「心身を健康に保ち続けよ」サユリ 因果さんの映画レビュー(感想・評価)
心身を健康に保ち続けよ
長野県松本市には人肉館という心霊スポットがあり、これがなかなか雰囲気のある廃墟なのだが、それにしても気になるのは人肉館という恐ろしい名称だ。
種明かしをすると、この廃墟は元々「ジンギスカン」屋だったらしい。それがいつしか「人肉館」へと訛っていき、心霊スポットと化したのだそう。
何ともバカバカしい話だ。ただ、これはある意味で恐怖というものの一つの本質を表した事例だと思う。
恐怖とは、そこに元々あるものではなく、恐怖心を抱いた我々によって生産・増幅されることがある、ということ。
SNSなんかもいい例だろう。ポッと出の悪口が新たな悪口を呼び、やがて呪いと化し、無辜の誰かを死に追いやる。
「病は気から」なんて言葉があるが、恐怖もそれに近いのかもしれない。怖いと思うから怖い。
本作は「恐怖は恐怖心から」という素朴な認識を出発点として、迫り来る邪悪を己の強靭な気の力によってはね除けていくというパワー系除霊ホラーだ。
呪われた中古の一軒家に引っ越してきたとある家族。案の定彼らはそこに巣食う怨霊「サユリ」の力によって次々と命を奪われていく。気がつけば残っていたのは長男の則雄と認知症の祖母・春枝だけだった。
しかしそこで春枝がふと認知症に罹る以前の状態に戻る。ヒッピーシャツを纏い、ガラムを吸い散らかす異様な風貌。そう、彼女はファンキー太極拳ババアだったのだ。
春枝は怨霊の力に対抗する術として、とにかく心身を鍛えよと則雄に厳命する。そこからスポ根アニメも顔負けの過酷な修行が始まる。よく食べ、よく寝て、よく笑う。サユリが付け入る隙を、つまり恐怖心を抱かないこと。
サユリは幾度となく則雄と春枝を呪い殺そうと画策するが、彼女たちはそれを気の力で追い払う。胡散臭い除霊アイテムも霊験あらたかな除霊師も必要ない。死には圧倒的な生をぶつける。それだけが唯一の打開策だ。
全編を通じて心身を健康に保ち続けることの重要性を説き続ける本作は、SNS過熱時代ともいえる現代において殊更強く響くだろう。
嫌なものを見ない、あるいは逃避することも一つの手段だが、自分の領域を死守したいのであればとにかく健康であり続けなければいけない。
しかも本作は健康の重要さを「謙虚に実直に生きること」といった抑圧的な道徳主義に結びつけることはしない。
終盤、サユリ事件の真相を突き止めた春枝は彼女を殺して庭に埋めた家族を誘拐してくる。則雄はそれを見て「犯罪だよ!」と狼狽えるが、春枝は「ああ犯罪だが?」と覚悟を見せる。あまつさえサユリの前で彼らに手厳しい肉体的拷問を加えていく。
太極拳の練習や食事睡眠の調整程度では真の平穏は得られないことを春枝は知っている。自分たちの領域を守り切るためには犯罪さえ犯すのだという強い気概が要る。
「役割から降りる」「弱さを認め合う」といった言説が広く共有される一方で、社会は昔にも増して弱者をいたぶり続けている。そうした現実を目の当たりにしたとき、「弱くてもいい」という言葉は単なるガス抜き以上の意味を持たない。
だったらやっぱり強くなければいけないんじゃないか。強くあることだけがこの世界を生き残る唯一の術なんじゃないか。
決して弱みを見せるな。せめて手に届く範囲にあるものを守り切れるだけの強さを持て。
こう書くと何だか絶望的な映画なような気もするが、重要なのはすべての戦いを自分一人で抱え込む必要はないということだ。ババアを頼れ、想い人を作れ、一緒に戦え。だからこそ則雄は平穏な日常を取り戻すことができたのだ。