国宝のレビュー・感想・評価
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評価が悩ましく難しい、面白い映画
この作品、評価が難しいです。
率直には面白く鑑賞できた出来作ですが、その「国宝」のテーマと、「国宝」の原作に合わせた映像化に、不満も感じてしまいました。
基本は、面白い。だが、推奨しがたい。……でもないような、そうであるような……難しい!
まず、美しい映像美には感動しました。
そして、主演吉沢亮さん演じる喜久雄と、主演横浜流星さん演じる俊介の演技もとても魅力的で、映画に没頭することができました。
私は歌舞伎は知っている程度、原作も知りません。
今回鑑賞しようと思ったのは、前評判も良いし「国宝」というタイトルと世界観に、壮大な歴史的描写の物語を楽しめるかもと期待していました。
半面、歴史的描写の映画は大半、壮大で圧巻だがエンターテインメント性は抑え目なイメージがあり、しかも3時間弱の長編のため、どこかで必ず「ダレる」「眠くなる」瞬間があるかもなぁと、不安もありました。
導入、歌舞伎の舞台。
歌舞伎に見とれました。素晴らしい映像美を見せつけられ、スグに映画に入り込みました。
そこからよくある時系列の起点に移り、喜久雄の少年時代。
極道 任侠 暴力 紋々 抑え目だが性的描写 復讐。
国宝になりえるかもしれない人物の描写に、国宝は無理だろうという思いを感じながら極道映画をしばらく楽しみました。
本作がフィクション映画であることは鑑賞後知ったことなのですが、おそらく原作の世界観が壮大で「尺」が足りないせいなのか、妙な急展開や早送り、カットが目立つその後の映像に、無駄に考察する時間が必要な間があり少し戸惑いました。
①藤駒の、いきなり色になろうかな発言からの、特に大きな進展を描かないまま、いつの間にかの子供出現に脳内整理の時間が必要だった。
②少年喜久雄が1年で娑婆に出られたのは失敗した?未成年だから?からの、あー失敗だったのかな?で、相棒の少年はどうなった?敵はどうなった?と気になった。
③第一印象で、露骨に喜久雄を嫌っていた感じの俊介が、青年期にワープしたら普通の仲で、描写的にも深い不快感は表していなかったので仲たがいの構図はそんなに根深くない?等の考察が先走った。
④時代のワープが頻発だった。
……などなど。整理しきれない事情もあったのかなと思いつつ、ちょっと残念な「はしょり」具合が気になりました。
ですが、そんな感じでマイナス点を伝えてますが、上映中、まったく「ダレる」事無く、非常に楽しく鑑賞することができました。
冒頭申しましたように、映像美がとても素晴らしい!歌舞伎に興味がない人間でも感動を覚え、没頭させてもらえました。
さらに、出演者の演技力にも拍手を送りたい。
少年役の黒川さんと越山さんの演技も素晴らしく、メインキャストに移行する前も十分に物語を楽しませてくれました。
また他の共演者も非常に演技が完成されていて良かったです。
今の時代、大人の事情で演技未完成の方が主要場面に多く出演・発言されると、失礼ですが「ダレて」くるので。
そして、吉沢さんと横浜さん。
素晴らしい!大賛辞を伝えたい。
いい加減な様相、怒り、失望、悲しみ、自暴自棄、喜び、困惑。そして歌舞伎の舞踊。
その演技があったから、劇場で作品に没頭し、「ダレる」事無く、美しさも体感しながら鑑賞することができました。
素晴らしかった!
……の上で、やはり評価が難しいのは作品のテーマ。
以下、個人的な意見です。
①「国宝」には、絶対になり得ない人物像
類まれなる才覚があったとしても、由緒正しい家紋の長が果たして跡継ぎに、現実するだろうか。また、かりにしたとしても、周りの家紋長老格や分家などが、絶対認可しないはずでは。
素晴らしい役者として、何かしらの受賞や著名人としての地位が確立するのは全然良いのですが。
②「国宝」は国の宝
国の宝であり、日本国を象徴する無形文化の一つとして、天皇陛下からも認められ謁見を賜れる存在(国民栄誉受賞者なども謁見出来きますが)。
大目に見てやくざは父親で、断絶していたとしても、自意識のある年代に、自分の意志で紋々を背負い、早々に暴力と性欲を行使して法に触れていて、青年期から壮年期にかけても身勝手な理不尽を行使して、「悪魔と契約」したというほどの事を、まさに行ってきた人物が「国宝」となるのは、どうなのかなと。
③反日の評価が不安
一部の反日の思想家には、「国宝」のレベルが、日本はこんな人物に務まるのかとか、だから日本はダメなんだとか、歴史や民度に対する蔑視や吹聴が誇張されそうで怖いのです。
あくまでも、「フィクション」である事が大前提として、海外には発信を心がけ、外交上の深層心理に悪影響を与えないよう危機管理が必要な気がします。
鑑賞した一市民としても、予備知識が皆無に近いと、もしかしたらノンフィクションの可能性を考えてしまう鑑賞者も少なくはない気がするので、冒頭にフィクションアピールが必要な気がしてしまいました。
以上、非常に面白かったですが、原作や映像化に対する不足感や、国宝の品位に対する評価が気になってしまった作品のため、面白くて映像も演技も最高!ですが、星3.5です。
農民の話
丁稚奉公のように先祖代々続く農家で農業を学び育ち
皆と収穫を祝い、人生の不作や凶作に翻弄されていく
段々と醸成されていく畑から特異な味のものが出てくる
その農作物は宿命でその家族でも創る事は出来ない
人生に苦労と紆余曲折があり その肥料や堆肥が役や舞台に滲み出ていく
芸の肥やしが撒かれた土壌は違う
携わった仲間達と耕して過ごしてきた畑が在る
鍬を持つ姿を天から見てる
彼はその農家の次男坊
映画としての質は高いが、話自体はつまらない。
見る人がなにを求めて見るのかでこの作品の評価は大きく分かれると思う。
演技が凄い,映像が美しいなどを映画に求める人は確かに良いと思う。
しかし,「正体」などのように映画のストーリーの面白さ、ワクワク感を求める人には苦痛だと思う。
自分は後者なのでつまらなく感じてしまった。前者であればとても素晴らしい映画に感じると思う。
実際口コミや,評価を見ても褒められてるのは吉沢亮や、横浜流星の演技だったり、映像美、歌舞伎をここまで写したことの凄さが大半を占めているように感じる。
実際、映画館で働いてる者の体感として、映画を見終わって出てくるお客さんの話し声がちらほら聞こえる中で,話が面白かったと話しているより演技が凄かった、美しかったの声の方が圧倒的によく聞こえる。確かに演技、映像美などの作品の質はここ最近の中ではずば抜けて良いと思う。
せっかく3時間近くやるのだから歌舞伎のシーンをもっと減らして人物の心情だったり関係性を描くシーンを増やせば良かったと思う。
歌舞伎の演目で表現してるなどの声をちらほら見るが歌舞伎の演目については私はさっぱりわからないのでそこで表現されても全く伝わってこなかった。公式のインスタにあらすじが載ってるが、映画の前に予習したとて,3時間の映画の間中、覚えてるのは無理があると思う。
できる人は凄い。私には無理だった。
最後に1番好きなシーンは吉沢亮がボロボロの状態でマンションの上で夜の中1人踊っているシーンは凄すぎて鳥肌が立ちまくった。このシーンはやばい。
ドロドロの男世界。ウ~ン マンダ●
松竹系で鑑賞するのが義理だが、
日比谷のゴズィラシアターで鑑賞せし。
さぁ。この監督はこの作品をどう料理してくれるか?楽しみでもあり、期待するのだが、やはり、彼にも大日本帝国のルシファー毒が回っているだろうか。何れにしても、3時間か!コストパフォーマンスは良くとも映画だからねぇ。14時10分
そろそろ幕あいの時間も終わりです。
それでは夢のある映画をお楽しみ下さい。
苦痛にならにゃいいのだが。
そもそも、日本の映画産業は貧困だよ。
ポップコーンだぞ。
「鷺娘」か!サンサーンス「瀕死の白鳥」だね。
小学校の下校の時の音楽。
原作では違う演目のようだが「鷺娘」は特筆だよ。かなり、坂●玉三郎に迫っていたと思う。
でも。映画の演出効果であったと後で気付く。
なぜか、五木寛之先生の「青春の門」を思い出した。
まだ昭和のど真ん中で、任侠が生きていたタニマチから、一人のデラシネが梨園に根を張る。
心が冷え切るクライムヒューマンドラマである。
旧国営放送出身の美人女優(俳優)を、微塵の如く使いきる。
演出家のアイデンティティは僕の心を癒やしてくれた。
最初のシーンを再び。つまり、彼に欠点があるとすれば「間」。つまり、瞬間。だから、最初のシーンをキル・ビルの如く殺陣ていればね。歌舞伎は殺陣のような、間のような。
チェン・カイコー監督
の「さらば、わが愛/覇王別姫」をリスペクトしている。
但し、大相撲と同様に世界の歌舞伎役者にはなれないよ。
朝ドラを二週間分見たような清々しさはないが、睡眠薬ではなかった。
玉三郎の鷺娘は必見ですぞ。でも、化け物のような美しさが本当の鷺娘何じゃないかなぁってこの映画見て思った。実際の歌舞伎役者で、綺麗な女方って玉三郎だけでしょ。オードリー・ヘップバーンが鷺娘踊ってくれたら、そっちのほうが綺麗だと思うけどね。
「ウ~ン マ⭕️ダム)
オール・ザ・ワールド・・・・
原作読んで楽しみにしてました
原作読んで楽しみにしてました。吉沢くん、流星くん、綺麗ですね。短い間に歌舞伎の所作を身に着けて、役者ってすごいと思いました。
でも、ストーリーは • • •え!いじめ?
救いの徳次は初めしかいないし、終わりの「河を白くする」って原作の話好きなんですけどね。
一家でいじめです。
恩義を感じている人に向かっていいたい放題のおかみさん、名跡継がせときながら息子の名前をつぶやいて倒れる半二郎。俊介だって出たり入ったりして喜久雄の立場も考えない(原作は葛藤がありますが、映画は感じられない)
ほんと、襲名興行のときの幕を閉められた後の「俊ぼう〜」と聞かされて喜久雄のどうしていいのかわからない顔、吉沢君の演技が心に残ります。
少年時代の喜久雄の演技(黒川くん)素晴らしいですね。
吉沢亮さん更なる高みへ
公開前から気になっており、映画館へ足を運んだ。1番心に残ったのは、終盤で喜久雄が1人で踊った時に後ろの幕の色が一瞬で変わったシーン。美しかった!これを見るためにここに来たのだ、と思ったくらい。
観ていてしみじみいいなと感じたのは、吉沢亮さん演じる喜久雄と横浜流星さん演じる俊介のやり取り。特に、半二郎が代役を喜久雄に指名する前までの2人の様子は見ていて微笑ましく温かい気持ちになった。その後2人に多くの試練が訪れたシーンはどれも見ていて辛くなった。
ちなみに、私がこの映画を観たいと思った1番の理由は、映画キングダムで最優秀助演男優賞を受賞した吉沢亮さんが更なる飛躍を遂げる姿をリアルタイムで見たかったからだ。吉沢さんが初めて演技をしたのは17歳の時。ルックスへの賞賛が多い中、キングダムでは演技力を高く評価された。現在31歳になられた吉沢さんの演技は絶対に映画館で見たいと思っていた。案の定、スクリーンに吉沢さんが映る度に惹き付けられた。
ここからは、感じたことを率直に書いていきたいと思う。まず、主要キャラ以外の各キャラの心情やキャラ設定をもう少しわかりやすく描写してほしかった。この作品、大元は小説であるが、私は小説を読んでいない。他の方の感想を読んだら、映画用に改編した箇所も幾つかあるようだ。私が、もうちょっとこうだったらいいな、と感じてしまった箇所は以下の通り。
例えば、高畑充希さん演じる春江が俊介と結婚した理由。春江の心情を一言でいいから描写してほしかった。あと、俊介が女性達に囲まれて華やかにお酒を飲むシーン。あのシーンが必要だった理由がいまいちわからない。あのシーンがあったことにより、俊介と喜久雄の性格・境遇が正反対だということ、俊介が御曹司だということはよくわかったが、浴びるようにお酒を飲みながら女性達をはべらす「俊介」という人物、実はめちゃくちゃ「いいやつ」である。3時間という限られた時間でこの作品を深くスッキリ理解するために、敢えて俊介をもう少しだけ「やなやつ」として描いても良かったのではないか。(終始いやなやつにしなくとも、例えば青年期と中年期はちょっといやなやつ、そして晩年でいいやつにするとか…笑)
あと、喜久雄が俊介に「俊介の血がほしい」と発したシーン、神社で悪魔と取引したと言ったシーン、二代目半二郎を襲名するパレードで幼い娘が「お父ちゃん」と追いすがる姿とそれを制する藤駒のシーン。この辺りは私にとっては生唾をごくりと飲み込んでしまうようなシーンだったのだが、どれも後のどの場面に繋がる伏線なのかいまいち理解できなくて悔しかった。
つまりこの映画は私自身の理解力の足りなさにより、様々な大事なシーンを味わい尽くすことができなかったのだ。ひとつひとつをきちんと理解し、スッキリした頭で観ることにより、もっと吉沢さんの美しい舞いにのめり込んで見たかった。悔しい。
ところで、この作品では吉沢亮さんが1年半かけて歌舞伎の女形の稽古をし、本番もかなりの長丁場だったと聞く。ご自身の体力の限界の中で踊った際、監督から「上手に踊れるのはわかったから、喜久雄として踊って」と言われた時の吉沢さんのお気持ちはいかほどのものだっただろう。女形を演じる吉沢さんは、言葉でうまく表せないほど儚く美しかった。横浜さんの演技は、脚を失った後に舞った際の表情が素晴らしかった。
吉沢亮さんと横浜流星さんは10代の時に仮面ライダーで共演されたらしい。年齢や芸歴を重ねたお二人の共演を「国宝」という珠玉の作品で見れて本当に良かった。各キャラクターの設定に自分の理解が追いつかなかったため、1回の鑑賞では十分にこの作品を味わうことができなかったが、海外でも高く評価されたこの作品を観ることができて本当に幸せだった。大切にしたい作品だからこそ、ただ賞賛するだけでなく感じたことを正直にありのままに書いたが、私のこの作品への評価は星5つだ。国宝制作に携わった全ての皆様にお礼を申し上げたい。3時間という長丁場で正直お尻が痛くなったが、素晴らしい作品をリアルタイムで観ることができた自分は本当に幸せである。
吉沢亮さんと横浜流星さんがもっとお歳を召した時、国宝の中で生きていた喜久雄と俊介のように変わらずお互いを高め合える仲で、共に素晴らしい俳優さんのままでいらっしゃったら、きっと私はまた感動するに違いない。
ちょっと散らかってる
伝統芸能やその奥の深さ。
それを守っていく人。
最後技能が認められてって話でしたが。
とっ散らかってた印象。
芸に打ち込む一途さとかそこからくる挫折とか。
惹かれる部分は多いけど、女性をああいうふうに扱うのは。
時代といえば時代だけど、う~~ん手感じ。
花井東一郎の隠し子が男の子だったらどうなってたかが疑問。
二人道成寺も二人藤娘も惹かれましたが、もとの話知らないや。
熱演&長い映画
歌舞伎の世界を全く知らない私が鑑賞!
冒頭から引き込まれまくりの展開!
圧巻の演技と歌舞伎の美しさ!
のですが!長い!!!長すぎる!!!
特に後半に関しては熱演する歌舞伎の演技はほぼフルなので、美しいんですけど長い。申し訳ないんですけど終盤はトイレ行きたいし、お尻痛いし、いつ終わるんだろうと思って観ている自分もいました。
吉沢亮闇堕ちエピソードももう少し短く縮められたんじゃないかと思う。
でも結構な熱演爆発なのでカット出来ないよなぁ。
歌舞伎を観てない人にも、観ている人にも楽しめる
☆気に入ったところ
・冒頭の、映画的昭和感たっぷり場面、特に永瀬正敏さんが圧巻、最高
・´主演のおふたり´が、同じ台詞を舞台で披露する場面、その対比の鮮やかさと話の絡み
・本物の歌舞伎役者を派手に起用すると台無しになりかねない危険を、うまく回避している
・浄瑠璃と三味線の扱い、音を大事にしている
★ 「もっとこれ以上」が欲しいと感じたところ
・後半で主演のひとりが酷い目に遭う場面と、主演のおふたりが激しく揉める場面。この2カ所は、暴力に頼らずに表現していただきたかった。´普通の映画・ドラマ感´が出てしまい、もったいなかった。
・舞台上で主演のおふたりの迫真の表情近接撮影場面、それと、衣装の早替え、あそこは少し引きの画(1階席やや前方で舞台を観ている観客目線の)が観たかった
その方がより歌舞伎らしく映える表現になると思うので
・クライマックス、ここで西洋音楽を使う必然性は感じません。音楽と場面とが急に混濁したように感じたので、通常の歌舞伎の伴奏のみで良かった。
間違いなく力作だが、もっと揺さぶりが欲しい
間違いなく力作である。私が映画館で観た時、3時間近い上映時間の間、誰一人席を離れる者はいなかった。スクリーンに映し出された映像を一瞬間でも逃すまいという熱気で映画館内はあふれていた。近ごろこういう機会は少ない。
予告編を観たときに私の脳裏に浮かんだのは「中村仲蔵」であった。歌舞伎役者の血筋ではなかったが、努力と才能で人気となり、江戸時代の一太歌舞伎役者となった人である。落語や講談の演目になっており、講談師・神田伯山さんの得意演目で、神田伯山さんのyoutubeチャンネルで聴くことが出来る。50分を超える大作だが、長さを全く感じさせない。古典芸能の凄みを感じるはずだ。
ちなみに伯山さんのお師匠・神田松鯉さんは人間国宝です。
実際の歌舞伎役者の方がネットに映画の感想を出されており読んでみると、足の所作がちょっと違うといった感じでかかれていた(全体的には肯定的な表現になっている)。当然であろう。子どもの頃から日々の鍛錬を経たひとからすれば、映画で1年半以上の準備期間を設けたとはいえ、細かいところが気になるのは当然だ。ハリウッド映画が日本を舞台にすると、日本人からすれば何とも奇妙に思える場合が多いのと同じだろう。こちとら日本人を何十年もやっているのだ。細かい所が気になってしまう。
映画の歌舞伎は、あくまで映画の中の歌舞伎として演出されていると思うべきであって、実際の歌舞伎は歌舞伎座などの劇場に行って観るべきだ(松竹系映画館であれば劇場中継もある)。
隠し子のエピソードなど、私たちが歌舞伎役者に持っているイメージにやや寄せ過ぎではないか。
女性陣の描き方が有り体でかつ平板で総じて女性の影が薄い。取ってつけたような役割はどうにかならないのか。
脚本は女性の方のようだが、この辺りに葛藤はなかったのか?
また映画全体を俯瞰させるような狂言回しの役割がいてもよかったと思う。三浦貴大さん演じる竹野が狂言回しとして最適かと思うが、制作陣は意識しなかったのだろうか。
とはいえ、最初に書いたように本作は力作である。そこは認めたいと思う。
冒頭の長崎のシーン、長崎では珍しいであろう深々と降る雪の中、入れ墨が浮き上がり赤い血が白い雪へと染みていく様は、往年の東映任侠映画のいち場面のようだ(本作は東宝配給)。
このあと、少年ら2人は敵討ちを試みるが、これはあとで登場する演目「曾我兄弟」(歌舞伎の仇討ちモノの定番)へと意識付けられている。
歌舞伎が江戸時代に大いに人気を得たのは、なによりも情念を描くことに専念したからだと思う。人のもつ、恨みや嫉みや恋しさ、憎しみといったものに焦点を当てて、観るものの心を揺さぶり続けたからこそ、観客は「よっ、成田屋‼」などと歓声をあげるのだ。
本作での血筋に生まれた者と、才能に恵まれた者との相克がそれほど強い感慨をわたしには与えなかった。
本作は、やや情念がかっらと乾いている節がある。主役二人の情念の絡みがもっと欲しい気がする。
私としては、もっともっと揺さぶってくれ‼と願う。李相日監督はそれが出来る人だからだ。
歌舞伎の主要な演目が紹介され、さながら「教養 歌舞伎入門」という趣きもあり、多くの観客のスノビズムを刺激するだろう。
映画に刺激を受けた人は、歌舞伎だけではなく、落語、講談など古典芸能へと踏み入れてはどうか(これは私自身への鼓舞でもある)。映画を観て、面白かった、よかっただけで済ませずに、まだまだ自分の知らない世界が手招きしていると思ったら、なんとも興奮するではないか。
「国宝」のタイトル
文字通り国の宝だと思っていました、なので映画でも歌舞伎の女形の持つ幻想的な美や、それと真逆の迫力、それらの魅力に演者が狂気的にハマってしまう。そんなイメージを持ちながらの鑑賞となりました。
演ずる舞台が徐々に大きくなり遂に大舞台へ
その迫力に圧倒されました
昨年タイトルを総なめした「将軍」も、圧倒する迫力が売りでしたね
しかし国宝の内容なのですが、思っていたのと大きく違って、女形を演じてその魅力に取り憑かれる、というより、血縁の跡継ぎと無縁の最高の演者との役獲りに後半は割かれます
友情を軽く超える嫉妬や、競争心が強過ぎて好戦的とすら思える脚本に少しダレました。(その演技は文句無しの最高)
女型の演者を襲ったサラリーマン風の男3人組が服を脱がせて吐いた言葉「こいつ偽物じゃねーか」このセリフは必要でしたか?
国宝である伝統文化、その女形に対して偽物と罵り暴行するプロット、例え本音でそう思っていたとしてもこれは要らない!
吉沢亮 横浜流星などの演技は素晴らしいものでした、不満の殆どはこの国宝に対する製作側の本音の見え隠れする脚本と思わせてしまう事
敬意を表せないのならせめて「国宝」のタイトルは外して欲しかった、それであればこのモヤモヤは無かっただろう。
美しい異世界
歌舞伎は実際に見たことないし知識も持ってないので自分にとっては異世界。
ただ歌舞伎の芸を身につけるのは大変なことと知っているつもりなので演じきった吉沢亮と横浜流星は素晴らしいと思いました。
しかも女形!
難易度も高いハズ!
NG特集はいらないけど
この映画の撮影秘話とかの特番とかやって欲しいww
メイキング映像が気になって仕方がないくらい良かったです。
あと気になったのは
三浦貴大
この方普通のサラリーマン演じさせたら日本一のような気がします。めっちゃ身近におるおる感が半端ないww
あんな風には生きれないよな〜
はじめのシーンで何故ヤクザの父親が憎しみの感情を持って人を斬る狭間、よく見ておけ!と叫んだのか疑問だったが、最後になって漸く理由がわかった。主役も最後に人を斬る描写があるが、それは友への愛情からであって憎しみではない。本当の意味でカタギになれたのではないか
歌舞伎役者の業、親子の業
ドロドロした内幕物になっていないのは、喜久雄と俊介の二人の関係が心地よいものだからだと思う。足の引っ張り合いがない。
ライバルだが無二の親友の二人は、互いの芸を認め、相手を蹴落とすことで自分が浮上しようとは考えない。自分の芸を極めようと精進して高みを目指す。親友でありライバル、そして真摯に同じところを目指す同志でもある。紆余曲折あっても、基本的にふたりの関係は最後まで変わらない。お坊ちゃんの俊介がやくざの家に生まれたみなしご喜久雄を見下していないのは、親がしつけているからだろう。こういうところ、さすが格式ある「お家」であると思う。(実際の歌舞伎の家は甘やかしてやりたい放題のようだが)
二代目半二郎が自分の代役に、半弥ではなく東一郎をたてたのは、もちろん東一郎の方が優れていたからだが、本当にそれだけか。
実力はあるのに気持ちが今ひとつな実の息子を奮起させるために敢えてそうした意図はなかったか。
歌舞伎界詳しくないし原作読んでいないが、外から来たものを歌舞伎界で表舞台に立たたせるには、養子という方法があるのは知っている。
本気で東一郎を後継ぎと考えていたなら、まず彼を養子にして、「血」を繋いでやると思う。二代目亡き後の喜久雄の極端な不遇は、やくざの家に生まれたこと、オンナ癖が悪かったこと以上に、それをしなかったところが大きいだろう。二代目は、自分は白虎を襲名、東一郎を三代目半二郎に指名したときでさえ、喜久雄を養子にしなかった。俊介が戻った時、すぐに事実上家を継げるようにだろう。
喜久雄に「歌舞伎界は血がすべてなので、これからつらい目にあうだろうが芸で生き抜け」のようなことを言うのは、彼を養子にしない言い訳のように聞こえる。二代目が白虎襲名披露の舞台で倒れた時に口にするのは「俊坊」なのだ。
東一郎が歌舞伎界に復帰できたのは、万菊が彼を養子にしたのか。
万菊が喜久雄を嫌い、認めなかったのは何故か。
歌舞伎の神の申し子であることを完全には自覚しきれていない喜久雄を、敢えてどん底に堕ちるように仕向け、全て失ったとき最後に残るのが歌舞伎であると、細胞の隅まで自覚させるためだったのでは、と思う。
きれいな顔に食われないように、という喜久雄への忠告は、なまじ顔が良いと芸を正当に評価されないと言いたかったんだろうが、女性を引き付ける美しさがゆえに女性問題を起こし勝ち、それがせっかく持っている無二の才能を生かす道を閉ざすことになるという意味もあったかも。そして、時期が来た時、満を持して、喜久雄を歌舞伎界に戻したのだろうと思った。
「血」がすべての歌舞伎界で、プリンス・半弥が役者生命だけでなく生命そのものも断たれたのは、父から遺伝した糖尿病の体質、その「血」のせいだったのが皮肉だ。
喜久雄の、「悪魔との取引」は成立していたかのように、どんな境遇に落とされようとも、すべてを失っても歌舞伎の世界に戻ってくる運命を感じる。そして、喜久雄の目の前に立ちふさがる障害は、最終的には消えていく。喜久雄は幾多の障害を越えたなら、生涯歌舞伎役者として前に進み続ける人生を与えられたようだ。
喜久雄が契約した悪魔の正体は、実はあの小さい神社にいた神様だったと思う。悪魔なら、多分、楽させて、精進のための試練は与えないから。
ひらひらと、目の前をはなびらか雪のようなものが舞う「景色」を見るために、喜久雄はずっと芸を追い続けるのだろう。
取材に来た、捨てた実の娘、綾乃の意外な言葉に、喜久雄は人間の領域を超えて神の域に近づきつつある存在になっていると思いました。
吉沢亮と横浜流星が素晴らしい
歌舞伎に詳しい人から見たら粗があるかもだが、ふたりの、特に吉沢亮の踊りや所作は、少なくとも自分が息を詰めて見入ったくらい見事に見え、役にリアリティを感じました。優しい顔立ちでどこか中性的なので、とても美しい女形で、見とれてしまった。横浜流星はもともと身体能力が優れているので、彼より半年早くけいこを始めた吉沢亮が、追いつかれそうで気が気ではなかったとインタビューで言っていたが、劇中だけでなく実際にもふたりで切磋琢磨しながら芸を磨いたようで、そこからすでに「魅せる映画」が始まっている。
その昔、日曜日の朝の、息子たちも私も大好きな某仮面ライダーで、この二人が親友同士の役で出演していたのをつい、思い出しました。
そして、田中泯さんの存在が圧倒的。
この映画の楔のようなもので、他の誰にも代われない、彼にしかできない役だったと思う。
人間国宝の万菊が、最晩年をたった一人、あんなところで過ごしているのが衝撃
こんなこと、現実にはあるんでしょうか。
いわゆる役者ばかで、他のことにこだわらなかったのか。
彼も芸の神に選ばれた人だったと思う。
二代目といい俊介と言い、芸とお客さんファーストであるとしながら、舞台上で血を吐いて、あるいは激痛で、倒れて公演を中止する、片足で倒れながら舞台を勤める、役者としての「やりたい」気持ちは分かるし感動的ではあるが、「役者」としてお客さんに完全な芸を見せることからは程遠いがそれは良しとするのか、と少し思いました。「お客様に無様な舞台を見せた」と恥じ入ったりはしないんですね。
追記:喜久雄が半二郎の代役を演じる際、俊介に「お前の血をごくごく飲みたい」と言うのに、銭湯で働くバンパイヤの姿が浮かんできて笑ってしまって困った、笑う場面じゃないのに。
それでも舞台に立つ
歌舞伎の世界に足を踏み入れる喜久雄を、少年期を黒川想矢さんが、青年期以降を吉沢亮さんが演じる。
喜久雄と共に切磋琢磨しながら成長していく同い年の歌舞伎名門の御曹司・俊介を横浜流星さんが演じる。
渡辺謙さん( 俊介の父親 )と寺島しのぶさん( 俊介の母親 )が、伝統芸能継承の重責や厳しさを絶妙の演技で表現。
当代一の女形・万菊を演じた田中泯さんの猛禽類のような鋭い目つきに圧倒された。
永瀬正敏さん、高畑充希さん、宮澤エマさんの演技も素晴らしい。
喜久雄と俊介かそれぞれの境遇の違いに苦悩する姿、互いを思い合う姿が胸に迫る。
『 鷺娘 』を舞う吉沢亮さんの国宝級の美しさに泣きそうに。吉沢亮さんの舞台『 鷺娘 』を観てみたい人は沢山いるでしょうね。
吉田修一さん原作『 国宝 』を2ヶ月ほど前に読み終えての鑑賞。
7割ほど埋まった映画館での鑑賞
頂点に立って見えたのは、静かな理解と受容の世界だった。
「血に翻弄され、血に抗い、血に回帰するしかなかった物語」。それが、映画『国宝』を貫く深層であり、本質ではないか。
喜久雄は、ヤクザの家に生まれ、暴力と孤独の中で育ち、自身の中に流れる「血」——出自、性質、宿命——に抗うようにして芸の世界へ身を投じていく。血縁のない歌舞伎界で「血筋」の代わりに彼が頼ったのは、ただひたすらに芸を極めることだった。しかし、そこに待っていたのは救済でも赦しでもなく、ただ静かな“理解”だった。
対になる半弥(俊介)は、血筋を持つ者として家の重圧と伝統を背負い続ける。
「血」に守られ、「血」に縛られる者と、「血」から弾かれ、それでも「血」へ向かう者。二人は、芸を通じて理解し合いながらも、決して交わることのない道を歩んでゆく。
血に抗いそれに打ち勝つという構図は幻想でしかない。それがわかっているこの映画は、「血を超える」という美しい物語に仕立てることをしない。
むしろラストに現れる娘の存在が血から逃れられなかった者の皮肉な帰結であると同時に、芸と人生のすべてを受け入れたひとつの肯定にも見える。
喜久雄は刺青を消さなかった。ヤクザの生まれで、刺青のある人間が人間国宝になれるのか――そんなツッコミは、“野暮”でしかない。この映画では、刺青が「血の象徴」であり、そして「抗ってきた証」であるという強烈なアイコンだ。彼は制度に取り込まれながら、刺青という反制度の刻印を背負ったまま“頂”に立たされた。そこにこの作品の最大の皮肉と美しさがある。
血の物語でありながら、“血を超える”という幻想を描かない。
それが物語としての限界ではなく、逆に誠実な到達点なのだと思う。
芸に殉じた者の美と孤独
『国宝』は、芸と血、才能と継承の間に引かれた、見えない線の存在を痛切に描いた作品だと感じた。
喜久雄は、歌舞伎という世界に誇りを持ち、いつも真摯に芸と向き合ってきた。時に手段を選ばず、時に自らを犠牲にしてでも、ただひたすらに高みを目指す。その姿は擦り切れそうなほど切なく、彼の人生すべてが、やがて演技の妖艶さとして舞台に滲み出ていくのを感じさせる。
だが、彼がいくらあがいても、最終的に手にしたのは「国宝」という称号だけだった。家を継いだのは俊介であり、死に際に呼ばれたのも俊介だった。
血が選ばれ、芸は孤独の中に置き去りにされた――そう思わせるほどに、喜久雄の歩みは報われなかった。
芸が血を超えるか、という問いに対して、本作は残酷なまでに沈黙している。
芸は確かに美しく、そして妖しいほどに高貴なものである。だが、最期に家や名を残すのはやはり“血”なのだと、この作品は静かに語る。
万菊がすべてを見通していたとすれば、彼は芸の頂を知る者として、喜久雄の末路を予感していたのかもしれない。
それでも、芸に殉じた者だけが到達できる高みを、彼は確かに見た。
そして私たちは、その儚さと美しさに、胸を締め付けられるしかない。
演者に惚れ惚れする3時間
私はあまり邦画には興味がなく、ましてや若い俳優さん達の名前は知っていてもその方達の作品は見た事がなかった。この映画はカンヌ映画祭で高評価だった事と、大好きな歌舞伎の話という事もあり、これまた滅多に行かない東宝系映画館に足を運んだ。正直、吉沢亮さんや横浜流星さんには全く期待していなかったし、歌舞伎といういかにも外人好きなテーマのお陰でカンヌでも成功を納めたんだろうと、いささか冷めた気持ちで観に行ったのだが… 失礼しました!私が間違えていました!もー、素晴らしいというか、凄まじい演技だった。
でも実は、1番印象に残っているのは冒頭の喜久雄の子役が女形で登場した場面。ツンとした上向きの鼻と上唇が強調された横顔はなんとも美しく妖艶だった。最初にあれが来たから、この映画にのめり込んだと言っても過言ではない気がする。『怪物』の子か!素晴らしい演技力と美しさに納得。あ、あとは田中泯さんですね。歌舞伎役者ではないかと思うほどの美しい所作、視線、そして声。物凄い存在感を放つお方ですね。
いやー、語りたい事がたくさんありすぎて、考えると胸がいっぱいでこれ以上書けない。
しばらく行っていない歌舞伎もまた観たくなった。
P.S. 美術、素晴らしい。さすが。
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