「現代人がここで食事をして、用足しをして、眠りなさいと言われてもできないだろうね。」骨を掘る男 栗太郎さんの映画レビュー(感想・評価)
現代人がここで食事をして、用足しをして、眠りなさいと言われてもできないだろうね。
戦争によって打ち捨てられ、76年もの間土の中に埋められたままの骨を、ひとり黙々と掘り続ける男、具志堅隆松。とかくこの手の話題になると活動家のパフォーマンスを疑いたくなるが、そんな空気はみじんもなかった。むしろ、とてもニュートラルな言葉選びと物腰。作業に対する責任は感じても、他人に圧を与えるような態度はとらない。とても好感を持った。
「基地の土砂を南部で調達しようとしてる。そこには遺骨がまだたくさん残っている。」と訴える言葉は切実だ。遺骨が混じっている南部の土砂を埋め立てに使うことに抵抗があるのは当然。それは戦争のために命を失った戦没者の尊厳を踏みにじる行為。基地の土砂になるということは、骨になってまでも戦争の犠牲になる(可能性がある)ということ。
これは大事なポイントなのだが、具志堅さんは基地反対とは言っていなかった。すくなくとも映画の中では。南部の土を使うのをやめてくれ、とお願いしている。その理由はただひとつ、まだ遺骨が残っているから。それならば、政府主導で遺骨採掘の作業を進めることはできないのだろうか。あまりにも膨大で二の足を踏んでいるのだろうか。なんか、どこかで沖縄県人を他人だと思ってるんじゃなかろうか。知事にしたって、具志堅さんのハンストに対してけして全面的な賛意ではなさそうだったのが気にかかる。そこに打算が見え隠れしていた。
いまだにガマの中から『たしきてぃくみそーれー(助けてくれ)』という叫びが聞こえるという具志堅さんの、「沖縄なんて、みんな骨の土で生活してきたんだと思うよ」という言葉は、戦没者に対して今でも深い弔意を心に抱いている表れだ。そしてそれは、多くの沖縄の人も同じ思いなのだろう。