ジョン・レノン 失われた週末のレビュー・感想・評価
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ジョン・レノン正史から“失われた真実”を取り戻すメイ・パンの闘い
ビートルズのメンバーとして60年代のポップミュージックを牽引し、解散後もソロや著名ミュージシャンとのコラボで名曲を数多く作り歌ったジョン・レノンへの音楽的興味からこのドキュメンタリー映画を観るなら、おそらく物足りなく感じるはずだ。ソロ時代の曲は断片的にしか流れないし、ビートルズ時代に至ってはコンサート映像を使いながら別のバンドの曲がバックグラウンドで流れる始末。音源の使用料と映画製作費の事情でそうなったと想像するが、曲をじっくり聴かせてもらえないさびしさは否めない。
レノンが妻のオノ・ヨーコと別居した1973年秋からの1年半は、アルコール依存症の男を主人公にしたビリー・ワイルダー監督作「失われた週末」(The Lost Weekend)にちなんでそのように呼ばれた。ジョンが実際この期間滞在先のロサンゼルスでアルコールやドラッグにおぼれて騒動を起こし、ゴシップネタになったせいもある。ただし一般に考えられていたような空白期間などではなく、元ビートルたちを含む他のミュージシャンとの交流が活発になり、むしろ生産的で充実した18カ月であったことが、このドキュメンタリーで明かされている。
語り手は、ジョンとヨーコの個人秘書として働き、ヨーコの要望で別居中のジョンと過ごし支えることになった中国系米国人女性のメイ・パン。このジョンとメイ・パンの共同生活が始まるきっかけや、突然の終わりを迎えた時の話を聞いて、ヨーコは仕切り屋でコントロール・フリークだったのだと改めて思う。ジョンがソロになってから1980年12月に凶弾に倒れるまでの約10年間は、いわばオノ・ヨーコ史観による“ジョン・レノン正史”が通説になっていた。ジョンがこの1年半にメイ・パンと心から愛し合い、音楽的にも活発でプロダクティブであったというのは、ヨーコからすれば不都合な真実だったはず。逆にメイ・パンの立場からすれば、失われた真実を取り戻す闘いが、この映画の基になった回想録から続いているのだろう。
メイ・パンの社交的な性格のおかげで、ジョンが前妻シンシアとその息子ジュリアンとの関係を修復できたのは心温まるエピソードだ。ヨーコがジョンの交友関係を制限するようなことがなければ、ポールの(ウイングス名義の)アルバム「ヴィーナス・アンド・マース」への参加、さらには2人の共作も実現した可能性がかなりあったのではないかと、残念でならない。
衝撃の事実!スタンド・バイ・ミーはヨーコの為ジャなし
どストライクな時代だったので、メイ・パンの存在は知っていた。しかし、ほとんどタブロイドな噂を好まない僕にとってこの真相話は少し衝撃だ。
『心の壁、愛の橋』のあと『ロックン・ロール』が出て『スタンド・バイ・ミー』はヨーコに送られた歌とずっと思っていた。しかし、どうやら、『ロックン・ロール』の方が先に出来ていて、裏にはこんな愛憎劇(?)があったとは。
『返せ!誤解した我が青春♥』って事かな。
でもしかし、実は、事の真相はどうでも良い。なぜなら、お二人はご存命だからだ。また、何故今更この映画が出来たのか?それが理解出来ない。
しかし『真夜中を突っ走れ』が好きで、ヨーコくさくないなぁ。って思っていた理由がわかったので、この映画は評価したい。そして、
当時、暫く振りに出た『スターティング・オーバー』を聴いて、“最初の3曲“を含めて初期の音楽に戻ったと、余り心に引っかからなかった事を思い出した。
だからこそ、次のアルバムを期待していた訳だが、その時に起こってしまったのだ。悲劇が。
そうさ、次のアルバムを期待していた僕にとっては、
12/8は9/11よりも悲劇だった。勿論、
9/11に亡くなった方に冥福を祈るが。
ずっと誤解していた
ジョンの浮気相手として有名なメイ。
さぞ自由奔放な女性なのだろうと思っていたのだが、
実像は異なっていたようで先入観が覆された。
さすがヨーコが認めた敏腕秘書なだけあって
コミュニケーション能力に長けていたのだろう。
シャイで頑固で人と衝突しがちなジョン・レノンが
元ビートルズメンバーやエルトン・ジョン等のミュージシャン仲間、
疎遠になっていた元妻のシンシアや息子ジュリアンと交流できたのも
彼女の力が大きいのだろう。
図らずも40年で一生を終えてしまったジョンにとって
彼女との18か月は単なる年月以上にかなり大きな意味があったのでは。
シンシア、ジュリアンとはその後も真心に満ちた交流を続けていたようで
映画の最後に見られたジュリアンとの絆には思わず涙してしまった。
「真実を描いてくれた」と最後にメイの言葉が出ていたが、
今まで余程色々言われていたのだろう。
誤解していてごめんなさい、メイ、という気持ちになった。
なんだろう、アピールが強すぎて・・・
「失われた週末」と呼ばれる期間の
ドキュメントはとても興味深い内容でした。
色々知れることができてよかった。
が!
メイ・パンの
「私がいたから」「私だったから」アピールが
どんどんうざくなっていくんですよね。
まぁそうなんでしょうし、正室の手かせ足かせ
から解き放たれた自由を満喫するジョンを
十分感じましたが、なんだろうなぁ・・・
メイ・パンのアピールが、浮気相手の奥様への
マウント取りしか見えないんですww
ラストのあの感じも承認欲求の塊にしか見えない
のですよね。冷めるんだよなぁ。
まぁもしかしたら、これまで本件に関して
かなり抑圧されていたのかもしれませんが。
クレジットにスペシャルサンクスでヨーコの
名前を残すくらいの器量のデカさ見たかったな。
けど、本人にとってはいい思い出だよね。
ジョン・レノンの音楽と生と性と死
1980.12.9私は新宿武蔵野館(焼肉の叙々苑になった方、現在の新宿武蔵野館とは違う)で「ローズ」の最終回を観た。終映後、劇場のロビーに出て来ると、公衆電話で女性が「ジョンが撃たれたのよ。ジョン・レノンよ!」と叫んでいた。まだ、スマホの無い時代、映画館に入る前に知ったニュースを友人にでも伝えていたのだろう。私もその声を聞いてジョンが撃たれたのを知ったのだ。「ローズ」のラストシーンの電球が眼に浮かぶ。
6月10日(月)
新宿シネマカリテで「ジョン・レノン 失われた週末」を。
ジョン・レノンとオノ・ヨーコの「失われた週末」と言われた二人が別居していた18ケ月間を、その間ジョンの愛人だった(それもヨーコの希望で!)中国系アメリカ人のマネージャー、メイ・パンの視点から描いたドキュメンタリーである。
ヨーコから離れた「失われた週末」の時期に、ミック・ジャガー、デビット・ボウイ、ニルソン、リンゴ・スターらと交流していた事が数々の写真で描かれる。エルトン・ジョンとはコラボでライブも行なわれた。ポール・マッカートニーとリンダとも会っている。
この時期はヨーコの呪縛から解き放たれたようにジョンの音楽活動は盛んだった。
印象的だったのは、オノ・ヨーコの笑った写真は皆無だったが、メイ・パンがジョンと写っている写真は殆どが笑顔だった事。
ジョンもヨーコと笑顔で写っているものは無いがメイ・パンとは笑顔の写真がある。
ジョンの前妻シンシアとの息子ジュリアン・レノンとメイ・パンの交流も描かれる。ジュリアンがジョンに電話をしてもヨーコは繋がなかった。「失われた週末」の後、ヨーコのもとにジョンが帰った後でメイ・パンがジョンに電話しても、ヨーコが出て繋いでもらえなかった時にジュリアンの電話をヨーコが繋がなかった事を知っているメイ・パンは同じ事をされていたと思っただろう。メイ・パンは、その後結婚して子供を二人設けたとの事。
ラストに現在のメイ・パンとジュリアンが肩を組んでカメラの前から去って行く。少なくともジュリアンには、自分の母親とも仲良くして、父親ジョンとの間を取り持ってくれたメイ・パンに心を許していた。
もし、ジョン・レノンが生きていたら、この映画をどう見たのだろうか。
love storyの副題に偽りなし
ファンなら知っているジョンとヨーコの別居時代。その知識を確認する内容かと思いきや、期待を上回る史実の告白がある。そして副題にある通りひとつのlove storyとして成立している映画だった。
メイパンは冷静に言えばヨーコに雇われ、やはりヨーコによりお役御免にされた人。ヨーコvs.メイパンという構図で描かれている面もあるが、最終的には誰が勝者というわけでもない。メイパンだけが知っていたジョンがいて、それが若き女性の人生に後戻りできない刻印を残したということなのだ。
メイはジョンとの共作や子どもを残さず、だからこそジョンと人対人としての純粋な思い出が残ったともいえ、メイとの日々はジョンがまるで10代の少年に戻る、人生の夏休みのように輝いている。
ジョンに関する使い古されたキーワードである「愛」。この映画にも本人の言葉で登場するが、等身大の手触りでそれを感じることができた。それは限りある人生の時間を共にすることで生まれる、カルマというべきものではないか。そしてそれはジョンが曲を通じてリスナーに伝えてくれたものに他ならない。
女帝
ジョン・レノンが「Imagine」を発表した’71生まれの自分にとって、
1980年12月8日の世界的ニュースが、はじめてジョン・レノンを認識したときだろう
この映画はメイ・パン視点のジョン・レノンとその周りのエピソード
軽い気持ちで観たが、なかなか興味深い内容だった
東京都民の自分にとって、「女帝」といえば某都知事なわけだが、オノ・ヨーコも結構な女帝っぷり(あくまでメイ・パン視点だが)
先妻シンシアとの息子ジュリアンとジョンを分断させ、メイ・パンをジョンの愛人にさせ、最後また分断する
Disney+で配信されている「GET BACK」でレコーディング中のスタジオで常にジョンの隣にいるオノ・ヨーコに多少の恐怖を感じたのだが、この映画で恐怖の意味が確信に‥
少年時代のジュリアンがホントニ可愛らしく、当時のジョディ・フォスター(ジュリアンとは同世代)とのツーショット写真はとても微笑ましい( ´∀`)
最後、現在のメイ・パンとジュリアンの関係に涙腺崩壊
ジョン・レノンが亡くなりもう40年以上、オノ・ヨーコはまだ存命なのである オワリ!
げに恐ろしき
小野洋子。
メイさんのことは全く知りませんでした。
片方の立場からの話なので、どこまでが事実かはわかりませんが、今まで苦手だった小野さんが今まで以上に苦手になってしまいました。彼女、もう91歳なんですね。
ソロになってからの曲はほぼ知りませんが、「真夜中を突っ走れ」はとても好きな曲なので、通して聞きたかったです。
Love&Peaceの裏側のドロドロw
ビートルズは決して世代ではないし、ジョン・レノンは生まれる前に亡くなってしまってる「歴史上の人物」感の強い人。
ビートルズの有名どころの曲は知っているものの、ジョン・レノンの人となりまでは全く知らず。
ジョンとヨーコはずっとラブラブだと勝手に思っていたし、ジョンにはヨーコによって当てがわれた他の女がいたなんて初耳だし、それを聞いたところで驚きもしないwww
でも、この女帝ヨーコの画策によって関係が始まったメイ・パンちゃんをストーリーテラーとしてその間一体なにがあったのか、というのを紹介するこの物語はエンタメムービーとして観ても普通に楽しめた。
実際のところなんて当事者たちにとっても立場によって感じ方、受け止め方なんて違うんだからワンサイドストーリーで正解なんてあるはずがない!それなのに映画の中ではヨーコを「完全悪役」「西の魔女」に仕立て上げているその潔さがまた更に好感持てた!!!
リアルかどぉかなんて関係ない。エンタメ作品として良く出来てると思う。だからもっとみんな観たらいいのに!いや、その前にもっといろんなところで上映すればいいのに!!!
メイ・パン撮影の写真集で既に十数年前に公になっている事実に加え、それから1980年の12月まで続いたこと
まず、メイ・パン本人に感謝の意を示しておきたい。
個人的には既に、2008年に『ジョン・レノン ロスト・ウィークエンド Instamatic Karma』として出版された写真集で初めて明かされ、その当時驚きを持ってそれを目の当たりにした“真実”であった。
この時期に於いての、既にビートルズの4人の再会が果たされていたことと、特にポールとの復縁と解散後に唯一の共演がなされていた事については、更に遡ること数年前の1992年の時点で既に入手していた(今作中にも登場した)”1974年のジャム・セッション(というかカオス?)”とされた音源の登場によって、その当時はマニアの間では大変な衝撃とともに知る事となったが、それは事前情報も、これらについての関連情報すらももたらされていなかったその時期の状況下の“世界”に突然と登場したその内容は余りの驚きに「フェイクなんじゃ無いだろうか?」との疑念すら感じる程のインパクトをもたらした。
それがメイ・パンにより、2008年『ジョン・レノン ロスト・ウィークエンド』に収録された写真により初めて、実際の出来事だったのだということが裏付けられた事、その当時はそれを何よりも嬉しく思い、感謝したものだった。(その前の1983年のペーパーバック版だった回顧録は日本未出版。)
そして更に今また、1975年よりほぼ半世紀の時を経て、(ようやく)本人自らの口から語られるのを聞くことが叶った事、そして最も重要な時期にジョンと寄り添い、時間を共にしてくれた存在としての彼女に謝意を。
更に、ジュリアンとシンシアに対しての優しさにも。
当時20代前半だった女性にとっては、如何に荷の重きことだったあろうかと慮るばかりである。
既に、ビートルズを自分の中の重要な存在として認識するようになって半世紀以上が過ぎたが、そもそもその様な輩でもなければ、今作の内容のような(直接音楽部分には関係無い)事にまで興味を持って拘り、情熱を注ぐ様な事などは無かろうことだろうと思う。
この作品で取り扱われている時期、その当時にまさにリアルタイムで「ヨーコと別居し、東洋系のメイ・パンという“秘書”でもある女性と付き合っている」という話が海外から伝えられ知っていた、しかしその後も真相がはっきりとは分からない部分が多い事でもあった。
これまでに相当数の書籍や映像を目にしてきたつもりだが、今回の作品の中には、そのようにしてきたこれまでのものの中でも、目にした記憶が無い映像が可成りの量含まれていると思う。
それらを時系列に整理して並べ、完全な一連のものが存在しないコンテンツについては、断片的な数種類を駆使してそれでも欠落している部分はコラージュで繋ぐことで補うなど、作品としての完成度は手抜き無いクオリティだと思う。
特に、エルトンのLiveへの飛び入りに関しては、正式な動画が存在せず、静止画像のみでしか観たことが無かったが、一部の断片とは言え感動した。
他にも、明らかなプライベート・ショットやプライベート映像、当時のメデイア出演時の映像等、貴重で興味深いものが全編に渡って散りばめられていた。
また、ジュリアンとジョン、ジュリアンとメイとの関係性を示す動画の数々は感動無くしては観れないものだろう。
そして、本作制作時点でのジュリアン自身の登場と、その本人の言葉が、今作の内容に嘘偽りや偏り、偏見などが内在していないということを表す、何よりの証明であろうと思う。
そしてまた、ビートルズとはアメリカ・ツアーでの同行取材以降も長年良い関係にあったジャーナリストのラリー・ケインによる、この”失われた週末”の期間を詳述した伝記のインタビューでジョン自身がメイと過した時期について、
「ラリーの知っての通り、私は今までで一番幸せだったかも知れない、私はこの女性(=パン)を愛し、何曲か美しい音楽を作り、大酒やたわ言やその他もろもろで色々とやらかした。」
と明かしている、という事実を無視することは出来ない。
ラリー・ケインは、ジョン・レノンの生涯に関する専門家としてアメリカでの第一人者の一人とみなされている人物である。
随所に、感情的になって涙滲みそうな箇所をおぼえた。
私個人としては、基本的にいつも客観的なスタンスでいるつもりであり、ヨーコ・オノに対して興味深く思いこそすれ、嫌う気持ちや悪い感情などは持ち合わせない。
しかし、敢えてジョン&ヨーコの“困ったちゃん“なところを言うと、今作中でも触れている「星が悪い」というやつ。
二人は過度にこれに拘り、事実上、後付けで"星の良い日“に変更してしまったりして、運命的だったり美談っぽかったりな「自分(たち)史」の構築を図っていた事が伺える。
そういうことやってると、後年になって「本当の真実」はどういう事だったのかが分からなくなっていくだろう。
一例を挙げると、一般的なファンの間で知られているのは前述のエルトンの「Liveの直後に楽屋にやって来たヨーコとの劇的な再会により、二人はそこで一気に燃え上がって復縁した」というような筋書きで流布され、知られている。
しかし、実際のところは今作で説明されている通り、そのように「劇的な再会により一夜のうちに復縁」などでは無く、その後も紆余曲折あった末の事だったというのがやはり真相だった。
もう一つ、作品中でも触れているが『夢の夢 #9 Dream』の中の「John…」という声というか囁きについて、メイは「自分も録音に参加した」とこれについて語っているが、この声についてもヨーコは「自分」と主張していたりなどという事も。
また、ジョンが逝く半年ほど前の電話での最後の会話と云うのも興味深い。
亡くなった直後にも、早速ヨーコに新恋人説が流れたり、当時のその時期には「二人の関係が既に(また)破綻していた」との記述が見られる書籍も実際あり、それらとの関連性がイメージされるところではある。
今となっては、メイの言葉だけではそのことの決め手にまでがならないだろうから、真相は不明、複数の証言による判断しか無いだろう。
ただ、これに関連する内容として、先述のラリー・ケインの書籍の中で述べられている。
「当時まだ10代だった共通の友人が二人の間の仲介者となり、メッセージや情報を伝える役割を担った。彼は1980年12月まで、献身的な任務を忠実に遂行し続けた。彼はジョンの最後の荷物の 1 つ、ダブルファンタジーをメイに届けた。レノンが殺害される数日前に。」
この作品を観終わった後、とても深い、長年の溜飲が下がるような感情というか、感動に満たされた。
長い間探し続けているパズルのピースがついにやっとまた一つ、それも重要な一つをはめ込む事ができたような。
多分、それは完成することは無いモノなのだろうけど、また一歩、如何に完成に近い形に近付けるか、恐らくこれからも続けていくことなんだろうなと。
以下参考までに、蛇足というか.....
実はヨーコは、ジョンよりも先にポールと接近遭遇して(関わりをもって)いる。
両者の接点は前衛音楽のイベント絡みで、一般に知られている印象よりも前衛音楽についての着手もポールの方が先んじており、ジョンが前衛音楽についてヨーコとの出会い以降にのめり込んで行ったよりも早い時期の、1967年1月のイヴェントのみでお披露目された公式には未公表のビートルズ音源として知られたものがある。
本編でも触れられているが、ポールこそがまさに、ジョンとヨーコを復縁させる手助けをしたその人である。
経緯は、ヨーコからポールに「ジョンと復縁したいがどうしたら良いの?」と自らポールに相談、懇願してきたと明かされている。
ポールはそれに答えて、「手紙を書くのが良いよ」とアドバイスして、そのメッセンジャーも請け負ったということのようだ。
ヨーコとポールはよく”不仲”のように言われるが、実際には共作でレコーディングもしていたりする関係もある。(「広島」関連でヨーコが依頼を受けた際の曲など。)
劇中に登場するジョンのプロデュースによるハリー・ニルソンのアルバムは『プシー・キャッツ』(Pussy Cats)であり、レコーディング終了後にはニルソンも引き続きその延長線のようなジョンのアルバム『心の壁、愛の橋』のレコーディング・セッションにも参加し、両作はメンバーも殆どが同じことから、まるで姉妹編のようなサウンドになっている感じを受ける。
更に、翌'75年のキース・ムーンが残した1枚だけのソロアルバム、『ツー・サイズ・オブ・ザ・ムーン (Two Sides Of The Moon)』にも、ジョンやリンゴ、クラウス、マル・エヴァンス、ニルソン、デヴィッド・ボウイ、ジム・ケルトナーなどといったこの時の豪華メンバー殆どが関わっているという関連性もある。
ついでに蛇足ながら、この当時は「4チャンネル(ステレオ)」レコードというのが流行っており、この両作ともそのバージョンが存在していて、同期にポールの『バンド・オン・ザ・ラン(米国編集バージョン)』と『ヴィーナス・アンド・マース』のもありこちらはDTS-CD化されているが、『プシー・キャッツ』と『心の壁、愛の橋』は公式発売されておらず残念である。
これら通常版とは一味違い、没入感が素晴らしく、どの作品も凄く興味深いものがある。
ジョン・レノン&オノ・ヨーコ夫婦が別居していた日々を、 マネージャ...
ジョン・レノン&オノ・ヨーコ夫婦が別居していた日々を、
マネージャーのメイ・パンが述懐した、ドキュメンタリーのような映像。
むしろ、マネージャーご自身の自伝のようでもあり。
ステージでは見られない、羽目の外しっぷり、
音楽仲間と突如ジャムしたり、
元妻や息子との再会模様とか。
音楽的にも、多作で濃密な時期、見ごたえのあるお話でした。
"失われた週末" と呼ばれる通り、おそらくは、ゴシップ的な目線で、
あることないこと言われ放題、作り話が独り歩きしたこともあっただろうと察します。
所詮は、よそ様のご家庭内の事情。私どもが詳細を知る必要はありませんが。
人の数だけ、目線があって、見解がある。
それらのうち、ごく近い重要なお方の、当時者目線でのもろもろを、
手書きのメモやイラスト等も添えて、見聞きさせていただけたこと。
音楽的なやり取りやアウトプットがどう生まれたかを見られたことは、
いちリスナーとして興味深いものでした。
ドキュメンタリーだからね
時代は1973年秋から75年初冬
当時、私は12〜14歳
ジョン・レノンが社会や若者にどんな影響を与えていたか知るには幼かった。
アメリカや世界の情勢も知らない中部地方の小さな町の中学生であった。
後追いでビートルズを全曲聴いた、何度も聴いた、映画を観て、本を読んだ。歌詞を読んで、曲をギターで弾いた。
1980年12月8日ジョン・レノンの死を悼んだ。
それから44年、この映画で知ったジョン・レノンと周りの人々が自分の来し方と暮らしている社会とは全く違うので
「ふーん、そうなんだぁ」
と思うことしかできません。
ちっとも共感出来ませんでした。
でも幸せのカタチは人それぞれ、誰かに迷惑がかからなければそれで良い。
とても良かった!!
メイ・パンのことは名前くらいしか知らなかったけど、ジョンを中心に巡る当時のストーリーを知ることが出来てよかった。
映画の中でたくさん出てくる彼女とジョンとの写真を見ると二人とも良い関係だったんだなと感じた。
ジュリアン・レノンとの現在も続く関係性も胸にグッとくるものがあった。
ジョン・レノンとメイ・パンのラブストーリー
1973年秋から75年初頭にかけての18か月間、ジョンはヨーコと別居し、夫妻の個人秘書でプロダクションアシスタントを務めていたという中国系アメリカ人メイ・パンと過ごした。
ジョンとメイ・パンの蜜月。
これは知らなかった。
どのアルバムか忘れたけどライナーノーツにヨーコと離れてニルソンと酒浸りの日々を送っていたと書いてあった。英語の読解力も記憶も怪しいけど、そこにメイ・パンの名前は無かったはず。
そう、これはメイ・パンの視点から当時を振り返ったドキュメンタリー。
アルバムで言うと「Mind Games」「Walls and Bridges」「Rock 'n' Roll」の頃。ジョンの好調ぶりを思うと二人の関係は極めて良好だったと考えていいだろう。
ちなみにデビッド・ボウイやエルトン・ジョンとのコラボやポール・マッカートニーとの再会など貴重なシーンが随所に👍
しかし何故にジョンはヨーコの元に戻ったのだろう?
これが最大のミステリーだ。
「僕にとってたった1つの答えは愛だ」
基本的な内容は、2008年河出書房新社発売の『ジョン・レノン 失われた週末』で書かれていたことで、写真もこの本に掲載されていたモノがほとんどなので新しい発見はないです。
ただ、映像や音声は初見のモノも多く、満足。
私はオノ・ヨーコが作り出した「愛と平和の伝道師ジョン・レノン」ではなく、
世界に向かって愛と平和を歌いながら、(最も近しいはずの)母と自分には愛と平和を示せなかった人とジュリアンに嫌味を言われる「人間ジョン・レノン」信者なので、
グズグズなジョンがたくさん見れて、笑って、泣けました。
真実は人の数だけある
観終わって一番に感じたのはジョンの優しさだった。
彼はメイを愛していた。彼女が一番伝えたかったのもそれだろう。私たちは愛し合っていた!と。今回それ以外は、彼女にとって付録みたいなものだから、その点では成功している。
メイもひたむきにジョンを愛してきたのがわかった。この人に関心はなかった。売名とは言わないまでも、それに近いことはあるのかと思っていた。誤解だったかもしれない。同じ女性として彼女の切ない思いに共感する。
支えるだけではなく、音楽仲間や前妻シンシアとも親しくし、息子ジュリアンとジョンの橋渡しをしたのは、彼女の人としての大きさか。雇い主のヨーコの目もあったろうし、まだずいぶん若かったのに。家族や友人とは会うべきという信念があったのだろう。
ただ、度を超えた酒乱は、どんなに好きでも耐えられない。メイも逃げ帰ったと語る。ヨーコが別居に至った理由もそれだろう。音楽と酒やドラッグの相関性は、飲まない人にとっては、飲む人の言い訳にしか見えない。
この時期、音楽活動の合間にジョンが荒れた理由は何なのか。わからない。ヨーコと離れたせいか、ビートルズが解散したショックか。息子と離れた罪悪感か。アメリカ政府の目がうるさかったからか。
ヨーコは歳上だが、いかにもお嬢さまで支配欲が強く、わがまま。ただジョンを愛するあまりの拘束には彼女なりの真実があるはず。
陰で支える奥さんではなく、対等なパートナーであり、自分もアーティストとして前に出る。かつ愛し合い、共に生きようと理想に燃える姿はシンシアやメイのレベルを遥かに超えている。
かろうじてヨーコを悪者にはしていないが、事実の積み上げでそうなってしまっている。まあ秘書だった若い女性を愛人としてジョンに当てがうなんて、今の感覚ならとんでもないコンプライアンス違反ではある。
私は断ったけど、ジョンの方からアプローチしてきたとメイは語るが、おそらくジョンはヨーコに言われてその通りにした。ヨーコは差別を受けていたというから、違う人種の美女がジョンに近づくのだけは避けたかったのでは。
また夫婦としてやり直すために花束を持って会いに来てと言ったり、ボールにジョンを訪ねてほしいとお願いした(本当?)とか、かなり切ない。
ヨーコのもとに戻ったジョンは再出発し、その矢先に撃たれて伝説になった。
メイの意を受けた編集がうまく、はたしてジョンはどちらと人生を過ごすのが良かったか?とまで思わせてしまうのがすごい。
メイは別れた後も時々会い、また会う約束をしていたと述べる。ジョンの訃報について語るラストの余韻は深い。
若いひとときをビートルズではない人間ジョンと楽しく過ごした。時には息子と遊び、精力的に音楽を創る彼の姿を間近で見た。その思い出は誰にも否定されたくない。この映画は意外なほど自慢話には見えない。彼女の真実は豊かだった。
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