国宝のレビュー・感想・評価
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タイトルなし(ネタバレ)
まー、凄い作品でした。脚本、演出、カット、照明、俳優のお芝居全てがほぼ完璧だったのではないかと思います。
人間国宝になってからが少し残念で、
吉沢さんがおじいちゃんになるところから違和感が出てきて、
そのまま最後までだったので、そこさえクリアできればもう4.5だったとおもいます。でも、3時間飽きずに観させるこの組はすごいの一言!
歌舞伎のことはよくわからないけどすごかった!
出演者が目当てで鑑賞しました
後に国の宝となる男は、任侠の一門に生まれた。
この世ならざる美しい顔をもつ喜久雄は、抗争によって父を亡くした後、上方歌舞伎の名門の当主・花井半二郎に引き取られ、歌舞伎の世界へ飛び込む。
そこで、半二郎の実の息子として、生まれながらに将来を約束された御曹司・俊介と出会う。
正反対の血筋を受け継ぎ、生い立ちも才能も異なる二人。
ライバルとして互いに高め合い、芸に青春をささげていくのだが、多くの出会いと別れが、運命の歯車を大きく狂わせてゆく...。
誰も見たことのない禁断の「歌舞伎」の世界。
血筋と才能、歓喜と絶望、信頼と裏切り。
もがき苦しむ壮絶な人生の先にある“感涙”と“熱狂”。
何のために芸の世界にしがみつき、激動の時代を生きながら、世界でただ一人の存在“国宝”へと駆けあがるのか?
圧巻のクライマックスが、観る者全ての魂を震わせる―― 。
というのがあらすじ!
出演者が目当てで鑑賞しました!笑
吉沢亮さんと横浜流星さんの2人のコンビでしたので笑
2人の役は最初は仲悪くなるのかなと思ったら意外とお互いが高め合っていく関係性でしたね
でも血によって人生が狂いましたね
俊介は姿を消すけど戻ってきたらメインになれるし血筋ってそんなに大事なのかって思いましたね
半次郎が亡くなってからは喜久雄はメインをすることはな なかったみたいで…
血筋の前では芸はかなわなかったですね
芸のために全てを差し出したのにこの時ばかりはだめでしたね
それに人としてかなり酷いことをいろいろしてた気がします
あと屋上でのシーンはほんとにそのまま落ちてしまうじゃないかってぐらいに思えてひやひやしました…
一つ気になったのは彰子はこのシーンでのことでいなくなったのかな?
その後全く出なくなりましたよね
そしていろんなことがあったけど憎みきれなくて歌舞伎で再び一緒の舞台に立ってましたね
最後には人間国宝になり娘にも再会して鷺姫を踊ってる姿は美しかったです…
歌舞伎のことはよくわからないですけどすごかったです!
うまく言葉にできないですけどほんとにすごくて見入ってしまいました…
約3時間あるとは思えないぐらいあっという間に終わった印象です
想像できないほどかなりの練習をしてきたのだろうと思います…
それが伝わるほど特に舞台のシーンでは緊張や緊迫が感じられて息も忘れるほど釘付けになりました!
素晴らしい映画をありがとうございました😊
アイデンティティの発露を見る紛れもない傑作
序盤、タルい映画かなぁと見ていたが、高畑充希と横浜流星の駆け落ちに「うん?」となる。原作は読んでいないが、映画シナリオ的にはさすがに無理があるかなと思ったが、横浜(家元)=日本と置き換えると俄然面白くなる。
実情はどうかはしらないが、昨今SNSではクルド人などの問題もあり、日本人による日本の存在が問われている。
外様に名前を奪われた横浜は紆余曲折を経て帰っては来るが、壊死により片足を失い、最終的には死んでしまう(明確に描写はされない)。
で、吉沢亮。
彼が襲名する事が、日本の凋落といえば言い過ぎかもしれないが、失われていく様とリンクしていく。途中、お互い出たり戻ったり仲直りもするが、結果的には日本の血を家元から排除する。それでいて最後、カメラマンの娘から自身のある種の否定に対して見つめることしかできない。なぜか?田中泯からも言及があったように嫌々ではあるが、逃げることも出来ず、自ら悪魔に魂を売った事実は否定も肯定もできないから。歴史の中でドサクサに紛れながら、意思を持って日本を侵食していった何か。それを描く李相日。言わずもがなだが、彼のルーツは在日である。彼らが日本に血として入っていく歴史を描いている映画なんだと気付かされたとき、この映画が持つ意味の重さを感じることができる。
大手配給で観客を呼べる若手の俳優を使いながら、シネコンでちゃんと集客した上で、自身のアイデンティティを描くというのはなかなかできるものじゃない。それを見事にやってのけた監督に脱帽。
そういえば、ファーストカットでも首筋に色を塗るという暗示的なスタートになっていたようにも思う。
話変わって、映画にでてくる女性たちは血というものを大事にしているように感じる。唯一吉沢側になびいた森七菜ですらも「もう止めよう」のセリフ以降全く出てこなくなる。恨みつらみを語った前述のカメラマンを始め、監督は女性に対してどのような想いがあるのか是非聞いてみたい。
これらを3時間ちゃんと見せてくれて最後国宝という文字が縦字で出るが、縦に線を引いて半分に割ったとき変な異物(玉の中の、)のせいで綺麗なシンメトリーにならないのかぁとか思ってみたり。
久しぶりに良い映画を観た充実感はあるものの、自分に歌舞伎の素養がないのが残念。曽根崎心中くらいはなんとなくわかるが、役者の演技の上手い下手が観ていてわからなかった。もう少し勉強してからもう一度見れば、もう少し深みにはまれるかもしれない。
『エンターテインメント』
一度の鑑賞での私見。文中すべて敬称略。
歌舞伎への理解はそれほど深くはなく、念のための予習(原作読破)もかけ足なので、文学としての『国宝』をさほど噛み砕いた思いも持てないまま劇場へ向かった。
田舎町では上映されなかったので近場の町まで車で一時間半のドライブをしての鑑賞。往路は眠気との戦いで、このままでは3時間の長尺上演中もしかしたら居眠りするかもとの杞憂もあった。だが睡魔に襲われた瞬間は一秒たりともなかった。画面から全く目をそらすことができなかった。
原作上下巻のボリュームはけっこうなもので、これを映像化するとなるとかけ足もしくはつまみ食いになるのは必定で、レビューの中にも(特に女性の描き方が)深掘りできていないという意見が散見される。
しかし私は寺島しのぶを除いて「女性の存在は不要」とも感じた。二度の濡れ場などは全くもって不快でしかなく、絢爛な映像の中にポタリと落とされた泥水のように思えてしかたがない。むしろ長崎の養母である宮澤エマを再登場させて欲しかった。
原作は文学であっても映像は『エンターテインメント』を謳っている。芸事に精進する二人の青年の葛藤を描くのに恋愛はもはや不要とさえ言えようが、エンタメには色事が必須なのであろうか。しかし3時間で描ききれないのなら、真っ先に削るのは女の存在ではないか。
喜久雄と俊介の間にある才能と血縁への計り知れない渇望に、男女の恋愛など挟み込む必要はない。吉沢亮、横浜流星ふたりの若い役者が短い期間で鍛錬を重ね、観る者を楽しませ、あるいは息苦しさを誘う舞台を披露する姿をただただ堪能すればいいのだと感じた。
蛇足の最たるものは最後の最後で登場した綾乃である。「なぜここにこんな形で……?」の戸惑いしかなかった。「悪魔と契約を交わした喜久雄」が捨てたものの象徴としての隠し札だったのかもしれないが、そもそも「悪魔と契約を交わした」描写と結果がこの作品ではあまり活かされていないので、せっかくの瀧内久美の無駄遣いとしか思えなかった。
もしかしたら『エンターテインメント』という煽り文句は興行上での建前で、李監督は吉田文学の再現をしようと試みたのかもしれない。そうだとすれば試みは失敗に終わったのだろうが、歌舞伎という若い世代にはあまり馴染みのない題材をテーマにある程度の集客に成功しているからには、物語の映像再構成は成功したと言える。
序盤は二人の若く見目麗しい女形の舞踊主体の演目が多く取り入れられ、観客の目を楽しませてくれる。互いの不遇の時間を経て復活を果たした後にはあの「曽根崎心中」。二度目の曽根崎心中にはさすがに心震えた。希代の名女形である三代目澤村田之助を思い浮かべる観客も多かっただろう。
物語は喜久雄の父が命を落とした1964年から始まり、シーンが変わる毎に数年後を描くという形になっている。同列に語るにはテーマが違い過ぎるが、同じ尺の映画で取り上げさせてもらうならもう何度鑑賞したか分からないほどの「ゴッドファーザー」である。あれも一人の人間の一代記とも言える作品だが、主人公のマイケル・コルレオーネが時を経るごとに本質から変化しているのがよく描かれている。
本作がダイジェストでしかないと言われる所以は、○年後と時代が飛んでも喜久雄の根っこに変化がないせいではないか。芸道一本道をただひたすらがむしゃらに進む姿を描くためには必要な時間経過とは言え、描写にもう一工夫あれば、と悔やまずにはいられない。
ともあれ、ここ数年の鑑賞作の中では出色の出来であることに異論はないし、演者の熱演とキャスティングの妙(特に田中泯!)には唸らされることしきり。これで喜久雄の阿古屋が観られたらすべての文句が引っ込んでいただろう。
そもそも原作からして養子にも入っていない部屋子が名跡を継ぐあたり、現実ではありえない設定であるからには、映像化された本作は四の五の言わずただ美しさを楽しめ! と目の前のテーブルに載せられた満漢全席なのだと言えなくもなく、そうでも考えないと最後の演目『鷺娘』の大仰・大音量のOSTには納得できない(非常に残念な演出だった)。
余談だが、丹波屋に引き取られるくだり。「徳ちゃんどこいったんかいな」という疑問が涌いたのだが、「仇討ちでヘマをした」という喜久雄の返事で私の中では徳ちゃんはその際に権五郎の元に行ったのかと思い込んでいた。しかし本作を心から愛している皆さまのレビューによってどうやら裏設定では事業で成功していて、喜久雄を応援し続けているということがわかり、ホッとしたやら見逃した自分が悔しいやら。
余談2
NHKの『100カメ』をいう番組をご存じだろうか。先月、べらぼう収録の裏側が放送されたのだが、横浜流星が他の出演者が何日も苦労して会得した俄祭りの踊りの振り付けを、収録現場であっという間に覚えてしまったという場面があったが、その時の振りがなんとなく女形の方だなあと感じられた。本当に余談。
歌舞伎通ではないと楽しめないのかな
みなさんの、特に評価の高い方の書かれていることが、残念ながら実感できなかった。確かに両主役の演技は目を見張るものがある。最初の国宝(田中)の演技もCGを1回つかっているが、優美な感じがすごく出ている。それでも3つ指摘したい。春江は俊介と出ていくが、何故、春江が出て行ったのか、そこがしっかりと書かれていない。また、半次郎(渡辺)が逝去したとしても急に落ちぶれるのは何か、丁寧ではない。さらには、喜久雄が復活するのも他力(国宝の力?)となり、見ている人の喜びが少ない。
これは、本を読んでないものの感想なのかもしれないが、主人公が芸のみに生きていくところの研ぎすまれ方(悪の模様だが、カッコ良さ)が見たかった。私にとっては、もう少し丁寧にわかりやすくしてほしかった。時間が短かったのかな。ただ、あっと言う間の3時間だった。正直、映画館でなかったら、ギブアップしていた。
才能か、血か(世襲か)、遺伝か
約3時間と上映時間は長いですが、ちょっと展開が早すぎて、見てる側に多少の補正が必要になります。
ただ、原作小説がなかなかの長編であるらしいので、そこは致し方ないとは思います。
「オレにしかできないお初をやる」
俊坊のこの台詞・覚悟は個人的に刺さりました。
糖尿病で倒れる2代目半次郎
同じく糖尿病で倒れる半弥
世襲か?遺伝か?
世襲が慣習だとしたら、遺伝は逃れられない運命。
慣習は逃れられるけど、運命からは逃げられない。
俊坊は一度、歌舞伎から逃げたけど、遺伝の糖尿病からは逃げられなかった。
すごく切なかった。
一方で、才能を開花させるにも、本人にはどうしようもできない運命のようなものがあります。
よく言われるのが「縁」というものです。
運命は受動的ですが、縁は能動的な要素を含んでいるような感覚です。
喜久男は干されてる間も演じることを止めませんでした。止めなかったことが再起の縁を引き寄せました。
記者から、「史上最年少で人間国宝になり、順風満帆な軌跡でしたがどうでしょう?」みたいなことを聞かれますが、
喜久男はひと言「関わってきた皆様のおかげです」と答えます。(北島康介の「なんも言えねぇ。。。」を思い出しました笑)
上映時間の3時間はこのひと言に集約されているようで重さを感じます。
「オレにしかできないお初をやる」
「関わってきた皆様のおかげです」
そんな人生を歩んでみたい。
血を受け継ぐ意味
妻が【関西歌舞伎を愛する会】に所属してまして 結婚前ですから 30年以上前に南座で初観劇しました。以降、主に上方歌舞伎を中心に年数度、歌舞伎を観に行きます。仁左衛門師はもちろんのこと こっそりと鴈治郎師のファンです。
梨園で 「血」の重要性は門外漢には想像もつかないですが、例えば上方落語での【狐芝居】なんかでも ぼんやりと伺い知れます。実力があり 歌舞伎を人一倍愛していても 血縁がなければ一生端役がふつうです。
本作でも 主人公の苦労は描かれていますが 一方で 横浜流星氏演じる二代目の辛さが涙を誘います。
父が視力低下で苦しみますが、おそらくは糖尿病に伴う眼底出血じゃないか、と勘繰るんですが・・・で、倅も あれだけ細い体躯で 下肢の壊疽をきたす、となると おそらくは 父から遺伝した糖尿病が原因じゃなかろうか、と。
歌舞伎の世界で「血」を受け継ぐ意味。
生物として、人間として「血」を受け継ぐ意味。
二人が互いに相手を羨ましく思う一方で 年月が、遺伝子が 残酷に二人を別つ・・・あれこれ考えさせられる映画です。
熱くなりました。
素晴らしい作品ですね。ヤクザの家に産まれて、親父さんが殺されて、歌舞伎の師匠に拾われ、背中にモンモンいれて同い年の息子といろいろあって。芸の世界はやな世界だ。しかし、芸を極め、落ちぶれてまた戻ってくる。
彼の前に見た世界は?吉沢亮、横浜流星が稽古積んだんだろうなあは感じとれます。
喜久雄を取り巻く女たちに憤る
歌舞伎のシーンはとても良かったです。
ただ2人の関係性の描写や、転機となるエピソードの内容描写があっさりし過ぎていて、原作を読んでいないと物足りなく感じるのかと思いました。
しかし、後々思い返すと余白がある分、色々と想像させられました。私は特に、喜久雄に付いてきた春江が俊介と駆落ちしてしまうのが許せませんでした。春江はただ目の前で弱っている男がほっとけなかっただけで、うまくいっていない男を支えるのが好きなだけの女だと思いました。喜久雄を追ってついてきて、喜久雄からの結婚しようかという言葉も断って日陰の女として支えるような事を喜久雄に言っておきながら、いざ目の前で俊介が弱みを見せると簡単に乗り替える女です。喜久雄だって頼れる親も歌舞伎仲間もいない不安の中なんとか己を奮い立たせ頑張っているのに、親や周りの環境に恵まれている俊介がうまくいってないからといって喜久雄を捨てて俊介に付いていき、子供まで産みいけしゃあしゃあと戻ってきました。俊介も喜久雄の女を奪っておいて悪びれもなく春江にも会ってくれと喜久雄に言います。俊介は戻ってきても母親や歌舞伎界に歓迎されます。喜久雄は俊介が出て行ったあと、誰からも支えて貰えず独りでたえてました。もし、春江が側にいてくれたら、春江が喜久雄のプロポーズを受けて結婚していたら、俊介に乗り換えなければ俊介も出て行ったとしてももっと早く戻ってきていたかもしれない。そう思うと春江が憎くてたまりません。
それと、芸子の藤駒も身勝手だと思います。最初から2号さんで良いといい喜久雄に真剣に向き合わず娘を産みます。娘はもちろんどうして父親が自分たちを大切にしないか疑問を持ち父親を憎みます。でもそれは母親の藤駒の責任だと思います。最初から正妻になる気もなく2号さんでいいからと喜久雄にいいよったからです。(自分では相応しくないという理由より芸子を辞める気はなく正妻になる覚悟もなく喜久雄という甘い汁だけ吸いたいという風にしか見えない。)子供はそんな母親の事情とは関係なく父親を求めます。そこで父親に相手にされず父親を憎んでしまう。でもそれは藤駒の身勝手さが生んだものなので喜久雄に怒りをぶつけるのはお門違いだと思います。
だから、喜久雄にいいよりながらも真剣に向き合おうとしなかった女たちに憤りを感じます。もし、喜久雄がきちんとした家庭を持ち妻や子に支えられていたら、もっと違う結果になっていたと思う。彰子へ汚い手も使いたくて使ったんじゃない。そうせざるを得ないまで追い詰められていたんだ。(彰子もその後どうなったか分からないので気になった。)
ただ男女の愛情ではなく喜久雄と俊介の2人だけの感情、簡単なライバル関係ではない絆には魅せられました。
或る役者の一生
歌舞伎は見たことないけど、歌舞伎の題材はやけに心惹かれる。中村屋ファミリーの密着番組とかやってると見ちゃう。
原作の小説は未読。
凄いものを見た。見応えある傑作だった。
予算も時間も掛けて丁寧に作っているのがわかる。
ただ1回見れば十分で、今後テレビ放送やサブスク解禁があっても見ないかなぁ。
キャスティングも素晴らしい。
美しい顔に粗野っぽやを滲ませる吉沢亮、難しい立ち位置を絶妙なバランスで演じる横浜流星、貫禄の渡辺謙、昭和の女がやけに似合う高畑充希、本物寺島しのぶ。
寺島しのぶさん、こっちが出自を知っているせいで画面に出るとハッとしてしまった。三浦貴大が血筋とか世襲を語る場面も同様。
吉沢亮は、映画が始まる前の予告で流れていた「ババンババンバンバンパイヤ」との温度差が凄い。
あと、吉沢亮の少年期役の黒川想矢。めちゃ凄すぎて何者?と思ったら「怪物」とか「推しの子」のカミキヒカルの子なのか…有望株すぎる。
登場人物の意思が読めないシーンが多くて、特に春江、彰子、藤駒は「何故そうなる!?」となる場面があった。
冒頭の親の敵のヤクザに乗り込んだ後の顛末もいまいち分からず。
あとヤクザの子どもだってバレて、重鎮の役者の娘に手を出して4年くらい干されてた純血じゃない役者がまた歌舞伎の舞台に戻って大きな役貰えるものなの…?
映画の尺はこれ以上長く出来ないだろうし、原作読んで補完したい。
これほど美しい高みを私はまだ知らない。
本日観てまいりました。
全てが美しく完成され凄みと気迫に満ちた、映画自体が芸術だと感ずる圧巻の作品でした。
自身としては、この作品の妙は本物の歌舞伎役者が東一郎、半弥を演じなかったことにあると思う。
稽古の厳しさ、人生における理不尽、芸に取りつかれる姿、そういったものは今現役の歌舞伎役者の方が演じられたら、逆に完成され過ぎてしまっており、入れ込めなかったかもしれない。
吉沢亮さんはじめ、歌舞伎役者では無かったからこそ、“歌舞伎役者となり、人間国宝となっていく”過程に対してのある種の気迫があったように思う。
世の中には、完全体ではない者にしか生み出せない美というものは絶対的に存在すると強く感じる。
登場人物に話を移すと
東一郎の人生は幼少の頃目に焼き付いた景色を“美しい”と感じ入ってしまったことから、その人生が決まって行ったように思う。
私には万菊は“悪魔”のように、竹野は映画館にいる我々のごとく映った。
竹野には、芸に身を捧げる東一郎の姿が目に焼き付き、ビジネスという観点から離れ、人間として彼の姿に入れ込むようになっていたのではなかろうか。
この作品では、“血筋”というものが現実の梨園よろしく重要な言葉となっているように思うが、本来正当な筈の後継者であった半弥が、父と同じ病に倒れる部分は、東一郎と半弥の2人の明暗を分けることにも繋がり、とかく人の世はなんと苦しくままならぬものなのだろうと…言葉にならない思いが頭を駆け巡った。
それでも、(父は成し得なかった)“舞台を演じ切る”という命懸けの想いは、その作品と結びいてもおり、震えるほどの感動を呼び起こした。
嗚呼、役者というものは自分の命そのもので役を生きていくことなのかと腑に落ちた。
東一郎については、部屋子という立場であり、血筋というものがなく、後ろ盾もないからこそ、芸に没頭する自由をある種持っているようにも感じたが、
だからこそ自分の見た景色を追い求め、
徐々に修羅となり、芸の悪魔となっていく姿は、この世の人ならざる美しさであった。
元々顔貌の美しさを携えていたとはいえ、外側の部分だけでなく、彼の幼少期からの内側の積み重ねが1つの芸の頂点を極めたのだと感じ入り、様々なしがらみがある中でよくぞ…演じきったという想いでいっぱいになった。
クライマックスで、かつては自身が怪物と恐れた万菊の鷺娘の姿と重なるような東一郎の姿は、これを国宝と言わずしてなんであろうと思うほどの万感の情を引き起こした。
これほどの作品を、俯瞰的かつ機微を仔細に描いた監督にも天晴れである。
こうした骨のある美しい作品がまだまだあったのか…と驚きと感動で満たされた。
3時間ではまだまだ足りぬ、東一郎の生き様を最後まで目に焼き付けたいと思ってしまった。
私の観た邦画史上ナンバーワンの作品です。
今期一番の映画
原作未読。知人に勧められて鑑賞。とても良かった…。父親の死、盟友との別れを乗り越えて舞台に立つ喜久雄の生き様がよく描かれていたと思う。
個人的には俊介に感情移入してしまった。初めの曽根崎心中で、自分の感情を押し殺しながら喜久雄を励ますシーンに胸を打たれた。最期は糖尿病で両足が壊死…。血筋の問題上、実子にあそこまでのアクシデントがないと、喜久雄が日本一に上り詰めるのは難しいだろうから仕方ないのだが残酷すぎる…。それでも強くあろうとする姿に感動してしまった。
勢いで原作も買ったので読もうと思う。
頂点に立つ者だけが見られる景色とは
極道の家に生まれた男が歌舞伎町で頂点にのし上がっていく物語、ではなくて歌舞伎の世界に魅入られた者が、ライバルとなる兄弟と切磋琢磨し、遂に人間国宝になるまでの壮大な物語。
主人公の喜久雄のモデルは五代目坂東玉三郎だろう。喜久雄は本作の最後に「鷺娘」を演じるが、これは喜久雄が十代の頃に見た万菊の「鷺娘」を見て魅了され、万菊のような歌舞伎役者を目指した点も玉三郎が女帝と呼ばれた六代目中村歌右衛門の「鷺娘」にあこがれて彼自身も演じたというエピソードとまんま同じ。
組長の父を失った喜久雄は歌舞伎の名門花井に引き取られ、息子の俊介と共に時にはライバルとして時には兄弟としてともに歌舞伎の稽古にはげみ成長してゆく。
いずれ屋号を継ぐのは息子である俊介。世襲が習わしである歌舞伎の世界ではそれが道理であった。しかし運命の歯車が狂いだす。
花井は怪我をした自分の代役に喜久雄を選んだ。それはただの代役に過ぎなかったが、喜久雄の曾根崎心中での芝居を見た俊介はその力の差を見せつけられて家を出る。
俊介の血に嫉妬していた喜久雄、喜久雄の芸に嫉妬していた俊介。彼らは跡目を継ぐ時が来るまでは良きライバルであり良き兄弟だった。しかし歌舞伎界の習わしにより彼らはたもとを分けることとなった。
二人歌舞伎を演じた時の彼らはともに輝いていた。二人の信頼関係そして拮抗する芝居の才能、それらが合わさり相乗効果を生んで二人歌舞伎は観客を魅了した。一人の人物を二人で演ずる二人役をこなした二人はまさに二人で一つだった。しかしそんな二人は皮肉にも歌舞伎界の掟により引き裂かれてしまう。
俊介は去り、残された喜久雄は跡目を継ぐ。しかし、いくら芸を磨いても喜久雄の不安はぬぐえない。自分にはどうしても欠けている花井の血。彼はその不安をぬぐうために悪魔と取引をする。
そして彼の不安は的中する。襲名披露で吐血した花井は帰らぬ人となる。後ろ盾を失った喜久雄は主役の座から遠のき役者としてくすぶっていた。そして先代が残した借金だけが重くのしかかった。
そんな時、行方をくらましていた俊介が歌舞伎界に復帰する。それと入れ替わるかのようにスキャンダルに見舞われた喜久雄は歌舞伎界を追われる。
まるで二人は陰と陽の関係。片方が眩いライトに照らされたら片方は影に追いやられる。かつて二人歌舞伎を演じていた時の均衡の取れていた二人をつないでいた糸は断ち切られ、片方は糸の切れた凧のようにさまよい始める。
しかしそんな二人を再び運命の糸が繋ぎ合わせる。人間国宝の万菊の手回しにより喜久雄は再び歌舞伎界に返り咲くのだ。
あの頃のように二人藤娘を演じる二人は再び輝きを取り戻したかに見えた。しかし、運命は喜久雄に微笑む。悪魔と取引した喜久雄に。
皮肉にも喜久雄があれだけ欲した花井の血は息子俊介に病をも受け継がせた。再び二人の均衡を取り戻そうと自分の自信を奪うきっかけとなった喜久雄が演じた曾根崎心中のお初を演じた俊介、二人の迫真の芝居で均衡は取り戻されたかに見えた。しかし死が俊介に舞い降りる。
一人残された喜久雄はやがて頂点に上り詰め人間国宝となった。悪魔と取引してでも、兄弟から屋号と名跡を奪い取ってでも、周りの人間を不幸にしてでも上り詰めたかったその地位で見られる景色とはいったいどんなものか。
それはけして物理的にその位置に立ったところで見えはしない。人生をかけて芸の道を貫いた者にしか見えない景色。
万菊もその景色を見続けていたに違いない。彼はここにはもうきれいなものはない、やっと楽になれる、そう言い残して喜久雄を歌舞伎の世界に呼び戻した。彼は喜久雄を自分の身代わりにしたのかもしれない。彼がいるところから見えた景色。その景色に魅了されたものはもはや芸から逃れることはできない。彼はそこから逃れるために喜久雄を差し出したのかもしれない。
万菊が喜久雄を差し出したのは歌舞伎の神なのか、それとも悪魔なんだろうか。どちらにせよその景色に魅了された者は命尽きるまで歌舞伎から離れることはできない。
憎むべき歌舞伎、しかし芸をやめることはできない。歌舞伎役者とはそういうものだ。復帰した俊介にかけられた師匠からの言葉が印象的。我々凡人はとてもそんな生き方はできない。
歌舞伎役者として頂点に上り詰めた者、それは歌舞伎の神に見初められた者なのか、それとも悪魔に見初められた者なのだろうか。
喜久雄と俊介、二人のその時々の人生を反映させるかのように演じられる歌舞伎の舞台は物語とリンクしていてとても見ごたえのある作品に仕上がっていた。三時間の上演時間が短く感じられるほど満喫できた。
理由はともあれ、いかにも順風満帆ではないか?
血統を重んじる伝統芸能の歌舞伎の世界で、血統の縛りを超えて、芸の才能の力で立身出世し、人間国宝にまでなるヤクザ一家の生まれのひとりの男の物語である。歌舞伎の世界は皆親類どうしで世間が狭く、芸も子へと受け継がれていくが、そうした伝統や常識を打ち破る圧倒的な才能が存在した。
しかし、歌舞伎がわからない、観たことがない私のような素人の目にはその才能は如何程のものがわからない。そこまでの才能が何だったのか分からずじまいでありもやもやする。なぜ歌舞伎一家の出の横浜流星はだめで、孤児となり引き取られた吉沢亮のが優れていたのか?わからない。
原作には描かれているのだろうが、冒頭にはじまる長崎のヤクザたちの抗争がどのような理由で起きたのか分からずじまいである。主人公は、両親を失い、どういうわけか冒頭のヤクザたちの抗争の場にいた大阪の歌舞伎役者の一家に引き取られる。
幼馴染の男友達はなかなかの演技だったのに暴力団事務所に主人公と一緒に殴り込みしたあと消えてしまった。幼馴染の女の子はどこの出で、主人公を追って大阪についてきて、いつの間にか高橋充希になっているのである。
大阪の歌舞伎一家をささえるパトロンの嶋田久作はいつの間にか消え、歌舞伎に興味のなかった鞄持ちの男(息子?)がなかなかの存在感を増して主人公のピンチを救い最後まで出てくるがあの人は何だったのか?いつ歌舞伎界を応援するようになったのか?不明である。重要に見える人物が理由もなく消え、一方で大した人物にみえないものが重要だったりするのだ。
最大の不明は、人間国宝となることが決まり記者会見のあとの写真撮影で、京都の芸姑との間にできた娘がカメラマンとして出てくるところ。
いきなりあなたを父親としてみたことはなかったと身の上話をし始めるが、周りの者はなにをしているのか?娘は、あなたは、いろんな人を犠牲にして国宝にまでなったのですというが、映画を観る限りでは、犠牲になったのはカメラマンの娘とその母親くらいだろう。それ以外は迷惑をかけている人は出てこない。あなたの歌舞伎を観ると本当に感動する、おとうさん、という娘は自分を捨てた父親に和解の意を伝えるがいかにも唐突だなぁ。人間国宝の会見の場でこの場違いなやりとりは不思議であれ、ドラマ性をもつことはなかったと思う。
人生の悲喜こもごもを背負ってついに人間国宝にまでなった感動の演舞で幕を閉じる。歌舞伎の世界は確かに大変かもしれないが、それがあまりよく伝わらなかったのと、ヤクザの家の出で、親を失ったという大きな苦難以外は、才能ある順風満帆な人生だったように見えてしまうのだが。あの平凡な記者のインタビューと同じ感想になってしまう。
そんなに絶賛しなくても…
世間であまりにも絶賛されていることに驚きました。
初心者が舞踊をがんばっているな、とは思いましたが、とにかく歌舞伎に見えない。
「国宝」と名前をつけテーマとして描くからには、ちゃんとしてほしかったです。
未経験であれだけやればすごい、という評価を見かけますが、プロの仕事として、努力賞でいいとは思えません。
よかったと思えるのは、横浜流星さんの演技(義足のとき)に凄みがあったことくらいでしょうか。
あと単純に疑問なのですが、一度人間国宝になった人があんな末路をたどるものでしょうか??(不勉強で申し訳ないです…)
いろいろと納得のいかない作品でした。
邦画魂
出演者の俳優魂をひしひしと感じることができた。
初っ端から永瀬正敏に圧倒される。
少年時代を演じた2人の将来がとても楽しみ。
田中泯化け物。
血反吐はやりすぎじゃない?って思った。
少年時代も別の俳優使ったんだから、晩年も特殊メイクじゃなくてピッタリな俳優使ってほしかった。
でもそうなるとラストの歌舞伎シーンが微妙になるのかな。
前半面白く観てたけど後半つまんなくなってきた。
細かい内容も知りたいので原作読んでみる。
栄光の影で涙を流す人たちがいる
上映時間が3時間と聞いて尻込みしてましたが、周囲の方から「観た方がいい!」とお勧めされ鑑賞。
吉沢亮さん、今年度の日本アカデミー賞・最優秀主演男優賞獲るんじゃないでしょうか。横浜流星さんも、助演で。
本当に2人のお芝居が素晴らしかったです。
喜久雄と俊介、2人の対比が面白かった。
喜久雄は芸の才能を持って生まれたが、歌舞伎の血を受け継いでいない。
俊介は血こそ受け継いでいるが、才能では部屋子の喜久雄に劣る。
春江が俊介について行ったのが最初理解出来なかったけど、喜久雄と一緒になっても幸せになれなかっただろうからあれで良かったんだと思う。
春江はわかってたんじゃないかな。
喜久雄は芸の為なら悪魔に魂を売る事すら厭わない男で、実際家庭を顧みなかった。
襲名披露の時、駆け寄ってきた娘を無視する喜久雄。あれでもう藤駒さんも諦めたんじゃないかな。見ているこっちも凄く心が痛かったです。
捨てるなら最初から子供なんてつくるな!と思ったけど、もしかして男児だったらまた違ったのかな。
何にせよ歌舞伎役者としては素晴らしいけど、1人の男としては全然だめ。役のために彰子に手を出したり、最低最悪。
よく彰子は喜久雄を捨てずについていけたな。
でも最後彼女の姿が見えなかったから結局ダメになったという事だろうか。
人間国宝となって、捨てた娘と再会。
「貴方を父親と思った事はない」「どれだけの人間を犠牲にしてきたか」娘は喜久雄に言うが本当にその通りだと思った。
それでも、喜久雄は何を犠牲にしても、生涯孤独になったとしても日本一の歌舞伎役者になりたかった。
ラストシーン、1人きりで舞台で舞う喜久雄。
見たかった景色を見る事が出来た彼はきっと幸せなのだと思う。でも、独りだ。
彼もいつか歳を取り、独りで寂しく死んでいくのだろう。
その時何を思うかな?
捨てていった家族を想い涙するのだろうか。それとも歌舞伎役者としての輝かしい日々か。
きっと後者だと思う。
タイトルなし(ネタバレ)
北九州のヤクザの息子・喜久雄(黒川想矢)は、目の前で父親を殺されてしまう。
復讐にも失敗し、身寄りを失った喜久雄を引き取ったのは、上方歌舞伎の名門・花井半二郎(渡辺謙)だった。
半二郎には俊介(越山敬達)という息子がおり、後々は俊介に「半二郎」の名跡を継がせたいと考えていた。
長じた喜久雄(吉沢亮)と俊介(横浜流星)はライバルとなり、互いに芸を競い合う関係となったが、ある日、事故に遭った半二郎は、自身の代役に喜久雄を指名した。
それも名作「曾根崎心中」のお初の役である。
喜久雄の芸に打ちのめされた俊介は歌舞伎界を去り、「半二郎」の名跡は継ぐことになった・・・
といった物語で、ここまでが中盤。
とにかく、力作。
観終わっての感想は「疲れたぁ。吉沢亮、凄い」。
ですが、中盤、血筋か芸かで両者の明暗のドラマは「ステレオタイプで飽きちゃったわぁ」というのが正直なところ。
人物設定が過剰過ぎて、物語の底が浅くなった感じがします。
長い原作を3時間に収めようとしたのでしょうが、ダイジェスト感というよりも、ドラマ部分は嘘臭さ目立ってしまったかもしれません。
喜久雄と俊介それぞれのドサ回り、歌舞伎界への復帰・・・と同じ展開が続くのも難点。
原作は脇において、人物設定を刈り込んで、最終的に「芸事心中」「芸に魂を売り渡した男たち」に収斂するあたりを際立た方がよかったかもしれませんが、それだと物語にメリハリがなくなっちゃうのかしらん。
と、余計なことを考えたりもします。
なお、吉沢亮も凄いが、受けて立つ横浜流星も凄い。
結果として、舞台シーンは、吉沢ひとりのシーンよりもふたりのシーンの方がいいと思いました。
吉沢亮の凄みは、舞台の外、ドサ回りのビルのテラスの鬼気迫るシーンにあらわれています。
そうそう、途中で、ちょっと「つまんない」と思ったのは、歌舞伎シーンの見せ場重視・連続だったからかも。
なんだか、アクションてんこ盛りの大作映画を観ている気分になったんですわ。
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