ルート29のレビュー・感想・評価
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2024年後半個人的最大注目作。あら、これって、こないだ見たアレと一緒?
2022年の「こちらあみ子」で長編デビュー。いきなりオレの生涯忘れえぬ1本にしてしまった森井勇佑監督待望の新作。主演はなんと綾瀬はるか、そして「あみ子」大沢一菜。東京映画祭上映作品。 公式予告からうかがえるのは、ロードムービーであることと、綾瀬はるか主演ということから想像するエンタメ感。こちらの期待はガチ盛りである。 「こちらあみ子2」 ・ ・ ・ じゃなかった、「ルート29」 ・ ・ ・ 前作「こちらあみ子」の評価は人それぞれで、どちらかというと、「可哀そう」、「あみ子のその未来は暗い」といったネガティブな声の方が大きかったように思える。個人的には「こんな前向きな映画はない」といってもいいぐらいの勇気と誠実さを感じる映画だったが、そんな声を意識したのを想像できる内容と、監督お気に入りである大沢の再起用ということからもこれは開けてみれば「こちらあみ子」の続編である。 前作をネガティブにとった人には、簡単に言ってしまえば、「あみ子」が一人たくましく(正確にはシャケ師匠と)生きており、死と上手に向き合えるようになり、そして現代に生きる人々の諦観や悩みそして死を感じながら、綾瀬が一歩前に進む足がかりな存在となった、というアンサーの作品である。 体はロードムービーのド定番。 タイトルは「こちらあみ子2」あるいは、「みんなあみ子」と改題してもいいかもしれない。 このメッセージ自体は非常に力強い、勇気づけられるものであるのは確かだ。そこに大きな価値、共感を得る人がいることに対し、異論は全くないし、その感性は素晴らしいものだ。 ただ本作は前作はスパイス程度だった「ファンタジー色」がより強くでている一方、人とのつながりが人を生かす、希望を与える、前向きになれる、といったあたりが演出面で少し説教くさく感じる上に、綾瀬の参加により、期待したものとはギャップを強く感じる人もでるだろうし、「こちらあみ子」を未観の人にはなおさら、居心地が悪い。綾瀬はるかにエンタメを求めてしまうのも無理はない。(本編冒頭のタイトルバックと画角でそういう映画ではないことを教えてくれはするが。) そして、オレにしてみれば前作は「完璧な」ラストだった。 監督の誠実なまなざしは間違いないが、主な登場人物が「信頼のおけない語り手」になってしまっているのも、観る側に難しくさせている。 あら、これって、こないだ見た「フォリ・ア・ドゥ」? すこし残念な点。もちろん楽しい点は多いが、風の使い方も前作のさりげなさ(がオレは本当にうれしかった)が、今回ちょっとあざとく感じたり、シンメトリーの多投も悪くはないが、ここぞのインパクトもなく、なんとなくウェス・アンダーソンや北野武、ゴダールへのオマージュや音楽もそっち系を必要以上に感じさせてしまっている。 追記 シャケ師匠を演じた播田美保がまたまた素晴らしい。 追記2 「詩人」トンボのメモの文字が見えないなあ、と。まあそこはいいとして、みてわからなかったのは、誰が「ハル」が行方不明だとを通報したのか、という点。 本当に前作の家族が通報した。(つまり井浦新)。病院のお母さん(市川)は「あみ子」の本当の母(前作の尾野真千子は義母)的な妄想をモヤモヤしつつ。そこはパラレルワールドとして委ねられているのだろう。 序盤の綾瀬のみる頭のレントゲンも本当は誰のものか。 うーーむ、モヤるなあ。 も一回観るかな。
綾瀬はるかの進境と、森井勇佑監督が「あみ子」役で見出した大沢一菜の成長をもたらす“辺路”、あるいは異界巡り
辺境を旅して修行することをかつて辺路といい、のちに字が変わって四国の「遍路」になったのだそう。のり子とハルの旅は、はじめこそ姫路と鳥取を結ぶ国道29号線を車で進むので辺境とは言い難いが、やがて生きているのか死んでいるのかよくわからない人々と出会い、異界巡りのような様相に移っていく。世の中に馴染めずにそれぞれ生きてきた2人にとって、人生の次のステージに進むために必要な通過儀礼だとすれば、この旅も“修行”と呼べそうだ。 いわゆる国民的女優の一人として確固たる地位を築いた綾瀬はるかが、アート系や単館系と呼ばれそうな本作への出演オファーを快諾したのは、(欧米では大物俳優が主要映画祭等で主演賞を獲ったのちインディペンデント作品に出ることもままあるが)保守的な日本ではわりと珍しいケースではないか。綾瀬自身が森井勇佑監督のデビュー作「こちらあみ子」を大好きだったというのも大きいだろう。これまで娯楽大作映画、NHK大河ドラマや民放ドラマで数多く主演をこなしてきた彼女が、イメージが固まることを良しとせず、役者として表現者として新境地を開拓すべく同世代の気鋭監督の映画に参加することを望んだのかもしれない。 そして、「こちらあみ子」で見出された大沢一菜(2011年生まれの現在13歳)が、前作から約2年分の成長を見せて、大人の映画ファンをまるで親戚の子と久々に再会したかのような心持ちにもしてくれる(昨年秋クールの「姪のメイ」でも会っていたドラマ好きも多いだろうが)。「こちらあみ子」は今村夏子の短編小説が原作だが、同作と今作の両方で脚本も書いた森井監督は、大沢一菜の“あみ子”がその後どうなったかをイメージしてハルのキャラクターを造形したものと察せられる。野生児のような天然ぶり、ハルの母親が精神を病んでいるなど、「こちらあみ子」に通じるポイントも多い。気になったのは、リップのピンク色の強さ。外見も内面も性差を感じさせない中性的なキャラクターがハルの魅力なのに、大人から無理に女性らしさを塗りつけられたような違和感を鑑賞中ずっと抱いたままだった。 杉田協士監督作「彼方のうた」、清原惟監督作「すべての夜を思いだす」でも組んだ撮影・飯岡幸子と照明・秋山恵二郎のコンビによる映像が詩情豊かで、観ていて心地よい。のり子とハルが初めて対面する草むらのシーンの美しさは絶品。日常と異界のあわいのような空間の描出にも映像の力が大いに貢献している。29号線沿いの風景には旅心を大いに刺激された。
幻想的な世界
不思議な世界を体感できました。レビューは低い映画ですが、私は好きです。幻想的でシュールで、現在の生き方を考えさせてくれる深みのある映画だと思います。シネマスケジュールが減ってきているのが残念です。直観的で、短絡的に面白い映画を求める現在にあって、素晴らしい時間を体感させてもらいました。もう一度、ゆっくり見たいと思っています。もちろん映画館で。DVDやアマプラでは集中して見れないと思うからです。いずれ多くの人の心に打つ時がくるのではないかと心から期待しています。この映画の関係者ではありません。いち映画ファンからの意見です。
綾瀬はるかが可愛い
綾瀬はるかさんの大ファンの1人として今回はこの映画に足を運ばせてもらいました。感想として、私が馬鹿なのかもしれないですが意味がわかりませんでした。
カヌーに乗った人達の衣装はなぜあんなにばらばら?市川実日子さんを使っておいてトータル2分くらいしかなかった市川さん。綾瀬はるかというキラキラ大女優をあそこまで暗くする必要があったのか。。ちょっとよくわかりませんでしたか。憶測として、トンボとハルはもうこの世に存在しない人間だったのかなって、
思ってます、
ファンタジーではない。あくまでリアルだと思う。
監督のデビュー作『こちらあみ子』があまりに衝撃的だったのでチェックしてたものの、映画.comでの評価の低さが気になった。そんな前情報で鑑賞。 結果、とてもとても良かったと思った。 主人公の2人を含め、登場人物がみんな奇妙。セリフも風変わり。生きてるのか死んでるのかもわからないキャラもいる。それと、執拗に繰り返されるシンメトリックな画角。風景はリアルなのに、モブを含めて人間の見え方がやけにファンタジック。たしかに、序盤では観客として軸足をどこに置けばいいかわからず混乱した。 だけど、あの湖のシーンでふと思った。 もしや、この映画全体が、カメラワーク、音、言葉の全てが、主人公2人から見える世界なのではないか。そう思ったところから見え方がガラッと変わった。 とても緻密に練られた脚本。多用されるのはシンメトリーではなく、話者を真正面から見据える主人公の目線。そうすることでしか相手と向き合えない主人公たちから見えるリアル。なのではないか。 観客がわかりにくいと感じるとすれば、「〝(敢えて使うが)障害者〟を扱ううえで普通ならあるはずの〝健常者〟との接触でどちらかが困惑する様子」が描かれていないからではないか。だけど、そのわかりにくく感じることが「健常者」の目線で、映画全体が「健常者」たる観客を「ちゃんと」困らせていたのではないかと思った。 『こちらあみ子』に続く主演の大沢一菜はもちろん、〝トンボ〟役の綾瀬はるかの好演が美しさも込みで光ってた。赤い服のばあさん、じいじ、川にいた親子、妹、時計屋、母親。みんなよかった。 映画館で観られてよかった。
あみ子はもう一人のあみ子に出会った。
本作は「こちらあみ子」の正当な続編という感じで鑑賞した。前作ではあみ子は独特な世界観を持つ子供だったけど、社会から疎外されたことによって自分の世界の住人達と別れを告げ子供時代と決別して「大人」になる選択をしたのだと解釈した。 本作の主人公トンボはあみ子が子供時代の自分と決別をせずにそのまま大人になってしまったような人物であり、日々自分だけの世界に閉じこもって外の世界とは極力接点を持たないよう暮らしていた。 人はみんな自分の心の中にそれぞれの世界を持っている。そしてそれは他人からは到底理解されないようなものだったりする。 たとえば感性なんかも人はそれぞれ違っていて同じ赤色でも人によっては血の色に見えたり、真っ赤な夕日の色に見えたり、爬虫類が気持ち悪い人もいれば可愛くてペットとして飼っている人もいる。そんな程度の違いは社会で生きていく上では許容範囲内だが、そんな違いを超えたもっといわゆる世間一般と大きな乖離があると社会では何かと生きづらくなる。 社会の「常識」から外れてしまう感性の持ち主にとってはこの社会では何かと生きづらい。 今まででいうとLGBTQの人たちなんかそうだったんだろう。今まで社会の一定の枠内に収まれない人たちは網で掬い取られて排除されてきた。 特に今のように経済が疲弊した世の中では他者への思いやりとか寛容さが失われていて異物を掬い取るための網の目がどんどん小さくなってきている。昔なら個性的だねと言われたような人でも皆と少しでも違えばたちまち排除される。 「こちらあみ子」のレビューではあみ子を障碍者としてではなくあくまでも個性的な女の子として書いた。 そもそも障碍者と呼ばれる人たちも広い視野で見ればみんな個性的だと言える。そんな個性を尊重できない社会は効率化をうたい「障碍者」と「健常者」に分けてしまう。そうして「障碍者」を隔離して社会から排除してしまう。 それどころかいまの世界では少しでも異物とみなせば排除しようという排他的な風潮が特にひどくなってきている。障碍者排除どころか高齢者排除、異民族排斥、イデオロギーの違いからくる排除。このままどんどん排除のための網の目が小さくなっていずれは自分自身も掬い取られるほど網の目が小さくなってきてることにも気づかないのではないか。 そんな世界で生きてゆくには自分が異物とみなされないようにする必要がある。今まで多くのLGBTQの人々は告白もできず隠れるように生きてきた。「普通」から外れてしまったらたちまち排除される。LGBTQでなくとも何か個性が強い人、なかなか周りから共感を得られないような独特の感性を持つ人、周りから変だとみられないように息を殺して生きてきた。周りにうまく溶け込めるような器用な人ならいいが、中には普通を装うことに耐えられなくなりこの社会が監獄のように感じられる人もいるだろう。トンボたちが森で出会った親子のように。 トンボとハルはやはり独特の世界観を持った人間。でも彼らは初めから社会に溶け込もうとはしなかった。自分の世界を保ちつつ最小限の社会との接点しか持たずに生きてきた。当然孤独である。自分たちのことはけして社会から理解してもらえない。社会の中の孤島で暮らしてきたそんな二人が初めて出会う。 トンボは言う。自分は今までひとりぼっちだったと、でも今は違う。この広い世界で同じものが見える者同士が出会えたのだ。トンボに見えるものはハルにも見える。ハルに見えるものはトンボにも見えた。 二人の目には国道29号線のカーブを曲がって来る魚の姿がはっきりと見えていた。他の人にはけして見ることのできない彼らだけの感性によって。孤独な二人が今まさに無二の仲間と出会えたのだった。 なかなか周囲には自分のことを理解してもらえないと悩んでいる人もいるだろう。でも必ずこの世界のどこかに自分と同じ世界を持つ人間はいる。そんな希望を抱ける物語。 何か棒立ちの人物たちがとにかく可笑しくて、きっとトンボやハルたちには世間の人たちがあんな風に無機質な感じで見えてたんだろう。彼らの独特な感性を通して世界を見ているかのようなとても興味深い作品だった。 本作は理解できない、わからないという思いを観客に持たせることができれば製作した意味があったと言えるかもしれない。 他者を簡単に理解しようなどということは傲慢なことなのかもしれない。
なぜか横一線
本作公開の報を目にしてから期待していた作品です。まず、怪作とも言うべき『こちらあみ子』で鮮烈な監督デビューを飾った森井勇佑の第2作であること。次に、同作で「何じゃこの子?」とやはり驚かされた子役・大沢一菜さんが再び出演する事。そして、奇妙な映像空間になるに違いない森井作に綾瀬はるかさんが起用された事です。特に大沢さんは『あみ子』があまりにはまり役だったので、「この子はこれ以外の役は出来ないのでは」と思っていただけに、期待半分・不安半分と言った思いでした。 人との交わりが苦手で鳥取で清掃員として一人ぼっちで働く女性が、「姫路にいる娘を連れて来てほしい」と頼まれて彼女を連れて国道29号線沿いに北上するロード・ムービーです。 まず、大沢さんがすっかり大人っぽくなった事に驚かされました。でも、独特の目力はやはり本作でも健在で、映画の中で輝いていました。また、本作ではかなり言葉少ない綾瀬さんも、静かでどこか奇妙な作品の空気を纏って新たな一面を見せて下さいました。 そして、この作品自体は「監督は何を言いたかったのか」と言う事を言葉にしたら忽ち崩れてしまう世界に映りました。僕も何だかよく分からないのですが、それが監督の独りよがりとは感じられず、唐突に飛び込む「なんじゃこりゃ」の映像が強く印象に残るのです。 横一線にならんだラバー・ダック、横一線に並んだ池のボート、横一線で夜空を見上げる街の人々、横一線に延々と並べられた小石。映像の中から伸びた手に脳みその裏側をくすぐられた様な思いがしました。これも映画でしか味わえない経験です。
わけわからん映画?
感想 意味不明わけわからん 主題はなに?何を言いたい!何に閉じこもり何から解放されたのか?まったく不明! 動機 綾瀬はるかファン 27日で終了のため 良かった点 1.鳥取砂丘の海の青さ 2.綾瀬はるかのランニングシーン 3.29号をはしる巨大な黄金色の魚 鯉? 残念な点 1.主題テーマ描きたいことか全く分からない ハルが居なくなって寂しかった 最後の鳥取砂丘でのトンボの台詞である。何かに縛られそれから解放される その答えが29号ハルとの旅 わからない? 2.綾瀬はるかの衣装はつなぎの作業服のみ約5000円。 3.各シーンの繋ぎがない。 振り替えっても意味不明の映像ばかり 未編集か? 4.エキストラが突っ立っている。意図的であり主人公以外の時間が止まっている演出か? 5.無声音映画のよう
長かった…
未読だけども、原作の詩集は良いのかも知れませんね…。 詩集を物語にするのは、結構、難しかったのかな? 詩集を読んで浮かんだ、監督さんや脚本さんの頭の中の映像を優先させて、 そのまま作品にした感じ?? 受け手がどう思うかは、置いてけぼりな感じ??? とにかく、引きの映像ばかりで飽きるし、それがそんなに良いとも思わないし…。 ドヤ顔浮かぶんですよね…。 お姉さんの話も長いしねぇ。 途中までは良かったのに。 長い間や、無音の映像から何も伝わらなくて、 結局、少ない説明セリフで伝えようとするから、「ふーん…」って感じ。 また、ハルの感じが、あみ子と変わらないのは敢えて? 12歳って、あんな感じだっけ?? 画面も暗めだし、ラストのハッピー感も薄いし、観ていて疲れちゃったよぉ…。
人生の時計
生きること死んでいること、生と死をトンボとハルを通して描く。
非常に分かり難い、見る人を選ぶ映画。
だが、映画が持っている世界観、テーマは面白く、映像も素晴らしい。特に、山でのシーンの新緑の生命を感じる映し方は綺麗だ。
本編は、トンボとハルが母親に会うために旅に出る。
旅路で出会う人々は生きているのか、死んでいるのか分からない、不気味な雰囲気を醸し出す。
山で暮らす親子の腕時計が止まっている描写や、お姉さんとのエピソードでは、言葉で生きているのに死んでいるようと感じる話が展開される。
事件発覚後、トンボとハルが立ち寄った喫茶店では、写真で神経衰弱をしている老人がいるが、『生きてる』『死んでる』と話している、そして、トンボに映像が移るにつれて『生きている』と話す。行方不明になったハルを探す描写ではトンボ以外の人が止まってみえる。トンボの時計が動き出したように。
そして、母親との再会へ。『私は死んでいます』と話し背中を向ける母親に、ホイッスルを鳴らし『死んでてもいいからまた会おうな』と伝えるハル。
ハルはトンボに時計店で譲り受けていた、腕時計を手渡す。人生の時間が止まらないように。
警察で自首して、連行されるトンボ。その後ろ姿は母親と同じ面影がみえる。
ラストの魚は、トンボの心の砂漠の中に、ハルが、魚が、潤いをもたらしていく…。そんな希望的な展開だったと信じたい。
独特な世界観の映画
予告で気になって鑑賞!
他者と必要以上のコミュニケーションをとることをしないのり子は、鳥取の町で清掃員として働いている。
ある日、仕事で訪れた病院で、入院患者の理映子から「姫路にいる私の娘をここに連れてきてほしい」と頼まれた彼女は、その依頼を受け入れ、単身で姫路へと向かう。
理映子から渡された写真を頼りに、のり子が見つけることができたハルは、林の中で秘密基地を作って遊ぶような風変わりな女の子だった。
初対面ののり子の顔を見て、「トンボ」というあだ名をつけるハル。
2匹の犬を連れた赤い服の女、天地が逆さまにひっくり返った車の中に座っていたじいじ、「人間社会から逃れるために旅をしている」と語る親子、久しぶりに会った姉など、さまざまな人たちと出会いながら、姫路から鳥取まで一本道の国道29号線を進んでいく2人の旅が始まった──。
というのがあらすじ!
U-NEXTでエピソード0を観て鑑賞しました
独特な世界観の映画で個人的にはなんかよくわからない映画でした笑
登場人物はどの人たちもとても個性的な人たちばかりでしたね!
特におじいちゃんは謎すぎた…笑
カヌーの場面は明らかに三途の川って思いました笑
もうあの会ったときに車がひっくり返ってましたしその場面ですでに亡くなってと勝手に思ってます…笑
不可解な出来事の連続で現実と幻想がよくわからなくなりますね🤔
周りの人たちも歩き方がおかしかったりしたし…
不思議な映画でした
もう一度観たら何か違う感想が出てきそうな気がする…
機会があれば是非もう一度観たいと思います!
ありがとうございました😊
綾瀬はるかを主演に迎え、詩人・中尾太一の詩集「ルート29、解放」に...
綾瀬はるかを主演に迎え、詩人・中尾太一の詩集「ルート29、解放」にインスピレーションを受けた独創的なストーリーで撮りあげたロードムービー。
現実と幻想の狭間で揺れる旅路
「こちらあみ子」の持つ現実感をさらに溶かし、死と生の狭間を静かに旅するような物語。その空気感には、現実と幻想の境目が曖昧になっていく美しさが漂っている。 物語を見つめるうちに、ふと「崖の上のポニョ」を思い出した。魚がさりげなく登場することが、その記憶を呼び起こしたのかもしれない。 ハルがトンネルを通ることを強く拒む場面では、「ポニョ」や「千と千尋の神隠し」の記憶が胸をよぎった。どちらの物語においても、トンネルはこの世とあの世の境界として象徴的に描かれていた。
リボルバー・リリー(未見)の次がこれ
2回観てしまった。常に違和感と驚きを仕掛けてくる作り込んだシーンの連続に初見でくらくらした。シンメトリーや横移動などウェス・アンダーソン味のある画面を基調に、冒頭の修学旅行で日傘を差している中学生から始まって、あらゆる場面に「なんで?」という引っかかりが仕込んであって気が抜けない。ただし、ウェス監督作と違って字幕がないおかげで映像に集中しやすい(笑)。 しかし意味不明なこの作品世界、いったいなんの話なのか。自分の解釈としては、スイス・アーミー・マンと同じ手触りの話であり、森井勇佑監督の前作こちらあみ子からつながる続編だと思った。明確に言及はされないが、スイス〜はASD?の主人公ハンクから捉えた世界の話だし、こちらあみ子も何らかの発達障害をもつ女児あみ子と周囲との関係を描いた作品だ。 のり子は人とコミュニケーションが取れず孤独に生きる女性という設定だが、つまりハンクやあみ子と同様の気質(脳のレントゲンの丸い空洞で表される?)があり、本作はそんな彼女が見て聞いて感じている世界を表現しているのだと思う。世間から見ればタバコに着火する風除けとしか思われない存在感の薄い孤独なのり子の精神世界では、ぷくぷくと鳴る(砂漠の上を黄色い魚が泳いでいるような)音が聞こえたり、人々が亡霊のように動き抑揚なく話したりしているのだろう。 大沢一菜がハルを演じているのはそのものズバリ、成長したあみ子の姿なのだと思った。あみ子の母は娘の振る舞いで心を病み、母娘は別々に暮らすこととなった。ハルの母も精神科病院で別居しているが、「母親は自分を好きじゃなかったかも」というハルのセリフから、その原因はハルである可能性も示される。のり子とハルはともに一般社会には適応できず、他人の気持ちを理解するのが難しい種類の人間だが、そんな2人が国道29号線を端から端まで一緒に旅することで、お互いが心を通わせていく話である。 本作にはあちこちに死の気配がただよっている。ハルの母親はもうじき死ぬと言い、車の爺さんは死んでいるとハルは言う。R29の山間は異界のように描かれ、高良健吾親子が生活する森の沢はあの世とこの世を隔てる三途の川に思える。また、犬連れの女の赤い服や爺さんを迎える10艇の赤いカヌー、商店街の事故時に見える巨大な赤い月など、死は赤色で示されている。考えてみれば、スイス〜は死体と森をさまよう話だし、こちらあみ子にもボートに乗った亡霊が現れるなど、本作に通じるものがある。のり子やハルのような人々は日頃から死をかなり身近に捉えているのだろうか? 場面ごとの細部についてもいろいろ考察したくなるが、キリがないので最後に。本作のような一定の気質をもつ人たちの感覚やイメージを描き出すのは、その当人でなければなかなか難しいのではないか。ちなみにスイス・アーミー・マンの監督(の片方)ダニエル・クワンはADHDなのだそうだが、森井監督もそういった才能の持ち主なのかもしれない。 レビューの低評価が示す通り、綾瀬はるか主演ながら興行的には苦戦しているようだが、綾瀬の顔面力に頼っただけではない傑作だと思う。3回目を観るか迷い中…。
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