八犬伝のレビュー・感想・評価
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虚構が現実となった虚構
面白かったです。感動したというより、ロジカルな面白さというんでしょうか。素直な感想といえば単純に面白かったです。
現実を描くべきか空想を楽しむか。そんな派閥が小説なんかでもあったように記憶しているのですが、八犬伝といえば和製ファンタジーの大作、無論、非現実的な話で、劇中・葛飾北斎が仰るほどに、よくぞその頭で思いついた物だと言うほどのロマンあふれるストーリー。抜けば玉散る氷の刃、名刀・村雨に宝玉の戦士が集ってラスボス対決だなんて、持病の中二病がぶり返します。
この映画はその誕生秘話な訳ですが、その映像再現された劇中劇をかなり本気で作り込まれているのが素晴らしい。作者パートの現実と再現パートの虚構が、衣装やら立ち回りの違いで、ちゃんと区別がつきました。
劇中劇と言えば、あの怪談ミックス忠臣蔵の舞台裏での問答がキモだったんじゃないでしょうか。正直、この映画の本分をそこで理解したような気がします。八犬伝に比べて、忠臣蔵は現実のドラマ化な訳ですが、それもドラマのために手心を加えた虚構であるとも言える、などというロジカルな面白さに成る程と思った。
何が現実かと言えば、大事なのは悪態を付きながら稼ぎを要求しては炭を練り生活を支える作者・馬琴の妻、お百。生活を支える女房であるからこそ、これ以上無いほど現実に生きなければならない。非現実・虚構を追う夫に、息子の病気はお前のせいだと指を差す。なんか、身につまされる思いがします。その現実に生きる姿もまた、虚構との対比する重要なシーンだったのでしょうか。そして息子の嫁・お路さんもまた。
文字通り、絵空事のように宝玉の戦士が集いラスボスを倒して一件落着する虚構に比べ、苦しんで苦しみ抜いて藻掻くように夫の念願を果たそうとするお路さんの功績が素晴らしい。生活のために、子供の世話をして、竹林でタケノコを掘る、そんな日常の傍らで、字を書く暇も無く生きてきた彼女が漢字混じりの文章を口述筆記しようだなんて、私には自分から言い出すことも出来ない。この映画の話のフォーカスがそこに移るとは思ってもみなかった。でも、最後のテロップの通り、この奇跡は八犬伝を知る人にとって当然のエピソードだったのでしょうか。虚構とは違う、現実で何かを達成することの尊さを感じました。
このレビューのタイトルの「虚構が現実となった虚構」とは、ラストの八犬士に迎えられた作者・馬琴の昇天シーン。北斎に代わって訪れたお侍さんが仰られていた「虚構が現実となる」とはまさにこのことか。でも、このシーン、現実ではありえない虚構なんですよね。なんだか万華鏡のように虚構と現実がクルクルしてます。でも、ちょっとカーテンコールな感じもして良いエンディングだったと思います。カーテンコールのある映画が大好きです。
余談ですが「八犬伝」といえばやっぱり、薬師丸ひろ子さんの「里見八犬伝」ですよね。テーマソングを洋楽のロックを採用するとか、何て素晴らしいことか。あれは今でも聴けます。若き薬師丸さんの美しさ。そして、「里見版」の新兵衛訳、真田広之さんの若々しさ。真田さんと言えば、「里見版」侍に憧れる百姓から、「魔界転生」の若き忍者、「ラスト・サムライ」の侍頭等々、最新作は「将軍」様。ご立派になられたなぁって、ずいぶん余談がすぎました。失礼。やっぱり自分も虚構に生きてるなあ。さて、「里見版」も観てみよう。
優れた「虚」は「実」を孕む
物語世界と馬琴の実人生が交互に描かれる、というざっくりした情報を聞いて、2時間半で詰め込みすぎでは?と期待値が少し下がっていたのだが、意外と楽しく観ることができた。山田風太郎の原作が俄然読みたくなった。
キャスティングのよさが光る。メインキャストの役所広司と内野聖陽はいわずもがなの存在感と説得力。時々挟まれる強烈な寺島しのぶ。
八犬伝パートはダイジェスト的な進行だが、キャラ立ちした八犬士たちのおかげで置いてきぼりになったり白けたりせずついていけた。
犬坂毛野を演じた板垣李光人は、登場の仕方が大河ドラマ「どうする家康」井伊直政の時とそっくりだったのだが、犬坂毛野は女装で育てられた女と見紛う美貌という設定らしいので、大河の演出が八犬伝犬坂にそっくりと言うべきだろう。
栗山千明の玉梓。黒クリ様やっぱり最高。ラスボスにふさわしい妖しい圧に満ちていた。
製作委員会方式ではなく、木下グループによるほぼ単独出資であることも、雑念のないキャスティングに一役買ったのかもしれない。
若干芝居がかった虚のパートだが、実際曽利監督は、実のパートとの違いを出すためあえて外連味のあるオーバーアクト気味な演技を俳優に求めたそうだ。
文字起こしされる前の馬琴の脳内世界と思って観ていると、その演出が意外と馴染んだ(ふらっとやってきた北斎に口頭で聞かせる構想という体で始まるので、まさに粗筋)。馬琴の半生を描く物語の中で「つくりごと」として出てくるのだから、これでよいという気がした。むしろ、ひとりだけ現代劇に近いリアクションをしていた河合優実が浮いて見えた(ファンの人すみません私も河合優実は好きです)。
正直「南総里見八犬伝」のストーリーをかなり漠然としか知らなかった私にとって、映画の中で同作の設定とあらすじを見せてくれたことは、馬琴のクリエイティビティの凄さを知る助けになった。そこが分からないと、馬琴の伝記を正しく理解できないだろう。
善なる一族への呪いを解くため、運命の絆と使命を持つ者たちが一人また一人と出会い、敵地に乗り込んでラスボスを倒す。そのあかつきに、彼らに使命を与えた姫君が現れる。これもう、ジャンプ連載作品でしょ。
今時の漫画なら、連載期間が28年にも及べば雑誌への掲載間隔もまばらになり、未完状態で事実上放置されたり作者が色々と描けない状態になる作品もままあるところ、馬琴は76歳になり視力を失ってもお路の助けを得て完成にこぎつけたのだからすごい。
書けなくなるのが駄目なのではなく、それだけ創作意欲を保ち続けられるのは稀有なことなのだと思う。
芝居小屋での鶴屋南北との対峙は、物語の見どころのひとつだ。薄暗い奈落で、馬琴は南北と、創作についての刃を交えるようなやりとりをする。舞台上から暗がりに逆さに頭を覗かせ、天井近くのスペースに貼り付いたまま会話する立川談春の姿と語り口が、絶妙に不気味で可笑しく、インパクトがある。
「東海道四谷怪談」と「仮名手本忠臣蔵」は、いわばシェアード・ユニバース歌舞伎だ。四谷怪談の登場人物は、忠臣蔵の登場人物の娘だったり孫だったりする。映画に出てきた中村座における初演では、この2作品を物語の時系列順に2日かけて上演した。
(このくだりで、中村獅童や尾上右近による歌舞伎、日本最古の芝居小屋である金丸座の様子が見られるのもいい)
この舞台を見た馬琴は、お岩の不幸話が忠義を果たす仇討ち物の合間に挟み込まれている様について「辻褄が合わない」と言う。馬琴は、正しいものは本来報われるべきと考える。一方、南北は四谷怪談を「実」だと言う。正義が報われる話など非現実的だと。
南北の意見に反発する馬琴だが、彼の舞台に惹きつけられたことも事実で、その後この時の会話が頭から離れなくなる。
創作物をただ享受する側から見れば、正しいものが報われる話も、報われない現実を描く話も両方あっていいと思うが、個々の創作者にはそれぞれ違う信念がある。そして、この信念があればこそ馬琴は、28年に渡り物語を紡ぎ続け、完成させることができたのだろう。
正しいと思うものを命尽きるまで貫けば、それが「実」になると華山は言った。息子の死や失明を乗り越えて彼が完成させた物語は、現在に至るまで時代を超えて人々の心を動かし続けている。インスピレーションを受けた後続の作品も数知れない。
その普遍性もまた「実」と呼んでいいのではないだろうか。
良くも悪くも
すごく良い面もダメな面もある映画だと思います。原作に比較的忠実でその面白さをベースに小気味よく映像化していると思う。セリフは独白ばかりでユーモラスではあるけどクスッとするくらい。
犬士はイメージぴったりでもっと活躍シーンをみたいって思うし凌雲閣も今まで見た八犬伝の中で一番好きだし。
原作のいいところはきちんと出せているとは思うけどこれだけのキャストを勢ぞろいさせてもっと突き抜けた傑作に出来なかったのかなあ。
犬畜生八房ももっと恐ろしい化け物としても伏姫にしてもとか望んでしまう部分はたくさんあるから。
とはいうものの、山田風太郎の残した作品でエンタメ映画をもっとたくさん作って欲しい。
それくらいの宝の山だとは思うから。
お路伝
薬師丸ひろ子さん主演の「里見八犬伝」がとても好きな映画だったので興味深く鑑賞。
八犬伝を書き上げるまでの滝沢馬琴の物語だったので劇中の八犬伝は大味でした。
滝沢馬琴の軸の物語は、同時代の画家や作家との交流が描かれているところが面白かったです。
ただ感動するところは少なく、最後に黒木華さん演じたお路が美味しいところを持っていったかも。
葛飾北斎のイメージはだいぶ違ったなぁ〜。
虚であれど、それを真実と思い貫けは実となるby渡辺華山
兎に角、面白かったの一言です。あっと言う間の二時間半でした。流石役所広司!
それをとりまく人々の演技に吸い込まれて行きます。物語と現実を交互に行き渡り
ますが、違和感が全くなくスムーズに流れていきます。正義がまかり通らない世の中
物語の中だけでも全正義が勝つでいいではないか?自分もそう思います。
出演者の中にも沢山の俳優さんたちが良いスパイスで登場します。北斎の内田さんと
奥様役の寺島さんは最高でした。より馬琴(役所)さんをきわださせていました。
もう一度見たいと思う映画でした。
面白く観ました
(完全ネタバレなので必ず鑑賞後にお読み下さい!)
結論から言うと面白く観ました。
今作の映画『八犬伝』は、「南総里見八犬伝」の劇中劇と、「南総里見八犬伝」を執筆する滝沢馬琴(役所広司さん)の物語が同時進行する物語です。
「南総里見八犬伝」の劇中劇は、犬塚信乃(渡邊圭祐さん)などの八犬士のそれぞれの描き分けがそこまで深くなく似ていて、ストーリー的にも登場人物の多さの割に時間的制約の短さもあり、迫力や画面の美しさがありながらやや単調の感想は持ちました。
一方で、滝沢馬琴や葛飾北斎(内野聖陽さん)との現実の場面は、それぞれの人物描写が際立っていて、特に滝沢馬琴と葛飾北斎のやり取りは見ごたえがあったと思われます。
しかしこの映画が俄然面白くなるのは、鶴屋南北(立川談春さん)が、四谷怪談の方が「実」で、忠臣蔵の正義の方が「虚」であると、滝沢馬琴の(忠臣蔵にも共感する)正義の考えを否定するところからだと思われました。
滝沢馬琴は、「南総里見八犬伝」を正しいことをしている者が最後に報われる物語として執筆を続けているのですが、鶴屋南北によって滝沢馬琴の正義の考えが根底から否定され、滝沢馬琴はショックを受けます。
ただ渡辺崋山(大貫勇輔さん)によって、例え「虚」の正義であってもそれを貫けばその人の人生は「実」になると、滝沢馬琴は励まされます。
葛飾北斎も滝沢馬琴を勇気づけます。
しかし、滝沢馬琴の息子・鎮五郎/宗伯(磯村勇斗さん)が身体を悪くすると、滝沢馬琴の妻・お百(寺島しのぶさん)は、息子の鎮五郎/宗伯が身体を悪くしたのは滝沢馬琴の息子に対する教えのせいだと、滝沢馬琴を責め立てます。
そして、滝沢馬琴はまたもや自身の正義の考えが揺らぎショックを受けるのです。
今作の映画『八犬伝』は、劇中劇の「南総里見八犬伝」のやや単調さも感じる勧善懲悪の物語やその正義を信じたい筆者の滝沢馬琴と、その正義の物語は「虚」(偽物)だと責め立てる鶴屋南北や妻・お百との、対立の構成作品になっていると思われました。
一見、妻・お百は、夫・滝沢馬琴が大切にしている正義の信念を破壊しようとする悪女に見えなくもないですが、一方で、妻・お百の背後には日常と関係しながら生きる現実があることがうかがえ、その日常の現実から目を逸らしてると彼女からは映っていただろう夫・滝沢馬琴が責め立てられているのは、1観客の私には非常に理解が出来る夫婦間の描写だったとも思われました。
この映画が面白く秀逸だと思われたのは、鶴屋南北や妻・お百を通して、滝沢馬琴の正義に対する疑念をちゃんと制作側が自覚しているところにあると思われました。
個人的には、鶴屋南北や妻・お百による、現実からの滝沢馬琴の正義に対する疑義の方に共感があります。
しかしだからこそ、(渡辺崋山が言うように)滝沢馬琴が生涯を貫いた正義は、一方でそんな私を含めた観客読者からも、劇中劇の「南総里見八犬伝」の終盤のストーリー展開も含めて、「実」に転換する感動があったと思われました。
滝沢馬琴が日本で初めての原稿料で自活できた著述家だと言われるのも、正義を貫いたからこそ得られた読者の感動に理由があるように感じました。
個人的には、劇中劇の「南総里見八犬伝」の八犬士の描き分けなどがもう少し深くあればもっと面白くなったのではと、僭越ながら思われましたが、歌舞伎シーンも含めた現実場面の描写の分厚さなどから、十分面白い作品に仕上がっていると感じられました。
NHKの坂本九さん語り手の人形劇の頃からの八犬伝のファンです。とて...
NHKの坂本九さん語り手の人形劇の頃からの八犬伝のファンです。とても豪華なキャストでしたが、本編と馬琴の生涯の2部編成ということもあり、それぞれストーリーか少し中途半端で荒削りで深みがないように感じました。また、ストーリー展開で、八犬伝というタイトルなのに、八房の扱いが雑でリスペクトが感じ取られませんでした。ラストも伏姫と共に登場するくらいの扱いがあっても良いように感じました。キャスティングでは、里見の殿様の演技が私的には軽薄に感じ取られ残念でした。
集中力が必要です
八犬伝が完成するまでの物語りと八犬伝の内容を映像化した物語りが交差するので油断して観ていると「あれ?今どっち?」となります。
予備知識ゼロで観るとそんな感想になってしまう映画です。
このシーン長いな?とか、ここは必要なのか?というシーンも沢山あります(あくまでも個人の感想です)。
キャストの皆さんの演技も良かったし、CGの使い方も良かったと思います。
八犬伝のストーリーを映画化して欲しいと思った人は多いと思いますね。
「虚」と「実」の間で迷う
八犬伝は子供の頃に一度読んでなんとなくあらすじは覚えている程度。
現実?パートは役者や演出、美術も含めて非常にレベルが高い。役所広司の滝沢馬琴はザ・主人公。という感じで王道のキャラクターに感じたが、馬琴の目が見えなくなったあたりからその実力が目に見えてくる。
内野聖陽がとても素晴らしい。飄々としているけれど、その奥に芸術的なセンスを根底とする言い回しや態度がとてもカッコ良かった。
寺島しのぶのキャラクターは少々キツイが振り切った演技が素晴らしく、黒木華もこういう健気な女性を演じたら右に出る者がいないと思える程ハマっていた。
「虚」の八犬伝パートもかなりのダイジェストだろうが、ツギハギが解けて崩壊しない程度にはなんとか上手く纏めているとは思う。こちらは若手スター候補を引っ張る栗山千明が素晴らしかった。
映像も綺麗かつ、恐らく敢えて色彩やCG色を強め「虚」の世界であることがわかる様になっていて見やすかった。
正直な印象としては、「実」が重厚で見応えのある演出がされるのと「虚」側で壮大なファンタジーが描かれるのと、お互いがそれぞれの方向へ進むにつれて見ている側はその間で迷子になってしまう印象の映画だった。
八犬伝側は子供には楽しいが、大人には少々キツい。ダイジェスト感も相まって、夏休みのヒーローショーを見ている気分になる。
逆に馬琴側は大人には良いが、子供には虚実問答とか少し難しいだろうし、寺島しのぶはずっと怒っているし八犬伝側が見たいだろう。
交互に挟まれているのでリンクしながら進んでるのかとも考えたが、そういう部分もありそうだ。という程度でしっかりとは読み取れなかった。
またお互いの枠を取り合うことでそれぞれがしっかりと描ききれていないのも惜しいと感じる部分ではある。
最後の馬琴が八犬士に見送られる?シーンは感動的なんだろうが、なんかちょっと見ていてキツいな。というのが鑑賞後の余韻として残った。
伏姫1人に迎えさせるか、八犬士の後ろ姿だけ見せるなどさり気なく送り出してた方が良かった様にも勝手ながら思えたりする。
大河ドラマと仮面ライダーが交互に観れますよ
もう半世紀以上昔になるのか子供のころに観たNHKの人形劇ドラマで「仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌」の8つの玉を持った8人のファンタジードラマに魅了された記憶が蘇り、タイトルだけでほとんど出演者などの事前知識なしで観させてもらった。
滝沢馬琴のストーリーと彼から生み出されたファンタジーが交互に出てくる構成となっているが、演技力達者な俳優陣のリアルストーリーの方が重いのに比べ、若者たちのファンタジー部分がまさしく御伽草子であり、大河ドラマと仮面ライダーを交互にチャンネルを切り替えてみるような感覚だったのは私だけだろうか。
リアルストーリーでは息子役の”中村幸也”は相変わらず上手いなあって思って帰って調べたら”磯村勇斗”だったのですね。ずっと勘違いしており失礼しました。
浜地役の河合優実も最初は”森田望智”なのか?って思っていましたが、これも違ってました。
年取るとだんだん区別がつかなくなってきますわ。
嫁役の黒木華は間違えることなくしっかりとした演技は素晴らしかったです。
全編退屈せずに観終えましたが、2番組をチャンネルガチャガチャして観続けたような、何か別の世界をつなぎ合わせた違和感が残りました。
虚と実の対比が面白かった
正しいものが報われるという「虚」を描く馬琴が、「実」では決して報われているとは思えない生活を送っており、正しいことだけを書き続けるのがほんとにそれで良いのかと悩むところは面白かった
また、なんで黒木華さんがこんな端役と思ったけど、最後の方はある意味主役になっており、やっぱり黒木華さんで良かったと思いました
もう書くまでもないけど、役所広司さんと内野聖陽さんの老人の交流シーンの掛け合いはほんとに面白くて楽しめました
少し長い映画ですが、とても良かったです
若手俳優が良かった
勢いで観に行ってしまい、八犬伝の映画だと思っていたら、
そういうタイトルの小説の映画化で滝沢馬琴がメインだった。
あとから原作をざっと見てみたら原作が虚実という作りだったので
この形式は忠実に映画化しているのだろうが、
それにしても冗長過ぎると思う。
半分くらいの脚本に詰めたらもう少し面白く感じたと思うのだが。
大元の八犬伝がそういう話だから仕方ないのだが、義実が駄目過ぎる。
玉梓の言うのは尤もだし、これは映画版が特に酷いのだが
八房に娘を嫁にやりたくないならまず感謝と謝罪と代替案を出せよと思う。
一つもなく殺しに行くのが驚きだし、ひたすら八房が可哀想だ。
八房は言われた通り武勲を立てたのだから、褒美をもらえこそすれ
そんな目に合わされる理由がない。
馬琴を初め虚実どの登場人物もいまいち好きになれなかった。
馬琴は身勝手過ぎる。
ラストシーンも随分チープだなと思った。
八犬伝パートを感動的に完結させて、馬琴は八犬伝を完結させられたのだな、
と視聴者に投げるくらいで丁度良いだろうに、
虚実ないまぜだからああしたのだろうが中途半端に思う。
大角の松岡広大さんが礼儀正しく真っ直ぐな感じが出ていて良かった。
舞台では犬坂の役をやっていた塩野瑛久さんが敵方である定正を演じるのも
それはそれで面白いし、
塩野さんの声の響きが特徴があって好きだ。
大河にも出ておられるが、和の役も悪役も出来る方なので
印象的な悪役になっていて非常に良かったと思う。
この映画は「滝沢馬琴物語」
まず「八犬伝」を求めてこの映画をみると「あれ?」って思うかもしれません。
タイトルは「八犬伝」ですが映画の内容はどちらかといえば「滝沢馬琴物語」といった方がしっくりくる映画だと思いました。
他の巨匠で例えるなら宮崎駿先生がいかにしてナウシカやラピュタやトトロを生み出し、映画として世に送り出したのか。みたいな流れを時々映画のワンシーンを交えながら描いていく。みたいなものでしょうか。
そういう形式で言えばエヴァの庵野監督やDBやアラレちゃんの鳥山明先生バージョンでもこういう形の映画を是非見てみたいなあと思ってしまいました。
そして葛飾北斎がラフ画を描いては破って捨てる天丼ギャグは始終笑ってしまいました。
滝沢馬琴と葛飾北斎のバディものとしても観れるのでブロマンス好きな方にもおすすめ。
2人の会話劇のパートがめっちゃ面白かったので、葛飾北斎目線バージョンの映画も見て見たいなあと思ってしまいました。
滝沢馬琴ストーリーかも。それと深作欣二監督を思い出した。
「八犬伝」の話しとともに、滝沢馬琴と家族、仲間の生涯を描いた作品だと思う。役所さん、内野さんが、いい味出している。磯村さん、寺島さん、黒木さんも良かった。河合さんの着物姿は、なんか違和感がありました。(←「あんのこと」「ナミビアの砂漠」の印象が残っていた為かしら?)鶴屋南北との虚と実の論議は、現代社会にも通じる点が有り、納得させられた。馬琴(役所)が「忠臣蔵が好きだ」というセリフの時に、実の世界で、役所さんが「最後の忠臣蔵」という映画に出ていたことを思い出して笑ってしまった。昔の作品の深作欣二監督、真田広之、薬師丸ひろ子の「里見八犬伝」とは違う面白さがあった。映画の中で上演される歌舞伎四谷怪談は、同じ深作監督が佐藤浩市、高岡早紀主演で撮った「忠臣蔵外伝 四谷怪談」と通じるものがあり、深作欣二監督を思い出してしまった。😅
NHK人形劇『新八犬伝』の印象の強さと原作者描写の効果
やはりNHK人形劇『新八犬伝』の印象が強く、序盤の犬塚信乃に重点を置いた展開は、共感できた。
原作者滝沢馬琴氏と友人の絵師の葛飾北斎との遣り取りになり、分野が違っていても、偉大な芸術家同士の相互の影響力の大きさを感じた。物語だけの展開でないところに、中弛みを防ぐ効果も感じた。
『四谷怪談』と『忠臣蔵』との関連性についての知識はあって、そこは違和感はなかったが、鶴屋南北氏との論争には感じ入った。渡辺崋山氏との遣り取りも良かった。
最後の犬士の登場のように、個々の犬士の背景描写の少なかったところがやや不満だった。人形劇では、浜路は薄幸の女性という印象だけしかなかったけれども、意外な素性が判明した。これでは犬塚信乃とは、叔母と甥の関係になるのではないかと思った。抜け穴を通るのが窮屈そうな場面では、犬に変身しないのかと思った。玉梓の妖力には犬士たちも圧倒され、分断されることで弱められるのかと思ったが、珠だけが八つ集まることで、怨霊を首尾良く倒したが、3人が命を落としていた。そのとき、伏姫降臨と3人の蘇りが起こり、『ドラゴンボール』のようでもあった。人形劇の結末では、犬士たちが犬の姿になって珠とともに空を飛んで行くということとはだいぶ違っていた。
合間に出てくる原作者の滝沢氏の年齢や居住環境もだいぶ違っていて、かなりの年数をかけて執筆が続けられたことがよくわかる。滝沢氏が晩年視力をなくしたという知識もあったものの、口述筆記を引き受けた人物が、漢字の読みも難しい嫁で、その遣り取りの努力の過程もよくわかって良かった。
滝沢馬琴=尾田栄一郎と仮定して…
なんでこういう構成にしたのだろうか?
話のネタとしては興味深い。
八犬伝を後世に残した滝沢馬琴の物語。
それに葛飾北斎や鶴屋南北までが参戦する。
虚と実の話が何回も出てきて、構成もそれに準じるものではあったけれど、どうにも噛み合わせが悪い。
「八犬伝」の内容は虚であるが、戯作自体は実である。で…今作が語る滝沢馬琴の生涯は虚ではないかと思うのだ。いや、学がないからこその見解であって、滝沢馬琴研究家が「これぞ!」と唸る程、ご本人の人物像に沿っていたのかもしれないが。
実際、馬琴のプライベートがアレだと仮定すると、劇中劇の八犬伝のウェイトが重過ぎるような気がする。
長いと言うか、くどいというか。
ご丁寧に八犬伝の筋は分かる。
けど、馬琴の生涯を知る事で相乗効果が出てると思えず…なんなら滝沢馬琴物語を見せてくれた方が充実感を得られたような気がしてる。
北斎や南北のようなキャラも出てくる訳だし、ラストのエピソードも効いている。
八犬伝と馬琴が喰いあってる気がしてならないのだ。
それと、八犬伝パートの色味をもうちょい変えて欲しかったかなぁ…。
思うに馬琴の脳内映像ながら演出的には時代劇をやろうとしている。芝居もなんだかコッテリしてる感もある。逆に…この色味を変えない事がテーマと直結してて、虚と実の境目をワザと付けなかったのだとしたら、八犬伝とは馬琴にとっては何だったのだろうか。
そうなると途端に哲学じみてくる。
虚と実の話をすると、他人なんか全部「虚」に分類される。他人が見てる世界と自分が見てる世界の解釈は違うからだ。
確かなものは、自分が感じるものだけである。それが間違っていたとしても嘘でも想像でも推察でもない訳だから。北斎が馬琴の頭ん中が分からないのと同様、他人の頭ん中を100%理解するのは不可能だ。
馬琴にとって、八犬伝執筆は実であって、それを創作する過程も実であるってのが色味を変えなかった意味なのだろうか?
では虚とは何を指すのか。家庭であり世間であろうか。驚く程、馬琴から見た家族の描写は少ない。その代わりに妻や息子から見た馬琴は同一人物かと頭を傾げる程に両極端だ。そして、馬琴が家族に想う事にも溝を感じるような状況も多々ある。
かと言って八犬伝執筆に没入してる馬琴を描くでもなく、苦悩を描くでもない。周りが馬琴を評価する原因が悉く描かれてはおらず、馬琴自体もそこを気にかけてる素振りもない。
…いや、そんな小難しい事を描いてるような作風でもないとは思うので、ここらでやめとこう。
劇中で興味深い台詞があった。
「物語は虚でも、その精神を貫けば、それは実になるのでないですか」とかなんとか。
素直に「だよね」と思う。
が、ここに待ったをかけるのが南北で…出来もしない理想を掲げるのは無意味だとか何とか。
「正義は必ず勝つ」このありもしない幻想を流布し浸透させたのが滝沢馬琴なのかと思うと戦慄さえ覚える。
八犬伝以前にはそう言うファンタジーに分類される戯作はなかったのだろうか?
八犬伝以降、現代に至るまでその思想を拠り所にする精神論が蔓延ったとするなら恐怖でもある。
実際、俺もそんな事を考えながら日々降り注ぐ理不尽に対処してるような気にもなる。
いや、これも本作のテーマではなかろう。
どうにも居心地が悪いのだ。
思わせぶりな台詞が多すぎるのかしら?
単純に八犬伝誕生秘話でも良いのだけれど、そうなると馬琴の境遇が不憫で、と言うか不憫なエピソードしか語られずで…執筆者のプライベートとか違う世界過ぎて知りたくもないのだ。
明石家さんまさんが「TVで泣かないのは、お客さんが笑ってくれへんくなるから」という信念を持ってらっしゃるらしい。
そう言う事だと思うのだ。
読者は我儘だ。
本作を見ながらに思うのはONE PIECEを執筆中の尾田栄一郎先生の事である。
連載が終わるまでは死んでほしくないし、彼のプライベートを知りたいとも思わない。
どんな人物でどんな境遇なのか知る術もないけど、知る事で作品に対する雑味となってしまうなら、それこそ本末転倒ではなかろうかと思うのだ。
乱暴な言い方をすれば、執筆者の境遇などどうでもいい。そのぐらい執筆者と読者の間に距離があってもいいと思うのだ。
だから、本作の切り口はよく分からなかったのだ。
滝沢馬琴物語なら俄然興味はある。
それも八犬伝執筆の裏話なら。
が、本作はそうでもなさそうなのが難点で…本作が語る「滝沢馬琴」自体が虚、つまりは創作である匂いがプンプンする。
八犬伝パートがもっと凝縮されてて、続きが見たいと思うくらいでも良かったんじゃなかろうかと思う。
実際、前半は壮大なスケールだった。
後半になりCGに逃げたというか安直になったというか…おざなり感が強かったのが残念だ。
驚いたのが原作「山田風太郎」のコールがあった事だ。
実際、原作は読んでないのだけれど、角川映画の「里見八犬伝」の原作も山田風太郎だったように記憶している。
いや、角川の方は「南総里見八犬伝」だったかしら。
※調べたら角川の方は「新・里見八犬伝」で原作者は鎌田敏夫さんだった😅
ともあれ角川の里見八犬伝は大好きで、今尚、生涯ベスト3の1本には入ってる。
監督、深作欣二が偉大なのか、脚本家が偉大だったのか分からんけど和製ファンタジーの最高峰だと今でも思う。
まぁ、ともあれ、役者同士の掛け合いは面白くて、特に寺島しのぶさんの役所はとても重要だった。
彼女1人が虚を実に繋ぎ留めていたと言っても過言ではない。
ネタ的には面白かったのだけど、配分が好みではなかったなぁー。
よかった
八犬伝にはなじみがないので、どんな話なのか興味があってワクワクしていたのだけど、劇中劇はダイジェストだ。球を持った人物が発見されて集まっていくのは面白い。殿様の発言がブレブレで災いを招く、発言には責任を持とうというメッセージを感じる。しかし、あの女だったら発言がぶれていてもいなくても目一杯恨んできそうだ。どっちでも結果は同じだったと思う。
当時は殿様は絶対だったのかもしれないけど、里見家に無関係な若者が球を持っているからと言って命がけで忠義を尽くす。いいのか。
滝沢馬琴パートはまあまあで、歌舞伎を見に行った時に鶴屋南北を不真面目だと批判する。物語作家なのにえらく真面目だなと思ったせいで、八犬伝をつまらなく感じる。今も昔も同じだと思うけど、現実の方が絶対にふざけているし理不尽がまかり通っている。四谷怪談も忠臣蔵もよく分からないけど、ふざけて表現していると言う鶴屋南北の方が面白そうだ。
奥さんの寺島しのぶがいいところ一つも描かれない。息子には厳しくしつけをするのに奥さんは野放しだ。今なら普通だけど当時としては変ではないだろうか。いまわの際の言葉が「ちくしょう」、あまりに悲惨だ。
本当に真面目な人が作っている感じがするのだけど、葛飾北斎が描いた絵をいちいち丸めて馬琴が恨めしそうに見ているやりとりが面白い。
役所広司はナニモノなんだ
《PERFECT DAYS》でも思ったけど役所広司すごいね。
「そこの筋肉は、どうやったら動かせるの?」という感じで表情を作ってくる。
合わせる寺島しのぶもすごいんだよ。
役所広司と寺島しのぶでやり合ってるところに磯村勇斗が絡むんだけど、磯村勇斗をもってしても敵わない。格下に見えちゃう。
話は、物語《八犬伝》の世界と、それを描く馬琴の世界で交互に進むのね。
《八犬伝》パートはわざとだと思うけどちょっとちゃちっぽいというか作り物っぽい描き方なのも面白い。
玉梓役が誰か気になって「こんな顔した女優さんいたよな」って感じで、深津絵里っぽいのかな。エンドロールで栗山千明と分かって、なるほど綺麗だわと思ったな。
《八犬伝》面白いよね。一大スペクタクル爽快活劇じゃん。
木下グループが「黒澤映画みたいなのを撮ろう」と思ってやったのかな。角川映画にも似てた。
話は無茶なんだけど『主君の言葉の重さを知れ』っていう教訓が入ってたりすんの。
「実は大鳥にさらわれたお姫様でした」ってところは「ギリシア神話かよ」って感じなんだけど、いまこういう大仕掛けないね。
あまりにやりすぎて「さすがに作り物っぽすぎる」と思われちゃうんだろうな。
でも、いまは作り物にみんな慣れてないから、今こそまたやって欲しい。
実の世界ではなりたたない善因善果、悪因悪果を虚の世界で描いて、でもそれを貫けば虚も実となるのだみたいな話があるんだよね。馬琴の人生がそうであればいいってことだと思うんだけど。
だからラストに八犬士が馬琴を迎えにきたときは泣いた。
知っていそうで知らない八犬伝だから、歴史的名作を知る意味でも、観たほういい作品だと思ったよ。
虚実をテーマに、滝沢馬琴近辺の実部、八犬伝の虚部をうまくまとめてた...
虚実をテーマに、滝沢馬琴近辺の実部、八犬伝の虚部をうまくまとめてたなと感じました。
・衣装などリアルな実と、衣装など明らかに作られた虚
・家族間がうまく行かない実と、八犬士がうまくそろう虚
など、細々と虚実の対比があったのはよかった。
拍子木がなくなり、正義が報われるとは限らない実と、正義が報われる虚がいつの間にかいっしょくたになっていくのはおもしろかった。
ラスト息子・おみちの正義が、作品完成という形で報われるのも虚実合わさった故にという感じ。
まぁ、ラストはもう少しどうにかできた気がするけど、八犬士に囲まれた馬琴の笑顔は1つの虚実の合わさった形なのかな。
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