定していえば、本作は至極まっとうで王道を往く、典型的な「狼男」映画でもある。
一方で、お母さんの動物化や、しゃべれなくなっていく鳥人間の様子からは、われわれが日常生活のなかで直面する、家族の「老い」や「病による変化」「介護」といった問題も同時に語られていることがわかる。
「相手が相手でなくなっていく」恐怖。
それは、「自分が自分でなくなっていく」恐怖と同じくらい、切実で悲痛なものだ。
本作では、その「異形化」のプロセスと家族の心の揺れを、「動物化」というキャッチーでシンボリックなネタに「読み替える」形で表現しようとしているといっていい。
さらには、動物化現象の結果生まれた「新生物」が阻害・迫害される流れを見ると、「新生物差別」は、身体障碍者や発達障碍者、異人種への差別のメタファーとしても機能しているように思われる(実際、ADHDを自称する少女ニナが、少年と関係をもつ重要な役回りで登場し、動物化による周囲との違和と、発達障碍特有の「生きづらさ」がパラレルな要素として語られている。また、作中ではロマに言及される瞬間も出てくる)。
異形化した存在は、正常な社会から「脅威」として疎まれ、恐れられ、捕獲され、隔離され、抵抗すれば問答無用で射殺される。
相手を制圧し、抹殺しようとする「排除の意思」のおおもとにあるのは、じつは民衆の「自衛」の意識――とくに「家族を守りたい」という当たり前の想いだったりもする。
そういう「正しい」自衛衝動が、集団化するなかでやがて「排他」となり、「掃討」となり、苛烈な「浄化」思想へとつながっていく。それはまさにかつてのユダヤに対するナチスや、現在のハマスに対するイスラエルの在り方に通ずるものである。
ただし本作では、そういった新生物たちへの「虐待」「抑圧」について、必ずしも声高に否定することなく、あくまで「突然始まった対処しがたい状況に対して人間が示してしまう過剰反応」として、フラットに描こうとする姿勢が顕著だ。
価値判断抜きで、「現象」として動物化をとらえ、そこから引き出しうる要素をなるべく見逃さずに「拾う」ことを何よりも重視する感覚。人間にも新生物にも肩入れせずに、共感をもって物事を語ろうとするスタンス。
それは「分断」の時代に生きる表現者の、新しい「道徳」であり「流儀」であるのかもしれない。
③「動物化」というモチーフについて
日本の創作文化だけで見ると、「獣化」ないしは「動物化」という題材は意外になじみがないかもしれない。
かつては水谷豊の『バンパイヤ』のような「狼男」ものもあったし、最近のプリキュアみたいに、鳥やら犬やら猫やらが人化・プリキュア化するケースもあるが、あれらはどちらかというと「獣化」「動物化」というより「変身」の領域に属するものだろう。内なる獣衝動にさいなまれながら、さまざまな動物たちが共生する『ビースターズ』あたりが世界観としてはむしろ近い存在かとも思うが、現代日本のエンタメにおいて「動物もの」が主流を成すとはとてもいいがたい。
一方、欧米では、狼男伝説をベースにしたと思しき「獣化する人々」が出てくる「アーバン・ファンタジー」と呼ばれるジャンルが巨大な規模で存在し、なかでも、超能力者やヴァンパイアや獣人族が種族間で恋愛したり事を成したりする「パラノーマル・ロマンス」と呼ばれるカテゴリー・ロマンス群が、何百冊と書かれて広く人口に膾炙している(よくわからないが『レディホーク』あたりが源流なのだろうか?)。一般に爆発的に売れた例としては『トワイライト』なんかもそうで、あれのサブ主人公は人狼である。
よって、豹族の女と狼族の男が愛し合ったり、ホークマンと人間の女が恋に落ちたり、という展開は、ロマンス・ジャンルではしょっちゅう出くわすパラノーマルの類型であり、フランス人にとっても「獣化」自体はそう珍しい題材ではないのではないかと思う。
このように、欧米のエンタメ・カルチャーでは獣人化ネタがじゅうぶん成熟している。このことと、本作において「動物化」というモチーフがうまく活用されていることは、もちろん無縁ではない。
若干、テイストが一貫しない部分もあるし(特に鳥人間と友情を交わすシーンは、エピソード自体は面白いけど、全体のカラーのなかでは浮いているし、流れを壊していると思う。女性憲兵隊員とのうざ絡みも、果たしてどれくらい必要だったか)、引っ越してからの展開には、ちょっとこれでいいのかな?と思わされるところも結構あったけど、展開を先読みしづらい内容でどうなるか終始ドキドキしたし、何よりあっという間の2時間だったので、総じて言えばとても良い映画だったのではないかと思う。
以下、寸感を箇条書きにて。
●お父さん、どこかで観たことあるなと思ったら『パパは奮闘中!』の人か。今回もまさに奮闘しっぱなしで、宛書きみたいな感じでしっくりきてました。
●息子役のちょっと米津玄師みたいな子は、顔立ちからしてロバかアルパカに変身するのかと思ったら、狼だった。というかいきなり動物になる病気だとはいっても、母親が熊で息子が狼とか不可思議すぎる。遺伝子関係ないんだ……。
●個人的にとても愛らしかったのが、ものを必死で投げつけてくるタコ人間。タコとかカマキリみたいな下等生物にまで動物化しちゃうんだ(笑)。 非知性的なクリーチャーを引き当てちゃったら、運命ルーレットとしては最悪だよね。
●飼ってるわんこ(アルベールだっけ?)が最高にかわゆい。毛の生え始めた肩のところぺろぺろぺろぺろ舐めまくったり、一緒にお風呂に飛び込んできたり。飼い主が狼に変容しつつあることで同族意識が高まってるのか、相手の哀しみを分かち合おうとしてくれてるのか。うちの実家で飼っていた犬も、母親が体調を崩してうなってるときに、必死でぺろぺろ舐めてやってたなあ。
あと、バキュンで倒れるのもかわゆすぎる。
●終盤に出てくるお祭りは、実際に南仏であるお祭りなんだろうね。竹馬乗ったり、甲冑着てバトったりなかなか楽しそう。
●出だしの病院で、座椅子の奥にアリクイの新生物が座ってて舌をちょろちょろしてるシーン(最後までピントを合わせない粋な演出)があって、すげえデジャヴを感じていたのだが、脳内を検索したら『プリンセスチュチュ』のアリクイ美だった(笑)。
考えてみると、あのアニメは「おはなし」に汚染されてしまった金冠町で一部の人間に変容が起きて、アリクイになったり猫になったり(猫先生!)する、まさに「動物化」の物語だった。そして、もとはアヒルだった少女が、プリンセスチュチュに変身して王子様に恋をしてしまうという、「人間化」の物語でもあった。
●ポテトチップスで出だしと終わりを締める演出、エミールの動物化の予兆として「自転車に乗れなくなる」「ペンでサインが書けなくなる」シーンが出てくるなど、さりげに「小道具」の使い方がうまいのは印象に残った。
これって、たしかに狼に自転車は乗れなさそうだけど、熊のお母さんならまだ乗れるんだろうか(笑)。
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