「前半のリアリティが後半まで続かなかったのが残念」好きでも嫌いなあまのじゃく アラカンさんの映画レビュー(感想・評価)
前半のリアリティが後半まで続かなかったのが残念
公開から3週間以上が経つが、ようやく観に行った。珍しいことに地元の米沢が舞台になったアニメ映画である。映像の画力は凄まじいレベルで、地元で見慣れた風景がアニメ化されているのは実に心地よいものだった。自然描写も見事なもので、特に物語のキーとなっている雪の描写は非常にリアルだった。それだけに、脚本の出来がイマイチだったのが惜しまれた。
ファンタジー映画というのはアニメでは定番のようで、鬼滅の刃もすずめの戸締りもいずれもファンタジーであるが、物語の出来にはそれぞれ大きく差がある。鑑賞に耐えるかどうかは、その世界のルールがきちんと描写されているかどうかだと思っている。鬼滅の刃の世界はルールが非常に明確に示されているので、各キャラの行動が良いのか悪いのかが手に取るように分かって、観ている側も引き込まれるのだが、すずめの戸締りのようにルールが不明のまま物語が進行してしまうと観ている側は疎外感ばかりを持て余してしまうことになる。本作も後者に属すると言わざるを得なかった。
映画の開始にある米沢駅から一中までの通りは、私も中学生時代に通い慣れたところであり、その描写のリアルさには本当に感心させられた。主人公の二人が出会うバス停は、何と現在の住居から一番近いバス停で、笹野観音前の白布通りである。毎朝の散歩でしょっちゅう通っている所で、周囲の家屋の佇まいなどもそのまま描かれていた。夏祭りの会場は笹野観音だが、ここのお祭りは真冬の2月に行われる花祭りがあるだけで、夏にこんなお祭りは実在しない。また、二人が立ち寄る小野川温泉の宝寿の湯にも行ったことがあるし、二人が向かった山寺日枝神社にも行ったことがあるので、物語の世界は非常に馴染みがあるところばかりだった。
問題は、まず主人公の行動原理であるように思えた。人の良さを示すエピソードが立て続けに出されているが、それだけで見知らぬ少女を連れて米沢から山寺まで歩いて連れて行こうというのはいくら何でも無理があると思った。60km 以上の距離があるので、18 時間以上かかることになる。それも親に無断でである。この時代に携帯で無事も知らせずにそんな行動をしてしまったら親はパニックになって必死で探す羽目になるはずである。人がいいなら親に対しても良くなければ話がおかしなことになる。もっと明確な理由付けがあるべきだった。
道中でいい人ばかりに出会うエピソードは好ましかったが、かなり現実性が薄く、更にそれらが後半の展開にあまり関連が深くないのが勿体無いと思った。見知らぬ客人から唐突にしばらく働かせてくれと言われて引き受けてくれる旅館はまずあり得ないだろう。千と千尋のパロディのようにも感じられたので、オリジナリティが薄れるのも勿体無いと思った。異世界との出入り口が高畠町の瓜割石庭公園で、川にかかった橋を渡るというシーンも千と千尋を彷彿とさせた。
異世界を人間の目から隠すために雪を降らせる雪神というのもその仮面はカオナシを彷彿とさせたし、飛んでいる姿はハク竜のようにも見えた。ここでの問題は、なぜ雪神が鬼を襲うようになったのかという理由が全く示されない点である。人間が鬼になる条件も不明だし、ツムギの母親がいなくなった理由や、その役割を放棄したらどんなペナルティがあるのかなども全く不明である。これでは観る側は全く主人公らに入り込めない。
前半がリアルだった分、後半の組み立てをもっときっちりやって欲しかったと思うばかりである。いっそ、何故米沢にあれほどクソのように大雪が降るのかに結びつけてくれたら良かったと思う。
(映像5+脚本2+役者3+音楽3+演出4)×4= 68 点。