八犬伝のレビュー・感想・評価
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「実」パートと「虚」パートの出来映えに大きな落差がある。
「実」パートの重厚な役者の存在感とディテールの描き方の緻密さに比べ、「虚」パートの描き方があまりにもライトであり、「実」パートを際立たせるために意図的にそうしたのかもしれないと思いつつも、ズシリと見応えのある時代物のファンタジーを期待していた自分としては肩透かしを食らった感じがした。
何よりも八剣士のキャスティングが、美形ばかりでみんな同じように見えてしまい、自分にはアイドルグループがコスプレしているようにしか見えなかったところが大いに不満で、大変に幻滅した。
ファンタジーであっても本物の時代劇を感じさせてくれなければ、十分満足などできない。いつかやり直していただきたい。
「八犬伝」が観たかったのに馬琴の映画だった
「八犬伝」が観たかったのに馬琴の映画だった。それに尽きる。
馬琴が「忠臣蔵四谷怪談」を観劇して史実の美談にフィクションを混ぜた構成に憤慨するシーンがある。
真実を正しく描くことか、虚実をエンタメとして描くのか、そういった入れ子構造を二重写しに描きたかったのかな?と憶測。
八犬伝パートが盛り上がって、いいところで馬琴パートにスイッチしてしまうので毎回興醒め。
八犬士が揃ってからの大立ち回りも雑で萎えたが。
ラスボスもCGショボかったwww ロードオブザリング1作目の時代くらいのCG感覚。逆に懐かしかったかもw ラスボスの倒し方も雑。
馬琴の家族の描き方がひどすぎる。寺島さんのヒスババアっぷりはあれでよく本人が演じてくれたな。
テンポは悪くないのですが演出の拙さに失笑。
ポン・デ・リング
役所広司さんと内野聖陽さんの競演、横綱と次期横綱の大勝負みたいで面白かった
蔦屋重三郎の生涯を描くNHK大河ドラマ「べらぼう」がはじまって、北斎に歌麿、浮世絵や読本に注目が集まるのが今年2025年だと思いますが、2024年に公開された話題作で、『南総里見八犬伝』を執筆中の滝沢馬琴を役所広司さん、八犬伝の挿絵を頼まれて、馬琴の家に通う葛飾北斎に内野聖陽さん。映画の半分が馬琴の書斎で北斎と馬琴が語り合うシーンで、役所さんと内野さんの長台詞のお芝居が続く感じで、お二人とも入魂の演技で、お芝居というより、ほんとうに馬琴と北斎にしか見えません。
馬琴の描く空想の世界の最大の理解者で、馬琴の脳の中にしか存在しない、見えない世界を可視化する天才北斎のやりとりを聞いていると、事実上の2人芝居なのに、ワクワクが止まらなくなります。馬琴が『南総里見八犬伝』を書き進めていくたびに、劇中で『南総里見八犬伝』の物語が別立てで進行していくので、八犬伝のストーリーも楽しめて、一度に二度おいしいお話でした。
ただ予算が足りなかったのか、南総里見八犬伝のストーリーはもっとSFXを駆使して、派手に大胆に作れるような気もしました。1本の映画で2つの話を同時進行ですすめているスタイルなので、南総里見八犬伝のストーリーはだいぶ端折られており、八犬伝のファンの人から「八犬伝はこんなもんじゃない。もっと!もっと!話が複雑で、面白いんだよ!」と熱弁されてしましました。なので、南総里見八犬伝は、この『八犬伝』続編として、改めて八犬伝を作ってもよかったんじゃないかなと思いました。
八犬伝の剣士を演じた役者さんとしては、渡邊圭祐さん(犬塚志乃)、板垣李光人さん(犬坂毛野)が光ってました。南総里見八犬伝を映画やドラマにするとき、八犬伝の八人の剣士は、その時代時代の若手スターを抜擢するんだと思いますが、令和の時代に選ばれし「8人」の剣士が暴れる姿を見てみたいです。この作品の劇中のストーリーだけだと、エキストラに毛が生えたくらいの活躍しかできなかったのは、もったいなかったかなと思いました。
題材の難しさに勝てなかったか
八犬伝のファンタジーパートと、作者の馬琴の現実パートが交互に展開する時代物。
映像美が良い作品で、ファンタジーパートでは、スケールの大きな背景CGも違和感がなく、ホラーやファンタジー表現にも拘りが感じられるのが良い所。現実パートの小物や家具、建物なんかもリアリティがあり、炭団を丸めるシーンは生活感があって良い。
展開の面白味としては、ファンタジーパートのアクション、大冒険が一翼で、現実パートで江戸後期の歴史上の著名人が次々に登場する歴史ファンウケ要素がもう一方を担っているか。
問題は、馬琴の「南総里見八犬伝」が陳腐化してしまっているところで、原作の意訳本を読んでもらえれば分かると思うが、現代人には昔ばなしの童話のように感じられてしまうのである。
その辺を映画としてどうクリアするのかな、という工夫が見たかったのだが、想像の域を出なかったのでこの点数とした。現実パートを交えることで鑑賞に堪えるものの、やはりイタさはごまかしきれなかった。
現実パートも不幸フラグが立ちまくりで、盛り下がっていく一方。見ているのが辛く、早く終わらないかな、、、と思ってしまった。
一応、目の見えなくなった馬琴を支えた義理の娘とのやり取りがハイライトなのだが、予告を見ただけで予想できていたので、想像を超える展開が何もなかったのが悲しい。壮絶な苦労があったんだろうけど、映画を締めくくるエピソードとしてはちょい弱めなんだよなあ。
ということで、難しい題材に挑戦して、なんとか凡作に踏みとどまった印象でした。
辻褄が合わない
マジ時間の無駄
コレね、そもそもが題名間違ってるのよ。素直に、「滝沢馬琴物語」とか「馬琴の生涯」とかにすればそれなりに映画を鑑賞出来たのに、里見八犬伝とか前面に押し出すから批判されるんだよ。ホント深作監督と真田に謝って欲しい。リメイクに期待した自分が恥ずかしいわ。何か途中から全然違う話始まって頭が?になったが、まさか全編里見八犬伝物語と制作秘話を織り交ぜて最後まで行くとは思わなかった。マジ時間の無駄でした〜
里見八犬伝の方から評価すると、正直若手俳優さん達頑張ってんな、と思ったね。全然悪くないし、今後も期待出来る自然な演技でした。板垣君の女装観た時、確かに綺麗だなとか思ってしまった。新たな扉を開く寸前まで行きました笑
滝沢馬琴物語の方も、正直大変良かった。つーか、役所と内藤、寺島の3人で映画一本作れるわ。安定の演技で素晴らしかったね。しかし、この2本の物語を掛け合わせて纏めたもんだから、観てる方は落ち着かないよね普通さ。八犬伝でハラハラしてんのに、馬琴の方でほっこりするんじゃ、一本の映画としては最低評価になると思います。よくこんな脚本にしたな、という映画でした
奈落の問答
期待して大画面で(130インチスクリーンで1.5m離れて)鑑賞しました。まず、大画面で観るほどの映像ではありませんでした。
滝沢馬琴(役所広司)がいる世界が朝ドラみたいで、とても嘘くさいんです。そして物語の世界のほうも、端折ったファンタジーで説得力がありません。
中盤の「奈落の問答」のあたりは眠くなります。最も大事な場面だと思うのですが、わざと眠くなるような演出に工夫したのかもしれません。四谷怪談と忠臣蔵をミックスした話が今作の本質のように感じました。滝沢馬琴(役所広司)を悩ませるきっかけにもなった、「つじつま合わせ」についての説明がありました。そのシーンは、この作品自体のことを(呪術の世界が本当の歴史で、失明してまで28年かけて完成に至ったのは嘘です、と)言っているのでしょう。
どのキャラクターもイマイチ魅力が足りなくて残念でした。
栗山千明さんが大塚寧々さんと似ているという印象と、内野聖陽さんと役所広司さん、寺島しのぶさんの三人の28年という時間を感じさせる演技が、さすがだと思いました。
八犬伝の話は大好きです
私は「南総里見八犬伝」が大好きで、子供の頃はNHKの人形劇「新・八犬伝」にはまってました(笑)
辻村ジュサブローによって作られた「玉梓」の怨霊の人形が、不気味で怖くてゾクゾク感がたまらなかったのを覚えてます。
次々と伏姫の玉をもつ仲間が集まっていき、戦っていく様子は、RPGのようでもあり、ファンタジーでもあり楽しくてたまらなかったです。
その後も映画もみたり、違った解釈で書かれた小説も読んだりしてました。
なので、今回の映画も楽しみにしてたのですが、
お話の部分がしょぼくて、ちょっとガッカリしました。
映画館に行かなくて良かったです(笑)
八房のCGが残念だったのを皮切りに、仲間が簡単に見つかりすぎ(笑)
まぁー短い時間で表現できないのは、わかりますが、本当はもっともっと面白いお話なんです。
なぜその人物がその文字を書かれた玉を持ってるのか、文字の意味もちゃんとあるんです!
申し訳ないだけど、なんか学芸会を見てるようで💦
ただ犬坂毛野を演じた板垣李光人は、毛野にピッタリで女の子より女の子で可愛かったですね(笑)
それに比べて、滝沢馬琴と葛飾北斎の現実パートは、なかなか良かったです。
「虚」と「実」とを語り合うシーンや、馬琴が悩みながら、最後には盲目となりながらも、書き上げていく情熱は凄まじいものを感じました。
現実パートだけでも良かったのではないのだろうか?っとふと思ってしましました。
あっさりが最近のトレンドか?
観終わって「しーん」となった。
これ、馬琴の事が描きたかったのか、里見八犬伝を描きたかったのか、わからない。
この映画の意図が全くわからなかった。
映像美としては、八犬伝パートを楽しめたが、ちょいちょい馬琴パートで盛り上がりがぶつ切りにされ、盛り上がってきた心がいちいち沈静化され、さらには八犬伝のお話自体、わりと端折られてて、3分で読む八犬伝的なダイジェスト感がいなめず、
馬琴の人生の何を伝えたかったのかも、わからず。
両パートいずれも中途半端な描かれ方をしたため、
消化不良で終わった。。。
役所さんと内野さんの無駄遣い。
グラフィックは素晴らしい。そして俳優の力量で持って行ったシーンもいくつかあった。
が、全体的な構想が、いずれも薄っぺらくて萎えた。
アマプラで見たけど、映画館でみたら、怒ってたなぁ。
ま、最近の若い世代の映像の観る感覚に合わせたのであれば、随分と最近の人達は、そこそこのもので満足するつまんない人生なんだな。と思いました。
いや。まて。そんなこたーない作品だっていっぱいあるわい!
つまりは寄せすぎて失速。
ちょいちょい面白いシーンがあっただけに残念すぎる。
日本映画。限界か。
年齢層によって評価は分かれるかも
なんだかとても惜しい映画 マイナス×マイナス=プラスの方式。
な!なんと!奥さん!この話題作がもうアマプラで配信じゃないですか!
「嘘と実が交錯するエンターテイメント」が本作のキャッチコピーですよね。
まずその点からイチャモンつけたいの。いきなりステーキ。
そもそも映画こそ最も“虚”たるフィクションじゃないですか。ドキュメントフィルムじゃないんだから。
そこを“実”と言われてもなぁ…が観終えた時の正直な感想でした。
むしろ“虚”パートのお話の方こそ“実”に見えたんですね。“実”であってほしかったんですね。マイナス×マイナス=プラスみたいなメタ構造爆誕。
そして、結局がどっちつかずの凡作に終わった感じに思えたです。
いっそのこと“虚”パートの八犬伝のお話をメインに全振りしてくれた方が楽しめたかも。
実際“虚”パートの見せ場ってかなり面白かったです。
“実”パートは映画として観るなら、やや地味で退屈な印象を受けてしまいました。
この“虚”ד虚”のクロスオーバーの成功例で、私がまず思ったのは『大河への道』なんですね。
大河…は本当に楽しめましたし、感動すらしましたもん。
加えて直近では『はたらく細胞』これも本当に面白かったです。つい先日観たばかりなので、レビューはまだ書いておりませんが。是非とも触れておきたい作品だと思いました。
でも、偉大すぎる先駆者があって。そことの真っ向勝負を避けたのかな?
そう、当然往年の角川映画の『里見八犬伝』のこと。本作を語るにあたって比較してしまうのはどうしても避けられない映画だと思うです。
ぶっちゃけ里見…は薬師丸ひろ子人気に頼った、かなり大味なエンタメ作品ではあったものの、制作費は当時としては破格の10億円だったらしくて。(今日換算なら大雑把にシャアザク的な約3倍の30億円くらいらしいです)
対して興行収入倍の23億円ということです。今日換算ではシャ…だいたい3倍の70億円。
立派に成功作と言ってよいと思うの。
映画にそれだけ贅沢な予算をかけられるって、はっきりいってそれだけで勝ち組だと思うの。
翻って今日の映画ってまず予算に非常に大きな足かせがあると思うの。それ故に失敗は許されない事情が多分にあると思って。
本作の製作費は多分10億円くらいだと思うの。←なにこの決め打ちw
対しての興行収入は6億6千万円のデータがあって。10億円超えが業界内でのボーダーラインのようですね。
それで言うと本作は興行収入的にはそれほどでもなかったかも…?の微妙なラインみたい。
お金の話はもういいや。←なら語るなし!
期待作だっただけに、ちょっと残念な評価になったかな。
劇場で観ていたなら、パンフレットを買おうとは思わないくらいに。
カイジやアカギみたいな、ヒリヒリと焼けつくような大博打で“虚”パートを描ききってほしかったというのが正直で端的な感想でした。そここそ、今日の映像技術で観てみたかったです。
予算が悪いんやで…予算が…←まだ決め打ってるし…
ややこしいが、真理を突いていた
なるほど~ そもそも山田風太郎さんの小説の実写化ですか~ ややこしいな。
この中で描かれている虚構とは「南総里見八犬伝」という物語であり、それを当時創作した滝沢馬琴の人生はこうだったという空想上の「実」を交えているのがこの作品。
監督が虚構部分の役者に依頼したのが、虚構としての演技のように感じた。
そこに寄せた監督の想いが実際の山田風太郎の小説から読み取ったのだろうか?
監督は、時代背景の違いや価値観の違い、その他の違い、そして虚と実という概念を映像ならではの表現として組み合わせたのだろう。
さて、
作中の歌舞伎四谷怪談 その脚本を書いた人物の考えこそこの作品のテーマだろうか。
彼の話を聞いて思い浮かんだのが鬼舞辻無惨と産屋敷耀哉の会話
「永遠というのは人の想いだ 。人の想いこそが永遠であり 不滅なんだよ」
実体であるモノ 目に見え、においがあり、味がして、触れて、聞える「モノ」はすべてエントロピーの法則によって分解へと一直線に向かう。
しかし人の想いに時間は存在しない。消せるようであっても消えることはない。
五感で感じる「実」とはいったい何だろう?
動的平衡という福岡伸一先生の言葉
そもそも人間が作り出したモノは、いったいどこからやってきたのだろう?
想像 思考という虚構によってモノになったはずで、人はそれを創造と呼ぶ。
虚構である想像によって創造されたモノは実体として認知される。
四谷怪談の脚本を書いた人物は、心に存在する真の恐怖こそ実体なのではないのかと問うた。
辻褄など合わないのが世の中だと彼は言ったが、それは正義は必ず勝つ 勝たねばならないという盲信こそ虚構ではないのかと投げかけたのだろう。
時代によって変化する価値観もまた虚構だろう。
さて、、
作中の滝沢馬琴が思案し続けた虚と実 辻褄
これらに回答を求めつつ、物語を創るという想いに人生を費やした馬琴。
友人の葛飾北斎の絵 そこに感じる躍動感 その感じた思いとは虚なのか?
物語の面白さも、虚なのか?
辻褄が合わなければ虚なのか?
万人が知る忠臣蔵という体裁上、心理上、そしてそうあるべきだという信念上の物語。
誰かが見たと言っていた幽霊 彼女が生前抱えた怨念
彼の妻の悪口がその対照として描かれている。
目が見えなくなっても想像することはできる。
しかし思うことができなくなれば、人はいったい何ができるのだろう?
思う、考える、想像する これらを証明するのは難しい。
だから虚構、なのだろうか?
馬琴は自問自答しながらも辻褄の合わないことも平気で物語を書いた。
彼がそこに見た面白さ その面白さこそ絶対に必要な要素だったのだろう。
逆に、
無関心こそ危険だと誰かが言っていたが、それは本当かもしれない。
その延長線上にあるのは、美しい風景などを見ても何も感じなくなる心だろう。
絵を見て、文を読んで、建造物を見て、風景を見て… 何かを感じることこそ実が生まれる瞬間かもしれない。
その心という「実」は永遠に残され、失われることなどないのだろう。
そしてこの心が一体どこにあるのかということは、未だ誰にも証明されていない。
滝沢馬琴がこのようなことと葛藤しながら南総里見八犬伝を書いたのかなと想像した山田風太郎さんの想像力もまた面白かった。
八犬伝の物語りは面白いが…
判断の分れる映画
この作品の持つ二重構造の劇中劇をどう評価するかで意見が分かれそうである。少なくとも馬琴にフォーカスされた主旋律は見事。時代のスーパースターである馬琴、北斎、南北、崋山は言うに及ばず、馬琴妻のお百、嫁のみち(てつが改名)を寺島しのぶ、黒木華と名優が配されていて、物語としては完璧。問題は八犬伝物語部分。頑張って作ってはいるが誰が見ても消化不良。これは意図してこうなったか、それとも編集上の成り行きか、はたまた予算の問題か・・と議論が分かれるところだけれど、敢えてザックリ作ったというべきかと思うのが本音。と言うのはちゃんと作ろうと思えば作れるよ!的な表現、演出が随所に見えるが、それを敢えてギリギリのざっくりで終えているのはやはり本編を際立たせるためだったのではないだろうか。
そう考えると個人的には十分な良作と言えましょうと言うのが僕の考え。是非他の皆さんにも見て頂きご意見聞きたいところだ。
Amazon Primeで観たけど
いつもの役所広司映画
納得出来る人生を全うする幸せ
人生、終わりが近づくと、こういう事は身に染みる
まあ、思い込み次第でなんとでもなる事ですけど
他人がどう思おうと、自分が満足ならいいんだから
そうできる人はね
南総里見八犬伝
子供の頃、NHKの人形劇をワクワクしながらみていたけど、最後どうなったかは覚えていない
ただ”玉梓が怨霊”の人形が他の人形よりバカでかくて怖かった印象がある
なので結末が知れただけでも観たかいがあったかな
今、八犬伝を映画化しても誰も観ないだろうから曲亭馬琴の生涯にスポットライトを当てたんだろうけど、この時期になんで?とは思った
納得のいく人生を送る事は普遍のテーマだけれど、やはり、なぜ?
結局のところ、今、最も存在感のある役者の1人である役所広司で映画を撮りたかったんでしょうね
その目的は充分果たせたんじゃないですか
ただ、自分としては、大して興味がある訳では無いので、まあまあという感想です
最後の逸話は知識として有難く観させてもらいましたけど、それだけです
気になったのは序盤
冒頭からの物語シーンの間が短すぎる
サクサク進みすぎる
玉梓が怨霊になるシーンが軽すぎる
物語のシーンだからこのままいくのかと思ったら最初だけでした
はしょりすぎです
少しくらい長くなってもいいので、ちゃんと作りましょう
驚いたのは船虫役の真飛聖
最初、誰だかわからなかったくらいのオドロオドロしいメイク
こっちが玉梓みたいでしたよ
元宝塚トップスターがやる役じゃないし、彼女である必要もない役
諸事情があるんだろうけど、自分を大切にして欲しい
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