憐れみの3章のレビュー・感想・評価
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ランティモス監督が久々のオリジナル脚本で、相変わらずヘンテコな不条理コメディなのが嬉しい
ヘンテコで不気味な異色作を撮り続けているヨルゴス・ランティモス、と「女王陛下のお気に入り」のレビューで書いたけれど、原作物の「女王陛下のお気に入り」「哀れなるものたち」がヴェネチアやオスカーの主要賞をいくつも獲ったあとにオリジナル脚本で臨んだこの「憐れみの3章」でも、ぶれずにヘンテコさをさらにパワーアップさせた映画を見せてくれるのが嬉しい。
ジェシー・プレモンスは過去の出演作ではあまり注目していなかったが、「憐れみの3章」での情けない感じは見事にはまっている。彼がマット・デイモンとフィリップ・シーモア・ホフマンに似ているのはこれまで大勢に指摘されていたようだが、今作で似具合がさらに増したのではないか。ホフマンが存命だったら3人で家族役(歳の離れた兄弟か、歳の近い親子)をやってほしかったが、実現せずに残念。彼が警察官を演じた第2話、同僚とその妻と3人で家飲みをしてから鑑賞する“ホームビデオ”で、一瞬唖然としたあと、品がないと自覚しつつ爆笑してしまった。
出演陣はいずれも素晴らしいが、3話で死者の蘇生を試みるアナ役、エキセントリックなムードを漂わせる美女ハンター・シェイファーが特に印象に残った。今年8月に米公開されたホラー映画「Cuckoo」で主演したようで、日本でも早く鑑賞できるようになるといいなと願う。
ランティモスの不条理の中に
『女王陛下のお気に入り』『哀れなるものたち』で間口が広くなった感のあるヨルゴス・ランティモス。
この2作も充分異色作だが、ギリシャ時代はもっと怪作だった事は言わずもがな。
ギリシャ時代に組んでいた共同脚本エフティミス・フィリップと久し振りに組み、この不穏さ、この異様さ、この恐ろしさ、この胸糞悪さ、このブラックさ、このシュールさ、この難解さ。
3本立てのアンソロジー。それぞれが全く別の話。
エマ・ストーン、ジェシー・プレモンス、ウィレム・デフォーらもそれぞれで別の役柄。主役になったり、脇に回ったり。プレモンスは各エピソードで役回りは大きく、実力を遺憾なく発揮。
“あの頃”のようなランティモス・ワールド再び。一つ約50分前後のランティモス中編作品を3本もまとめて見れる。
ランティモス好きにとっては贅沢この上ない。
そうでなかったら…。これも言わずもがな。
愛や支配を元に描かれるのは…
人生を取り戻そうとする選択の余地のない男の話。
海で行方不明になって別人のようになって帰ってきた妻を恐れる夫の話。
特別な精神的指導者となる人物を探そうとする女の話。
一、R.M.F.の死
ロバートは会社の上司レイモンドに絶対服従。毎日のルーティンも読む本も夜の営みも。一人の男を衝突事故に見せ掛けて轢き殺すよう強要されるが、さすがに恐れをなして断る。信頼を失い、再就職に失敗し、妻もいなくなり…。ある時バーでリタという女性と出会うが…。
最初はどういう話なのかまるで分からず。途中あらすじ詳細の助けを借りてようやく話が分かった。
リタもまたレイモンドの息の掛かった女性。信頼取り戻しとリタの失敗を挽回する為に、ターゲットの男を轢き殺す。ロバートは信頼を取り戻すが…。
出会った女性まで支配下。レイモンドは何者…?
ターゲットの男R.M.F.すら謎のまま。
ラストシーン、信頼や愛や人生を取り戻したかのように見えるロバートだが、その心中は…。
最初はよく分からなかったが、最後は皮肉と不条理さにいい意味でモヤモヤした。
一、R.M.F.は飛ぶ
警官ダニエルの妻で海洋学者のリズが海難事故で行方不明に。ダニエルは心配で堪らない。救助されたとの報せが。喜ぶダニエルだったが…。帰ってきたリズは食の好みや趣味や強引な性欲など以前とはまるで変わり…。帰ってきた妻は別人では…? 疑心暗鬼に陥ったダニエルは妻を恐れるようになり…。
比較的入り口が分かり易かったのがこのエピソード。だが、帰ってきた妻は本物か別人か…ランティモスはそんなよくある設定にしない。
遭難中リズに何があったか…? 挿入はされるが(カニバリズム的な…?)、確かには描かれない。
リズよりダニエルに焦点が置かれる。ダニエルは次第に狂気に取り憑かれ、仕事で不祥事を起こし、リズには…((( ;゚Д゚)))
ラストシーンがまた難。ダニエルの妄想とされているが、真意は分からない。
入り口は最も入り易かったが、出口で見る者を迷わせる。戦慄ホラーでもあった。
一、R.M.F.サンドイッチを食べる
最もよく分からなかったのが、これ。
あるカルト宗教団体。エミリーは次の指導者となる運命にある特別な人物を探す。
夫や子供もいるが、近くに寄っても顔を見せる程度で、ほとんど省みず。現指導者には身も捧げる。狂信的に。
誘拐~拉致。してきた人物をコミュニティーにあるサウナへ。蒸したその身体を現指導者が舐める。
『ミッドサマー』的なその異様さに“?”が幾つあっても足りない。
ラストも唐突に。エマのキュートなダンスも含め、とにかくシュールであった。
長尺で難解。ブラックなユーモアと恐ろしさあり、強烈なインパクト。役者陣の怪熱演と奇才っぷり。昨今だとこれまたアリ・アスターの『ボーはおそれている』を見た時のような…。(2024年屈指の怪作のあちらよりかはまだ間口は広いかもしれないが…)
ジャンルはブラック・コメディとされているが、私的には不条理ホラー。精神を舐め回すような、何か嫌なものを見たなぁ…という感じの不快感。音楽がまた神経を逆撫でする。
だから好き嫌いははっきりと。
好きな人にはお帰りなさい、THEランティモス!
合わない人には…、鬱に陥る160分強。
私的には各エピソードによって違いもあるが、正直、よく分からなかった。原題の意味(親切の種類)も…??
ひょっとしたら、それすらもランティモスの手中なのかもしれない…。
同じ俳優で3つの物語
もう一つの「ボーはおそれている」
長尺、難解、ブラックコメディ、R指定。
なんだか「ボーはおそれている」を彷彿とさせる映画だった。
選択肢を奪われながらも自分の人生を取り戻そうとする男、海難事故から生還した妻を恐れる警察官、ある能力を備えた特別な人物を探す女を巡る三つのストーリーで構成される。
まさに怪作中の怪作。
個人的に好きなのは、「R.M.F.は飛ぶ」の例のビデオ鑑賞会。
なんだよ思い出のビデオくらい見せてあげろよ、旅行で観光地を楽しむ映像でも映ってるのかなー、あーでも奥さんを思い出してしまうから諌めているのかなーと、思いきやからの、あの地獄のビデオ鑑賞会。
でも、どこか苦笑してしまうという、やはりランティモス監督の露悪性は健在だ。
それにしても「哀れなるものたち」と同年に公開というのも驚きではある。
ランティモスな夢を見た
予告でも使われていたユーリズミックスの名曲"Sweet Dreams (Are Made of This)"は本編冒頭でも流れるわけで、それは本作が何より夢(について)の話であることを示している。で、実際に観てみると、コレほどピッタリな曲も無いなと思うくらい歌詞が言い得て妙な胃もたれ必至のランティモス全部乗せ。飼われて、疑って、捜して。夢と妊娠、魚より肉バーガー。ファックはいつでも絡んでくる?言ってしまえば過激なベストアルバムあるいはコンピレーションみたいな作品。
では、それが誰の(見る)夢かと言えば、この社会・世界に【生きづらさ】を感じて【自分の居場所を探す】者にとっての夢だ。だからこそ観ていて感じるこの監督特有の窮屈さ・息苦しさ。こんな厄介な本作をクリスマス当日に配信開始するという確信犯っぷり!まさしく一見脈絡なくもそれぞれに毒っ気満載に浮かび上がる作品のテーマにも則る・沿っているだろうか。別に非リア充や独り者に限らず、世間が浮かれるタイミングにそれを素直に楽しめないでいる全ての人に向けたプレゼントだ(という意味では自分が創作に向ける原動力とも奇しくも重なる)。
奇妙にヘンテコ、そして時折ものすごく痛そう。厭世的というか人間嫌いというかとにかくクレイジー。シュールでどこかおかしい緊張感と歪さはじめヨルゴス・ランティモスによる彼らしい不条理に満ちたイカれたブラックユーモアに彩られた作家主義(ゆっくりと引いたり寄ったり魚眼レンズ気味に湾曲する広角レンズ使ったり)、監督らしさ全開のユニークな作風の中で、毎章痩せては髪の毛も短くなっていくジェシー・プレモンスなど豪華アンサンブルキャストが魅せる。3章目のエマ・ストーン、ウィレム・デフォー然り。
【1章】
痩せたか?
子供、事故、そして構ってほしいがための"振り"で本当に自分を傷つけてしまう必死さが愚かしいのだけど他人事じゃない怖さもある。得たもののためにどこまでてきるか、手放したくない必死さに常軌を逸した願いも聞き入れてしまうのか
【2章】
誰だ?聞こえないぞ
着信音、チョコとラム、そして生還した妻の様子がどこかおかしいと感じる夫。陰謀論・疑念が身を滅ぼすのか…。飢えて気づいた、食わず嫌いせず食べられるものは食べられる時に有り難く食べておけ。
【3章】
喉が渇いた
水、モーテル、そして教祖の涙で清めた聖なる水しか飲めない水分カルト教団の救世主をめぐる人探し。『哀れなる者たち』のぎこちない動きから抑えられぬ本能のまま身体が躍動するようにダンスを覚えていくダンスシーンも圧巻だったが、本作でもまたエマ・ストーンが素晴らしくアイコニックなダンスシーンを見せてくれる!
面白かった、けどこの邦題はどうなんだろう?
上司と部下、夫と妻、教祖と信者のクローズドの関係性で理不尽な要求と依存継続との「アヴォイダンスvsアプローチ」、「虎穴に入らずんば虎子を得ず」の葛藤に「そんな阿呆な(笑)」と一蹴してコメディとして楽しめました。
「理不尽と道理」、「拒否と承諾」の組合せ4象限の中心を自分の身の廻りで考えると「ポイントカード」が思い浮かびました。<カードを作らないと割引されない理不尽さ>と<利益還元・顧客囲い込みの道理>、<カードを多く持ち歩きたくない気持ち>と<割引される絶対的な魅力>。諦めることで"失う利益"と"得られる自由"、この映画はその葛藤を"命"まで高めて感情に訴えたのだと思いますが評価が芳しくないところを見るとシナリオが突拍子なさすぎたのかも知れません。
それはそうとランティモス監督の前作「かわいそう(Poor)」今作「優しさ(Kindness)」と来て、もしも次作を「感情の3部作」と銘打って「怒り(Angry)」とか「喜び(Delight)」とか原題に付けられるような事があったら「哀れ・憐れ」で来た邦題はどうするんだろう、と心配になります。
Three dreams are made of this
10/3@ユナイテッドシネマ新座、11/6@渋谷シネクイントにて計2回鑑賞。
ヨルゴスランティモス監督の映画は今回が初鑑賞。
鑑賞後は不気味なものを長時間集中して見続けたせいか、気分が悪くなってしまった。
しかし、つまらなかったという感覚ではなく、ところどころのシーンが断片的に思い出されて、あれって結局なんだったの?が頭の中をめぐっている状態が続いた。
この映画はYoutubeチャンネル「映画の伏線回収」で細かい解説動画があり、それを視聴してなんとかもやもやを解消できた気がする。
本作は、題名通り3つの物語で構成される。すべて全く関連のない物語であるが、俳優が別のキャラとして物語を飛び越えて登場し、RMFという人物のみすべての物語に同じ名前で登場するという特徴がある。
まず、本作は監督が戯曲アルベールカミュ「Caligula(カリギュラ)」に着想を得たものと言っている。(カリギュラとは、ローマ帝国第3代皇帝であり、有名な暴君ネロの叔父にあたる。性的倒錯(兄妹との近親相姦)や支配的な政策をしたことで有名。)カリギュラのような支配的なことが行われる状況でなぜひとはそこから逃げ出さないのか、という点に疑問を持ったことから本作は展開されていく。
オープニング曲のEurythmics「Sweet Dreams are Made of This」。この曲の歌詞がまさに本作を理解するうえで最も重要な内容となっている。以下一部抜粋。
Some of them want to use you (あなたを利用したい人がいる)
Some of them want to get used by you (あなたに利用されたい人がいる)
Some of them want to abuse you (あなたを苦しめたい人がいる)
Some of them want to be abused (あなたに苦しめられたい人がいる)
これが本作で出てくる人物たちの構図になっている。
1. THE DEATH OF RMF(RMFの死)
すべての予定を管理される男の物語。主人公(ロバート)は上司(レイモンド)にすべての予定を管理されている。予定といっても、ふつうはその日のおおまかな仕事内容や時間だと思うが、ここで出てくるものはそれとは別次元であり、分刻みのスケジュールから、妻との性生活、読む本、さらには住む家、生活のすべてを管理されている。レイモンドが交通事故を起こすように指示を出したところで、ロバートはそれだけはできないと言い、クビにされてしまう。ここからストーリーは動いていく。ロバートは転職活動や妻に今までの経緯を説明するが、何をしてもうまくいかない。10年もの間すべてレイモンドからの指示で動いていたため、自分で判断してうまく動くことができない。観客からすると、イカれた上司から離れることができてよかったな、ここから頑張って自力で頑張ってほしいなと思うが、ストーリーは真逆に進む。ロバートはレイモンドの元に戻るため、指示された交通事故の相手(RMF)を車で轢き殺してしまう。その後、レイモンドに抱擁され、この物語は幕を閉じる。
この物語はわかりやすく支配するものとされる者が登場する。そこでこの支配的な状況から逃げ出さず、また逃れるチャンスがあったにも関わらず、その状況に自ら戻ってしまう。まさに、カリギュラの独裁的状況から逃げ出さない市民の構図と全く同じである。たしかに、この物語は極端すぎる例を示しているが、例えば、一般企業に勤めるサラリーマンも同じような構図ではないだろうか。支配することができる雇用者と指示を受けていれば生活が保障される労働者。労働者は大きな変化をおそれ、自身で判断することをやめる。この物語は非常に極端ではあるが、ごく身近な労働者の延長線上にあるものを表しているように感じた。
2.RMF IS FLYING(RMFは飛んでいる)
妻が入れ替わってしまう物語。主人公(ダニエル)の妻(リズ)は海洋調査の途中で事故にあってしまうが、なんとか一命を取り留める。リズはRMFが操縦するヘリで無事家に戻るが、ダニエルはこのリズは本物のリズではない、と思い拒絶してしまう。それを表現するシーンが何度も登場する。例えば、飼い猫がはじめて会ったかのように威嚇をする、嫌いだったはずのチョコレートケーキをバクバク食べてしまう、靴のサイズが合わない、好きな音楽のセンスが変わっているなど。どれも別人と判断できる微妙なラインであり、観客からすると、別人疑惑のリズとそれを拒絶するダニエルのどっちが正しいの?という疑問を抱いたまま話は進んでいく。物語序盤では、別人のリズがなにかを企んでいるんだなという雰囲気であるが、後半になるにつれて、ダニエルのリズに対する異常な行動や言動が目立つようになってくる。最終的にダニエルがリズに、君の肝臓が食べたいと言い出し、リズがそれに従ったことでリズは死亡してしまう。リズの死亡直後、もう一人の容姿のまったく同じリズが登場し、ダニエルと抱擁し、この物語は幕を閉じる。
この物語は、支配者がダニエル、被支配者がリズだろう。1では雇用者と労働者、この物語では、夫と妻でその構図は出来上がっている。ただ、1と異なる点として、この物語の支配には愛がなく、本物のリズに対する愛の裏返しとして帰還したリズがその嫌がらせのような支配を受けている。別人と思わせるシーンについては、例えばリズが妊娠をしていて、食事の好みが変わったり、足が浮腫んでしまって靴が入らなかった、など可能性としては考えられる。些細な変化を恐れる人間は、愛のない支配によって妄信する妻を殺してしまったのである。
3.RMF EATS A SANDWITCH(RMFはサンドイッチを食べる)
蘇生能力を持つ人間を探す物語。ある宗教団体からの依頼により、主人公(エミリー)は同僚(アンドリュー)と協力し、いくつかの手がかりをもとに蘇生能力を持つ人間を探す。2人が所属するその宗教団体では、教祖(オミとアカ)としか性行為を許されていない。ところが、エミリーは元夫に睡眠薬を盛られ、性行為をしてしまい、宗教団体から強制的に脱退させられてしまう。そこからエミリーはその宗教団体に戻るため、単独でその人物を探し出す。最終的にその人物がRMFを復活させたことにより、特定に成功するが、エミリーが運転する車の交通事故によってその人物は亡くなってしまうという物語。エンドクレジットでRMFがひとりでテラスのような場所でサンドイッチを食べるところが描写される。
この物語では、支配者は宗教団体、被支配者は信者だろう。1から3ですべて異なる関係でこの主従関係になっていることがわかる。ここでの支配は、1に近い形であり、支配から抜け出せたものが、もう一度その支配下の置かれたいために努力する形になっている。この宗教団体では「水」に関するものが随所に登場する。例えば、飲料水を非常に重要視する、性行為をしてしまったものの汗で穢れを判断する、涙を池のようなところで貯めている、船の名前はH2Oであることなど。蘇生能力を持つ人物はプールで双子の妹を亡くしたことで人間を復活させられるようになったのも、水に関係があるように思える。作品中でこれに関する詳しい説明は出てこないが、生命の起源=水という解釈が自然な気がする。また、1ではRMF、ここでは蘇生能力をもつ人物が犠牲になっている。この物語のみ、犠牲者が出たことによるバットエンドを迎えている。1の題名RMFの死に対応する形で、この物語でRMFは復活するが、サンドイッチを食べるということが復活を表しているのだろう。
3章を通して…
すべての章で支配するものとされるものが明確に描かれている。また、共通して支配されるものはその状況に固執し続ける。まさに監督が着想を得たカリギュラの世界、オープニング曲の内容そのままといった印象を受けた。正直内容自体はすべて異常性があり、倫理観は存在していない。しかし、165分という長い上映時間が苦にならず見れたことは、ストーリーに無駄がなく、示したいことを描くには必要最小限のシーンとセリフにまとめているからだろう。
今でも本作のオープニング曲が頭から離れない。ヨルゴスランティモス監督の作品は初鑑賞であったが、安易には観られないなと痛感した。
本作品には考察できる部分がまだまだある。時間があるひとには、ぜひオススメである。
喜びの踊り〜第3章より
意味がわからん
哀れなるものたち→女王陛下のお気に入り
からの3作目です。
前作である程度、
この監督の作風
エロ、グロ、不協和音な音楽、不道徳…
に対する免疫はあったうえで。
ひたすら変なものを見せられます。
哀れなるものたちは爽快感のある結末とメッセージ性がありましたが、こちらは何を言いたいのかよくわからず。
濃縮されたヨルゴスランティモス節を堪能できますw
作り込まれた映像美、エマ・ストーンのきれいなおかおとダンス、前作でも出演してたマーガレット・クアリー、ザ・メニューでみたミステリアスなホン・チャウは魅力的。
過激に性的なシーンも多いですが、前作と同じく滑稽に撮られているのでエロくはない…
RMFは登場人物の人間関係にはかかわらない狂言まわし的な役割。
自ら支配されることを選び、そこに愛を求める愚かさや滑稽さを煮詰めて戯曲化したような作品でしょうか?そういう人を見つめる支配者の眼差しとしての「憐れみ」でしょうか?
キリスト教や英語の文脈がいまいちわからん。
2時間45分は長いっす。2回目は観られないかな〜
追記メモ
・夢の中?神話?みたいに、つじつまが合わないものとして観る
・2章の結末での2人目のリズは、1章のロバートと同じように、無茶振りを受け入れて従い、その結果迎え入れられた、ということの比喩的な表現なのではないか。死んだのに生き返ったとかそういうのではなく。
・思い出のビデオも、交通事故も、多分意味はなくて、コメディ的な要素
ああ、エマ、今度はXXか。とても見ておれん。あと、ヨソ見はダメである。
僕はイタイのとか、血がピューピュー、ドバドバ出る映画は苦手だ。あとゲロ場面も。
最近はタランティーノとか見るようになって、血がドバドバする映画も少しは慣れたが、ヤッパシ目をそむけることがほとんどだ。
で、今回のエマ。自分の親指切ってる場面、ヒェ~と思った。(>_<")。 もちろん目をそむけたヨ。
料理にまで至らなかった生レバーが床に転がってる場面は、実際の痛い場面がなくてコレは一安心。やれやれホッとしたヨ。椅子に座って死んでるエマも苦しそうじゃなくて良かった。
エマ、からだ張るのはエエが、もう痛いのはやめておくれヨ。わしゃあ、とても見ておれんよ。
せっかくなので、帰りに鳥レバーの焼き鳥買って帰ったヨ (^^)
3編で1番気にいったのが最後のカルト教団のやつ。ケガレてしまったエマは教団を追われてしまったが、自業自得。
教団へ復帰するためには、何か手みやげを携えて許しを請うしかあるまい。ということで、本物の能力者を誘拐して教団へと車を飛ばすエマ。
普段、猛スピードで暴走運転のエマ。スピード違反、暴走運転も良くないが、ヨソ見運転も非常に危険だ。どれも、人や車や障害物がなければ事故にならずに済むが、大事故につながる。
事故で能力者は死亡。死んだ能力者は、死んだ自分自身を生き返らせられない。死んだのがエマだったらエマは復活出来ただろう。長年探していた能力者を失い、同時に教団への復帰の道も閉ざされたエマはうろたえるのだった。ああ、憐れなエマ。
ちなみに今回の原題も、アワレのアの字もない (^^)
2024/10/10(木)鑑賞
不愉快な時間でした
ウィレムでフォー的な
ヨルゴス・ランティモス監督お得意の?不条理劇3本立てで、観終わっても「で?」みたいなアホな感想しか思い浮かばないよくわからなさ。著名映画評論家に考察を解説されたところで「だから?」となりそうな気すらして、そもそも作品の意味を考えることに意味があるのかもよくわからない…。なので、アニー・レノックスの歌声懐かしいとか、エマ・ストーンって案外スラッとしてんなとか思いつつぼーっと観ていたら、週末朝イチということもあって3章目でついに眠気との戦いなってしまったが、エマのオッパイで覚醒。
とりあえず本作でオッパイは眠気覚ましに意味があるということはわかったので、今後はこーゆー話なら1本30分・計90分ぐらいの作品にしてほしいヨルゴス…。
奇妙な夢のような、不条理小説のような
ランティモス愛のアンソロジー マット・デイモンじゃないよ。
ランティモスのデビュー作「籠の中の乙女」では父親を絶対的支配者として描いていた。「聖なる鹿殺し」も父親の犯した過ちが家族を不幸に陥れるという話だった。前作の「哀れなるものたち」も男性社会による支配への女性の反発とも見てとれる。
確か何かの解説で監督は自分の父親に対してわだかまりのある人物だと聞いた気がする。
彼の作品の共通点として父親あるいはそれに象徴される支配への反発というものがテーマにあるんだろう。
父親とは子供にとっては絶対的な存在。生まれて最初に頼るべき存在であり、愛されたい存在、尊敬すべき存在、そして反抗すべき存在、社会に出る前に最初に戦うべき存在。そんな父親を象徴とする支配者への思いが彼の作品には込められている気がする。そういう観点から本作を見るとなるほど三つの物語の共通点も見えてくる。
どんなに理不尽な要求をされても雇い主に逆らえない男、モラルハラスメントの夫に逆らえない妻、カルト教団に心酔してる女と、現代社会で見られる様々な支配の関係が見て取れる。
それは傍から見れば滑稽であったり、残酷であったり、悲劇的であったり、でも本人たちにしてみればどれも切実。自分の置かれた立場でそれぞれの登場人物は選択の余地のない選択を強いられる。こうするしか道はないのだと。そんな人々を見下すのではなく、温かく憐れみのまなざしで見つめるように描かれた作品。
この世に生きる人々は程度の差こそあれ、みんな何かに縛られ、何かに支配されて生きている。それぞれの人生において皆がその置かれた状況で悶えながらも生きていくしかない。そんな誰の人生にも通じる普遍的なテーマを扱った作品だった。
長丁場だけど、三つの物語はどれも興味深くて映像も刺激的で(というか刺激的過ぎて、いや、痛すぎだろ)一切だれることなく楽しんで見れた。
それにしてもエマ・ストーンはもはや怖いもの知らずだな。次はどんな過激な映像を見せてくれるのやら。
ちなみに車にひかれて死んだR.M.F.、せっかく生き返ったのにシャツにケチャップとはついてないね。
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