国宝のレビュー・感想・評価
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何度見ても同じように新鮮で、もう一度見たくなる
何度見ても同じように新鮮で、もう一度見たくなる。
初めて見たときは喜久雄の絶望的なまでの孤独を感じて怖くなった。
2回目に見た時は、ここまで歌舞伎という芸能が今に残っていることに深く感慨を覚えた。
そして今回、我ながら不思議なことに「舞台の上では男ばっかりだな」と思ってしまった。
これは長い歴史がそうさせたもの。
舞台の表だけではないシーンを見て、芸だけに邁進できる環境はこれしかないのか、と思わずにいられなかった。
曽根崎心中の舞台で喜久雄と俊介が舞台で支えあうのも、男女ではあり得ない光景のように思えた。
友情というよりはとにかく芸、芸、芸、それだけが伝わって空恐ろしい気持ちになった。
また、舞台の外では軽やかながらも生きている人間らしいずっしりとした重量感をもつ喜久雄や俊介が、舞では人外のような存在になっていることもまたこの世界の恐ろしさと凄みを体感した。
70年代、80年代、90年代
人間国宝になった男の半生記。
前提として自分は歌舞伎をTVでしか見た事がないです。あまりにも話題なので一度は見ておこうと思い鑑賞。
【良かった点】
❶それぞれの時代の風景が懐かしかった。
メイクが現代風だったのが唯一残念でしたけど。
車、洋服、アパートの階段、カーテン、ランプシェード、灰皿、折りたたみテーブル、扇風機。
小物類へのこだわりが時代を表現していてとても良かった。
架空のワイドショー番組なんかも昭和感あって良かった。
❷伝統古典芸能、血縁だけが相続してきた技術。サラブレッドの息子 vs 才能があると見込まれて住み込みで弟子入りする事になった元ヤクザ組長の息子。
この対立構図は世界的にも普遍的なテーマであり、誰もが共感しやすかったと思う。
殴り合いするシーンはかなり面白かった。面白いというのは少し変だけど…。
それまで表面的に取り繕っていたのが決壊して腹の中の気持ちをぶち撒けてたのは良かったと思う。
❹スポンサー社長の付き人を殴る所
凄く良かった。キクオの個性が良く表現出来てた。
❺舞台&衣装が美しい。歌舞伎座の中を見れたのが良かった。思っていたより狭くてびっくりしたけど。
【良かった脇役陣】
いや本当に脇役が素晴らしかった。
✦ヤクザ新年会
全員素晴らしかった!
このシーンのみでご飯5杯いけます
永瀬正敏、宮澤エマ夫婦が絵になること。
✦主役の子供時代演じた2人。
この頃は見た目にも2人のキャラクターがしっかり撮れていてちゃんと区別がついていた。
✦キクオの最初の相手男役徳次
この子、もっと見たかったな…。こういう男らしい顔の少年俳優は今貴重だと思う。
✦人間国宝の万菊姐さん
最後まで女形の人間国宝の妖怪っぽさをよく表現出来ているなと思いました。
✦歌舞伎スポンサー三友社長、嶋田久作
いや〜この人の存在感、まだ健在ですね!大好き。一気に空気が昭和になる。居るだけで画面が映画になる、数少ない俳優さん。この方の演技が見れて凄い嬉しかった!貴重な映像。
✦俊坊の母幸子、寺島しのぶ
いや最高!
面倒くさい子供連れてきてまぁ…仕方ないわね、という梨園の妻の顔と自分の息子をもっと贔屓してよ、という母の顔をとても分かりやすく自然に演技されてて素晴らしかったです。特に墓参りのシーンは全方位にキレ散らかしてて笑ったけど「ごもっとも!」と拍手したかったわ。
✦キクオの最後の女アキコ、森七菜
梨園育ちの世間知らず、よくいるダメンズに引っかかる天真爛漫お嬢様。90年代の流行りである自立した女に憧れを持つタイプ。
凄く分かりやすくて3人の女の中でも一際輝いて見えました。彼女だけは見間違い起こさなかったw
アキコの父役も良かったです。
彼女が父にタンカ切って駆け落ちしたものの、最終的には彼女から「もうやめようよ」と冷静に判断したのは感動的でした。
【あまり良くなかった点】
✦メインキャラ4名見分けつかない問題
主役の2人が似過ぎててどっちがどちらかわからない。メイクしたらなおさら。もう少し顔の違いや背丈の差がある俳優が良かったかな。
藤駒、春江も見分けが難しく、春江はもっとヤクザの女です!っていう個性強めの顔を持った女優さん使ってほしかった。例えるなら昔の土屋アンナ的な人が良かったと思う。(土屋アンナみたいな顔の役者が令和にいるのかはしりませんが)
藤駒と付き合っていた事も知らず、突然子供出来てて驚いた。
これ恐らく外国でも言われると思うわ…、絶対あちらの人々は見分けつかないだろう。
全体的にこのような急な時間スキップが多くて、観客に説明する気はないんだなーと思い、最終的には歌舞伎CM、PVとして見てました。
✦娘との再会
キクオと芸姑・藤駒との間に出来た隠し子、綾乃との再会シーン。
このシーンもう少しなんとかならなかったのかな〜…とモヤモヤ。
若い頃は海老蔵みたいだったキクオが晩年は中村勘三郎みたいな落ち着いた大人になってるのも微妙に違和感。
でも原作がそういう終わり方なんだろうし、そこは映画に求めても仕方ないかも
【総評】
キクオの50年間を一気に振り返るムービーで楽しめました。
しかし映画としての構成は期待した程ではなかったです。まぁまぁかな。
しかし、歌舞伎という伝統芸能を世界へ紹介するには丁度よかったと思う。
ドキュメンタリーに近い感じに楽しめました。
道を極める壮絶な人生
「すごい映画だった」
映画館での観賞後に漏れ出た言葉は、語彙力を失っていた。
約190分の長編ということもあり、感動を語ろうとするとどうしても解説みたいになってしまうので、特に印象に残ったことを記載する。
まず全体感として、吉沢亮の演技力がまさに「神がかっていた」
芸に魅了され、芸に飲み込まれ、深く沈んでゆくように道を極める主人公を完璧に演じていた。
セリフではなく、演技力と映像センスで感情を表現するのも素晴らしかった。
昨今の過保護な説明をする作品とは対照的に、映画ならではの強みや表現が満載だった。
満点を付けていない理由は、ヒロインである幼馴染の駆け落ち。
あれだけ喜久雄に寄り添っていたのに、なぜ急に俊介と駆け落ちしたのか?
俊介が逃げ出したのはわかる。
しかし、あの流れで春江が一緒に駆け落ちするのは違和感を拭えない。
原作では喜久雄とのすれ違いや、俊介とのやりとりが描かれているのかもしれないが、映画ではほとんど絡みがないのに急に裏切るように駆け落ちする理由が理解できなかった。
とはいえ、それは強いて言えばというレベルなので、全体的には素晴らしい作品だった。
昨今多い「最低限失敗しない映画」ではなく、
今後もこのような本質的な観点からの創作を願っている。
歌舞伎vs映画の総力戦
東一郎の人生の物語。大変なヒットを飛ばすのも納得の大作。
物語的には東一郎の幼少/青年/壮年/老境、各章の区切りで大胆に世代をジャンプして時代が変わっていくので、緩急のメリハリは良い。東一郎と半弥の立場と栄枯がくるくる反転していく物語展開はかなりテクニカル。その反面、それぞれの時代に起きたイベントがブツ切りになって流れていくので、東一郎の蓄積した因果の積み重ねが希薄に見えてしまう瞬間はままある。
特に顕著なのは中盤と最後にだけ登場する東一郎の娘と、一番どん底の時に急に現れてボコボコにしていく三人組。三人組は普通に傷害事件なのでちゃんと訴えた方が良い。どちらも東一郎の罪と罰を象徴する存在だが、画面に映る瞬間がなんせ短いので記号性が立ちすぎて浮いて見えるのが残念。
しかし物語部分の引っ掛かりはこの際問題ではない。
東一郎が歌舞伎の為に全てを捧げたように、この映画も本題に全てを捧げている。この映画の本題とはやはり舞台シーン。
東一郎と半弥の絆を象徴する「二人道成寺」から人間国宝の凄みを魅せる「鷺娘」、東一郎を花形に押し上げた「曽根崎心中」 など数多くの舞台が描かれている。
その中でも「曽根崎心中」 は映画のテーマとも絡み合い、病を抱えた半弥と共に挑む二度目の上演は間違いなく作品的なクライマックス。
曽根崎心中の舞台は徳兵衛(東一郎)がお初(半弥)を手にかけると同時に幕が下りる。
病気のせいでこれが最後の舞台になる半弥にとっては幕が下りる瞬間が役者としての最期の時。それを理解しているから、お初を手にかけることを躊躇する東一郎。
命か芸か、その狭間の葛藤と痛みが重なる舞台。バックで流れる映画音楽、画角の変奏、アップが捉える表情の微細な震え、折り重ねられた東一郎と半弥の物語。
これは完成された歌舞伎の様式美に対して、映画という表現手法がどこまで真に迫ることが出来るのか、という挑戦であり決戦である。幕が下り、舞台の観客は万雷の拍手を送るが、映画の観客が見せられたのは芸に生きる者の重い決断。この映画のメタ構造をも味方につけた総力戦で、この作品は歌舞伎に挑む。
命か芸か。人か芸か。作中では折に触れて倫理的な問いかけが行われているが、東一郎の娘が最終盤で再び姿を現す瞬間はその最たるもの。
結局、東一郎 の罪は許される訳ではないが、しかし勧善懲悪を超越する芸の極致にはただ圧倒されるしかない。
2000円払う甲斐はある
たった一年か二年で、歌舞伎演目をあれだけ舞ったのは凄い努力なのだと素人目でも分かる。
国宝級の着物に舞台装置、鴈治郎の演技指導。これだけの舞台でやり切った吉沢亮と横浜流星のお二方の役者としての転換点になるんだろうなと思いながら観た。
3時間はむしろ短い。前編後編6時間やる位で、周りの人間関係や女性から見た国宝。という立場が描けたのかなとも思う。とにかく男性目線というか、人間らしい描写を悉く短く濃縮して、救いがある様でない様な、役者◯カとはこういうものだよね。。な3時間だった
興行主の息子?の「こんな生き方俺にはできんわ」
に私もそう思う〜。とため息が出た。
業を極める覚悟と孤独、美しさ
歌舞伎の舞台は美しく、1年前から踊りの稽古をして臨んだという吉沢亮さんの演技は素晴らしく、ちょっとみる目が変わりました。
業を極める人物像、その覚悟と孤独、美しさが花井父(渡辺謙)や万菊(田中泯) 、立花父(永瀬正敏) の生き様と通じる、という描かれ方でした。
ただ、ちょっと、脚本なのか原作なのか。
いやおうなく歌舞伎の世界で生きる事になった喜久雄(吉沢)がどう歌舞伎に向き合っていくのかその辺の葛藤がわかりづらく、その後の展開にちょっと違和感が残りました。
喜久雄にとって悪魔と取引してまで芸を極める意味はなんなのかとか、
血縁(俊介)を妬み憎みながらも生まれながらにそれを手にする俊介個人の苦しみに思いを馳せることができる「生い立ちの割にはまっすぐ」な人格設定とかにどう繋がっているのか、がわかりにくかった。
途中から置いてけぼり
映像、俳優陣の演技には文句の付け所がない。
特に歌舞伎シーンは少なくとも素人である自分を騙しきるだけの説得力があった。
演出面で言うと歌舞伎にBGMを被せるのだけは辞めて欲しかったかな。
個人的に感情を震わされたシーンは2つのみ。
東一郎の曽根崎心中を見つめる半弥のシーンと
曽根崎心中を演じる半弥の右足が壊死していたシーン。
これ以外、特に後半は無理やり物語を進めるために奇々怪々な行動を淡々と見せられるだけで置いてきぼり。
東一郎の演技を見て逃げ出す半弥とその姿を見て駆け落ちする春江まではわかる。
花井白虎他界後、後ろ盾を失い台詞のある役すら貰えない中で白虎の残した借金まで抱えて数年間耐えてきた東一郎に対して「春江の顔も見てやってくれ」と言える半弥の厚顔無恥さ。
それを平然と受け止める東一郎。
そして、その後追い出される東一郎を止めることすら出来ない半弥と春江。
引き上げる発言には自分も失笑せざるを得なかった。
土下座して詫びろ。
その後、人間国宝の万菊に引き上げられた東一郎が半弥との二人道成寺を引き受けた理由はわかる。
「歌舞伎を憎んでいても〜」という台詞が事前にあったから。
その後、息子に稽古をつける東一郎。
意味がわからん。馬鹿なんじゃねーの?こいつら。
どの面下げて頼める。なんでそれを引き受ける。
仮にこの映画が人間味皆無な化け物東一郎が国宝に邁進する中でその周囲の人間を描く作品なのだとしたらギリギリ理解できるが、
東一郎は極力感情を表に出さないものの白虎が吐血した際に息子の名前を口にしているのを見て「しんじまえ」と口に出したり、戻ってきた半弥がすぐに役を貰えそうなのを見て慌てて強攻策を取る程度には感情のある人間なんだから尚更それ以外の行動が理解出来ない。
白虎の死後、あっという間に干された筈なのに後先長いように見えなかった万菊に引き上げられた後は特に何もなく異例の早さで国宝に選ばれた東一郎。
常にスポットライトが当たり続けたというインタビュアーの台詞には自分たちは今まで何を見せられてきたのかというクエスチョンマークしかない。
ちょくちょく謎のカットインがあったものの
唐突に最後の最後に出てきた意味不明な「見たい景色」と言う発言と感動要素で娘を出して無理やり終わらせた感じしかない映画でした。
説明し過ぎなのは良くない。
映像から汲み取るのも映画の見方だというのはわかるがそれが突拍子無さすぎると話にならない。
3時間の一本で纏めたのが失敗だったのだろう。
無理やり纏めるならせめて芸姑と娘はカットすればよかったものの。
俳優陣の努力に☆+1で☆3つ。
白虎が倒れるまでのクオリティで最後までやりきって欲しかった。
ある種のホラー映画であり、ある種の悲劇的恋愛ものでもある
既に多くの方が観て、多くの方がレビューを書かれており書く必要はないかとも思いましたが、今更ではありますが先ほど観たので、自分の心を整理するために書いておきます。それでもよろしければ、ご高覧ください。
演技、音響、脚本、演出等、それらについては多くの方が書いているので特に書くことはございませんでした。素晴らしいの一言に尽きます。
ここからは、わたしが印象に残ったところだけ抽出して書かせていただきます。
冒頭、ヤクザの頭領だった父親が死ぬ場面で、「よく見ておけ」と独り言じみた「意志の継承」を行うシーン。雪の白と父親の血の朱が紅白のコントラストを描いていて、単純に美しいと思わされました。主人公の喜久雄もそれに魅入られるように、父親の死の悲しみと同時に雪の美しさの向こうに目を奪われてしまっていて、「この人はこの瞬間から死に憑りつかれてしまったのかも知れない」と思いました。恐らく、この時に喜久雄の中で「美=死」という方程式が出来上がったように思います。ちなみに、わたしはこの雪と血の紅白を見て、「紅白幕」を思い浮かべました。つまり、「祝福」のメタファーを感じたということです。
それ以降、喜久雄は歌舞伎役者である花井半二郎に拾われて役者への道を歩む中で少しずつ歌舞伎にのめり込んでいきます。ここで「美=歌舞伎」という方程式が出来上がり、3段論法的に「死=美=歌舞伎」という関係性が出来上がったのかな、と思いました。
そんな喜久雄も、人並みの幸せを手に入れようと幼馴染の春江にプロポーズしたり、自分に目を掛けてくれた藤駒と子供を作ったり、頭を下げてまで役を貰おうと藻掻きますが、すべて上手くいかず、一度、地に堕ちることになります。
その底まで堕ちたと思われるシーンで、一緒に駆け落ち同然で着いてきていた彰子から「どこを見ているの?」と問われ、「どこを見ていたんだろう?」を自嘲しながら空を見上げて舞う様子はまるで歌舞伎の演目の一つを観ているようで心がギュッとなりました。ここで、喜久雄はようやく、自分が目指していたもの=悪魔と取引してまで手に入れようとしていた「景色」が人並みの心を持ったままでは手に入れられないものであることに気付いたように思えました。
その後、人間国宝となり引退した小野川万菊に呼び寄せられ、もう一度歌舞伎の舞台に戻ることになる訳ですが、その時、狭いボロアパートのような一室で病床に臥せっている万菊が「ここには何も美しい物がない。でも、ようやく安心できた。もう美しくなくても良いと言われているようで」というようなセリフを言います。つまり、万菊にとって人間国宝であること以前に歌舞伎で女形として美しくあることは苦しみであり、呪いであったことがうかがえます。その後、万菊は喜久雄に「舞ってみなさい」と扇子を渡しますが、これもまた上記の父親同様に「意志の継承」が行われたように思いました。つまり、この映画において継承とは「遺言」でもあることが想像できます。同時に、わたしにはこれは上記万菊の台詞から見てもこれが「呪いの継承」でもあるように思えました。
また、この映画では、喜久雄に何かを継承する人は、その直後に死ぬ運命を辿っているように思え、おまけにそのシーンはどこか舞台の上である印象を受けました。半二郎も襲名披露の舞台で吐血して退場、半弥もある種、舞台で「曾根崎心中」という演目の中において命を賭して喜久雄と一緒の舞台で役を演じ切っているところからも、舞台という美の集大成が結実する場で死に往くという形式が取り入れられており、やはりどこか「美=死」という方程式がチラつく感じがしました。
加えて、喜久雄は幕が落ちるとほぼ必ず一人になっている様子がゆっくり描かれており、彼の孤独と「演じる」という行為が同居しているとともに、彼が「悪魔と取引した」というその代償として、彼が歌舞伎の腕を上げるほど、周囲が消えていくという呪いになっているように思えて切なくなりました。要するに、彼は「歌舞伎の舞台」に愛されてしまったことで、人としての幸せから遠ざかっていく運命を背負っているように思えるということです。その孤独が分かっていたのは、万菊だけだったのかも知れません。
なので、わたしはこの作品は「歌舞伎という名の女性を愛してしまった男が、その女性に振り回されながらも最後は結ばれる話」であると解釈しました。だから、喜久雄の周囲からは人間の女性が多く寄せ付けられるものの、最後は喜久雄の傍からいなくなっていくのだと思いました。
また、ラストの演目である「鷺娘」の最後、喜久雄が舞台の上で一人となり、劇場に誰もいなくなった場所で自分を照らす光を見つめて「綺麗やな」と呟くシーンも、「これは結婚式であり、最後に、喜久雄は自分の花嫁を見付けたんだな」と思うと、自然と腑に落ちました。
そんなことを思った結果、わたしはこの作品を、「悪魔との契約によって、人並みの幸せをすべて失うという呪いに掛けられたホラー」であるとともに、「人間国宝になってしまうまで歌舞伎という女性を愛し、最後はその女性と結婚できた」という悲劇のような恋愛話という重層的構造を持った作品だと思いました。
真剣な取り組みは必ず答えてくれる
血のしがらみでがんじがらめの世界で、好きでたまらない部外者であった人が悪魔と取引してまで役者の頂点に立ちたいを願う。全てを失っても芝居を捨てず、芸を究極まで磨き、いつしか誰も無視できない存在となって国宝となる。
努力するとはこういうことだし、好きとはこういうことだと思います。
こういうひたむきな精神性が日本人の心にフィットしたと思います。
応援したくなるんです。例え過ちがあっても。
喜久雄は二人の女性をいわば踏み台にし、自分の願望を最優先しました。
夜叉になり、極限の中で芸を磨き、人の限界を超えて至高の領域に立ち、喜久雄は人ならざる存在になったのです。
捨てた自分の子供に、親と思ったことはない、でもあなたは綺麗だと言わしめたのは、そこに命懸けの真剣な取り組みを垣間見させたからだと思います。
この作品のため、吉沢さんは他の仕事を断り、1年半真剣に舞踊の稽古をされたそうです。
この短期間に道を究めた方に並び立つことなど到底出来ようがありませんが、どれだけ真摯に取り組んだのか想像できる常人離れした美しい身のこなしでした。
この役を演じるのに、喜久雄を理解するのに必要な過程だったのだと思います。
ここまでやる方、特に若い方は本当に少ないと思います。今後の作品が楽しみです。
PGばかりで残念です。IMAX上映をお願いいたします。
吉沢亮=国宝
ただのイケメンではない2人の共演。横浜流星の演技良かったです!でも、でもでも吉沢亮が良すぎました!演じてません!他も豪華なキャストですが、吉沢亮だからこそ成り立つ映画です、本当に!(監督さすが!)
女性陣だと森七菜ちゃんがとても印象に残りました!分かりやすすぎる恋心からの濡れ場、転落感、見事にこちらも演じてる感なく演じていました!
民意に流されてみました♪
観るつもりは無かったんですが、流行りに乗ってみることにしましたw
映画館で邦画なんて、アニメ以外では(成人してからは)初めてかも!?
子供の頃は「ビルマの竪琴」とか「南極物語」なんか観た記憶はありますが~♪
で、「国宝」。
こんな渋いタイトルで歌舞伎が主題らしい。
なのに「かなり口コミが良い」ときたもんだ。
映画を観た周りの方々の口コミは、俳優についての言及は少なめだったので…
出演者頼みのミーハー映画ではない雰囲気。
コイツは何かがあるぞ!
とばかりに、妻を誘って映画館へ♪
…
いやぁ、良かった。
自画自賛的な「和」賛美の独り善がり映画だったら、こんなに売れないだろう…
と思っていたが、その通り、梨園(歌舞伎界)を舞台とした良くできた人間ドラマでした♪
歌舞伎の世界を知っている方だと「そんなことあるか~い」的な部分も多いのかもしれませんが…
私のような歌舞伎の素人からすると、ストーリーに無理筋感は無く、最後まで問題なく楽しめました。
(こっからネタバレあり)
血塗られた任侠の世界から、血に縛られた歌舞伎の世界へ転生する?主人公w
その狂気と絢爛の入り混じった世界で…
愛情や友情、葛藤や挫折を重ねて成長してゆく様が丁寧に描かれます。
その鉄板の人間ドラマに被せる様に、歌舞伎の艶やかさが圧倒的な華を与えます。
この本を映像化しようとした時点で「勝ち」な気がしますw
話のテンポや見せ方など技術的に煮詰められる箇所は多くあると思いますが~
どんな世界を舞台にしても楽しめるような鉄板のヒューマンストーリーと…
舞台では味わえない、ドアップで映しだされる歌舞伎役者の迫力の表情と演技が…
全てを吹き飛ばし包み込んでくれます♪
しかし、血筋なしに歌舞伎で人間国宝にまで上り詰めた主人公もすごいが、誰にも悟られず縁の下で全てを操った高畑充希が演じる女性が一番スゴ(恐ろし)かったw
この女(ひと)は観音様か何かか?的な(意図的に輝きを放たない)神々しさが…
ということで。
ストーリーが★2.5、美しい歌舞伎の画でプラス★1、吉沢亮さんの圧巻の演技でプラス★0.5。
あと0.5くらい★を上げてもいいかもしれませんが…
DVD購入までは至らないので、★4止まりかなぁ
でも~、人気が出るのも頷(うなづ)ける、とても良い作品でした!
血と芸の果てに残るもの
あらすじ
歌舞伎界を舞台に、芸の継承や梨園の世襲、そこに生きる人々の愛憎や運命が描かれていく。
「国宝」という言葉が、単なる芸術品ではなく、人の人生そのものに重ねられていく物語。
感想
評判が高いと聞いていて、ようやく見られたことにまず満足感があった。その評判を裏切らないどころか、気づけばすっかり引き込まれていた。
普段馴染みのない歌舞伎なのに、役者の真剣さや舞台の熱に自然と集中してしまう。女型の美しさは終始印象に残り、ただ舞台を見ているだけで時間の感覚が薄れていくほどだった。
とりわけ「曽根崎心中」が二度登場する場面は強く残っている。同じ演目なのに響き方が変わり、芸がただの技術ではなく、役者の人生そのものと結びついているのを実感させられた。
物語全体も、血筋と芸のせめぎ合い、人間模様の浮き沈みが複雑に絡み合い、舞台と現実が自然に交差していく構成が見事だった。小さな伏線が後になって効いてきて、「ああ、そういうことだったのか」と腑に落ちる瞬間が何度もあった。
最後まで手を抜かずに作られた作品であることが伝わってきて、その余韻が今も残っている。
喪失の物語
レビューで意外と批判もあるんだなと思いましたが、素晴らしい作品だと思います。
同じ映画を2回観たのは初めてです。
レビューも初めてですが語りたくなりました。
キャストはみんなすごかったですが、個人的に撃ち抜かれたシーンをあげると、
①白虎襲名披露で渡辺謙が血を吐いて倒れる場面、俊ぼんを呼ぶとこばかり言われていますが、周りが騒ぐ中で「何で幕引くんや、わしの舞台やないかい、幕開けてえな、幕開けてえな」って叫ぶ演技が凄かった。舞台人の執念を感じました。
その執念を喜久雄も感じて、何とかしようと思っていたと思うのに「俊ぼん…」って呼んだ瞬間に動きを止めてしまったのは、血筋がどうこういうより舞台の上でただの父親になってしまった白虎への絶望感だったのかなと。
原作にはないので脚本を読まないとわからないけど、喜久雄が小さく「死んじまえ…」って呟いたように聞こえました。すぐにハッとなって「すんません、すんません…」って言うのを万菊だけが見て聞いていた、あの瞬間に万菊は喜久雄こそが芸のために全て犠牲にできる、国宝になり得る者と思ったのではないかと思いました。でもまだ足りないので、落ちぶれたときにもすぐには手を貸さなかった…のかなと。
②義足になった俊介と2人で曽根崎心中のお稽古終わって、舞台で話す場面、俊介が「あっこからいつも何かが見てんな」って言ったとき、喜久雄は今まで自分しか見えていないと思っていた「何か」が俊介にも見えていると知った…この世で唯一、俊介だけが自分と同じ景色を見る者、同じ境地に辿り着く者だと悟ったのではないかと思いました。それなのに、舞台で差し出された素足にも壊死が始まっていると知り、本気で縋り付いて泣いた、俊介も一瞬それを悟ったハッとした表情だったと。
理解し合えた喜びと、迫った別れの予感があったと思います。
この2つのシーン、私の勝手な解釈ですが、特に凄いと思ったところです。
あと、後半の展開が速すぎるというコメント多かったですが、俊介亡き後の喜久雄には、もう大切なものは全て喪って、ただ芸の道しか残らなかったので、語るべきことがなかった、ただ静かに生きてきた、だからあれでいいと思ってます。
人間国宝になったインタビューに答えてるとき、若い頃に俊介に「へえ、へえ、みなさんのおかげです、ばっかりでおもんないわ!」って言われたのを思い出したのかなってちょっとグッときました。同じ答え方してるし。
脇を固める女性たちも良かった。特に、喜久雄の才能を認めながら俊介が可愛い幸子、寺島しのぶの、出ていく喜久雄に何か言おうとして何も言えない演技が素晴らしかったです。
自分にも芸があるだけに、血筋よりも才能を選んだ夫の選択をきっとどこかで認めてる。俊介の居場所がなくなるというのは本音だろうけど、そんなことを言わなければならない自分に嫌悪感があったのではないかなと。ここにこの人をキャスティングした人が天才。
軽そうなJKから着物を着こなす大人になった彰子、喜久雄の芸の道に自分は必要ないと悟って泣く春江、最初から何も求めない藤駒も良かった。しがみつく人、諦める人、求めない人の対比かな。それぞれの末路も対照的。
でも脇で一番好きなのは源さんです。長年2人を見守ってきためっちゃいい人の役なのに写真・役名付きでクレジットされない芹澤興人さん…もっと注目してあげて…。
万菊が復帰した俊介に稽古を付けるシーンで横に控えてて、覗き見ていた喜久雄が立ち去るとき、それまで喜久雄の方を見てなかったのに、喜久雄の方にカメラが向いてピントがズレた瞬間に喜久雄の方を見たように見えました。合ってたら素敵。
あと少年時代の徳ちゃん。やんちゃでイキがってて可愛い。原作では一緒に大阪行くのに映画では消えてしまって残念ですが、長さ的には仕方がない。
代わりに喜久雄を支えるのは竹野…いい感じに屈折してていい人…。
田中泯さんはもう凄すぎてコメントできない。
少年時代の仲良し俊介と喜久雄について、俊介が反発して喜久雄を認めるまで何やかんやあるのかと思ったら、原作もあっさりしてたので、俊介は本当に気の良いええとこのぼんぼんなんやなと。(あるいは本筋に関係ないので端折ったか…。)本当に育ちの良い子はイジメなんて思いつきもしませんもんね。
そこで俊介の暗さを出したら喜久雄との対比がボヤけるので、なくて良かったです。
対比といえば、2人で踊るとき、無表情の喜久雄に対して口元がいつも微笑んでいるような俊介の表情の差がまた良かった。目配せするのもいつも俊介で。演出なら本当にすごい。
短く楽しい時代があって、高め合って、失って、失って、ただ一人、自分だけが残った。誰も辿り着けない静かなところにただ一人だけで立った、音もなく雪が降るのは美と孤独と死を象徴している、喪失の物語なんだなと思いました。
映像もテーマも衣装も役者も美しい映画だと思います。
泣かせに来ないところもよい。
何ならエンディングで泣けます。
「ああ、ここは痛みも恐れもない」
そういう場所に、喜久雄はただ一人たどり着いたんだなって。坂本美雨さんの作詞が秀逸。
映画で観てほしいし、あまり難しく考えずに美しさに没頭してほしいです。歌舞伎の知識とか、あらすじだけちょっとネットで調べておけば充分かなって…歌舞伎ファンの人すみません。だって半二郎が稽古で解説してくれるし…。
俗なことを言うと邦画の興行収入一位になってほしいなあ。いつまでもあの作品でなくてもね…。
心が苦しくなる物語
歌舞伎役者の生涯を描いた作品
結構大人向けの作品だと感じました。
レイティングPG12は低いのでは?と個人的に思いました
時代背景が昭和な事もあり、未成年飲酒や未成年喫煙等が含まれます
父親や銃殺されるシーンや、チャカやドスを未成年が持ち出して報復に行くシーンもありますし
今では許されない、道路交通法違反の自転車の二人乗り(自分の時代はうるさくない時代だったので青春の1ページを見た感じで懐かしく思いました)
今じゃあまり許されない体罰の表現もあります(時代背景、厳しい役者の世界を理解できるのが大前提)
濡れ場もありますし、なにより話が難しい。
大人は理解ができるかもしれ無いですが、中学生未満の方に昭和の時代背景が理解できるのか?
知識の無い子供にはなかなかに難しい話で、この作品の良さが伝わらないのかなと思うと、少し残念に思います。
なんなら大人でも人によっては難しい表現があったりして、人を選ぶ作品なのかなと思います。
自分は、生きている間に歌舞伎を生で拝見したいと思っている人間ですが、そんな夢を持ちつつも、歌舞伎の知識はほぼゼロ。
歌舞伎の演目が何本か出てきますが、コレは事前に知識を入れて行って方がより楽しめたのでは?と思います(実際歌舞伎好きな方の意見聞きたいですね)
これから、国宝に出てきた演目を何かしらで拝見したいと思っています。
とは言え、演者さんが全員上手いので、歌舞伎の演目がわからずとも、演技にとても引き込まれました。
芸能の世界の厳しさをリアルに表見していて心が潰れそうでした
自分は、芸能界の道を少しでも経験した人間です
いくら、努力して才能があっても、血筋や後ろ盾がないとこの世界で上り詰めるのは本当に難しいのですが、それを赤裸々に表現していて本当に切なかったです
主人公の喜久雄は、歌舞伎の道なんて縁の無いその筋の跡取り息子
ある日突然、父親が他の組に奇襲をくらい、眼の前で自分の父親が殺されてしまい
孤児となった喜久雄は、歌舞伎役者の半二郎に見初められ、引き取られます。
望んでなったわけでもない厳しい歌舞伎の世界。引き取ってくれた恩を返す為にも稽古を一日も休まず、歌舞伎の楽しさを見出していく喜久雄。
最初こそいい顔をしなかった実の息子の俊介(俊坊)ですが、やがてお互いを切磋琢磨する兄弟弟子として仲良く稽古に励む思春期を過ごす
時は流れ、二人共成長し立派な青年になり、ますます歌舞伎に箔が付いてきます
喜久雄は相変わらず努力をしメキメキ役者の腕を上げていきます
一方、半二郎の実の息子で御曹司の俊坊は、御曹司と言う立場にあぐらをかき、酒気を帯びたまま舞台に立つ始末
そんな中、贔屓にしている会社の社長が若き二人に目を止め、二人が主演の舞台を設けようと持ちかけます
当たれば若きビックスターの誕生、外れたら大コケ
楽しそうに賭けに出ますが、結果は大当たり、晴れて若き二人はスター街道真っしぐら
喜久雄はますます稽古に熱が入り、逆に俊坊はますます御曹司の座にあぐらをかきます
時が経ち、努力が報われて半二郎に認められた喜久雄。半次郎が事故で動けない事で代役の主役の座を、喜久雄に任せるのだと言います
実の息子は実力で負けてしまいます。約束された地位が奪われてしまった絶望。自業自得な部分があるとは言え、見ていて切なかったです。なにより、実の息子ではない喜久雄に対して、負けを認め、プレッシャーに押しつぶされそうになっている喜久雄を支えるといった優しさを持っていたところが辛かった。(めちゃいいヤツ)喜久雄の晴れの舞台を観客席で観ていた俊坊は、演技の実力差を目の当たりにして、実の息子である俊坊は、プライドがぶちのめされ、居ても立っても居られず席を立つ。席をたったのを目撃し、俊坊を追いかけたのは、喜久雄と両思いだった幼馴染のハルエ。しかしハルエは、歌舞伎役者としての喜久雄の邪魔になりたくないと感じたのか、喜久雄の求婚を断っていました。追いかけた先の俊坊は、ハルエに今までの苦悩を吐露します。歌舞伎役者としての一番に慣れなかった俊坊、そして喜久雄の一番に慣れなかったハルエ。そんな二人は歌舞伎の世界から、そして喜久雄から半ば駆け落ち同然のように逃げてしまいます。
時は経ち、喜久雄は正式に先代から名跡を譲り受けます。
先代は先々代の名跡を継ぎ、喜久雄は空いた先代の名跡を継ぐと言う状況。
その状況に腹を立てたのは、先代の奥方である幸子。
何故実の息子の事を考えてやらない!と旦那に怒り
よくも跡取りの座を奪ったな!と喜久雄に怒り
負けを認めて逃げ出した実の息子に怒りを表します
(全員に平等に怒るところがいいところだと思いましたし、こーゆー時ってホント男って!って女性は思うところかもしれないです。大なり小なりこんな感じの時あるよなってカンジで)
名跡を受け継ぐ儀の始まり、舞台に並びお客様に挨拶をする面々。
その舞台の最中、先代の様子がおかしくなり、倒れてしまいます。
意識朦朧とする中で、先代は俊介(俊坊)の名前を連呼します
俊坊が出ていってからと言うのも、これまで以上に稽古に励み、先代と一緒に歩んできた喜久雄にとって、何をどう頑張っても抗えない血筋と言うものが重くのしかかりった瞬間でした
先代はそなまま亡くなり、やがて喜久雄は家どころか歌舞伎からも逃げた俊坊を見つけ出す
なにやってんだよ、と怒るかと思いきや、生きててくれて良かったと俊坊に告げ、歌舞伎の道に連れ戻す
そこには俊坊とハルエとその間に産まれた息子の姿もあった
歌舞伎の世界に帰って来た俊坊は、メディアにひっぱりダコ
一方、ちやほやされていた筈だった喜久雄はカタギでは無い時の過去がメディアにさらされ、更には隠し子のスキャンダルまで出てしまい、名跡を奪った悪者として世間から非難の目で見られるようになってしまいます
(築いてきた地位がメディアによって一気にどん底に落とされる描写は、今で言うところのSNSで大炎上と言ったところでしょうか。今も昔も変わらないのが非情だなと思いました。隠し子に関しては、隠し子の母親は、二号さんでもいいと、最初から正妻になる事を諦めていたのでお互い了承して子供(隠し子)を産んだのだと思われます。)
時が経てば経つほどどんどん落とされていく自分に焦る喜久雄。
ある日、お世話になっている師匠の控室に出向き、役をくれないかと交渉に行く
しかし、スキャンダルはまだまだ鎮火を見せる事なく騒がれている状態
「今は静かにしておくべきだ」と取り合ってくれない
そっと控室を後にしたその時、師匠の娘である彰子が親しげに声をかけてきた
立ち話もそこそこに、娘は「お父ちゃん!」と元気よく師匠の控室に入っていった
そこで喜久雄の怪しい目が光る(ハイこの男、この娘利用するなと察し)
後日、俊坊が主役を務める舞台の稽古場に、彰子の父である師匠が怒鳴り込んできたのである
「彰子に手を出したのは俺の後ろ盾が欲しいからだ!」と怒鳴り喜久雄に手を挙げる
それを必死に庇う彰子
喜久雄に惚れていた彰子は親と勘当同然で喜久雄と二入で出家する事を決意する
お世話になった家を出る際に、女将さんに「泥を塗ってしまってすいません」と謝る喜久雄
(彰子に手を出したのは違ったかもしれないけど、それ以外はそこまで悪い事してないと思う)
出ていこうとする喜久雄を俊坊が追いかけるのだが「結局は血筋じゃねぇか」と怒鳴る喜久雄
芸の道を極め、努力してきても、結局血筋と後ろ盾で返り咲く事も安易な俊坊に怒りを露わにする
(今の芸能界もこのような感じなので、結局ド素人の天才が居たとしてもなかなかお表に出られないのが現状なので見ていて辛かったです)
全て無くしてしまった彰子と喜久雄は、宴会場の余興的なもので歌舞伎をしながら日銭を稼いで暮らしていた
歌舞伎が好きで舞台を見に来る人達には、喜久雄の芝居は最上級のものだったが、宴会場の客は、得に歌舞伎に興味もなく、舞台と呼べるにはお粗末な小さな舞台に目をくれる事すらなく、極められた喜久雄の芝居はまるで背景と化していた。
(頂点にまで上り詰めたものが地の底まで落ちた姿がとても痛々しかったです)
それでも尚、自分には歌舞伎しかないんだと、巡業を続ける毎日。
そんな中、自分の事ではなく歌舞伎の事しか見ていないと言う事実に、遂に彰子は気づいてしまい、喜久雄の元を去る
彰子も離れ、一人ホテルのベッドで寝ていると、喜久雄と俊介の演技を贔屓にしてくれていた会社の役員が喜久雄を迎えに来た
なんと、人間国宝である歌舞伎役者である万菊が90歳すぎた今、喜久雄に会いたいと言うのだ
万菊の後ろ盾もあり、喜久雄と俊介はまた若き日のように一緒の舞台に立てるようになった
そんな喜びもつかの間、俊介は足が壊死してしまい片足を無くしてしまう
片足になった俊介は、両足がダメになってしまう前にもう一度舞台に立ちたいと願う
片足と言うハンデを背負いながらも、二人は同じ舞台で最後まで最高の演技を見せるのだが、舞台が終わった後、俊介を息を引きとってしまうのだった
(先代(俊介の父)が事故で舞台に立てず代役を喜久雄に抜擢した演目だったのがエモかった。俊介は父と同じで舞台で息を引き取ったのだ)
時は立ち、喜久雄は貫禄のある歌舞伎役者で人間国宝になった
雑誌のインタビューを受ける中、カメラマンの女性が喜久雄に問う「昔出会った、藤駒と言う芸者を覚えているか」と
その問に「忘れた事は無い」とその女性のカメラマンの名前を呼ぶ
そのカメラマンの女性は紛れもなく、喜久雄が昔スキャンダルに出た隠し子本人であった
隠し子である綾乃は「父親と一度も思った事がない、どれだけの犠牲の上に今の貴方がいるのかわかっているか」と罵声を浴びせるが、
歌舞伎役者としての喜久雄に、母子共々心酔していたと評価する
「日本一の役者になったねお父ちゃん」
と笑顔を見せるのだった
(隠し子として、母子共に苦労もして憎い時もあっただろうに、父の一生懸命な姿に救われた時もあったのだろうなと、泣ける場面でした。喜久雄がちゃんと考えていたであろう発言もグッときました)
人間国宝となった喜久雄は、先代人間国宝である万菊が努めていた舞台で見事主役を勤め上げます
立派に演目を終え、膜が降りた時、そこには誰もいませんでした
育ててくれた両親も、お世話になった先代も、良きライバルであり兄弟弟子だった俊介も
誰もいなくなり一人ぼっちでスポットライトを浴びる
その光景はとてもキレイで、喜久雄の探し求めていた景色でした
若き日に「何もいらないから、最高の歌舞伎役者にしてください」と言う夢が叶った時だったのです
(なんにでも言える事ですが、なにかを頑張る時になにかの犠牲無くして成果は出せないものだと言う無情が可視化されて、とても切ない最後でした
難しい話ではありますが、高校生や大学生ほど見て欲しいものなのかなと思いました)
なんだろうな
こんなふうには生きれねぇよな…
本当にそう思った
ただひたすらにがむしゃらに歌舞伎に向き合い続けるその姿に胸を打たれたし、だからこそ待ち受ける苦難の連続には胸が苦しくなった。
歌舞伎のシーンやBGM、美しく儚く魅入られたのですが、ただ何だろう、ストーリーは所々断片的な感じもしてうまく背景が掴みかねる部分もあった。
原作を読んでみたいと思った作品。
すごいものを観た、、!
あれほど性根入れて突き詰める覚悟があると、予知的な景色に向かって未来を引き寄せるものなのか。
何より、役柄と自身の現実が重なる切実な底力を振り絞った迫真の演技をする役を憑依させる俳優たちの凄みのある表現力に感服。
入門する頃の紫シャツ、お上品なのだけれど、茶レザージャケットと合わせると、彼の境遇もあって二重に“アウトロー”感が増幅されるのよ。
そして華美な着物と厚化粧は崩れると途端に化け物になるのもたぶん演出にもってこいの重要な特徴で、屋上で身なりを崩し酒に溺れて踊り狂う姿は、社会的弱者の己を嘆き荒ぶるジョーカーのようですらあった。
華麗で優美な役柄の出で立ちと舞台を降りた憂鬱さの対比が、国の伝統芸能を代表する“宝”に成り上がる公的な光の部分と、血筋を持たず血の滲む努力で這い上がってきた執念が静かに燃えたぎる私的な影の部分との2面性に視覚的コントラストを与えている。
一貫して、怒りの矛先が不必要にライバルに集中することが無く、また不条理な敵と言えば冒頭のヤクザと歌舞伎の世襲くらいで全登場人物の行動と言動に筋が通っていたので、最後まで気持ち良く観られた。
欲を言えば、一緒に敵討ちに行ったかつての相棒にもう一回くらい出てきて欲しかった。
時代のズレのようなものが拭えていない
役者さんの演技には鬼気迫るものがあり、引き込まれる箇所が多くある。だが、なぜか現代で撮影してまーす!というものが映っているように感じる。
カメラの動きも気にあるところが多く、引き込まれてすぐに醒めるという繰り返しがあり残念。冒頭の乱闘シーンでちゃぶ台を振り回して投げつける場面や永瀬さん演ずる親分さんが打たれるシーンも安い刑事ドラマのように映ってしまっている。
歌舞伎というものに支配されて映画というものの見せ方が疎かになっているように見えてしまった。
最後の娘のセリフに違和感
再会した綾乃のセリフが腑に落ちず、最後の鷺娘の舞に集中できなかった。
「あんたを父親だと思ったことはない」と言い放った後に、「お父ちゃん」と言う綾乃のセリフが引っかかった。数十年ぶりに現れ、恨みつらつらであるように思われた娘が、急に態度を変えて和解する流れになった点が腑に落ちなかった。これは、このセリフが現在形であるからわかりにくかったのだと思う。「父親だと思ったことはなかった」と完了形っぽくすれば、色々不満はあるけど喜久雄の演技に感動した、という方向に繋がりやすかったかも。表面的な部分ではここが引っかかった。
それから、「どれだけ周りを不幸にして」というセリフも納得いかなかった。なんとなく、芸を極めるため周囲の人間を顧みない喜久雄の人生を言葉にまとめようという制作側の意図を感じたのだが、数十年間直接的な関わりがなく、喜久雄に振り回された俊介や彰子などの事情を知る由もない綾乃に、総括させる形で言わせているようなセリフに違和感があった。自分ら母子の不幸を直接訴えるセリフならまだ納得できたと思う。
また、私は喜久雄を「芸のために他の全てを捨てた人間」として解釈していたのだが、このラストシーンによって、作品の主題が芸の極致から最後の最後で父娘の感動物語にすげ替えられたような衝撃があった。喜久雄はずっと娘や周囲との和解を求めていたのか?鷺娘を舞いながら娘の言葉を回想する場面からは、喜久雄が娘の言葉に救われているかのような印象を受けたが、最後にあの「景色」に至ったのは和解して救われたからではなく、芸を極めたからではないのか?鷺娘の場面に綾乃のセリフを重ねる必要があったのか、つくづく解釈違いだと思った。結末に和解を持ってくるのであれば、せめて作中に喜久雄の演技を見る綾乃の描写ぐらいは入れてくれないと、急に出てきて何⁉︎となる。原作は読んでいないが、映画オリジナルの結末と知り、まあそうだろうなと。和解を丁寧に描く余裕がなかったのなら、娘は不満をぶちまけて和解せず立ち去り、心の中で父を赦す、くらいの方が良かったとすら思う。
他に気になった点としては、子役の方の喜久雄が人間国宝の演技を見て「怪物だ」と口に出す場面があったが、あそこは口に出さない方がいいと思った。はしゃいでる学生みたいだったし、せめてもっと独り言っぽく言えば違和感なかったかも。このときの人間国宝についても、もっと格の違いを強調して描けないものかと思った。エフェクトはかかっていたようだが。
また、襲名を果たした喜久雄が花井の借金も引き継いだことが示されていたが、にしては女将さんたち冷たすぎないか。正直要らない情報だと思う。
歌舞伎の場面に関しては拙者のようなド素人にもわかるようにエッセンスだけ抽出していていいと思った。こぶしの効いた独特な話し方や専門知識など、素人にはとっつきにくいジャンルの芸能なので。
いろいろ言いたい点はありつつも吉沢亮の演技は本当にすごかったし、情感に訴えてくるすばらしい作品だと思った。だからこそラストシーンに納得いかなかったことが本当に残念だった。あれははっきりいって陳腐だと思った。これを吐き出すために映画.comに登録した。それでも劇場で見る価値は間違いなくあるし、なんならまた見たいと思う。
良い作品&深い
歌舞伎わからなくても没入できる良い作品ですね
役者もストーリーも演出も良いですね
悪魔との取引は成功した
ある意味一芸に秀でる者は全てを投げうつんでしょうね
望んだことだけれどコレで良かったのか?
深い感じでした
邦画も洋画ほどの派手さはないけど良い作品多いですよね
原作の小説はどう表現しているのか?読んで見ようと思いました
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