「前半後半テイストは異なるが、はるか離れた日本から見ても良い作品。」ジョン・ガリアーノ 世界一愚かな天才デザイナー yukispicaさんの映画レビュー(感想・評価)
前半後半テイストは異なるが、はるか離れた日本から見ても良い作品。
今年361本目(合計1,453本目/今月(2024年10月度)12本目)。
※ (前期)今年237本目(合計1,329本目/今月(2024年6月度)37本目)。
原題と大きく離れたタイトルですが、そこは気にしなかったかなといったところです。
前半こそファッションショーがどうこう、ディオールが…といった女性ウケしそうなファッション映画、あるいはファッションものドキュメンタリー映画に見えますが、後半からその問題となったいわゆる差別発言によって刑事的にも社会的にも(あるいは民事的にも)制裁を受けて「消されていく」存在を描くストーリーになります。この点は日本と違いも多々あるので後述します。
結局のところ、差別発言が良くないというのは当然の理である一方で、ドキュメンタリー映画の趣旨の「言い分」にもあるような「異様なまでの働きぶり」がそれを招いたのもまた事実だし、あるいは診断名までついてやんでいた状況において、明らかに確信的な意図をもって放った差別と同じく扱ってよいのか、という点は問題提起としては残るかなと思います(この点も後述)。
概して前半後半とで大きくストーリー性が違う部分があり、ドキュメンタリー映画の様相といってもかなりの部分で知識勝負となる部分があり、映画に娯楽性を求めるかどうかで見るみないは大きく違うと思いますが、個人的には良い作品かなと思ったところです。
採点に関しては以下に述べることにして、日本との差異については後述します。
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(減点0.2/光の点滅が厳しいところがある)
ドキュメンタリー映画で、一部当時のフィルムも使っており、当時の差別発言から法廷に引っ張りやられるところ、マスコミの「洗礼」を受けるシーンほか、これら後半の部分についてフラッシュの連続となるところがあります。ただこれに関しては映画の事情上仕方がないので評価上調整はしています。
なお、問題となった「差別表現」について、映画フィルム上ではその「口の動き」にあたる部分に「ぼかし」がかかっている(字幕は正常に出る)点が興味深かったです(おそらく海外ではこの点も差別には容赦なく対処するというあらわれなのだと思います)。
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(減点なし/参考/日本との異同について)
日本ではこの映画で取り上げられる事情については、中学高校の歴史で多少扱う程度で多くを扱いませんし、日本ではそもそもその「当事者」がいないので問題視されることはほぼありません。一方で海外では当事者が普通に現在でも住んでいますので小さいころからこの問題は必ず何度も何度も教えられ育ちます。そのため、「知らなかった」という言い訳ができないようになっているわけです(映画の論点の一つはここにある)。
一方、日本ではこれら、この映画で論点となっていることも含め、主要な差別問題として論じられる点については、日本ではいわゆる在日韓国籍の方の問題やクルド人当事者等が代表的にあげられますが、これとて日本では中学高校で扱う程度であり、深く知ることはありません。そのため、日本では「よくわかっていないのに加害行為を行う(=趣旨を理解しないのに差別発言を行う)」ということが起きます。当事者からすると「落書きレベルか」というレベルでしょうが、それでも傷つく人はいます。一方で加害者の側も「よくわかっていない」のに「周りがそういうから」「いわゆるSNSのインフルエンサーに感化されて」といったように自主性を持たない状態での「背景なき差別」あるいは「趣旨不明な差別」が一定数存在します。
これについて深く教えることは重要ですが、その「深く教える」ことがより差別を助長するという考え方もあり、日本ではこの点の議論がかなりタブー視されている部分があり、一概に「インフルエンサーに感化された」等という10代20代の「小さい」子や成人を強く責めることができない事情も確かにあります。
日本ではこれ以外にも、身障者への差別や特定の職業に対する差別ほか、いくつかの「差別」がありますが、それらを深く学習する機会がそもそもないので「知らなかったではすまない」の言い分を封じる封じない以前に「そもそも知らなかった」あるいは「言われて初めて気が付いた」レベルが普通に起きるのが大半である点が差別のやまない根本原因である一方、深く教えれば教えるほどまた「意図的に知識をもって暴れる」ことになりますので、このあたりはもはや文科省ほかをトップとした国策のレベルになるのかな、といったところです。