劇場公開日 2024年9月13日 PROMOTION

シサム : 特集

2024年9月2日更新

【今観なければならない、すさまじい超重要作】戦争を
止めるためには何が必要なのか? 兄を殺された復讐心
に焼かれる青年が、異文化に触れて人生を見つめ直す
豊かな自然と迫力の戦闘で魅せる、大スペクタクル作

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何年かに1回、「今、このタイミングで観なければいけない」と使命感にかられる映画がある。9月13日公開の「シサム」(※ムは小文字が正式表記)がその1本だ。

描かれるのは、壮大なスケールの人間ドラマ。江戸時代前期、アイヌと和人(日本人)の争いの渦中で戦う一人の青年がいた――。

この特集では、本作を実際に鑑賞し「多くの人に伝えたい」と燃えている筆者が、“今、観なければいけない”と感じた理由をわかりやすく解説。加えて、本作に魅せられた一人、作家・ジャーナリストの佐々木俊尚氏によるレビューをお届けする。

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現代社会を反映したかのようなストーリーに、観る者の胸に迫るセリフの数々。観ればきっと、今を生きる“あなた”の物語でもあるとわかるはずだ。

最初に、予告編で物語を把握していただこう。


【予告編】生きろ。未来のために―

【今、観てほしい渾身作】超骨太で超壮絶 でも、希望
がある――争いを止めるには、どうする?【超重要作】

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タイトルの「シサム」とは、アイヌ語で“隣人”を意味し、アイヌ以外の人のことを指す。


[超重要作①]兄を殺された憎しみを抱く青年は、復しゅうの旅路で大ケガを負う。流れ着いたのは、自然と共生し争いを好まず、しかし戦禍にのまれゆくアイヌの村だった――
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江戸時代前期。松前藩は、アイヌとの交易品を主な収入源としていた。松前藩藩士の息子・孝二郎(寛一郎)は、兄・栄之助(三浦貴大)とともにアイヌとの交易で得た品を他藩に売る仕事をしていたが、ある夜、使用人の善助(和田正人)の不審な行動を見つけた栄之助は善助に殺されてしまう。

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敵討ちを誓い、復しゅうの業火に焼かれる孝二郎は善助を追って蝦夷地へ。そこで孝二郎は大ケガを負ってしまい、アイヌの人々に助けられ、一緒に過ごすうちに己の価値観や生き方を模索していく。

戦火による憎しみの連鎖が起こる昨今。本作は、“不寛容”が暴力へと繋がっていくプロセスだけでなく、人種や民族を理由にした“分断”も顕在化。過去の歴史を描いた作品でありながら現代に通じる社会問題を訴求し、深い余韻を残していく。


[超重要作②]主人公が異文化に触れて成長→名作揃いのジャンルの系譜 「SHOGUN」「ラストサムライ」「ダンス・ウィズ・ウルブズ」好きはマスト鑑賞
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アイヌの文化に触れて、やがて己の価値観を変えていく――“主人公が異文化に触れて成長していく”物語は、名作揃いで人気のジャンルの一つ。

「ラスト サムライ」「ダンス・ウィズ・ウルブズ」「アバター」、最近では「SHOGUN 将軍」もその系譜だ。変化していく主人公の姿は親近感があり、筆者のようにこうした作品に感銘を受けてきた映画ファンには、特に強く推したい1本でもある。

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また、アイヌと聞けば、映画も大ヒットした「ゴールデンカムイ」を思い浮かべる人も多いだろう。「ゴールデンカムイ」は明治時代後期が舞台となり、時代設定が異なるが、本作を観ることで作品への理解度がより深まっていくので、「ゴールデンカムイ」好きにもおすすめしたい。


[超重要作③]キャスト・スタッフの凄み “怖いくらいに上手い”寛一郎、坂東龍汰ら俳優陣の“魂を揺るがす”本気の熱演が胸を打つ
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主演を務めた寛一郎は、「泣く子はいねぇが」「せかいのおきく」「首」など、筆者的には「良い邦画に欠かせない、絶対いる」俳優だ。出演している映画の感想を話せば「今回も寛一郎さんが良かった~」と毎回言っているほど、どんな作品でもどんな役でも、長く記憶に残り続ける

主演が決まる前からアイヌの歴史に興味があったそうで、本作ではアイヌの持つ精神や理念に共鳴して孝二郎を怖いくらい巧みに演じ、複雑な心情を体現。共演の三浦貴大、和田正人、坂東龍汰らも、アイヌや和人それぞれの思想に誇りを持つ役どころを熱演しており、キャスト陣の演技のぶつかり合いも必見だ。

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脚本を手掛けたのは、「結婚できない男」(関西テレビ)や「梅ちゃん先生」(NHK)など、大ヒットドラマを手掛けてきた尾崎将也。日本語とアイヌ語のセリフを混在させ、「脚本を直した回数はこれまでの自分が経験した中で最多」と、経験豊富な尾崎にとってもチャレンジングな作品だったことを明かしている。


[超重要作④]戦闘シーンが“痛み”を帯びるほどリアル 壮大で悲惨だけど……未来へ目を向けた“希望”に胸が熱くなる
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本編では、雄大なロケーションにも目を奪われる。大部分の撮影は、町全体がイオル(アイヌの伝統的生活空間)という考えの下、アイヌと和人が共生してきたという認識をもつ北海道・白糠町で行われ、セットでは得られない凄味を醸し出している。

後半には悲惨な戦闘描写もあり、アイヌの人々の思いも丁寧に描かれてきただけに、痛いほど胸に迫る。台湾先住民族セデック族による抗日暴動「霧社事件」を描いた傑作「セデック・バレ」を彷彿とさせ、鑑賞後にも抜けない棘のようにヒリヒリと心に突き刺さっていく。

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しかし、悲しいだけではない。孝二郎がどんな道を歩んでいくのか、未来へ向けた“希望”も感じさせ、実はこれが本作を一番推したいポイントでもある。争いを止めるためには何が必要で、現代を生きる私たちには何ができるのか――そんな風に訴えかけられたような気がして、未来に思いを馳せながらエンドロールを眺めた。


【レビュー】なぜ「今観るべき」なのか?ジャーナリスト
佐々木俊尚氏が語る、観客の心に深く刺さる理由

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最後に、作家・ジャーナリストの佐々木俊尚氏のレビューを掲載する。「現代の重要な作品」だという本作について、映画的な面白さはもちろん、主人公のキャラクター描写の考察から、観客の心に刺さる理由を解説。鑑賞前でも鑑賞後でも、読めば理解度がグッと深まるはずだ。


●主人公=弱虫な悩める人 だからこそ、深々と共感できる
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本作で実にリアルに描かれるアイヌ文化に、驚き感動する観客は多いだろう。農耕が難しかった北の大地で、アイヌの人々は白樺の樹皮や鮭の皮をつかって衣類を作り身にまとった。口元を入れ墨で染めていた成人女性をはじめ、人々の入れ墨の勇壮な美しさ。なんともいえない振動音が魅力的な口琴の演奏。細部まで描かれたそれらの風俗に目を見ひらいているうちに、骨太に物語は進んでいく。

だが本作を現代の重要な作品にしているのは、そうした文化描写だけではない。わたしが注目したのは、寛一郎が演じる主人公の松前藩士・孝二郎である。孝二郎はアイヌの人々に命を助けられ、集落に迎えられたことから彼らの文化に深く接することになる。そして松前藩との橋渡しを試みようとする。

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江戸時代前期、北海道では「シャクシャインの戦い」と呼ばれるアイヌの反乱があった。当時のアイヌは和人と交易し、獣皮や鮭、昆布などを本州の鉄製品や漆器、米と交換していたのである。しかし江戸幕府が交易の独占権を松前藩に与えたことから、松前藩の支配が強まっていく。これに抵抗したのがアイヌの首長シャクシャインだった。

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本作の物語も、シャクシャインの戦いをモチーフにしている。戦いがアイヌの敗北に終わり、首長シャクシャインも謀殺され、松前藩はアイヌに対し絶対的な支配を確立していく。アイヌの独自の政治体制も解体され、日本の権力機構に組み込まれていくことになる。そのような史実を踏まえるのであれば、いくら主人公の孝二郎が悩んだとしても弾圧の歴史は変えようがない。実際、本作中盤までの孝二郎はヒーローでも何でもない、ただの「弱虫な悩める人」として描かれている。日本刀をたずさえたサムライとして何度も抜き身を手にするが、華々しい殺陣がないどころか負けてばかりである。

しかし、である。孝二郎がそういう弱虫な悩める人であるからこそ、本作には深々と共感できる誠実さがあると思うのだ。


●観客の心に刺さる理由は? 「白人の救世主」問題から“フラットな視点”を考える
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本作から少し外れるが、「白人の救世主」という表現がある。「アラビアのロレンス」(1962年)「インディ・ジョーンズ 魔宮の伝説」(1984年)などの名作が典型的だが、非白人の困難を白人のヒーローが救うというハリウッド映画に特有な物語構造を指している。日本を舞台にした映画で言えば、トム・クルーズ演じる南北戦争の英雄が明治初期のサムライたちの反乱を支えるという「ラスト サムライ」(2003年)。最近の作品で言えば「MINAMATA ミナマタ」(2020年)もそうだ。水俣病患者の窮状を世界に伝えるために、ジョニー・デップ演じる白人の実在の写真家ユージン・スミスが活躍したというストーリーになっている。

なぜ「白人の救世主」のような表現が生まれてきたのだろうか。20世紀後半に白人優位が崩れ、黒人やヒスパニック、アジア人などの権利が重視されるようになってくる中で、ハリウッド映画でも「非白人」の物語が描かれるようになってくる。そうした非白人の物語を、米国におけるマジョリティである白人観客層に受け入れてもらうための装置として「非白人を白人ヒーローが助ける」という構図が選ばれたとも言われている。

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しかし「白人の救世主」も結局は白人優位の世界観であることには変わりない。これに真っ向からノーを唱えたのが、2020年米アカデミー賞7部門受賞作「エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス」であり、今年ディズニープラスで配信され話題沸騰の「SHOGUN 将軍」である。前者はマレーシア出身の女優ミシェル・ヨーが主演を務めた。真田広之や浅野忠信が日本語で演技する後者は、イギリス人の船乗りが出てくるけれども狂言回しのような役割にすぎない。いずれもポスト「白人の救世主」時代の、白人・非白人の新たなフラットな関係性が登場してきている。

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そしてこの「白人の救世主」問題は、白人対非白人に限る話ではない。21世紀の世界になって、あらゆる文化、あらゆる民族に対しても、たがいの平等を認識したうえでのフラットな視点が求められるようになっている。当然だが、それはアイヌに対するわれわれ和人の視点にも言えることだ。


●単なる時代劇じゃない ヒーローになれない主人公の姿から見えてくること
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そういう姿勢で本作を鑑賞すれば、また別の地平が見えてくる。主人公の孝二郎は「アイヌの救世主」ではない。主体はあくまでもアイヌの人たちである。弓矢を手にした彼らは悔しくも松前藩の銃弾に斃れていくが、孝二郎は彼らを窮地から救うヒーローになることはできない。しかしだからこそ、本作における戦うアイヌ人たちの勇壮な姿は当事者そのものであり、彼らの敗北していく姿は観客の心に深々と刺さってくるのである。

ここまで読んでいただければ、わかっていただけるかもしれない。本作は単なる時代劇ではない。わたしが本作を「今、観るべき」と考える理由は、これからのフラットで多様な世界をかいま見せてくれるからである。

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