「尺は足りてるよ。足りてないのは脚本の知能と描写力。」コードギアス 奪還のロゼ 最終幕 トウカさんの映画レビュー(感想・評価)
尺は足りてるよ。足りてないのは脚本の知能と描写力。
第3章までは、多少の粗はあれど、楽しく見てた。この最終章がダメすぎて1章から3章までも許せなくなるほどに酷かった。特に最後のたたみ方はありえない。取ってつけたようなアッシュの死に方とサクヤの自分自身にかけたギアス。これで確信に変わった。この脚本書いている人達、コードギアスあんまり好きじゃないなって。ディズニープラスで、見直しているとますます確信に変わっていった。
馬鹿みたいにオマージュ要素が散りばめられているけど、肝心の内容はキャラクターやシーンだけ切り取ってパクったもので中身がない。これはオマージュしておけばファンが喜ぶからというより、コードギアスで何をするかを考えていないから、パクる以外にやれることがないといった感じ。いい感じのシーンを並べてはいるが、物語全体としてみると繋がっていないから破綻している。
アッシュの死に方はその不自然さがあまりにも酷い。もはや自殺。取ってつけたような「帰れない」とかいう理由。ノーランドが自爆することがわかっていたなら、それ込みで倒せよ。じゃなきゃ相打ちにしろ。帰れないこととノーランドと一緒に死ぬことを混ぜるな。アポロに脱出機構ないの?サクヤも諦めるのが早すぎ。そもそもアッシュ死ぬ必要性あったか?ビターエンド厨や主人公が死ぬのがコードギアスらしさだと勘違いしている人しか喜ばないでしょ。
サクヤの自罰ギアスも意味わかない。自ら障害者になることを責任取るとは言わないぞ。周りに当たり前のように手話を覚えさすな。政務に滅茶苦茶影響あるだろ。サクラは一生お前から離れられなくて、まるでシャルルのためだけに存在したノーランドみたいだな。
そもそも作品を通してアッシュとサクヤについて、関係性が見えてこない。この二人でなにを表現したかったのかよくわからない。
第3章でのアッシュがサクヤを赦すシーンが不自然だから、最終章まで足を引っ張っている。アッシュのギアスが解けたとき、弟の存在が塗りつぶされていたことに対する戸惑いと怒りがあるのはわかる。ただ冷静になればナイフ持っているブリタニア人に追われていたらサクヤにとっては正当防衛だし、ギアスの内容も優しいものだった。アッシュが「俺が皇重護を殺した!」とかかっこつけるからややこしいことになっていて、シスターに話したことを「最も大事なもの」たるロゼに話せば、誤解も早い段階で解けた。アッシュとロゼは1年以上一緒にいたのに、その間に全然仲良くなってない。アッシュが1回帰るのも意味不明。弟殺したやつらに捕まっているのを、解放しないのはおかしい。そのせいで死んだ市民がいるし、奇襲されるシザーマンも間抜けすぎる。結局、重護さんとの約束だからとかいう激浅理由でサクヤを赦すけど、それだとロゼの扱いについては全然解決していないよね。
アッシュはロゼに怒っていて、サクヤについてはもともと怒っていないってことだと思うが、それだと和解するシーンとしてはロゼを赦すシーンが必要だったよね。それをごちゃ混ぜにしたから、「弟として俺を騙してきたこと、それだけは赦さない」キリとか言っておきながら、弟のふりを続けさせるとかいう矛盾が発生するんだよ。サクヤを赦す場面じゃなくて、ロゼを赦す場面にしなければ意味なかったよ。クリストフから解放するがアッシュ離脱→ロゼと七煌星団のピンチ→ロゼとの思い出を振り返ったアッシュが結局助けてくれる→ロゼも弟だ。でよかったじゃん。奪還のロゼが偽の兄弟を描くと聞いた時から、ルルーシュとロロの関係性のオマージュだと期待したが全然そんなことなかったわ。
そんでもって以後アッシュとサクヤの関係性を深めるエピソードが皆無なので、急にアッシュに死なれてもそうですかで終わり。アッシュとロゼは和解していないし、アッシュとサクヤは会ったばかりの関係性にリセットされているはずだから思い入れがない。9話のロゼが腑抜けるシーンでアッシュが根性叩き直すシーンとか入れればよかったのにと思う。そういう意味で最終決戦を通してアッシュとサクヤが仲を深めるっていう話だったら理解できる。ただそうならアッシュは死ぬべきじゃないし、ラズベリーバレのシーンは決戦後に持ってきたほうがよかった。あのタイミングでする話にしては、気安い関係になりすぎる。アッシュとロゼの物語が終わり、アッシュとサクヤの物語が始まるっていうタイミングでのほうがよくない?
ギアスを掛けなおすシーンはよかったが、それまでサクヤと仲を深めるエピソードがないし、結局最終戦でギアスをかける必要性を感じなかったからシーンとシーンが繋がっている感じがしない。
コードギアスって嘘(仮面)に対する哲学的な問い(嘘の罪や優しさ、それを外す難しさなど)がおもしろい作品なのに、そういったところがオマージュできていないと感じる。そこのところ真面目に考えていないから、意味もなく最後までロゼがサクヤだと公にしないというエゴたっぷりの振る舞いをすることになる。
ノーランドさん滅茶苦茶小物だったね。脚本家たちが、ルルーシュの作った平和を崩すことを怖がって、ノーランドを明確な悪とすることで世界対ノーランドの構図で話を作って批判をさけましたって感じ。ルルーシュが作った平和は、薄氷の上にあって、劇中にナラがふれたように今度はブリタニア人差別が苛烈になっていることについて、脚本家たちに正面切って踏み込む実力がなかったと考えてしまう。シャルルのクローンであれば旧ブリタニア勢力をある程度まとめることも可能だろうし(でなければロキの物量に説明がつかない)、普通に世界を割って戦うべきだったと思う。ラスボスについての考えが浅く、第2章でダモクレスとフレイヤを雑に処理したのは、脚本家たちがコードギアスにおける恐怖の象徴の在り方というものを真面目に考えていないことを示している。ノーランドよりよっぽどダモクレスとフレイヤを再度ラスボスに添えたほうがおもしろかったよ。さらに強くなったダモクレスを旧キャラたちも含むメンバーで倒すってなってたらだいぶ熱くない?シュナイゼルがダモクレス攻略の指揮官とかになっていたら最高だったのにと思ってしまうね。
ノーランドに思想がないから、ロキとかいう物量チートする羽目になって物語もチープになっているし、ノーランドさんが浅すぎて、ネオブリタニア勢も全員浅くなった。ネオブリタニア勢はどうやっても日本人の虐殺を放置しているし、ロキでの大虐殺を放置していた無能なのだが、最後ちょろっと反ノーランドしたからって赦されている。ナラとかキャサリンとかヴァルターとかな。製作のお気に入りで死なせたくないのはわかるが(お気に入りだから死なせないというのも浅い)、死なせたくないのであれば、そもそもこいつら物語上必要ないので、登場させないほうがよっぽどよかった。大虐殺計画を知らなかったこと自体が、ネオブリタニア幹部として責任があることを免れないが、そういう自分の行いではないものにも責任が生じることについて、脚本家たちは真面目に考えていない。
最終章でサクラが空気だったと思うが、そもそもこのサクラというキャラクターは最終章以外でも空気だった。まず即位の必要性がない(ショタ皇帝を殺す意味がない)。おそらく脚本家は守るべき者が敵組織のトップになるというナナリーとゼロの関係のオマージュをやりたかったのだろうと思うが、そこにサクラの意思がないので特段意味がないしオマージュにもなっていない。例えばサクラがサクヤのクローンで、ノーランドがそれを知っていて…とかなら物語に絡めることもできたし、最後まで人質ポジションにすれば、“奪還”のロゼでいられたのにと思う。七煌星団が動揺するのも意味不明。どう考えても傀儡・人質だろ。サクヤも(せめて七煌星団員だけにでも)自分の正体明かせばいいのに何故か隠し続けるし。
サクラはキャサリンを改心させる役として配置されているのはわかるが、キャサリンを改心させるだけのエピソードもないし、肝心のキャサリンが物語上まったく必要ないので、サクラパート全体に意味が持たせられていない。キャサリンは、強盗一人殺しただけのノーランド(しかも親が殺された後に)に心酔して、サクラとおしゃべりしただけで改心した思想信条もへったくれもない意味のわからないキャラクターになっている。だから「納得はしたけど、なんかモヤモヤするのよねぇ」という意味のわからないセリフを吐く。こいつもっとわかりやすくバトルジャンキーにして七煌星団の何人か殺して、ハルカに倒されるほうが断然魅力的になったと思う。
サクラが最後にネオブリタニア将兵を動かすシーンも、ロキがそもそも関係なく襲ってくる時点でそこまで意味がない。動かないネオブリタニアを動かしてこそ意味があるのだが、ご存じの通り傀儡だったのでそんな力はないはずで、せめてサクラパートで着実に力を付けている描写があればよかったのだが。ヴァルターとかいうキャラクターも意味不明だった。サクヤ様のためというならサクラの存在って邪魔ですらある(サクラのせいでサクヤが正体を明かせない)のだが、なんかそれっぽいことを言って味方するのはよくわからない。で結局は政務にごちゃごちゃ小言いうだけで大したことしてない。最悪なのは次章の引きのために風呂に侵入したこと。本気でキモい行動だと思うが、みんなどう思ってるの?この時点でキャサリンがこのおじさんボコしたほうが、サクラとキャサリンが仲良くなれたでしょ。
この作品には明らかにテーゼがなく、物語を通して言いたいこと伝えたいことがない。だからどこかで見たシーン、見たキャラクターを用意してオマージュしているふりをしているが、結局のところ軸がなく行き当たりばったりの脚本になっている。
最終章ではアーノルドとかハルカ親子の話しとか無駄なシーンを全カットして、アッシュサクヤをもっと掘り下げろよと思うことが多かったが、全編に渡って同じことが言えて、ちゃんとロゼとアッシュないしはサクヤとアッシュを掘り下げようと思っていれば、自然と優先度の低いシーンはカットされるはずだが、そもそもロゼサクヤとアッシュで掘り下げたいテーゼがないので、オマージュもどきのパクリを連発して尺を稼いでいたというのが実情だと思う。だからこの作品を評価するときに「尺不足」というのは間違いで、むしろ「尺があまっている」とすら言える。この脚本家たちにいくら尺を与えても、あっちゃこっちゃ行って、無駄で無意味なシーン満載のものができあがるに違いない。
あと各シーンの描写のレベル低くないかこの作品。ハコウ爆弾特攻もそうだけど不自然なシーンが多すぎて書ききれないよ。とりあえずアレクサンダとランスロットカラーに乗るゼロが出てきたのは解釈違いというか解釈間違いでしょ。コードギアス見てないだろ。