八犬伝のレビュー・感想・評価
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虚をつらぬいて実となす
今なにかと流行りのファンタジックな美剣士ものとベテラン俳優同士の掛け合いの両方が楽しめる豪華なエンタメ作品。
江戸時代後期、江戸随一の読本作家曲亭馬琴と圧倒的な画力を誇る絵師の葛飾北斎はタッグを組んで次から次へとベストセラーを世に生み出します。今でいうところの武論尊と原哲夫といったところでしょうか。違うかな。
二人で世に出した作品は数知れず、その制作過程ではお互いけんかなども絶えなかったとか。でもやはりこれだけの作品を世に出しただけあって二人はベストパートナーだったのかもしれません。
劇中でも「その漬物石に文鎮を重ねて押しつぶしたような石頭からどうしてこんな話が思い浮かぶのか」とか、「しみったれた親父がなぜこんな色鮮やかな浮世絵が描けるのか」と互いをけなしてるのか褒め称えてるのかわからないような二人の会話劇が繰り広げられ、そして北斎の描いた絵を欲しがる馬琴にけして絵を渡さずその場で破り捨てたり鼻をかんだりと、二人の掛け合いがとても面白く描かれます。
かたや創作された八犬伝の方も、とてもこの時代に書かれたとは思えないくらいの冒険ファンタジーで、八剣士がこれまた美形ぞろいと観客の目を楽しませてくれます。
作品構成は原作通り創作物である八犬伝の物語と平行して馬琴と北斎の関係、そして馬琴がそのライフワークである八犬伝を書き続ける上での人生における様々な苦悩が史実通りに描かれます。
本作はCGを駆使した美剣士たちのアクションも見せ場として大いに盛り上げてくれますが、何と言っても一番の見せ場は歌舞伎の舞台の奈落で馬琴と鶴屋南北が作品において虚実をどう描くべきか議論する場面でしょう。
馬琴はこの世が不条理であり、善きものが恵まれず、悪しきものが栄えている現実を見るにつけ、せめて物語の上では正義が貫かれるべきとして勧善懲悪をテーマに読本を書き続けるのだといいます。
対して南北の舞台にはその出来に感心はするものの、忠臣蔵という勧善懲悪ものに四谷怪談を掛け合わせて虚実が入り乱れたために作品を貶めていると批判します。
しかし忠臣蔵は今でこそ主君の敵討ちをした浪士たちの物語という美談として演劇やドラマ、映画として長く愛されてはいますが、そもそも赤穂浪士たちは主君の仇討が目的ではなく、当時仇討ちが世間の受けがよかったために浪人となった彼らが新たに仕える主君を見つけるためのアピールとして行ったものであったのが事実であると言われています。
対して四谷怪談は田宮家に婿入りした伊右衛門によって陥れられた田宮家の娘お岩が行方不明になり、のちにその家に不幸が続いたという実話をモデルに書かれたものであり、南北は忠臣蔵の物語こそ美談の皮をかぶった虚であり、おどろおどろしい四谷怪談こそ現実を表した実なのだと言います。
この世は現実は善因悪果、悪因善果であり辻褄の合わぬもの。南北はその辻褄が合わぬこの世を見る者に思い知らせるために虚に見せかけた実を作品に描くと言います。かたや馬琴もこの世は辻褄が合わぬからこそせめて物語くらいは辻褄を合わせたいとして虚を書き続けると言います。
馬琴はこの南北の言葉に自身の創作への迷いが生じます。自分の書いてることは無意味な自己満足なのか。勧善懲悪を書くことで読む者に世間の不条理を忘れさせているだけではないのか。南北のように問題提起すべきではないのかと。
この両者はある意味で表裏一体といえるのかもしれません。同じように世間の不条理を憂いつつも、読者に生きる指標を与えようとしてる点で。
この南北との議論を経て迷いつつも馬琴はライフワークである八犬伝を書き続けますが、その後彼には次々と試練が訪れます。
息子の宗伯を医師にさせて武家の身分を取り戻そうとしましたが、そんな父に常に従順だった息子は病弱でついに命を落とします。彼は死ぬ間際まで父の作品の校正を手がけていました。
そして馬琴自身も年老いてやがて両の目を失明してしまいます。宗伯の嫁お路に口述で作品を書かせようとしますが漢字を書けないお路に我慢の限界がきて諦めかけます。
その時にお路が宗伯の言葉を伝えます。八犬伝を頼むと。宗伯こそが八犬伝の一番のファンなのでした。自分が武士の身分を取り戻したい一心で息子の人生を犠牲にしていたのではないか、彼を死なせたのは自分なのでは。自分を責めていた馬琴は宗伯の言葉を聞かされ、そして渡辺崋山の言葉を思い出します。
虚をつらぬけばそれはその人にとって実となる。正義を貫けばやがては現実もそのようになるはず。そう信じて馬琴は八犬伝を書き続けて来ました。宗伯の言葉と崋山の言葉で馬琴は迷いが完全に吹っ切れたことでしょう。自分は今まで通り信じるものを書き続ければいいのだと。宗伯もそれを何よりも望んでいる。
お路と共に二十八年にも及ぶライフワークを完結させ、他にもいくつもの作品を世に出した馬琴は81歳でこの世を去ります。
その最後の数年の姿は北斎が言うように絵になる姿だったのでしょう。彼が作品でつらぬき通した正義の心を褒めたたえるかのように彼が生みだした剣士たちに迎え入れられて彼は旅立つのでした。
娯楽作品として十分楽しめましたが、せっかく虚実の物語が並行的に進行するのなら、実の馬琴が創作において迷いが生じたときには虚の剣士側も正義をつらぬくべきか悩むシーンなんてあればより作品に深みが出た気がします。
馬琴が没して170年以上経ちますが、この世はいまだに善因悪果、悪因善果のままなのでしょう。八犬伝は28年をかけて勧善懲悪を成し遂げましたが現実の世ではそう簡単にはいかないようです。それでも彼のように志を持ち続けたいものです。
「八犬伝」完成秘話
50代の滝沢馬琴と絵師の葛飾北斎。
「八犬伝」のあらすじを北斎に語り、北斎は挿絵を馬琴の背中で
すらすらと書く。
そしてそれを握りつぶして破り捨てる。
そんな戯言に興じながら「八犬伝」は延々と書き続けられた。
馬琴の役所広司。
北斎は内野聖陽。
どちらも燻銀の巧さである。
味のある2人の語りが、「虚」である「八犬伝」の実写映像へと
瞬時に入れ替わるのだ。
なかなか凝った面白い趣向である。
重鎮スター2人、若手スターの八剣士、歌舞伎役者、
美女4人のラインナップ。
小さい時から「人形劇」の原作を楽しんだ世代向き、
なのかもしれない。
通好み、一見さんお断り。
これなら下見に観た1983年の「里見八犬伝」の方が、
素人には分かり易い。
キラ星のように輝く当時の時代劇スター。
今より進んでないカメラ技術なのに、
1983年の方が大作に見えるのはなぜ‼️
こっちには馬も出てこないし、玉梓だって栗山千明より夏木マリの方が
数倍妖艶(入浴シーンの美乳とかあった。)
姫と剣士(犬士)の、ラブシーンとかもない。
(若くて美しい薬師丸ひろ子と真田裕之が惚れあうんだよ)
いったい何処を愛でればいいのさ、この私。
土屋太鳳は早々殺される、
河合優美は崖から落とされるし、
八剣士(犬士)も美形を揃えたんだろうけど、
水上恒司でなくても、渡辺圭佑でも誰でもいい感じでしたし、
大好きな役所広司さんと内野聖陽さんも、
すっごい燻銀で素敵なんですけど、
茶飲み話のお部屋シーンばかりで、
見せ場がなかったですね。
それと、
年寄りすぎて、華がなかったですね。
「八犬伝」より挿入された「四谷怪談」と、
(鶴屋南北役の立川談春の狡猾さが印象に残るって、
(なんか本末転倒ですよねー)
それでも、馬琴が失明して、嫁のお路(黒木華)が、
漢字もろくに書けないのに、志願して口述筆記するくだり、
ここはやはり胸を打ちます。
こうして滝沢馬琴の「八犬伝」は1842(天保13年)に、28年の
年月を費やして完成したのです。
映画も真面目な労作でした。
あまりにも「実」
まず一鑑賞者として言うならばこの作品は王道のエンタメとしては正直あまり面白くない。
願わくば、このVFX技術と綿密な取材とロケ、細部までこだわり抜いたセットと小道具でなんのひねりも無く令和版南総里見八犬伝をやって欲しかった。
ではいわゆる”クソ映画”として楽しめるかと言えばそうでもない。八犬伝パートはあまりに面白く、馬琴パートは役所広司の演技力が高過ぎる。
この映画は物語の世界を「虚」と捉え、馬琴パートを「実」として描いているが鑑賞者にしてみれば八犬伝パートが「虚」であるなら馬琴パートも「虚」なのだが、なんと言うか馬琴の愚痴や苦悩を聞いている自分を感じることが「実」と言うか、映画を観に来ているにも関わらずあまり映画に入り込めず暗い気持ちになる作品だった。
と言うのもクリエーターとして食い扶持を稼ぐ身の上としては今の環境はあまりにも「実」なのだ。他人から奪う事を政府も経団連も文化庁も推奨してる。虚を貫けば実となるなんて正直綺麗事だ。今クリエーターは死んだら世に出した作品を全て奪われる。生きるにはクソ過ぎるがおちおち死んでも居られない。本当にクソな世の中になったものだと思う。
虚と実
一番の見どころは滝沢(曲亭)馬琴と葛飾北斎とのオッサントークかも知れない。
物語としては八犬伝そのものでは無い。
書き上げる過程に焦点を当てている。
八犬伝を書く曲亭が北斎に挿絵を書いて欲しいと願うが、北斎は面倒くさい性格の馬琴の要求に辟易しており固辞。孫に仕事をさせたい思惑もあり孫を推薦する。だが北斎は八犬伝の素晴らしいシナリオを聞いて即興で挿絵を書いてしまうが、その出来栄えにこれをくれと馬琴。北斎は破って鼻紙にしてしまう。このやりとりが何度も続くがその間のやり取りを含めてそれが面白い。
馬琴は北斎とのやり取りで八犬伝のブラッシュアップとモチベを上げて28年にも渡る長編小説を書き上げる。
オッサントークの間事に何年も時間が経過しておりどんどん年老いて行く様、馬琴と女房、子供、孫ととの家族との関わり。四谷怪談の鶴屋南北などライバルとの関係。勧善懲悪を好む馬琴と勧善懲悪は虚構、現実の中に実があると南北。四谷怪談と言う虚構っぽくした実話を元にした怪談と実話だけど尾鰭つきまくって虚構化した忠臣蔵、果たしてどっちが虚で実か?難しい命題に打たれる馬琴。悩みながらも勧善懲悪を突き進む馬琴は最後は加齢で盲目となり義娘の手を借りてようやく長編小説八犬伝を書き上げる。
その一連の流れ、心の動きを挟む様に八犬伝の有名なシーンがダイジェストの様に盛り込まれる作りとなっている。
どっちも時代劇ものとあって馬琴の現実世界と八犬伝の虚構の世界の切れ目が若干分かりにくいが、まあ出てくるのがオッサンか若い剣士かで分かるかな?
子供時代にNHKの人形劇で八犬伝を見た時は凄い話の展開と玉梓の怨霊、運命的な八犬士の出会いと合流、最後の決戦と大団円。おどろおどろしい中にも爽快な物語に胸踊る思いだった。その時の思いが蘇る感じでしたね。こんな物語を28年も書き上げた馬琴は凄いですよ。北斎も富嶽三十六景を八犬伝の間に書いたりと馬琴と北斎を演じたオッサン二人の掛け合いは秀逸。
【"実の世界の報われなき己の人生を糧に、虚の世界で勧善懲悪を貫く日本最古の伝奇小説を不撓不屈の心で作り上げた男とその家族の物語。”VFX多用の虚の世界と、実の世界の対比が面白き作品でもある。】
ー エンドロールでも流れたが、曲亭(滝沢)馬琴の「南総里見八犬伝」は、28年の歳月を掛けてナント、全98巻に渡り描かれた日本最古の伝奇小説である。
今作は、そのエッセンスを書き出した山田風太郎の「八犬傳」が原作である。
因みに私はNHKの辻村ジュサブローによる人形美術が素晴しい人形劇で八犬伝を知り、その面白さにのめり込んだモノである。”♬ジンギレーチ、チューシン、コーテー。いざとなったら玉を出せ!力が溢れる、不思議な玉を。♬”今でも歌えるよ!そして、怨霊珠姫の姿は、チビッ子NOBUにとってはトラウマ級の怖さでありました。(だが、後年辻村ジュサブローの素晴らしい人形に、少し嵌まったなあ。)-
◆感想<Caution!内容に触れています。>
・物語は、曲亭馬琴(役所広司)が、友人の絵師葛飾北斎(内野聖陽)に「八犬伝」のアイディアを話し、北斎がそのイメージをササっと紙に描く”実の世界”と、「南総里見八犬伝」のVFXを多用した”虚”の世界とが、交互に描かれて行く。
・”実の世界”では、馬琴は妻(寺島しのぶ)から家業を継がずに、文筆業に明け暮れている事をブツブツ言われ、果ては医者になる事を望んでいた素直なる息子、宗伯(磯村勇斗)を病で失い、悲嘆に暮れるのである。
■ある日、馬琴は北斎と共に、鶴屋南北(立川談春)の催す”赤穂浪士”の舞台を見に行くが、その舞台は途中に”四谷怪談”が織り込まれる”赤穂浪士”の善なる行為を否定する様な内容だった。
私は、このシーンはこの作品の胆ではないかと思ったのである。何故ならば、【正しき者が報われないこの世で、”八犬伝”のような勧善懲悪の物語を書く意味があるのか】と言う事を馬琴が考えるきっかけになったシーンではないかと、思ったからである。
確かに現在でも、南北が”舞台の奈落の底”で言うように、善人が報われるとは限らない。
けれども、だからこそ、馬琴は”虚の世界”で、【正義が勝ち、善が報われる世界】を作り上げたかったのではないか、と思ったからである。
・「南総里見八犬伝」は、伏姫(土屋太鳳)が首に付けていた八つの玉(仁・義・礼・智・忠・信・考・悌)を持つ八犬士が不思議な因縁で出会って行く過程や、里見義実の逆臣の妻玉梓(栗山千秋)を一度は許そうとするも斬首にした事で”子孫まで呪ってやる!”と悪霊と化した彼女と戦う八犬士たちの姿がハラハラドキドキの勧善懲悪ストーリーとして描かれている、とても面白い伝奇小説なのである。
・但し、この映画では八犬伝が長すぎる故に、初めて観た人は”虚の世界のパートの面白さが、分かったのかな。”と思ったのも事実である。
少し、残念に思ったかな。
<馬琴は両目の視力を失い、妻も失いながらも、宗伯の妻おみち(黒木華)に字を教えながら、見事に「南総里見八犬伝」を書き上げるのである。
馬琴は、”実の世界”では報われ無き事の多い中、”虚の世界”で、世界に名だたる勧善懲悪の伝奇小説を見事に描き出したのである。>
■鑑賞後に思ったのだが、今作のVFXシーンを観ると「南総里見八犬伝」のみを前後編併せて4時間で映画化したら、大ヒットするのではないかなあ、と思ったのである。
”山崎貴監督、白組総動員で製作されては、如何でしょうか!”
創作意欲
江戸文化の中での創作ファンタジー。
28年の歳月をかけて創るとは。
年老いても創作を諦めないジジィ達は凄い。
滝沢馬琴が葛飾北斎に触発されて
描いていくとは知らなかった。
二人のジジィ達が刺激仕合ったんだね。
馬琴が命をかけた八犬伝。
『虚』『実』だから描けた正義の世界。勧善懲悪。正義が勝つという希望の物語が必要。これが今日の日本人に残されている。
馬琴と鶴屋南北の虚実のやりとりは面白かった。黒木華さんの着物姿は似合うなぁ。
途中、とある鮨屋の握りとツマミが交互に
出てくるような映像感覚に捕らわれたが晩年の馬琴の生き様が観れて良かった。
正に『正義』でした。
八犬伝をふわっとしか知らずに見に行きました
色々ドラマやコミックにもアレンジされているのでなんとなくは知ってましたが、八犬伝。やはり日本人が好きなストーリーだなぁと思います。
八犬伝パートは各地から宿命を持って生まれた若者が集まり敵を倒すという王道RPGのダイジェストみたいでした。エンドロールで見たら結構、見覚えのあるお名前が並んでいたので、戦隊モノが俳優の登竜門と言われることを考えるとこれもそうかも知れません。
しかし映画館のお客さんの質がハズレでした…途中で席を立つ人、おぼつかない足取りで移動する人、携帯電話の電源を切ってない人、ボソボソ話す人……、面白い映画には没入して勝手にしーん…となるものだと思うので、結構な人が集中してない映画だったと言えるかも知れません。
お百さんの金切り声、ちょっと耳につきましたし、同僚とかにいたら凄く嫌なタイプです。
最期の最期に嫉妬で嫁を睨みつけ終わるところとか…気が強すぎて引きます笑。
実のところ、
お路の書が見事でした。最高の嫁だと思う。
馬琴と北斎の仲も良かったです。理解者がいてくれるのは有り難い。
中途半端
完全にスカされた感じです。
八犬伝のファンタジー・シーンと馬琴の実話シーン?を行き来しながら描かれる構成にはオリジナリティーを期待したものの、脚本と編集のまずさからか?流れが緩慢な上に分かりづらく、人物描写やアクションも中途半端で描こうとするテーマが見えてきません。また、最近の邦画全般に言えることですが、いくら冒険劇と言えどもハリウッド映画を意識し過ぎた大げさなVFXが邦画時代劇の画面には不釣り合いで不自然です。
これならば、かつてTVで放映されていた人形劇「八犬伝」の方がよほど分かりやすく面白かった。
虚と実が交錯する展開の大作
公開初日に観に来た。虚と実が交錯する展開の大作だったね。やっぱり役所広司主演作は安定しているね。
役所広司扮する滝沢馬琴は28年にわたって八犬伝を書き上げた様だが、後段目が見えなくなって黒木華扮する息子の嫁お路の手を借りて成し遂げる。黒木華はこういった健気な苦労人タイプの役がぴったりだったな。八犬伝の展開と馬琴の書きぶりが交互に来るからそう大感動する場面は無かったが、怨霊栗山千明もなかなか良かったよ。
里見八犬伝という「教養」で評価は分かれる
坪内逍遥はハッピーエンドやいわゆる王道をバカにし、そのため里見八犬伝は「若者文化」から「老いの文学」へと変貌を遂げた。
それからというもの、里見八犬伝のイメージは古臭い時代劇ととらわれがちだが、しかし、実のところ現代のライトノベルであり、連綿と日本人の心に宿るエンタメなのだ。
そしてその筆者との鎹とも呼ぶべき本作は、里見八犬伝を知らなければ「里見八犬伝って作品があるのは何となく知ってた」くらいの感想で終えるだろう。
しかし、その裏で物語を全て知る者にとってはこれほど壮大で感動させられるものはないと、脳内で補完できるはずだ。
そんな「ふーん」でしか里見八犬伝を知らなければ評価なんぞできないのに、評価してしまうのは自らの愚骨さを露呈し示しているようなもの。承認欲求の塊である。笑って受け流し、以後その評価者の聞く耳を持たなければ良い。
二つの物語のように
交互でストーリーが切り替わる、最初はそれも楽しめたが段々ストーリーが進むにつれてもどかしくもっとスピード感があっても良いのではと思う。
八犬伝は昔見たことがあるがやはり昔の方が良かった感が否めない
若手チーム(虚)とベテランチーム(実)
期待していた映画だったのだか…
里見八犬伝は昔の映画や舞台等で知っていたが、完結するのに28年もかかっていたとは知らなかった。28年の歳月もだが里見八犬伝も完結にまとめ過ぎ?
八犬伝は虚の方だから軽めでいいのか。
実の方もっと時間があれば細かく描かれても。
外国での視聴が主に想定されていると思うもののその観点では…。
今年385本目(合計1,477本目/今月(2024年10月度)36本目)。
※ (前期)今年237本目(合計1,329本目/今月(2024年6月度)37本目)。
この映画、インド映画でもないのに(ほぼ)3時間級なので注意です(お手洗いなどは早めに済ませたほうがよさそう)。
私自身はこの映画の背景となる知識については一般的な理解程度にとどまります(例外除く。後述)。
多くの方が書かれている通り、「物語パート」と「執筆パート」の2つに分離されていてほぼ交互に登場します。この分離の仕方は極端に違和感はないのですが(「燃えよ剣」だったかが、完全に「執筆パート」からの見方だったので慣れていた方も多かったのでは)、ちょっと面食らったという感じです。ただ、物語としてではなく執筆パートの部分を入れることで教養的なパートもありそこは良かったかなといったところです。
日本から見ると少し前の江戸時代のお話であり、特に漢字文化圏ではないアメリカ、フランスほか(要は、韓国、中国、台湾以外の3国)での視聴が主に想定されているのだろうと思いますが(「動物は傷つけていません」なども、日本「だけ」を想定する映画では流れないものも流れる)、そこでおやっと思う部分もあります。
ちょっとこのあたり気になるので以下述べておきます。
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(減点0.3/「執筆パート」において「漢字の部首」についての理解が(誰にとっても)難しい)
漢字は中国からもたらされたもので、今の「部首」の概念も江戸時代にはほぼほぼあり、書かれた時代には「康熙字典」という、今でいう漢和辞典にあたるものが広く流通していました(とはいえ、当時これを必要としていたのは一部の「特殊な」階級にとどまります)。
ここで映画の中で「「疲れる」の「疲」について「にんべんではなく「にすい」だ」というところがあります。確かに誤字として部首として「にんべん」を書けば、説明の仕方としては「にすいだ」という意味は「2人の間では」その説明のほうが明確でありそれで通ります。
ただ、「疲」の字の「部首」は当時も現在も「やまいだれ」であって「にすい」ではないので(調べた限り、にすい扱いされていたことは日本の歴史では存在しない模様)、この部分は何らかフォローがいるのではないかと思いました(特に一定の日本語学習者が想定できるこの映画では明確に説明不足で、日本語を解する日本人も混乱する説明だし、海外進出が明確に想定できるこの映画では、結局ここの説明不足が翻訳時に苦労する)。
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(減点なし/参考/日本語学習者から見た漢字学習と部首)
外国人取次を扱う行政書士の資格持ちとして、外国人関係は身近に取り扱うる事項ですので、この点触れておきます。
「アジア系言語」として中国語を選んでも日本語を選んでも、特に非漢字文化圏の学習者にとって最大の難関は「漢字」でしょう。「敬語表現」等も難解といえば難解ですが、日本語学習者(=日本人ではない、ということ)であることが明確な場面では、多少の誤りは修正できるし、日本人でさえ「敬語乱れ」が指摘される以上はここは余り問題視されません。
問題はやはり大量に登場する「部首」で、特に日本語学習者は「日常生活に多く登場する字」から学習するようになっています(小学校の漢字配当表と異なる部分が多い)。つまり、コンビニのアルバイト等を想定して「円」や「朝昼夜」「仕事」「労働」「夜勤」…といった字のほうが優先順位が高いわけです。つまり、初歩の段階から部首を想定した字が多く登場します(逆に、小学1~2年で学習する漢字は、部首を明確に持たない字のほうが多いです(一部除く))。
日本語学習の上位層にもなると、「部首」というのは、 radical、または root (基)という概念で習うところですが、紙媒体の漢和辞典が廃れて、インターネットや電子辞書、スマホ辞典が当たり前の今日では、「部首引き」が間違っていても「よくある間違い」に関しては誘導してひけるようになっているのが普通なので、必ずしも「正確な部首分類」ができるようになる必要はありません。このことはもちろん日本人でも同じです。ただ、そうであるからこそ、映画内の「にすいで書く」は海外展開時に混乱しそうだな…と思えました(誘導された先には「正しい分類」で掲載されるため。字幕上はどう説明されるのだろう?)。
※ ただ、この論点に気が付ける外国人も、全体で言えば、漢字文化圏でアドバンテージがある中国・台湾の方、次いで韓国朝鮮の方がほぼ全てだろうとは思えます。非漢字文化圏に属する方だと、部首学習は上位レベルの話なので、そもそも「何を言っているのかすらよくわからない」方も一定数出てくる部分。
(減点なし/参考/部首は常に一意に定まるか)
ここからは、日本人も巻き込むマニアックなお話になります。
特に初歩の学習の漢字では、部首が一意ではなく漢字辞典によってバラバラであるものがあります。その例として「売」(「売買」の「売る」の字)があります。
この字は漢字辞典では「ひとあし」(にんにょう)として載っている辞書が多いです。「兄」や「先」もこの部首に属します。
ところが、日本では有名な「漢字検定」というものがありますが、そこでは公式の見解に沿って答える必要があり(公式の漢和辞典が存在します)、そこには「さむらい」という部首で掲載されている字です(ほか、「声」や「壺」が同じ部首に属する)。つまり、この字の部首を回答せよと言われたら「漢字検定では」そのように回答しないと答えになりません。
ですが、漢検は国家資格でもなく英検などと同じ扱いの公的資格であり、その公的資格が示す一つの見解が「別に存在する」だけにすぎません。一方で漢検が身近に存在する以上は、部首学習・理解は日本人でさえ混乱する部分が多々あり(特に漢検が公的資格の扱いを受けることもあって、漢検の見解を国(文科省・文化庁)全体の見解と考える方が一定数いる)、漢検の合否を問題にするのでない限り、常識的に通じる部首で話せば(書けば)通じるのであり、このことが殊更問題になるケースはそれほど多くありません(こうしたちょっとした混乱が日本では見られるため、公立高校の入試問題、入社試験ほかでは部首名を回答させる問題は意図的に避けられることがあります)。
最高の、時代劇エンタメ
滝沢馬琴(役所広司)の目線で、八犬伝は展開するわけですが、現実世界と物語世界がゴチャ混ぜにならないメリハリ演出が、素晴らしかった!
没入感たっぷりで、惹きつけます。
涙あり、感情を揺さぶられました。
8人の剣士が、かなりカッコ良い!
来年の大河も楽しみ
馬琴、北斎、南北の文学談義がいちばんのクライマックスでした。山東京伝の名前もどこかで出ましたよね…そわそわ。
磯村くんや黒木華さんの匙加減も絶妙で、北斎じゃないけどとても絵になるなぁと。寺島しのぶさんの悔しさの演技が、凡人としていちばん共感できて痛かった。
それに比べて、ファンタジーパートのペラペラ感がこりゃなんだ、と最初は思ってたのですが、途中で、そうかこれで正解なのかと気づきました。
勧善懲悪のご都合主義、美しすぎるヒーローたちと悪すぎるヴィランたち。これが虚で、さらには理想の世界なんですから。
馬琴先生が描こうとしたものですよね。
そもそも、南総里見八犬伝を最初に読んだ小学生の頃は夢中になってましたが、大人になって読み返すとまさにこの映画の虚パートと同じ手触り、そんなあほな、と笑ってしまってた自分。あんなに素敵に見えてた信乃がこんなうっすいヒーローだったか?と。笑
いかに自分が今平和な毎日を過ごし、逆に世の中をはすにみる物語に慣れ、ジョーカーかっけーと安易に思ってしまう生活をしてるのか、などと考えてしまいました。
だからこれで良いんですね!
ただ、もう一声はっちゃけて欲しかったです。予告の屋根上のバトルシーンに期待してただけに、もうちょっと丁寧な殺陣や、CG感のない八房、栗山千明さんの生首が見たかったなぁ…
思いっきりファンタジーに振ったほうが、現実パートとの対比が鮮やかになるかと。
板垣くんが夢のように美しかったのがまさにファンタジーでした。
読者へ届ける。
28年にわたり「八犬伝」の物語を書く作家・滝沢馬琴と、その家に遊びに来る葛飾北斎と息子の妻・お路の話。
滝沢が書く八犬伝に出てくるキャラ伏姫の死と引き替えに空高くから放たれた八つの石(水晶)、その放たれた石を持つ八犬士達と里見家の物語と作家・滝沢の日常を絡めながら見せる。
八犬伝の話から入る冒頭から急に雰囲気変わって滝沢と北斎のやり取りに変わる序盤、眠気のせいもあり、状況掴めず滝沢と北斎は八犬伝の中に出てくるキャラ?と思っていたら、八犬伝を書く作家と途中で気づき…。
ハ犬士達の一人一人違う能力を持ち戦うシーンはカッコよかったけれど、物語と現実を絡めながら引っ張って、ラスボス玉梓の怨霊ははあんなあっさり?って感じだった。
滝沢の目となり手となったお路へ対して何故そんな感じ?と、作品だけれど思ってしまった。過去作で里見八犬伝って作品があるのは何となく知ってたけど、こんな話だったんですね。
虚の虚と実の虚の融合
会ったことはないのに馬琴(役所広司)と北斎(内野聖陽)はこんな感じだったのだろうと思えた。かなり喧嘩をしたらしいが。北斎の馬琴評が面白い。「よくぞこんなかちんこちんの頭からこんな物語が書ける」と。隣人にはしたくない性格の馬琴の雰囲気も、家族もいい。馬琴の目となり自分が八犬伝を書くと言うお路(黒木華)は勿論、鶴屋南北(立川談春)や渡辺崋山(大貫勇輔)の言葉に考えさせられる。
原作の山田風太郎先生の『八犬伝』は『南総里見八犬伝』からするとかなり手を入れている。犬江親兵衛の馬、青海波を早々に登場させたり、子供の頃の信乃と大角が知り合いだったり。虚の世界を更に虚としている。映画ではそこにまたまた手を入れて『南総』にもなかった八犬士vs玉梓(栗山千明)を作り、伏姫(土屋太鳳)が最後の戦いの後三犬士を蘇らせる。
何でもやっていいとは思わないがここでの虚の八犬伝はまだ想像の段階だ。『南総』の玉梓は里見家に呪いをかけ斬られて以降未登場だし、七犬士の仇撃ちで盛り上がる前半に比べ治世や犬江親兵衛の少しやり過ぎな「仁」が目立つ後半は関東決戦になりながら華が弱い。山田先生も最後の辺りは八犬伝の進行を状況の説明にしている。映画という娯楽作品であればこのような展開もありと思う。
そして実の世界と言いながら、やはりそこは山田先生が書いた実際の人物達を動かした虚の世界だ。実もまた虚でできている。
ただ馬琴が信条とした虚の世界は正義だ。実の、現実の世界がそうでないから虚の世界に正義を求めた。そして多くの人を惹きつけた。やはり映画の八犬士が揃って敵に向かう姿にはワクワクする。ラストで馬琴は八犬士に迎えられる。崋山が言ったように正義を書き続けた馬琴が八犬士と共に実となった。そのように感じた。現実に疲れている分、正義に生きる彼らに憧れさせてもらおう。
南総里見八犬伝が出来るまでを物語を交えつつ絵描きたかったんだな
南総里見八犬伝は好きな物語。
遠い記憶でNHKの人形劇でやってたような…
後に、真田広之、薬師丸ひろ子で映画になったと思う。
滝沢馬琴と葛飾北斎、
お百も交えての掛け合いが重厚感もありおもしろかった。
色々と有名な名前が出てくるのも面白い。
それに比べて
失礼ではあるが八犬伝の方を演じる役者さん達が軽すぎる。これからを担う役者さん達を揃えたんだろうが。
それともわざとだよね、物語の主軸は八犬伝の方ではないと。
栗山千明はピッタリだなと思った。
ダークサイドミステリーって番組をやってたなぁ。夏木マリの後を継ぐわ。
あと今私のイチオシ、塩野瑛久が一条天皇とはガラリと変わった悪役で見られたのも良かった。
磯村勇斗はヤンキー役が似合うと思っていたけれど、ひ弱なこの役もイケる。
南総里見八犬伝をちゃんと見たかったなぁ
でもまあおもしろかったよ
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