憐れみの3章のレビュー・感想・評価
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ランティモス監督が久々のオリジナル脚本で、相変わらずヘンテコな不条理コメディなのが嬉しい
ヘンテコで不気味な異色作を撮り続けているヨルゴス・ランティモス、と「女王陛下のお気に入り」のレビューで書いたけれど、原作物の「女王陛下のお気に入り」「哀れなるものたち」がヴェネチアやオスカーの主要賞をいくつも獲ったあとにオリジナル脚本で臨んだこの「憐れみの3章」でも、ぶれずにヘンテコさをさらにパワーアップさせた映画を見せてくれるのが嬉しい。 ジェシー・プレモンスは過去の出演作ではあまり注目していなかったが、「憐れみの3章」での情けない感じは見事にはまっている。彼がマット・デイモンとフィリップ・シーモア・ホフマンに似ているのはこれまで大勢に指摘されていたようだが、今作で似具合がさらに増したのではないか。ホフマンが存命だったら3人で家族役(歳の離れた兄弟か、歳の近い親子)をやってほしかったが、実現せずに残念。彼が警察官を演じた第2話、同僚とその妻と3人で家飲みをしてから鑑賞する“ホームビデオ”で、一瞬唖然としたあと、品がないと自覚しつつ爆笑してしまった。 出演陣はいずれも素晴らしいが、3話で死者の蘇生を試みるアナ役、エキセントリックなムードを漂わせる美女ハンター・シェイファーが特に印象に残った。今年8月に米公開されたホラー映画「Cuckoo」で主演したようで、日本でも早く鑑賞できるようになるといいなと願う。
面白かった、けどこの邦題はどうなんだろう?
上司と部下、夫と妻、教祖と信者のクローズドの関係性で理不尽な要求と依存継続との「アヴォイダンスvsアプローチ」、「虎穴に入らずんば虎子を得ず」の葛藤に「そんな阿呆な(笑)」と一蹴してコメディとして楽しめました。
「理不尽と道理」、「拒否と承諾」の組合せ4象限の中心を自分の身の廻りで考えると「ポイントカード」が思い浮かびました。<カードを作らないと割引されない理不尽さ>と<利益還元・顧客囲い込みの道理>、<カードを多く持ち歩きたくない気持ち>と<割引される絶対的な魅力>。諦めることで"失う利益"と"得られる自由"、この映画はその葛藤を"命"まで高めて感情に訴えたのだと思いますが評価が芳しくないところを見るとシナリオが突拍子なさすぎたのかも知れません。
それはそうとランティモス監督の前作「かわいそう(Poor)」今作「優しさ(Kindness)」と来て、もしも次作を「感情の3部作」と銘打って「怒り(Angry)」とか「喜び(Delight)」とか原題に付けられるような事があったら「哀れ・憐れ」で来た邦題はどうするんだろう、と心配になります。
Three dreams are made of this
10/3@ユナイテッドシネマ新座、11/6@渋谷シネクイントにて計2回鑑賞。
ヨルゴスランティモス監督の映画は今回が初鑑賞。
鑑賞後は不気味なものを長時間集中して見続けたせいか、気分が悪くなってしまった。
しかし、つまらなかったという感覚ではなく、ところどころのシーンが断片的に思い出されて、あれって結局なんだったの?が頭の中をめぐっている状態が続いた。
この映画はYoutubeチャンネル「映画の伏線回収」で細かい解説動画があり、それを視聴してなんとかもやもやを解消できた気がする。
本作は、題名通り3つの物語で構成される。すべて全く関連のない物語であるが、俳優が別のキャラとして物語を飛び越えて登場し、RMFという人物のみすべての物語に同じ名前で登場するという特徴がある。
まず、本作は監督が戯曲アルベールカミュ「Caligula(カリギュラ)」に着想を得たものと言っている。(カリギュラとは、ローマ帝国第3代皇帝であり、有名な暴君ネロの叔父にあたる。性的倒錯(兄妹との近親相姦)や支配的な政策をしたことで有名。)カリギュラのような支配的なことが行われる状況でなぜひとはそこから逃げ出さないのか、という点に疑問を持ったことから本作は展開されていく。
オープニング曲のEurythmics「Sweet Dreams are Made of This」。この曲の歌詞がまさに本作を理解するうえで最も重要な内容となっている。以下一部抜粋。
Some of them want to use you (あなたを利用したい人がいる)
Some of them want to get used by you (あなたに利用されたい人がいる)
Some of them want to abuse you (あなたを苦しめたい人がいる)
Some of them want to be abused (あなたに苦しめられたい人がいる)
これが本作で出てくる人物たちの構図になっている。
1. THE DEATH OF RMF(RMFの死)
すべての予定を管理される男の物語。主人公(ロバート)は上司(レイモンド)にすべての予定を管理されている。予定といっても、ふつうはその日のおおまかな仕事内容や時間だと思うが、ここで出てくるものはそれとは別次元であり、分刻みのスケジュールから、妻との性生活、読む本、さらには住む家、生活のすべてを管理されている。レイモンドが交通事故を起こすように指示を出したところで、ロバートはそれだけはできないと言い、クビにされてしまう。ここからストーリーは動いていく。ロバートは転職活動や妻に今までの経緯を説明するが、何をしてもうまくいかない。10年もの間すべてレイモンドからの指示で動いていたため、自分で判断してうまく動くことができない。観客からすると、イカれた上司から離れることができてよかったな、ここから頑張って自力で頑張ってほしいなと思うが、ストーリーは真逆に進む。ロバートはレイモンドの元に戻るため、指示された交通事故の相手(RMF)を車で轢き殺してしまう。その後、レイモンドに抱擁され、この物語は幕を閉じる。
この物語はわかりやすく支配するものとされる者が登場する。そこでこの支配的な状況から逃げ出さず、また逃れるチャンスがあったにも関わらず、その状況に自ら戻ってしまう。まさに、カリギュラの独裁的状況から逃げ出さない市民の構図と全く同じである。たしかに、この物語は極端すぎる例を示しているが、例えば、一般企業に勤めるサラリーマンも同じような構図ではないだろうか。支配することができる雇用者と指示を受けていれば生活が保障される労働者。労働者は大きな変化をおそれ、自身で判断することをやめる。この物語は非常に極端ではあるが、ごく身近な労働者の延長線上にあるものを表しているように感じた。
2.RMF IS FLYING(RMFは飛んでいる)
妻が入れ替わってしまう物語。主人公(ダニエル)の妻(リズ)は海洋調査の途中で事故にあってしまうが、なんとか一命を取り留める。リズはRMFが操縦するヘリで無事家に戻るが、ダニエルはこのリズは本物のリズではない、と思い拒絶してしまう。それを表現するシーンが何度も登場する。例えば、飼い猫がはじめて会ったかのように威嚇をする、嫌いだったはずのチョコレートケーキをバクバク食べてしまう、靴のサイズが合わない、好きな音楽のセンスが変わっているなど。どれも別人と判断できる微妙なラインであり、観客からすると、別人疑惑のリズとそれを拒絶するダニエルのどっちが正しいの?という疑問を抱いたまま話は進んでいく。物語序盤では、別人のリズがなにかを企んでいるんだなという雰囲気であるが、後半になるにつれて、ダニエルのリズに対する異常な行動や言動が目立つようになってくる。最終的にダニエルがリズに、君の肝臓が食べたいと言い出し、リズがそれに従ったことでリズは死亡してしまう。リズの死亡直後、もう一人の容姿のまったく同じリズが登場し、ダニエルと抱擁し、この物語は幕を閉じる。
この物語は、支配者がダニエル、被支配者がリズだろう。1では雇用者と労働者、この物語では、夫と妻でその構図は出来上がっている。ただ、1と異なる点として、この物語の支配には愛がなく、本物のリズに対する愛の裏返しとして帰還したリズがその嫌がらせのような支配を受けている。別人と思わせるシーンについては、例えばリズが妊娠をしていて、食事の好みが変わったり、足が浮腫んでしまって靴が入らなかった、など可能性としては考えられる。些細な変化を恐れる人間は、愛のない支配によって妄信する妻を殺してしまったのである。
3.RMF EATS A SANDWITCH(RMFはサンドイッチを食べる)
蘇生能力を持つ人間を探す物語。ある宗教団体からの依頼により、主人公(エミリー)は同僚(アンドリュー)と協力し、いくつかの手がかりをもとに蘇生能力を持つ人間を探す。2人が所属するその宗教団体では、教祖(オミとアカ)としか性行為を許されていない。ところが、エミリーは元夫に睡眠薬を盛られ、性行為をしてしまい、宗教団体から強制的に脱退させられてしまう。そこからエミリーはその宗教団体に戻るため、単独でその人物を探し出す。最終的にその人物がRMFを復活させたことにより、特定に成功するが、エミリーが運転する車の交通事故によってその人物は亡くなってしまうという物語。エンドクレジットでRMFがひとりでテラスのような場所でサンドイッチを食べるところが描写される。
この物語では、支配者は宗教団体、被支配者は信者だろう。1から3ですべて異なる関係でこの主従関係になっていることがわかる。ここでの支配は、1に近い形であり、支配から抜け出せたものが、もう一度その支配下の置かれたいために努力する形になっている。この宗教団体では「水」に関するものが随所に登場する。例えば、飲料水を非常に重要視する、性行為をしてしまったものの汗で穢れを判断する、涙を池のようなところで貯めている、船の名前はH2Oであることなど。蘇生能力を持つ人物はプールで双子の妹を亡くしたことで人間を復活させられるようになったのも、水に関係があるように思える。作品中でこれに関する詳しい説明は出てこないが、生命の起源=水という解釈が自然な気がする。また、1ではRMF、ここでは蘇生能力をもつ人物が犠牲になっている。この物語のみ、犠牲者が出たことによるバットエンドを迎えている。1の題名RMFの死に対応する形で、この物語でRMFは復活するが、サンドイッチを食べるということが復活を表しているのだろう。
3章を通して…
すべての章で支配するものとされるものが明確に描かれている。また、共通して支配されるものはその状況に固執し続ける。まさに監督が着想を得たカリギュラの世界、オープニング曲の内容そのままといった印象を受けた。正直内容自体はすべて異常性があり、倫理観は存在していない。しかし、165分という長い上映時間が苦にならず見れたことは、ストーリーに無駄がなく、示したいことを描くには必要最小限のシーンとセリフにまとめているからだろう。
今でも本作のオープニング曲が頭から離れない。ヨルゴスランティモス監督の作品は初鑑賞であったが、安易には観られないなと痛感した。
本作品には考察できる部分がまだまだある。時間があるひとには、ぜひオススメである。
喜びの踊り〜第3章より
感性の映画だと思った。 キャストは同じでシナリオ3つのオムニバス形式。 〈第1印象〉 1ちょっと何言ってるか分かんない 2思い出のビデオ 3あ~あ、やっちまった なんとなく「〜の依存」みたいな感じを受けた。 原題は“KINDS OF KINDNESS”(親切の種類)。 作品には親切なやつなんて出てこないが。 監督なりの親切なんだろう(笑) R.M.F.ヨルゴスってあったからてっきり監督が出ているのかと思ったが、友人ステファナコス氏とのこと。
意味がわからん
哀れなるものたち→女王陛下のお気に入り からの3作目です。 前作である程度、 この監督の作風 エロ、グロ、不協和音な音楽、不道徳… に対する免疫はあったうえで。 ひたすら変なものを見せられます。 哀れなるものたちは爽快感のある結末とメッセージ性がありましたが、こちらは何を言いたいのかよくわからず。 濃縮されたヨルゴスランティモス節を堪能できますw 作り込まれた映像美、エマ・ストーンのきれいなおかおとダンス、前作でも出演してたマーガレット・クアリー、ザ・メニューでみたミステリアスなホン・チャウは魅力的。 過激に性的なシーンも多いですが、前作と同じく滑稽に撮られているのでエロくはない… RMFは登場人物の人間関係にはかかわらない狂言まわし的な役割。 自ら支配されることを選び、そこに愛を求める愚かさや滑稽さを煮詰めて戯曲化したような作品でしょうか?そういう人を見つめる支配者の眼差しとしての「憐れみ」でしょうか? キリスト教や英語の文脈がいまいちわからん。 2時間45分は長いっす。2回目は観られないかな〜 追記メモ ・夢の中?神話?みたいに、つじつまが合わないものとして観る ・2章の結末での2人目のリズは、1章のロバートと同じように、無茶振りを受け入れて従い、その結果迎え入れられた、ということの比喩的な表現なのではないか。死んだのに生き返ったとかそういうのではなく。 ・思い出のビデオも、交通事故も、多分意味はなくて、コメディ的な要素
ああ、エマ、今度はXXか。とても見ておれん。あと、ヨソ見はダメである。
僕はイタイのとか、血がピューピュー、ドバドバ出る映画は苦手だ。あとゲロ場面も。
最近はタランティーノとか見るようになって、血がドバドバする映画も少しは慣れたが、ヤッパシ目をそむけることがほとんどだ。
で、今回のエマ。自分の親指切ってる場面、ヒェ~と思った。(>_<")。 もちろん目をそむけたヨ。
料理にまで至らなかった生レバーが床に転がってる場面は、実際の痛い場面がなくてコレは一安心。やれやれホッとしたヨ。椅子に座って死んでるエマも苦しそうじゃなくて良かった。
エマ、からだ張るのはエエが、もう痛いのはやめておくれヨ。わしゃあ、とても見ておれんよ。
せっかくなので、帰りに鳥レバーの焼き鳥買って帰ったヨ (^^)
3編で1番気にいったのが最後のカルト教団のやつ。ケガレてしまったエマは教団を追われてしまったが、自業自得。
教団へ復帰するためには、何か手みやげを携えて許しを請うしかあるまい。ということで、本物の能力者を誘拐して教団へと車を飛ばすエマ。
普段、猛スピードで暴走運転のエマ。スピード違反、暴走運転も良くないが、ヨソ見運転も非常に危険だ。どれも、人や車や障害物がなければ事故にならずに済むが、大事故につながる。
事故で能力者は死亡。死んだ能力者は、死んだ自分自身を生き返らせられない。死んだのがエマだったらエマは復活出来ただろう。長年探していた能力者を失い、同時に教団への復帰の道も閉ざされたエマはうろたえるのだった。ああ、憐れなエマ。
ちなみに今回の原題も、アワレのアの字もない (^^)
2024/10/10(木)鑑賞
不愉快な時間でした
スプラッターの分野には入らないのでしょうが、 気持ち悪くなりました 不条理な世界観は覚悟していたつもりですが、 この作品はとても受け付けられず、出演していた名優と言われる俳優陣も嫌いになりそう 終演が待ち遠しく、不快、残念無念な気持ちで退館 この監督の作品はもう観ません
ウィレムでフォー的な
ヨルゴス・ランティモス監督お得意の?不条理劇3本立てで、観終わっても「で?」みたいなアホな感想しか思い浮かばないよくわからなさ。著名映画評論家に考察を解説されたところで「だから?」となりそうな気すらして、そもそも作品の意味を考えることに意味があるのかもよくわからない…。なので、アニー・レノックスの歌声懐かしいとか、エマ・ストーンって案外スラッとしてんなとか思いつつぼーっと観ていたら、週末朝イチということもあって3章目でついに眠気との戦いなってしまったが、エマのオッパイで覚醒。 とりあえず本作でオッパイは眠気覚ましに意味があるということはわかったので、今後はこーゆー話なら1本30分・計90分ぐらいの作品にしてほしいヨルゴス…。
奇妙な夢のような、不条理小説のような
前衛的な不条理小説を読んでいるような感じがする作品です。そういう作品はそれほど珍しいわけではないんですが、自由というかぶっ飛んでいるというか、ここまで好き放題やっている映画はあまりないのではないでしょうか。意味は深く考えず、ただおかしな夢を見るように見ていました。いちばん意味不明で予想外の結末だった2話目がよかったです。
ランティモス愛のアンソロジー マット・デイモンじゃないよ。
ランティモスのデビュー作「籠の中の乙女」では父親を絶対的支配者として描いていた。「聖なる鹿殺し」も父親の犯した過ちが家族を不幸に陥れるという話だった。前作の「哀れなるものたち」も男性社会による支配への女性の反発とも見てとれる。
確か何かの解説で監督は自分の父親に対してわだかまりのある人物だと聞いた気がする。
彼の作品の共通点として父親あるいはそれに象徴される支配への反発というものがテーマにあるんだろう。
父親とは子供にとっては絶対的な存在。生まれて最初に頼るべき存在であり、愛されたい存在、尊敬すべき存在、そして反抗すべき存在、社会に出る前に最初に戦うべき存在。そんな父親を象徴とする支配者への思いが彼の作品には込められている気がする。そういう観点から本作を見るとなるほど三つの物語の共通点も見えてくる。
どんなに理不尽な要求をされても雇い主に逆らえない男、モラルハラスメントの夫に逆らえない妻、カルト教団に心酔してる女と、現代社会で見られる様々な支配の関係が見て取れる。
それは傍から見れば滑稽であったり、残酷であったり、悲劇的であったり、でも本人たちにしてみればどれも切実。自分の置かれた立場でそれぞれの登場人物は選択の余地のない選択を強いられる。こうするしか道はないのだと。そんな人々を見下すのではなく、温かく憐れみのまなざしで見つめるように描かれた作品。
この世に生きる人々は程度の差こそあれ、みんな何かに縛られ、何かに支配されて生きている。それぞれの人生において皆がその置かれた状況で悶えながらも生きていくしかない。そんな誰の人生にも通じる普遍的なテーマを扱った作品だった。
長丁場だけど、三つの物語はどれも興味深くて映像も刺激的で(というか刺激的過ぎて、いや、痛すぎだろ)一切だれることなく楽しんで見れた。
それにしてもエマ・ストーンはもはや怖いもの知らずだな。次はどんな過激な映像を見せてくれるのやら。
ちなみに車にひかれて死んだR.M.F.、せっかく生き返ったのにシャツにケチャップとはついてないね。
世にも奇妙な。
難解だが直観的。 考察は頭の良い人たちに任せて、憐れで滑稽で愛らしい個性豊かなキャラクター達の一挙手一投足を楽しめば良い。 頭に浮かんだものが各々の親切心の根本なのだろう。 壊れた物にも価値を見出せる人間で良かった。
分かっている。お前は俺を騙している。
正気と狂気。どいつもこいつも自分は正気だと思っている。それはどんな狂人でもそうなのだろう。自分はまともで相手が狂っていると思っているから、誰かにそれを伝えようとするときに言葉や言動が強くてキツくなる。 まったく物語の異なる3つのパートに分かれているが、エマ・ストーンやウィレム・デフォーをはじめ数人が、ぜんぜん違うキャラの役で登場し、それがまた、人はいくつもの顔をもっていて、見た目と中身は別々なのだと訴えてくるようだ。3つの物語のどれも、話の展開が突拍子もなくて、あっけにとられて進んでいく。微妙にコミカルでシニカルでエロチック。なによりさらりとグロい。そんな中で三話目がどうにか理解しやすいか。日本でもこのような新興宗教ものはよくある。そしてたいてい水に拘っている。『聖水』って小説もあったな。濁りのない水に比した、心と体の清浄さを求めながら、その目的のためなら手段を選ばぬ行動の不純さが、苦笑いを誘う。理解不可な気分に満たされた映画だけど、なんだかこころに引っかかったまま。 たいてい映画はなるべく前情報を入れずに観るのだが、この監督、「ロブスター」「聖なる鹿殺し」の監督か。やはり不条理な話の筋が監督の持ち味なんだな。そして「哀れなるものたち」もそうだと知り、その共通する悪趣味さを思い浮かべてとどこか腑に落ちた気分。
優しさの種類‼️
「哀れなるものたち」のヨルゴス・ランティモス監督によるオムニバス映画‼️同じキャスト陣がそれぞれ違う役を演じる3つの物語が展開‼️もうこの3つの物語なんですが、公式サイトを覗いてみると、愛と支配についての物語と謳われています‼️しかし、決してそんな2語では括れないような独創的で強烈な物語‼️よくこんな物語を思いつくなぁと思います‼️ブラックでエロティックでホラーなファンタジーとでも言いましょうか⁉️監督だけではなく脚本も手がけたランティモス監督が素晴らしいのはもちろん、そんな監督の要望に見事に応えてるエマ・ストーン、ジェシー・プレモンス、ウィレム・デフォーらキャスト陣の頑張りにも拍手‼️
ヨルゴス・ランティモスによる、今回も観る人を選ぶ、奇妙で不思議な不条理オムニバス。
「聖なる鹿殺し」「ロブスター」「哀れなるものたち」のヨルゴス・ランティモス監督・脚本・製作。
本作も、ちょっとエログロな不条理ミステリーの短編集。
どの話も、残酷で、不思議で、なぜかユーモラス。
確かにこれらの話で1本作られても観るのがつらい。
やっぱ、エマ・ストーンが主役だと光る。
ウィレム・デフォーも変わらず好演。
キャスト陣の競演を観ているだけで楽しい。
3本とも同じキャストで違う役なので、混同しそうになるけれど面白い。
R.M.F.を除く。
R.M.F.って何者?
chapter1:「R.M.F.の死」
選択肢を奪われた男が、自分の人生を取り戻そうと奮闘する。
食事から結婚まで人生のすべてが、ウィレム・デフォー上司の言いなりのジェシー・プレモンス。
見放されてしまったら、些細なことも自分で決められない”恐ろしさ”。
エマ・ストーン宅に壊れたラケットがあったとき、ゾッとした。
結局言う通りにして元に戻ったのを観て、ほっとした自分がいました。
よかったね、ってハッピーエンド。
独裁者の言う通りに生きることの何と幸せなことか。
余計なことを一切考えないで従っている限りは。
それに引き換え「自由」の何と残酷なことか。
全て自分で考えないといけないなんて、なんてね。
chapter2:「R.M.F.は飛ぶ」
海難事故で失踪した妻が、別人となって帰還。夫は恐怖に駆られる。
この話だけサブタイトルが不明。
ここでも翻弄されるジェシー・プレモンス。
帰ってきてからおかしくなったのは妻エマ・ストーンの方か、自分の方か?
自分の命に関わることでも、どんなことも言うことを聞いてくれる妻。
彼女が死んだことで、本当の妻が帰って来た、夫にとってはハッピーエンド。
正気でなくなったとしても本人にとっては幸福。
彼の「心が和む」ビデオも見もの。
なぜか「犬の世界」も見もの。
chapter3:「R.M.F.サンドイッチを食べる」
卓越した宗教指導者になるべく運命づけられた人物を探し求める女。
双子の姉妹マーガレット・クアリーの姉を「奇跡の教祖」にするために、空のプールに飛び込む妹。
超痛そう。
豪快な運転が超カッケー、エマ・ストーン!
まさかそれが伏線とは。
なぜか、この話だけバッドエンド。
ランティモスに免疫できた
同じ主要キャストが演じる、3つの異なる、超ゆるーく繋がった物語り。 ありそうな部分ととんでもない部分、エロとグロが混在するランティモス監督の世界には、前作で免疫ができていたせいか、けっこう面白く見ることができた。ちょっと長過ぎると感じたのも、前作に同じ。
ティンプトン('◉⌓◉’)みんな覚えてるw?
遅ればせながら鑑賞です。
個人的にあのフライヤーがホント生理的に無理過ぎて〜!!!
観るのは決めていたけれど、フライヤーを持ち帰るのも躊躇ったほど。。
サイズの合わない大きい顔面マスク?が
くっ付いたようなアレがもう本当〜にゾワッてなる!!(゚∀゚)
こわいよぉ〜w
(ゴッドウィンにやられたんか?!
ヤギの脳か?!)
特にワインレッドのタートルにピンクのシャカシャカを着たジェシー・プレモンスが無理過ぎて〜!!
(1章のロバートでした)
最高の笑顔でおててのシワとシワを合わせてナ〜ム〜♪のポーズしてるのが本当に怖い!
いや、みんな怖いガクブル!
と、自分でも不思議な程にあのフライヤーが気持ち悪くて怖いのです。
エロもグロもイケるのに、何なんでしょうかね??(知らんがな)
まぁ、ランティモス監督ですから、ある程度は察せますし、前作の哀れ〜でもその作家性
(変態性)が爆発しておりましたから。。
加えて本作はエフティミス・フィリップとのタッグだから
(待ってました〜?!w)
更に変態度がパワーアップしていたもようです。。
ギリシャ人すごいな。。(偏見)
私の日本人の友達とその彼氏がギリシャにホームステイに行ったのですが、
1年後、友達がギリシャ人の彼氏を連れて帰国し結婚までしていた事に驚いたのを思い出しました。
日本人彼氏とは現地で1週間で別れたんだとか(°▽°)
2年も付き合ってたのにww
ギリシャ人、真っ白い彫刻の像みたいでカッコ良かった。
はい関係ない。脱線してすみませんm(__)m
で、、
哀れ〜はとても好みな作品でした。
ストーリーもわかりやすかったし、映像も音楽もファッションも素敵だったし、勿論俳優陣の演技もさすがだと思ったし。
だから期待しちゃったよね。
私でもわかるかなって。。
で。。。本作。。。
はいわかんね何コレ?(°▽°)
ランティモスは我々とは別次元にいるのでしょうか??
この作品をどう表現すれば良いのでしょうか?
凡人にはわかりかねます。。
もうちょっと降りて来て。。
哀れ〜のレビューで"大人の寓話みたい"と書いたのですが、本作は結構リアルな現代が舞台。
だからこそ漂う違和感や気持ち悪さも倍増して感じられ、だけどこの非現実的で、極端な彼らの関係性に困惑する。
あのピアノの音色も、登場人物の不安定さを強調していてこちらも落ち着かない。
支配する者、される者。
愛と服従。
を、思いっきり振り切って、デフォルメして描写しているのかな??
登場人物皆の言動・行動が理解不能であり、異常で滑稽なのだが、、
当事者からしたら大真面目!
私達の"普通"も、第三者から見たら
"アンタの普通も十分おかしいよ!"って皮肉も込められているのか、いないのか。。??
自分で考えて決めて発言、行動する。
そんな当たり前に思える事も怖い?
(面倒くさい?)
自分の人生に責任を持つ覚悟はない?
全て指示された方が楽?
色々と厳しいメッセージも込められているのか、いないのか。。??
正しいのか正しくないのかは関係ない。
ルールを守れなかった者は排除。
コミュニティからはみ出した者は排除。
多少息苦しくても輪の中は安全地帯。
現代の人々が置かれている社会生活にも通じる、見えないルールに縛られている息苦しさと、反する安心感。。
痛烈に批判しているようにも思える。
。。。と、真面目に考えて書いてはみたものの、、、
ランティモスの描く"優しさの種類"が難解過ぎるし、やっぱりエロでグロで悪趣味でキテレツ君。
奇人変人味で頑丈にコーティングされた作品で、本当の所はやっぱり良くわかりません(°▽°)
ワッカラナイ〜〜♪
各章にも繋がりが有るような、無いような、有るような。。??
わかりやすく、繋がっている。とは教えてくれてはいないのだけど、やっぱりリンクしている(よね?!)
その仕掛けが面白いとは思った。
1章・R.M.Fの死
2章・R.M.Fは飛ぶ
3章・R.M.Fはサンドウィッチを食べる
ラストの"Thank you"が可愛かった♪
◎エマちゃん
彼女だから観られた作品カモと思うけど、何だか本作の彼女は可愛く見えなかったなぁ〜
あのダンス。子が風呂上がり真っ裸で披露してくれるソレとそっくりで笑った。
オミとアカの涙入り謎水しか飲まない。
謎水万能(緑命水?!)
娘のベッドにピャッピャッピャッ!!
あんな事言われても戸惑うわやめたげて〜
( ̄∇ ̄)
イカれた母ちゃんでごめんあそばせ。
ドリフトが豪快(3)
警棒で旦那をシバく(2)
えっ!お前もだったんか〜い!(1)
◎ジェシー・プレモンス
2章が怖すぎて笑うしかない。
"アレ"をあの場で見たからってど〜なるんかww
◎ウィリアム・デフォー
裸体は勘弁&パパは謝らない。
◎ホン・チャウ
どれも超ハマり役で素晴らしい!
"3つの独立したお話しだが、各章のメインキャストは同じ"という独特の手法をとった本作で、彼女だけ際立ってそれぞれのキャラを魅力的に見せてくれていたと感じた。
個人的に1番良かったです。
様々な解釈も出来るし、隠されたメッセージを読み解く楽しさなど、ツウの方には堪らない作品なんだと思う。
飽きずに観る事は出来たけど、私にはちょっと難しい作品でした。
つか、これを日本公開するんならウルフズもかけておくれよ〜!!って一生言ってる( ̄∇ ̄)
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