「事実は小説よりも奇なり」#スージー・サーチ うぐいすさんの映画レビュー(感想・評価)
事実は小説よりも奇なり
推理小説の犯人当てを得意とする、未解決事件考察系ポッドキャスターのスージーが知識をフル回転させて『事件』に挑む作品。
スージーは母の看護・バイト・大学の授業・配信活動・保安官事務所の手伝い…と精力的に活動している。文字にすると活発な生活のようだが、その実は決して明るくない。母は病状が進行しスージーと会話することもままならなず、バイト先の同僚には勤勉さをダサい・家庭事情をアピールと宣われ、大学では表情無く過ごし、投稿へのリアクションは薄く、保安官事務所では鬱陶しいオタクとして扱われている。
そんなスージーを哀しき少女としてではなく、問題児として淡々と描写する筆致が目を惹いた。
判断基準を利害関係でも敵意でもなく、シナリオに対するもっともらしさや世間を動かせるかどうかに置くスージーの人物像は、善悪の基準がぶっ飛んだ悪人や、一般的な善悪の基準を持った上で一線を超える確信犯ともまた異なる不気味さがあった。
未解決事件の傾向と対策を基にWEB検索とSNSを駆使するスージーだが、事件の雲行きは常にネットの外でひっくり返される。スージーが知らない「ネットにない真実」、スージーが踏み込めない「個人の秘密」が事件を動かす様は、公知の文字情報を集めて全能感を得ているスージーへの痛烈な皮肉だった。
登場人物達が自分の人生にとってのモブ的存在に冷淡だったり、スージーが他人の見えない傷に対して鈍感な点、フォロワー達がいきすぎた正義感で行動する点は、ツールとの距離感を誤った現代人の滑稽さや残酷さ、自己顕示欲・承認欲求の暴走を上手く物語に落とし込んでいた。
それらの点がスージーを始めとした若者の全能感から来る無遠慮さや無軌道さに似ているというのも、面白い着眼点だった。
事件を扱う物語ではあるが、推理や真相といったミステリーやサスペンス要素が本論ではなく、むしろそこが拙いほど主題に効く作品である。そのため、正統派のミステリーやサスペンス作品を期待した観客を落胆させかねない作りである点は否定できない。どこまで事前情報を入れて観るべきか、判断が難しいジャンルである。