八犬伝のレビュー・感想・評価
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残念。
馬琴が友人の北斎に八犬伝の物語を語るという形式で、創作に賭ける馬琴の人生(実)と八犬伝の物語(虚)が交互に描かれるのだが、この二部構成が全くうまくいっていない。どちらも中途半端になってしまった。
特に八犬伝の物語パートが残念。映像のチープ感は否めないし、八剣士の描き方が薄すぎて、それぞれのキャラクターが立ち上がってこない。せっかく力のある若手俳優を起用しているのに、彼らのよさが活かされていなくてなんだか可哀想だった。
八犬伝自体がそれだけで素晴らしく面白い物語なのだから、正面から正攻法で新しい八犬伝を見せて欲しかった。残念。
短いね
虚と実を過不足なく絡め映画的な統合を図るのだとすると時間が圧倒的に足りない。南総里見八犬伝は28年間を費やし私生活の苦労を抱えまた戯作の意味を繰り返し問いかけながら作り上げた超大作であるということが実の部分で強調されながら、本作で映像化されている虚の部分があまりにダイジェスト過ぎて作中で自己矛盾を起こしている。小説は未読だが、映像化にあたり実の部分を掘り下げてドキュメンタリーをやりたいのか、虚の部分のアクション大作を語りたかったのか。曽利監督の経緯から推察するに後者だったのでは。
マタゾウは薬師丸ひろ子と同学年、NHKも深作版も知っている世代。CGIの進歩はあろうが虚の部分のスケールが小さく、アクション映画としても本作が勝てたとは言えない。出演者各位にとっても残念だったのではないだろうか。
舞台挨拶会をライブビューイングで鑑賞。
追記 「ヤッチマイナー」はGOGOの出演とともにオマージュ?
フランダースの犬
面白かった。
虚(フィクション)と実(現実)の問答。
四谷怪談が掛け算でも足し算でもない、引き算ではないか!と激昂するシーンが最高に面白かった。
八犬伝と四谷怪談の関係など考えたこともなかった。
虚は実となり、実は虚となり、反転する、虚実の哲学。
主人公は現実の無情さに生涯苦しみぬく。
そして、この「八犬伝」という物語そのものが、虚を実でくるんだ構造になっている上、さらに最後の最後でさらに虚でくるむという構造は素晴らしい(フランダースの犬のように)。
改めて我々にとって虚(フィクション)とは何なのか、深く考えるきっかけになった。
現実はつまらぬ、無情の世界。
しかし我々は現実だけに生きているわけではない。
むしろ何をもって生きるのか、ということの中に真実があるのかもしれない。
江戸川乱歩の「うつしよは夢、夜の夢こそまこと」にも通じる。
虚と実、動と静
現実と虚構が入り乱れた作品、150分の尺から「大丈夫か?」という一抹の不安があった。しかし、推しの役所広司が主演となれば、観ないわけにはいかない。というわけで、おっかなびっくりで初日のレイトショーへ行ってきた。
鑑賞し終わって最初に感じたことは、150分があっという間だったということ。
つまり、それだけ作品に没入できた。実と虚の世界の時間配分のバランスがよく、違和感なく、自然に見ることができたからだと思う。
推しの役所広司(馬琴)の演技はやはり流石。言うことなし。
内野聖陽の北斎も、内野らしさ、北斎らしさ、が出ていて、二人の掛け合いがよかった。
実のパートでのクライマックスは、中盤の鶴屋南北(立川談春)と馬琴の問答だったように思う。実と虚、正義と悪をどう描くかの問答だったが、大衆文芸である偽作、歌舞伎にそれぞれメッセージを込める二人の創作者としての矜持がぶつかり合う場面だった。ここ見どころ!(南北が終始天地逆さまで話し続けるのは、馬琴と真反対の考えを持っているということのメタファーかな)
虚のパートは、ダイジェスト的にまとめないと実のパートの邪魔になるので、かなりの中途半端感は否めない。いや、それでも、よく1本の映画にまとめたものだと思った。
実のパートが動きがない「静」の映画とすると、虚のパートは完全に「動」。実と虚、静と動。相反するものを1つにまとめた制作陣の手腕はすごい。
ただ、全編通して馬琴の執念は伝わってきたが、残念ながら心を揺さぶるものがなかった。馬琴が失明してお路(黒木華)が代筆して作品を完結させる場面や、八剣士が玉梓(栗山千明)と戦う場面なども、平板な印象で、観る者の心を動かすような演出・演技ではなかった(わざとそうしたのかもしれないが)。
豪華俳優陣の力が十分発揮されていないように感じたのが残念(下記に簡単な感想を)。
※栗山千明はやっぱりダークな役が似合うと思います。
※河合優実どんだけ働いてるの?
※板垣李光人はやばいわ。誑かされそうになった。
※寺島しのぶは、めちゃくちゃいい味出てました。
(2024年映画館鑑賞29作目)
物語の筆を置いてはならない
八犬伝の冒頭はなぜーか知ってます。何がキッカケだったか思い出せないのですが。
作り手にそんな人生があったのか、と胸熱。
年老いていく姿と目が見えなくなっていく姿。人生をかけて作品を生み出す美しさ。
「ルックバック」「ブルーピリオド」のように美術芸術分野の映画が多いような気がして、生成AI時代への何らかのメッセージかなと感じています。
良い作品。だが、映画界の役所広司依存症は危険水域。
緊張と緩和のバランスがよく、最後まで没入できました。
しかしながら、映画界、テレビ界、の、役所広司依存症は、危険水域。
役所広司さんの声は、他の作品で聞き慣れているので、声を聞くたび「『陸王』だなぁ」と、思いながら観てしまいました。
若い俳優さん、病に伏す磯村勇斗さん、滅私奉公の黒木華さん、当人にしか見えない、素晴らしい演技でした。
愛とロマンはあまり感じられなかったかな
子供の頃に角川映画の『里見八犬伝』を見ていたので、その後に教科書に出てきた滝沢馬琴と南総里見八犬伝の事は良く記憶していた。
『八犬伝』には、薬師丸ひろ子が『里見八犬伝』で演じていた静姫は出てきません。
簡単に言うと角川映画の『里見八犬伝』は、愛とロマンの大スペクタクル映画。
そして『八犬伝』は、滝沢馬琴が南総里見八犬伝を書き上げるまでの映画。
愛とロマンはあまり感じられなかったかな。
実在の滝沢馬琴が八犬伝を書き上げるまでの話がメイン。
交互に展開される実(現実世界)と虚(八犬伝の世界)の構成は良い、実の役者達の存在感のある演技も良い、気になったのは虚の映像の撮り方(演出)。
舞台のような照明、緻密に背景を描かず、名前の知らない若い男優の心に訴えかけない軽く感じる演技。
八犬士は、すべて同じような年齢設定なのかだろうか?
『里見八犬伝』では、子供から中年男性、女性の八犬士もいた。
『八犬伝』は原作に近くて、角川映画の方がいろいろ脚色したんでしょうね。
屋根の上で戦うシーンなんかは見どころなんだろうけど、CGなのがバレバレの映像なんすよね。
この映画は、実パートがメインで、虚の八犬伝シーンは付け足しという感じになってしまっているのが残念。
ネタと構成が良いだけにオシイとは思う。
ただ、この惜しいという感覚、たまに感じる感覚なのだが、そこからが難しいんでしょう。
最近だと『僕は、線を描く』でも感じた。
題材、役者がよければ、後は監督の問題になるんだろうけどね。
そして、ラスト。
実と虚が結びついたという事なのだろう、ただ、ちゃちい演出だと感じてしまった。
良いところは役所広司と内野聖陽の演技、土屋太鳳の伏姫も良かったかな。
虚の八犬伝パートの里見八犬伝との違い
・時代設定
里見八犬伝は伏姫没後100年、八犬伝は没後20年
・静姫(薬師丸ひろ子)の存在
八犬伝には静姫は存在せず
・八犬士の年齢と性別
八犬伝は全員が若い男性、里見八犬伝は女性(志穂美悦子)と子供もいた
・浜路の設定の違い
里見八犬伝は、岡田奈々が演じ京本政樹演じる八犬士の義妹で体中が毒の闇の軍団となる
八犬伝では、河合優実が演じ、メインの八犬士の犬塚信乃に想いを寄せる役どころ
・主題歌の有無
里見八犬伝はバラードの洋曲が良かった、『八犬伝』は無い
『里見八犬伝』は、長すぎるキスシーンなどの話はありますが、同じ時代の戦国自衛隊と並んで、私は大好きな映画です。
映画レビューを始めてから思うのは、この二つの映画は評価が低すぎる。。
特撮技術はともかく、今見ても十分楽しめる映画だと思うんですけどね。
私の中で『里見八犬伝』と『八犬伝』を比べると、『里見八犬伝』に軍配が上がるかな。
子供の頃に見たので美化されてるとは思いますが。。
それにしてもなんですが、見たのは土曜日の最終回(19:30~)。
観客は5~6人でした。
今年の日本映画界でも注目の作品だと思うんですが。。
田舎の映画館だから仕方ないのだろうけど、興収を心配してしまう私でした。
長いけど飽きはしない
エンターテインメントとしては面白かったと思います
実パートは本当に良かった
役所さんと内野さんの掛け合いがいい
鶴屋南北との会話も良かった
虚と実の考え方の違いに二人が熱くなって、でも大人だからちゃんと謝る
八犬伝パートは、あくまで虚を脳内再生という感じなので、あれでよかったと思います
それなりに楽しめました
最後城の前で八犬士が揃うところはグッときました
でも……
八房、あんなに変だとは……
本当に作り物だった
影だけでもよかったんじゃないかな
村雨の水がでるところが微妙
ビチャビチャって感じで名刀に見えない
「玉梓が怨霊」の本性の表現は微妙
まず煙にする必要がない
そう怨霊じゃなくてただの煙
そこに禍々しさが感じられない
目や口いらないし、煙ならもっと赤くして怖さが欲しかった(首切られた時は赤かった)
なんなら船虫みたいにヒトガタのままでよかった
船虫のお歯黒は良かった
玉を呼ぶ順番が「仁義礼智忠信孝悌」だったところはエモい
これがエモいと思うのは55歳以上65歳以下かな(人形劇世代)
実の世界
お百目線で見ると
「私の人生っていったい……」と思ったのかも
今際の際の言葉の
「ちくしょう」が耳に残っている
北斎や息子や嫁のポジションに自分も入りたかった
一緒に物語について話をしたかった
おしどり夫婦になりたかった
素直じゃないからそれも言えなくて
結婚して思っていたのと違う人生で
息子を失ってからは本当に寂しくて寂しくて仕方がなかったんだろう
馬琴の頭の中は物語と侍再興しかなくてお百への愛情を感じられない
(家を変わったのも息子のため孫のため)
馬琴は旦那としては最低
今なら離婚案件(笑)
虚構パートの「南総里見八犬伝」の物語が面白かった。
八犬伝の内容をよく知らず、知ってるのはあちこちに飛び去った8個の玉を持つ剣士(犬士?)が戦うこと、タマズサが怨霊という悪霊が出てくることだけだった。
僕は今回の映画を、馬琴が八犬伝を完成させるまでの実話を元にした馬琴の伝記みたいな映画だと思っていた。
だけど、虚構パートの「南総里見八犬伝」の物語も織り込まれていて、僕はこの八犬伝の物語がすごく面白かった。超かけ足のあらすじだけの内容だけど、物語の発端から最後の伏線回収込みのハッピーエンド迄とても楽しかった。
八剣士の俳優は誰も知らない人だったが、土屋太凰さんと河合優実さんが重要な役どころだったのも良かった。
一番気に入ったのがタマズサが怨霊の栗山千明さん。
実話パートには寺島しのぶさんと黒木はるさんも出てて、こうみると女性陣が結構豪華である。
寺島しのぶさん演じる馬琴のこわい妻がいい味出してた。
鑑賞後に調べたら、北斎が36景を描いたのと、八犬伝が完結したのが70才過ぎであることに感動した。
江戸時代の平均寿命はたぶん40才台だろうから、かなり元気で精力的なおじ-ちゃんだ。
滝沢馬琴の物語
私もジュサブローさんの人形劇を楽しんで視た世代だ。八犬伝と聞くだけで、コレは観なくてはと、待ってましたとばかりに映画館へ。
でも、コレは滝沢馬琴の映画だった。
八犬伝のお話よりも役所さんや内野さん、寺島さん、黒木華さん、磯村さん、そして談春さんに気持ちが持って行かれた。馬琴も北斎も本当にこんなに普通のお爺さんだったのかと思いつつも、奇天烈ではないその姿を役所さんと内野さんが良い塩梅で演じられていて、逆に心をうたれた。寺島さんの女の業だったり華さんの強さだったりも良かった。息子役の磯村勇斗さんや八犬伝の方の塩野瑛久さんも、このところ様々なタイプの役を演じておられて、これからも観て行きたい俳優だ。
しかし八犬伝のお話に、もう少しワクワクしたかった。あまりにも簡単に8人が揃っちゃってビックリした。
我が人生をかけて創(か)く
『里見八犬伝』は1983年の角川製作作品は見た事あるのだが…、
今となっちゃあほとんど話は覚えておらず。ましてや誰かに説明なども出来やせず。漠然と妖術とアクションとロマンスの時代劇ファンタジーだったような…くらい。
現代技術を駆使して新たに映画化。これはちょうどいい…と思っていたら、一捻り。
『里見八犬伝』の物語=“虚”のパートと、作者である滝沢馬琴がいかにして『里見八犬伝』を書き上げたか=“実”のパートが交錯して展開。
大胆な構成で描かれる、“シン・里見八犬伝”であり、名作誕生秘話。
名作誕生秘話に著作が挿入されるのはそう物珍しくはないが、こうも堂々と双方を打ち出して描くのはそうそうない。大抵、どちらかに比重が置かれる。
ならば、一本で二本分の…と言いたい所だが、ちょっと惜しい気がした。『里見八犬伝』はダイジェスト的であり、馬琴のドラマもぶつ切りエピソードを並べ立てたようにも…。
“虚”と“実”が巧みに入れ替わるが、人によってはそれが物語やテンポを鈍らせたかもしれないし、純粋にVFXエンターテイメントを楽しみたかった、馬琴の創作のドラマをじっくり見たかった…という声もあるかもしれない。
でも、私のように『里見八犬伝』をほぼ忘れてしまったり、創作秘話に少なからず興味ある者としては、やはり贅沢な2時間半なのである。
見る前は2時間半は身構えるが、終わってみれば意外とあっという間の感。まんまとこの“虚”と“実”の物語に引き込まれてしまった訳か。
監督・曽利文彦にとっても『ピンポン』以来の上々作。
“虚”のエンターテイメントと“実”のドラマなので、それぞれの感想を語っていこうかなと。
まず、“虚”。『里見八犬伝』。
見ていく内に話を思い出した。呪いをかけられた里見家。呪いからの解放を願い、息絶えた姫君縁の八つの珠を持つ八人の士が導かれるようにして集い、邪悪な存在と闘う…。
演劇・映画化・ドラマ化は数知れず。『指輪物語』が洋ファンタジーの原点なら『里見八犬伝』は和ファンタジーの原点。
1983年版はたっぷりの製作費と当時の特殊技術を駆使して描いた娯楽活劇だった事を記憶している。さすがに今回は全編『里見八犬伝』ではないのでちとスケールなど物足りなさはある。
しかし、現代VFX技術を駆使したケレン味たっぷりの世界観。若いキャストも多く、何だか映画というより2.5次元舞台のよう。最近『推しの子』を見たばかりなのでそれはそれで楽しませて貰った。
若いキャストの中には名も知れた注目株もいるが、ちと実力不足も…。今年最大のブレイク・河合優実も勿体ない。栗山千明は怪演。
先述の通りダイジェスト的だが、サクッと『里見八犬伝』を知るには充分。確かにこんな感じで1983年版のように長尺で見てみたかった気も…。
“虚”も悪くなかったが、個人的に“実”の方が好みだったかな。
ラストでも説明あるが、執筆期間は28年…! 全98巻。48歳の時に書き始め、人生の後半を費やしたほど。まさにライフワーク。
創造した『里見八犬伝』を話聞かせる。相手は、葛飾北斎。
知ってる人もいるのだろうが、馬琴と北斎が親交あったとは、私ゃ知らなかった。
馬琴が話を聞かせ、北斎が挿し絵を描く。それを糧に馬琴はまた物語を創造していく。だけど北斎はせっかく描いた挿し絵をすぐ丸め捨ててしまうんだけど…。
そんな二人のやり取りをユーモラスにも。馬琴のうるさ妻曰く、ジジイ二人で何やってんだか。
ものを書く/描く者同士、才能を認め合っている。あんな石頭からどうしてこんな奇想天外な物語が創られるのか、あんな偏屈からどうして躍動感たっぷりの画が描けるのか。
馬琴と北斎は北斎の方が年上なので、馬琴=役所広司、北斎=内野聖陽の配役はちと違和感あるが、そこは演技力でカバー。不思議としっくり来る。
実パートは豪華演技派揃いで、その点は虚パートと比較にならないほど。磯村勇斗や黒木華も好助演で見せ場あり。寺島しのぶはオーバー気味だったかな…?
創作秘話には苦悩が付き物だが、馬琴のそれはちょっと違う。物語の創造に於いて壁にぶち当たる事はなく、想像力は無限。馬琴と関わる人間関係や馬琴の身体のある部分が馬琴を苦しめる…。
馬琴はある時北斎に連れられ、芝居を観に行く。
一見『忠臣蔵』。そこに怪談話が絡む。深作欣二監督作でも知られる『忠臣蔵外伝 四谷怪談』。
馬琴は作者・鶴屋南北の独創性は評価するが、ある疑問が。何故、“実(忠臣蔵)”に“虚(四谷怪談)”を…?
南北にとっては『四谷怪談』こそ“実”で『忠臣蔵』こそ“虚”。『四谷怪談』に恐怖を感じたならそれはもう“虚”ではなく“実”。
馬琴は『里見八犬伝』で勧善懲悪を描くが、南北はこの世は必ずしも正義が勝つ訳ではない。
馬琴と南北の問答の凄みと、立川談春の存在感。
『里見八犬伝』を勧善懲悪の“虚”として描く馬琴にとってはカルチャーショック。
妻・お百は物書きの夫を理解出来ない。口を開けば悪態悪態悪態…。息子・宗伯は父を尊敬しているが、馬琴は厳しく向き合ってくれない。それでも父の執筆を手伝う宗伯だったが、身体が弱く、やがて…。
良き息子に恵まれ、孫にも恵まれるが、真に家族として幸せだったのか…? もっと家族と…。
息子が亡くなり、妻も亡くなり、それでも書き続ける馬琴。長い歳月をかけて『里見八犬伝』も終盤に差し掛かった時、馬琴に病魔が…。失明。
これは物書きにとっては致命的。見えない=紙に文字を書けないも同じ。
物語の創造が出来ないのも苦だが、書きたいものがあるのに書けないのも苦。その歯痒さ、もどかしさ。
そんな時助力を申し出たのが、息子の妻であったお路。
読み書き出来なかったお路が馬琴に一文字一文字教えを乞い、叱責受けながらも、完成させる。知らなかったが、これも実話。
ラストシーン。『里見八犬伝』を書き上げ、力尽き果てたように命絶えた馬琴の元に現れたのは…。
昨今、原作者問題が何かと物議になるが、作者にとって生み出した作品やキャラは我が子。作品やキャラにとって作者は生みの親。
和ファンタジーの原点。
善と悪が入り乱れる世界で貫いた勧善懲悪の信念。
様々な人間関係、苦楽の果てに。
我が人生をかけて創(か)く。
“虚”は“実”となる。
作家の伝記としてはいいけど。。
八犬伝そのものの実写映画を期待すると、話が5〜6回?ぶつ切りにされるので没入感はありません。
でも滝沢馬琴という作家が語りながら、書いた作品を説明している、という体なので作家の伝記モノとしてはそれなりに面白い。。かな?というところです。
(役所広司さんと板垣李光人君は好きな役者さんなので甘い評価かも。。)
葛飾北斎は、田中泯さんが晩年の北斎を演じたほうの作品はとても良かったですが、今回の北斎も旅好きで90歳まで長生きした芸術家の味が出ていて、こちらの北斎さんも良かったです!
ただ、映画としては余程八犬伝ファン、滝沢馬琴ファン、役所広司ファンじゃないと盛り上がりとかは無いタイプの映画なので少々つまらないかも。
滝沢馬琴が晩年に目が不自由となったことは知らなかったので、後半〜完結までを文字に興したのは亡き息子のお嫁さんだったというのはシンプルに凄いな、と思いました。夫から「父さんの作品、八犬伝のことを頼む」と言われて本当にあそこまで協力するとは、、嫁の鑑。
*****
ちょっと気になったこと。
八犬伝そのもののあらすじは敢えて予習しないで映画に臨みましたが、この映画だけ見ると申し訳ないけど怨霊に祟られたあの大名、ぶっちゃけ自業自得だと思いました。だって、「この者を許せ、縄を解け」と言った2分後くらいには、部下からの進言があったとはいえ「やはり打ち首じゃ!」って。。。それは捉えられたほうも怒るって。
殿様とか、権力のある身分の高い人がそんなにコロコロ話を変えるな、っていうのは怨霊のほうに理がある。と思えてしまった(汗)
そもそもこの大名、飼い犬にも「敵の大将の首を取ってきてくれたら娘の伏姫を嫁にとらす」なんて簡単に約束しちゃって、ちゃんと犬は大将首取ってきてくれたのに娘は嫁にしようとしなかったとかさ、、そりゃあ犬も反発するさ。飼い主なら守れる約束だけにしなきゃ駄目じゃん。
まぁ、とりあえず八犬伝のほうはお話、ということで目をつぶりますが。
最終的には鋼の錬金術師でグリードだった渡邊圭祐さんがカッコ良かったので、一応良しとしますが。。ちょっと残念な映画でした。
虚も貫けば実
八犬伝(南総里見八犬伝)
曲亭(最近は滝沢とは言わない)馬琴により
1814年から28年かけて106巻が刊行された
今でいうライトノベル「戯作(げさく)」
室町時代を舞台とし
安房里見家の伏姫の因縁によって八つの玉に
導かれたアザをもつ若者が里見家に結集し
古賀公方を討つ
そのプロットは後のファンタジー
漫画や小説に与えた影響は計り知れない
また馬琴は恐らく日本初の
原稿料だけで食っていた作家である
今作は山田風太郎の小説をベースとし
武家奉公を悲願しつつ偏屈な性格が
災いして戯作に甘んじる曲亭の葛藤を
葛飾北斎との関係と共に
曲亭の人生をたどりながら
二元的に八犬伝の世界と
行ったり来たりする内容
どうだったか
曽利文彦監督は
漫画実写化映画の傑作「ピンポン」
で度肝を抜かれ
フルCGムービー「アップルシード」など
数作見たことはあるが久しぶりに聞いた名前
どんなもんかと思っていたがこれが良かった
曲亭の暮らす江戸の世界の文化的描写が
素晴らしく歌舞伎座のシーンは
見入ってしまった
逆に八犬伝のシーンは
かつて平成初期の角川の
実写ファンタジー映画のような
どこかチープな雰囲気が漂い
ここの出来が悪いという感想も
よく見かけるが
現実と戯作としての対比であえて
そう作っている感じがした
八犬伝が人気作になって
お武家にもファンがいて籠を持って
迎えに来ても紹介がなければ会わん
という偏屈さを役所広司さんならではの
クセのある演技も見事
栗山千明・中村獅童
寺島しのぶの過不足ない安定した
演技で最後まで楽しめた
曽利さん映画はそんなに
しょっちゅう撮らないけど
やっぱいいね
原田眞人さん的で
個人的には現実パートのみで、脳内映像は北斎の絵だけでも良かったように思った
2024.10.26 イオンシネマ久御山
2024年の日本映画(149分、G)
原作は山田風太郎の小説『八犬伝』
滝沢馬琴が「八犬伝」執筆に至った裏話を描く時代劇(&アクション映画)
監督&脚本は曽根文彦
物語の舞台は、文化11年頃の江戸(神田明神下付近)
戯作者として名を馳せる曲亭馬琴(役所広司)は、親友で絵師の葛飾北斎(内野正陽)に新たな戯作の話をしていた
それは、里見家の当主・義実(小木義光)に恨みを持つ者が家を滅ぼそうとする物語で、それを阻止するために、里見家の亡き娘・伏姫(土屋太鳳)が残した遺言を叶えるというものだった
伏姫は死の間際に自身の数珠に念を込め、それは日本各地へと散らばっていった
その珠を持つ者を集めれば、里見家に降りかかった呪いを打ち消せるという
この話を聞いた北斎は、その戯作に興味を示し、わずかな挿絵を描いていく
馬琴は北斎が挿絵を描いてくれるなら連載をしたいと考えていたが、北斎にはその気がなく、結局は北斎の息子がそれを担当することになった
映画は、馬琴の脳内イメージパートと現実パートが行き来する流れになっていて、その脳内イメージをササっと挿絵にしてしまう北斎が描かれていく
「絵にはならない」と言いながらも「八犬伝」を絵にする北斎だったが、馬琴の晩年にて、息子・宗伯(磯村勇斗)の妻・お路(黒木華)が彼の代わりに文章を書くシーンでは「絵になる」と言っていた
北斎の中にある絵は「実」を描くもので、彼が描く「八犬伝」は「虚」ゆえに後世に残したくなかったのだろう
物語は、馬琴の晩年の「八犬伝」執筆時代のみに特化していて、全98巻ある「南総里見八犬伝」はごく一部のみが語られる
「八犬伝」としては「八犬士が揃うまで」
みたいなところがあって、虚構パートの玉梓(栗山千明)を倒すところまでは描いていく
この虚構パートの終わりまで描く必要があったのかは何とも言えず、犬士集結ぐらいで終わらせてもちょうど良かったかもしれない
また、お路が代筆したというパートが不要とは思わないが、いきなり登場して、いきなり代筆しているし、サラッと字幕で「文字を書けなかったお路が馬琴と同じように書けるまでになっていた」と説明するのはナンセンスなように思えた
登場人物がかなり多く、名前のついているキャラが50名以上いる
また、一人二役をしている役者がいるのだが、ググって調べられる範囲を超えているので、パンフレットでは「全キャラクター相関図」を作って欲しかったくらいである
細かなキャストに関しては「四谷怪談」「仮名手本忠臣蔵」「南総里見八犬伝」に詳しい人ならエンドロールを読んで理解できると思うが、かなり難易度が高いのではないだろうか
いずれにせよ、創作をなぜ行うかという哲学的な部分とか、勧善懲悪の是非、写実主義と理想主義の対決みたいな部分は面白かった
歌舞伎観劇後の奈落にて、狂言師の鶴屋南北(立川談春)と語る部分はとても面白く、ジジイ三昧の現実パートの方が深みがある
「八犬伝」のアクション時代劇部分はCGに頼りすぎている部分と、キャラクターを描き切るには時間がなさすぎるので薄味になっている
最後の方の集結部分は結構無理やりな感じに仕上がっていたので、尺のバランスを考えると、無茶なシナリオを書いたんだなあと思った
編集せずに全部上映したら、おそらく5時間くらい超えて来そうな気がするので、良いとこどりが裏目に出ているようのかもしれません
虚が実より面白い‼️
滝沢馬琴が様々な困難を乗り越えながら「八犬伝」を完成させる過程である「実」と、「八犬伝」の物語の映像化である「虚」を交錯させながら描いているわけですが、残念なことにどちらも中途半端な出来栄え‼️「実」では、役所広司さん扮する馬琴が息子の死や自身の失明など、様々な困難を乗り越え「八犬伝」を完成させるわけですが、一つ一つの出来事が単なるエピソードの羅列みたいに描写されているので、イマイチ胸に響かない‼️妻役の寺島しのぶもウルサイだけだし、肝心の内野聖陽さん演じる北斎の扱いもビミョーであまり必要性を感じない‼️もうちょっと馬琴との関係に一工夫欲しかったですね‼️そして「虚」‼️八人の犬士たちの描写は、実際の「八犬伝」では背景がかなり緻密に描写されているのですが、今回の作品ではかなり省略されています‼️それでもテンポ良く展開が進んだかと思いきや、「実」が入ってくるので、せっかくのテンポ良い展開が遮断‼️特に河合優実ちゃん扮する浜路が里美の城で父君と再会するシーンや、いきなり親兵衛が仲間入りするシーンはあまりに展開が急すぎて、ちょっと置いてけぼり感が‼️八人の犬士たちも個性が乏しいし、玉梓役の栗山千明も頑張ってはいるのですが、やはり夏木マリさんは超えられない‼️私としては「虚」と「実」を交錯させるよりは、前半で馬琴の生涯を描き、後半で「八犬伝」の壮大な映像化を魅せたほうがバランス的にも良かったような気がします‼️やはり私は深作欣二監督作品「里見八犬伝」が大好きなんですよね‼️八犬士は真田さんや千葉真一さんをはじめとするあの八人しか考えられないし、浜路は信乃とともに死ぬ運命だし、この「八犬伝」を観ながらも頭の中ではジョン・オバニオンのテーマ曲が鳴り響いてましたもん‼️
馬琴と北斎おじいちゃんのいちゃいちゃはいいもんだ
開始10分ほど
え。。。これはハズレか?と感じます。
演出がなかなかひどい。。演技もいまいち・・・
邦画にファンタジーCGはだめだよ・・
と後悔し始めたころに現実編へと切り替わります
こちらは、セット、舞台背景から演技まで素晴らしい出来でした。
作品の流れは
八犬伝のファンタジーと作家の現実を何度も行き来を繰り返し
八犬伝という作品を口伝形式で展開していきます。
一方、現実では作品完成までの経緯をヒューマンドラマとして表現します。
まずは悪い点から
ファンタジーとはいえその時代、舞台背景に似つかわしくないCGが没入感をなくします。
瓦、建物の崩壊などはうまく表現されていますが、ラスボスの表現などとてもチープに感じます。
特殊メイクは悪くなかったためCGにお金を使うのでなく、迫力がなくてもメイクでの表現の方が作品にはマッチしたと思います。
現実のヒューマンドラマは作品完成までの苦難が幾度と起きますがどれも
涙を流して感動するほどには仕上がっていませんでした。
決してつまらないというものではないですがあと一歩足りないという点でした。
毎度苦難が続きますがもっとメリハリをつけた方がよいと思います。
「息子の死」、「妻の死」「漢字も書けない媳婦の代筆」どれを最も重く伝えたいのか?
良い点
ファンタジー視点での殺陣はかっこいい戦闘描写が多く満足いく仕上がりでした。
また、ファンタジー側のストーリー進行はどんどん進みでストレスなく見えます。
一方重たい現実のヒューマンドラマはじっくり進めてシナリオ重点を置いています。
現実側は役者の演技が素晴らしい。
八犬士が美形揃い。
男くさいかっこよさから美男子まで揃ってました。
犬坂毛野役の板垣李光人さんは美しかったです。役柄から女装するのですが美しい。。。
虚・実について考えさせる起点となった南北の表現が素晴らしかった。
歌舞伎、赤穂浪士忠臣蔵と四谷怪談のセット、メイクへの力の入れ方が凄いです。
あとは馬琴、北斎おじいちゃん同士のいちゃいちゃ いいもんですね。
ほっこりします。
実が虚に、虚が実に
通常スクリーンで鑑賞。
原作は未読。
虚の八犬伝パートだけでも充分一本の映画として成立してしまうだろう高いクォリティーで、とても面白かった。
曽利監督ならではの見事なVFXで表現された八犬士たちの戦いは、スクリーン映えする迫力だ。大きな画面で是非。
そこに実のパートの、滝沢馬琴が八犬伝に込めた想いと苦悩が交錯し、物語により深みが出ていて、感動的だった。
馬琴の、戯作者としての欲と葛藤を体現した役所広司の演技に引き込まれた。内野聖陽の北斎もなかなかの味わいだ。
鶴屋南北との問答がハイライトだと思った。実が虚に、虚が実に。こんな世だからこそ正義が凱歌を上げる物語を。…
令和の世も、当時と変わらない。と云うか人間がいる限り変わらない社会の仕組みに対し、エンタメが出来ることとは。
何度も筆を折りそうになりながら完成させた「南総里見八犬傳」。作品にこめられた馬琴の想いは今にも充分響くと思う。
寺島しのぶと磯村勇斗も名演だった。
巧みに虚と実が配された構成の本作であるが、文字ではどのように表現されているのだろう。原作を読みたくなった。
虚をつらぬいて実となす
今なにかと流行りのファンタジックな美剣士ものとベテラン俳優同士の掛け合いの両方が楽しめる豪華なエンタメ作品。
江戸時代後期、江戸随一の読本作家曲亭馬琴と圧倒的な画力を誇る絵師の葛飾北斎はタッグを組んで次から次へとベストセラーを世に生み出します。今でいうところの武論尊と原哲夫といったところでしょうか。違うかな。
二人で世に出した作品は数知れず、その制作過程ではお互いけんかなども絶えなかったとか。でもやはりこれだけの作品を世に出しただけあって二人はベストパートナーだったのかもしれません。
劇中でも「その漬物石に文鎮を重ねて押しつぶしたような石頭からどうしてこんな話が思い浮かぶのか」とか、「しみったれた親父がなぜこんな色鮮やかな浮世絵が描けるのか」と互いをけなしてるのか褒め称えてるのかわからないような二人の会話劇が繰り広げられ、そして北斎の描いた絵を欲しがる馬琴にけして絵を渡さずその場で破り捨てたり鼻をかんだりと、二人の掛け合いがとても面白く描かれます。
かたや創作された八犬伝の方も、とてもこの時代に書かれたとは思えないくらいの冒険ファンタジーで、八剣士がこれまた美形ぞろいと観客の目を楽しませてくれます。
作品構成は原作通り創作物である八犬伝の物語と平行して馬琴と北斎の関係、そして馬琴がそのライフワークである八犬伝を書き続ける上での人生における様々な苦悩が史実通りに描かれます。
本作はCGを駆使した美剣士たちのアクションも見せ場として大いに盛り上げてくれますが、何と言っても一番の見せ場は歌舞伎の舞台の奈落で馬琴と鶴屋南北が作品において虚実をどう描くべきか議論する場面でしょう。
馬琴はこの世が不条理であり、善きものが恵まれず、悪しきものが栄えている現実を見るにつけ、せめて物語の上では正義が貫かれるべきとして勧善懲悪をテーマに読本を書き続けるのだといいます。
対して南北の舞台にはその出来に感心はするものの、忠臣蔵という勧善懲悪ものに四谷怪談を掛け合わせて虚実が入り乱れたために作品を貶めていると批判します。
しかし忠臣蔵は今でこそ主君の敵討ちをした浪士たちの物語という美談として演劇やドラマ、映画として長く愛されてはいますが、そもそも赤穂浪士たちは主君の仇討が目的ではなく、当時仇討ちが世間の受けがよかったために浪人となった彼らが新たに仕える主君を見つけるためのアピールとして行ったものであったのが事実であると言われています。
対して四谷怪談は田宮家に婿入りした伊右衛門によって陥れられた田宮家の娘お岩が行方不明になり、のちにその家に不幸が続いたという実話をモデルに書かれたものであり、南北は忠臣蔵の物語こそ美談の皮をかぶった虚であり、おどろおどろしい四谷怪談こそ現実を表した実なのだと言います。
この世は現実は善因悪果、悪因善果であり辻褄の合わぬもの。南北はその辻褄が合わぬこの世を見る者に思い知らせるために虚に見せかけた実を作品に描くと言います。かたや馬琴もこの世は辻褄が合わぬからこそせめて物語くらいは辻褄を合わせたいとして虚を書き続けると言います。
馬琴はこの南北の言葉に自身の創作への迷いが生じます。自分の書いてることは無意味な自己満足なのか。勧善懲悪を書くことで読む者に世間の不条理を忘れさせているだけではないのか。南北のように問題提起すべきではないのかと。
この両者はある意味で表裏一体といえるのかもしれません。同じように世間の不条理を憂いつつも、読者に生きる指標を与えようとしてる点で。
この南北との議論を経て迷いつつも馬琴はライフワークである八犬伝を書き続けますが、その後彼には次々と試練が訪れます。
息子の宗伯を医師にさせて武家の身分を取り戻そうとしましたが、そんな父に常に従順だった息子は病弱でついに命を落とします。彼は死ぬ間際まで父の作品の校正を手がけていました。
そして馬琴自身も年老いてやがて両の目を失明してしまいます。宗伯の嫁お路に口述で作品を書かせようとしますが漢字を書けないお路に我慢の限界がきて諦めかけます。
その時にお路が宗伯の言葉を伝えます。八犬伝を頼むと。宗伯こそが八犬伝の一番のファンなのでした。自分が武士の身分を取り戻したい一心で息子の人生を犠牲にしていたのではないか、彼を死なせたのは自分なのでは。自分を責めていた馬琴は宗伯の言葉を聞かされ、そして渡辺崋山の言葉を思い出します。
虚をつらぬけばそれはその人にとって実となる。正義を貫けばやがては現実もそのようになるはず。そう信じて馬琴は八犬伝を書き続けて来ました。宗伯の言葉と崋山の言葉で馬琴は迷いが完全に吹っ切れたことでしょう。自分は今まで通り信じるものを書き続ければいいのだと。宗伯もそれを何よりも望んでいる。
お路と共に二十八年にも及ぶライフワークを完結させ、他にもいくつもの作品を世に出した馬琴は81歳でこの世を去ります。
その最後の数年の姿は北斎が言うように絵になる姿だったのでしょう。彼が作品でつらぬき通した正義の心を褒めたたえるかのように彼が生みだした剣士たちに迎え入れられて彼は旅立つのでした。
娯楽作品として十分楽しめましたが、せっかく虚実の物語が並行的に進行するのなら、実の馬琴が創作において迷いが生じたときには虚の剣士側も正義をつらぬくべきか悩むシーンなんてあればより作品に深みが出た気がします。
馬琴が没して170年以上経ちますが、この世はいまだに善因悪果、悪因善果のままなのでしょう。八犬伝は28年をかけて勧善懲悪を成し遂げましたが現実の世ではそう簡単にはいかないようです。それでも彼のように志を持ち続けたいものです。
「八犬伝」完成秘話
50代の滝沢馬琴と絵師の葛飾北斎。
「八犬伝」のあらすじを北斎に語り、北斎は挿絵を馬琴の背中で
すらすらと書く。
そしてそれを握りつぶして破り捨てる。
そんな戯言に興じながら「八犬伝」は延々と書き続けられた。
馬琴の役所広司。
北斎は内野聖陽。
どちらも燻銀の巧さである。
味のある2人の語りが、「虚」である「八犬伝」の実写映像へと
瞬時に入れ替わるのだ。
なかなか凝った面白い趣向である。
重鎮スター2人、若手スターの八剣士、歌舞伎役者、
美女4人のラインナップ。
小さい時から「人形劇」の原作を楽しんだ世代向き、
なのかもしれない。
通好み、一見さんお断り。
これなら下見に観た1983年の「里見八犬伝」の方が、
素人には分かり易い。
キラ星のように輝く当時の時代劇スター。
今より進んでないカメラ技術なのに、
1983年の方が大作に見えるのはなぜ‼️
こっちには馬も出てこないし、玉梓だって栗山千明より夏木マリの方が
数倍妖艶(入浴シーンの美乳とかあった。)
姫と剣士(犬士)の、ラブシーンとかもない。
(若くて美しい薬師丸ひろ子と真田裕之が惚れあうんだよ)
いったい何処を愛でればいいのさ、この私。
土屋太鳳は早々殺される、
河合優美は崖から落とされるし、
八剣士(犬士)も美形を揃えたんだろうけど、
水上恒司でなくても、渡辺圭佑でも誰でもいい感じでしたし、
大好きな役所広司さんと内野聖陽さんも、
すっごい燻銀で素敵なんですけど、
茶飲み話のお部屋シーンばかりで、
見せ場がなかったですね。
それと、
年寄りすぎて、華がなかったですね。
「八犬伝」より挿入された「四谷怪談」と、
(鶴屋南北役の立川談春の狡猾さが印象に残るって、
(なんか本末転倒ですよねー)
それでも、馬琴が失明して、嫁のお路(黒木華)が、
漢字もろくに書けないのに、志願して口述筆記するくだり、
ここはやはり胸を打ちます。
こうして滝沢馬琴の「八犬伝」は1842(天保13年)に、28年の
年月を費やして完成したのです。
映画も真面目な労作でした。
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