クイーン・オブ・ダイヤモンドのレビュー・感想・評価
全11件を表示
C.C.RIDER
ラスベガスでカジノディーラーとして働く女性フィルダウスの憂鬱気な日常が描かれてます。
セリフが極端に少なくて、暗く静かで退屈、眠くなる眠くなる(笑)
フィルダウスのカジノディーラーとしての様子を17分もの長回しでセリフなしで収めていて、スロットマシーンなどの音だけが静かに響いています。
この静かで退屈すぎるシーンが、この映画を象徴していると思うんですが、
他の方も言われてるように、主人公の憂鬱な退屈な気持ちを表しているんでしょうね。
間違っても、一般的にはウケない作品だと思う(笑)
きらびやかなラスベガスじゃなく寂しげなラスベガスが収められてます。
エルヴィス・プレスリーのモノマネ設定の人も出てきます。
ラストは、カッコ良かった。
シビれた(笑)
尋常でない傑作
特集上映「ニナ・メンケスの世界」からの1本目。
お初にお目にかかるアメリカの女性監督ニナ・メンケス。今作は1991年製作の長編第2作とのこと。
舞台はラスベガス。メンケス監督の妹さんティンカ・メンケスが演じるカジノのディーラーの余りにも孤独で殺伐とした日常に愕然とする。
荒涼とした砂漠の風景、無機質なアパートメント、そしてきらびやかなカジノのネオンにさえ生気はなかった。
砂漠に浮かぶ湖、燃える大木、時折挿入される絶景にハッとする尋常ではない傑作。
時間の無駄だった、という人もいるだろう。 しかし私は、 主人公とそ...
時間の無駄だった、という人もいるだろう。
しかし私は、
主人公とその相棒が部屋で、
DV男に言い返すシーン。あれが見れただけで大満足だった。
あと、オープニングが美しかった。
虚無と言ってしまうとつまらない。だって人間だもの。
映画の極北的、なんか凄いもの見たなー感がある。おしゃれな画角に切り取られた、行き場の無い時間と現実。傷ついた底辺に生きる人間を額に入れて鑑賞してる感じかなぁ。暴力性は私はあんまり感じなかったけど、破壊とか崩壊のメタファー、死みたいなエネルギーを定着させようとしてるのは感じる。16mmフィルムかな?ザラザラ粒子感にしびれます。
ドキュメント見たいな仕上がりを狙っているんだと思うんだけど、その一方でデザイン性もありなかなかの難物であります。
主役の女性は監督の妹さんで、スタイルいいけどどこか棒の様な存在で、濃いめの化粧が浮まくりずっとCure のロバートスミスに見えてしまいましたww
ストーリーを楽しむ映画ではない。
カジノの長回しが長過ぎ…と思いつつ、これは働いている「彼女」の鬱屈とした日常に感情移入させる目的なのか。いや、ただただそこに「ある」ということを観客に体感させるためなのか。
木が燃える様は見ていて面白かった。
鑑賞後、「この映画は一体何だったんだろう」を知りたくて数人パンフ購入していたのかもしれない。少なくとも自分はその一人だ。
反映画史的実験映画
『マグダレーナ・ヴィラガ』と続けて鑑賞。『マグダレーナ』は正直言ってシャンタル・アケルマン『ジャンヌ・ディエルマン』の再奏にしか思えず、そこで繰り返される退屈な性行為や不意に瞬く暴力性にも既視感があった。
しかし本作はニナ・メンケス独自の文法が開陳されており非常に鮮烈だった。本作では撮影技法が二極化しており、一方では気の遠くなるようなロングショットの長回しが、他方では法則性を欠いた目まぐるしいカットの連続がみられた。
ロングショット長回しについては、ヒトもモノも等しく無機物としてショットに還元させるような企みを感じた。そこでは特定の何か(ニナ・メンケスであればそれは「女」と答えるだろう)を有機的に顕彰するような作用はことごとく無効化されている。アパートとその階段を登る女性、夕暮れの海岸とそれを眺める半裸の男性、燃えるヤシの木とそれを見上げる女性。
ヒトとモノが等価で結ばれ、ただひたすら画として成立している地平。そこではもちろん女性が過度に艶かしく映し出されるといった事態は起こり得るはずもない。女も、アパートも、男も、ヤシの木も、単なる物体に過ぎないのだ。
カジノのシーンに代表される目まぐるしいカットの連続は、映画史に伝統的な視線の解体を目指していたように思う。カジノと女という組み合わせは、50年代フィルム・ノワールに登場するような危険で謎めいた美女(=運命の女=ファム・ファタール)表象を想起させる。「カジノと女」は画として非常にフェティッシュなわけだ。
しかしニナ・メンケスは敢えてカットを割りまくる。カメラの位置を絶えず右往左往させる。そうやって受け手の視線を絶えず撹乱し続けることで「カジノと女」という表象が映画史的に内包するフェティシズムの拒絶を試みる。やや技法に走りすぎな感は否めないものの、先ほどまでの緩やかなロングショット長回しとの対比上、本シーンは非常に強烈だ。
知人の結婚式を抜け出した主人公がスポーツカーをヒッチハイクして夜闇の中に消えていくラストシーンもよかった。抑圧からの一時的な解放(=結婚式からの脱出)と新たな抑圧への沈降(=おそらく男が運転しているだろうスポーツカーへの乗車)が同時に暗示されていたように思う。
ただ一点、時折明滅する宗教的モチーフに関してはいまいち読み解けなかった。十字架を乗せた滑車で街を練り歩くあの奇才は何だったんだろうか。そういえば『マグダレーナ』にもキリストの肖像画が登場していたな。
いろいろな感想が頭に浮かんで、面白かったです
ラスベガスと聞くと華やかなイメージがありますが、女性ディーラーのフィルダウスの日常は淡々と仕事をこなす地味な毎日の繰り返し。
驚いたのは、ディーラーとして働く彼女を延々と撮る場面。
いつまで続くのだろう? と誰もが思うシーンですが、そのままフィルダウスの気持ちでもあるのでしょう。
これは彼女の生活そのものを表していて、多少の波風はあっても、基本的に何も変わらない毎日です。
また、キービジュアルにもあるような、木が燃えるのを眺めているシーン。
木が燃え尽きるのを見て、彼女はなにか啓示を受け取ったことが想像できます。
日々のルーティンから抜け出せない自分との対比かなと感じました。
ナニコレ珍百景
興味を持って観に行きましたが、定点長回し無音カットに耐えられませんでした。
サーカスのゾウがトレーラーの前でゆらゆらシンクロナイズドダンスしているのは偶然撮れた奇蹟?⁇
解説書いた人天才。
命はあれど消えつつある存在のない女性性。
前後のない断片的なシーンで繋がれた映像は、実際にその時間にその場所にいた主人公が、いたかどうかさえも他者の記憶に残らないほどの軽やかな存在感を持って、誰のものでもなく、ただ”いる”という現実を描く。
繰り返される単調な日々
魔女のように長く伸びた真っ赤なネイルの若い女性
カジノのディーラーで毎日ひたすらカードを配り続け
仕事が終われば老人介護の毎日
激しく燃える椰子の木は彼女の自身のよう
今回メンケス作品に興味を持ったのがこの燃える木だった
全11件を表示