国宝のレビュー・感想・評価
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遅れ馳せながら拝見した悪魔
悪魔との取引という言葉には予告編から惹きつけられました。
父親の命と引き換えに歌舞伎の門を叩き、幼馴染の恋慕と引き換えに後継の座を得て、家庭と引き換えに人間国宝の座を戴きました。
主人公が真綿を吸うようで恐ろしいと例えられるシーンがありますが、悪魔は取引相手に資格を求め、願いの成就が見えるや否やさらに多くを捧げることを求めます。つまり他ならぬ己の命です。
興を削ぐ言い方をすれば望みを絶たれて尚、芸に縋り、痛めつけられ、魅入られ、人生の情動と悲哀の全てを芸に還元する時間をこそ、芸事の悪魔は求めます。
物語の構造を書き起こせば非常に明快ですが、やはり主役は役者の演技でしょうか。
吉沢亮、横浜流星、田中泯、渡辺謙。
特に吉沢亮は歌舞伎と現代ドラマの間にすっぽりと収まるような怪演だったと思います。
随所に見られる目や肌を追うカメラアングルのフェティシズム、正に映画を見る我々そのものが悪魔となり、登場人物を品定めするのです。
だからこそ物語の終わりに彼らの命を賭した芸に賞賛を贈るのです。
芸術感が高い
3時間は長いからしんどそうだと鑑賞前には思っていたのだけど、あっという間だった。ダレることなく話のテンポが速い。ただし、もっと描きたいことがあったのではと思えてしまうほどに、細かい説明は無いから3時間でも足りてないような気がする。
主人公立花喜久雄はヤクザの組長の息子。宴会の場で女形を披露していた。この宴会にたまたま居合わせたのが歌舞伎の2代目花井半二郎。半二郎は喜久雄の姿に将来性を感じた。喜久雄が演技を終え顔を洗っていると、別のヤクザが乗り込んできた。喜久雄の目の前で父親である組長は殺される。
後日、喜久雄は仲間と共に敵討ちに行くどうやら失敗に終わったようだ。喜久雄は背中にミミズクを掘る。
喜久雄は花井半二郎に迎えられた。半二郎には息子の俊介がいる。歌舞伎界の御曹司と言ったところ。俊介は最初、喜久雄と一緒に歌舞伎の練習をするのが嫌そうに思えたが、2人は意気投合し、歌舞伎の練習に勤しむ。
喜久雄と俊介は花井東一郎、花井半哉を名乗る。二人で女形の題目を演じると成功する。
花井半二郎が事故に合う。代役として喜久雄が選ばれる。喜久雄は不安に駆られるも、結果成功に導く。俊介は喜久雄の演技を観ていたが悔しさからか途中退席した。その後俊介は8年もの間、戻ってこなかった。
8年後、花井半二郎は糖尿病のために視力が低下した。まだ健康なうちにもう一花咲かせたいと考えた半二郎は自信を白虎に昇格させたいと考えた。喜久雄は三代目花井半二郎を継ぐことになった。
襲名披露にて、白虎は挨拶が出来ず血を吐いた。そのまま白虎は亡くなった。白虎という後ろ盾が居なくなった喜久雄は歌舞伎の役が得られなくなっていく。また週刊誌にヤクザの子であることもバレてしまい、歌舞伎界で活躍することが難しくなっていく。
喜久雄は女形を売りに個人で営業を行う。しかし上手くは行っていないようだ。連れの女にも辞めようと言われてしまう。一方、俊介は歌舞伎界に戻っている。
喜久雄に万菊が会いたいと連絡があった。万菊は人間国宝の女形。もう90になり、その生涯を終えようとしていた。万菊の前で女形を振るう喜久雄。これが認められたのか?、喜久雄は歌舞伎界に戻る。
歌舞伎界に戻った喜久雄は俊介と再び女形を演じる。昔言われた東半コンビの17年ぶりの復活。
しかし、俊介は突然倒れる。糖尿病に患っていたそうだが、放置してきた。医者の診断で俊介は左足を切断しないといけない。俊介は足を切ることに躊躇が無いようだ。
片足の俊介は、それでももう一度舞台に立ちたいと喜久雄に話す。なら、相手役は俺がやると喜久雄は言う。俊介は再び舞台に立つが、右足が変色していることに喜久雄は気付く。俊介は病気に侵されていた。
2014年、喜久雄は人間国宝になった。
興行成績が良く話題だけど、エンタメ作品ではないのにこの成績だから、本当に作品が素晴らしいのだと思う。
作りが丁寧な映画
公開からしばらく経った平日に劇場で観ましたが、ほとんど席が埋まってて驚きました。
映画自体は、歌舞伎の描写がとても美しく、劇場のスクリーンで観るからこそ輝くものだと感じました。
ストーリーは、芸で成り上がる東一郎と歌舞伎役者一族の血筋で成り上がる半弥のバディもの編と、人間国宝まで芸のみで成り上がる後編(サクセスストーリー編?)に分けられます。
半弥は芸に泣かされ、また東一郎(と半弥も)は血筋に泣かされます。お互いを羨みながら成長していく描写が生々しくて良かったです。
舞台前震えが止まらない東一郎は半弥に「お前の血が欲しい」と口にします。しかしその血筋が原因で、半弥は半二郎(渡辺謙)同様、糖尿病で命を落としてしまいます。
半二郎に「血がお前を守ってくれる」と言われた半弥が、血に泣かされるのは何とも言えない気持ちになりました。
このあたりの描写も、曽根崎心中と、歌舞伎と心中するつもりの半弥の状態を重ね合わせており、丁寧でわかりやすいものでした。
血を継いでいない結果、糖尿病にならなかった東一郎。半弥に家督を奪われドサ回りをし、しかし半弥の最期が近いことを悟り、家督を継ぐことになり、複雑な思いがあったと感じさせました。
ですが曽根崎心中で見せた表情は半弥を失う辛さで満ちており、バディもの編として美しい終わり方でした。
花井東一郎襲名の際、神社で悪魔に「芸以外何も要らないから成り上がりたい(うろ覚え)」と娘の前で誓ってしまう東一郎ですが、妻と娘とも疎遠になり、半弥を失い、とうとう芸だけが残り人間国宝まで上り詰めます。
インタビュアーにドサ回りやスキャンダルが無かったかのように「順風満帆な歌舞伎人生(うろ覚え)」と言われ、娘がカメラマンとして現れても表情から感情はあまり読み取れません。
この時の達観したような、感情の機微が感じられない表情が、東一郎がまるで人間の枠を超えて芸術品になってしまったような感覚に陥ります。同じように人間国宝だった万菊(田中泯)さんと重なります。
総じて、人間関係の描写、歌舞伎の描写がとても良いバランスで両立されていると感じました。
3時間長の映画ですが、あっという間に感じました。
今期最も素晴らしい映画かもしれない。
とにかく面白かった。
陳腐な感想になってしまうのだけれど、とにかくすごかった。夢中になって画面に食い入り、見つめていた。
「ぴんとこな」という漫画を読んでいたので、
歌舞伎界は特に血筋が大事、と知っていましたが、
ここまでとは思っていませんでした。
本番前、半二郎が喜久雄にかける言葉は、稽古を休まずやってきたから、忘れても身体が反射で踊ってくれる、に対し、俊介には、花井家の血がお前を守ってくれる、と声をかけていることにはやはり息子と部屋子の違いを明らかにつけていることがわかる。実子より部屋子のほうが芸が上手いと認めていても、やはり可愛いのは実子。
喜久雄の芸への異常なまでの執着心にはゾッとするものを感じたが、同時に喜久雄の好きなようにさせてあげて、と思わせるまでの説得力を与えてすらいた。
だからこそ、高畑充希や見上愛、森七菜(役名ではないが)のたくさんの女性が喜久雄を支え、芸の道へ押し戻したんだと思う。
俊介はフラフラしているように見せかけているが、本当は本気で稽古をしても喜久雄に敵わない、とどこか思っている節があったから、御曹司であることを盾に遊び歩いていたんだと思う。
それと高畑充希演じる春江のしたたかさには舌を巻いた。
墨を入れるぐらいには喜久雄に入れ上げていたはずなのに、喜久雄の芸を見て落ち込む俊介を見るとすぐに乗り換える。その前にも片鱗はあって、役をとられてやけくそになった俊介が春江にいたずらしてやろうと家に上がろうとした時も、思惑を読み取って家にあげようとした。
俊介にそこまでの覚悟はなかったので大事にはならなかったが結局この二人が結ばれてしまうんだもの。
その後に家を追われることになった喜久雄が挨拶に来ても一瞥もせず息子に話しかける姿には恐れ入った。
こういう心意気がないから彰子(森七菜)は本命になれなかったんだろうな、と思った。
どこまでもお嬢様な気持ちで、本家を継ぐ気なんかさらさらないから、喜久雄に手を出された時にも出ていく!と啖呵を切ってしまったのだろう。
喜久雄が墨を入れるところから悪手を選んでいく様には胸が痛んだ。絶対こっちは選んではいけない、という選択肢ばかり選んでしまう。これも世間知らずであるが故なのだろう。
人間関係にばかりフォーカスを当てて感想を述べていたが、演者の気迫や演技も本当に素晴らしいものだった。
特に私が泣いてしまいそうになったのは、喜久雄が半二郎の代役を務める前に緊張で震えてしまいメイクができなくなってしまったシーン。
俊介の血をガブガブ飲みたい、と述べる喜久雄には
切実な歌舞伎の血筋への想いと、自身には頼れる身寄りがいないことへの恐怖があったのだろう。
俊介がもし代役で出演し失敗しても彼には血筋があり、親である半二郎が助けてくれる。でも自分には芸しか頼るものがないのだ。一度でも失敗すると居場所がなくなってしまう恐怖もあったのだと思う。
自分も一端の演者(歌舞伎でも役者でもないが)なので、本番前の緊張する気持ちは痛いほどわかるが、小さな子供が一人ぼっちで震えるように静かに涙を流す姿には心を痛めた。この時、喜久雄には俊介がいてくれてよかった、と心底思った。同い年で親友でありライバルであり、それでいてお互いに欠けてはならない存在であり。
歌舞伎を続けて、喜久雄が人間国宝まで上り詰めたのは、芸への異常な執着心もあるが、俊介の意志を継いでいきたいという思いもあったのだろう。
2人の子供時代を演じていた役者さんたちも素晴らしかった。無邪気で2人切磋琢磨している姿が素敵だった。
とにかく良い映画でした。
ただ、何度も観るにはパワーがありすぎて疲れてしまう。
タイトルなし(ネタバレ)
映画『国宝』
放映開始当時に吉沢亮・横浜流星の両名が色々な番組に宣伝として出てて、この映画について語っていた。それを何故か、どうしてか私はこの両名の役所を逆に勘違いしていた。そのせいでその事に気づくまで困惑していた。
『二人藤娘』で花道で待っている横浜流星の元に、舞台装置で迫り上がってくる吉沢亮が向かい合うシーン(パンフレットやポスターの写真のシーン)は、本当に美しい!
(レビュー内、敬称を省略してます)
急展開すぎる
絶賛されていて主演俳優さんも好きなので見に行きましたが、ストーリー展開が急すぎて観客の想像力頼り過ぎる。
原作があるものなので仕方ないと思いますが、片割れに突然の病魔、そして死去。最後のカメラマンで隠し子が潜入しているのは創られすぎていて興醒めしました。とにかく時間が足りなくて改めて会うシーンを作れなかったんだろうな、という印象。
近年の完全ファンタジーなアニメ作品等の方がよっぽど辻褄が合っています。
主演俳優の顔立ちの美しさ、歌舞伎シーンは本物を見たことがない素人目ですが素敵でした。
主題歌も切なくて良い。それらを大画面、大音量で聞けたのは良かったなという印象。
タイトルなし(ネタバレ)
評価が高いので観に行きました
歌舞伎の世界の見応えが有り
楽しませて頂きましたが
腑に落ちない事が多数あったのが
残念でした
前の席の方が涙を流しておられて
ここは泣く所なのか疑問に思いました
最後の締めも甘く感じました
国宝になった後
父親の敵討ちに
失敗したとの事だったので
その敵に最後は刺されしまって終わった方が映画が締まって良かった気がします
ちょっと残念な終わり方でした
「国宝」の輝きと自己実現の危うさと
前半から飽きさせない展開で起承転結の「承」では、2人の友情が育まれているのが楽しく、後の展開への布石としてもワクワクして見ることができた。歌舞伎役者としてのステップアップも捗り順風満帆な様子。
そこで「転」である。あらすじでは、襲名するのが実子ではないことが分かっていたので、「転」からが本格的なスタートとなる。ここから、高畑充希とは夢のために別れ、シュンスケとも仲違いになり、渡辺謙も居なくなり、と立て続けに大切な人を失っていく。
既視感のある展開だと思ったら、これは「夢を叶えるには何かを失わないといけないという物語」と気づく。私の好きなセッションやLALALANDもそうなのだけど、国宝が違うのは「悪魔との取引」という点だろう。
実の娘に対する無関心、女性への自己中心的な扱いは、彼の女性軽視的な部分は共感できるものではない。しかも彼は謝罪を述べることは無い。後悔がない。必要な犠牲。男として、というか人として最低である。
ということで、キクオが悪魔との契約を明かすシーンは今作の白眉だろう。彼はしっかりと「国宝」を目指していた。そんなに分かりやすくテーマを語らせるのだろうかという疑問も起こらないでは無いが、そう解釈した。また、それが自己実現の持つ究極的な虚しさである。
その意味で彼がラストシーンに見た美しい光景というのは甘美な幻覚に過ぎず、物語の最後に作者が用意した作り物に見えてしまう。彼は基本的に他人のために生きてはこなかった(シュンスケに役を譲ったりもしたけど)。最後の最後に美化して良いのか、というのがこの作品への疑問というか共感できなかったところではある。なぜか娘に許し的な内容を語らせることも。まあいいけど。
「映画内での芝居を本当に死ぬかもしれない設定でさせるとリアリティが増す」というメソッドも侍タイムスリッパーで見たばかりだけど、とても効果的。死期悟った者が演じる曽根崎心中は見応え抜群。役者の持つ迫真性というものが劇場を包むときに観客はその臨場感空間に引き込まれる。これこそがロシアのスタニフラフスキーが生んだメソッド法で言うところのプラーナ(気)の作用であり、演劇の持つ力なのだなあと改めて感心させられた。それを体現せしめた俳優の方々、製作陣は素晴らしい仕事をしていた。
ただ終盤からトイレ行きたくなって、そしたら映画の長いこと長いこと。だから娘のセリフも長く感じたのかも。
魂が震える。人生に1本の傑作。
ずっと観に行きたいと思いつつも…
なかなかタイミングが取れず。
ようやく観に行ってきました。
まぁ…映画の感想なんて
全て『個人的にはこう思う』といったものなので…
どのように感じようとそれぞれ個人の自由なのですが。
私としては、この感動を共有できる妻と映画館で同じ時間を共有し、同じように涙出来た事が心から感謝する時間でした。
私の妻が私の妻で良かったと心から思える時間を貰えただけでも、この映画の…
作品の持つ力に感謝です。
そして…
俳優、監督含めて
この映画に携わった全ての方の力で、作品としての力強さを全身で受け止めました。
3時間近くの長編ですが
これだけの時間が絶対的にどのシーンも必要不可欠な感じに思えたように、あっという間でしたが…
見終わった後の、なんというか…
疲労感のような…
観る側もパワーが必要だと思いました。
特に『曽根崎心中』のくだりからは、要所要所で涙が溢れるシーンが多く…
泯さんの舞いがスクリーンで観られたのも、眼福!!
いろんな意味合いでの
『国宝』な映画でした。
直接、説明セリフなどが無くても
その佇まいや、所作だけで
全てを物語ってくれ、観てる側までが、物凄い緊張感に襲われる。
アクション映画や、ホラー映画のように、力業で緊張感を誘発するものではないだけに…
あの緊張感を味わうだけの
集中できる環境ならでは
だからこその!映画館であると思いました。
最近は、『鬼滅の刃』などで
改めて映画鑑賞マナーが世間的に取り沙汰されていますが…
『国宝』には
ガチャガチャした子供も居ないし
観に来てる若い女の子も大人しく観てて、私達も難無く集中して映画に没入できました。
ホントに
素晴らしい作品でした。
ぜひとも!
アカデミー賞受賞していただきたいです!
美しい世界を追い求めて。
昔の任侠映画のような冒頭からの映像美は圧巻です。それだけでも観る価値はあると思います。
喜久雄(吉沢亮)と重篤な病の俊介(横浜流星)の二人が演じる終盤の歌舞伎のシーンには圧倒されて自然と涙が溢れました。そんな俊介の姿を見て「あんな風には生きられねえや、救急車呼んでおけ」と竹野(三浦貴大)の度々の言葉に、観客は現実に引き戻されてしまいますが、喜久雄と俊介は生まれと立場の違いこそあれ、お互いに切磋琢磨して芸術を極めようとしたのです。
最後に歌舞伎の境地に達したのは、喜久雄の方でしたが、芸術に携わる者が行き着いた世界が喜久雄の最後の言葉に込められています。
昔、任侠の息子であった人で、父の仇を討とうとした人が、極めれば人間国宝にも成れる世の中だと信じたいですね。
題名にふさわしい
歌舞伎の世界で血筋のない男が、国宝となるまでのお話。
吉沢亮さんと横浜流星さんの芸が圧巻。
2人のスゴミのある役に、魂を持っていかれる感じ…
3時間て痩せてしまったと思うくらい。
「美しくないものだけの部屋」で最期、床に伏している万菊さんが印象的。
本当の国宝はこういう人と思わせられる。
芸の世界は美しいだけではない
話題になっていたので、全く前情報無しで視聴しました。
一言で言うと、「芸を極めるためにその他すべてを捨て、国宝になった男」の話です。
私は人の名前を覚えるのが非常に苦手な為、主人公格2人のことをシュン坊、キク坊(春菊)と呼んでいたのでこの呼称で進めます。
役者の子どもで血筋はあるがキクよりも才能は開花しなかったシュン坊、後ろ盾は何もないが誰よりも才能に秀でたキク坊の対比が美しく、それでいて深い絆で結ばれている為に単なる嫉妬や血筋争いで瓦解しない所に安心感がありました。
それでも、彼らは決して美しいだけの存在ではなく、性行為だってするし、利権や血筋による沙汰も行うし、暴力に走ったり酒に溺れたりもする。
そこに舞台の上での彼らとは違う、ドロドロとした人間らしさを感じて引き込まれる。
社会に揉まれて落ちぶれて、それでも秀でた才能や絆によって舞い戻り、進んでいくキク坊の姿は、決して順風満帆でも美しい出世物語でもない。
でも、世間から見ればそんなのはどうでもいい話。最後のインタビューで記者からきらびやかな道を通って国宝となったかのような言葉を投げかけられた彼は何を思ったのか。
病に倒れ死の淵に立っても共に歌舞伎をしたいと言い、そして成し遂げて死んでいった親友のシュン坊、キク坊の才能を見出し他者の反対を押し切って後継者に選んだのに、最後の最期で彼ではなく実の息子の名前を呼び続けた先代のおやっさん、文字通り魂を悪魔に売った彼の事を憎んでいるが、その歌舞伎の演技に圧倒され、憎みきれない実の娘……
失ったものの多さと、辿り着いた果ての対比に畏れすら感じる。
劇中の歌舞伎描写も圧巻。是非スクリーンで観てほしい。
一つ欠点を述べるとすれば、彼らの半生を描く関係で時間が飛ぶ事が多く、今の時代の作品にしては視聴者の解釈で補完しなければならない部分がある点だろうか。
私は気にならなかったが、説明不足と感じる人も出てくると思う。
先入観を持たずに鑑賞
2025 9/10㈬既にロードショー3ヶ月突入で
朝、初回の大阪ステーションシティシネマで
鑑賞しました🎞️
先ず映画のSTORYとは脱線しますが、
TICKET予約が出来ない招待券だったので
発券機を並んでいたのですが、年配の方が
大半の様な状態で50代の私自身も機械操作に
不慣れでスムーズに発券出来るか戸惑いも。
私の隣の年配女性(おそらく70〜80代)
その方が私に「スマホも持ってないの」と
ひとりで発券購入する事が出来ないと暗に
【S・O・S】
しかし、自分自身が不安を抱えてたので、
彼女の助けに手を貸せず…
それを見かねて別の女性が「スマホ無くても買えますよ」と操作をお手伝い。
敬老の日を前に自分の不甲斐無さを実感です。
人手不足は今のNIPPONの現状だとは思いますが、少なくとも年配の鑑賞者が多いと思われる作品には、機械操作の助言STAFFは欲しいです
作品は素晴らしい出来栄えだと思います。
本来は映画館で鑑賞予定はなかったのですが、
紆余曲折でロング・ラン上映を前から3列目と
いうこともあって迫力の鑑賞体験が出来ました
正直、1箇所だけ不満に思ったシーンがあった
のですが、若干、ネタバレ気味に書き込みを
お許しくださいませ…
子役の女のコ必要なの?ギモン?
涙腺が緩みました。
【おくりびと】以来の感動を味わいました。
よかったが、好きな部類ではない。
カンヌのニュースを見たときから気になっていたので沢山人がいたがなんとか公開初日に見に行った。見終わった後味としての個人的な感想はタイトル通り。ストーリーはあまりささらなかった。
しかし何が凄いって、退屈なく観ることができたこと。面白くなかったわけではなく、好きなストーリーではないという感想なので、演出、場面展開、役者の演技はかなりよかったことが、3以上の評価に繋がった。フラガールの監督さん、ドラマ最愛の脚本家さんなのでさすがと思った。
ストーリーが好きな部類じゃないのは、
主人公に感情移入できないところ。周りには共感できて泣いた。
狂っていて時遅しとはいえ、家族や大事な存在をを捨ててまで何かに没頭したことはないし、その点において共感できるところがない。ささらない。
最初は自分で選んだ環境ではなかったかもしれない。まあ才能はあったからね。あり過ぎたのだろうね。
でも、選択はできたはずで、主人公はある意味恵まれていた。
そんな中、狂ったのも狂わせたのも自分だから、自分の世界でもがく様子を見せられても、周りが可哀想にしか思えなかった。
まあ仕方のない選択と捉えてもいいんだし、この狂い方やこの表現こそが映画の言いたいところなのだろうな。芸事を極めた結末。選んで捧げることの生き方の表現、人生。愛。継承。すごく考えさせられる。ストーリーがささらなかったが、演出その他もろもろの構成が素晴らしかったので3.5。
一つレビューで気になるのが、説明があまりないとかいう感想。考えてよって思う。考えることをやめた人の感想なんだよな。
言葉の少ない映画なんて山ほどあるよ。国宝はまだわかりやすかった方。
前評判どおり、よかった
すごいらしいと聞き、ロングランになってなお大きな劇場で上映しているのを観に行った。席は平日昼に関わらずかなり埋まっていた。
3時間近い大作、どう終わるのか?どこで終わるかと思ったら、まさにタイトル通り国宝になって、見たかった景色を見たところで終わった。
「ああ、綺麗やな」
こちらから見るとそんなに綺麗な景色に見えなかったがそんなものということだろうか。
終わり方も、ここから老いていくようす、後継者、死後などは蛇足であり、この映画としてはこれでいいのだろう。
1人の人間の生涯を追う、兄弟のような相棒と切磋琢磨する、順風満帆でなく芸から離れる時期、彼女を寝取られる、芸の世界とヤクザのつながり、時代背景全体に昭和元禄落語心中を思わせる作品だった。
芸事の道には、何やら狂気が潜んでいるようである。
それに歌舞伎界の血筋というテーマを足した感じか。
生まれというのは自分ではどうしようもないもの、なのに残酷に、大事な舞台に立つ前に、血のつながりを意識させられる。
逃げた坊の分まで、芸を磨き襲名も勤めたというのに、お師匠は今際の際に坊の名を呼ぶ。
襲名しても冷遇されたのは、血筋でないからか、週刊誌のすっぱ抜きの影響だったのか。そもそも、週刊誌がすっぱ抜くのも、後ろ盾がなくて握り潰せないというのもあったのかもしれない。
映画では何か端折られたのかもしれないが、人間国宝から声がかかって歌舞伎の世界に戻れたのはどういうわけだったんだろう。
世間を騒がせて数年経ってほとぼりが覚めたから?
そして血のつながりがあるからこそ、坊も糖尿病になる。足壊疽で入院してるのにバナナをたべているところ、まさに糖尿病患者だった…。
春江はどうして喜久雄でなく俊を選んだんだろう。喜久雄が見ているのは芸事を極めることで、自分は必要とされてないと感じたのかな。求婚されたのに、「1番の客になる」って答えるってそういうこと?しかし長い付き合いで、よりによって兄弟分の俊の妻になったのに、俊も死んでしまって、その後も長い時間一緒に過ごすというのが数奇な運命、というか、単純に気まずくないのかなぁ。さすが、こういう世界、狭くていろいろありそうではあるよね。
悪魔との契約の末路なのか、喜久雄の子は歌舞伎役者になれない娘だが、俊の子は息子。その息子に稽古をつける。どういう思いなのか。そこは掘り下げられなかったけど、ほんとドロドロだよね。
結局、人生幸せかどうかなんて、自分が決めることだ。周りは勝手に評価してやいのやいの言うのだ。
喜久雄は、血筋がないために苦労した。それも俊と兄弟のように育てられているからこそ、時折見せつけられる差が苦しい。芸をどんなに磨いても襲名しても、世間から「取り入って盗んだ」と見られる。仕事もない。
そして悪魔との契約のせいなのか、結婚したかった彼女は兄弟ともいえる親友に取られるし、子どもとも一緒には過ごせない。まあこれは、本人も家庭を大切にする気はなさそうだったけど。
さらには親友も亡くし、あるのは芸だけ。
それを、終幕のインタビューでは「これまでまさに順風満帆でしたが」などと言われる。全く、世間というのは勝手なものだ。
また、突然娘が現れて、「あなたのことを父親だなんて思ったことはない」だの「いろんな人の人生を犠牲にして」だのと恨み節を言われる。神の視点で物語を見ている私たちからすれば、芸妓との付き合いは互いに同意のようで喜久雄はそんなにひどいことをしているようには見えなかったが、娘の立場からしたらそれは大変だっただろう。まあ2号の立場は本来充分な経済的支援があってこそなのに、それがなかったのは大きいか。その上で放浪されてしまって会えなくもなったら娘が恨むのは仕方ない。
しかし血筋でないからこそ、糖尿病は患わずに長生きできて、国宝になれたのだ。まあ、血筋でないものが国宝になれるというのが、そこはお話だからで現実ではないのかもしれないが。
でもそうだなぁ、歌舞伎なら定年もなく最期までできるし、ましてや人間国宝になったらもう仕事がなくなることはないし、生涯現役で歌舞伎ができるというのは、この手の人にとっては最高の人生かもしれない。最高、は言いすぎか。プライベートで手に入らなかったものは大きかったけど、一番ほしかったものは手に入れた。あれもこれもで頂点に立つのは無理だということよね。中途半端では極められない。
2人して人間国宝になりたかったのかはわからないが、俊はといえば、あれもこれも欲しがりだ。少し売れれば派手に遊び、もちろん大きなことではあったけど、父の代役を一度取られただけで、そこから奮起するのではなく、親友の女を奪って逃げる。父が死ぬまで顔を出さなかったくせに、死んだ途端に陽キャなままで帰ってきて、喜久雄のこれからというところの仕事を奪っていく。この、どのツラ下げて?っていうところのハートの強さは、ボンボン育ちって感じだよね。その仕事が入ってくるのも血筋もあるのかな。それは、俊は意識できてないだろうけど。それとも、パッとやってきて自分より芸に通じ、父から認められた喜久雄に対する仕返しなのだろうか。父の借金は一体どうしたのか。
喜久雄はそういう恨み言は言わないけれど、どっちかっていうと俊の方が酷いことしてるように見える。才は天賦が与えるもの、喜久雄は真面目に芸を磨いただけなのに、嫉妬しただけじゃねぇか。
帰ってきたところで、2人で力を合わせてってわけには行かなかったんだろうか。それだと俊が見劣りしちゃうから、あのおかみさんあたりが認めなかったのかな。おかみさんは息子可愛さはあるにしても、旦那の作った借金を返してくれていた喜久雄に対してあまりにも冷たいんだよなぁ。取り立ててやったんだからそのくらい当たり前だとか都合のいい解釈をしているんだろうか。怖いなぁ、一緒に育てていても情はうつらなかったんだなぁ。それか喜久雄が仕事ほしさに下手こいたのがそんなに良くないことだったのか。もしかしてそういうことなのか、あのお嬢さんと別れて、お父さんが許したことも歌舞伎界に戻れた一因だったのか。
話はそれたが、俊は妻も得て息子も生まれたが、病に倒れる。でも義足で舞台に立つ、前向きな人間だ。それこそ血に守られているのかも。血に守られていると意識しなくても、深層心理で思っているような、ボンボンならではの自己肯定感の強さがある。息子にも怪我したらどうするといいながらバスケットボールをやらせてあげているし、ほんとに悪いやつじゃないんだ。
それに、放浪から帰ってきてからは俊は自分の才を受け入れたように思う。「それがあって今がある」と言っていたし。最期は国宝にこそなれなかったが自分の納得する曽根崎心中を演じられた。ただ命は長くなかった。もしかしたら、国宝になれなかったことより、舞台に立つ時間が短かったことの方が悔やまれたのではないだろうか。子どもの行く末を見守れないことも。いや、そんな感想は凡庸がすぎるかもしれない。子どもの行く末を気にする人間か?でも家族というものに対しては喜久雄とは対比的に描かれているし、その辺りは俊はそう言った愛情を持ち合わせていそうではある。
そんな俊との別れの時間。
お初役の俊の足を手に取り頬ずりするシーン。
本当にいろいろあったけど、この2人は他の人にはわからない強い絆で結ばれている。
彼女を寝取られても、仕事をとられてもなお、喜久雄はこの性根の明るいボンボンを嫌いになれなかったし、どこか憧れもあったんだろうし、一緒に過ごした時間は宝物だったことが伝わってきた。
喜久雄と俊は対照的だ。そういう意味でも、やはり人間国宝になるような、何か1つ突き出た才能というのは、多くの一般人とは違うし、孤独なんだなと思う。
でもそれが良いとか悪いとか、幸せか不幸かなんて、外からみてる人間は何も言える筋合いはないのである。
喜久雄が歌舞伎界に呼び戻されたとき、質素な古アパートで当時の人間国宝が1人寝ている。
坊が親から受け継いだ立派な家で、素敵な調度品に囲まれて暮らすのと対照的である。
そういうことなんだな。
あくまで舞台上で綺麗な景色を見るために。
それだけが目標で生きていく。
それ以外は望まない。
そういうものなんだろう。
そこまで突き詰めるからこそ国宝なんだろう。
いい映画だった。
評判の高かった吉沢亮のみならず、横浜流星も良かったよ。
印象を選ぶにしても、当てはまる言葉がなくて。
なかなかにドロドロな、人間の業の詰まった展開ではあるんだけど、全部昇華されて、言うなれば「美しいものをみた」という感じ。
見るのに3時間かかるけど、全然無駄じゃなかったよ。
一人の人間が「何か」になるという話。
話が長い分いろいろな読み取り方があるかと思うが、私は青年が成長するとか歌舞伎役者が大成する、というより一人の人間が人間ではない別の何かになる話のように感じた。
親との死別、血というしがらみや世間からの風評、役者たちや女達、没落もして半身とも言える親友との死別、最後に実の娘との対面。いろんなものを得てその全てを失って何かになった。
特に、歌舞伎役者という血縁と世襲制の世界で、稽古を重ねて役者として成長し、救ってくれた親のために(背中に背負ったミミズクのように恩を忘れず)やって来たことが、死に際の親のたった一言で全て粉砕されるシーンはすさまじいものがあった。
おそらく、対比であり半身である親友は主人公と同じ「何か」になった。けれど、家族や病もあってそれを得るのに自らの命を差し出さなければならなかった。
田中泯演じる老歌舞伎役者は全てをわかったいたのか、とにかくあの存在感は凄まじい。
「ああは生きられねえよな」という台詞もあったが、観客にとってはこの台詞が全てだと思う。客はこの台詞に対して共感するか否定するか無視するか理解できないか、でこの映画の印象は変わる気がする。
ひたすら芸に生きる
圧倒的なスケールで歌舞伎に潰される。圧倒的な映像美。芸の果てしない追求。国宝になるために悪魔さえも味方につけて芸に精進する。
まったく前知識なかったが、最後の芸を極めた瞬間はだれをも圧倒するだろう。
観るか観ないか悩むなら観る
李 相日監督ならではのリアルで過酷な世界観。
伝統芸能にまったく詳しくない自分でも観ていて感動できる舞台シーン演出。
吉沢亮の振り切れた芝居も全編良かった。
キャスト陣も永瀬正敏さん、渡辺謙さん、寺島しのぶさんと大好きな俳優陣が出演していてとても見応えがあった。中でも田中 泯さん演じる歌舞伎界の重鎮でもある人間国宝役が本当にいそう、インパクトあり過ぎのクセ強感で圧巻でした笑
ラスト、吉沢亮が晩年の役でも演じるのですが、話し方も体型も動きも若々しい、見た目だけメイクで歳を重ねたように見せているのですが、魔性に取り憑かれた人間は歳を取らず若く見えるようにわざとなのかな…とか考えました。
3時間が苦にならない良い作品だけど…
とても評判がいいので見に行きました。なるほど、3時間という長さが気にならず、最後は終わるのが寂しく感じるほどでした。
ただ、採点を5点にしなかったのは、2つほど気になったところがありまして。(以下ネタバレです)
まず、最後のほうで、年をとった主役の立花喜久雄(吉沢亮)を撮影するカメラマンの女性が、実は立花と愛人の間に生まれた子だったということで、その女性は立花に向かって、あなたを父と思ったことはない、と批判しながら、あとに、立花の舞台には拍手を送ったという趣旨のことを言うシーンがあります。ここが、私にはきれいすぎる作り物感を感じました。この作品は映像もストーリーもとてもリアルに展開してきたところが良かったので、ここは見ながら違和感を感じました。
もうひとつは、これも最後のほうで立花が人間国宝になるのですが(先の写真撮影がそれ絡みだったかも?)、これには唐突感がありました。立花はいろんな、中には悲惨な回り道をしながらも歌舞伎の世界で生きてきたのは感動的なのですが、決して役者としての王道を歩んだわけではないと思える彼の評価は分かれるのではないかと感じていました。それが、人間国宝になった経緯や過程が語られないままだったのは残念な気がしました。「国宝」というのは作品の題名でもあるのでなおさら…。
という感想を家族に話したら、そんなのあまのじゃくじゃんと一蹴されました。まあそうかもしれませんが、原作はどうだったのか?機会があれば読んでみたいと思います。
ともかく、3時間楽しめる素晴らしい作品であることは間違いありません。最後ですが、吉沢亮のすごさを感じました。
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